風にまかせて − モンゴルに見た輝き 6 −
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11 ダライノール
朝7時、町の音楽チャイムで目が覚めた。窓の外は意外なほど明るい。陽光はまだ射さないが、天候は確実に回復しつつある。
この空の明るさに、救われた気がした。今日は終戦記念日。中国にあっては特に、気の重い日だから。
しかしせめて最後の日ぐらいは、重苦しい話は忘れてしまおう。町を離れて草原を思いきり走り、明るい気分で広い湖を見渡そう。
今日の目的地は、ホロンバイル最大の湖、ダライノール。直訳すると、海湖となる。海のように広大な湖という意味だろう。余談だが、ダライラマも同様に、海の如く偉大なる高僧という意味だ。間違っても、海坊主などと直訳してはならない。
冗談はともかく、海を知らなかったモンゴル人は、知らないがゆえに想像をふくらませ、海に対して強い畏怖の念を抱いていたのだろう。
また例によって僕達は、最前列に集結している。ブラックが宣言するまでもなく、4班はすでに既成事実化している。やはりこうして仲間と楽しく走るのが一番だ。なんといっても、これが最後の走行なのだから。こんな時は、もう二度とないのだから。
やがて国道から分かれ、未舗装の脇道に入った。バードが遅れがちになり、とうとう見えなくなった。細いタイヤのロードレーサーでは無理もない。
対照的に、悪路において力を発揮するのが、マウンテンバイクのブラックやイエロー達。またミッちゃんやカヨちゃんも善戦している。珍しい、と言っては悪いが、二人がそろって先頭集団に加わるのは、今日が初めてだ。
女の子が見ていてくれるなら、僕はいくらでも頑張れる。今回はブラックをライバルに見立て、トップを争って走った。
もともと僕の自転車は、悪路にもある程度は対処出来る。長距離用のランドナーは、全体的な形状はレーサーに似るが、タイヤ幅やギア比など、細部ではマウンテンに近い面もある。だからこそオンロードでバードと競い、オフロードでブラックと張り合う、といった事も可能なわけだ。どっちつかずの中途半端ともいえるが、子どもとも大人ともつかない僕としては、ふさわしいかもしれない。
アル中も細いタイヤのレーサーに乗っているが、頑張ってトップを張り合っている。もともと無茶ばかりする奴だが、案外あいつも僕と同様、ミッちゃんだかカヨちゃんだかの視線を意識しているのかもしれない。
悪路を走り、町を抜け、道は再び草原をつらぬいて真っすぐ伸びる。バードがトップ争いに復帰した。湖はもう近い。今度こそ、僕にとっての真剣勝負だ。僕とバードはいつしか先頭集団から突出していた。
丘を越え、また丘を越え、だがまだ湖は見えない。そしてバードの背中は小さくなる。ゴールまでの距離がつかめないまま、バードとの距離が離れてゆく。
しかし結局、ゴールへ至る前に休憩となった。そしてそのまま、全員そろってダライノールの保養所にゴールインした。
「最後までフリーランの機会がなくて残念だったな。帰国してからでも、いつか再勝負しようや」
まだ勝負はついていないと、負け惜しみを言うつもりはない。力が及ばなかった事は、もう充分に自覚している。彼と再勝負の約束をしたのは、旅を終えてからも会いかったからだ。競う相手を失いたくなかったからだ。どのような分野にしろ、全力で挑むに値し、また敗れてもなお好もしい相手など、たやすく得られるものではない。
湖岸に立つ石像の下で、走行は終了した。ここより先に続く道はない。海拉尓からの累計走行距離、225.61キロ。これが内モンゴルにおける自転車走行のすべてだ。数字にすればわずかな距離だが、感動の多い充実した旅だった。体の内から不意に湧き起こる衝動に、僕は台座から飛び降り水辺へ走った。
昼食の席で、僕はみんなにたずねた。今日一番の感動は何だったかと。食事時の、僕のいつもの習慣だ。
「そういうグリーンの、今日一番の感動は?」
珍しく逆に問い返され、僕は反射的に答えた。
「俺か? そりゃ決まってるだろ、やっぱあの時の列車の写真さ」
休憩の時、列車の接近をブラックが知らせてくれた。見るとディーゼル機関車が貨物を牽引し、ゆっくりと走って来る。まだ間に合うだろうか。僕はカメラをつかみ、線路までの200メートルを駆け下りた。
