星のきざし − はちみつ色の世代 3 −


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     7月7日 木曜日

 15号鉄塔観測小屋建設計画は、その後かなり手間取ったよ。もっともそれは、おれが効果をねらってもったいぶってたせいもあるけど。とにかく、早くももう七月だ。この物語もそろそろ終盤だな。
 七夕の日の放課後、おれはユミコとチカコを理科準備室によび出した。
 「さあ、ユッコ、ヨッシー、ついに仕上がったから発表するぞ。これが設計図、そしてこっちが完成予想図だ。……どう?」
 二人は感心したように、だまって何度もうなずいてくれた。
 「それでな、ひと通り目を通したら、秘密を守るために焼いてしまおうと思うんや」
 「ええ? 焼いてしまうん? こんなにきれいに描いたのに、もったいないやん」
 「これくらい、その気になったらいくらでも描けるって」
 「へえ」
 「でも設計図がなかったら、小屋作る時にこまるんとちがう?」
 「だいじょうぶ、もう全部おぼえてしまったからな」
 「へえ」
 二人はひたすら感心してくれる。まったく、ユミコもチカコも、こっちが望んだ通りの反応をしめしてくれるんだからな。
 「それじゃ、そろそろ取りかかろうか。機密書類の焼却処分に」
 「えーと、まずマッチやね。あとほかにいるもんは?」
 「シャーレを用意しようか。その中で燃やしたらいい。一番大きいやつでな」
 「あとは、ねんのためビーカーに水くんどくよ」
 「さすが理科準備室、なんでもそろって便利やな」
 「それよりミリ、こんなもんの中で燃やしたりして、割れたりせえへん?」
 「だったらぬらしたティッシュでもしいといたらいい。でもここにはティッシュまでは置いてないなあ」
 「ほら、わたしの使い。ほんま、ティッシュくらい自分で持っとったら?」
 「道具の準備はきみたち助手の仕事や」
 なんて事まで言ったりして。でもこんな気取りは最初のうちだけだったよ。助手の一人のチカコが、ビーカーといっしょに用意していたピペットで、おれに水をひっかけたんだ。
 「あっ、やったなー」
 おれはすぐにいつものはしゃぎ屋にもどってしまった。
 この最初の一発をきっかけに、おれとヨッシーはそれぞれピペットをふり回し、さんざん水をかけ合ってのさわぎまくりだ。
 水遊びっていうのは、やり出すとどうしていつでも、はめをはずしてしまうんだろうな。まあ、ひとたびたかぶった気分を自分じゃおさえきれないのは、どんな場合にも言える事だけど。
 ユミコだけは、部屋のすみで一人見物を決めこんでる。
 「ミリ、わたしにまで水かけたらおこるよ」
 なんて警告されても、もちろんおれはまよう事なく水をひっかけてやったよ。
 「ひどーい。もうゆるさへんから」
 どんな反撃が返ってくるかと思ったら、ユミコはおれの帽子を取っていっただけだった。ひたいにマークのない、ちょっと間のぬけた例の野球帽さ。
 「さあ、この人質がどうなってもええのなら、水でもなんでもかけてみ」
 おれの愛用の野球帽を、目深にかぶって笑うユミコ。この子のこんなしぐさを前にして、はしゃがずにいられるはずがないだろう?
 「その帽子、もうとっくにびしょぬれや」
 そしてユミコとも、さんざん水をかけ合ってさわいだよ。やっぱり気分をたかぶらせながら。
 向かってくるユミコの胸に、身をよじって逃げるユミコの肩に、かがんでちぢこまるユミコの背中に水をかけながら、おれは体がはね上がりそうなくらいに胸をドキドキさせていた。♪♪♪♪……。
 あ、この八分音符のドキドキ、ずいぶんひさしぶりだ。こんな感じ、ほんとにしばらくわすれていたな。ユミコがすっかり身近になったせいで、かえってそんなうれしさから遠ざかっていたなんて……。でも、ユミコがさらに身近になったから、だから今またこうして♪♪……。
 けれども、そんな心のたかぶりは、一瞬にしてサアーッと冷めたよ。突然ドアが開いたかと思うと、先生が大声上げて入って来たんだ。それも教頭先生が。
 立ちすくんでわれに返ると、部屋は当然水びたし。おれたち三人もしずくをしたたらせている。やばい状況だなあ……。そんな事より、そうだ! 設計図をかくさなきゃ!
 おれはあわてて窓辺に走った。つられるように、ユミコとチカコも走り出す。おれは二枚の紙をポケットにつっこんで、ふと気付くと、二人は右のドアから理科室づたいに逃げ出していた。……おれは一人とり残されてしまったんだ。
 教頭先生にどんなふうにおこられたかは、よくおぼえていない。なにしろ、二人に見捨てられた事のほうがショックだったから。とにかく、一人で三人分おこられた事だけはたしかだよ。
 最後にそうじを言いつけられ、ようやく解放されるという時になって、二人はすごすごもどって来た。間の悪い事をしてくれるよなあ。三人そろって、またあらためておこられたじゃないか。
 でもまあ、たった一人でそうじをさせられるよりはましだけど。それに、先生に見られたのが水遊びだったのも助かった。もし火遊びでも見られていたら、きっとただではすまなかっただろうな。
 設計図? そんなもの、次の日焼却炉に放りこんどいたよ。始めから手っ取り早くそうしておけばよかったかな。いや、おこられはしたけれど、それでもけっこうおもしろかったじゃないか。そう、おれはちっともこりちゃいないよ。

