四つの標しるべ  − 80日間日本一周 −


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     3 神戸へ

     4月15日 晴
 おだやかな波ながら、つらい四時間となった。半年ぶりの船旅という事もあるだろう。が、発てば急に半年前は近く、昨日までは遠くなった。
 石垣島は三度目だが、米原キャンプ場は知らない。初めての道を走る楽しさを、ひさしぶりに味わう。石垣にはカラスがいる。セミも鳴いている。
 ちゃんとしたキャンプ場に泊まるのは、これが初めて。起きた場所とは違う場所で眠りにつく。あらためて旅を実感する。

     4月16日 晴
 大荷物はテントの中に置き、20キロ離れた市街地へ向かう。まずは弟にすすめられていたPHSの申し込み。県外者は契約できないと言われ、あちこち回る羽目になった。続いて郵便局から不要物を送り、ホームセンターで燃料など買いそろえる。旅の準備は整った。那覇への船の日時も確かめた。早い便で明日の夜。それで発とう。今は早く進みたい。

     4月17日 曇
 9時過ぎにはキャンプ場を発ち、昼前には市街地へ。まずコインランドリーで洗濯し、船のチケットも買った。これで夕方まで何もない。A&Wで遅い昼食をとりながら、神戸の友達に手紙を書いた。あとは図書館へ。
 出港はかなり遅れた。暗いうえに小雨まで降る。デッキから黒い海を見つつ、くだらない事を思う。生きる事は難しいのに、なぜ生きているのか。死ぬ事は簡単なのに、なぜ死なないのか。やはり落ち込んでいるようだ。早く朝が来ればいい。

     4月18日 雨
 10時前には那覇に上陸。雨の中、まず鹿児島への船の日時確認のため走り回る。続いて渡嘉敷への船のチケットを買う。海のきれいな良い所と聞いていたので、ちょっと寄り道したいと思った。だがフェリーはすでに出て、夕方の高速船しかない。書店で立ち読みして時間をつぶした。渡嘉敷に着くのは17時過ぎになる。
 高速船はひどく揺れた。自転車が投げ出されそうなほどに。潮をかぶり、カバーも破れた。途中荒波の中で船を停め、固定し直してもらったが、その後も気が気でなく、酔う余裕もなかった。それでも上陸後しばらくは動けなかったが。
 日も暮れ、雨も降り出した中、山を越える。すっかり暗くなった頃、林の中のキャンプ場に着いた。第一印象の悪い島になってしまったが、外国人キャンパーがチキンカレーを分けてくれた。

     4月19日 曇
 雨は止んだが、天気予報によると回復は明日から。とりあえず濡れた物を干し、自転車を清掃した。午後には手が空いたが、天気が悪くては泳ぐ気にもなれない。せめて砂浜から岩場へと散歩した。奇岩が多く、四つのトンネルをくぐった。水は目に見えないほど澄み、そこにはゆらぎだけが存在する。深みは淡い翠色。ルリスズメは漂うラピスラズリのよう。鮮やかな瑠璃色。だが、心を満たすほどではない。ここへ来て得る物はあっただろうか。しばらく天気の安定を待つつもりだが、時間の無駄かもしれない。今夜も昨夜と同じ場所で眠る。これもまた面白くない。

     4月20日 曇
 心は決まった。今日島を出る。曇り空が続くなら、居続ける意味はない。フェリーは午後なので、午前中に最後の散歩をした。海岸から展望台へ登り、集落も歩いた。掲示板に不発弾処理の通知がある。向かいの店の人は、時おりこんな事はあり、爆破処理の音も時おり聞こえるという。通りかかった漁師の人は、海に潜ればまだいくらも沈んでいると。いつまでも立ち去らないおばあさんは、当時の激戦の様子を語った。
 昼過ぎには港へ。だがフェリーは16時出港で、かなり待たされた。那覇に着くなり、初めてPHSに着信。自転車仲間のブラックからだ。半年ぶりという事もあり、交差点で話し込んでしまう。夜にはボアからも。友人達とのひさしぶりの会話に、元気付けられた。
 民宿には自転車やスクーターで旅する人もいて、彼らとの話も楽しかった。エア漏れのある後輪チューブの交換もすませた。明日は鹿児島へ発つ。

