新潟サイクリング日記2


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   1992年

     4月19日 日曜日
 雨の日曜日、のはずが、昼過ぎから陽が射してきた。そうなるともうアパートの中にはいられない。選挙カーが近所でうるさい事もあって、すぐに自転車で飛び出した。
 行くあてはなかったが、外へ出ると妙高がはっきり見えたので、南へ向かった。新井まで行くと妙高はますます鮮やかに見え、今走っているゆるやかな登り坂は、そのままそのふもとへと続いている。雪があるうちは無理だろうが、今年は妙高へも行ってみるつもりだ。


     4月26日 日曜日
 この季節、そしてこの天気、迷わず自転車で野尻湖へ向かった。
 18号バイパスのなだらかな上り坂を南に向かい、先週引き返した地点を過ぎると、くっきり見える妙高にあらためて目を見張った。高田からでは南葉山に隠れて見えない白い山並みが、眼前に突然迫るためだろう。雪を頂いた山脈は、上越アルプスと呼んでもいいほど壮大に感じた。
 バイパスはいつしか本線に合流し、気付くと見憶えのある道を走っていた。以前はこの道は唐突に途切れ、そこを左折して古い道に入ったが、どうやらつながったらしい。
 上り坂は徐々にきつくなる。それでも僕は、出来る限りは変速をしない。ギアを落として軽く登って行くよりも、負担になり過ぎない範囲で重いペダルを踏みしめる方が楽しいから。ひと踏みひと踏みゆっくりと進むのは、山歩きに似ている。それがますます僕を熱くさせる。挑む物さえあれば、熱意を向ける対象さえあれば、いくらでも熱くなれるものだ。県境を越える最後の登り坂は、挑む相手としてはふさわしい。
 一年ぶりの野尻湖は、まったく変わっていなかった。時期遅れの花と、まだ淡い若葉。強めの風に波は高いが、それでもおだやかな周囲の景色を騒がせるほどではなかった。
 景色や風は春先でも、陽射しは初夏のようだ。僕の腕は半日で赤く日焼けした。汗が乾き塩の白く浮いた腕や顔を、湧き水で洗った。わざと荒っぽく、全身にしぶきを浴びるように。ボトルにその水をくんで帰り、食通気分でコーヒーをいれて飲んだ。


     6月20日 日曜日
 自転車で野尻湖へ。これで四度目にもなるが、自転車で走る事こそが一番の気晴らしだから。今は何も考えず、ただ坂道に挑みたい。
 陽も射さず、風も冷たく、そして荷物も軽いので、かなり楽に進んだ。いつもパンを買う店まで最速のギアで登り、その後も登坂車線のある坂以外はギアチェンジせずに登った。同じコースを何度も通うようになれば、楽しみになるのはこういう記録作りだ。ギアを使わずにどこまで登れるか、挑んでみる価値はあると思う。
 楽しみはそれだけではない。一番の目的は、ミドリシジミだ。おと年のような偶然を期待して、林の中を進んだ。
 ブナの林は、エゾゼミの静かな声に満たされていた。カラマツの林は鳥の声。アカマツの林に入ると、風の音のほかはまったくの無音だ。ブレーキをきしませる事さえはばかられ、僕はふらつくほどゆっくり自転車を進める。やがて霧が出てきた。湿った朽ち木の匂いが濃く感じた。霧はすぐに路面を濡らすほど濃くなった。
 歩くよりもゆっくりと進みながら、周囲の動く物すべてに目を向けながら、それでもやはりミドリシジミには出会えなかった。そうだろう。偶然なんて期待して起こるものではない。翠色のゼフィルスは、やはりいつまでもあこがれのままだろう。写真に収めようなどとは考えない方が良いのかもしれない。
 帰途につくと、すぐ雨になった。ふもとに降りればやむだろうと気楽に考えていたが、雨は強くなる一方だ。かなり大粒で、向かい風のために勢いもあり、腕に当たると痛いほどだ。
 ずぶ濡れになりながら、僕はずっと笑っていた。こういう状況が、なぜか楽しくてたまらない。向かい風や豪雨の中を、荒れ狂ったように思いきりがむしゃらに走りたい気分だったから。いきなり間近に雷が落ちた。いっその事、僕に落ちればよかったものを。