線路際からの撮影には、なんとか成功した。手を振ると、機関士は警笛で応えてくれた。
満足して休憩場所へと戻ったが、ただ、大勢の前で我を忘れて衝動的な行動をとった事が、少々きまり悪い。
しかしその時カヨちゃんが、僕に向かって言った。
「グリーン、今日一番の感動だったんとちがう?」
そうさ、もちろんその通りさ。他人の理解より自分の感動こそが大切だ。僕はその一言のおかげで、胸を張る事が出来た。
続いて僕は食事の席でもう一つ、今日一番の落胆は何だったかをみんなにたずねた。感動はもちろんだが、それと同等に落胆や失望、失敗といったマイナス要素もまた、旅の彩りとしては重要だと思えるから。
僕にも大失敗が一つある。例の悪路でブラックとトップを争っていた時、先を走っていた彼がなぜかいきなりストップした。後で聞くと、別れ道のどちらへ進むか判断がつかなかったので、先導車を待っていたそうだ。無分別な僕はそんな事にも気付かず、「ヤリィ、これでトップだ!」とそのまま真っすぐ走り抜けてしまった。もし彼が呼び止めてくれなければ、僕は独りでどこまで走っていただろう。
昼食を終え、湖畔に出た。
ダライノールは、古くはフルンノール、カワウソの湖と呼ばれていた。またこの南方、現在はモンゴル国領内となっている地に、バヤルノール、喜びの湖というのがある。フルンノールとバヤルノール、この二つの湖の名が、ホロンバイル草原の語源となったという。
この湖畔は保養所だけあって、各種のレクリエーション施設がそろっている。だがアーチェリーを一度だけ試したほかは、ずっと湖面めがけて石を投げていた。繰り返し何度も何度も、ひたすら石を投げていた。ただ単純に、仲間と一緒にいたかったから。
15時、僕らは湖を後にした。自転車はトラックの荷台に並べられ、僕らもバスに乗っている。二日がかりだった道のりを、数時間で海拉尓まで運ばれてゆく。
後部座席の仲間達も、さすがに疲れが出たらしい。みな寝入ってしまった。ミッちゃんは師匠の肩に寄りかかり、アル中もカヨちゃんの肩にもたれ……。
僕もしばしうたた寝をした。時おり目を覚まし、窓に目をやると、外に見えるのは水没した草原。鈍い光のさざ波が、水平線まで広がる。中天の太陽は冷えたように光を失い、赤く力なく浮かんでいる。ひどく現実離れした光景だ。このまま眠ってしまえば、その光景は夢とつながり溶け合うだろう。
やがて帰国して日常に戻れば、この旅のすべてが現実感を失い、遠くかすんでしまうような気さえする。
ホテル到着は19時過ぎ。じきに夕食となった。ヒツジの丸焼きのごちそう、反省会、同好会入会の誘いなど、僕にとっては興味のない事ばかりが続いた。
バードやブラックは同好会に入会するという。イエローやブルーもそのつもりらしい。ミッちゃんまでが、入会の話に関心を示す。神戸までそうたびたび来られるはずもないのに。さては師匠が目当てかと勘ぐるなど、僕も低俗なものだ。
「なあグリーン、一緒に入会せえへんか?」
ブラックにそう誘われたが、僕は素直にうなずく事が出来なかった。
「分かってるだろ、俺には団体行動向かないし……」
それに、特定のメンバーの中に固定されてしまうという事が、ひどく不安でもある。
僕は人付き合いを長続きさせるのが苦手だ。数年おきに引っ越しを繰り返し、その期間だけ無難に付き合い、あとは切り捨ててしまえるとなれば、本当に気楽でいいのだが。
この旅が終わればじきに、僕は仲間を失い、また独りに戻るのだろうか。
レストランからホテルへと帰る道すがら、みんなは同好会への入会を話題にした。その中で、自然と僕は孤立する。僕と彼らとの重なりは、旅の終わりを前にして、早くも薄れつつあるのだろうか。
部屋に戻り、ベッドに座って手帳を広げると、そのまま書き物に没頭した。これこそが普段の僕の姿だ。
ところがやがて、内線電話が静寂を破った。
「もしもし、こちら来々軒ですが」
ブラックだ。これはブラックのコールサインだ。
「宴会の準備が出来ておりますので、至急お越しください」
「オーケー、桃太郎了解。すぐ行くよ」
僕も自分のコールサインで応えると、部屋を飛び出した。
