レイリング日記86


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     1月17日 金曜日
 徹底的に部屋を片付けた。机の上をきれいにして、細かい物を手当たり次第引き出しとかに押し込むと、わりと部屋も広く見えるもんだ。
 9時過ぎに家を出た。東京まで座れたのはよかったけど、東京駅では端から端まで、地下ホームから高架ホームまで行かなきゃならなかったので大変だった。
 11時42分発の広島行きに乗った。平日はこんなにすいているものなのかと驚いた。列車はホームに止まっていたのですぐ乗れて、なのにガラ空き。
 新幹線に乗ると、神戸に帰るという実感が急にわいてくるから不思議だ。弁当を食べて、お茶を飲んで、すごくゆったりした気分になる。このところずっと寝不足だったけど、列車の中ではぐっすり眠れた。
 ただ一つ残念だったのは、関ヶ原に雪がなかった事。遠くからかすんで見えていたので、降ってるのかと思ったら、雨が降ってた。でも、どうしてこの辺はいつもどんよりと曇っているんだろう。
 米原を過ぎた辺りからが、一番まぶしい。薄暗い所から出てくるし、列車が南へ向かうので、西へ傾いた陽がまともに顔に当たる。カーテンを閉めてまたひと眠りしようかと思ったら、雪が残ってたので驚いて、眠気がどこかへ行ってしまった。意外だったけど、ここは雨が降らなかったから解けなかったんだろう。神戸にいる間、どれだけ雪が降るか楽しみだ。
 新神戸から、新しく出来た地下鉄に乗った。この地下鉄が出来て、新神戸駅も変わった。いつもの場所で電話をかけようと思ったけど、電話がなくなっていたので、かけたのは北鈴蘭台駅に着いてから。その電話で、湊川で乗り換えられる事を聞いたけどもう遅い。僕は三宮で地下鉄を降りてから、わざわざ阪急で新開地まで行った。
     2月16日 日曜日
 新幹線の中から雪を見るのは楽しみだ。今日は京都を過ぎた辺りからかなり雪が積もって、なおも降り続いていた。
 名古屋を過ぎてからウトウトしていると、「今日は富士山が非常にきれいに見えています」というアナウンスで目が覚めた。今まで何十回となく新幹線に乗っているけど、こんな案内を聞いたのはまだ二回目だ。たしかに、めったに見られないくらいきれいな富士山だった。
 千葉→神戸より、神戸→千葉の方がずっと疲れる。新幹線では楽だけど、そのあとずっと内房線に揺られるから大変だ。
 部屋が狭苦しくて、なんだか落ち着かない。でも、向こうは向こうで何もなくて、部屋の中で退屈だけど。こっちにはパソコンもあるしビデオもある。
     2月21日 金曜日
 やっぱり千葉→神戸の方が楽だ。この前と同じ時間の列車に乗った。新幹線もかなりすいていたので、ほんとに楽だった。それに、この前は三宮で乗り換えたけど今日は地下鉄で湊川まで行ったので、かなり早く着いた。
     3月1日 土曜日
 外はサラサラの粉雪が積もっていた。三宮駅でも枕木が白かった。ここで20分ほど待ったのだけれど、その間に日が昇り、ビルや山がオレンジ色に光って見えた。
 三宮を7時6分に出た。この列車は京都までは快速で、通勤客がほとんど。京都を過ぎてから急にすいて、のんびりした気分になった。
 雪はかなり多くなり、レールやホームの植え込みまで覆っている。今日は特別多かったようだ。そんな所を通り過ぎずに、各駅に止まってくれるのだから嬉しい。
 米原着は9時31分。となりのホームの33分発豊橋行きに急いで乗り換えた。これはスキー客や登山客が多かった。
 途中の小さな駅はすべて雪に覆われていたけど、どの駅もホームは雪かきがされていた。器用な事に、列車の長さぴったりに雪かきしてある。列車も一分も遅れなかった。
 豊橋ではもう少し時間があった。12時11分に着いて、向かい側のホームに止まっていた三島行きは15分発。学校帰りの中学生や高校生が大勢乗ってきて、静岡辺りからはかなり混んできた。
 それにしても、東海道線は意外とローカル線だ。新幹線に乗れば、止まる駅はどれも大きいから気付かないけど、それ以外の駅はいなかの駅のように屋根は短かくてホームには植え込みがあって、端は斜面になっている。
 この列車は次の三島まで行くけど、沼津始発の列車があるので沼津で降りた。着いたのは15時14分で、東京行きの発車は29分だから、かなり時間があった。
 土曜の午後だからわりと混んでいたけれど、早く並んでいたから座れた。それも海側の窓際に。あんなに海の近くを通るなんて知らなかった。遠くに大島がかすんで見えた。海が見えなくなってからは眠くて、横浜辺りまで眠っていた。そろそろ疲れが出てきていた。
 東京着は17時47分。ここから先、混雑する列車で帰るのかと思うとウンザリした。ここまでは、上りだったからずっと座って来られたけれど。
     3月20日 木曜日
 こないだ買ったビデオデッキを出してみた。箱に詰めたまま送ろうと思ってずっと部屋のすみに置いていたけど、やっぱり見るだけ見てみたくなった。
 昼過ぎに父さんが帰って来た。急いでビデオを片付けて、13時半には家を出た。
 東京駅に着いて、15時42分の「ひかり」に乗ろうと19番線へ行き、ふと見ると、向こうのホームに止まっている新幹線がなんか変。新型の車両のようだった。でも、あの車両は東京と博多を一日一往復するだけで、今頃東京駅にいるはずがないし。しかも今日は走らない曜日だ。
 急いで16番線へ行ってみると、やっぱり回送だった。東京駅まで何しに来ていたんだろう。と思っていたら、今度は黄色い車体の電気試験車が入って来た。
 8時半に神戸の家に着いた。ごはんを食べて風呂に入って、いつもならこれでのんびりした気分になれるんだけど、今回は忙しい。明日は昼ごろまでに別府へ行って、午後にはアパートをいろいろ見回らなきゃ。朝一番の5時58分のバスで行こうと思ったら、明日は祭日だからバスがない。5時半に家を出て歩くしかないな。

