神戸サイクリング日記4


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   2008年

     8月5日 火曜日
 突然の休日で予定が空いたので、また自転車練習にあてる事にした。
 リカンベントもまとまった距離を走り通してみない事には、なかなか慣れないだろう。六甲アイランドから、この小さな島の中から、そろそろ出てみてもいい頃だ。
 しかし橋を渡るのがいきなりの難関だった。橋の手前の曲がりくねって登り降りを繰り返す道は、練習以前に降りて押すしか手段がない。

 海岸近くの大きな通りの43号線は、広くてなだらかで走りやすいが、大型車が多くてまだ走るのは怖い。住宅地の中の細い道をあえて選んだ。
 すると今度は十字路のたびの停車が面倒だ。だがそれも練習だ。
 ねそべって走っていると、すれ違う通行人の背がひどく高く見える。子どもだった頃の視点を思い出す。散歩するイヌの顔が近いのもおかしかった。
 考えてみれば、自転車の練習という行為自体が、子ども時代を思い起こさせる。

 HAT神戸の遊歩道は、さすがに走りやすい。
 最初はここの公園をひと通り走ってから帰るつもりが、走り慣れてくるうちに欲が出てきた。時間もまだ早いし、どうせだからポートアイランドまで足を伸ばそう。
 ポートアイランドに渡る道は、六甲アイランドよりはるかに通りやすい。こちらの方が20年近くも古いはずなのに、この差は何だろう。
 そして神戸空港へ渡る橋も、長い登り坂はともかくとして快適に走れた。これは近年の設計なので当然だが。
 ちょっとした練習走行のつもりが、今まで来た事もない所まで来てしまった。
 だが初めて来た空港島には落胆させられた。空港のほかにはレンタカー会社があるだけで、あとはみな工事中。道すらろくにない。裏の公園で昼食をとり、ひと休みするとすぐ引き返した。
 あまり実のあるサイクリングとは言えなかったが、それでもある程度まとまった時間走り続けた事で、かなり扱い慣れた気がする。
 六甲アイランドの橋では帰りもまた降りて押すしかなかったが、狭い曲がり角での方向転換には、ハンドルよりもシートで後輪を持ち上げる方が早い事も覚えた。
 ささいな事だが、こうして扱い慣れていく事で、道具は自分の持ち物としてなじんでいく。


     8月13日 水曜日
 神戸から北へ向かうには、まず六甲山系を迂回しなくてはならない。
 行きは明石回りで行く事にして、とりあえず2号線を西に向かった。
 乗り慣れた自転車で通り慣れたいつもの道を走っていると、遠くを目指しているという実感があまり湧かない。
 それでも大荷物を積んでいるのは日常的ではない。さすがに普段よりかなりペースが遅く、北へ向かう175号線に入るまでに2時間かかった。
 明石市から北へ向かえばすぐまた神戸市内に戻り、その後市境を越えるのにさらに1時間かかった。
 市外へ出るだけで3時間、先が思いやられる。

 それでもその後は順調だった。
 西脇あたりで昼食と考えていたが、時間は午後に少し回ったものの、予定通りになった。
 国道から少し入った所に道の駅があり、その横の広場で昼食にした。
 池には飼われているらしいカモがいて、まるでアヒルのように人慣れしている。座るやいなやえさをせがんで近寄って来て、これでは食事ができやしない。
 たまたま遊びに来ていた幼い兄妹がいたので、鳥にエサをあげてごらんと、その子達にパンを一つ渡した。
 子ども達はカモと遊べ、カモはエサにありつき、その間こっちはゆっくり食事ができて、これでみんな丸くおさまった。
 食事のあとはしばらくゆっくり休みたかったが、カモがおかわりをねだり始めたのですぐ出発した。スローペースで休み休み走ればいい。

 暑さのせいでひどく汗をかくが、走れば風を受けるのでそうつらくはない。日本一周の時もそうだったが、水分補給さえ気を付けていれば、バテずに走り続けられる。
 それより問題なのは、単調な道のりが続くと走り飽きてしまう事だ。午後のあくびが続く。山がちに変わった景色もじきに見慣れてしまう。
 こんな時、GPSが助けになる。現在ポイントの移動や目標ポイントの接近が実感でき、それがさらに進もうというはげみにもなる。

 175号線をはずれ、県道7号線を北に向かった。この先、今日一番の難関の峠がある。
 この遠阪峠を避ける自動車専用トンネルは以前からあったが、今はその手前から専用道路が続き、峠道はすっかりさびれていた。
 最近のガソリン高騰の影響もあるのかもしれない。たとえトンネルは有料でも、近道する方が安上がりだろうから。
 大荷物を積んでの登坂はつらいが、それでも西日の浅く差し込む明るく静かな山道を、一人きりでゆっくり楽しんだ。
 そんな中、たまに車が追い越してゆく。なぜあえて遠回りするのか理由はわからないが、あるトラックがナンバープレートを隠している事に気付き、気味が悪くなった。

