雪来れば − 黒い帽子 赤いリボン 1 −
中央広場 >
書斎パビリオン入り口 >
雪来れば
勇太ユウタ
いつまでも騒ぎ立てる目覚まし時計の息の根を止め、寝返りをうってもう一度まどろみかけた時、
「おにいちゃん、すごいすごい、おにわがまっ白よ」
いきなり萠が部屋に飛び込んで来た。俺は思わず眠気を跳ね飛ばし、体を起こして聞き返す。
「雪? 雪か。どれくらい積もってる?」
「んーとね、70……80……、だいたいこれくらいかな」
萠はまだ小学一年で、長さの単位などとっさに分からない。言葉に詰まると、いつも動作で示してみせる。前へならえのポーズでまっすぐ伸ばした両手の間は、だいたい……70センチ!
「そんなに? ウオッ」
俺はベッドから飛び出し窓に走った。そしてカーテンを破かんばかりの勢いではらいのけ、……ガックリきた。外は雪で真っ白なんて、そんなの真っ赤なウソだ。向かいの家の屋根が白いのは、ただの霜。そうだよな、考えてみりゃいきなり70センチなんて積もるわけない。ため息をつくと、窓ガラスまでが白けた。
そうだった。小学生の頃から、冬の朝はいつもこうだったっけ。なかなか起きようとしない俺に母さんは、
『勇太、雪がすごいよ。起きて見てみなさい』
なんて言っては俺の眠気をまんまとはぎ取った。それがいつもウソなら俺も無視すんだけど、たまにマジだからタチが悪い。あーあ、今年もまた冬じゅうずっと、こんな起こされ方をするのかね。
ふり返ると、萠は俺が跳ね飛ばしたふとんをベッドの隅に寄せている。退路を断ったな。まったく、母さんのやる事をいちいちよく見てるよ。
「萠、だましたな」
「だってママが、おにいちゃんおこしてきてって」
「だからってウソつく事ねえだろーが」
「だって、雪だって言わないとぜったいおきないんだもん」
「…………」
「でもね、きょうはほんとにふるって。テレビでだるまさんマークが出てたよ」
「なんだ? 70か80ってのは降水確率か?」
「さ、いったんおきたらグズグズしてないで、早くしたくなさい」
これは母さんの口まねだ。萠のやつ、ついこないだまで俺の後にくっついてなんでもまねしてたくせに、最近は母さんの方に弟子入りしたらしい。今では師匠の母さんをもしのぐ口うるささだ。舌たらずな声でのオバサン口調は怒る気にもならないが、六つも年下の妹になめられるのはやっぱ面白くない。
そういや萠は、春にもこんな事を言ったっけ。
『おにいちゃん、おんなじ一ねんせいどうしがんばろうね』
……けどまあ、それも仕方ないよな。俺は中学生になったってのに、去年までとちっとも変わらないんだから。雪、の一言で跳ね起きたりして。……でも、なぜそうなんだろう。
雪と聞くとその瞬間に、俺の中でもやついている何かが、いきなりキシッと定まる気がする。ちょうど、ふりまいた鉄粉が磁力線を描くように。そうすると現在かかえている不満も悩みもみな消えて、小さい頃そのままのうかれ気分だけで目が覚めるんだ。
誰でもきっと思い当たるはず。そんな物を必ず一つは持ってるはずだ。ああ、なにもそれは物とは限らない。人によってはそれは何かの曲だったり、ある場所だったり、あるいは身近な誰かだったり……。そして俺の場合、たぶん雪がそれなんだろう。このぶんだと俺、いくつになっても雪、の一言で小学生に戻って跳ね起きるかもしれないな。
「ほらあ、おにいちゃん早く。きがえたらすぐにおりて来るのよ」
萠が閉めかけたドアから首だけのぞかせて言った。
「分かってるよ、小さな母さん」
萠もえ
うわあ、ほんとにふってきた。雪だ雪だ。うれしいなあ。
一人っきりの川原の帰り道、まわりにはだあれもいない。なんだかわたしだけのためにふってくれるみたいに、雪はどんどんおりて来る。
おともだちがいっしょにいたら、こんなときはスキップしたり歌ったり大さわぎするんだけど、今はわたし一人だからおとなしく雪とあそぶの。でもうれしいのはおんなじだから、おねがい、雪さんもっとふってね。
うわあ、ほんとにいっぱいふってきた。すごいすごい。