少なくとも今だけは、僕も独りではない。同じ旅の中にいる間は、僕もこの仲間達の中の一人だ
12 ブラインド
今日の予定は午前中に北京へ飛び、午後は買い物となるはずだったが、飛行機が夕方の便に変わり、それまでゆっくり出来る事となった。なんという幸運だろう。北京で買い物などいつでも出来るが、地方都市を見学する機会など、なかなか得られるものではない。
だがまずは、自転車を片付けなくてはならない。
「やっぱ俺が一番遅いな。スタンドにキャリア、バッグまで載せて、付属品が多すぎるし」
僕がそうつぶやくと、
「それよりカヨちゃんの方が遅いと思う。だってカヨちゃん、まだ慣れてないさかい」
とカヨちゃんも言う。
「ならもし俺が先に片付いたら、手伝ってやるよ」
「そう。じゃあもしカヨちゃんの方が早かったら……」
「手伝ってくれるか?」
「ジャマしてあげるわ」
「…………」
カヨちゃんは行ってしまった。
そうだった。あの子には魔女の異名が付いていたのだった。いつかの食事の時、大きな器のスープをかき混ぜながら笑う姿が、妙に似合っていたために。しかも誰かが味見をしてからでないと自分は飲まないという、用心深いというより要領の良い面が、いかにもまた魔女らしい。しかしその笑顔には邪気が見られず、利用されても憎めないが。そう、じつは毒味役はいつも僕だった。
僕がまだホイールもはずさぬうちに、かわいい魔女はやって来た。
「もう終わった? 早いな」
「おじさん達が手伝ってくれた」
「チェッ、ほんと女の子はトクだよ」
内心警戒している僕をよそに、カヨちゃんはいっこうに邪魔する気配がない。ただ横で黙って僕の作業を見ている。僕はかえって作業に集中出来ず、余計なおしゃべりばかりした。
「見ろよこのフレームポンプ。へこんで曲がって動きゃしない。こないだは無事だっただろ? トラックん中で壊れたんだな。それに車体もこれ、こんなに傷だらけだ。ひでえよなあ」
「ほんと、せっかくきれいな色やのに……」
「え?」
驚いた僕は、手を止めまじまじとカヨちゃんの顔を見た。今まで気付かずにいた。魔女どころか、この子にこんな素直な面もあったとは……。
「初めてほめてくれたな、このグリーンシープを」
傷だらけの車体でも、今はこの自転車が誇らしい。
出発前のわずかな時間、衝動的に民族用品店へと走った。夜には閉まっていたのが、この町での唯一の心残りだから。共に飛び出してきたバードもそうらしい。真っ青な民族衣装を買っていた。
そして一時間半後、僕達はまたその店にいた。
ホテルに戻ると、じきにバスは出発した。だが着いたのは、橋を渡った近くのデパート。しばらく買い物だというので、今度はブラックも民族用品店へ連れ出したというわけだ。彼が買ったのは黄色い民族衣装。
個人経営の小さな民族用品店にもいくつか寄った。いつも中国語の通訳をしてくれたバードに代わり、今日は僕がモンゴル語の通訳を。たいした助けにはならなかったと思うが。
昼食をすませ、午後はまず博物館へ。ホロンバイル盟に住む、各少数民族についての展示が充実していた。説明もとても参考になった。
モンゴル族は約155000人。主に草原に住み遊牧を営む。ダフール族は約56000人。今は農業主体だが、かつては清朝の狩猟民軍団として活躍したという。そして北方ツングース系のオウンク族、約18000人。主に大興安嶺の森林地帯に住む狩猟民。そして同じく北方ツングース系の狩猟民だが、独自性を主張し中国では固有民族と認められているオロチョン族、約2100人。
宗教については、予習不足のためよく分からなかった。モンゴル族はチベット仏教だが、他の少数民族にはシャマニズムが残っているという。モンゴル族にも、モンゴル国の方では今も一部に細々とシャマニズムは残っているが。
ところで少数民族の宗教は、文革の時代にはどのように扱われていたのだろう。うっかり聞きそびれてしまった。これは宿題として持ち帰るほかなさそうだ。
続いて、旧日本軍の地下壕跡へ向かった。しかしこの場所ばかりは、博物館のように単なる見学地として眺めるわけにはいかなかった。
戦時中、ソ連やモンゴルとの国境に近いこの町は重要視され、軍関係の施設も多かったようだ。生物兵器開発や生体実験を行っていた事で有名なあの七三一部隊も、ここに支部を設置していたという。ノモンハン事件において細菌を初使用した記録があるが、その細菌を培養していた場所こそ、おそらく地理的に近い海拉尓支部だったのだろう。
