草木のささやき − 聴き手達の放課後 −


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 技術科の時間、ノコギリを手に悪戦苦闘する僕の所へわざわざやって来て、運上達は聞こえよがしにこんな話を始める。
 「今日家庭科は教室でやるらしいんだけどな、さっきの休み時間に5組の女が俺の席んとこに何か持って来てよ、『これちょっと置かして』なんて言ってんの。オカシテだってよ。俺、なんかヘンな事考えちまってよー。もうたまんねえよな」
 聞こえないふり聞こえないふり。
 「5組の女なんてブスばっかじゃねえか。運上おまえ顔はどうでもいいのかよ」
 「この際そんな事言ってられるか。首から上は関係ねえや」
 勝手に言ってろ。
 「それよりよ、もし自分があと一か月で死ぬとしたら、おまえどうする?」
 キノが唐突に話題を変えた。僕もちょっと運上の答えに気を引かれて、ノコギリをひく手を止めた。
 「残り一か月か。ならやりたい事なんでもやってから死んでやる。まず女を襲ってよー、……」
 なんだ、まだ話は続いてるのか。僕は連中に背を向けてまた作業を続けた。
 「襲うったっておまえにそんな事出来んのかよ。俺より力弱いくせに」
 「ならおまえらも手伝えよ。サカが手押さえてキノが足押さえるとか」
 「やだね。おまえはすぐに死ぬからいいぜ。けど俺達は後でヤバイじゃねえか」
 言いたい事言ってるよ。出来るもんなら女子のいる前で言ってみろっていうんだ。
 でも、思ってる事をこれだけはっきり言えるのって、ある部分うらやましい気もする。……それはそうと、女子は女子だけの時、いったいどんな話をするんだろう。菊井達なんか、けっこうカゲキな事言っていそうだな。

 教室へ戻るやいなや、僕は前田と堤にさっそくあの質問をしてみた。
 「なあ、もし自分が病気か何かであと一か月しか生きられないとしたら、二人ともどうする?」
 「一か月? うーん……」
 不意の質問に考え込む前田をよそに、堤は間を置かず答を返した。
 「私ならすぐ学校なんかやめちゃって、やりたい事出来るだけやっておきたいな」
 すると、前田も堤の意見に大きくうなずいた。
 「あ、私もそれ賛成。やっぱりちょっとの時間も無駄に出来ないもんね。最後の時に後悔しないように、やり残した事みんなやってしまわなきゃ」
 「好きな人に告白するとか?」
 堤がからかうと、前田は勢いよくふり向いて堤の手を押さえ込んだ。
 「もう、そんな人いないって言ってるのにー」
 「てれてる場合じゃないよ。ほら、もう時間がないんだから」
 二人は手を振り回してはしゃいでいる。そのやりたい事っていうのを具体的に聞きたかったんだけど、こうなるともう踏み込めない感じだ。
 「……ナオもやっぱりそうだろうよ」
 小声で言うと僕は、二人を避けるようにして窓伝いに後ろの席へ行った。
 「藤本さんは? もしそうなったらどうする?」
 「私は……、それでもきっと今まで通りだと思う。ただ、日記を詳しくつけておきたいっていう気はするけど」
 「日記? それでどうすんの?」
 「今、ほかの誰かに伝えたいと思う事を、みんな書き残しておくの。そういう時になら、どんな事でも素直に書けるように思うから」
 藤本さんも、いや、無口な藤本さんだからこそ、ひとに伝えたい事をいっぱい抱えているのかもしれない。他人に訴えたい事を、そういう時にそういう形でしか表せない藤本さんの事が、今の僕にはとても身近に思えた。
 「そういう班長くんは? もしそうなったら何をするつもり?」
 後ろから堤につつかれた。なぜだか僕は、必要以上に力強く言った。
 「思いっきりバカ正直になってやるよ。その時その時に思ってる事を、なんでもそのまま言ってやるんだ。後先の事考えなくてすむんなら、そんな事だって平気で出来るはずだろ?」

