神戸サイクリング日記2
中央広場 >
テントパビリオン入り口 >
神戸サイクリング日記2 >
2000年
2月17日 木曜日
朝、バードから電話があった。受験からようやく解放されたようで、ひさしぶりのサイクリングの誘いだ。昼過ぎに板宿の自転車店前で待ち合わせとなった。
約束の時間の数分前に店に着く。まだバードの姿はない。外で待つのも寒いので、とりあえず店内に入った。そういえば、日本一周の時にスタンドを折ってしまい、そのままになっている。安かったので買ってしまった。
そうこうするうちバードが現れたが、そのまま作業場で工具を借りて、スタンドの取り付けにかかる。この店の主人は話し好きで、近所のスピード狂の自転車乗りの話には笑わされた。遠いこの店にわざわざ来る事などあまりないが、そういえばシューズやペダルにヘルメットなど、いろいろ安く買わせてもらっている。
今日のコースは、バードのおすすめポイントをあちこち回る予定。まずは、ここへ来る途中に見かけたという、遺跡発掘現場の説明会に寄り道した。住居跡に溝に、土器のいくつかを見た。ここはバードの通学路でいつも通っているそうだが、ついさっき通りかかるまで、囲いの中はただの工事現場だと思っていたそうだ。平日に遺跡の説明会を行うとは珍しい。
須磨から垂水へと海岸沿いを走る。受験勉強で体がなまってしまったと言いながら、あい変わらずバードは早い。僕もまた、日本一周から帰って以来すっかり体がなまっている。小高い山の上の広場まで、息をきらしながら登った。そこからは明石海峡大橋が間近に見えた。
続いて向かったのは、大橋へ向かう自動車道のジャンクションを見下ろす新しい公園。そして最後に、造成地の中に残る山に登った。あちこち走り回っているだけあって、さすがにバードはいろいろな場所を知っている。僕の方は、自分が今どこを走っているのかさえ分からずにいたが。
白川台の交差点まで送ってもらい、そこで別れた。そこから家までの登り坂こそが、じつは一番の難関だ。もう一人なのでペースを落とし、無理せず帰った。50キロ程度の走行ながら、ひさしぶりでさすがに疲れた。
2月24日 木曜日
明石港で待ち合わせ。数分遅れてしまい、しかも場所を間違えていた。最初から迷惑をかけてしまった。
明石から船に乗るのは初めてになる。以前淡路島を一周した時には、須磨から渡ったので。この航路はフェリーではなく高速船で、自転車は船尾の小さなデッキに載せた。揺れると船員が言うので、そのままデッキに残り自転車を支えていた。
進み始めると、確かにかなり揺れる。潮の流れを横切る形で進むからだろう。加えて、船体の大きさに比して速度が高すぎるためかもしれない。わずか十数分で島に着いた。ユリカモメの群れを突っ切って入港した。
今夜の宿は鳴門と決まっている。今日は島を縦断するだけという安心感から、寄り道を繰り返した。まずはバードの希望で灯台へ。続いて僕の希望で断層の保存館へ。ここではつい長居してしまった。まあ急ぐわけでもないし。
しかしその後の行程は、思っていたより手間取った。強い向かい風のために。しかも鳴門が近くなるにつれ、道もけわしくなる。それでも鳴門公園に寄り道するくらいの余裕はあった。ここは以前にこっそりテントを張った、懐かしい場所だ。
橋の下の方へも降りてみた。風はますます強くなり、急な階段では下からあおられるようで恐い。長身のバードはなおさらだ。それでも無理して降りたかいはあった。海はちょうど流れの激しい時で、渦潮が見事に巻いていた。
明日はバス利用で橋を渡る事になっている。宿に向かう前に、町へ出てターミナルを探した。
まず目に付いたのが交番。最近の不祥事続きで警察不信も増し、なんとなく気が進まなかったが、たずねてみると意外なほどていねいな対応だった。僕も思わずていねいに礼を返した。
こうしてバスターミナルはあっさり見付かったが、四国方面のバスはここからは出ていないとの事で、力が抜けた。インターチェンジのバス停へ行かなければならないようだ。そういった情報が得られただけでも、良しとしよう。
来た道を少し戻り、最後にきつい坂を登りきった所に、今夜の宿の国民休暇村はあった。野宿専門の僕は何も知らなかったが、国民休暇村というのは国民宿舎とはまた違うもののようで、なかなか豪華だ。バードに同行したおかげで、今回の旅はいつもとは違ったものになりそうだ。夕食も豪華で、たまにはこんなぜいたくもいいだろう。
なんと、ここには天体望遠鏡があり、屋上にドームまで据えられていた。ただ今夜は曇ってしまいダメだったが。ぜいたくさを何もかも味わうというわけには、なかなかいかないようだ。
走行距離 109キロ
2月25日 金曜日
前もって宿でたずねていたので、バス停はすぐ見付かった。時間もたっぷりあるし、ゆっくり落ち着いて自転車の分解に取りかかる。シンプルな自転車に乗るバードはすぐに作業を終えてしまったが、キャリアにフロントバックまで付けている僕の方は、結局バスが来るギリギリまでかかった。
バスはわずか数分で、鳴門大橋を渡ってしまった。冷たい風の中、かじかむ手でまた自転車を組み立てる。自動車しか渡れない橋というのは、不便なものだ。
今朝はまだ朝食をとっていない。さすがに腹が減った。店の前を通りすがりに、何か売ってないだろうかとついよそ見をし、気付くと僕は道をそれて石段から落ちていた。さいわい転倒もせず自転車も壊れなかったのでニガ笑いでごまかしたが、ふり向くとバードはあっけにとられた表情をしていた。
コンビニで腹ごしらえをすませ、本格的に走り始めた。交通量の多い徳島市街地さえ過ぎてしまえば、今日の行程も楽なものだ。風も追い風。広いバイパスへかかると、バードはさらに速度を増し、やがて見えなくなってしまった。
