風にまかせて − モンゴルに見た輝き 6 −


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     5 フライト

 コーベ・シティエアターミナル。K-CATと略される。ポートアイランドにあるこのターミナルまで、母の車で送ってもらった。
 ここから空港までは、高速船で30分もかからない。少し早過ぎたようだ。だが見回せば、僕と同様大きな輪行袋を抱えた人影が一つ見える。
 それはブラックだった。なんだかむやみに嬉しくなった。まさか僕ほどの慌て者が、もう一人いたとは。まさかこんなに早くから、旅の同行者を得られるとは。
 普段、独りきりの時ならば、旅立ちにおいては期待と共にかすかな緊張も抱くものだが、同行者とおしゃべりしながら過ごす時の中では、期待感だけがふくらんだ。船窓越しに見上げる、次々と上昇しては雲間に消えゆく機体が、その感情をさらにあおり立てる。
 (数時間後には、俺も雲の上だ……)
 高揚感の中で、僕は旅の始まりを実感していた。

 二時間前。集合場所には当然まだ誰もいない。僕は手すりに輪行袋をつなぎ止め、身軽になってブラックと共に散歩に出た。
 一時間前。集合場所にはやはり誰もいない。ただ、僕の輪行袋の周りには、いくつかの輪行袋が増えている。
 そして集合時間。バードが来ている。イエローとブルーの兄弟もいる。気の合う同行者を大勢得て、これから始まる旅の間、決して空虚な時間などありえないだろう。
 同行者がさらにもう一人現れた。女の子が駆け寄って来て、僕に笑いかける。一瞬僕はとまどった。その子が髪を切った舞鶴姉妹の姉だと気付くまで。
 無理もない。僕はまだこの子とは、二度しか会っていないのだから。それに女の子というものは、髪形一つ変えただけで、表情一つ変えただけで、すっかり見違えてしまうものだ。そう、この子のこんな親しげな表情を目にしたのは、この時が初めてだった。
 一方妹の方はあまり変わった印象はないが、部屋割り名簿にMrと記載されている事をからかうと、プッとほほをふくらませた。この子がこんな表情を見せたのも、やはり初めてだと思う。

 飛行機の座席は窓際だった。だが何よりも、気の合う仲間と近い席になった事が嬉しい。となりにはオックス、そしてその向こうには、舞鶴の姉。オックスはあい変わらずおとなしいが、姉の方とは話がはずんだ。うかれ気分を離陸の興奮にまぎらせたが、それでも僕のはしゃぎぶりは、やはり不自然に見えただろうか。
 オックスはやがて寝入ってしまったが、その頭上を越えて、僕らのおしゃべりはいつまでも続いた。
 大阪から北京への飛行が、今日ほどあっけなく思えた日はなかった。窓の外の景色が、今日ほど精彩を欠いて見えた日はなかった。