七三一部隊支部跡地の見学は実現しなかったが、名もなき地下壕の一つを見るだけでも、当時の状況はうかがい知れた。
闇への階段を降りてゆく。コンクリートの通路。日本語表記。曲がり角の銃眼。レンガ積みの弾薬庫。すべてが凍り付いている。当時のままに。
地上への階段を登ると、レンズが曇り何も見えなくなる。本当に寒かった。地下洞窟内がその地の平均気温を保つなら、ここでは氷点下を示すのも当然だ。しかし感じられた寒さは、そんな表面的な皮膚感覚によるものばかりではない。大平原の中にあって狭い地下にこもる事の息苦しさ、そして自国の利益ばかり追い他民族に気を向けない偏狭さに、心も凍える思いだった。
人骨を見た。僕は兵士の遺骨とまず考えた。だが真相は、この地下壕建設に駆り出され、完成後に機密封じのため殺害された、中国民間人の遺骨だという。長年隠蔽され続けた旧日本軍の罪業が、今この地でも暴かれつつある。
袋の中には腸骨に座骨、そして大腿骨ばかりが詰まっている。人数確認のために同じ部位の骨を分類したのだろう。
その大腿骨の一本を、アル中が手に取った。そしておどけたようにそれを振り上げる。何という事を。遺骨をオモチャにするなど、あまりにも常軌を逸している。
だが僕には何も言えなかった。僕も彼と同じく、過去の罪業を他人事と見なし、何の自覚も責任も負ってはいないのだから。
僕は第三者的な位置に立ちながら、ただ探求心、好奇心の視線をのみ向けてきた。それでいて周囲に同調して黙祷するなど、うわべだけは繕っている。目をつぶってみて、自分のずるさがよく見えた。むしろアル中のように、他人に流されず自分のありのままに行動する方が、どれほど潔いだろう。
最後に駅へ行った。ここならば、僕も素直に見学出来そうだ。無邪気に楽しめそうだ。
海拉尓駅はさすがににぎわっている。構内の売店、切符売り場の行列、満洲里駅では見られなかった光景だ。ただ、駅舎はあちらと同様に無粋な新築だが。鉄道開通当時の駅舎を、出来れば見てみたかった。
帝政ロシアは、駅舎を始め鉄道関連の施設すべてを、アール・ヌーヴォー様式で建築したという。アール・ヌーヴォーは、前世紀末から今世紀初頭にかけてのごく一時期に大流行した建築様式だが、西欧においては個人住宅や商店、またその内装など、公共性が低く小規模な対象に用いられるのが通例だった。ところがこの地は例外的に、むしろ駅舎のような公共的かつ大規模な建物にこそ、当様式が用いられた。先進国の最新流行を見せつける事が、帝政ロシアの清国に対する勢力誇示だったのだろう。今に残っていないのも当然かもしれない。
いや、危うく見落とすところだった。駅前広場の古い街灯に、かろうじてアール・ヌーヴォー特有の植物的曲線が残っていた。
すすけた跨線橋の上から、いくつか列車を撮影した。入換用ディーゼル機関車に牽かれた客車が、今ちょうど入線してきた。これから満洲里へと向かうのだろう。あの夜に見た、20時51分着の列車だ。
一方僕達は、これから北京へ向かう。バスは駅を離れ、町を離れ、空港へ走った。
これでいよいよ旅も終わりか。空港ではヤケになって騒ぎ回り、とうとうメガネを壊してしまった。調子にのりすぎた報いだろうか。だが別に構いはしない。他人に迷惑をかけたのなら反省もするが、自分だけの被害ならしょせん笑い話だ。気の毒がっているのか、誰も僕の失敗を笑わないが、僕なら僕自身の失敗を笑いとばせる。
飛行機の離陸は四十分も遅れたが、それにしてはあっけなく北京に着いた。
外はもう暗い。メガネを失い目がよく見えない事を理由に、僕はカヨちゃんに繰り返し道案内を頼んだ。空港で、レストランで、そしてホテルで。そのたびあの子は僕の願いを、意外なほど素直に聞いてくれた。
しかし僕の方はそのためにかえって、てれてしまって礼が言えない。カヨちゃんの肩に手を置きながら、「優秀な盲導犬がいると助かるなあ」などと失礼な事を言ってしまった。
結局、僕のほうがよっぽど素直ではない。
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