     7月3日 金曜日
 2日がかりで自転車を磨き上げた。夏を迎える準備完了、といった気分だ。もっとも自転車で出かける予定はないが。通勤ばかりに使うなんて、僕としてもつまらないし、自転車にも気の毒だ。直江津の海くらい、もっとたびたび行ってみようか。


     9月20日 日曜日
 朝からずっと原稿用紙に向かっていた。指が疲れると、休息がてら買い物に行ったりCDを借りに行ったりもしたが。
 このまま休日は終わってしまうかと思ったが、CDを返しに行った時に、つい気が向いて正善寺湖ダムまで行ってしまった。
 夕暮れの谷間の風は冷たく、引き締まるように心地良いが、いたる所で何かを燃やす煙が立ちのぼり、目やのどに痛いのが残念だった。清澄な空気を味わうためには、どこまで遠出すればいいのだろう。ダムに着けば、水面の低下が虚しく見えた。


     9月23日 水曜日
 午前中はずっと書き物をしていたが、外はあまりに天気がいいので、午後は自転車で出かけた。
 行くあてはなく、行き先の分からない道を走った。ただ町を離れたいというだけで、なんとなく西の山を目指した。
 陽射しの強さにセミの声、あごや前髪からしたたる汗、けれどススキが穂を広げ、雲も薄く高い。今頃の山には、こんな季節もあったのか。
 坂道を登るうちに、僕の体はすっかり夏になった。ひっきりなしに汗は流れ、服もズボンも重くなる。メガネも流されかけ、ずり落ちながらかろうじて鼻に引っかかる。散歩程度のつもりで、ボトルを置いて来たのは失敗だった。登りきれば次には楽な下り坂があるが、帰りの事を考えればそう楽しくもなく、しかもその先にはまた登り坂がある。
 そんな事を繰り返して三つの山を越え、四つ目の山の上でとうとう自転車を降りた。道がどこへ続くのか気にはなるが、もう時間もない。それに同じ道を引き返すとなれば、どこまで行こうとその場所が中間地点になるだけだと気付いた。ここを折り返し点として、引き返そう。この坂を下ってから引き返すとしたら、合わせて八つの山を越える事になるが、ここからならまだ七つですむ。
 さすがに疲れ、帰りには目いっぱいギアを軽くした。いつも限界ギリギリの重いギアで登っていたので気付かなかったが、急坂もこうすればラクラク登れてしまう。思わず口笛でも吹きたくなるくらいに。もちろん吹ければの話だが。