 バスは北京の夜を走る。僕は依然、舞い上がったままでいる。
 兄弟とバードは班分けで1号車に乗り込んだが、ブラックにオックス、そして姉妹は同じ2号車の乗客となった。僕らは自然に最後部に並んで座った。
 レストランでの夕食も、一つの丸テーブルを僕と未成年組とで占拠した。
 姉妹のとなりに座りながら、僕はいつにも増しておしゃべりだった。だがそれは、これまでのような緊張からくる饒舌ではない。仲間の中で心からくつろいでいる、正直に愉快な気分を楽しんでいた。
 この連中と共にいるなら、僕もありのままの自分でいられるだろう。
 だがホテルには少々緊張した。貧乏性の僕には、このホテルは高級すぎる。しかしまあ、一泊だけのガマンだ。
 カーテンを開いた。部屋は建物の内側に向き、巨大な吹き抜けに面している。しかも角の部屋なので、すぐ右手には廊下が見える。
 廊下の手すりにはバードが所在なげにもたれている。僕が窓を開けると、バードがつぶやいた。
 「僕の部屋、今停電しとう」
 「へえ、高級ホテルでも、やっぱ中国だな」
 長身で優等生のバードがそんな不運に見舞われるのが、気の毒ながらもなんだかおかしい。聞けば機内では彼も窓際だったのに、トランプをするからと集まった女性陣に、別の席に追い立てられてしまったとか。
 気分直しに、夜の街へ買い物に出かけた。
 ここでようやくバードの本領発揮だ。彼は小学生時代の一時期をこの北京で過ごしている。だから中国語にも堪能だし、地理的にも詳しい。未成年組を率いるリーダーとして、見事活躍してくれた。
 だが帰り道、バードはまたも力なくつぶやく。
 「金額が合わん」
 どうやら買い物の際、おつりをごまかされたらしい。まったく、優等生らしからぬ失敗だ。だがこんなドジな面もある方が、人間味があっていい。もし彼が完璧な優等生であったなら、決して好もしいライバルとはなり得なかっただろう。
 ホテルに戻った。人工衛星からの信号により位置を知る装置、GPSで現在地を確かめるため、僕は独り外に残った。
 通りに独りきりでたたずんでいると、何かの客引きらしい若い女性が寄ってきて、僕にささやきかける。
 「カラオケ? マッサージ?」
 日本人と見られた事が、何より大人の男と見られた事が、たまらなく嫌だった。
 (俺はそこらの大人達とは違う)
 回転ドアを意味もなく余分にグルグル回ってからホテルに戻った。

 先にシャワーを使わせてもらった。次にイエローが浴室に消えた頃、かすかにドアを叩く音が聞こえた。その遠慮がちなノックに対しこちらもそっとドアを開けると、外に立っていたのは舞鶴の姉妹だった。
 聞けば、彼女達の部屋のシャワーの具合が悪いという。すぐに様子を見に行こうと思った。女の子に頼られて、助けないわけにはいかない。しかしどういうわけか、いつになく意気が上がらない。何より無遠慮に上半身裸でいた事が、二人を前にして妙に気恥ずかしい。
 「まあ、高級ホテルでも、やっぱ中国だよな」
 結局僕は、添乗員に相談するといいと助言しただけで、姉妹を追い返してしまった。悔いとして残ると、負い目として残ると、分かっていながらも。
 その一方で、ブラックとオックスを部屋に呼ぶのだから、僕も勝手なものだ。まあいい、今夜は男だけで盛り上がろう。
 いつかの続きで、好きな女の子の話になった。イエローやブラックの、ヒロインについての話。もちろん僕も、かつてのヒロイン達についての話をした。たとえば、小学2年の時に2番目に好きだった子が、偶然このメンバーの中にいる事なども……。
 驚いた事に、あの無口なオックスまでが、以前好きだった女の子の名前を打ち明けた。
 彼も彼なりに、僕らに仲間入りしようと努力しているのかもしれない。


     6 ハイラル

 5時半起床、朝食は6時。海拉尓ハイラルへの便に間に合わせるためとはいえ、つらい早起きスケジュールだ。
 食事に少し遅れたが、降りてみるとまだ準備中で、みな外で待たされている。
 髪を切ってボーイッシュな印象に変わった舞鶴の姉が、今朝は肩もあらわなキャミソール姿で、またも見違えてしまった。昨夜、男どもで集まった時、「浴衣の白い肌とキャミソールの小麦色と、どっちがいい?」などと話していたのを思い出し、なんとなく目のやり場に困った。ちなみに、昨夜は「浴衣の白」で全員の意見が一致。この事は姉妹には黙っておこう。

 滑走路を離れた機体は、上昇しつつ旋回を始める。やがて万里の長城が見えた。山並みをなぞるようにうねりながら、白く細く続いている。が、すぐに地表は雲に覆われ見えなくなった。雲はどこまでも広がり、白けた単調な風景が続く。そんな空虚な時間の中で、僕はいつしか眠っていた。
 目覚めた時には、機体はすでに下降を始めていた。大興安嶺を見られなかったのは残念だが、雲間からホロンバイル草原が見え始めた時には、息をのんだ。
 雲の無彩色を押し流し、夏草の緑色が広がる。うねる川が一瞬輝く。切り込んだような直線の線路を、貨物列車がゆっくり走る。
 いつかも目にしたような、いや、確かにいつか目にした、これが夏のモンゴル。
 雨上がりの海拉尓空港に降り立つと、懐かしい草の香りが鼻を刺激した。これもまた、夏のモンゴル。

