風にまかせて − モンゴルに見た輝き 6 −


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     1 グリーンシープ

 五月のある日、夜勤明けの僕は、夕方近くになって起き出した。窓を開けると、雨はまだ降り続いていた。
 そろそろ新しい自転車が届くはずだ。入荷したので翌日届けますと、昨夜のうちに店から連絡を受けている。
 自転車より先に、ヒロくんが遊びに来た。テスト前だろうに、まったくのん気な中学生だ。
 だがいいところに話し相手が得られた。これは輪行仕様といって分解しやすい構造になっているんだと、僕はカタログを広げながら、自転車の説明を熱心にまくし立てた。
 思えばこないだから僕は、会う人ごとに吹聴している。自転車同好会の主催する、内モンゴルサイクリングへの参加を決めた事。そのために、分解し空輸可能な自転車を新調した事。さらにはその資金かせぎのために、バイトで夜勤を始めた事も。
 トラックが停まった。ヒロくんと、先を争うように外に飛び出した。店の人が、荷台から自転車を降ろしてくれている。
 カタログの写真などではない、本物の自転車との、初めての対面。
 ダイヤモンド型フレームに、ドロップハンドル。シンプルなスタイルは美しい。だが何よりも、このフレームの色が気に入った。メタリック調のオリーブグリーン。落ち着いていながらもなお、まぶしいほどにみずみずしい。細かい雨滴をちりばめ輝く姿に、僕はしばしの間みとれた。
 さあ、さっそくグリーンのフロントバッグを載せよう。グリーンのサドルバッグもある。そしていずれは、さらに遠くへ行く日のために、サイドバッグやパニアバッグもそろえよう。もちろんグリーンに統一して……。
 「ねえ、前の自転車はどうする?」
 ヒロくんの質問に、僕は現実に引き戻された。
 「どうするって、そりゃ乗るさ。近所に出かける時とかに」
 「なあんだ、まだ乗るのか。欲しかったのに」
 コラ、ちょっとあつかましいぞ。

 自転車同好会の人達は、日曜日ごとに集まっては練習走行をしているらしい。自転車を手に入れたからには、僕も参加するべきだろう。
 前夜に苦労して梱包した自転車を抱え、5月最後の日曜日、僕は集合場所の明石へ向かう電車に乗った。
 公園入り口で、また苦労して自転車を組み立てる。その間に続々と集まる、見知らぬサイクリスト達。
 なんだか不安になってくる。僕は集団で走った経験がない。もっとも、そのための練習走行でもあるはずだ。他人のペースを乱さないため、僕は最後尾についてゆっくり走った。
 メンバーの中には、神戸の震災を全国に伝えるため自転車で日本一周した、あの小学生兄弟も加わっている。二人もやはり力を持てあましているのか、休憩時間もそこらを走り回り、かたときもじっとしていない。
 「きみ達の事、じつはまだ見分けがつかないんだ」
 ウェアはもちろん、ヘルメットからシューズまでおそろいの二人に、僕は声をかけた。
 「黄色と青、違うのは自転車の色だけだもんな。いったい、どっちがどっちだい?」
 すると、黄色い自転車に乗った方が答えた。
 「こっちがイエロータイガーだよ」
 「?」
 「トラ年生まれだから、そう名付けたんや。それであっちがブルースネーク」
 「つまりヘビ年生まれだから?」
 「そう」
 なるほど、イエロータイガー号にブルースネーク号か。まず自転車の紹介とは、さすがサイクリストだ。
 だから僕も、こう自己紹介した。
 「ヒツジ年生まれだから、グリーンシープと呼んでくれ」
 あらためて見直せば、白いバーテープを巻いたドロップハンドルは、確かにヒツジのツノに似ている。

 帰り道では、一部区間でフリーランが行われた。ずっと他人のペースで走ってきたストレスの解消に、号令に合わせて僕も飛び出した。
 この半日の走行で、新しい自転車はすっかり体になじんだ。ハンドルの感触もサドルの位置にも違和感なく、ペダルも足の下で軽やかに回る。それにつれ、路面が、周囲の風景が、なめらかに加速して後方に流れる。すべてが無理なく、自然で、心地良い。
 だが、フリーランの結果は2秒差で2位。サイクルウェアに身を固めた女性が1位だ。セミプロを相手に挑んだところで、最初からかなうわけがない。しかし全力を出し切って走れただけでも、僕は満足だ。
 この全力疾走によって、新しい自転車は完全に、体の一部として自覚できるまでになった。
 やがて、後続の自転車が走り込んできた。3位と4位はなんと、大人達をさしおいてあの小学生兄弟だ。
 「2位がグリーン、3位がイエローで4位がブルー、見事に三色そろったな」
 いいコンビになれそうだ。


