四つの標しるべ  − 80日間日本一周 −


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     6 再び神戸へ

     8月19日 曇
 今日の道のりはなかなかけわしかった。海岸沿いの道だが、断崖のためにトンネルが続き、起伏も多い。2050メートルのトンネルがあり、200メートルの峠もあった。そしてあちこちで工事が行われている。確かに南に戻って来たらしい。なんだかせわしない雰囲気で、雄大さはもう感じられない。また、増毛から再びミンミンゼミの声を聞くようになった。それも虻田町のように一か所ではなく、いたる所で何匹も鳴いている。やはり道南ではありふれたセミだったようだ。
   N43°16′ E141°24′  114km  北海道厚田村国道脇空き地

     8月20日 雨
 朝には札幌に入ったが、どうせ今日はここで足止め。せっかくだから一日ゆっくりしよう。まずタイヤを買って交換した。裂け目がずっと気がかりだったが、これで後半戦を心おきなく走れる。公園では自衛隊ブラスバンドのコンサートが始まった。こんなふうにゆっくり時間を過ごすのは初めてだ。本来なら、小樽を過ぎた頃だろうか。ついそんな事を考えてしまう。
 夜には集まりの場に行き、食事をごちそうになった。それだけが目当てではないが、それだけでも札幌に寄ったかいはあった。
   N43°03′ E141°21′  037km  北海道札幌市中央区ホテル

     8月21日 曇
 まずは札幌の市街地を抜け、小樽へ向かう。いきなりけわしい道だった。積丹半島を横切る稲穂峠も山深い。
 午後には再び海岸へ。起伏はないが、トンネルの連続する疲れる道だ。古いトンネルばかりで道幅がひどく狭く、路面の状態も悪かった。一つ救いなのは、タイヤが新品という事。パンクを気にする必要もなくなったし、走行感も変わった。
 やがて道も落ち着き、最後にようやく楽に走れるコースになった。一時暗くなった空もまた晴れた。が、予報では明日は降るという。行程もけわしさが予想されるし、GPS誤動作の心配もあるし、明日は最悪の日になるかもしれない。気に病んでも仕方ないが、覚悟はしておこう。
   N42°45′ E140°18′  133km  北海道寿都町朱太川川原

     8月22日 雨
 夜半から風が強まり、やがて小雨も降り出した。紅茶をいれる暇もなく、テントを片付けながらパンをほおばった。
 GPSの一部機種で、今日の日本時間9時になると設定時刻がリセットされ、誤動作を起こすという。数分前から電源を入れ、ずっと時計を見守った。まるで時限爆弾に対するように緊張したが、幸い対応済み機種だったようでトラブルは起こらなかった。
 だが天気の方はその頃から荒れ始めた。一時は目も開けられないほどの激しい雨で、いつもは嫌なトンネルがありがたく思えた。宿に泊まる事も考えたが、峠を過ぎて再び海沿いに走る頃には止んだ。それでも服も荷物もずぶ濡れなので、早めに走行を切り上げた。屋根付きイス付きの良い場所も見付かったので。
 今になって空は明るくなり、セミも鳴き始めた。ミンミンゼミのほか、アブラゼミやツクツクボウシなど、本州と変わらないセミの声が聞かれるようになった。
   N42°07′ E140°00′  131km  熊石町平田内公園通り

     8月23日 曇
 天気は回復し、調子良く走り出した。江差を過ぎるまでは海沿いを走り、上ノ国から峠へ向かう。この道道は一部工事中で走りにくかったが、峠そのものはたいした事なく、また交通量がきわめて少ないのも助かった。峠道ではセミの大合唱。ミンミンゼミの声ばかりが響き、なんだか笑われているようだった。太平洋岸ではあの場所でしか聞かれなかったのに。今日も木古内から先はまったくセミはいなかった。
 海の向こうに函館山が見え始めた。これで北海道も終わりと思うと力が湧いたが、目前でフェリーが出るのを見て力が抜けた。北海道一周には17日間を費やした。それを思えば、次のフェリーまで二時間待つくらいなんでもないが。
 船旅は、やはりどうしてか感傷的になる。夕暮れ時だから、なおの事そうなのだろう。旅はまだ半ば、感傷にひたる場合ではないのだが。それでも感慨はある。北海道をついに片付けたという感慨が。北海道で得た物といえば何だろう。自分で名付けた記念の星一つ。初めて目にした水平線に没する夕日。手を振ってくれた女の子の笑顔と声。考えてみれば、どれもあの一日の出来事だった。
   N40°50′ E140°43′  123km  青森県青森市青森港フェリーターミナル

