神戸サイクリング日記3
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2004年
4月29日 木曜日
だいぶ長い間ほったらかしにされていたらしい、つっくんの自転車の整備を手伝いに行った。つっくんのマンションの目印は、こないだの嵐で倒れた街路樹だとか。でもその木はちょうど元通りに起こされたところだった。
近所の公園へ行き、まずは水拭きから。でもその前に、汚い状態のうちに写真を撮った。そして各部細かい所まで磨き上げ、注油もすませて、最後にまた写真を。
でも全体として見比べてみても、あまり違いはわからない。太陽の動きによる影の向きだけが、時間の経過を物語っているけれど。作業に午前中いっぱいかかってしまった事はたしかだ。
昼食をごちそうになってから、近場を走ってみた。この周辺で走りやすい所という事で武庫川へ。川沿いの自転車道を、北へは行った事があるので、今日は南へ向かってみた。
そのまま河口まで、行ける所まで行ってみる事にした。地震でズレてすき間が開いたままの堤防も、自転車を抱えて飛び越えた。
たとえ同行者がいても、こういうムチャはやめられない。
そのまま海岸近くの道をたどって、西へもどった。西宮のヨットハーバーなどをつっくんが案内してくれた。
北区の山の中から東灘の海岸近くへ引っ越してきてかなりになるけれど、西宮や芦屋などこの周辺は、今までまったく知らずにいた。
最後に、サンシャイン・ワーフというわりと新しいショッピングセンターも教えてもらった。六甲アイランドにフェリーターミナルができるまで、以前はここからフェリーが出ていたらしい。
東灘区内の事なのに、何も知らなかった。
今日一日で、一年分くらいは行動エリアを広げられた気がする。
6月13日 日曜日
つっくんとは、芦屋市内のある交差点で待ち合わせている。が、ついそれを忘れて写真を撮るのに熱中してしまっていた。
朝起きて外を見ると、今朝は空気がとても澄んでいて、対岸の関西空港まではっきり見えた。それで望遠鏡まで持ち出して、カメラを取り付け飛行機を撮っていたら・・・、待ち合わせの時間にすっかり遅れてしまった。
今日のコースは、つっくんが前もって設定している。舞洲のゴミ関連施設を見て、それから大阪に今も残る渡し船七航路をすべて巡るというコース。
時間配分までしっかり決めていた。聞けばやはり子ども関連での野外活動の下調べだとか。つっくんもしっかりリーダーやってるようだ。
それを俺は手伝うどころか、なんだかジャマしているような気もするが……。
舞洲のゴミ関連施設は、初めて見るのにどこか見覚えがあると思ったら、いつも通っているキッズプラザ内の、こどもの城をデザインした人の作品だった。オーストリアのフンデルトヴァッサー、大阪とはそれなりに縁のある人らしい。
続いて今日のメインの目的の、渡し船へ。
最初の渡し場では、目前で船を逃がしてしまった。
待ち合い室には同じように自転車で来て船を待っている、小学校高学年くらいの二人連れがいる。ヒマな事もあり、子ども相手のいつものクセで、つい声をかけてみた。近所に住む子達で、渡し船はたまに利用するそうだ。船に乗り込むと、たまの利用と言いながら、一番後ろの「指定席」も決まっていた。
女の子達と別れ、天保山へ寄り道した。一等三角点のある山としては最も低い山で、江戸時代に海底をさらった土砂を積んだ人工の山だそうだ。
日本一低い山を軽く登頂してから、公園で昼食をとった。七つの渡し船のうちまだ一つしか回っていないが、まあなんとかなるだろうとこれも軽く考える。
渡し船はどれも無料だった。自転車を載せてもタダ。橋を建設する代わりの行政サービスという事らしい。河口近くに橋を架けるとその先に船が入れなくなるため、渡し船の存続には合理的な意味もあるようだ。
小さな工場の立ち並ぶ昔ながらの町の中を自転車で走り、小さな渡し船をいくつも乗り継いだ。
船はその場所によって、大きさや運行間隔が少しずつ違っていた。交通量の違いへの対応が細かい。
ある船着き場で、小さな男の子がサイクル用のサングラスに興味を示したので、かけさせてあげた。こういうところ、子ども相手の活動のクセがなかなか抜けていない。
予定よりは時間がかかってしまったが、渡し船を使わない帰路は早かった。
さて、続いては自分の方の計画を進めていかないと。ポイントラリー第2弾のコースは、兵庫区から向こうの取材がまだ残っている。