     4月21日 雨
 鹿児島へのフェリーは、定刻の8時に少し遅れて出港した。入港は明日の8時。まる一日、たっぷり楽しませてもらおう。最後の船旅になるだろうから。今後再び沖縄に来る事など、ありうるだろうか。だが何の感慨もないまま、いつしか県境を越えていた。
 手紙を書き、昼寝をし、ラジオを聞くなどして過ごす。いくつもの島に着き、そして離れる。雨が強まり、日が暮れるにつれ、さすがに気が重くなってきた。明日からは、僕には決まった居場所がない。その日ごとに目指すあてもない。一日一日を、なんとかこなしてゆけるだろうか。自ら始めた旅なのに、不安でならない。
 今になってふと思い出した事がある。半年前、那覇へ向かうフェリーの中で、僕は「三四郎」の古本を読んでいた。ストレイ・シープ。僕は未だにストレイ・シープのようだ。

     4月22日 雨
 また雨の中の上陸となった。火山灰を含んだ灰色の雨が降る。だがこの最悪の状況を乗り切る事が出来れば、これからどうにでもなるだろう。
 まず西鹿児島駅に行き、駅弁を半年ぶりに買う。駅弁は、今でも旅の楽しみだ。昼頃、フィルム現像を待つついでに公園で弁当を食べ、写真を受け取り再び走り出す。
 国分に入ると、海岸にキャンプ場があった。まだ昼過ぎだが、雨中走行は避けてここで泊まる事にする。この先は海岸沿いの田舎道で、キャンプサイトも見付からないだろう。屋根の下で雨具と荷物を整えた。
 夜には雨は激しくなり、風も強まった。判断に誤りはなかったと思う。渡嘉敷では集中豪雨だそうだ。
   N31°42′ E130°47′  045km  鹿児島県国分市海浜公園キャンプ場

     4月23日 雨
 ひどい暴風雨だった。夜更けにテントを揺さぶられ、物陰に避難した。強風の吹き荒れる中、その時はなぜか雲もなく、海上に大きくさそり座が見えた。やがて風は弱まったが雨は降り続き、朝まで残った。
 テントはあちこち破れ、ポールも曲がり、その補修のため出発はかなり遅れた。雨の上がるのを待って発ったが、走り出せば再び雨。午前中は雨中走行だった。だが午後には回復し、快調に距離をかせぐ。錦江湾を離れ、大隅半島横断にかかった。
 だがそろそろ日も暮れかけたので、マップ上にある公園を目指して道をそれる。山道で迷ったが、おかげでキイチゴをたくさん見付け、むさぼり食った。凍結注意の標識がなんだか懐かしい。たどり着いた公園にはキャンプ場もあった。最後には幸運に恵まれた。
   N31°24′ E130°57′  075km  鹿児島県串良町大塚公園キャンプ場

     4月24日 晴
 宮崎県に入った。自転車の旅人に初めて会う。二人とも南に向かっていた。
 出発が早かった事もあり、思いのほか走行距離は伸びた。午後には日南海岸へ。だが日が傾いてもキャンプサイトは見付からず、不安がふくらむ。低気圧に荒れる波音が、ひどくまがまがしく響く。その一方、車で通りかかった夫婦が缶飲料をくれるといった事もあった。きっとこのような旅の経験があるのだろう。
 やがて海水浴場に落ち着いた。トイレや水場が少々遠いのが難点だが。そして、これはいつもの事だが、やはりPHSのエリア外。ここで三人目の自転車乗りに会う。年配の男性で、奈良から一週間でここまで来たという。やはりあちこち野宿で来たそうだ。僕もテントを張っていると、近所のおばあさんがおにぎりとおかずをくれた。渡嘉敷のチキン以来のごちそうだ。
   N31°41′ E131°27′  085km  宮崎県日南市富士海水浴場