 だが、バスから眺める町の様子は、中国そのもので失望した。しかも、地方都市なら昔ながらの風景でも残っているかと思ったが、改革の波はここまで押し寄せているようだ。近代的な建物がいくつも見え、さらに今この時も建築は進んでいる。
 この町は、今世紀初頭に鉄道を敷設した帝政ロシアや、その後満洲国を支配した旧日本軍の手により、発展したという。
 ふと、ロシア皇帝ニコライ二世の事が頭に浮かんだ。つい先月、処刑後80年を経て正式に埋葬された、ロマノフ朝最後の皇帝。シベリア鉄道の建設が進められたのは、確か彼の治世だったはずだ。
 もう少し、歴史を振り返ってみよう。
 帝政ロシアの南下政策は、ヨーロッパにおいてはクリミア戦争の敗北により挫折した。以後、ヨーロッパに代わりシベリアの彼方、極東へと視線は移る事になる。
 ロシアはアヘン戦争の終結を仲介した見返りに、清国から沿海州を割譲させ、その南端部にアジア進出の足がかりとなる都市、ウラジオストクを建設した。このウラジオストクという名は「東方を領有せよ」を意味する。当時海路を支配し、シンガポールや香港を手中に収めたイギリスを、意識していたのかもしれない。
 その後清は日清戦争に敗れ、遼東半島を日本に割譲する。ロシアはドイツフランスと組み三国干渉で日本を非難し、半島を還付させる。ロシアはまたしてもその見返りに、清から今度は鉄道敷設権を得た。
 当時シベリア鉄道は、清の国境線に沿って大きく迂回するしかなかった。だが敷設権を得た事で、清国内を一直線に横切る鉄道が建設可能となった。ウラジオストクから牡丹江、哈尓浜
ハルピン、そしてここ海拉尓を通り、再びロシアへ抜ける鉄道が。
 約百年前、鉄道と共にロシアが建設した当時の建物が、今もこの町のどこかに残っているだろうか。
 物思いにふけるうちホテルに着いた。見上げれば、重厚なこのホテルの建物こそ、百年の歴史を持つようにも思えた。
 部屋が新館だったのは残念だ。だがルームキーを宿泊客に渡さず服務員がドアを開けて回るなど、システムは旧態依然としている。
 鍵を開けてもらい、部屋に入った。すると窓の外に人影が。となりの部屋からベランダ伝いに来ていたバードだった。北京に続いて、またも窓の外に現れるとは。
 眺めがいいというので、僕も出てみた。ガラス戸が開かないので、窓をくぐってベランダへ。こうなると、なんだか僕の方が怪しげだ。
 見回すと、ホテルのすぐ右手を川が流れ、大きな橋が架かっている。それが中央大橋である事は、すぐに察しがついた。
 この橋は満洲国時代、旧日本軍が架けた橋だという。
 そして川の下手には、火力発電所が煙を上げるのが見える。あの発電所もまた、かつて旧日本軍が建設した。
 百年前のロシアとの関わりよりも、六十年前の日本との関わりの方が、はるかに目に付く町だ。