 明るいうちに峠を抜けられた。テントサイトを探しながら和田山の市街地を抜け、養父にある道の駅の近くの河原に落ち着いた。
 初日にここまで来られれば、計画通り明日の昼には、目的地の余部鉄橋まで行けるだろう。
 ただ一つ問題が出てきた。ラジオの予報によれば、明日は日本海側から天気が崩れ、篠山あたりでも夜には雨になるという。
 まだ星が出ているので今夜はこの河原で寝ていても問題なさそうだが、明日はすぐに引き返す事になるかもしれない。
  走行距離 144km

     8月14日 木曜日
 起きると晴れていた。だがラジオはやはり雨を伝えている。食事や片付けをしながらずっと迷っていたが、出発間際になって東の山から陽光がまぶしく射したので、先へ進む道を選んだ。
 豊岡へ向かう国道312号線は、数年前の水害のためか一部新しくなっていた。それでも走りやすいのは郊外だけ。豊岡の市街地に入るといきなり国道すら見失い、迷子になってしまった。
 以前に記録したGPSのポイントをたよりに駅へたどり着き、駅弁を買った。
 この頃から空模様が気になってきた。 まだ9時前だが、これから山がちのルートになり空を広く見渡せなくなるので、今のうち決めた方がいい。
 豊岡まで来た事で気持ちに区切りをつけ、余部鉄橋まで行くのはあきらめて引き返す事にした。

 しかし今来たばかりの道をすぐまた戻るのは、つまらないものだ。途中から川の対岸に沿う県道に入ってみたが、その別ルートも和田山までだった。
 そしてその後も遠阪峠へ戻る道へは入らず、そのまま9号線を東へ向かった。
 ただ、この寄り道はまったくの気まぐれというわけでもなく、GPS内になぜか福知山がまだ記録されていなかったので、その座標採取の意味もある。
 それに、高架工事をしていた福知山駅が今はどう変わっているかも見たかった。

 京都府への県境を越える少し手前で昼食にした。
 今になってまた日が射し始めた。太陽はまぶしくセミは騒がしい。石の上に広げたシャツが乾くまで、しばらく木陰でまどろんだ。

 ローカルでレトロだった福知山駅は、近代的な駅に変わっていた。駅弁の販売も無くなってしまったとか。ただSL時代からの転車台が、駅前広場のモニュメントとして残されていた。
 駅を離れ、南の高台に登ってふと街を振り返ると、その向こうの北の空は暗黒の雲にのまれていた。暗いというより、もう闇のような雲だ。今まで気付かなかったのはうかつだった。
 兵庫県に戻る塩津峠を越える途中で、ついに雨に追い付かれた。もう今さら急いでもしょうがないが、雷も鳴り響く中でついあせり、ちょっとしたアクシデントで自転車を倒し左ひざを痛めてしまった。
 雷雨はじきに通り過ぎたが、ずぶぬれになり、ひざは痛み、峠の登りはまだ続き、みじめな気分だった。
 だがそれも下りにかかると一転する。整備されたばかりのなめらかな路面を軽快に滑り降り、一気に距離をかせいだ。
 今、日暮れまでの間に出来る事は、少しでも南に逃れ、少しでも雨雲を引き離す事だけだ。ひざの痛みにもかまってはいられない。
 南に向かう175号線をたどっていると、日本列島の中央分水嶺の中で最も海抜の低い地点にあたるという、水分かれ公園の近くを通りかかった。
 野営に適した所がないだろうかと寄ってみたが、住宅が近くて無理そうだ。
 176号線に移り、さらに南下する。
 今夜も降るのは確実なので、どこか雨を避けられそうな場所を見付けたかったが、次の峠にかかった所で左ひざが限界を迎えた。今夜はこの鐘ケ坂峠の空き地で野営する。
 明朝はいきなり峠越えから始まるが 、一晩でひざの痛みはおさまるだろうか。
  走行距離 131km

     8月15日 金曜日
 夜半から夜明けにかけて、雷が続いた。テント内が明るく照らされるほどで、落ち着かない一夜になった。
 だが朝には天気は回復していた。ひざも少しは良くなっていた。
 左ペダルのクリートは留めずに左足は添える程度にして、右足だけの力で峠を越えた。それでも左ひざは曲げるたびに痛むが、力をかけなければしばらくはこのまま走れそうだ。