     8月24日 曇
 青森上陸は雨。しかも次第に激しさを増す。ターミナルで夜を明かす事にした。騒々しい中で眠れるものではないが、とにかく夜明けを待つしかない。雨の止むのを待つしかない。夜半になってようやく少し静かになり、しばらくうたた寝した。雨もいつしか止んでいた。
 だが天気予報によると、午後から夜にかけてまた降るという。荷物の雨対策をすませ、午前中のうちに進めるだけ進んでおく事にした。
 まず日本海に抜け、五能線と共に海岸線をたどる。夜明け前から走りだしただけあって、昼までに85キロも走ってしまった。雨は時おりぱらついては、またすぐ止んでしまう。だが夜には本格的に降るようなので、今夜も屋根のあるキャンプサイトを見付けるつもりだ。
 トラブッている二人連れの自転車乗りに会った。パンクして転倒したようだ。たいした手助けは出来なかったが、親切はするもので、良い情報が得られた。彼らが今朝発った能代の競技場に、屋根があったという。そう聞くと、遠いのもかまわずそこまで行く気になった。
 気分がのると、僕はどんどん力が湧く。ハイになり、疲れも忘れる。これが僕の長所であり、また短所でもある。独りよがりで行動しては、周囲の調和をかき乱すので。でも今は独りきり、遠慮なく思いきり独走すればいい。それにまた女子中学生に声援なんか受けたものだから、めいっぱい力みなぎって走り続けた。降り出した雨にもかまわず、ついに目的地に達した。さあ、あとはいくらでも激しく降るがいい。そして明日には止んでしまえ。
   N40°12 ′E140°01′  158km  秋田県能代市能代公園競技場

     8月25日 晴
 朝には雨は止んでいた。天気を気にせず走るのが、こうもリラックスできる事だったとは。
 まず八郎潟を通り抜けた。直線の道が続き、防風柵がそれに沿い、北海道に戻ったような気になる。北緯40度、東経140度のモニュメントがあるらしいので寄る気になったが、未舗装の道で無理だった。
 午後は向かい風が強くてペースが落ちたうえに、ひどく単調な道のりだった。それでも一つ笑い話がある。トラックに書かれたローマ字に、僕は首をかしげた。UNYU? ウニュっていったいなんだ? それが運輸と気付くまでにしばらくかかった。これではSHINICHIをシニチと呼ばれても仕方がない。
   N39°16′ E139°56′  133km  秋田県金浦町勢至公園

     8月26日 曇
 37日目、4000キロポイントの酒田を過ぎた。いい調子だ。
 庄内平野は砂地で、畑も白い。スプリンクラーの水が道まで飛ぶ。風が吹かなくて良かった。ただでさえトラックの煤煙がひどいのだから。昼には平野を抜け、けわしい海岸線にかかった。鶴岡を最後にエゾゼミの声は聞かれなくなった。
 早くも明日は雨という。また屋根付きのキャンプサイトを探さなくてはならない。もう秋雨の時期に入ったのだろうか。だが悲観するのはやめよう。今日もまた笑い話がある。八乙女とくずして書いた看板を、人工女と読んでしまった。
 笹川流れを見渡す東屋を見付けた。屋根さえあれば、雨の朝でも出発の支度が楽に出来る。明日は一日中雨のようだが、完全防備なら走れるだろう。明日の心配は明日すればいい。とりあえず今夜の問題は片付いたのだから。
   N38°23′ E139°28′  123km  新潟県山北町笹川流れ東屋