 バツそうじを終えて、うなだれながらもなんとなく思い出し笑いがうかぶ帰り道、校門の前でコウイチに出くわしてしまった。……やっぱり今日はおもしろくない日だ。
 「おそかったやないか。ずいぶん待っとったんやで」
 だれも待ってろと言ってないのに。
 「さ、帰ろうや。いや、その前におれトイレ。ミリハシもちょっとつきあえや」
 「な、なんで。一人で行ってくりゃいいだろ」
 「今まで待っててやったんやで。ええからつきあえって」
 コウイチのやつ、いつにもまして強引だな。おれはけっきょくトイレまでついて行くはめになった。
 「まったく、なんでぼくまで来なきゃならないんや。ああめんどくさい」
 「なんや、今日はえらいきげんが悪いな。ケンカでもしたんか?」
 「べつに。ただ先生におこられただけや。ちょっと、……勝手に理科準備室に入りこんだのを見付かってな」
 「そりゃ不運やったな」
 「おまけにユッコもヨッシーも、自分たちだけで逃げ出すし」
 「ハハハッ、それは不運どころの話とちゃうなあ。でもあんまし気にすんなや。女なんてそんなもんやで」
 フフッ。おれも力なくニガ笑い。そうしながらなにげなくふり向くと、個室のドアに野球帽が引っかかっている。あれ? これはおれの帽子じゃないか。……そうか、ユミコのやつ、こんなところに逃げこんでいたんだな。フフフッ。
 「女なんてそんなもん、か。でもなダクテン、二人ともあとでちゃんともどって来たぞ。正直ですなおなところもあるとは思わんか?」
 「アホやなあ、それこそ女の計算高いとこなんや。考えてみ。先生に顔を見られてそのまま逃げとったら、あとでまずい事になるやないか。だからその前に自首したってだけの話や」
 「なるほどな。しかも野球帽かぶったままじゃきまり悪いから、こんなとこに置き去りにして」
 フフフフッ。おれは帽子をかぶり直しながら、こみ上げてくる笑いをもうこらえきれなかったよ。
 「でもそんなもっともらしい解説なんかして、ダクテンって女についての専門家のつもりか?」
 「そうやな、少なくともミリハシよりはくわしいつもりやで。ま、女のきょうだいのおらへんやつには、なかなかわからんやろうけどな」
 「えらそうに。妹の一人や二人くらいなんだよ。イモウトじゃ、どうせヒロインにはならないぞ」
 「おまえも負けとらへんなあ」
 コウイチとからかい合いながら校舎を出ると、校門の前にはユミコとチカコがいた。……待っていてともたのまないのに、わざわざ待っててくれたんだ。
 「あたりまえやない。いっつもいっしょに帰っとうんやから」
 そう、いつも通りの四人での帰り道。でもなんだか……。
 「それより、ずいぶんおそかったけど、いったいなにしてたん?」
 「トイレでやる事っていったら、決まっとうやろ。大か小かを聞きたいんか?」
 「いらんいらん。わかった、もうええわ」
 「でもこっちはよくないぞ。おいユッコ、トイレに大事なもんを置いてきてたやろ」
 「あっ、ごめん。すっかりわすれてた」
 「わすれてたですむか。もうぜったいに、二度とこの帽子は貸さんからな」
 「早い事自首しとったら、ゆるしたったのに。なあミリハシ」
 ……なんだか、ひさしぶりに四人そろっての帰り道のような気がした。