昼食をすませ、午後に入ると、ルートは山がちになる。バードはまたすぐ見えなくなる。やがて日和佐にかかり、分岐点に出たが、バードは先に行ってしまったらしく姿はない。こちらが町の中心地だろうと見当をつけ、海の方へ道を曲がってみた。
そのせいで、その後合流するのにかなり手間取ってしまった。先にユースで待ってみたが現れないし、それどころかユースには人の気配すらない。ただ待つのもうっとおしいので町中を走り回り、ようやくバードを見付けた。
後続を考えず突っ走ったバードの方にも、適当に見当をつけて道を選んだ僕の方にも、双方落ち度はあったのだろう。おたがいちょっと不機嫌になっていたが、薬王寺の石段を登るうち、自然とわだかまりは解けていた。
海岸の方へも行ってみた。ウミガメが産卵に来る砂浜、話には聞いていたが、訪れるのは初めてだ。天気が悪く、風が強く、そのため人も少なく、静かだった。
ウミガメの博物館も、客は少なかった。おばあさんに連れられて、地元の小さな女の子が来ていただけだ。えみこちゃんというその子に「なにしてんのー」と声をかけられ、その後ずっと、子ども慣れしているはずの僕ですらとまどうほどに付きまとわれた。どうして僕は、こんな小さな子にはモテるんだろう。
夕方になり、ユースに戻ると、今度はちゃんと人がいた。ユースホステルなど初めてなので何も知らなかったが、受付は夕方になってからなのだそうだ。バードと共に、僕も会員料金にしてもらえた。ほかに客の姿はなく、ここも静かだ。
ここにはマンガ本が豊富にあった。バードの言うには、ユースというのは場所それぞれに違うらしいが、とにかくここでは退屈しないですむ。テレビもなく、よその部屋から声が聞こえる事もなく、電気ストーブが時おり小さくうなるだけの静けさの中で、ひさしぶりにマンガに読みふけった。
走行距離 90キロ
2月26日 土曜日
小雨の降る中を走り始める。朝から気が重かったが、その後天気はさらに悪化した。道は山中へと続くが、標高が高くなるにつれ、なんと雨は雪に変わってしまった。
路上はまだ大丈夫だが、周囲はもうすっかり白い。自転車のフロントバッグの上にも積もっている。ヘルメットの上もたぶんそうだろう。やがて手や足がこごえ始めた。
県境を越え、高知県に入った。南国高知でまさか雪に遭うとは。山を下ればまた雨に変わったが、冷え込みには変わりがない。海面から霧が立ち上るのを見て、バードと二人、笑うしかなかった。これはもう、日本海かオホーツク海の風景だ。
道はずっと海に沿って続いている。日本一周の時にも通った道だが、まるで初めて見る場所のようだ。完全に真冬の風景。もう指は動かず、ブレーキングには、曲がったまま固まった指を引っかけ腕ごと引っ張るしかない。
室戸岬を回った。バードはもう安心しているようだが、僕は前回に来て知っている。この先の道が、すさまじい常識はずれの登り坂だという事を。この辺りは典型的な海岸段丘となっていて、国民宿舎はあろう事か、その段丘の上にある。この頃にはもうひじやひざまで固まってしまい、自転車を降りるとつづら折りの道をぎこちなく歩いた。
今夜の宿は、国民宿舎。バードに同行したおかげで、今回はいろいろな所に泊まる事が出来る。僕が着いた頃にはバードはもう、部屋ですっかりくつろいでいた。濡れた物は熱気のこもるボイラー室に置いてきたという。なるほど。これなら明日までには乾きそうだ。
すぐ風呂に入り、気付けば一時間もの長風呂をしていた。体調が戻ると、外の様子が気になり始める。さっきは寄り道どころではなく、岬も通過してしまったので。さっき見えた展望台へ行こうと、バードを誘い出した。もう日暮れ間近だが、雨は止み雲も薄れていた。
レストハウス室戸と書かれた看板の、文字がいくつもはがれ落ちている。ずっと以前に閉鎖されてしまったようだ。それでも展望塔に登ってみたくて、ドアを押し開けて中に入り込んだ。立入禁止の中に、バードもついて来る。ひょっとして、優等生を悪の道に誘ってしまったかな。だが廃墟と化した内部の探検に、バードも興味津々だった。やはり好奇心には抗えない性格のようだ。
割れた窓ガラスをくぐり、屋根の上へ出てみた。水平線は三方向にわたって続き、唯一背後にだけ陸地がある。岬の先が、船のへさきのように思えた。激しい風に吹かれていると、まるでマストの上に立つようだ。
走行距離 81キロ
2月27日 日曜日
昨日が昨日とは思えないような、良い天気になった。今日はのん気にサイクリングを楽しめそうだ。
まず最御崎寺に寄り、それから昨日通過してしまった岬の海岸に降り、それからゆっくり走り始めた。今日もまた、急ぐ必要はない。高知を夜に出るフェリーに間に合えばいいのだから。
今日ほど余裕のある走行は、今回初めてのような気がする。以前に走った時の様子を、懐かしく思い返す事も出来た。併走する鉄道の工事はさらに進んでいて、あの日ちょうど発破していたトンネルが、今日はなんと開通式だった。
珍しい標識を見付けて写真を撮ったりとか、自転車店に寄り道しようとか、今日はバードものん気なものだ。それでもかなり早い時間に、あっけなく高知に着いてしまった。
まずは駅へ寄って駅弁購入。付近をブラついて時間をつぶし、まだ早いがフェリーターミナルへ向かった。僕は一人でも退屈しないタチだが、二人ならなおさら退屈などしない。広々した港内で、バードの自転車に乗せてもらうなどしていた。しかし大きな自転車だ。ペダルに足が届かない。
思いのほか船は大きかった。翌朝までの半日しか乗っていられないのが、もったいない気がするほどに。寒さに耐えながら、甲板で星を見上げ、遠ざかる高知の夜景を眺めた。
走行距離 95キロ
2月28日 月曜日