 8時半には篠山口の駅に着いた。自転車をパッキングして電車に乗るか、それともこのまま走り続けるか判断の時だが、ここまで1時間走れたのだからあと1時間だって走れるだろうと思い、出発した。
 次の判断は三田の市街地で。2時間半走れたのだからもう2時間半も走れるだろうと、もう駅にも寄らなかった。
 裏六甲の住宅地を過ぎると、宝塚までひたすら下り坂が続く。これまでがんばって高度をかせいできた分だけ、後からこうして楽ができる。左ひざを伸ばして快適に滑走した。
 だがその「坂道貯金」も、宝塚で全額尽きた。あとはまた、自分の脚の力で進んでいくしかない。
 ここから電車利用もちょっと考えたが、ここまで4時間走り続けられたのだから、あともう1時間くらいはなんとかなる気がした。
 なんといってもまだ時間も早い。芦屋川の橋の上でひと息ついた時に、ちょうど正午を迎えた。教会の鐘の音がかなり大きく響いたが、終戦記念日だからだろうか。

 しかし最大の試練は、一番最後に残されていた。六甲アイランドに渡る橋こそが、今やけわしい峠として立ちはだかっている。
 橋はなぜか無意味に3つに分かれ、そのたび登り降りを強いられる。それがいつもわずらわしく思うのだが、今日は苦笑する余裕もなく、ひざを引きずりながら自転車を降りて押した。
 自転車を降りる羽目になったのは、今回の行程の中でここだけだった。

 玄関を入るといきなりバナナのにおいが鼻についた。やはり必要なものに体は素直に反応する。
 ふだんなら半分も食べれば満腹なのに、今はバナナ一本すぐにたいらげた。
  走行距離 78km


     9月23日 火曜日
 こないだは西へ行ったので今回は東へ。武庫川のサイクリングコースを目指した。
 また裏通りを選んで走っていたが、芦屋川にぶつかって2号線に出てしまった。
 でも国道の走行ももう問題はなさそうだ。横を車が追い越してゆくのも、以前ほど怖くはない。
 ただ路上駐車が多く、それを避ける時には緊張する。道をふさいでは自動車同士でも邪魔だろうと思うのだが、駐車禁止くらい守れないものだろうか。
 また停車中のバスというのもある。ここはバス停でも待避線がなく、バスもやはり車線をふさいで停車する。追い越すのはあきらめてしばらく後ろで待つのもいいが、大型車の排気ガスはもろに顔の高さにかかる。
 いざとなれば歩道に逃げてもかまわないだろう。ただローハンドル車は思ったより幅があるので、歩行者にとって、今度はこちらが迷惑な存在になりかねない。
 西宮の市街地あたりから自転車用レーンが始まった。歩行者に遠慮しないで走れるのはいいが、路面が悪いのですぐに疲れる。
 それに逆走してくる自転車が多くて、その点では車道以上に危険だ。自転車同士でも迷惑なのに、左側通行くらいは守れないものだろうか。

 武庫川に着いた。河川敷のサイクリングコースを、まずは川上に向けて走った。
 河川敷の広々した景色を見渡しながら、秋雲の浮かぶ空や時おりくぐる木立を見上げながら、のんびり走った。
 リカンベントにはやはりこういった走り方が合っている。
 支流の仁川を渡ってからもしばらく道は続いていたが、まだ工事中のようで唐突に砂利に変わった。
 北向きルートは正式な開通を楽しみにするとして、次は南を目指そう。引き返し、2号線をくぐり、そのまま海へ向かった。
 しかしこの道を走るのは何年ぶりだろう。内モンゴルサイクリングに行く前の練習走行で、ここを走ったおぼえがある。
 たしかに、練習したり、単に走るのを楽しむにはいい道だ。だが自転車も乗り慣れてしまうと移動手段の一つになってしまい、目的もないまま走る事はなくなり、こういった道を走る事も忘れてしまう。そう気付くと少し寂しくなった。
 せめてこの自転車くらいは、実用を考えるよりただ走る事を楽しむために乗り続けていきたい。

 南向きの道も途中から土に変わったが、走れそうだったのでそのまま進んだ。
 海に近付くと釣り人が多い。
 南の端は、岸壁によりここでおしまいというはっきりした断ち切りがあったので、それなりの到達感を得て帰路についた。
 帰り道は2号線や43号線を通らず、ふだんあまり通らない海の近くの道を戻った。近所なのに、景色が目新しい。
 これからは、目的もなくただ走るためだけに走るなら、目新しい景色などいくらでも目にするだろう。


     10月18日 土曜日
 起きぬけのぼんやり頭で洗濯機の水音を聞くうちに、波音を聞きたくなった。
 前回の練習走行では東へ行ったので、次は西へと考えていた。ちょうどいい。今日は須磨まで行ってみよう。