     8月27日 雨
 昨日は山形県を一日で駆け抜けたが、新潟県は時間がかかるだろう。だがいつまでも雨の中を走り続けるつもりはない。これからずっとこんな天気が続くのなら、ペースを上げて旅を早く切り上げるべきだろう。
 新潟までの113号線も、その後の116号線も、概して狭かった。そして大型車が多い。乗り物が大きくなると乗り手の気も大きくなるのか、こちらの存在などおかまいなしに左折し、また横道から出て来る。たとえぶつかっても向こうは平気だろうが、こちらとしては命がけだ。水しぶきをはね上げる車など、まだマシな方。だがこんな悪役でもいた方が、旅にも張り合いがあるだろう。この雨にしてもそうだ。たまには試練をくぐらなければ。
 レインウェアを着ていても、やはりずぶ濡れになってしまう。今夜は宿に泊まろうと思い越後線に沿って探したが、駅を離れるとすぐに集落は途切れ、山道となってしまう。単線というのがいかにも頼りなげだ。店でたずねても、柏崎まで宿はないとの事。それでも気楽に考えた。命がけの問題でもない限り、深刻になる事はない。
 暗くなってきたので、今夜はステーションビバークしようと考えた。初めての事で、ついうかれてしまう。越後線は終電が早いので助かる。ベンチも大型で安眠できそうだ。
   N37°29′ E138°41′  150km  新潟県西山町JR越後線石地駅待合室

     8月28日 曇
 昨夜は巡査が来た。これだから駅寝は面白い。21時には明かりも消えたのでじきに寝付いた。ところが、4時には明かりがついて起こされる。また早い出発となってしまった。
 交通量の少ないうちに柏崎を抜け、静かな日本海を眺めつつ走る。山がちのコースを過ぎ、さらに海岸線に近い県道に迂回した。早朝のためもあり、車はほとんど通らない。ある交差点で、不意に妙高山の姿が見え、懐かしさが込み上げた。そう、上越市もかつてのホームタウン。だが直江津駅はすっかり姿を変えていた。
 さらに海岸沿いを西へ。ここのサイクリングコースもまた懐かしい。今日のルートは変化に富んでいる。またいくつもの区切りがあった。かたわらの線路はJR東日本から西日本に変わり、町の電気も50ヘルツから60ヘルツに変わった。太平洋側には天竜川というはっきりした境界があるが、日本海側も注意して見ると電線の空白域が分かる。そして、自転車の累計走行距離がついに1万キロを超えた。
 出発が早かった事もあり、午前中に99キロも走ってしまった。だが午後には難所の親不知がひかえている。上越にいた頃、一度だけ来た事があるが、その時はすくんでしまい途中で引き返した。しかし今回は必ず通り抜けなければならない。
 ロックシェル内の狭く暗い道は、左右に曲がりくねるばかりか上下にも急勾配があり、まったく見通しがきかない。そして例によって大型車は横暴で、油断がならない。一度段差で転倒したが、後続車が途切れた時で助かった。今回も運が良い。もっとも、本当に運が良ければ転倒もしないだろうが。
 富山県側に降りると、向かい風が激しくなった。だが雨に降られ続けた後では、風など苦にもならない。午前中に充分距離をかせいでいた事もあり、リラックスしてのんびり走る。明日はどこまで進むだろう。ペースが早まり、自分でもまったく予測がつかない。
   N36°49′ E137°25′  160km  富山県魚津市ホテル

     8月29日 晴
 テレビで週間天気予報を見た。前半の北陸も、後半の山陰も、雨の心配はないようだ。安心して出発した。ところがいきなりの土砂降りで、早速ずぶ濡れになった。にわか雨だったが、どうも不安定で困る。やはり少しでも早く進まなければ。それでも座標を記録し、また駅弁を買うために、あちこちの駅に寄り道している。
 倶利加羅峠はまったく張り合いのない峠だ。石川県に入ると、天気が良くなった。まるで夏に帰ってきたようだ。金沢を過ぎ、最後に8号線をハイペースで走った。暑い西陽に照らされながら。ひさしぶりのまぶしい午後。
 水辺の公園を今夜のキャンプ地とした。日が傾き、水辺にようやく涼風が渡り始める。今夜は星空が望めそうだ。
   N36°22′ E136°27′  127km  石川県小松市木場潟公園

