陽光の虹 月光の虹 − アポロンとアルテミス −


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   3 虹と弓

 昼休み、まだ給食を食べ終えていない秀樹の席へ、知子が記録用紙を持って来た。
 「はい、持って来てあげたよ。ほんとにカッチは食べるのおそいんだからあ」
 「ああ、サンキュー」
 今日は気象観測クラブの、秀樹の記録当番の日だった。
 「じゃあわたし、先に白い家に行ってるからね」
 最近知子は百葉箱の事を、芝生の庭の白い家などと呼んでいる。クラスメイトが笑ってもおかまいなしだ。
 そんな知子のはしゃぎぶりは、秀樹にとっては楽しくもあり、またてれくさくもあった。そして知子の方は、とまどいながらも話を合わせてくれる秀樹の態度を、いつも嬉しく思っていた。
 「ねえ、今日は冬至なんでしょ?」
 「そうだよ」
 「もうじきクリスマスね」
 「なんだ、冬至そのものにはなんにも思わないのか」
 「だって……。クリスマスのほうが楽しみじゃない。カッチだってそうでしょ?」
 「でも冬至だって特別だよ。今ごろには、昼間ににじが出る事だってあるんだから」
 「えっ、そうなの?」
 「にじは太陽の反対側に出るだろ。だからいつもは朝や夕方にしか見れないけど、今ごろは太陽が低いから、真昼ににじがかかる事だってありうるんだ」
 「へえそうなんだあ。そんなにじも見てみたいなあ。でもカッチ、最近にじを見ないと思わない? むかしはもっとよく見たような気もするけど」
 「小さいころは、空を見上げればいつでもにじが見えたとか? そんなはずないって。意識しすぎるからそんな気がするだけで、もともとそんなもんだよ。いつかモコも言ったじゃないか。かすかな光は、じっとみつめるとかえって見えなくなるとか。それとおんなじ事さ」
 「そうかもしれないけど、でも、いつか二人でいる時ににじを見てみたいね」
 秀樹は黙ってうなずいたが、知子はさらに返事を期待するようなまなざしを向ける。秀樹はやはり黙ったまま、胸ポケットのボールペンを知子に差し出した。
 ボールペンを受け取った知子は、その中に虹を見付けようと軸のプリズムをじっとのぞき込んだ。秀樹は知子の髪のヘアバンドの、その白い半円にぼんやりとした視線を据えた。
 「……でも、やっぱりこんなのはちがうな。はい、ありがと」
 知子は秀樹の胸ポケットにボールペンを素早く戻した。
 「それじゃあね、カッチはにじがよく出るのはどこか知ってる?」
 「さあ。どこ?」
 「あのね、ハワイなんだって」
 「へえ、初めて聞いた。でもハワイなら、なんだかアルテミスのにじも見られそうな気がするな」
 「カッチもそう思う? そう。これはもう行き先はハワイに決まりだね」
 「なにが?」
 「……ハネムーン」
 「…………」
 「……それとも、またありきたりだなんて言う?」
 秀樹には、そんな知子の言葉や、笑顔の合い間に見せた一瞬の真顔の真意が、分からなかった。
 (あんな目をしてみせたのもふくめて、みんなじょうだんに決まってるよな。そう気にする事ないよ)
 そう解釈して自分自身に言い聞かせると、秀樹は軽い口調で返した。
 「ぼくとしては、ギリシャなんかもいいと思うけどな」
 「それもいいね。うん、行き先はカッチにまかせちゃう」
 「オーケー」
 秀樹は、自分にとって知子は空想の物語の中での相手に過ぎないと考え、またそれでいいのだとも思った。
 「来年の春にはもう六年生ね。カッチはクラブはやっぱり気象観測にするでしょ? わたしもそのつもりだけど」
 「そりゃあもちろん。六年になったって七年になったって」
 「フフッ。あ、それでわたし前から気になってたんだけど、カッチの名ふだはどうしてみんなのと少しちがうの? わたしたちの学年はほら、こういう濃い赤なのに、カッチのは朱色って感じだよね」
 「ああこれ? これは太陽のしるしさ。なんて事はなくて、じつは学校に入る前に、べつの店で買っちゃってたんだ。サイズもちょっと大きいけど、でも似てるからそのまま使ってもいいやと思って。先生もなにも言わなかったしさあ」
 「なあんだ、それだけの事だったの? なにか意味でもあるのかと思って、わたしずっと気にしてたのに」
 「そうか、しまったなあ」
 「え、なにが?」
 「くだらない理由を言うんじゃなかったよ。知らなかったらモコはずっと気にしてくれてただろ? モコにはぼくの事、ずっと気にしててほしいからなあ」
 冗談めいた秀樹の言葉も、知子はまじめに受け止めた。
 (ふざけるように言ったのはてれくさかったせいで、今のはきっと本音よね。そうに決まってる)
 知子は自分の願望そのままを、自分自身に信じ込ませた。
 「心配しないで。わたしなにもカッチの名ふだの事だけを、気にしてたわけじゃないんだから」
 「へえ、あとほかになにがあるかなあ」
 「カッチだってわたしの事、……でしょ?」
 知子は、いつか秀樹が自分に対する気持ちを、もっとはっきり言葉にするのを期待した。
 「そうだ、アポロンとアルテミスの物語、第八話が書けたよ。モコにも読んでもらおうと思って、持って来てたんだった」
 「そうなの? じつはわたしもね、カッチにわたす物があるの。ほら、クリスマスカード。それも放課後にね」
 二人はそれぞれ百葉箱の左右の扉をゆっくり閉めると、芝生を踏みしめ校舎に戻った。


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