 六甲アイランドから本土へ渡る橋を走行中、BikeEに乗った外国人が追い付いてきた。リカンベント乗りの先輩だ。
 アイランド内には5人のリカンベント乗りがいるそうだ。あとの3人ともいつか会う事もあるだろう。それに、今は自分が一番の新顔だが、やがて6人目7人目と加わり、いずれはリカンベントなど珍しくもなくなるかもしれない。
 そんな時がくるのもまた楽しみに思える。
 大型車の多い43号線はまだ通りたくなかったので、2号線まで北上し、さらにもう一本北の裏道に入った。
 だが車が少なくても、横並びで歩く歩行者や逆走してくる自転車の方が、よほど障害になるものかもしれない。小回りの効かないリカンベントは、その都度停車するしかない。そしてギアを切り替える間もなく急停車でもしてしまうと、ペダルが重くて再発進も難しい。
 狭い所をちまちまと走るには向かない車種だと、つくづく思う。
 三宮を過ぎてまた大通りに戻った。
 自動車に注意しながらでも、大通りをなめらかに流れる方がまだ気持ち良い。
 そう思えるのも、それだけこの自転車の扱いに慣れ、安定して走れるようになったからだろう。
 だが調子にのって走りすぎたようだ。水族園あたりから浜に出てみるつもりが、気付けば須磨寺近くまで来てしまっていた。
 また戻るのも面白くない。いっその事、このまま舞子の浜まで走ってしまおう。
 海沿いの道路はふだんとはまったく違う風景を見せ、遠出の気分をもり上げてくれる。

 まず夏の豊岡行きの時に寄った砲台跡まで行き、そこから公園内をゆっくりと戻った。人はそう多くもなく、何より広々としているので、リラックスして走れる。
 だがそのまま砂浜沿いに進むと、混雑する大きなショッピングモールに突っ込んでしまった。
 この自転車にはどういった道が向いているのか、また向いていないのか、今日はよくわかった。

 帰りはもう裏道へ回る事はせず、2号線43号線をそのまま走った。
 たとえ交通量が多くても、その他の障害物が少なく、速いペースで安定して走れる方が楽だ。この自転車でも、そう感じられるようになった。
 幹線道路が使えるようになり、今後はもっと効率よく遠出する事ができそうだ。
 それから、今回試験的に飲料ボトルをハンドルに取り付けて走行してみたが、とくに問題ないようだった。
 次回からはボトルを両側に取り付けよう。飲み物の問題も解決すれば、さらに遠出が楽になるだろう。


     11月30日 日曜日
 島を出る橋の途中で、ピクミンパパに会った。昨日の保久良でのイベントに続いて、今日は区民ハイキングと、週末は仕事ばかりで忙しそうだ。
 でもそのおかげで、今日はようやくリカンベントを披露できた。ほかに迂回路のない一本道で、すれ違いにならずにすんだのも幸運だった。
 聞かれるまま、今日はこれから大阪まで、と答えて別れた。さあ、これでほんとに大阪まで走らなきゃならなくなった。
 じつのところは、寝坊してもう昼近くなった事だし、芦屋川かせいぜい武庫川あたりまで軽く走って帰ろうかと考えていたのだが。

 今日はすぐに2号線に出た。
 まだ慣れていない頃には、発進時にどうしてもふらついていた。赤信号で停まる時には自動車の横につくのが不安で後ろに停まっていたが、けっきょくは後続車が横に来て、発進のたびに気をつかっていた。
 安定して走り出せるようになった今は、信号待ちで車が横に来ても気にならない。国道を平気で走れるようになった要因は、この事が大きい。
 それでも、路上駐車にはあい変わらず困っているが。
 芦屋川を過ぎ、武庫川を越えて、尼崎に入った。工事の仮舗装のデコボコに少し悩まされはしたものの、あっさり尼崎も過ぎた。
 リカンベントによる初めての県外脱出。そのまま淀川を目指した。
 しかし2号線から河川敷に降りる道が見付からず、塚本から十三辺りまで探して、やっとサイクリング道に降りられた。
 とりあえず斜面に座って遅い昼食を。見渡すと、多くの渡り鳥が川の上を飛び交っている。
 シベリアから渡って来た鳥達を思えば、県境越えで喜ぶ自分など小さいものだ。

 淀川のサイクリング道は、武庫川のものより広々としている。一見すると走りやすそうに思えたが、実際走ってみると障害物の多さを思い知らされた。
 少し走れば柵のような車止めが進路をさえぎる。それでも自転車禁止とは書いていないので、かついで越えて再び走り始めると、すぐまた次の柵に当たる。
 楽しめる所ではなさそうなので、すぐに引き返した。

 それでも自宅に帰り着く前に日が暮れてしまった。意図せず初めての夜間走行となった。
 ライトは装着してきたが、一つ失敗した事がある。出てくる時にかけてきた度入りサングラス一つだけで、普通のメガネを忘れた事だ。
 暗い周囲がますます暗い。しかしコンタクトもなく、メガネをはずせばさらに何も見えない。
 ただ、車高の低いリカンベントでは対向車のヘッドライトがまぶしいので、それを避ける意味では夜間のサングラスも有効だった。