     3月21日 金曜日
 昼過ぎには別府に着いて、夕方までに部屋も決まって、まずはひと安心。学校から3分ほどの所で、郵便局やスーパーもすぐ近くだ。それから目の前に薬局がある。
 用事はすんだし、まだ時間も早いので、海岸へ行ってみた。前にここに来たのは9年前か。すっかり様子が変わっていた。海沿いに散歩道があって、人工砂浜と公園も出来ていた。カモメがたくさんいるのは昔のままだった。


     4月10日 木曜日〜11日 金曜日
 九州への引っ越しに使う列車は、寝台特急「富士」。これくらいの楽しみは欲しかったから。東京発が18時5分。早めに家を出て、秋葉原に寄った。ここもしばらくは行けないだろうから。
 東京駅で母さんと合流。母さんは、入学式の翌日まで向こうにいる予定。
 「富士」のスピードはかなり遅い。新幹線に乗り慣れてしまったからそう感じるんだろうか。
 23時少し前に名古屋に着いたのは覚えている。でもその後すぐ眠ってしまい、何度か目を覚ましたけれど、5時前に着いたはずの福山は気付かなかった。
 起きたのは5時ちょっと過ぎ。まだ誰も起きていなかった。車内はレールの音しか聞こえない。カーテンを開けると外は薄暗く、雨が降っていた。なんだかずい分遠くに来た気がした。
 ほかの人達が起き出す頃、列車は海岸をかすめるほどの所を走っていた。瀬戸内海は波がほとんどなく、遠浅で、沖には小島が散らばって、水平線も分からないほどだ。なんだか大河の河口のようにも見える。
 別府到着は11時過ぎ。すぐに市役所に行ってNTTへ行って、と大忙し。荷物の片付けも夜までかかったし。寝台列車でのんびりした分、こっちに着いてからが大変だった。
     4月26日 土曜日
 小倉から東京まで、新幹線に6時間も乗っていた。これでも一番停車駅の少ない列車で、停まったのは広島と岡山と大阪、京都、名古屋だけなのに。
 新神戸も通過した。こんな事は初めてだ。あっという間に通り過ぎてしまった。トンネルを抜けたと思ったらホームがさーっと見えてまたすぐトンネル。両側のトンネルが長いからよけいに短く感じる。
 窓ぎわに座れたので、外ばかり見ていた。今頃の季節に新幹線に乗った事がないので、田んぼがあんなにきれいだとは知らなかった。一面にレンゲが咲く田んぼがあちこちにあって、目が離せなかった。
     8月7日 水曜日
 上野駅でもう疲れてしまった。「白山」の発車まで一時間半もあるというのに、もう大勢が並んでいて、階段の陰の薄暗い中に新聞紙をしいて、座っていたり寝ていたり。その後ろに並ぶ気になれなかったので、長野まで行く「あさま」に乗った。ただしこれも混んでいて、小諸までの2時間半は立ち詰めだった。
 長野で「白山」を待つ事一時間。でも上野で待つよりは良かった。その間にゆっくり弁当も食べられたし。
 わりとすいてきていて、すぐ窓際に座れた。日本海が見たかったので右側に座ろうと思っていたのに、左側しか空かなかったのが残念だった。すると、直江津駅でなんと進行方向が逆に! 運良く日本海を見る事が出来た。
 富山から立山へ続く鉄道は、列車も駅も古びていて、数十年前の列車に乗っているような気分だった。明かりは薄暗く、ドアはガタガタと開閉し、窓も小さくて、なぜか車内広告もなかった。