     4月25日 晴
 破壊音のような波音が夜通し続いていたが、夜が明けると海は美しい。朝はまず日南海岸の残りを走破した。
 宮崎市への道は快適。片側二車線の信号もない全高架で、まるで高速道路のようだ。市街地からは下道を走る。そこへ母から電話が入った。続いて弟からも。宮崎ほどの大都市でなければ、すぐエリアからはずれてしまい、なかなかつながらないらしい。さすが大都市で、コインランドリーも見付かった。洗濯の待ち時間、ちょうど昼時なので食事をすませた。
 その後は単調な道のり。海も見えず、ただ田園と集落とを交互に抜けるだけ。それでも勢いでたんたんと走り、初日の倍の距離を走っていた。今夜は岬の公園で眠る。暗くなるのを待ってテントを張るつもりだ。
   N32°20′ E131°37′  092km  宮崎県日向市権現崎公園

     4月26日 晴
 まず日向を過ぎ、延岡に入る。30キロを一気に走ってしまった。向かい風がやたらと強いが、ボアからの電話で力が出た。
 昼前には山越えにかかった。依然向かい風は強いが、驚くほど車が少ないのでその点は楽。思いのほかはかどった。景色を楽しむ余裕すらある。澄んだ碧の流れ、萌え初めし木々。ウグイスに、カジカの声も聞こえる。典型的な山間の情景だが、その日本的風景が今は新鮮に思える。
 本格的な山越えは明日のつもりだったが、今日のうちに半分はこなした。そして河原の公園に落ち着いた。たった今越えてきた山並みが、川の向こうに幾重にも重なり合い広がっている。夕陽に照らされ、春の大気にかすみながら。
   N32°57′ E131°51′  091km  大分県弥生町番匠川公園

     4月27日 晴
 朝方かなり冷え込んだ。手がかじかみ、公園出口でポールにぶつかり転倒。前輪がポテトチップのように曲がってしまった。スポークの張りで応急処置したが、完全には直らない。前ブレーキが使えないまま進む事になった。
 峠越えの続きにかかる。難所は 900メートルのトンネル。ライトを灯して慎重に進むが、こちらの注意だけではトラブルは防げない。追い越す車のドアミラーに右腕をなぐられ、以後ひじが痛んだ。
 不運続きに加え、あい変わらずの強い向かい風。だが昼過ぎには大分市に入った。海沿いのなじみの道を通り、別府へ。見慣れた山並みを目にした時、何か込み上げるものがあった。これがホームタウンというものか。だが町自体には特に感慨もなく、あっけなく通り過ぎてしまった。
 勢いで次の峠も越えにかかる。学生時代にも走った道だ。いつもならキャンプ地に落ち着いている時間に、山道を登っている。だがハイになっているため、全く疲れの自覚がない。とうとう宇佐に入った。もう遅いので宿を探したが、宿探しの方が難しい。キャンプサイトの方が先に見付かり、今日も野宿となった。
   N33°32′ E131°22′  116km  大分県宇佐市宇佐風土記の丘裏空き地

     4月28日 雨
 恒例となった向かい風に、今日は雨も混じる。時には試練も必要だろう。そう考えて乗り越えてゆくほかない。県道に避けても大型車が多いのがまたつらい。連中は僕を一台やり過ごせばすむが、僕は連中を何千台とやり過ごさなければならない。耳元をかすめるのも怖いが、過ぎた後の乱流もかなりの脅威となる。せめて速度を落とすくらいの配慮は欲しい。出来れば狭い道には入らないで欲しいのだが。
 福岡県を駆け抜け、今日二度目の県境越え。関門トンネルをくぐり、ついに九州を抜けた。まだ時間は早いので、もう少し走っておこう。だが本州も大型車は多く、おまけに夕方の混雑で、さすがに疲れた。走行距離も100キロを越えたので、厚狭で見切りをつけた。今夜はビジネスホテルへ。ひさしぶりに風呂に入った。コインランドリーへ行き洗濯もすませた。これでまた、一週間テント暮らしが続いても平気だろう。もっとも、山陽路ではキャンプサイトは見付かりそうもないが。
   N34°03′ E131°10′  111km  山口県山陽町ホテル