 何か気がかりな事があるとかで、放課後前田と堤は草木の見回りに出た。ちょっと興味があったので、僕も付き合う事にした。少し離れて、コッソリと。
 二人は真っすぐプール裏の二本のイチョウの木に向かった。
 「やっぱり……。ほら見てよツッツ、プール掃除の人達ったら、やっぱり水をこっちに捨ててるよ」
 「ほんと。無神経な人達」
 「洗剤とかも混じってるのに……。大丈夫と思う? 私達の木」
 「これくらいで枯れたりしないって。そんなに気を落とさないで、これからも守っていこうよ」
 前田はため息をついて力なくうなずいた。と思ったら不意に顔を上げて、今度は強い調子で話し始めた。
 「でもやっぱり許せない。掃除の水なんて排水口に流すのが常識じゃない。それを面倒がって外に捨てるなんて」
 「うん」
 「だいたいみんな、環境に対して無関心すぎるのよ。こんなひどい事をしておきながら、自分じゃなんにも気付いてないんだから」
 「そうだよね」
 「自然を壊せばいずれ自分達が困るのに、それがどうして分からないんだろう。ほんと、ばかな人達」
 僕はそっとその場を離れた。立ち聞きなんてばかなまね、するんじゃなかった。
 前田の言う事は確かに正しい。それでもやっぱり、陰で他人の悪口を言うのは良くないと思う。長崎や五十嵐への陰口を聞かされた時のあの不快感が、僕はまだ忘れられない。もちろん、僕が運上達の事を悪く言うのも間違いだったと、今なら思う。
 でも一方では、前田があんなふうに憤る理由も分かる気がする。いつもただ消極的に見回るばかりで、ほかには何も出来ない自分自身に対するいらだち、そんなものも含まれているんだろう。同じ聴き手の仲間として、そういったもどかしさ、いらだたしさは、僕にもよく分かる。
 これから先僕は、そして前田や聴き手の仲間達は、いったいどうやっていけばいいんだろう。仲間うちで他人の批判をしていたって、どうにもならない。それだけは分かった。本当に、自分達の思う事を真っすぐ表現出来るといいのに……。