   2009年

     4月12日 日曜日
 寒い間はなかなか乗る気になれずにいたリカンベントを、ひさしぶりに引っ張り出した。
 2号線を西に向かい、途中から和田岬方面へ向かう道へそれた。道幅は広く、走りやすい道だ。運河を越える起伏があるのも、変化がついて面白い。
 運河をいくつも越え、この先はまだ走った事のない道を、そのまま西へ向かう。思いがけず須磨の水族園前にいきなり出た。
 ちょうど昼時だ。自転車を押して浜まで出て、休憩した。いつの間にか、海辺で過ごすのが心地よい季節になっていた。
 2号線を引き返したが、帰るにはまだ早いのでメリケンパークに寄ってみた。
 神戸まつりに向けて、サンバの練習をしていた。練習でもしっかり衣装を着てアピールしているのが面白い。
 ふと思いつき、華やかなサンバダンサー達をバックに自転車を撮ってみようと試みたが、周囲にギャラリーが多くてうまく写せなかった。
 地元にいながらまだ一度も神戸まつりを見た事がないが、時間があれば今年こそは行ってみよう。

 六甲アイランドまで戻ったところで、パンクしてしまった。
 リカンベントでは初めてのパンクになる。近所でのパンクで助かったが、島内がどれほど悪路かという事も思い知った。
 自宅に戻り、初めてのリカンベントの修理。パンクを直すのは簡単だったが、タイヤをはめ直す際のディスクブレーキの調整に苦労した。


     5月8日 金曜日
 タイミング遅れで思いがけず得られた三連休は、幸運にも天気に恵まれるようだ。以前から考えていた、奈良県を走る計画を実行する事にした。
 昔日本一周した事で、沿岸県はすべて走った経験がある。一方で内陸県は走り残しが多く、栃木、群馬、山梨、岐阜、奈良と、五つの県をまだ走った事がない。
 まずは近場の奈良県から走破していこう。そう思いながら、今日まで十年が過ぎていた。

 ゴールデンウィーク後半から続く悪天候は思いのほか長引いて、雨は今朝まで残った。少し出発を遅らせてみたが、10時になっても雲は重く垂れ込めたままだった。
 大阪までの道は、いつもの走り慣れた道で、まったく新鮮味がない。ただ、パニアバッグが横に張り出しているため、いつもの感覚で路上駐車を避けられない事は、意識しておく必要がある。
 2号線をはずれて南下し、天王寺公園から25号線に入った。あとはこのままこの線を、奈良県内までたどってゆく。
 とっくに正午も過ぎ、そろそろ休憩を入れたいが、適当な場所が見つからない。平野から八尾へと走り続けたが、公園どころか子どもの遊ぶような広場すら無い。
 やがて大和川に出たところで、石碑の前のわずかな空き地にベンチがあるのを見つけ、そこで昼食にした。
 昼から晴れる予報だったが、すぐにも降り出しそうな空模様は変わらない。

 道はそのまま川沿いに続く。たいした坂はなくても、周囲の風景はいきなり山中に変わり、さらには雨も降り出し、いかにも峠越えらしい雰囲気になった。
 そして山間部を抜けて平地に出ると、空は劇的に晴れて日も射し始めた。
 いくらなんでも、これは演出過剰だろう。ともかく、こうして初めて奈良の地にタイヤを進めた。大和路は、やはりのどかに晴れた日に走りたい。
 ここから先はとくに予定はないが、明日は朝から京田辺で用事があるので、今日のうちに北上して、できるだけ近くで野営したい。
 そうなると、今朝は出発が遅かった事もあり、あまり時間に余裕はない。大きな回り道はあきらめ、通り道にある法隆寺に少し寄り道した。
 そしてもう一つ、JR奈良駅にも寄り道を。
 各地の主な駅の座標をGPSに記録して回るのも、日本一周の頃からの習慣だ。自分のこれまでの足跡が、自分のこれからの道標になる。

 北へ向かう24号線は、広くて走りやすい道だった。あっさり京都府入りしていた。
 だが木津から先、線路沿いに走る府道に入ってからが苦労した。道幅は狭く、夕方の渋滞にかかって車は多く、そんな中を大量の自転車が逆走してくる。ほとんどが下校中の学生だ。今日は平日だと思い出したが、これがここの日常風景だとも知らされた。
 いくつか駅を過ぎ、見慣れた町にさしかかった。たびたび遊びに来ていて、このあたりもすっかりなじみになってしまった。さあ野営地探しにかかろう。木津川の河川敷は初めてだが、良い場所はすぐに見付かった。
 ガソリンストーブに火をともし、コッフェルをかき回す。夕闇深まり風も冷たくなる頃、熱い夕食を独りほおばる。
 つい昨日まで街にいたのに、ずっと前からこうしていたように落ち着くのは、なぜだろう。昨日までの生活が遠く思え、こんな野宿こそが自分の日常のようにさえ思える。
 月明かりをたよりにテントを張り、早々とシュラフにもぐり込む。ラジオでは、ついに成田で新型インフルエンザと報じているが、そんな事さえどこか別世界の話のように感じる。
  走行距離 102km