12月7日 火曜日
兵庫区あたりまではまだ気軽に行ける感じだが、須磨区くらいになるとちょっと遠くに感じてしまう。にもかかわらず、つい出かける時間が遅くなってしまった。それでなくても冬はすぐに暗くなるし、今日中にすべてのポイント候補地を回るのは無理そうだ。
ただでさえ時間のない時に、カギを拾ってしまった。それを届けるために警察署へ。
そこでかなり時間をとられ、もうどうでもいい気になった。帆船のマストが見えたので、ついそのまま寄り道。日本丸が停泊していた。こないだ難破した海王丸は、今ごろどうしているだろう。
だいぶ遅くなってしまったが、とにかく今日のうちに回れる所だけは回ってしまおう。まず須磨海浜水族園の建物を写真に撮った。
そして公園の片すみの灯台へ。昔和田岬に建っていた、日本最古の鉄骨製灯台らしい。ただポイントとして、子ども達に探し出せるものだろうか。念のため、和田岬から須磨に移設された事を示すボードも撮影しておいた。
もう今日中にすべて回るのは無理とあきらめているので、気が楽だ。砂浜に降りて少し散歩をした。太陽は傾き、波もおだやかで眠たげだ。きれいな小さい貝がらをいくつか拾い集めた。
まだ時間がありそうなので、もう一か所だけ、松風村雨堂に最後に寄った。ここは俺でさえ迷った場所だ。子ども達に見付け出せるだろうか。今度のポイントラリー中もっとも難しいポイントとなりそうだ。
時間がないと思いながらも、今日のうちにだいぶ回れた。あとは須磨寺と、ゴールの敦盛塚くらいのものだ。今度またちょっと軽く走りに来よう。
須磨あたりもなんだか近く感じるようになった。
12月19日 日曜日
シンゴさんが仕事を終えて帰るのが19時半から20時になるというので、それに合わせて着くように出発した。
といっても、神戸の東端から岡山の山の中まで、どれくらい時間がかかるものか見当もつかないが。
とりあえず8時半に自宅を出発。さすがに神戸は広い。近いと思っていた須磨の海を見るまでにだいぶかかった。
追い越す車の助手席から身を乗り出して手を振る子に力付けられた。日本一周の頃を思い出す。
昼には姫路に着けるかと思っていたが、13時になってしまった。しかしあせる事はない。今日中に着けば充分だと思い直し、ペースを保った。急げば急ぐだけ、疲れるだけだ。
太子町のある公園で昼食。大きな工場の前に立ち並ぶ社宅の中の、小さな公園でひと息ついた。なじみのない土地へ来て、旅の実感が高まる。
「旅行」ではなく「旅」をしているのだと、自転車で走る時にはそう感じる。
県境の峠を越えた。日曜だからと甘く考えていたが、意外と大型車は多く、トンネルでは緊張した。
トンネルを抜ければ、さらに雨という試練が続く。そして日が暮れ、闇と冷え込みも加わる。
登り坂のあとの下り坂は爽快なものだが、今日はただ寒いだけだった。
それでもその後の行程はとても順調に流れた。ふと気付けばもう岡山市内。だがシンゴさんの家は、そこからさらにずっと北だ。
北へ向かう県道に入る手前で、なさけない事に2号線で道を間違えてしまった。岡山市街方面とバイパスの分岐点があり、走りやすそうなパイパスに入ったところ、そっちからは県道に降りられなかった。まるで高速道路のような所をずっと走らされ、だいぶ通り過ぎてやっと高架から降りられた。
だがこの回り道で、時間的にはちょうどよかったようだ。
途中で何度かメールしながら、シンゴさんの自宅を目指す。そしてほんの1キロほど手前で、ついにシンゴさんの車に追い付かれた。ほんとに見事に時間合わせがかなった。
今日走った距離は162キロ。ひさしぶりに長距離を走り抜いた。日本一周の時でさえ、一日にこれほど走ったのは珍しい。
脚にはまったく疲れが出ていない。こないだの六甲縦走の時もそうだったが、自分の体力への自信を新たにした。
ただその一方で、別の方面での身体の弱さをあらためて思い知らされる事にもなったが・・・。
ナベをごちそうになり、つい食べ過ぎて、しゃっくりが止まらなくなってしまった。
消化器や呼吸器も幼い頃から虚弱だけれど、こういう部位はいったいどうやって鍛えればいいのだろう・・・。
12月27日 月曜日
日が高くなり少しでも暖かくなってから出かけようと思ったが、結局8時には出発した。
出発から30分もしないうちにパンク。かじかむ手で修理をする羽目になった。だが30分かけて修理をするうちに、日も高く昇ってだいぶ暖かくなった。
