武蔵野サイクリング日記


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   1991年

     6月8日 土曜日
 今日一日でいろいろ用事をすませる事が出来た。まず部屋を片付け、アンテナを固定しなおし、段ボール箱を整理し、そして次の旅の切符を買いに行ってきた。帰ってからはホテル予約の電話。
 夕方にはちょっと近くのサイクリングコースをたどってみた。ちょっとのつもりが、湖をぐるっと回る事になってしまったが。実際、ほんのちょっとの時間で行き着く所へ行き着いてしまう。コースそのものは気に入ったけど、一日中サイクリングが楽しめるくらいの距離があればもっといいのに。


     6月16日 日曜日
 朝からひどい雨。午前中にちょっと東京まで行こうかと思っていたが、爪をはがした左足は痛むし、何よりこの雨で気が滅入ったので出かけるのはやめた。
 夕方になると薄日が射し始めた。そうなると部屋の中でじっとしてもいられず、自転車で出かけた。ちょっとそこまでと出かけても、やはり行き着く所まで行かなくては気がすまず、結局20キロ近く走ってしまった。足が痛むのに、明日は大丈夫かな。


     8月24日 土曜日
 場内に入ったところで雨が降り出したので、自転車の速度を上げた。そして、濡れたカーブで転倒、僕も自転車もケガをした。自転車を濡らすまいと急いだのが、かえって裏目に出てしまった。あれ以来続いている不運の中でも、これはきわめつけだ。
 とりあえず治療のために会社へ向かった。直後にはしびれていてどこをケガしたのかも判らなかったのが、感覚が戻るにつれてひどい痛みが噴き出してきた。そして脈うちながら、面積を広げてゆく。僕は辺りに人がいないのを幸いに、乱暴な言葉を吐きながらなんとか耐えた。
 傷はヒジに胸、脇腹にヒザ、みな左側だった。アスファルトで削ったヒジが一番ひどいかと思ったが、服を脱ぐと脇腹の方がひどかった。ドロップハンドルの先で突いてしまったらしい。だが骨盤の縁に当たり浅くえぐっただけですんだのだから、少しは運が良かったか。中途半端な幸運より、どうせなら徹底的な不運の方がいい、今はそんな気分だが。服には大きな穴が開いていた。
 ほかの傷は小さいが、打撲の痛みは強い。静かにしていればなんともないが、うっかり押さえたりすると、ズウンと重い痛みに息も止まる。こんな状態の僕が、どうして一人で宿直をしなくてはならないのだろう。点検に回るのがやっとで、たとえ異常があってもどうする事も出来そうにない。だからいっその事、トラブルでもあると面白い。


     10月3日 木曜日
 今朝は47キロで新青梅街道を走り抜けた。あの時以来カーブが恐くてたまらないが、直線なら平気だ。帰りも速く、ではなくて早く帰った。耳鼻科へ寄るつもりが、診察券を忘れたから。


     10月18日 金曜日
 帰り道、何かに乗り上げて自転車のメーターが吹っ飛んだ。辺りを捜したが見付からない。道には大きなコンクリートのかけらが転がっていた。あんな物が国道に落ちているなんて。安心して走れる道など、どこにもない。


     10月19日 土曜日
 自転車の具合がどうもおかしいのでよく見ると、前輪のリムが一部ゆがんでいた。昨日の石にぶつかった時の衝撃は、かなりのものだったらしい。飛んでいったメーターも見付からなかったし、相当な出費になりそうだ。


     12月17日 火曜日
 午後に自転車でダムまで散歩に出た。ちょうどいい距離の所に、気分転換に適した場所があるのはいい。以前は近すぎて自転車で走るには物足りないと思ったが、ちょっとした時間で行けるのもそれはそれで楽しい。


     12月30日 月曜日
 ひと段落ついた。夕方になってしまったが、またダムまで散歩に行った。風が強く、山並みがくっきりしている。富士まで見えた。冷たい風の中で日の入りを待った。夕日は富士の頭上を過ぎて、右の袖の辺りに沈んだ。


   1992年

     4月3日 金曜日
 午後に自転車で散歩に出た。明るい陽の射す今日のような日は、部屋にこもるには惜しい。
 サイクリングコースも公園も、満開の桜の色でさらにまばゆく、全体に波うつように感じるほどにぎやかだ。こういう時、独りの僕はやはり身の置き所がない。自転車で駆け抜けるだけで帰って来た。


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