     5月9日 土曜日
 20時に寝るのはさすがに早過ぎたようだ。夜半に目が覚めてしまった。テントを出ると満月が明るかった。
 独りの時のさらなる独りきりを、しばらく楽しんだ。しかし少々寒かった。
 いつものようにオートミールの朝食をとり、いつもの手順で片付けて、しかしいつもの時間で出発すると早過ぎるので、こうして書き物などしながら時間をつぶしている。
 それでもまだ早過ぎた。野営地の河原から30分もかからなかった。子ども達は家で待っていてくれた。
 野草を採集して料理する催しが、近くの山で開かれる。今日は参加できなくなった両親に代わっての、子ども達の保護者役だ。
 参加者名簿には、パパさんと姉妹の名前で申し込まれていたが、もう面倒なので訂正しなかった。子どもの引率時に父親に間違えられるのは、いつもの事だし。
 催しは昼で終わった。ただ、子ども達にとっては近所でのイベントなので顔見知りの子の参加も多く、そうなるとすぐに解散となるはずもない。午後はさらに3人の子をあずかり、5人を引率する事になった。
 場所も顔ぶれも違うが、いつもの保久良の野外遊びのような感覚だ。ここの地元の山でも、プレースクールというのが開催されているらしい。
 後の予定もあるので、16時過ぎには家に戻った。まだ遊び足りない子ども達、今度は道ばたで遊び始める。大勢に見送られて、ようやく今日の自転車走行はスタートした。
 松井山手駅までは、勝手知った住宅街を抜けるだけで順調だったが、その先で地図にはない大きな道路にぶつかりとまどった。
 十年前の道路地図をいまだ使い続けているのが問題だろう。
 迷い迷ったすえに藤阪駅に出て、やっと現在地がわかり、当初の計画ルートに戻る事ができた。
 鉄道や駅は、たとえ改築はあっても位置変化は稀なので、良い目印になる。
 夕方の渋滞をすり抜けながら枚方を過ぎた。淀川を渡った頃には日も暮れてしまったので、河川敷に降りゴルフ場横の空き地に落ち着いた。
 市街地でも、河原があればまず野営地に困る事はない。十年前の日本一周で習得した最大の技能が、この野営地探しの技かもしれない。

 昨夜と同じように、熱い食事で疲れた体をいやしながら、それでも昨夜の充足感とは違った、妙な物足りなさが漂う。
 最初から独りで走り続けてきたのでなく、今日は途中から独りになったせいだろう。
 出発まぎわ、帰る家ないの? となかば本気で心配する子に、野宿は趣味だと笑って答えたが、それも今では強がりだったように思えてしまう。
  走行距離 22km

     5月10日 日曜日
 今日はもうただ帰るだけの予定だが、途中吹田に住む子の所に寄る事になった。
 昨日の京田辺と違い初めて行く所なので、時間に余裕を持って出発したが、迷う事もなくあっさり行き着いた。ただまっすぐ西に進み、茨木を抜ければすぐに吹田だ。
 同じマンションの子も一緒に連れて、近くの万博記念公園へ遊びに行った。この公園は自転車乗り入れ禁止なので、自転車は置いて歩いて向かう。
 なんだかサイクリングの途中という気がしない。独りテントで寝ている時にはそれが日常に思えるが、こうして子ども達と遊んでいる時には、こちらが日常に思えてくる。

 早めに戻るつもりが、けっきょく閉園時間まで遊んでしまった。
 そして今日もまた昨日のように、にぎやかな見送りを受けて、遅い走行が始まった。
 高速道路に沿って西に向かう府道は、自動車優先の形で自転車には走りにくい。まずは万博公園を周遊する自転車道を走り、その後は側道をたどり、府道本線には入らないようにしながら、うまく山田駅の先まで進めた。
 あとはもう、斜めに豊中伊丹を横切って西宮へ向かうだけだ。ただ、ここもやはり路上駐車や逆走自転車が多いので、慎重に進んだ。
 あまり走りやすくはない道だが、空港の地下をくぐるというのが、珍しくて面白い。
 先月、にぎやか3人組を連れて遊びに来た、スカイパークの前も通った。
 先月の事、そして今日一日の事、子ども達とにぎやかに遊んだ時を思い出せば、やはり独りで自転車を走らせている今がどこかわびしく思えてくる。
 もしかしたら腹が減ってるせいかもしれないと思い、コンビニでクリームパンと牛乳を買って小休止した。ふだんならもう夕食を終えている時間だ。
 わずかな補給と休憩で、すっかり元気が戻った。いつの間にかすっかり暗くなっていたので、ライトを灯して出発した。
 初日にはいくつか甘い物を持って出たが、昨日今日はたいして走るわけでもないからと、補給食を用意しなかった。これは計算違いだった。子ども相手に遊んでいれば、けっきょく自転車走行以上に体力を使うのだから。
 国道171号線に出た。ここから先は、たびたび通っている慣れた道だ。
 日常の場まで戻ってきた事で、サイクリングは終わり、野宿もまた非日常イベントに変わる。今夜は当然のようにベッドで眠りながら、きっとすぐまたテント寝が恋しくなるだろう。
  走行距離 47km