早起きしたが、船はすでに大阪湾内にいた。あまりにあっけない航海だった。ただし上陸にはかなり手間取ったが。自転車を停めた位置が悪く、大型車がすべて出るまで待たされた。
もうこれで今回の旅を終えたような気になっていたが、まだ難所が残っていた。狭い大阪の市街地を抜けなければならない。しかも通勤時間の混雑する中を。日本一周の時にも苦労して、もう二度と通るものかと思っていたのに。
難所を過ぎ、ほっとしたところでまた寄り道をした。バードの希望で、春から通う学校を一目見るために。登り坂も、狭い市街地を走って来たのを思えば楽なものだ。バードはほんとに一目見ただけで満足したらしく、すぐまた坂を下った。
三宮でバードと別れた。僕はここからまた、急坂を登らなければならない。まあ、あとは一人なのだからゆっくり行こう。しかし意外と体力は残っているもので、苦もなく再度山を越えて家に帰り着いた。疲れが出るのは、明日からだろうか。
走行距離 67キロ
3月20日 月曜日
インターネットで得た情報だが、姫路駅で昔の幕の内弁当を復刻販売するという。今日は天気もいいので、自転車で姫路へ向かった。それにしても、最近は自転車ばかりだ。駅弁が目的の場合でも、列車でなく自転車とは。金はないが時間はあるという状態だから、それでいいのだろうが。
西への遠出は、秋に岡山へ行った時以来になる。あの日は2号線を走ったので、今日は海寄りの250号線を走った。日本一周の時にも思ったが、やはりこちらの方が走りやすい。
だがこのまま海岸を走ると姫路から遠くなってゆくので、途中から新幹線に沿う事にした。高架下には、ちゃんと自転車道もある。が、自転車道は名ばかりで、路面が荒く段差も多く、とても走れる状態ではない。やはり車道を走るしかないようだ。
このまま新幹線に沿って姫路まで行ければ楽だったのだが、道は小さな川の手前で不意に途切れてしまった。標識も案内もない。周囲は田んぼや畑ばかりで、たずねる人もいない。とにかく西へ向かおうと走るうち、さらに田舎道の深みへとはまり込んでしまったようだ。
なんとか2号線に出られたが、かなり時間をロスしてしまった。結局、姫路駅に着いたのは昼前。売店の人に聞くと、その復刻弁当は数も少なく、10時の販売と同時に売り切れたという。今日はまったくのムダ足だった。
もっとも、まだチャンスはある。25日と4月2日、あともう2回発売日がある。それならまた来ればいい。今度はもっと早い時間に、列車に乗って。
帰り道、河原で少し遅い昼食をとった。天気は良く、風は暖かい。今日のサイクリングも、まったくのムダではなかった気がした。
4月30日 日曜日
バードと走るのは、これで何度目になるだろう。今回の目的地は六甲山頂。まあささやかなサイクリングだ。一人では何度も走っている道、気楽に走った。
ただし、今は時期が時期だけに、道は混んでいた。植物園の前、牧場の前、そして六甲山の各施設の前。途中ではローリング族のバイクが何度も行き来する。
しかし通り慣れた退屈な道なら、この程度の障害でもある方が楽しい。天気の方もあやしかったが、困るほどの降りにはならなかった。いつかの高知の苦労を思えば、どうという事はない。
5月13日 土曜日
ヒロくんにせがまれ、自転車で三宮までの道案内をした。メンバーはヒロくんに早川くん、そして今日初めて会った坂岡くんという子の三人。僕は午後に予定が入っているので、出発時間を繰り上げさせてもらった。通るのはいつものお決まりの道、再度ドライブウェイ。僕一人なら、一時間の行程なのだが……。
三宮の駅前まで案内して、三人とは別れた。あとは三人だけの力で帰ってもらうしかない。中学生なんだから、わけないだろう。登り坂はちょっとつらいかもしれないが。
僕の方は昼前には帰り着き、あらためて出かけた。午後には三田の博物館で、化石発掘の報告会と説明会があるので。なんだか、十数年ぶりに大学の講義を受けているような感じだった。
2001年
4月16日 月曜日
昨日出かけるつもりでいたが、日曜日は混雑すると思い直し、今日あらためて出かけた。ちょっとした遠出を計画しているので、足慣らしに六甲山頂まで走るつもりだ。
再度山を抜けて三宮へはたびたび行っているが、六甲山方面はほぼ一年ぶりになる。何か珍しい物でもないかと、周囲を見回しながら進んだが、何もかも以前のままの風景だ。ウグイスが鳴き、キジが鳴き、昔ながらの春山の風景。ハシブトガラスとハシボソガラスのケンカが、多少珍しかったくらいだ。ハシボソの方が優勢だった。
一年ぶりの本当の変化は、山頂にあった。新しい中継アンテナが建っている。そしてその周囲には自衛隊の車両がいくつも停まり、モスグリーンの隊員達が何やら作業をしていた。
ずっと昔、ここは軍事的理由から立ち入り禁止だったそうだが、そんな事を思い起こさせる光景だ。もちろん今は何も遠慮する必要ないが、なんだか場違いな気分にさせられる。
それでも、山頂の広場で湯をわかしてお茶をいれ、菓子パンをぱくつくうちに、すっかりリラックスしていたが。
以前、新潟や東村山で自転車を走らせていた頃、転倒してケガをした事が何度かあった。それ以来、コーナーリングが怖くて仕方がない。以前はタイヤがきしむほど車体を倒して楽しんでいたのが、今となっては信じられない。
それでも、今日も帰り道は急降下でわずか30分だった。
4月22日 日曜日
昨夜、不意に思い立った。この雨が上がったら出発しようと。すぐに荷物をまとめ、ベッドに入った。しかし気が昂ぶり、なかなか寝つけなかった。自転車で遠出を計画した時は、いつもそうだ。
県の北部に、モンゴルの博物館があるらしい。しかしそこは、なぜわざわざこんな奥地に、と思うような所で、交通手段がまるっきりない。それで、雪が消えて気候が良くなれば自転車で行こうと考えていたのだが……。この日に行く事になるとは、つい昨日まで考えもしなかった。