     7月21日 木曜日

 小屋を作る計画をはじめ、将来の天文台などの構想は、じきに立ち消えになってしまったよ。なぜかというと、……なさけない話だけど、記憶したつもりの設計図を、おれがすっかり忘れてしまったせいだ。その事をコウイチにも話したら、くり返しさんざん笑われたよ。
 べつに負けおしみのつもりじゃないけど、これでよかったんだという気もする。15号鉄塔に小屋を作るというあの計画は、けっきょくは本で読んだ物語をなぞるだけのものだったんだから。おれはそれよりも、自分なりの物語を見付ける事のほうが、ずっと大切だと考えたんだ。
 それに、大きな目標が夢物語に終わった事もまた、たいした問題じゃないと思う。望みがかなうかかなわないか、結果が出るのはどうせずうっと先の話。そんな未来の事よりも、現在の事のほうがずっと大切なはずだろ? 将来への目標をかかげる事が、今この時を充実させるだけで終わるとしても、それはそれで価値あるものだったと言えるじゃないか。……やっぱりこれって、負けおしみかなあ。

 夏休み初日の午後、おれたちはユミコの家に集まった。おれとコウイチ、ユミコとチカコの四人で、どんな話をしていたかというと……。
 「二学期に転校生が来るんやね」
 「転校生って、ああ、終業式ん時に先生が言っとった話か」
 「でも、前もって転校生が来るのがわかってるなんて、めずらしいよなあ。まだ四十日も先なのに」
 「とにかく、これでおれらも新入り気分からぬけ出せるわけや。なあミリ」
 「ああ、二学期からはどうどうとできるな」
 「あんたら、どこが新入り気分やったん? とくにダクテンなんて、来たばかりのころからけっこう態度大きかったやないの」
 「言えてる。休み時間もそうじの時も、大声でヘンな替え歌ばっかり歌ってて。聞かされるこっちのほうがはずかしかったもんな。こいつなに考えてんだよって感じで」
 「でもそれやったら、ミリもひとの事言えへんよ。やっぱりふざけてばかりやったし、ちょっとなれなれしい子やねって、最初のころわたし思ったもん」
 「そうやねえ。今も変わらんけど、ミリって始めっから、えんりょっていうかひかえめなところがちっともなかったし」
 ユミコとチカコにそう指摘されて、おれはあらためて考えこんだよ。
 たしかにおれは、みんなの中にとけこむ事をひどく急いでいた。そうしなきゃならないんだというような、理由のない思いこみさえ持っていたんだ。いったいそれはなぜだったんだろう。主人公になりたいと思い続けていたからか、それともコウイチというライバルがいたからか……。
 それはそうと、おれは新しい転校生、つまり上野ヤスユキともすぐに仲間になれるだろうと、やはりなんの理由もなく思っていたよ。じっさいその予感ははずれなかったな。
 話はちょっとそれるけど、親しくなったきっかけをおぼえてるか? 二学期始めのある日、おれはマークのない野球帽になにかのシールをはりつけて登校したんだけど、このほうがウケるかなと思って、シールをひたいにはり直してヤスユキの前に出たんだ。そのころにはおれもすっかり、主人公としてきどらない、もとのおどけ者のキャラクターが板についていたよな。
 「そんな事より、そろそろおやつが食べたくなったなあ」
 このひとりごとめかしたさいそくは、コウイチのセリフだ。
 「今うちにはだれもおらへんから」
 「でも、飲み物くらいはあると思うけどなあ」
 こっちはおれのセリフ。
 「あんたらがまさかここまであつかましいなんて、わたし知らんかったわ」
 ユミコもこんなひとりごとをつぶやいたけど、飲み物よりもいいものがあるからと、おれたちを台所の冷蔵庫ヘ引っぱって行った。
 でもユミコが開けたフリーザーをのぞいてみても、目につくのは氷くらいのものだ。と、いきなりコウイチが、その氷をつまむと口に放りこんだ。思わずおれも氷をほおばり、気がつくと、二人で家の外に逃げ出していた。
 となりの公園のすべり台のかげで、口いっぱいの氷がこぼれそうになるのをこらえながら、おれとコウイチは笑い合った。
 「でも、おれたちちょっと調子にのりすぎたみたいやな」
 コウイチのこの言葉に、おれは反省よりもかえってほっとさせられたよ。お調子者のはしゃぎ屋は、なにもおれ一人だけじゃなかったんだ。
 「あの二人、今ごろおこっとうかもしれへんで」