     8月8日 金曜日
 期待していた星空は、雲にさえぎられてだめだった。朝、山から雲が湯けむりのようにもくもくと立ち昇るのを見た。この分では今夜もだめだ。
 今日は黒部峡谷へ行った。富山より少し手前の寺田という駅で降りて、そこで20分ほど待った。遠いのと、列車の遅いのと、乗り換えに時間のかかるのとで、川ではほとんど時間がなかった。でも、列車に乗るのも楽しみのうちだ。
 峡谷鉄道からの景色はすごかった。でもそれを撮るのは難しい。木々の合い間に見え隠れするのを撮るのだから、何枚かはシャッターチャンスを逃して手前の木を写してしまった。それからトンネルもすごい。コンクリートで固めた物もあったけど、ほとんどは掘削したままのゴツゴツの壁。そこにものすごい冷たい空気が満ちていて、時々冷たい水も落ちてくる。すさまじいトンネルだった。
 宇奈月駅前には温泉の湯を使った噴水があって、手だけ温泉につかってきた。一つ残念だったのは、魚津に寄れなかった事。時間があれば、埋没林も見たかったけど。

     8月9日 土曜日
 今日も時間が惜しかったから、朝早く出発した。朝から良い天気。ケーブルカーなどの乗り物にはほとんど窓際に座れて、運が良かった。あちこち見る時間もわりとあったし。弥陀ヶ原、室堂、黒四ダムを、かなり時間をかけて歩いてみた。
 弥陀ヶ原は高原の湿原で、見慣れない植物がいっぱいだった。でも残念な事に、フィルムがなくなってしまったので写真は一枚も撮れなかった。
 室堂行きのバスを途中下車した弥陀ヶ原は、ほとんどの人が室堂へ直行するらしくて、だれもいなかった。時間があればもう少しゆっくりしたかったけど、僕も室堂を見てみたかったので。
 室堂では、谷へずっと降りていくと、硫黄と蒸気を噴きだしているすごい所があった。湯がゴボゴボ湧いている池にみとれていると、時間がなくなっていた。急いで階段を戻ったけど、傾斜は急だし、硫黄で息は苦しいし。途中のみくりが池まで来て、ようやく一息ついた。
 みくりが池は真っ青で、周りにはかなり雪が残っていた。この室堂には、真夏とは思えないほど雪があちこちに残っている。今度は6月頃に来てみたい。そしてここに一泊して、もっとゆっくり見てみたい。
 トンネルをバスで抜けて、黒四ダムへ。ここが最後の目的地。今日中に家に帰るなんて、あちこち見ている間は実感なかったけど、ここを過ぎればもう帰り道だ。標高が低くなったためか、少し暑くなった。
 かと思うと、トロリーバスの通るトンネルは寒い。そしてまたトンネルを出て大町まで行くと、もうムッとする暑さ。空気が濃い感じもした。気温の差と気圧の差というのは、思ったより体にこたえる。
 「あずさ」で新宿まで帰った。「あずさ」に乗るのも中央線を通るのもなつかしいけど、ひどく混んでいたので苦しかった。途中から座る事が出来たけど、座ったからこそ気がひけてつらかった。


     9月4日 木曜日〜5日 金曜日
 列車が出るのは夕方だけど、ダリの彫刻を見に行くつもりだったから、午前中に家を出た。去年の1月に船橋で見たけど、あの後ずっと日本にあったわけじゃないだろう。あの時には見られなかった絵もあった。この絵はずい分と奥まった所にあって、手すりとさくに囲まれて、目の悪い僕にはほとんど見えなかった。仕方ないから2500円の図録を買った。高くついた。
 ちょうど良い時間に東京駅に着いて、列車に乗り込んで落ち着いた。寝台車はほんとにのんびり出来る。唯一の心配はとなりに人が来るんじゃないかという事だけど、止まる駅はどこもほとんど人がいない。浜松を過ぎても誰も来なかったので、安心して眠った。
 しかし良かったのはここまで。夜更けに名古屋に止まり、そこから乗りこんできた会社員らしき人達の声で起こされた。その後はもう最悪。車掌の再三の注意で話し声は途絶えたものの、次にはいびきが響く。朝には降りて、また誰もいなくなってほっとしてたら、代わりに乗り込んでくる人もいる。寝台車というものは、周りの人間によって良くも悪くもなる。
 別府のアパートは、床も机の上も、あらゆるものの上にうっすらとカビが生えていた。冷蔵庫のパッキンもカビで真っ黒、張り付いてしまってなかなか開かなかった。さすが温泉地。今日はもうめんどうだから、このままカビの中で寝よう。
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