ともかく、今朝は晴れた。それなら決定だ。わずか三日の短い旅くらい、気ままに出かけてしまえばいい。
だが出発してすぐに、それを後悔する事となった。やたらと向かい風が強い。平坦な道でもまるで急勾配を登るようで、速度は20キロも出ないありさまだ。
それでも、こういった苦難には、立ち向かうだけの価値があるような気がする。少なくとも、乗り越えた後の満足感は保証されている。
歯をくいしばりながら、175号線を北上した。いつかバードと、西脇の公園を目指して走った道だが、今日は独りで挑んでいる。独りでも、挑む対象はいつも眼前にある。今はこの向かい風がそれだ。
途中から県道に入ってさらに北上。ペースが遅く時間がかかっているのであまり休まずに来たが、道の駅を見かけてさすがに休みたくなった。
道の駅では、歩く人達が時おりよろめき、吸い殻入れも倒れている。これほどの向かい風では苦しいはずだ。今日は豊岡あたりまで行く気でいたが、和田山くらいが限度だろうか。
この先の遠阪峠は、ロードマップによるとトンネルが有料になっている。多分そうだろうと思っていたが、行ってみればやはり自転車は通行止め。自動車が楽な道を抜け、自転車はきつい峠道への迂回を強いられる。どこか間違っているような気がするが。
しかしまあ、これもまた立ち向かう価値のある苦難だろう。しばらくのブランクで脚も調子が戻っておらず、かなりきつい登坂になった。
途中、右側の視界が開けてきたので、もう越えたかと思い気を抜くと、道は左に向いてさらに登っている。……気が抜けた分、かえって疲れが増した。
地図によると、道は一部県境の尾根を通っている。ふと気まぐれを起こし、わき道を少し降りてみた。今回の旅では兵庫県内を縦断するだけだが、これで一時京都府入り。もちろん、すぐまた兵庫県に戻り登坂を続けた。
峠を越え、山間部を抜けて市街地へ降りると、風は少し落ち着いていた。時間も早く、日もまだ高い。そうなると、もう少し行けるんじゃないかとつい欲が出る。豊岡まではまだ遠いが、思いきって和田山を通過した。
大型車の多い9号線は避け、川の対岸に平行する県道を走る。じきにまた道の駅があったのでひと休み。あとはもう、この川に沿ってなだらかに下るばかりだ。
途中の江原という小さな町に、ホテルが見付かった。豊岡まで行き過ぎればその分明日戻らなければならないので、ちょうど良かった。今日の走行距離は130キロ。長いブランクの後としては、無茶な距離だったかもしれない。
4月23日 月曜日
冬の朝のようだ。手がかじかみ、息が白くなる。
出石へ向かう一本道は、周囲に何もない直線の道だった。しかし出石の町に入ると、途端に道は悪くなる。曲がりくねるうえに、行き先どころか国道番号の表示もなくなり、交差点のたびに迷わされてかなりのタイムロス。そのうえ、パンを買えるような店の一軒も見当たらなかった。
かろうじて電話だけは見付け、但東町の宿泊施設に電話を入れた。だが今夜は空きがないそうだ。ここで泊まるのはあきらめ、明るいうちに引き返すしかない。
但東町は、兵庫県の北東部に突き出したくちばしにあたる。本当に、先には何もない所だ。それでも、京都府方面へ抜けるらしい、他府県ナンバーの車の往来が割合多い。田舎道だからのんびり走ろう、という気分にもなかなかなれない。
モンゴル博物館の看板とあわせて、チューリップまつりという案内もあちこちに出ていたが、いきなりその会場に出た。目のくらむような赤が広がり、そちらに気を取られていてうっかり博物館を見落とすところだった。
しかし博物館はそう小さいものでもなく、展示物も充実していた。放送中の大河ドラマにちなんだ、元寇の企画展示もある。今日がその初日のようで、ちょうどテープカットの真っ最中。汗まみれで髪を乱した自分が場違いで、少し落ち着かない気分だった。
関連書籍がそろっていたのが、最も嬉しかった。現地でも見かけた事のない本がそろっている。「モンゴルの子ども達」という写真集も、今回初めて見た。プロパガンダ的な演出が、時代を感じさせる。
もうしばらく読みふけっていたかったのだが、チューリップまつりから流れてきたらしい団体が騒がしくなってきたので、博物館を出た。時期が悪かったようだ。
朝来た道を戻る。チューリップまつりの会場も、横目で通り過ぎる。騒々しくて、やはり近寄り難い。だがもし列車で来たとしたら、僕も入って行けただろうか。自転車で走る時には、自然に独りを選んでしまう。
昨日以上に良い天気で、気温もかなり上がっている。こごえたり暑かったりと、体にこたえる日だ。おまけに風も吹き始めた。またしても向かい風が。北へ向かうも、南へ向かうも、どちらにしても向かい風か。まあいい。意志薄弱の僕が立ち向かっていけるのは、こういった試練くらいなのだから。
今日はまだ80キロ程度しか走っていないが、和田山で泊まる事にした。ここまで戻れば、明日中には充分帰れるだろう。
だが気になるのは天気だ。予想外の低気圧の発生で、いきなり明日は雨になるという。つくづく僕はついていない。
4月24日 火曜日
起きた時には、まだ薄日が射していた。出発する頃になっても、少し暗くなった程度。もし朝から雨なら和田山からすぐ列車に乗るつもりでいたが、しばらくは走れそうだ。逃げきれるだけ雨から逃げきってみる事にした。
ところが、意外に早く追いつかれてしまった。遠阪峠で振り返ると、雨の影が眼下の市街地にのしかかっている。峠を登りきった頃、とうとう頭上からも雨滴が落ち始めた。よりによって、線路から最も遠い所で降り出すとは。ここでは逃げ場がない。最寄り駅まで数十キロを走るしかない。