手をさしのべたら、雪はよろこんでわたしの手のひらに来てくれる。ちょっといじわるしてはらったりしてみても、やさしい雪はちっともおこらない。はんたいに、ふざけてわたしのおはなの先にのったりするの。
でもこうして一人でじっと見ていたら、雪って楽しかったりきれいだったりするだけじゃなくて、なんだかすごくふしぎなかんじ。どんどんどんどんやって来て、それがみんなどこかへきえちゃう。雪ってなんだか、べつのせかいから来るみたい。
そうだ、おにいちゃんも朝ごはんのときにふしぎなことを言ってたね。雪には人をこどもにもどすまほうがあるって。あ、まほうとは言わなかったかな。でも、雪がふるとおれはいきなり萠とおないどしくらいになっちまう、なんて、それがほんとだったらやっぱりまほうよね。なんかおもしろいな。おにいちゃんがわたしくらいになるのなら、わたしはどれくらいまでちっちゃくなるのかなあ。
うわあ、うわあ、雪がどんどんおっきくなる。ぼたん雪だあ。
ほんとおっきなぼたん雪。りょう手でうけとめて顔をよせると、すきとおったこおりのもようがいっぱいあつまって見える。きれい……。でも、こんなのはけんびきょうじゃないと見えないはずよね。雪ってこんなにおっきくなるの? ちがう。これはきっと、わたしのほうがちっちゃくなったんだ。おにいちゃんの言ってた、雪のまほうだ!
プワッ、プワワワン。わあびっくりした。くるまのクラクションかあ。ふりかえると、遠くの橋の上をダンプカーが走ってる。わあっ、ダンプもミニカーみたいにちっちゃくなっちゃった。見回したら、田んぼの向こうのおうちも手のひらにのっちゃいそう。川の向こうにはえてる木もかわいくって、あんなのはちうえにしておへやに一本ほしいな。
雪はまだまだおっきくなる。ちがった、わたしがちっちゃくなってるんだ。……でも、なんだかさむくなってきた。これもちっちゃくなったせいかなあ。ねえ、わたしはどこまでちっちゃくなるの? このままじゃ、そのうちきえちゃう……。
うわーん、どうしよう。雪のまほうがそんなにこわいものだなんて、わたし知らなかったのよう。もうゆるして。
きっと、一人で雪とあそんじゃいけなかったんだ。雪を一人じめにしたりしたから、わたしは雪につかまったんだ。ああどうしよう。
見回したら、遠くの橋ももう見えない。田んぼもおうちも、向こうの木も、みいんな白くきえちゃった。雪たちにまっ白くとりかこまれて、わたしもこの雪たちといっしょにきえちゃうのね。雪の帰っていくところに、わたしもつれていかれるのね。
ふるえながらしゃがみこんでいたら、まっすぐの道の向こうに、ちっちゃな黒い人かげが見えた。たすかったあ。もう一人じゃない。わたしは立ち上がって空を見上げた。まだ雪はふってくるけど、もうだいじょうぶ。ほら、おりて来る雪をみつめていると、わたしの体は引っぱり上げられるようにグングンのびていく……。
「萠、何してんだ」
「おにいちゃん!」
さっきのちっちゃな黒い人は、学生服のおにいちゃんだったんだ。でも今はそのおにいちゃんも、ちゃあんと見上げる大きさにもどってる。
「こんなとこで寄り道すんなよ」
「あっちから来たのおにいちゃんだったの? さっきはポケットに入りそうなくらいちっちゃかったから、わたしわかんなかった」
「フッ、そんなふうに見えたか。雪ん中じゃ距離感なくなるからな」
「おにいちゃんも一人っきりで歩いて来たんでしょ? だからだね」
「それよりフードくらいかぶれよ。頭ぬらしたらカゼひくぞ」
おにいちゃんはわたしにフードをかぶせてくれて、かたの雪まではらってくれた。あれえ、おにいちゃんがこんなふうにしてくれるなんておかしいな。まるでパパみたい。
「ねえ、ほんとにおにいちゃんなの? ほんとうは、雪のまほうでちっちゃくなったパパじゃないの?」
「何言ってんだよ、兄ちゃんだよ。おれは長谷川勇太。決まってるだろ」
ふうん、ほんとかなあ。もしかして今ごろおうちでは、わたしとおないどしくらいになったおにいちゃんが、まっているかもしれないよ。
「ほら、帰るぞ」
「はーい、ちっちゃなパパ」
次の作品へ
パビリオン入り口へ