神戸サイクリング日記1
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神戸サイクリング日記1
1995年
6月7日 水曜日
天気が良いので自転車で出掛けた。今日は森林植物園は休みなので通り過ぎ、六甲山牧場へ。登り坂ばかりとはいえ、歩くよりは早い。もっと遠い所のように思っていた。
なだらかな広々とした草地に身を置くのはひさしぶりだ。小学生達が絵を描きに来ていた。僕は新しいカメラの様子をみるために、写真を何枚も撮った。
午後からさらに東へ向かった。山中の道を自転車で走っていると、野尻湖を思い出す。登坂もひさしぶりだ。標高差500メートルはさすがにきつかった。
ケーブルカーの駅に寄った。見憶えのある懐かしい建物だが、シャッターが半分降りたまま、薄暗く静まっている。復旧は7月下旬になるらしい。
同じ市内とはいえ、ここまで来るとやはり違う。キツツキのドラミングが聞こえたのには驚いた。なんだか北海道を思い出す。ただし、今日いたのはコゲラだった。
最後に高山植物園に入った。ここも何年ぶりになるだろう。六甲山牧場でチーズ館が新設されていたように、高山植物園には映像館が新設されていた。入場料も高くなった。まあそれは、僕が大人になったせいもあるが。
6月17日 土曜日
ワープロ入力は半日あれば終わりそうなので、自転車で出掛ける事にした。天気予報によれば、もうこれから先降らない日はない。今日が最後のチャンスだ。
今日は牧場にも植物園にも寄らず、真っすぐ六甲山頂を目指した。見晴らしの良い場所で何度か立ち止まったが、それでも2時間とかからずに山頂に至った。
そこから先、宝塚方面へと降りる道は、今も通行止めになっている。町を見降ろすと、家々の屋根を覆う防水シートの青色が、モザイク状に広がっていた。
自転車を置き、歩いて少し登る。頂上には比較的新しい標石が据えられていた。一等三角点/六甲山/北緯34度46分29秒144/東経135度15分59秒507/標高931.13メートル/1986年標石設置。あの地震で、多少の変動はあっただろうか。
下り坂の帰り道はさらに早い。だが急いで帰る必要もないので、摩耶山へ寄ってみた。こちらもやはり、ロープウェイは動いていない。そういった状況だからなおの事、自転車でここまで至った満足感は大きくなる。
今日は土曜日、休日だったと気付いた。昼間からローリング族が繰り出している。横をすり抜けるバイクにつられ、僕もついスピードを上げてしまった。昼過ぎには家に着いた。
帰ると速達が届いていた。ジャングルくんからの返事だ。忘れてはいなかったようで、嬉しかった。ずっと前の約束通り、写真も同封してくれていた。モンゴルからも手紙を書こう。
1996年
6月15日 土曜日
歯医者は今日で終わった。気分も軽く、また天気もひさしぶりに良くなったので、午後は自転車で出かける事にした。こんな日にじっとしてはいられない。
特に目的地は決めず、ただ山の方へ向かう。エゾゼミの声。木もれ陽。今の季節になると、北海道を思い出す。
20分で森林植物園へ、50分で六甲山牧場へ至った。まだ物足りないので、さらに進む事にした。
2時間後、結局六甲山頂まで来てしまった。宝塚への道は、今も通行止めになっている。
自転車を止め、ハイカーに混じって頂上の碑まで行った。見下ろす街は、もやですっかりかすんでいる。水平線も分からず、船が空を飛ぶように見える。写真を撮るつもりだったが、こう透明度が悪くては。また高山植物園に寄るのも芸がないし、そのまま真っすぐ帰った。
8月31日 土曜日
昨日外出しなかった反動で無性に出かけたかったので、自転車で六甲へ向かった。思いきり汗をかきたい気分でもあった。走っている間は、今も夏まっさかりだ。