     10月18日 日曜日
 昨日の疲れというわけでもないが、休日のゆったり気分でつい寝坊してしまい、9時半の列車に間に合わなかった。次は昼過ぎまでない。開き直って午前中はゆっくりする事にした。
 黒姫に着いた時にはもう13時。これから何の手がかりもないまま童話館を捜さなきゃならないのに、まあなんとかなるだろうとのん気に考えた。とりあえず看板か案内図でもないかと駅前を見回すと、目に付いたのはレンタサイクルの看板。さっそく借りて、気の向く方角へ自転車を進めた。
 本当になんとかなってしまうのだから面白い。たいした苦労もなく童話館に行き着いた。いつでものん気でいる事と、とにかく行動を起こす事。これさえ守ればなんでもたいていうまくいく。
 そのまま自転車で童話館まで乗りつけようとしたが、車両進入禁止だった。たぶん自転車もダメ。そこへタイミングよく送迎バスが来たので、慌てて自転車を止めカギを掛け、荷物をつかんでバスにとび乗った。
 思えば昨日から、ずっとこんな調子だ。天狗平でも、夕日に未練を残しながら終バスの音に慌ててバス停に走ったり、富山でも乗り換え4分間に地方鉄道駅からJR駅へ全力疾走し、切符も適当に買って車内で精算した。今日もバスに駆け込み息を切らしていたら、なんだか僕一人が浮いていた。周囲の人達は厚着をしてもなお寒がっているのに、坂道を自転車で駆け登ってきた僕は、ジャンパーを脱いで腕まくりをしながら、汗をにじませているのだから。
 童話館は思ったほど規模の大きなものではなく、人の多いせいもあって博物館的なゆったりした落ち着きはない。けれど小学校の図書室の懐かしい本もあったから、いつかゆっくり読みに行きたい。
 一人でいるのはやはり僕だけだ。たしかに一人で行って楽しめる所ではないのだろう。手を引いて連れて行くような子でもいれば……。けれども僕は、身近な子どもの存在にあこがれながら、同時に子どもを恐れてもいる。
 行きの列車内では、2才の男の子と乗り合わせた。とても人なつっこいその子は僕の所にもやって来たが、僕は笑いかけたり声を掛けたりするだけで、ほかのおばさん達のように抱き上げる事はおろか、頭をなでてあげる事すら出来なかった。もし泣かれでもしたらどうしようかと、ついひるんでしまう。この時ばかりはさすがの僕も、のん気にかまえる事も行動を起こす事も出来なかった。
 まだ少し時間があるので、付近を散歩した。館内はにぎやかだが、外は対照的に静まりかえっている。黒姫のふもとのなだらかな斜面に沿って、夕暮れ時の静けさがゆっくりと流れる。
 林の中へ続く道があったので入ってみた。さらに細い別れ道の方へ。道は池に続いていた。ただ色付いた木々の葉と冷たい色の水面だけが、かすかに揺れている。
 しばらくたたずむうちに、風は息が白くなるほど冷たくなり、夕日は林の向こうの黒姫の、肩の辺りにゆっくり沈んだ。


     11月3日 火曜日
 自転車で南へ向かった。カメラを持って、ボトルを紅茶で満たして。けれど10キロほどで引き返す事になった。鋭く冷たい風にすぐ鼻が痛み出し、やがて気管まで痛くなってきたために。
 くやしいが、これ以上坂道に挑み続ける事は出来ない。みじめな思いで坂道を下った。登り坂で呼吸がひんぱんになると、風が冷たくてはもうもたない。マスクをすれば、今度は必要なだけの呼吸が出来なくなるし。体力で負けたわけではないとしても、引き返すのはくやしかった。
 帰り道、気まぐれというか気晴らしのつもりで、適当にわき道に入った。迷ったり引き返したりを繰り返すうち、偶然見付けたのが斐太遺跡という所。時間も早いので散歩してみる事にした。
 本当に、僕の気まぐれな行動というのは、いつだって面白そうなものに突き当たる。でも、こういった僕の行動に付き合える奴なんていないだろう。それに僕にしても、もう何年も一人っきりでいるから、自分を抑えて他人に合わせるなんて考えられない。僕はやはり一人でいるべきなんだろう。
 弥生時代の遺跡から、さらに妙な山道に迷いこんだ。道はだらだらとどこまでも続いている。どこに行くかも分からないのに、進み始めると引き返す事を知らない僕は、ひたすら道をたどる。
 1時間ほど登った所で、唐突に道は途絶えた。そこは小さな谷の上で、コンクリートの筒に緑色のフタがかぶさった妙な物があるだけ。水質調査の井戸か何かだろうか。
 横倒しになった木の上に座って、少し休んだ。周囲の木々は、どれも同じように斜面から横倒しになり、反り返るようにして転げ落ちないようふんばっている。雪の力というのは、こういうものか。そう思うとこの木々の姿はすさまじい。
 けれど今日の穏やかさはどうだろう。強い風も木々に囲まれた僕までは届かず、ただ葉ずれの音だけを降り注がせる。足もとの落ち葉は乾いていて、木漏れ陽も暖かい。一人っきりの気まぐれな行動のおかげで、いい場所を見付けた。
 それから池や城跡を巡り、別の道を戻ると広場があった。
 芝生は弁当を広げる家族連れが大勢で、アスレチックは小さな子ども達がにぎやかだ。場違いな思いで足早に通り過ぎた。一人っきりでなければ出来ない事がある一方で、一人っきりでは決して出来ない事もある。