     8月30日 晴
 日の出も遅くなり、5時に起きてもまだ夜明け前。ススキの穂は引っ込んでしまったが、それでもやはり秋らしい。朝焼けが美しかった。
 8号線をさらに南下する。すぐに小さな峠を越え、福井県に入った。ちょっと福井駅に寄ろうと県道にそれたが、曲がり角に表示がなく、気付いた時には通り過ぎていた。だが後戻りは絶対にしたくない。前へと進む勢いこそが、継続の力になっているのだから。
 続いてもう一つ、少しきつい峠を越え、再び日本海に出た。気温38度の電光表示を見たが、本当だろうか。いつしか大型車が増えていたが、大方は敦賀から京都方面へ向かった。だがいったいどこから湧いてくるのか、西へ向かうにつれ大型車はまた増えてきた。
 この先、峠とトンネルとがある。迷ったすえにトンネルへ向かう道を選ぶと、入り口近くになって自転車通行禁止とある。図にのるな自動車優先社会の人間達。なぜ前もって知らせない。もうかまわないからトンネルに入った。わずかでも、後戻りという事は絶対にしたくない。
   N35°28′ E135°54′  138km  福井県上中町国道脇空き地

     8月31日 晴
 まず京都府入りした。今日も道幅は狭く、大型車も多い。加えて舞鶴の町は入り組んで、抜けるのに手間取った。町を走りながら、無意識に去年ハンドルを並べた姉妹の姿を探している。夏休みも今日までか。今日もフェーンで暑くなり、36度の表示が見られる。小浜から再びクマゼミの声を聞くようになった。
 天橋立を回り、丹後半島の横断にかかった。黄色い声の応援に、またも必要以上に張り切る。鉄道沿いに回るつもりが、そのまま国道をたどって峠を越えてしまった。
 勢いでもう一つ峠を越え、兵庫県に入った。この調子なら、来月半ばには旅を終えられそうだ。駅の時刻表で調べたところ、15日に宮崎から神戸へ向かうフェリーがある。そろそろ旅の終わりが見えてきた。だが気がかりなのは天気だ。九州は大雨が続いている。
 無線の方は、北海道以来とうとう誰からも応答がなかった。県内からコールを出すくらいなら、もう帰ってからにしよう。
   N35°33′ E134°50′  142km  兵庫県豊岡市中央公園

     9月1日 雨
 前線が南下してくるとの予報。朝から暗く曇り、雨のきざしが広がる。
 城崎から海沿いに続く県道は、いきなりけわしかった。その先にも、いくつもの峠が立ちはだかる。兵庫県の北部海岸は三陸のようだ。
 余部鉄橋、これまで何度も渡っているが、今日は初めてその下をくぐる。浜坂駅に寄り道しているうちに、とうとう雨が降り出した。濡れながら進む道は、つづら折りの峠道。きつい行程が続く。
 9号線に合流し、鳥取県に入った。砂丘へ向かう道が懐かしい。あれからもう一年になるのか。しかし激しい雨は感傷を許してくれない。今夜も屋根のあるサイトを見付けなければ。海岸の展望台に東屋を見付け、少し早いがそこに落ち着いた。
   N35°31′ E134°04′  106km  鳥取県気高町龍見台東屋