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 「ねえねえねえ、長崎さんと五十嵐さんの二人、今度は古谷さん達の仲間に入ったらしいよ。そのグループの名前知ってる? あのねえ、おべんじょこおろぎの会って言うんだよ。フフフフ」
 いつものように放課後のひと時、今日も前田のおしゃべりが始まった。
 「おべんじょこおろぎの会? なんだそりゃ?」
 すっとんきょうな声で伊藤が聞き返すと、前田はやけに楽しそうに説明を始めた。ほんと、ひとの事話すのが好きだよなあ。
 「休み時間なんかにね、一緒にトイレに行こうっていう会みたい」
 「でもなんで女って、いっつも集団で便所に行くんだ?」
 それは僕も前から不思議に思ってた。けれど前田はその質問は無視して話を続けた。
 「その会の入会テストって知ってる? まず一つめがトイレの中で深呼吸するっていうのでね、二つめがすごいの、手洗い場の水道でうがいをするんだってえ」
 前田はまた声を立てて笑い出した。まあこんな話なら笑ってられるけど、やっぱりその場にいない相手を話題にするのは、注意した方がいい気もする。
 「で、あの二人、ほんとにうがいなんかやったのか」
 またまた伊藤の質問。
 「知らない。やったんじゃないの?」
 前田の口調は急に冷たくなった。トイレの話題にやたら興味を示す伊藤にあきれたのか、それとも誰にでもへつらう長崎達の事を軽蔑しているのか。
 「でもトイレの事になると男子には分からないと思うけど、女子の人達ってほんとひどいんだよ。水をすっごくムダにするの。ほとんどの人はまず入ったらすぐ水を流すでしょ、あとはもう出るまで流しっぱなしにする人もいるし。ほんともったいないよねえ」
 「なんでそんな事を?」
 僕も気になってたずねてみたけど、前田はやっぱりそれには答えず話を続けた。
 「私やツッツは絶対そんな事しないよ。でもほかの人達ってほんと無神経なの。水を大切にっていう考えなんて、全然持ってないんだから」
 前田の憤りもまあ分かる。でもこんなふうに仲間うちで他人の批判をしていると、孤立感がつのるばかりなのに……。
 「先生に言って、張り紙でもしてもらおうか」
 「水を大切に、とか? そんな事くらいで効くとは思えないけど」
 「でもここでただ文句言ってるよりはましだよ」
 「そうだけど……。それはそうと班長くん、……藤本さんの事どう思う?」
 前田は少し声をひそめるようにして言った。
 「どう思うって?」
 僕は後ろの席を見た。藤本さんは今日も先に帰ってしまって、席は空っぽだ。
 「私達、ちょっと困ってるんだよね。藤本さんって前からどこか不熱心だったでしょ。あの人もともとおとなしい性格だから、それもまあ仕方ないかもしれないよ。でも最近はなんていうか、私達の話もちっとも聞いてないような感じなんだもん」
 僕はひそやかな前田の言葉にうなずきながらも、そのうなずくだけの事さえ藤本さんに対して悪いような気がした。
 「とにかく全然協力的じゃないの。なんか自分一人で難しい事考えてるみたいな態度でね。そのくせ何考えてるのか分かんないような事するし」
 「何?」
 「ほら、あれ」
 前田は教室の前を指差して僕をふり向かせた。花びん?
 「あの花いったい誰が持って来たと思う? 藤本さんだよ。庭に咲いた花を持って来てるんだって。私信じられない」
 「何が?」
 「何がって、せっかく咲いた花を切って持って来るんだよ、あの人。なんでそんな事するの?」
 「だから、きれいに咲いたからクラスのみんなにも、って思ってるんだよ、きっと。藤本さん花が好きらしいから」
 「花が好きだったら、それを切るなんてひどい事が出来る? ほんとに好きならそっとしておくのが普通でしょ? 違う? 切ってまで持って来る事ないじゃない」
 ……僕には分からなくなった。花が好きというのがどういう事なのか。植物を大事にするというのがどういう事なのか。前田の言い分、藤本さんの行い、いったいどっちが正しいんだろう。
 「やっぱり私、あの人の考えてる事分からない」
 僕を含めみんながいつまでも黙ったままでいると、前田はもう一度そう繰り返した。
 「でも、だからってそんな事僕らに言ってもしょうがないよ。そう思うんなら本人と直接話した方がいいんじゃない?」
 どちらが正しいかはともかく、その場にいない相手を非難するのはフェアじゃない。
 「せっかく今まで一緒にやってきたんだし、そんなふうに決め付けてしまわないで、よく話し合った方がいいよ」
 「でも私、今度あの人が花を切って来たりしたら、もう絶対に口きかない」
 「…………」
 前田に言い聞かせる事なんて、僕にはとても出来そうにない。

 翌日、藤本さんは僕ら聴き手の仲間から抜けていった。それははっきりとした意思表示があっての事じゃない。ただなんとなくそんなふうになってしまったんだ。その日の朝、藤本さんが新しい花を花びんに差した事で。