 でも、こっちも二人ならこわくない。おれは氷をガリガリかみくだいた。
 「なかなか出て来おへんやん。ほんまにおこっとうんかなあ」
 氷もすっかりとけ、さすがに少し不安になってきたころ、ユミコとチカコはようやく家から出て来た。オレンジジュースをこおらせたシャーベットを食べながら。
 「あっ、ずるい」
 「あんたらは先に食べたやんか。これはわたしらの分」
 「あー、せめてひと口」
 「もうこれしか残ってへんもん。みんな食べてきてもうた」
 「じゃあその食べかけのでもいいからくれー」
 「アホ言わんといて」
 コウイチは、さすがにここまでヒクツにねだるようなまねはしないけど、気がすまないのは同じらしい。
 「じゃあ、そこの店にアイスでも買い行こか」
 とコウイチの提案。
 「ぼく、買い食いはしない主義なんや。まあ今日だけはつきあうから、そのかわりおごってくれな」
 とこれはおれの提案。
 けっきょく、手持ちのまったくないおれをのぞいた三人で、お金を出し合う事になったよ。でもそれで買えたのは、アイスキャンディーがたったの一つ。
 「えーっ、これだけー?」
 「カネも出さんやつがゼイタク言うなや」
 「でも四人もいるのにこれだけじゃあ……」
 「そう思って、一本で二本分ってやつを買って来たんやで」
 見るとその水色のソーダアイスキャンディーは、棒が二本ついていて、みぞの入った真ん中で半分に分かれるやつだった。ああ、これは時々政志と分け合って食べてるやつだ。
 「このアイスな、妹とよう食べるんやけど、割れ方でわずかに大きい小さいができて、いっつもケンカになんねん」
 コウイチが言うと、ユミコとチカコもうなずいた。そうか、みんなそうなんだな。いつも兄妹どうし姉妹どうしで、ケンカしながらもアイスを分け合っているんだ。
 でも今日はそのアイスを、初めて仲間どうしで分かち合う。
 コウイチが包装を開けると、チカコがアイスを取って二つに割り、一つをユミコに手渡した。ユミコはそれを一口で半分かじると、残った半分を、なんとおれの方に差し出したんだ。
 しもに白くくもったソーダアイスキャンディーの、新しい断面だけが青く光り、ユミコの歯やくちびるの形を残している。
 この時、おれはどうしたと思う? なんでもない事のように、平然と受け取って口にしたか。それとも間接キスだとかさわぎながら、おどけたそぶりでかじりついたか。……じつは、どうする事もできなかったんだ。ほんとうに、のばしかけた手を引きもどす事さえも……。
 おれは、いやぼくは、ただの気弱ないくじなしだ。これでは主人公になんてなれるわけないよな。おれ、なんて気取るのは、もうやめにしよう。
 見かねたように、チカコがもう一本のアイスと取りかえてくれた。ぼくは受け取るなりそれを一口で半分かじってしまうと、かろうじててれ笑いをしてみせたよ。
 これでみんなも、ぼくの小心さにはっきり気付いたはずだ。それなのに、だれもそれをからかったりしない。そう、まったくだれもが無言のまま、まるでなにかの儀式のように、アイスキャンディーをそれぞれ順番に口にする。コウイチが、ぼくの残りを。最後にチカコが、ユミコの残りを。
 ぼくは今になって気付いたよ。このみんなそれぞれが、自分なりの物語の中を生きているんだと。そう、それぞれが、きっと主人公でいるんだ。
 それならもちろんぼくだって、そうなれるはずだよな。よおし、これからも、ヒーローになる事、スターになる事、ずっとあきらめないぞ。
 さて、少々ものたりないかもしれないけれど、ぼくの物語はひとますこれで終わりだ。エピローグは……。
 「ちょっとダクテン、その棒見せて。あーハズレだ。ヨッシーのほうは? チェッ、やっぱりハズレか」
 「このアイスって、もともと当たりなんてないんよ。わかっとう?」
 「わかっとうけど、いちおうはたしかめないと気がすまん」
 「ミリってけっこうがめついんやねえ」
 「おいユッコ、そういう言い方はないやろ。ぼくはただ、いつも幸運を信じてるだけなんやから」
 「幸運を信じるねえ。まさにものは言いようやね」
 そうそう、ものは言いよう。そして、物語は生きよう。つまり自分の生き方しだいさ。


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