     9月2日 晴
 目覚めるとまだ暗い。それでも時計を見ると、いつも目覚める4時59分。僕は起きたい時刻に正確に起きられるのだが、なぜか毎朝一分の誤差が出る。ところで暗いのは悪天候のためと思ったが、外へ出ると月と星が光っている。西に来たために日の出が遅くなったようだ。
 今朝も低俗な大型車に会った。クラクションを鳴らしながら接近し、横に来てギリギリまで幅よせしてくる。陰湿ないやがらせはこれまでも数多くあったが、ここまで悪質なのは初めてだ。大型車に乗り自分の身の安全が保証されると、気が大きくなるのは分かる。だが、そこからこういった行為につながる心理が分からない。
 もっとも、弱者に対する無理解は、道づくり自体にも言える事だが。道路交通法には、自転車等軽車両は車道の左端を走ると規定されている。しかし自転車が安全に走れる車道が、いったいどれだけあるだろう。自転車通行可という歩道も、自転車の走行を考慮して設計されてはいない。加えて、ここへ来て工事が非常に多い。北海道や沖縄同様に、山陰も公共事業だけが頼りなのか。
 それでも今日ははかどった。午前中に米子を過ぎ、午後すぐに松江を抜け、そして5000キロポイントの出雲にもついに到達した。鹿児島まで残り1000キロ、ゆっくり走っても10日の行程だ。だがもちろんゆっくり走るつもりはない。雨にあわないためには、急いで走り抜けなくては。そして、悪質ドライバーに旅を中断されないためにも、早く旅を結ばなくては。今日まで44日間、前期分を含めると65日間の行程を積み重ねてきた。あと10日で完結する旅を、ここで崩されるわけにはいかない。
   N35°17′ E132°38′  160km  島根県多岐町道の駅キララ多岐

     9月3日 曇
 夜更けにどこからか人間達が湧いてきて騒々しくなった。こんなに品のない浜だったとは気付かず、失敗だった。いわきのキャンプ場、青森のフェリーターミナル、人間のいる所で眠るものではない。
 大小の峠が続き、昨日ほど順調に流れはしなかったが、それでも昼過ぎには浜田を過ぎた。今日の障害は、煙。なぜかあちこちで煙が立ち昇り、のどが痛く目にしみる。たき火は秋の風物かもしれないが、今日になって急に始まったのは不思議だ。
 夕方ようやく益田に着いた。キャンプサイトを探すのに手間取った。明日の天気も怪しいので、念のため屋根のある場所で寝ようと思い。探し当てた万葉公園は、雅びな所だ。無粋な自分がこんな所にいてもいいのだろうかと思う。
   N34°41′ E131°49′  132km  島根県益田市万葉公園

     9月4日 晴
 テントにヤゴのぬけがらが二匹へばり付いてる。そういえば昨夜、テントとフライシートの間でもがくような羽音を聞いた。すぐ耳もとでトンボの羽化が行われていたとも知らず、寝ぼけていたのは残念だった。
 湿度が高くむし暑いが、天気はまあまあ良い。京都府以降なぜか聞かれなくなったクマゼミの声が、山口県入りした途端にまた聞かれるようになった。
 昼前には萩に着いた。萩からは線路沿いの県道を選んだが、軽自動車がやっとという狭い道とは思わなかった。家々の裏口をぬう路地から、海岸の道、そして苔むした山道と、様相は大きく変化する。最後は工事中で通行止めとなり、農道を回ってなんとか国道に戻った。
 弥生パークという場所を見付けた。万葉に続いて弥生か。テントを広げると、つぶれたヤゴのぬけがらがもう一つ。今夜は本州最後の夜となる。韓国や北朝鮮の放送に混じり、福岡のNHKもよく入る。
   N34°17′ E130°53′  130km  山口県豊北町土井ケ浜弥生パーク

     9月5日 雨
 ずっと海岸沿いに走っていたが、最後はついトンネル入り口へ近道した。途中の坂がきつかったが、いきなり目前に橋が見えた時には、ようやく来たと実感した。再びの九州。13日間で本州を駆け抜けた。
 北九州の市街地は信号だらけで、なかなか進めない。そのうち予報通り雨が降り出した。今日の障害は、信号に雨というところか。フロントバッグにレインカバーをかけるとマップが見えなくなるのも難点だが、ただ3号線をたどるだけなのでなんとかなった。
 博多の街でのホテル探しは、そう簡単にはいかなかった。雨はひどいし暗くなるしで、目についたちょっと高いホテルに泊まった。場違いな気分だ。11階で寝るなど生まれて初めてではないだろうか。
   N33°35′ E130°25′  130km  福岡県福岡市中央区ホテル