今日は向かい風が吹かないだけ、幸運かもしれない。ずぶ濡れになってこごえるだけで、試練としては充分だろう。おまけにあせりのため縁石にぶつかってしまい、チェーンの一部を傷めてしまった。ピンが折れ、もう切れる直前。それでもなんとか柏原駅にたどり着いた。今日の走行距離、わずか50キロ。
昼前には自転車の梱包も終えて列車に乗り込んだ。今日は手話の会に直接向かうつもりでいたが、時間に余裕がありそうなので一度帰宅する事にした。本当に、あっけないくらいに列車は速い。午後の早い時間には家に帰りついてしまった。
風呂に入り、あらためて出かけた。いつも誰かに車で送ってもらっているが、今日は予定も立たず連絡も出来なかったので、自力で手話教室へ向かう事にした。
最寄り駅と思われる所で降り、後は歩く。GPSに座標を記録しておいて良かった。道はまったく判らないが、距離と方位は機械が示してくれる。
結局、何の苦もなく着いてしまい、50分も待つのが退屈だった。みんな、時間ギリギリにならないと来ないんだから。
5月4日 金曜日
今回は同行者もいるという事で、日帰りのささやかなサイクリングだ。コースもその同行者、ヒロくんにすっかり任せた。なお早川くんは、体調を理由にいきなりキャンセル。以前の再度越えの経験から、自分は足を引っ張るなどと気にしたのだろうか。
まず明石へ抜けた。距離はあっても、ひたすら下るのだから何の苦もない。大変なのは帰り道だが、早めに引き返すようにすれば大丈夫だろう。
ヒロくんの言うには、自転車で神戸市外へ出るのは今回が初めてだとか。そう聞かされると、少々不安にもなるが。
明石で昼食用にパンを買い、そして海岸へ向かった。漁港に沿って何度か迷いながら進むうちに、サイクリングコースは見付かった。海岸は岸壁から砂浜に変わり、その背後の低い防波堤に沿って、コースは西に続いている。
見晴らしは良いが、コースは狭いうえにひび割れて、ひどいものだ。のんびりサイクリングを楽しもうという期待は、甘かったようだ。
それでも、明るい海を見渡しながら昼食を食べていると、気分もなごんだ。ここでしばらくのんびり休んで、それからゆっくり引き返そう。
ところが、腹一杯になって気が大きくなったのか、ヒロくんがこんな事を言い出した。このまま加古川まで走り、川沿いに北上して三木を経由して帰ろうと。不安はあったが、本人が言い出した事だし、それに僕自身も来た道を戻りたくはなかったので、その提案に同意した。
海岸は工場地帯に変わり、サイクリングコースも尽きたので、県道に入った。思いのほか加古川は近い。さっきちょっと食べ過ぎたらしいヒロくんの提案で、河原で休む事にした。しばし腹ごなしの昼寝タイム。
加古川の堤防を左に、加古川線の線路を右に見ながら、別の県道を北上する。途中から東へ折れてまた別の県道に入り、三木を目指す。今度は三木鉄道の線路が、右側に沿っている。
車の多いのがわずらわしいが、順調に進んでいる。風が吹かないのが、これほど楽なものだと、あらためて気付いた。前回はとにかく苦しすぎた。
三木市街に入り、先週も通った道を逆にたどる。あとは神戸電鉄に沿って、なじみの道を戻るだけだ。ヒロくんも腹の調子が良くなったようで、神戸市入りする頃にはすっかりパワー回復していた。
自転車で市外に出るのが初めてだったにしては、ほんとに良く走った。
木幡から、押部谷へ抜ける裏道へ入った。やはり元の道を戻るのはつまらないので。だがこの道は、去年ブラックを送って行った時に教えてもらい、一度往復しただけの道だ。独りなら、迷おうが間違えようがかまわないが、今日は同行者がいるものだから、道順を思い出すのに珍しく真剣になった。
一本道の山道まで進み、ほっと安心した。もっとも道のりとしては、いよいよここからが登りのきつい難所だが。押部谷に抜けても、そこからさらに西鈴蘭台まで登りが続く。
ヒロくんは最後までよくがんばった。初めて市外へ出ていきなり加古川まで走ったのだから、かなりの自信になっただろう。
さてそうなると、次は県外が目標か? ……また引っ張り回されそうだ。
8月31日 金曜日
雨も上がったので、やはり自転車で出かける事にした。来月のサイクリングに向けて、少しは足慣らしをしておかなければ。最近まったく自転車に乗っていない。夏は忙しすぎた。
もっとも、今日も結局は足慣らしにもならない距離だったが。
ひばりが丘の姉弟の家まで1時間と見ていたが、実際には40分もかからなかった。予定外に早く着き過ぎてしまい、出勤するお父さんと顔を合わせて、ちょっときまりが悪かった。早朝からオジャマしてスミマセン。
せっかく早く迎えに来たのに、3人ともなかなか出発したがらない。理由は朝のアニメだ。しかしそんな夏休みも、今日が最後。
3人の道案内で、渓流に向かった。僕も自転車を置いて徒歩で向かったが、これもまた足慣らしだ。山歩きも、おたがいひさしぶりになる。
なんとなくそんな予感はあったが、実際に案内されてみて、あらためて驚いた。その渓流は、かつて見知らぬ姉弟に導かれて至った、まさにあの渓流だったから。
四半世紀以上を経て、再び同じ流れに足を浸すうち、自分が今いつの時代にいるのか分からなくなった。一つ言えるのは、夏の日もこれで終わりだという事。
昼頃には姉弟の家に戻った。もうしばらく遊んでいたい気もしたが、両親が留守の所にいつまでもおじゃまするのも悪いし、ちぃちゃんが公文式に行くのをきっかけに僕も帰る事にした。
有馬街道も、道の狭さと車の多さは障害だが、坂についてはたいした事はない。ただし、北町までは。
そういえば、いつかの琵琶湖一周の時にもそう思った。全行程の中で、北町から泉台へ登る最後の坂こそが、最大の難所だと。