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 そしてこの僕もまた、聴き手の仲間から離れる事になってしまった。やはり自然にそうなった。最後まで藤本さんの肩を持った事で前田と気まずくなってしまったし、それになんといっても、僕は以前ほどこの会の活動に熱中出来なくなっていたから。
 聴き手の会は、じきに自然に消滅した。ナオも伊藤も、それを前田に近付く口実にするつもりもなくなったようだから。そんな不純な動機で始めた事が、もともといつまでも続くはずはない。
 前田と堤だけはあい変わらず、自分達の木にそっと話しかけるといった事を続けているらしい。あの二人は結局……、言うまい。言えば悪口になりそうだ。
 それでも会えば以前と同じように、二人とはおしゃべりをしたりもしている。それはちょうど、菊井達と顔を合わせればいつもケンカになるように、習慣みたいなものかもしれない。もっとも、休み時間のたびにあの窓辺へ行くという習慣だけは、やめてしまったけれど。……陽が射すと暑いからな。
 べつに教室は居心地悪いとか、あの二人の近くには居づらいとか、そんなのが理由じゃないけれど、最近僕はいつも廊下の窓辺にいる。陽が射さないうえに風通しもいいし、夏になればここの方がずっと居心地がいいんだ。たまに運上なんかが、わざとらしくぶつかってくるのがわずらわしいけど。
 「おっと悪りい、俺タイセキチがどこか知らねえからよ、真っすぐ歩くつもりが曲がっちまうんだ」
 こないだの地理の時間、日本の裏側はブラジルだとみんなが言うなか、僕一人が日本列島の対蹠地はアルゼンチン沖と言い張った。連中はいち早くそれをからかいのネタにしている。まあ、印刷物の薄っぺらな知識をひけらかしていた僕も悪かったんだろう。もう何を言っても無駄なようだし、ほっておくしかないだろうな。
 校舎裏の桜の木を見下ろしながら、僕は何度も繰り返し考えてみた。聴き手の会の、何の成果もなかった活動の事を。いったい僕らは何をすべきで、そして何をすべきではなかったんだろう。
 植物を守ろうという僕らの考えには、間違いはなかったはずだと思う。ただそれに行動が伴わなかったのが、そもそものつまづきの原因だったのかもしれない。自分達の考えに自信があるなら、堂々と周囲に働きかければよかったんだ。子どもじみてると思われる、なんて恥ずかしがったりしないで。
 それとも、木や草のかすかなささやきを聴く事が目的なら、やっぱり仲間うちでそっと続けた方が良かったんだろうか。今前田と堤がやっているように。植物を守ろう! なんて声高に叫んだりしていたら、かすかなささやきなんてかえって聞こえなくなるのかもしれないから。
 それにたとえ周囲に訴えるにしても、いくつかの方法があっただろう。たとえばあからさまに間違いを指摘すれば、反感をかうだけだし、おおげさな運動をいきなり広めれば、からかいの的になるだけだ。そう考えると、教室に花を飾る事から少しずつみんなの意識を変えていこうとする、そんな藤本さんのささやかな運動も、間違ってはいないような気がする。

 放課後、僕は今もナオや伊藤と一緒に帰る。これもまた、習慣みたいなものらしい。
 聴き手の会なんて、分裂するのが正しかったんだ。あんなふうにコソコソとゴミ拾いをするだけの会なんて。それでいて、自分達の無力さを認めたくないばっかりに、仲間うちで周囲を批判しては自分達の正当性を強調しようとしていた。そんなのは間違いだったと、僕も今ならはっきり思う。
 そもそも、始めた動機からして不純だったじゃないか。ナオや伊藤ばかりじゃなく、この僕にしても。部活にも入らないでさっさと帰る事のうしろめたさ、それをまぎらわすために始めた活動だからな。
 ……いや、そうじゃない。そう、それだけじゃなかった。
 僕は二人と別れると、早足で家へ帰った。
 部屋の片隅には、今も百科事典が積み重ねられたままになっている。僕はカバンを置くと、それを一つ一つ本棚へ戻した。
 一番下の一冊をそっと開くと、出てきた、あの花が。
 あんなにも鮮やかだった青い色は、いつの間にかすっかり薄れていた。薄茶色の細い脈が浮き上がり、浅い紫に変わった花びらをいくつにも区切っている。
 花は色あせてしまったけれど、でも僕は今、あの日の事を鮮明に思い出した。
 僕達はもっと、自分に自信を持ってもいいんじゃないだろうか。いろいろと間違いはあったけれど、花を救いたいというあの最初の気持ちだけは、間違っていなかったはずだから。
 これから先も僕らは、いくつもの間違いを重ねるかもしれない。でもせめて、そんな気持ちだけは忘れないでいよう。そうすればきっと、いつかはその思いにふさわしい行動がとれる日もくるだろうから。
 僕は押し花をページにはさんだまま、百科事典の最後の一冊を本棚へ戻した。

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