2号線に出てしまえば、あとは道なりに走っているだけでなじみの場所まで帰れる。もう地図を確認する必要すらない。
行きに比べて帰りの方が、気分的にかなり楽だ。県境の峠も、午前中の早い時間に抜けてしまった。天気も今日は問題ない。
姫路にさしかかる頃から、道が混み始めた。市街地に近付くたびに、渋滞が伸びる。高砂でも、加古川でも。
250号線に迂回しようかとも思ったが、面倒なのでやめた。横を車が走り抜けていくのがマシか、横に停まった車をすり抜けていくのがマシか、考えようだ。少々ジャマとはいえ、自転車なら渋滞でも問題なく進めるのだし。
それでもさすがに明石まで渋滞続きとなると、最後にはウンザリしてきた。
パンク修理に渋滞と、手間取ったはずなのに早かった。舞子を過ぎてもまだ明るい。じつは明石海峡大橋は、夜景を楽しみにしていたのだけど……。
須磨のコンビニで、あんパンと牛乳で最後の休憩。時間はまだ16時半。さあ、あとひと走り。
そのひと走りはあっけなかった。走り慣れたなじみの街を、ただ走り抜けただけ。そしてまるで近所の買い物帰りのように普通に家に着いた。
ゴールが自宅という日常の場なので、帰路にはあまり達成感がない。帰り道は楽というより物足りない。
それでも160キロを8時間で帰ったのは、胸を張れる記録だと思うが。
2005年
1月8日 土曜日
マックホルツ彗星とプレアデス星団が最接近する夜、せっかくだから山の上で観測する事にした。
テントにシュラフ、キャンプ用品一式を用意する。近所の山でたった一泊だけとはいえ、防寒を考えると荷物は増え、八ヶ岳に登った時のようになってしまった。
明るいうちに観測地に着いておこうと、15時には家を出た。
ふもとの登山口までは、自転車だ。いつものようにサイクルシューズをはき、ズボンクリップ、グラブにサングラス、そして頭にはヘルメット。
しかし背中には、80リッターの巨大な登山用ザック。われながら妙なかっこうだ。こんなサイクリングは初めてだ。
ザックが高いので、顔を起こすとヘルメットの後部がぶつかる。次からは何か工夫しよう。
登り口に自転車を停め、シューズをはき替えた。サイクリストが、ここからいきなりハイカーになる。
観測地には、日のあるうちに着いた。ゆっくりと夕陽を見送ってからテントを張り、熱いスープをすすりながら空の暮れるのを待った。たまに周囲をうろつくイノシシの相手もしながら。
こうして静かにくつろいでいると、自分はつくづく独りきりで過ごすのが向いていると実感する。寂しいと感じるのは、集団の中に置かれる時だけだ。
山に来ても、眼下の街明かりは予想以上に明るかったが、それでも近所の公園よりずっと空は暗い。
彗星は肉眼でも見る事ができた。
昨年末に買った一眼レフカメラと以前から使い慣れたデジカメで、彗星のほかにもオリオンの大星雲や冬の星座の全景など、思いつくまま夜が更けるまで撮り続けた。
1月9日 日曜日
テントに入って寝付いた頃から風が強まり、その騒々しさに始終眠りは浅かった。
夜が明けても、風は吹き荒れている。天気は良かったが、そのため冷え込みも厳しい。こぼした水がすぐに凍り付いた。
寒いのでテントの中で湯をわかし、紅茶をいれてパンを食べた。
中を片付け、さてテントをたたもうとザックを出すと、途端に軽くなったテントが飛んだ。でも慌てるより、つい笑ってしまった。こないだ観たハウルで、カルシファーが抜けた途端にハウルの城がつぶれたのを連想したせいで。
時おり街を見おろしつつ山を降りた。
海が輝き、六甲アイランドもくっきり見える。自転車と徒歩により、ほんのわずかの距離で海から山へ来てしまった事が、まだ不思議に思える。
またシューズをはき替え、ヘルメットをかぶり、自転車に乗る。ついさっきまでハイカーだった自分が、すぐにサイクリストに変わっている。
とはいえ大きなザックを背負って自転車に乗っているのは、はたから見れば不自然だろうが。
途中フィルムを現像に出しに店に寄ると、どこまで走ってきたのかと聞かれた。海から山まで行ってたわけだが、じつは区内をうろついてただけだったりする。
自宅から自転車と徒歩で行けるような距離に、氷点下の風が吹き荒れる山がある。帰宅すると、その事がとても奇妙に感じる。
夕方、写真を受け取りに行く頃には、もうすっかり感覚は日常に戻っていた。
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