今日もまた、行きは40分でも帰りは1時間以上かかってしまった。あの渓流近くの泉でくんだわき水を飲みながら、なんとか力をふりしぼった。
来月もまた、たぶんそうなるのだろう。
9月22日 土曜日
7時15分、集合場所のバスロータリーへ行くと、ヒロくんが自転車のタイヤにエアーを入れている。そういう事は、出発前にやっておくもんだ。もっとも、僕も昨夜になってバタバタと準備をしたクチだが。
ブラックとの集合場所、西盛口の交差点へは、8時ちょうどに着いた。待っていたブラックもやはり、間際に着いたそうだ。前回鳥取へ行った時には、おたがいやたらと早く着いてしまったものだが。
このようにすっかりサイクリング慣れしたうえに、今回はまた新たに強力なアイテムを得ている。僕が免許をとりブラックと無線交信が可能になったため、今日は無線機を用意してきた。
最初は面白半分にしか考えていなかったが、走行中に連絡をとり合えるのは予想以上に便利なものだ。今日のルートはブラックが設定しているが、交差点の手前で指示が来るのは本当に助かる。
やがて175号線に出ると、急に向かい風が強まった。4月の強風を思い起こさせるほどの激しさだ。まだ大通りの走行に不慣れなヒロくんは、大型車の後流によろけている。ベトナム還りのブラックさえ、さすがにペースが落ちた。
早めに休憩をとり、早めに昼食をとったが、その間にも風はおさまるどころか、強まる一方だ。
ついにヒロくんが転倒した。脚を打ち、精神的にもまったく余裕がなくなっている。この分では、目的地への到達は無理かもしれない。
だが、ヒロくんもあっさり引き下がるタチではない。ともかく福知山までは行こうと、再び走行を開始した。もっとも、ブラックが計画していた穴裏峠越えは断念し、そのまま175号線をたどるルートを選んだが。
日本一低い分水界を過ぎ、石生いそう駅でひと休み。途中綾部方面という案内標識をふと見かけ、福知山へ寄るのもやめてその近道をたどった。
ここで初めての県境を越えて、ヒロくんはさらに走るつもりだ。綾部でも、駅前でしばらく休んだだけで、じきに出発した。
急速に暮れゆく中、27号線の山道をたどる。夜間走行など、日本一周時のしまなみ街道以来になるだろうか。
道の駅を見付け、フランクフルトとフライドポテトの簡単な夕食をとった。さあ、ユースまであともうひと走り。宿泊担当のヒロくんが、ブラックの携帯電話で何度かユースに連絡を入れた。遅くなる事を伝えるためと、道すじをたずねるために。
国道をはずれて府道に入ると、車の流れは完全に絶えた。半月にも満たない月が、驚くほどの明るさに感じる。だがその月もじきに沈み、周囲は完全な闇に沈んだ。それでも不安感はまったくない。圧するような星空に、かえって気がたかぶり力がわいた。
ユースに着いたのは20時20分。連休中で泊まり客も多く、遅く着いた僕らは注目を集めてしまった。
ユースホステルを利用するのは、バードと泊まった日和佐に続いて、これで二度目になる。そしておそらくこれからも、利用する事になるだろう。ブラックと共に、会員になる手続きをした。
少なくとも、この美山へはまた来たいと思う。星を見るために。
眠る前にもう一度外へ出てみた。モンゴルを思い起こさせるような星空が覆いかぶさってくる。くじら座のミラも見え、それどころか角ばった頭の輪郭までたどれる。
寂しいといわれる秋の星座を、これほどにぎやかに感じたのは初めてだ。
走行距離 143キロ
9月23日 日曜日
さすがに疲れたらしくヒロくんはすぐに寝入ったが、ブラックとは結局2時近くまで話し込んでいただろうか。
それでも今朝は7時には起きた。今日中に帰りさえすればよいのだから、急ぐ必要はないのだが。支度をすませてから、外で写真を撮るなどしてゆっくり過ごした。
昨夜は暗くて分からなかったが、江戸時代のカヤ葺き民家というのはさすがに立派だ。このユースには、やはりまた来る事になるだろう。
なごり惜しいが出発した。朝霧は晴れつつあり、今日も天気は良さそうだ。
道の駅で簡単に朝食をとっただけで、朝のうちにかなりの距離をかせいだ。ほとんど下り坂で、順調に進める。昨夜これほどの坂を登っていたとは意外だった。暗かったためと、星に気をとられていたため、まったく気付かずにいた。
が、173号線に入り質山峠にかかったところでペースは落ちた。ブラックはそれでもハイペースで登って行くが、一方で取り残された形のヒロくんがあせり始める。
意気込みは立派だが、気が急いてはつらいばかりで楽しめず、何より危険だ。まだ慣れていないので無理もないが、もう少し気持ちに余裕を持って走ったらどうだろう。
なお僕は、自分は長距離専門の持久力タイプと割り切っているので、最初からローペースに徹している。バードとの走行の際にもそうだったので、ブラックと距離が離れようが気にもならない。むしろ、無線通信を楽しんでいた。
峠の先から入った県道は、静かな田舎道だった。下り坂がしばらく続き、ここもまた順調に流れる。車も少なく、ゆったりした気分になる。
向かい風や峠に挑むのも良いが、こういった安らぎこそがやはり、サイクリングの喜びだ。今日は陽射しも強く、至る所でミンミンゼミの声が響く。しかしその一方で、コスモスが風に揺れている。
混雑する9号線を少し走り、すぐまた別の県道に入った。
帰りの行程はこのサイクリング発案者のブラックではなく、僕が設定した。だからこんな田舎道ばかりのルートとなったわけだ。しかしその結果コンビニの一つも見付けられず、とうとう昼食を食べそびれてしまった。これは僕の責任だ。次の峠を前に、三人で非常食をわびしく分け合った。
今日のハイライトは、標高332mの鼓峠。マップを見るだけでも、ヘアピンカーブが続いてきつそうな峠だ。