     9月6日 雨
 起きるとドアの下には朝刊が。新聞をひさしぶりに読んだ。そして危うくそれが最後になるところだった。
 出発してすぐのアクシデント。交差点を渡っていると、突然左折してきたトラックが接触、そのままハンドルを引っかけられた。引きずられたのは数メートル程だが、その間めまぐるしくいろんな考えが頭を巡った。ハンドルを切って離れるか、ブレーキをかけて離れるか、あるいはあえてトラックに張り付いたまま、止まるのを待つのが安全か。だがトラックは止まらず、結局最後は路上に投げ出された。後輪に巻き込まれなかっただけでも幸運だったのだろうか。軽い打撲と少しの切り傷ですんだ。自転車もブレーキがゆるんだ程度ですぐ直った。
 だがこれではっきりした。連中は、こちらの命などまったく気にかけていない。自動車にこもった顔の見えない人間達が、ますます不気味に思える。やはり早く旅を終えなければ。今日はそう走れそうにないが、せめて福岡だけでも出てしまおう。
 最高最良の日があれば、最低最悪の日もあるだろう。おそらく今日がそれだ。イヌが轢かれる瞬間を、見てしまった。あの姿は、あるいは自分だったのかもしれない。本当にもう、今日は走れそうにない。
 豪雨の合い間に、時おり陽の射す時もあった。そんな時はつい遠くに虹を探してしまうが、今日のような日に見えるはずがない。ただ、トラックのけ立てるしぶきの中に、一瞬その色が見えるとは皮肉なものだ。
 歴史と文化の森という公園に、ずぶ濡れになってたどり着いた。まだ100キロも走っていないが、今日はもう休みたい。だが見回りに来たガードマン達が追い立てにかかる。この先の無人駅の方が好条件だと、仲間うちで調子の良い言葉を並べ立てながら。薄暗い中を再び走り出す。もうろくに走れそうもないが、せめて佐賀くらいは出てしまおう。無人駅へは一応寄ったが、待合室すらないのでは話にならない。
   N33°09′ E129°49′  103km  長崎県佐世保市国道脇廃屋軒先

     9月7日 雨
 打撲の痛みは一晩でやわらいだが、走る気力は湧いてこない。それでも進まない事には旅は結べない。わずかづつでも距離をつめていこう。三日目となった雨の中に走り出た。
 佐世保の南、西海橋に近付いた頃、三本の巨大な柱が見えた。戦時中の長波送信所が残っていると聞いたが、そのアンテナだろう。今となっては無用の長物だ。
 時おり大村湾が左に見える。海を左に見るのは違和感があるが、最後にこんなコースがあってもいいだろう。
 雨のため、ブレーキシューがすっかりすり減ってしまった。これ以上雨が続くと深刻な状況になる。とりあえず残ったエッジ部分がリムに当たるよう角度を変えたが、早く新しい物を入手しなければ。
 諌早に入った。公園に期待していたが、テントが張れるような場所はない。早々に見切りをつけ、干拓地の橋の下へ行った。そういえば、ここも無用の長物か。
   N32°51′ E130°05′  105km  長崎県諌早市干拓地橋脚下

     9月8日 晴
 夜明け前、雨音に目覚めた。自分にまったく余裕がなくなっているのが分かる。ささいな事でもイラつき、笑ってすます事ができない。それでも出発の頃には雨も遠のき青空も見え始めたが。さあ、今のうちに進もう。いまわしい土地から少しでも離れてしまおう。
 すぐに長崎県を出た。昼過ぎには佐賀県を抜けた。午後には福岡県を離れた。解放感からひさしぶりに気分が明るくなった。もちろんこれからも、危険も悪天候もありうる。気をゆるめるわけにはいかないが、それでも気持ちに余裕は持っていよう。余裕がなければ心に何も入ってこない。ただ走行距離をかせぐだけの旅など、経験値をかせぐだけのRPGのように味気ない。まず一番の目的は、旅を旅として楽しむ事だ。
 今日は嬉しい知らせを受けた。あれからちょうど三週間、初山別天文台から郵便物が届いたそうだ。Green Sheepは、みずがめ座の下に位置する、ちょうどガニメーデスの足辺りの星として登録された。一つの小さな星が、気分をすっかり明るくしてくれた。これからはきっとうまくいく。何しろ星の加護があるのだから。なんだか本当に、気分が明るくなってきた。
   N32°53′ E130°32′  137km  熊本県玉名市菊池川川原

