ぼくはおとうと − 負けるが勝ちってほんと? −


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 今年の夏も、ぼくはまたこの海にやって来た。
 コンクリートにぶつかるのとはちがう、すなの上を走る波の音。ふねのえんとつやマストをすりぬけるのとはちがう、広がったままとどく風のにおい。ぼくのすむ港町の海とは、ぜんぜんちがう海だ。
 こんな海に向かっていると、ぼくの体までがだんだん広がって、立ち止まったままでもなんだか走り出したみたいな気がする。
 でもそんな大きなことを言っても、ほんとはぼくはこの海で、貝ひろいをするくらいしか知らないんだけど。それにその貝ひろいといったら、いつもおねえちゃんにくっついてるばっかりだし。

 えきから海まで行く道で、おねえちゃんったら、おじいちゃんとおばあちゃんをひとりじめだ。ぼくはグラグラする前歯をしたの先でうごかしながら、一人でずっと前を歩いた。
 海についてから、ぼくはおねえちゃんにむかって言った。
 「今日は二人でひろうんじゃなくってさあ、べつべつにひろうことにしようよ。そうだ、どっちがかつかきょうそうしよっか」
 ぼくはできるだけ、かんたんに言ってみた。ガンバルぞ! っていう気持ちを見せないでいたほうが、あとでかった時に大いばりができそうだから。
 「きょうそう? いいよ」
 おねえちゃんのほうも、やっぱりかんたんにさんせいした。

 おねえちゃんは、おばあちゃんといっしょ。だからぼくは、おじいちゃんと貝をさがすことになった。うん、これはいいかもしれない。こういう時は、おじいちゃんのほうがたよりになりそうだもん。
 「悠太、悠ぼう、ちょっとこっちにおいで」
 「なあに」
 「海に近い方が貝が多いとは限らないぞ。ほら見てごらん、この辺りはすごいだろう。満ち潮の波が、ここまで運んで来るわけだ」
 さすがあ。ほーら、これだからおじいちゃんのほうが、たよりになると思ったんだ。
 おねえちゃんとおばあちゃんの二人は、波が来るすぐそばでさがしてる。
 「ほら結花ちゃん、そこにきれいなのがあるじゃない。早く拾わないと波に持っていかれるよ」
 波の中でしゃがみこんでるおねえちゃんに、後ろに立ったおばあちゃんが知らせてる。そんなとこでいくらさがしてたって、たくさんはみつかんないよーだ。

 「海ってどうしてこんなにきれいなんだろうね、おばあちゃん」
 貝をひろうのにちょっとくたびれてきたころ、おねえちゃんのほうも立ち上がって遠くを見ていた。
 「ねえ、どうしてきれいなの? おばあちゃん」
 「さあ、どうしてかねえ。おばあちゃんにも分からないねえ」
 ぼくだったら、なんとなくわかるよ。海っていうのは、生き物がさいしょに生まれたところなんだ。だから生き物はみんな、海をきれいだってかんじるんじゃないのかな。
 でもぼくはまだ小さいから、そんなことをうまくことばではせつめいできないけど。
 おねえちゃんはさいしょっから、ぼくにたずねる気なんてないみたいだ。そうだよな、いっつもぼくのこと、こどもあつかいしてるんだから。
 前にお母さんから聞いたんだけど、ぼくが生まれた時、お母さんはおねえちゃんにこう言ったんだって。
 『結花ちゃんにきょうだいが出来たわね』
 その時まだ二つか三つだったおねえちゃんは、それをかんちがいして、
 『わーい、ゆかちゃんにけらいができたんだよー』
 って近所のみんなに言ったって。
 今だって、言わなくても心の中ではやっぱりそんなつもりでいるのかな。
 でもなんだか、おねえちゃんが今のぼくよりもちっちゃかった時があるなんて、考えたらふしぎな気がするな。それにそのうち、ぼくが今のおねえちゃんより大きくなる時もくるんだ。あたりまえのことなんだけど、なんだかしんじられないかんじがする。
 ぼくはまたうごく前歯が気になって、したの先でちょっとつついた。
 「じゃあ、海はどうして青く見えるの?」
 おねえちゃんはまだおばあちゃんにたずねてる。
 「さあ、空が青いからかねえ」
 「それじゃあ空はどうして青いの?」
 「それはいいお天気だからでしょう」
 「もう、そんなの結花にだってわかってるよう」
 ぼくはおねえちゃんをおこらせないように、せなかを向けてこっそりわらった。

 列車の時間がすぐだったから、ひろった貝のくらべっこはあとにして、急いでえきまで引きかえした。
 まちあいしつのいすの上で、ぼくとおねえちゃんは貝の入ったふくろを見せ合った。
 貝の数は、ぼくのほうがちょっとだけおおい。でも、おねえちゃんのほうがいろんなしゅるいがあって、色もみんなきれいだ。
 ぼくのまけだって、ぼくも思った。
 「悠ぼう、気にするな。負けるが勝ちとも言うじゃないか」
 おじいちゃんが言った。
 「まけるがかち? にげるがかちじゃないの? ほんとにそんなこと言うの?」
 ぼくがうたがわしそうに聞きかえしたら、
 「まあとにかく、時には女性に花を持たせるのも男のつとめだ」
 なあんだ、やっぱりまけおしみじゃないか。
 おじいちゃんはへいきな顔でわらってる。ぼくは一人で先にホームに出て、列車を待ちながらしきりに前歯をしたでつっついた。

 そんなふうに、前歯をうごかしすぎたのがわるかったのかな。列車にのってからヤケみたいにおかしをかじってたら、とれちゃったんだ、前歯がポロッと。
 「ああー、とれちゃった!」
 ぼくはビックリして、それからオロオロした。なんだか口の中に大きな穴があいたような気がしたから。
 でもおじいちゃんもおばあちゃんも、それからおねえちゃんまでわらってる。ぼくもすぐに、うわべだけはへいきなふりをした。
 「きゅうにとれちゃうんだもんなあ」
 ぼくはとれた前歯を手のひらにのせて、よおく見てみた。
 ろうみたいになめらかに見えて、そのくせつめよりずっとかたい。ついさっきまでぼくの体にくっついていたものが、もう今はべつのものになってるなんて。なんだかへんなかんじがするけど、でもこわごわした気持ちはもうなおった。
 「ちょっと見せてよ」
 手を出すおねえちゃんに、ぼくはその歯をわたした。おねえちゃんも、へーえ、とか言いながら歯をじっと見ている。
 「貝がらみたいにきれい。いいおみやげができてよかったね」
 ぼくは歯のぬけたところを見せるみたいにして、ニイッとわらった。
 「もう大人の歯も生えてきてるんじゃない?」
 あっ、ほんとだ! したの先でさわってみると、まあるいとんがりが小さくある。
 ぼくは急に思った。これからもぼくはずっとおとうとのままで、おねえちゃんはずっとおねえちゃんのままだけど、でも、ぼくはいつまでも小さいままじゃないんだって。
 ぼくはかえしてもらった小さな歯を、ひろった貝といっしょにふくろにしまった。
 海で貝をいっぱいひろうより、この小さな歯をたった一つひろったほうが、ぼくはずっとずうっとうれしかった。かったとかまけたとかじゃなくって、おねえちゃんといっしょによろこべたから。

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