     5月1日 土曜日
 先日新しいフロントバッグを買った。
 12年前から使い続けた古いバッグを、最後にもう一度遠乗りに使うため、サイクリングを計画した。
 今回の旅は行き先を直前まで決めかねていたが、去年はこの時期に奈良まで走ったので、今年は岐阜まで足を伸ばす事にした。
 5日間も休みがあれば、余裕をもって遠出ができる。
 その気分的余裕のせいか、今朝の出発もゆっくりになった。
 朝9時過ぎ、自宅を出発。まず関ヶ原を目指すが、初日は琵琶湖に届けばいいだろう。

 西宮から171号線に入った。斜めにまっすぐ京都へ向かうので、大阪から1号線を北上するより近い。
 この171号線の原型となったのは、平安初期に都と太宰府を最短距離で直線的につないだ古代道だという。
 東海道を元にする1号線より、国道順位としては下位の171号線の方が、歴史的にはずっと古いというのは面白い。
 朝の出発が遅かったので13時過ぎまで休みなく走り、京都との府境の淀川堤防で昼食にした。

 その後、大阪の市街地を避けたように、京都の市街地も避けたかったので、長岡京市から国道をはずれた。
 だが今度はそう都合の良い道があるわけでもなく、地図を見ながら小さな府道をつないでいくしかなかった。
 なんとか1号線に合流すると、すぐに山道の登り坂だった。逢坂の関の峠だ。
 ここは13年前、琵琶湖一周の時に通った事があり、かなりきつい峠だった憶えがある。
 それが今回はあっさり抜けてしまった。
 日本一周する以前は、それだけ非力だったという事だろう。

 草津駅に寄り、駅弁を買った。店員さんが名物の餅菓子をひと口分けてくれた。
 甘みは力になる。

 出発が遅かったのと夕食作りの必要がなくなったので、18時まで走り、竜王町内のある農道の脇にテントを張った。
 昔の日本一周で身に付いたものはいろいろあるが、体力的な事よりも、どこにでも野営地を見付け出す要領といったものの方が、ずっと有益なようだ。
  走行距離 111km

     5月2日 日曜日
 野営するとすぐに早寝早起きが習慣になる。昨夜は20時過ぎには寝付いてしまい、今朝も5時前に目が覚めた。
 朝のNHKラジオを聴いていると、12年前と変わりなく、まるで今も日本一周を続けているような気がする。

 早朝の国道は交通量が少なく走りやすい。
 時おり左横を新幹線が走り抜けて行く。
 自分もたまには新幹線を利用するが、その時にはすぐ外を通る国道など気にも留めない。ましてやそこを自転車で走る人物になど。

 9時過ぎには米原に着いた。駅近くの店で駅弁を購入。ここから先はずっといなか道ルートなので、駅弁もこれが最後だ。
 米原から東へ向かうと、すぐに山道にかかる。いよいよ今回の旅の最初の難関となる、関ヶ原越えだ。
 だが意気込んでいた割には、はっきりしない峠越えだった。思いがけない平坦さに、関ヶ"原"の名前に納得した。
 それでも、県境越えは感慨深かった。
 日本一周を終えた後にも、内陸県のいくつかを、自転車で走り残している。去年はそのうち奈良県にタイヤを記したが、続いて今、岐阜県にも初めてタイヤを進めた。
 群馬、栃木、山梨が、今後の目標としてまだ残っている。

 関ヶ原を過ぎてから、ただちに進路を南へ向けた。
 来た道を戻るのはつまらないので、三重まで南下してから鈴鹿峠を越えて帰るつもりだ。
 右手には、先ほどの関ヶ原から続く山並みが、大きくそびえている。南へ伸びるこの県道は、その山すそに近すぎるため、不必要に勾配が多い。
 あとのまつりだが、大垣あたりまで東進してから、平野部を南下する国道を選ぶべきだった。
 何度も坂を登り降りするうちに、面白い事に気付いた。サミット部でいつも橋を渡る。そう、川が谷ではなく高みを流れている。
 典型的な天井川だ。自転車で走っていると、地形がよくわかる。
 その天井川の一つの川べりで昼食をとった。

 右手の山並みが途絶えたので、すぐに進路を南西に向けた。地図を見ながら小さな道を走りつないだが、この近道もまた失敗だった。
 たとえ山を過ぎても、丘陵地を横切る道は勾配ばかり、しかも国道県道にはありえないような急坂が、農道には普通にある。
 そして、地図にない道がいくつもあらわれ、とうとう迷ってしまった。
 12年前の古い地図をいまだ使っているので、これは自分が悪いとあきらめがつく。だが、その後にようやく探し当てた国道までが、まるで農道レベルだったのにはあきれた。
 そうと知らずに入り込んだ自動車達も、対向車とすれ違う事もできずに苦労していた。
 関ヶ原などよりも、名も無い田舎道の方が、よほど難所だといえる。