例によってブラックは先行し、ヒロくんはアセり始める。しかし、僕ですら見落としたわき水を発見したのは彼だった。さっきまでとは違う。周囲に目を向けるだけの余裕を、どうやら取り戻したようだ。
無線で知らせると、ブラックも引き返してきた。三人そろってのどをうるおし、そして楽な気分で峠を越えた。
そのまま県道を走り抜け、国道176号線に出た。あとはひたすら南下するだけだ。だがその前に、まず篠山口の駅前で休憩。ようやく食事にありついた。
食事を終えてさらに力を満たし、順調に南下する。もう三田も間近となると、帰り着いたも同然という気分になる。
新三田の交差点でブラックと別れた。これから西区の自宅まで帰るのは疲れるので川西の祖母宅に泊まるとの事だが、力のあり余っている奴の事、明日もまた走りたいというのが本音だろう。
無線はしばらく通じていたが、山を越えて行ってしまったらしく、じきに応答はなくなった。
さあ、僕らも有馬街道の山道越えだ。岡場あたりで陽が暮れて、またも夜間走行となってしまった。しかも昨夜の静かな山道とは違い、渋滞中のやっかいな山道だ。
大渋滞の障害をくぐり抜け、いよいよ最後の障害が、北町から泉台への登り坂。だがヒロくんが裏道の遊歩道を知っており、初めての道を楽しみながら登る事が出来た。
仲間がいると、楽しみは増えて面倒事は減るものだと、あらためて思う。
走行距離 118キロ
11月18日 日曜日〜19日 月曜日
今日は仕事が昼からなので助かった。午前中に支度を整えた。パニアバッグを取り付け、荷物を積み込む。シュラフにマット、ストーブにランタン、コッフェルにマグカップ、そして食料……。まるで、泊まりがけの旅に出るようだ。
もっとも、今回も泊まりがけと言えなくもないが。
しし座流星群はここ数年続けて観測しているが、今年は大出現が予想されており、また天候や月齢の条件も良いので、本格的に腰を据えて観測するつもりでいる。山の上へ行き、夜明けまで粘るつもりだ。
慌てる必要はないものの、22時過ぎには家を出た。かえって眠くなりそうなのであえて仮眠はとらず、それなら家で時間をつぶす事もないと思い。まだ宵のつもりでいたが、すでにかなり冷え込んでいる。
冷え込みはたしかにつらいが、それなりに準備は整えてきた。とくに冬用サイクルグラブは、高かっただけに快適だ。帽子も暖かい。
しかし何よりも、夜の山道を走る事がまず楽しかった。
重い荷物を負いながら坂に挑むのは楽しいものだが、それが夜の山道ともなれば、独りきりがなお実感出来て、さらに熱くなれる。
実際、本当に暑くなった。一時間も登坂を続けていれば、真冬でも汗ばむものだ。観測場所に着いてまず、冷えないうちに「運動服」から「観測服」に着替えた。
そして三脚を立て、カメラを据え、マットを敷き、シュラフを広げ、これでとりあえず準備は完了。あとはもう慌てる事はない。紅茶をいれてゆっくり飲んだ。
シュラフにくるまり、横になる。視野のすべてに夜空が広がる。深夜にかかり、すでに冬の星座が高みを占める。早くもいくつか流星が飛び始めた。
ところが、0時を過ぎた頃から急に雲がわき出し、やがて空を完全に覆ってしまった。
それでも、またコーヒーなどわかしながら、平然としていられたのはなぜだろう。流星群にそれほど関心がなかった、というはずはない。自力でどうにかなる事ではないのであきらめた、というのでもない。結局僕は、とことん楽観的なのだろう。そういえばモンゴルの皆既日食の時だって、なんとかなったのだから。
そして今回も、最後には幸運に救われた。その時までに、雲は完全に消えていた。
雲に覆われていた二時間のうちに星座は巡り、しし座もすっかり高みに駆け昇っている。そしてその頭を中心に、流星がひっきりなしに飛ぶ。
まさに、ひっきりなしだった。周囲の星座は見る間にすべて切り裂かれた。とても数えられず、感覚的に推測するしかないが、一時間あたり数千個の発生数である事は間違いない。
数秒ほど間が空いたかと思うと、次の瞬間には同時にいくつもの流星が流れる。突入時に砕けて落下してくる様子がありありと分かり、宇宙に向き合う臨場感はかなりのものだった。自分は地べたに横たわっているというのに。
観測者に向かって流れるため一点に停止して見える、停止流星も二度目撃した。もしもそれが燃え尽きなければ、いつかのように近所に隕石が落下するのだろうが。
さすがにそんな望みまではかなわなかったが、ほかはすべて希望通りとなった夜だった。大出現も、好天も、そして休日までも。徹夜が明けたら、帰ってゆっくり眠るとしよう。
夜が明けた。一等星まで見送って起き上がると、シュラフは真っ白になっていた。息のかかるマフラーも凍り付いている。今頃の季節でも、山の上ではさすがに氷点下か。
冷えきった体を温めるため、すぐに食事の支度にかかった。何でもないただのインスタントラーメンが、山で食べるとどうしてこうもうまいのだろう。
いきなり周囲が明るく照らされ、見上げると流星が輝いていた。今回最大光度の、そして今回最後の流星。
ラーメンでとった温かみなど、後片付けをするうちにすっかり冷えてしまった。自転車もやはり凍り付いている。霜ではなく、露が降りては凍りを繰り返したようで、氷層が厚い。サドルの氷をかき落とすだけでもひと苦労だった。
帰路はひたすら下り坂だ。リムの結氷は大丈夫だが、低温のためにブレーキシューが硬くなっている。ブレーキの効きが悪く、冷え込む中でさらにひやひやした。
2003年
3月28日 金曜日
天気は回復していた。体調も昨日ほどには悪くない。これならなんとか走れそうだ。
今回のコースは、京都への往復。今日一日で京都まで走り、明日一日滞在し、あさってに帰ってくる。メンバーは、ヒロくん、ブラック、そして、ブラックの友人の加納くんが初参加となる。