     4月29日 晴
 朝は息の白くなる冷え込み。だが峠越えにかかりすぐに暑くなった。もっとも、それ以降の行程はなだらかなものだったが。
 小郡、防府、徳山と、市街地にかかるたび駅に寄った。駅弁を買うために。山陽路は思いのほか長い。徳山は午後になり、柳井ではそろそろ日も傾き始めた。
 海岸に公園を見付け、今夜はここで休む事にした。マップを整理したり記録をつけたり、夕食に駅弁を食べたりしながら、いつものように夕暮れを待っている。いくつもの島影が重なり水平線は見えず、波穏やかな瀬戸内海はまるで大河のように見える。こんな海もある事を、しばらく忘れていた。島々は暖かな夕陽色に照らされている。そういえば、今日になって山口県特有のみかん色のガードレールを目にするようになった。大島の向こうに月が昇った。今夜も晴れて、また冷え込みそうだ。
   N33°57′ E132°10′  120km  山口県大畠町大畠海岸

     4月30日 晴
 岩国を過ぎて2号線に戻れば、再び大型車の大行列。排気ガスに苦しめられた。その上路面の状態が悪い。工事はどこも多いが、今日の行程では放置された仮舗装が長く続き、大変だった。
 昼には広島市へ。だが市街地を抜けるのにかなり時間がかかり、呉を過ぎるともう午後も遅い。今日中に三原まで行くのは無理のようだ。が、せめて少しでも距離をつめておきたい。明日には尾道今治ルートが開通する。ここまで来たからには、初日に橋を渡りたい。
 ふと見れば、周囲の車はみな福山ナンバーになっている。岩国までは山口ナンバー、そして広島ナンバー、続いて福山ナンバーに変わった。車は意外と狭い範囲しか動いていない。一方僕は少し無理して長距離を走り、竹原に宿をとった。
   N34°20′ E132°55′  143km  広島県竹原市ホテル

     5月1日 晴
 島影の多い海は、岬を一つ過ぎるだけで景色が大きく変わる。そんな事にもそろそろ慣れてきていたが、三原の手前でいきなり橋が見えた時には、さすがに驚いた。今日が終わる頃、僕はあの橋の向こうにいる。不思議な気がした。
 三原や尾道を早い時間に過ぎ、すぐ橋を渡りにかかる。以前から開通している橋は、当然もう通れる。新しい橋の開通は夕方らしいが、それまでに進めるだけ進んでおこう。三つの橋を渡り、三つの島を回った。僕と同じ目的らしい、自転車乗りを多く見かける。
 四つ目の橋、多々羅大橋の手前で、ついに足止め。開通は17時半というので、ここで三時間半の休憩だ。たまにはこういうのもいい。マップを整理し、新聞や地元テレビの取材を受け、それなりに時間はつぶれた。取材を受けるなどひさしぶりだ。
 開通の時間になると、かなりの自転車乗りが集まった。だが最も遠くから来たのは、やはり最西端を出発した僕らしい。ついに道が開かれ、新しい橋を渡る。傾いた陽光の中、斜張橋の弦のようなケーブルを一本一本過ぎるにつれ、気分が高揚していった。
 いつもなら、テントの中で眠りについている時間、まだ道の途上にいる。もう真っ暗だが、やはり開通初日である今日のうちに渡ってしまいたい。三連吊り橋の夜景には、無理をしただけの価値はあった。ちょうど月が出た。星も明るい。橋の上から、遠く花火が上がるのを見た。
 21時を過ぎた頃、四国に上陸。すぐに近くの公園に向かったが、人だかりでテントを張れる状態ではない。海沿いに走ったが、漁港もまた人が集まっている。野宿はあきらめ市街地へ行くが、ホテルもまた満室ばかり。22時を過ぎキャンセルが出て、ようやく泊まる事が出来た。
 安心すると腹が減った。が、バッグをさぐるとなぜか買っておいたパンがない。代わりにさっき捨てたはずの、ゴミの袋が残っている。……僕らしい失敗だ。今夜は空腹のまま寝るしかない。
   N34°04′ E133°00′  126km  愛媛県今治市ホテル