 亀山市に入り、また田園地帯に適当な場を見付けて野営した。
 ここまでの行程でたとえどれだけ苦労しても、寝場所も定まり落ち着いた気分で夕空を眺めていると、とても満ち足りた気分になる。
  走行距離 131km

     5月3日 月曜日
  野営の時の習慣で今朝も5時に起床、7時前には出発した。
 今日の行程では、もう迷う心配はない。何しろ国道1号をたどるのだから。
 8時過ぎには、もう鈴鹿越えにかかった。
 勾配はきつくサミットまでの道のりも長かったが、さすが国道1号、道はきれいに整備されていて走りやすかった。
 峠を越えると、そこは滋賀の甲賀市。忍者の里だからもっと山がちな土地を想像していたが、広々とした平地が広がっていた。
 このまま1号線をたどれば、また琵琶湖のほとりに出てしまう。同じ道を帰るのはつまらないので、途中から別の国道に入った。
 信楽から宇治や京田辺を抜けて、枚方(ひらかた)へ続く307号線へ。
 山がちのコースで勾配が多いのは覚悟の上だ。予定より早いペースで来ているので、あとはゆっくり進めばいい。
 ちなみに最初の考えでは、鈴鹿を越えるあたりで3日目は終了のはずだった。

 坂が多いのは予想していたが、こんな郊外の道で大渋滞に巻き込まれるのは想定外だった。
 自動車で移動する人達は渋滞も覚悟の上なのだろうが、こちらの覚悟は坂道だけで、渋滞の覚悟まではできていない。
 信楽を過ぎてようやく混雑から解放され、ひと息ついて昼食休憩をとった。

 その先は楽になった。予想通りに坂は多く、裏白峠という峠も一つ越えたが、周囲の農村風景が心をなごませる。
 山の斜面を覆う茶畑。谷あいには小さな集落。
 小学生の頃に読んだ、あるお気に入りの物語の舞台がこのあたりだったが、イメージしていた通りの場所だった。
 きっと、30年前からあまり変わらずにいるのだろう。

 15時頃に京田辺を過ぎた。16時過ぎには枚方(ひらかた)を通過。山がちのコースにしては、ペースが早かった。
 そのつもりなら、今日中に帰り着く事も可能だろう。だが夜間走行は避けたいし、何よりもう一泊くらいは野宿を楽しみたかったので、淀川の河原で走行を終えた。
 堤防の斜面に座って休みながら、日が暮れて人出がひくのを、今はぼんやり待っている。
 旅先でこんなのんびりした時間が持てるのも、いいものだ。自宅まであとわずかの距離にいる事を別にすれば。
 今朝までは三重にいたというのに、なぜかその実感がわかない。
 次回はきっと、さらに遠くまで行こう。
  走行距離 109km

     6月2日 水曜日
 丸山公園のプレーパークへ行く途中、自転車の後輪の空気圧が下がっているのに気付いた。
 フレームポンプを使って空気を入れ、走り始めると、また十数分後にはタイヤがつぶれている。
 どうやらパンクさせてしまったらしい。
 それでも空気の漏れは小さいので、一時しのぎをしながらとりあえず丸山公園まで行った。
 公園で本格的に修理を開始。
 パンク修理くらいの事でも、子ども達にとっては珍しいらしい。興味しんしんだった。
 だが一番楽しみにしていたのは、やはり直ってから後ろに乗る事だったが。
 ちなみにパンクの原因は、画びょうの先くらいの小さな針だった。

 帰宅すると、自転車の新しいサドルが届いていた。
 先日バッグを新調して以降、ほかのくたびれたパーツも交換しようと計画しているが、このサドルの交換がもっとも値が張った。
 だが高価なだけの事はあると、現物を手にして実感できた。

     6月7日 月曜日
 サドルの取り付けは、革にオイルがなじむのをもうしばらく待つとして、今日は新しいペダルとトゥクリップを取り付けた。
 フロントバッグの交換に始まり、こうして自転車の若返り工作が少しずつ進んでいる。次はタイヤの交換か、それともハンドルバーテープを交換するか。
 しかしまずは新しいペダルに慣れてしまおう。

     6月14日 月曜日
 先週入手したダイナモを、自転車に取り付けた。
 ホームセンターで買った金具を使うと、良い位置に固定できた。
 あとは配線すれば点灯するはずだか、それはまず問題ないだろう。

     6月22日 火曜日
 ダイナモを自転車に取り付けただけで満足してしまいずっと放置していたが、今日配線も済ませた。
 ライトの点灯も確認。前照灯も尾灯も問題なかった。
 だが今は日が長い夏至の頃、ライトを灯す機会はしばらくなさそうだ。

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