途中、熱帯昆虫展が開かれているのを見付け、入ってみた。開催期間は明日までで、運が良かった。表では、ミニ四駆のサーキットを囲んで子ども達がにぎやかだ。夏休みも明日までか。
1997年
7月4日 金曜日
淡路島へ渡るため、まず須磨港を目指さなければならない。道順も不確かなまま走ったが、それでもすんなりたどり着いた。ただ、あまり周囲に目を向けないまま走り抜けたので、帰りには迷いそうだ。道しるべになりそうな物といえば、大きなダイエー、JR鷹取工場、そして報道陣の詰めかける須磨警察署。
乗り込めば、フェリーはすぐに出港した。15分間隔くらいで出るようだ。船体も大きく、意外だった。淡路島も、思うほど田舎ではないのかもしれない。所要時間もわずか45分。ひさしぶりに船旅を味わう身としては、もう少しゆっくりしたい気もする。デッキに出て手すりに寄りかかり、ずっと橋を眺めていた。あの橋も自転車で渡れたらいいのに。
東海岸に沿って南下する国道は、交通量は多いものの割合走りやすい。初日の午前中にかなり距離をかせいだ。ただしアクシデントも早速起きたが。歩道との段差にタイヤをとられ、転倒した。足にダメージを受けなかったのが不幸中の幸いだが、肩の破れた服が少しみっともない。
洲本から国道は内陸へ向かうので、僕は海岸沿いの県道に進む。途端に車が少なくなった。
道はやがて、山中をたどるきつい坂になった。今年初めて聞くセミの声に包まれながら、汗だくになってペダルを踏んだ。汗が流れ手の傷が痛む。疲れと渇きに頭がぼんやりしても、この痛みだけはやたらリアルだ。
その後もったいないほどに下り坂が続き、再び道は海岸沿いに続く。車はもう一台も通らない。代わりに沖合に漁船が一そう、同じ方向に走っている。自転車とほぼ同じ速度で、30分以上も並走していた。
まだ人気のないビーチでひと休み。日は傾き始めている。ここで寝てもいいかと思ったが、鳴門海峡はもう目前だし、きりのいい所まで進んでおく事にした。
その判断は正しかったのかどうか。再び道は山の中へと続く。しかも交差点にも案内がない。たまに何か看板があるかと思えば、「ゴミを拾るな」などと書かれていて苦笑してしまう。
だが笑ってばかりもいられなくなった。登りつめた先はことごとく行き止まりで、時間と体力とを消耗するばかりだ。田舎道を走るには、詳しい地図を用意するなど、それなりの準備が必要だと思い知らされた。2時間以上も回り道を強いられ、ようやく海峡の公園にたどり着いた。
もう動く気になれない。ベンチに座り、夕日を眺めた。そしてそのまま、暗くなるのを待った。明るいうちからテントを張るのは、まずい気がしたので。工事に来ていた人が、どこへ泊まるかと帰り際にたずねるので、ここで眠るとつい正直に答えると、水を分けてくれた。
その水を、用意してきた固形燃料でわかした。マグカップをじかに火にかけて。大きいホーローカップはこういう場合便利だ。カップヌードルを作るくらいの湯はわかせる。野外の独りでの食事、そして食後の紅茶もうまかった。
7月5日 土曜日
橋を渡る車の音が耳につき、しばらく寝付けなかった。もっとも、たまに早寝しようとしても無理だろう。それでもじきに寝入り、気付けばもう明るくなっていた。
早朝は車も静かで、潮騒だけが響いている。しばらく朝寝を楽しみたいが、人が来る前に片付けよう。テントを出ると、カニが逃げていった。
まずテントをたたみ、残っていた菓子パンを朝食にし、7時には出発した。
前半のコースは昨日の続きで、山がちの田舎道を進む。あい変わらず交差点には案内がない。また何度も道を間違えた。
時おりサイクルライダーとすれ違った。これからあの辺境迷い道へ向かうと思うと、気の毒になる。僕は今は海岸沿いのなだらかな道を順調に走っている。