     11月21日 土曜日
 朝一番の列車で田辺を出発した。串本へ行く前に、弁当を買うために白浜で途中下車。早過ぎてまだ売店が開いていなかったが、一時間待ってしっかり買った。
 今回の旅の目的は、紀勢線の駅弁未購入あるいは未確認の駅めぐり。今日までのところ、多気と串本は駅弁なし、紀伊勝浦では昨日買い、白浜でも今朝買った。熊野市は明日に持ち越しだ。昨日はそれどころじゃなかったから。
 今日はあの荒れ模様が遠く思えるような好天だ。串本で降りるといつかのようにレンタサイクルを借り、橋杭岩、潮岬、そしてあの砂浜を回った。波の色はちっとも変わっていない。やはり海は青空の下、陽光の中で見なければ。遠い海は蒼く、近くの岩の間の水は碧色。いつまでも見飽きない。
 ついでに海中公園まで足をのばした。ついでとはいえ、乗り慣れない自転車で行くにはちょっと距離があった。だが着くと途端に疲れを忘れた。
 水族館は小さいながらも、発光魚の展示や自然採光の水槽が面白い。そして海中公園。千葉の勝浦にあるのと同じようなものだが、眺めは大違い。窓をのぞくたびに、!! の連続だった。魚の多さばかりじゃない。周囲のサンゴ、そしてその上を泳ぐ熱帯魚達……。あの砂浜に立った時から、ここの海は日本のものとは違う南国の海だと感じたが、やはりそうだった。コバルトブルーのルリスズメ、黄色いチョウチョウオ、ハタタテダイもいた。あんな世界がこんなに身近にあったとは知らなかった。
 つい長居をしてしまった。駅へ戻ると50分オーバー。悪かったなあと思っていたら、一時間以内なら超過料金はいいと駅員に言われ、ますます気がひけた。嬉しかったが。


   1993年

     2月6日 土曜日
 信じられない暖かさだ。関東では春一番が吹いたとか。ここも陽が射し雪も消え、やはり4月のようだった。誕生日を前に冬が行ってしまうなんて許せない。とはいえ、ひさしぶりに自転車で走れたのは気分が良かった。
 今日は休日だが、夜に新年会があると思うと気が滅入る。そんな気晴らしも兼ねて、自転車で買い物に出た。書店に行き、パン屋に行き、ハガキを出すのを思い出してポストを捜し、ついでに見付けた文具店で原稿用紙を買い込み、ワープロ用紙とインクリボンを買い、最後に近所の書店で本を一冊注文して帰って来た。今頃の季節に、こんなふうに自転車で走り回れるとは思わなかった。いい機会だから用事をすべて片付けた。
 今日は原稿を19枚仕上げた。これで250枚。思ったほど片付かなかった。まあそれも仕方ない。せっかくの休日も、後で出かけなければならないとなると気詰まりで、なんだか落ち着かなかった。
 かなり早目に着きそうなので、回り道をして時間をつぶした。飲み会なんてのは遅れない程度に遅く行って、出来るだけ早く帰るのがいい。結局その後道に迷って、たくらみ通り5時半ちょうどに着いた。


     3月5日 金曜日
 自転車での通勤はずいぶんひさしぶりだ。つい熱くなって飛ばした。会社へ行くのにそんなに張り切るなよ。
 昼休みには、応募する原稿を送るため郵便局へ行き、ついでに銀行へも寄った。それでも時間はまだ余る。歩くと郵便局だけで時間をつぶしてしまうのに。
 そして帰りには、今度の切符を買いに駅へ寄り道。自転車に乗れると本当に便利だ。