     9月9日 晴
 今日は99年の9月9日。面白い日付けなので期待して熊本で駅弁を買ったが、日付けは西暦でなく元号で付されていた。続いて八代で駅弁を買うと、今度は包装紙に日付けがない。まあいい。べつにアイテム集めのために旅をしているわけではないのだから。
 熊本市を過ぎると、ついに鹿児島まで 193キロという距離表示が出た。旅の終わりがそこに見えた。明日には到達するだろう。
 午後には三つの峠を越えた。それぞれに太郎の名が付きユニークだが、長いトンネルには緊張した。どこでも油断は出来ないが、九州はとくに物騒なようなので。だが乾いた坂はブレーキが良く効き、その点は楽だった。
 今日も一日なんとか天気は保った。が、明日からはまた悪化するとか。少しでも進んでおこうと思い、ついに最後の県境を越えた。昨日まで長崎県にいたが、今は鹿児島県にいる。6日間で九州縦断が出来そうだ。
   N32°08′ E130°21′  129km  鹿児島県出水市出水市海洋公園

     9月10日 雨
 ついにその日がきた。気分が昂揚し、眠れない夜を過ごした。潮が静かに満ち、静かに干いてゆくのを、夜通しじっと聞いていた。
 夜明け前に起きて支度をし、明るくなるのを待って出発した。午後から雨になるらしいので、それまでに距離をかせいでおきたい。だが、雨は7時から降り出した。それもかなり激しい雷雨で、一時はまともに息もつけないほどだった。水を飲まないよう、時おり口を大きく開けて、すばやく息つぎをする。もうおぼれるかと思った。さすがに最後ともなると、大きな試練がひかえているものだ。ブレーキシューもすっかりすり減り、何度も調整し直しながら慎重に走った。
   N31°35′ E130°33′  106km  鹿児島県鹿児島市JR西鹿児島駅
    後半52日間6408km  一日平均123km
   全行程73日間8537km  一日平均117km
 14時過ぎ、ついにこの大きな輪が結ばれた。とはいえ豪雨の中で、感慨にひたる余裕はなかった。とりあえずホテルに逃げ込む。目的を達した実感は、後から湧いてくるだろうか。しかし明日もあさっても、また雨の中を走らなければならない。帰りのフェリーに乗るためには、宮崎まで行かなければ。くつろぐのはフェリーに乗ってからにしよう。

     9月11日 雨
 ホテルにいても、やはり4時59分前に目が覚める。確かに旅は今も続いているようだ。それでもすでに帰り道、もうひたすら進む道ではないと実感している。何しろ、ここから先のマップは準備し忘れたくらいだ。とにかくあとは気楽に行こう。
 国分からそのまま10号線をたどり、峠にかかる。天候の事もあり、これまででもっともつらい峠だった。まさか400メートルを一気に登る事になるとは。だが本当の難関は、下り坂の方だった。突然後輪のブレーキが効かなくなり、慌てて前ブレーキを強く握るとこちらもはずれた。すぐに歩道側に飛び降りたが、危険な状況だった。雨の中ではもう、どう調整しようとも自転車に乗る事は不可能だ。重い自転車を支えながら、歩いて坂を下る。次から次へとよくトラブルが続くものだ。
 午後には雨が止み、空も明るくなったので、またブレーキシューを再調整して自転車に乗った。都城までの15キロを歩く事になるかと思った。公園を見付けたあやういタイミングで、再び雨が降り出す。なんとか今日のところはしのいだが、明日も雨なら宮崎まで歩く事になるかもしれない。