これが瀬戸内海とは信じられないほど、澄んで輝く海。地元の小学生達が海水浴をしている。海にしろ山にしろ、田舎の学校はうらやましい。
僕も砂浜に降りて昼食にした。靴を脱ぎ、足だけ海につかる。クラゲが泳いでいる。
目を上げれば、もう対岸に明石が見えている。今夜は明石海峡を望む場所で野宿するつもりだったが、思いのほかペースが早い。実際その後1時間もかからずに、明石大橋の下をくぐった。
勢いでそのままフェリー港へ。まさか2日間で回れるとは思わなかった。しかしまだ旅は終わっていない。最後にはきつい登り坂がひかえている。せめてフェリーに乗っている間だけでも、ゆっくり休んでおこう。
何も考えていなかったが、それでも帰り道は迷わなかった。ただやはり坂はつらい。昨日の山道でのように、リットル単位で汗を流した。傷もまた痛む。
ふらつくほどに疲れているのに、にぎやかな児童館にさしかかるともう素通りできない。そのまま自転車を停め寄り道した。すぐに水をガブ飲み。そしてふと鏡を見ると、鼻ばかりが赤く焼けていた。騒ぎ回る余力はさすがにないので、女の子達とおしゃべりしていた。
10月20日 月曜日
琵琶湖を目指してサイクリングに出発した。献血の直後だというのに。せめて少しでも楽をしようと最短コースを考え、中国縦貫道や名神高速に沿う事にした。
まず有馬街道を田尾寺まで北上し、そこから東へ向かい、西宮から宝塚を抜ける。この山道はずっと下り坂だったので、帰りに苦労するだろう。
川西とか池田とか、聞き慣れない地名に迷わされた。国道は時おり自転車進入禁止の高架となり、回り道を強いられるし。それでもなんとか、京都へ真っすぐ続く道へ出られた。京都まであと46キロ。だがもう昼を過ぎていたので、箕面市内の公園に寄りパンを食べた。
茨木、高槻と、かなり早いペースで走り抜けた。京都の市街地に入ってまた少し迷ったが、15時半には駅前に到着。
新しい駅ビルを見上げると、今日の16時まで駅弁大会開催とある。自転車を駐輪塲に置き、急いで行ってみた。売れ残っていたのは地元の駅弁ばかりだったが。
思いきって、今日のうちに大津まで行く事にした。長い長い登り坂、大形車の排気ガスに嫌気がさす。だがそんな時、追い越す車から一人の女の子が声援を送ってくれた。こんな応援こそが、僕にとっては何よりもはげみになる。
山道の途中で日が暮れてしまったので、大津に入るやいなやビジネスホテルにチェックインした。せっかくテントを持って来たけれど、まず今夜はゆっくり休養しよう。交通量の多い道を、100キロ以上も走ったのだから。
10月21日 火曜日
まず市街地に出てパンと牛乳を買い、湖畔の公園で朝食にした。そして水辺に降り、まず琵琶湖と握手。時間は8時過ぎ。昨日より出発は早いし、その分今日はのんびり行くつもりだ。
湖の最南端を回り、東海岸を北上する。道は良いが、まだまだ車は多い。その上風景が単調な事もあって、博物館が見えた時にはつい寄り道してしまった。早くもサイクリングに退屈してきたわけではないが。博物館は遠足の子ども達でにぎやかだった。
ちょっとした寄り道のつもりが、ここで午前が完全につぶれてしまった。まあ最初から、今日はのんびりする予定だったが。もう今日中に半周は無理と分かっているので、とりあえず米原辺りを目標に定めた。
ちょっとした山道もあったが、東海岸はひたすら平坦な道が続く。稲刈りの終わった田んぼにツルを見た。湖面にはカモがいる。海ならカモメだろうが。風景はまさに海でも、やはり海水と淡水では違う。匂いもなんとなく土臭い。水は南よりずっときれいになったが。
米原には、昨日京都に着いたくらいの時間に着いてしまった。夕食に駅弁を買い、コンビニで明日の朝食を買った。コンビニといえば、関西ではあまり見かけないセブンイレブンがここにはあり、また西武バスまで走っている。なんだか関東にいるようで、遠くまで来た実感もわく。