     2 キャタピラー

 練習会では、およそ50キロほどの距離を走っている。もっとも僕個人としては、さらに50キロほど余分に走っているが。
 あの練習会初日の帰り、また自転車を分解して電車に乗るのが面倒で、僕は衝動的にそのまま家を目指して走り始めた。その結果、山の中で道に迷い、帰り着いた時には倍の距離を走っていた。
 二回目以降は迷子はまぬがれているものの、行きと帰りと往復を走るので、結局は倍の距離となる。
 しかしとにかく、これで体力的には問題のない事が分かった。残る僕の課題は、自転車の分解手順の習得だろう。
 自転車を輸送するには、分解して輪行袋に収納する必要がある。団体旅行で周囲に迷惑をかけないためにも、作業時間の短縮は僕にとっての最重要課題だ。
 最初に明石に行くために分解した時には、50分もの時間を要した。

 誰もが最初は素人だ。作業手順は練習を重ねる事で、身体で憶えてゆくしかない。さあ練習を始めよう。
 まずフロントバッグとサドルバッグをはずす。そしてフロントキャリアも取りはずす。
 キャリアを固定するボルトとナットのうち、すべてのナット側をエポキシパテで固定した。この改造により、ボルト側だけで着脱が可能になった。ほかの箇所も、不便に思えばその都度改良してゆくつもりだ。
 ホイールをはずす準備として、ブレーキシューを広げる。前後ともカンティレバーなので、引っかけたワイヤーをはずすだけですみ、簡単だ。
 ついでにブレーキレバーからもワイヤーをはずす。逆さに立てる際、ワイヤーを折り曲げないために。
 サドルとハンドルに手製のカバーをかけ、車体を逆さに立てる。そして前後のホイールをはずす。クイックレリーズが採用されており、これも簡単に行える。
 ダイナモからのコードをコネクタで切り離し、マッドガードをはずす。後ろは単純な支持で簡単にはずれるが、前はキャリアを載せるためヘッドにガッチリ固定され、少々やっかいだ。この部分もなんとか改造したいところだが。
 あとはペダルとスタンドをはずせば分解完了。袋が大きいので、ハンドルや前フォークまで分解する必要がないのは助かる。
 つまりおおまかに言えば、ただ前後輪をはずすだけの事だ。しかしただそれだけの事に、今回もやはり45分を要した。
 フレームをはさみ込んで二つのホイールがしばり付けられ、袋に収納されている様子を見るうちに、昆虫のサナギが思い浮かんだ。飛び立つ日を待ちつつ眠る、これは自転車のサナギ。
 それ以来、僕は内心、自転車を分解して収納する事を「蛹
よう化」、取り出して組み立てる事を「羽化」と呼んでいる。

 夕方、児童館からの帰り道、僕は路上をはいずる一匹のイモ虫に会った。キアゲハの終齢幼虫だ。
 食草を離れているのは、サナギになる場所を探すためだろう。なんという偶然。僕はこの幼虫に親近感を覚え、家に連れ帰った。
 案の定、母親はイヤな顔をする。僕はへたな言いわけをした。
 「だってほら、今日はムシの日だし」
 本当は、ムシバの日らしいが。

 4日。幼虫は十数分に一度、思い出したように動き回っては、やがてまた動きを止める。蛹化する場所を決めかねているようだ。
 5日。入れてやった枝も気に入らないらしく、やはりぎこちなく動き回っている。だが夕方には、かぶせた袋の内側に落ち着き、動かなくなった。
 6日。昨日の位置から動いていない。足をはずして自らの掛けた糸にもたれ、頭を内側に丸めている。「前蛹」の状態に入った。
 7日。早起きしたが、すでに蛹化は終わっていた。幼虫の皮を脱いだばかりのサナギは、翡翠色に軟らかく透き通っている。だが練習走行から帰った夕方には、すでに夏草色に固まっていた。
 8日以降。目に見える変化は特にない。だが内部は刻々と変化しているはずだ。羽化の時まで、約2週間。
 その間に、僕も自転車のサナギを作り変える事にした。
 飛行機を利用して自転車を輸送する場合、空港で手荒に扱われる事を考慮して、壊れやすい部分を保護しなければならない。段ボールや布を使い、僕は緩衝材作りに取りかかった。
 自転車のサナギもまた、徐々に変化しつつある。

 そして2週間が経過した。
 僕は「蛹化」と「羽化」の練習を重ねた。自転車の部品の一つ一つが、今やすっかり指先になじんだ。
 だがキアゲハのサナギの方には、今も変化が見られない。羽化が近付けば、羽根の色が透けて黒く変わってくるはずなのに、依然として緑色のままだ。
 どうやら幼虫はあの時すでに、ハチに寄生されていたらしい。もう決して、羽化する事はないだろう。
 僕は自転車を、30分ほどで蛹化させ、羽化させられるまでになった。
 キアゲハのサナギは、今も緑色のまま眠り続けている。


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