初参加にもかかわらず、加納くんは有馬街道をものともしない。途中、緊急事態で交番に駆け込みトイレを借りるといったハプニングもあったが、一時間ほどで有馬温泉に着いてしまった。
昔働いていたテーマパークの前でひと休み。ついでに記念写真を撮った。
そこからはひたすら下り坂。逢來峡ほうらいきょうを抜け、宝塚にもかなり早い時間に着いた。
ブラックが早いのはわかっていたが、今回ブラックのロードレーサーを借りている加納くんも、同じくらい早い。今日のために、二人で走行練習を重ねていたらしい。
宝塚までは早かったのに、その先の市街地はひどく混んでいて、かなりペースが落ちてしまった。大通りを避けて県道に入ったのがかえって悪く、車が渋滞するとその横をすり抜ける余地がない。
まあ、今日中に京都へ着きさえすればいい。大阪府に入ったところで、昼休みをとった。さすがに疲れたのか、加納くんは川原で寝入ってしまった。
午後になると、僕もまた体調が悪くなってきた。熱が上がった感じはないが、頭が重くやたらあくびと涙が出る。
176号線から171号線に入っても、あい変わらず車は多く、サイクリングを楽しむといった感じではない。
それでも、ひさしぶりに仲間と走行する感覚、いつも前後を気にしながら走る感覚を思い出したのは、なかなか愉快だった。
と言いつつも、京都入りする頃には僕一人がすっかり遅れてしまった。駅の近くで休憩をとり、あらためて列を編成してユースへ向かう。京都市街地も夕方の渋滞が始まっていた。
京都のユースホステルは、かなり大きかった。場所柄外国人が多いのはわかるが、家族連れも多いのは意外だった。
夕食の席で、となりにいたのは欧米系の女の子たち。気になったが、さすがに声をかける度胸はなかった。一度、天ぷらの具が何かをたずねられたが、それをきっかけに話をつなげる事さえできなかった。
ナスを"eggplant"と教えてあげてもあまり納得した様子もなく、加納くんの"vegetable!"のジョークにはウケていた。
きまじめも、時によりけりだ。
3月29日 土曜日
朝起きると、ブラックはすでに起きていた。聞けば、加納くんと二人でもう風呂に入ってきたとか。でも、加納君はすでにまた寝ていた。
つくづくよく寝るやつだ。
午前中は、街をぶらついてみた。昨日来る時に通りかかった、巽橋のあたりを。
男ばかりで歩いても、そう面白いものでもないが。
四人で相談して、午後は鞍馬まで行く事にした。ただし、僕は体調の事もあるので電車で向かう。無理なわけでもないが、明日のために体力は温存しておきたい。
ブラックはどうしても走りたいというので、自転車で向かう。こういう時、かたくなに集団行動にこだわる必要はないだろう。
電車組にはヒロくんが加わり、加納くんは自転車組に加わった。
京阪電車に乗るのは、今日が初めてかもしれない。ただ、終点の出町柳はすぐ近くで、ものたりない思いが残った。
さらに叡山電車に乗り換えて鞍馬へ。もちろん叡山に乗るのも初めてだ。山中を走るローカル線が、標準軌というのはユニークだ。しかしその方が安定感があって心強い。
鞍馬の駅前で写真を撮るなどしているうちに、登り坂をものともしない自転車組は、すぐに追い付いてきた。ゆっくり温泉に入り、またそれぞれ帰途につく。
ユースに帰り着いた頃には、自転車組はとっくに着いていて、そして加納くんはすでに寝ていた……。
夕食後は再び散策に出た。またも寝ている加納くんをそっと残して。
桜はすでに、三分から五分ほど咲いている。学校で写真部部長をつとめるヒロくんと競うように、夜景の撮影に挑んだ。
3月30日 日曜日
帰路設定の担当はブラック。来る時と同じ道を走るのは面白くないので、ほかの道をまかせた。山がちの道は、体調の悪い僕にはちょっと不安だが。
朝早いうちに京都市街地を抜け、山道にかかった。それほど傾斜はきつくなく、それでものどかないなか道で、今回の行程中で初めてゆったりくつろいで走れた。今日はほかの自転車乗りにもよく出会う。
気分的にのんびりしていても、行程ははかどった。妙見山の山なみが目前に立ちふさがるのには気おくれしたが、いざ登り始めるとたいした事もなく、昼前にはあっさり野間峠を越えてしまっていた。
峠から左手へ、桜の名所らしい妙見山の山頂方面へ向かう車が多かった。
山を降り、道ばたの空き地で昼食をとった。そしてたっぷり休息もとる。
続いて一庫ひとくらダムを目指した。湖をめぐる道は快適だったが、事故現場を通りかかったのには気が滅入った。さいわい、車はハデにひっくり返っていたものの、ドライバーは無事だったようだ。
ダムの先からはもう、ブラックにとっては通り慣れた道らしい。そこでまた気まぐれを起こし、地図上では近道らしい細い道へ入ってみたりもした。
山がちの、見通しのきかない道を抜けると、いきなり視界が開けた。遠くには三田の市街地。その手前を福知山線の列車が横切る。ようやく僕にも、帰ってきたという実感がわいた。
しかし同様にヒロくんも、それまで張っていた気がゆるんでしまったらしい。急に疲れが出て、もう走れそうにないという。
西区へ帰るブラックと加納くんとは、道場の分岐点で別れた。ヒロくんと僕とは、電話で迎えをたのみ、コンビニの駐車場で母の車を待った。
ゴール目前のリタイアは、人ごとではない事態だった。一つ間違えば、体調の悪い僕にふりかかっていたかもしれないのだから。
自転車の累計走行距離は、今回のサイクリングで2万キロを超えるはずだった。が、残り7キロで今回の走行は唐突に終わってしまった。
しかし中途半端に終わったからこそ、次回のサイクリングがますます楽しみなものになった。さあ、次は誰とどこへ行こうか。
次の日記へ
パビリオン入り口へ