地図によるとこの先にキャンプ場があるので、もう少し進んでみようと決めた。ところが、そのキャンプ場はシーズンオフで閉鎖。水道も止められている。それでも近くに道の駅というドライバーの休憩所があったので、水はそこの公衆トイレで調達する事にした。自販機もあって便利だ。
18時過ぎには真っ暗になってしまったので、弁当を食べて歯を磨いたらテントにもぐった。モンゴル放送を聞き終えたら、もう寝よう。
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10月22日 水曜日
昨夜の早寝のせいか、6時前には目が覚めた。テントの外側がびしょぬれなので雨でも降ったかと思ったが、空には月が出ている。露らしい。たしかにかなり冷え込んでいて、息も白くなる。濡れたテントをたたむのに、手もかじかんだ。出発の準備を整えるうちに、ようやく朝日が昇った。
走り出せば、すぐに体は熱くなる。しかもこれから北岸のけわしい地形を抜けなければならない。とはいえ、そういう難関に立ち向かうのが僕は好きだが。がけ崩れによる通行止めのために、一部の山道に挑む事ができなかったのが残念だ。
不確かな道に迷わされるのも、障害の一つ。行き止まりなどはないものの、突然未舗装の悪路になるのが困った。わき道に入り込んで行く僕も悪いが、大形車がのさばる表通りを走るのも嫌なので。
裏道の集落を走り抜けていて気付いたが、道路はサビ色に染まり、中央には融雪パイプが埋設されている。新潟の町並みのようで懐かしかった。滋賀も北部は雪国らしい。
対して南部は面白みに欠ける。思いのほか行程がはかどり、午後には市街地にさしかかってしまった。琵琶湖大橋も過ぎた。こうなったらいっその事、今日中に琵琶湖一周を遂げてしまおう。
なんとか真っ暗になる前に、出発地点の公園にたどり着いた。再び琵琶湖と握手。目的を果たしていい気分だったが、その後ホテル探しに苦労した。
10月23日 木曜日
大津の町は不思議だ。路面電車でない普通の電車が、路上を走って交差点を曲がって来る。昨夜は早い時間から静まりかえっていて不気味な印象を持ったが、なかなかユニークで面白い町だ。
来る時のルートを逆にたどり、まず京都へ向かう。また排ガスと煤煙にまみれながら、汗をしたたらせ峠を越えた。こうした独りきりの闘いだから、がんばれるのだという気がする。自分自身という、もっとも身近ではっきりした対象が、勝負の相手だから。
朝のうちに京都の市街地を抜けた。国道もハイペースで走り通し、昼には宝塚に至った。いくらこの先山道がきついとはいえ、これなら充分今日のうちに帰れるだろう。駅前でドーナツをかじった後、くつろぐ場所もないのですぐ出発した。
宝塚から田尾寺へと続く山道は、今日二度目の難所。やたらと汗をかき水分を失うのが僕の弱点だが、どこにでも自販機があるので水分補給には困らない。この峠も意外に早く抜け、余裕で以前のバイト先に寄り道したりした。
北町から泉橋までの最後の登り坂こそが、最大の難所だ。家が近付き気が抜けたせいか、力が入りきらない感じだったが、それでも最後までペダルを踏み続ける事ができた。自分の力を信じられれば、いつでも強気でいられるだろう。累計走行距離は400キロを越えていた。
泉台に入るやいなや、アカネ、アンリ、ユイの3人組につかまり質問ぜめにあった。3人と別れると、今度はムッチーが後ろから追い付く。こんな調子ですぐ家に帰れないなら、いっその事児童館へも寄っていこう。騒ぐ体力がまだ残っていたのが、自分でも意外だった。
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