     4月18日 日曜日
 原稿の整理に一日を費やした。休日をすべてつぶす覚悟でいれば、かなりはかどるものだ。たまには、出かけない日曜というのも悪くない。テレビは知らない番組ばかりやっている。巡回の警官がやって来て、新しい住人という事で名前や連絡先の記入を求められた。いつも留守だから、新しい入居者のまま一年たってしまったか。
 昼前にちょっと買い物に行った帰り道、横を追い越していった車の窓から、男の子がバイバーイと手をふった。やっぱり、部屋にいるより外に出た方が楽しい事がある。とはいえ仕事がたまっていればそうもいかないが。
 午後もちょっと出かけた。疲れたので息抜きに正善寺湖ダムまで。息抜きの散歩にしては、遠過ぎたかもしれないが。
 山道を進むにつれて、桜はつぼみに変わってゆく。市内でこれほど差があるとは。とはいえ南葉山も依然白いし、このくらいの事は当然だろうか。冬はまだ遠くない。
 対して僕の体は、重いペダルを踏みしめるにつれ次第に熱くなっていった。18段の最も重いギアで、限界を試してみる。ギリギリと音を立てるようにして、冬の間のゆるみが締め付けられる。汗をしたたらせるのも半年ぶりだった。


     6月27日 日曜日
 昨夜の疲れで寝坊し、起きるともう日が高い。
 降るはずが、なぜか薄陽が射している。そうなるとアパートでじっとしてなんかいられない。遅い朝食を手早くすませ、自転車で遠出する支度を整えた。ただ肝心の自転車が、会社に置きっぱなしだ。昨日は雨が降り歩いて帰ったから。会社まで自転車を取りに行き、ようやく出発。もう9時半になっていた。
 例のコンビニまでノンストップというのはいつもの事だが、今日はそれに加えて新しい記録が生まれた。その先の登坂車線のあるような急坂も、18段の最も重いギアのままで登り切った。もちろんそうする事に、何かの意味があるわけではない。ただ自分を試し、うち克つ喜びが得られるだけだ。
 その喜びも、乗り越えられた時に始めて得られる。挑む時にはただ苦しみしかない。すぐわきを車が何台も、スクーターすら無関心に通り過ぎて行く。まあ僕にしても連中は相手ではないが。興味があるのは、ただ自分の中にどれほどの力があるかという事だけだ。
 車が途絶えた一瞬の静寂に、周囲の景色がふうっと薄まった。意識を遠い先に向けられなくなり、視線も前輪の辺りから動かなくなる。張りつめたチェーンの音に混じり、筋肉の軋む音まで聞こえてきそうだ。汗はとめどなく流れ続ける。落ちるそのしずくを回転するスポークが弾いた。真っすぐ伸びるスポークの一本一本にも、力がみなぎっているように見える。薄雲越しの陽射しも、汗まみれの腕や顔にはしびれるように暑い。
 勢いであの県境の坂にも挑んだが、スノーシェッドの中でとうとうギアチェンジした。悔しいが、素直に自分の力の限界を認めるのも必要だろう。いさぎよくあきらめた。今回だけは。
 遅く発ったのに昼には湖に着いた。所要時間2時間半というのもまた新記録だ。
 湖を巡る道をたどると、辺りはハルゼミの穏やかなささやき声に満たされている。これこそが高原の初夏。自転車でなければ分からないだろう。ここでは同じ自転車乗りともたびたび出会う。ある一団とすれ違った時、こんにちは、と声をかけられた。ちょうど山道で行き会った時のように。不意の事で、……にちは、とはっきり返事出来なかったのが残念だ。
 それから、ビデオカメラまで用意しながら、今日もまたゼフィルスには出会えなかった。やはり僕にとってゼフィルスは、いつまでも手の届かない遠いあこがれの対象か。それなら、いつまでもそのままでいてもらおう。僕は見たい時に見る代わりに、思い浮かべたい時に思い浮かべる。
 湖をひと巡りした後、自転車を黒姫高原へ向けた。近くだし、道も覚えたとなると、つい行きたくなる。疲れてはいたが、ギアを軽くすればまだまだ平気な気がした。登るのに1/3の体力、下るのに1/3の体力を使い、残りの1/3は何かあった時のためにとっておけ、昔山へ行くたび父親にそう言われたが、そんな器用な体力配分はいまだに出来ない。
 体力は思いのほか早く尽きた。もういくらギアを落としても、弱まる力を補えない。駐車場の手前200メートルで、ついに自転車を降りた。全行程100キロのうちの0.2パーセントくらいどうという事はないのに、くやしかった。


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