     9月12日 晴
 駐車場に改造車が集まり、夜通し騒々しかった。ゆっくりする気にもなれず、夜明けと共に出発した。いよいよ最後の走行だ。
 269号線も宮崎へ向かうようなので、10号線を離れてそちらを選んだ。だがそれは峠を越える道だった。地図を忘れた事を、今さらながら後悔した。峠を越えてからも、道はわざわざ坂を選ぶような、理解できないルートをとる。12パーセントの勾配という非常識な登り坂まであった。
 昼前には宮崎に着いた。すぐにフェリーターミナルへ。だが神戸行きはやはり15日まで待たなくてはならない。おまけに今日は日曜で窓口は休み。とにかく待つしかないようだ。
 続いてキャンプサイトを探した。駅の近くに公園があるが、もう少し良い所がないかとあちこち走り回った。だが駅でもらった地図は頼りにならず、道に迷うだけだった。行程を進めてゆくのと違い、やみくもに走るのはただ疲れるだけだと気付き、駅に戻った。
 気分直しに駅周辺を散歩していると、今度はサイクルシューズのかかとが取れてしまった。どうも何もかもがうまくいかない。やはり、フェリーに乗るまでは安心出来ないようだ。

     9月13日 晴
 宮崎に来てから妙な事に気付いた。ここの人間は、個人個人のプライベートな空間というものを、まったく気にかけないようだ。普通なら、僕が座っている所にわざわざ他人がやって来る事などない。が、ここでは何も意に介せず横に来て、そのくせ話しかけてくるでもなく、目も合わせない。ただでさえ他人への応対は苦手なのに、こういう相手はどうあしらえばいいのか本当に困る。こちらも無視しておくのが無難のようだが、家族連れやカップルは騒々しくて気にさわる。
 夜になってテントを張ると、今度は帰宅できないサラリーマンらしき男達が来た。連中はベンチで眠るでもなく、かといって立ち去るでもなく、ため息をつき気ぜわしくタバコに火をつけながら、一晩中テントの周囲をうろつき回った。時おり自転車にぶつかる音やライターの火が気がかりで、こちらもすっかり寝不足だ。まさか旅の終わりも間近になって、こんな障害まで用意されているとは。
 再びフェリーターミナルへ行った。だがそこで判明したのは、沖縄から神戸へ向かう便は、宮崎からは貨物しか扱わないという事。いったい何のための待機だったのか。やはり、何もかもうまくいかない。神戸行きの便のために日向まで走る気はないので、ここから大阪行きの便で帰る事にした。
 安ホテルを見付け、チェックインするなり夜まで寝入った。せめて今はゆっくり休もう。

     9月14日 雨
 熱帯低気圧の接近で、朝から激しい雨となった。旅の続く限りは障害が続くものだと悟る。しかしもう早朝から夕方まで走り続ける必要はない。チェックアウトタイムまでホテルでゆっくりした。
 あとはフェリーの時間まで、図書館で過ごす。そういえばもう二か月も本を読んでいない。外の雨も忘れ、一日中読みふけった。
 夕方には、雨に加えて風も激しくなっていた。腕時計の気圧グラフも急激に下降している。よろめきながらターミナルにたどり着いた。これだから、フェリーに乗るまでは安心出来ない。旅の試練は、最後の最後まで僕の前に立ちはだかる。それを一つ一つクリアしていく事こそが旅の満足感、達成感だが、もう終わりだろうと思ってもさらに続くとなると、さすがにウンザリしてくる。
 熱帯低気圧は発達して台風16号となり、宮崎に上陸したという。かなり遅れたものの、出港は決行された。大型の船体が大きく揺れ、深く傾く。船底が持ち上がり、海面を叩く衝撃が伝わる。どうやら、フェリーを降りるまでは安心出来ないようだ。

     9月15日 雨
 激しい揺れは、瀬戸内海に入って少し落ち着いた。揺れが静まったために、かえって目が覚めてしまった。だが起き出すと、海はまだかなり荒れている。まばゆい雷光が、白くくだける波を照らし出す。
 時刻は3時過ぎ。ちょうど来島海峡大橋にさしかかっていた。雷光の中に橋の姿が浮かび上がる。走り始めたばかりの頃に、自転車で渡ったあの橋。それを今また、こうして通りかかる。旅の終わりの感慨が、ようやく湧いてきた。
 日本列島は、確かに大きかった。しかし手に負えない大きさではない。試練も多かったが、適度の苦難がある方が面白いとも思う。旅が終わればたぶん、明日からでもすぐに退屈を感じるようになるだろう。


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