 昼食をすませ、午後には海拉尓市人民政府を表敬訪問した。僕は堅苦しい場は苦手だ。一方となりの席では舞鶴の姉が、市長を前に大胆にも居眠りを始めた。
 市長の話はなかなか勉強になった。中国東北部では石炭の産出が多いと聞いていたが、ホロンバイル盟における年間産出量が2400万トン、埋蔵量が336億トンという、具体的な数字は初めて知った。農産物では大豆が有名だが、他にも小麦、またそれらの加工品の年間生産量は、20億キロに及ぶという。意外だったのは、10万トンも産する牧草。あの広大な草原を考えれば納得がいくが、北海道の牧場に向け輸出されているとは初耳だった。さらには、大興安嶺の木材資源も、貴重な輸出品だという。
 表敬を終えて政府庁舎を出ると、東の空に低くかかる虹の下に、小さくロシア正教会のドームが見えた。ああ、ようやく見付ける事が出来た。百年前のロシアの名残を。

 ホテルに戻り、いよいよ自転車の組み立てにかかった。
 輪行袋に結び付けた「厳禁塁放・小心軽放」の注意書きが、うす汚れ、破れかけている。僕は不安にかられながら、そっと輪行袋を開いた。
 だが取り出した自転車には、故障はおろか傷すらない。突起物を布で覆った上、段ボールで袋の内面すべてをプロテクトした、その成果だろう。大きな箱を抱えるようで、空港では移動に苦労したが、それだけの甲斐はあったようだ。
 自転車は、出発前の姿そのままに組み立てられた。磨き上げ、ワックスをかけた車体の、艶と輝きそのままに。
 ところで、空ではさっきから雷が鳴り響いている。時おり雨滴も落ちてくる。明日からの走行には、多少の苦労があるかもしれない。
 自転車は駐輪場に停め、フレームポンプとボトルは取り外して部屋に持ち帰った。
 夕食までしばらく時間がある。食後に町へ買い物に出る事、夜に集まる事などを伝えに、姉妹の部屋へ向かった。内線でも用は足りるが、なんとなく直接行きたい気分だった。
 テレ隠しの遊び気分で、刀のように腰のベルトに差したフレームポンプを、振り上げながら二人の部屋へ乗り込んだ。
 「まだまだ子どもだねえ」
 「今頃気付いたか」
 姉のミッちゃんも妹のカヨちゃんもあきれ顔だが、それでいて愉快そうだ。この子達の前なら、無理に大人のふりなどする必要はないだろう。
 「昨夜は力になれなくてごめんな。また何かトラブルあったら、今度は絶対助けに来るから」
 本当は、この事が一番言いたかった。
 ベランダに出ると、外でバードがキャッチボールをしているのが小さく見える。
 「おーいバード、メシ食ったらまた買い物行こうな」
 大声で叫ぶと、バードは手を振って応えた。また上の階の窓からは、ブラックも顔を出した。

 食事の席でも、買い物でも、顔ぶれはもう決まっている。そして、夜に集まり騒ぐメンバーも。
 買い物から帰り部屋に戻ると、イエローとブルーの他に大勢のトランプ女性が集まっている。僕はなんだか居心地悪く、しかも元同級生もいてきまりも悪く、自分の部屋から逃げ出してしまった。昨日はバードがあの女性軍に追い立てられたそうだが、今夜は僕が追い立てられる番か。苦笑したが、これでいいとも思った。僕のいるべき場所は、ほかにある。
 ブラックの部屋には、すでに未成年組がそろっていた。今夜はミッちゃんとカヨちゃんも一緒だ。女の子がいれば、昨夜のように好きな子の話などは出来ないが、その代わり怪談などで盛り上がった。トランプも楽しんだ。
 だが夜中になって部屋に戻ると、開けておいたはずのドアの鍵が閉まっている。服務員の姿もない。同じく閉め出されたミッちゃんカヨちゃんと、フロントまで助けを求めに行く羽目になった。助けるどころか、まさか自分自身も一緒になって、二人と同じトラブルに遭うとは。
 もう少し早く部屋に戻るべきだったのだろうか。今夜は調子にのってはしゃぎすぎたかもしれない。だが、トラブルこそがドラマの必須要素だと僕は思う。少なくとも、自分を押さえていては自分の旅にはならないはずだ。
 失敗を反省しながらも、眠りにつくまで思い出し笑いが繰り返し浮かんだ。


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