     5月2日 晴
 昨夜遅かった分、今朝は寝坊した。今日からはのんびり行くつもりだ。それでも昼過ぎには松山へ。そこで電話が入った。誰か分からない女性の声にアセッたが、自転車仲間の一人、元同級生のちょっとしたイタズラだった。四日間の予定で琵琶湖を回っている最中だとか。僕は四国を回るのに、いったい何日かかるだろう。
 海沿いに走っていれば、良いキャンプサイトくらいどこにでもあると思っていたが、水場にトイレ付きの場所は見付からなかった。寝心地の良い砂浜さえあれば、ぜいたくは言えないが。
   N33°36′ E132°29′  087キロ  愛媛県長浜町長浜海岸

     5月3日 晴
 北へ向かう時には北風が、南へ向かう時には南風が吹く。僕にはよほど向かい風が向いているらしい。それに加え、これまでで最もきつい峠越えがあった。無意味と思えるほど山の上まで登った。続いて長いトンネルの連続。1200、1300、1700メートルのトンネルを抜けた。少しでも目立つようにと、右腕にはタオルを巻いた。あの時ぶつけられた腕は、今もまだ痛む。
 昼過ぎに宇和島に着いた。だがまだ早いので次の町まで走った。それでもまだ時間は早いが、この先は宿毛まで町はない。ここで旅館に落ち着いた。風はさらに強まり、今夜から雨だという。
   N33°07′ E132°31′  075キロ  愛媛県津島町旅館

     5月4日 雨
 予報通り雨になった。が、足止めというのは面白くないので、とりあえず進める所まで進む事にした。
 もう約束事となった向かい風は、いつにも増して激しい。豪雨も加わり、何度か倒れそうになる。注意報を甘く見ていた。トンネル内は雨だけはしのげるものの、風が集中して吹き抜け、まるで風洞のようだ。自動車は排気ガスばかりでなく、水しぶきも浴びせかける。今日こそが最悪の日と言えるかもしれない。
 早い時間に宿毛に着いたが、これ以上の走行は断念し、旅館に入った。すぐに濡れた荷物を広げて干し、コインランドリーへ行き洗濯もすませた。明日には雨は止むだろうか。
   N32°56′ E132°44′  052キロ  高知県宿毛市旅館

     5月5日 晴
 雨は昨夜のうちにあっけなく止んでしまった。どうやら最もひどい時に走っていたようだ。シュラフやマットなど、まだ濡れている荷物も多いが、それもじきに乾くだろう。今日は良い天気になった。
 宿毛から中村へは、意外にも楽だった。が、そこから先は予想通りのけわしい道。谷沿いに抜ける事が出来ず、尾根を越えなければならない。きつかった分、景色は良かったが。
 キャンプサイトを探すうち、やはり 100キロは走っていた。無理をしたつもりはない。体が慣れてきたのか、この程度の距離は毎日継続して走れそうだ。
 須崎の川原で休む事にした。すぐ近くに道の駅があるので、トイレなど助かる。それに、海岸や川原といった水辺は、とても気が安らぐ。今夜も水音を聞きつつ眠ろう。だが、水を含んだシュラフに入るのは気が滅入る。
   N33°23′ E133°17′  104km  高知県須崎市新荘川川原

     5月6日 晴
 高知市には昼前に着いた。次の目標は室戸岬。ここからはまた海岸沿いのコースだ。何が違うのか、急に海の色が変わった。以前、牟岐線を走る列車の車窓からも見た、あの翡翠色の海。
 鉄道が通っていないため、室戸までは足を踏み入れた事がない。見知らぬ土地が珍しく、あちこち見回していたためか、倒れて救急車で運ばれる人を二度も見かけた。日射病だろうか。僕もかなり日に焼けた。途中、自販機でアクエリのサービスサイズを見かけたので買うと、出てきたのはなんとコーラ。仕方なく炭酸500ミリリットルを飲み干して走った。さすがに苦しい。
 室戸の手前に道の駅があった。今夜はここで。ただ敷地内にテントを張るには、充分暗くなるのを待たなくては。
   N33°18′ E134°07′  112km  高知県室戸市道の駅キラメッセ室戸

     5月7日 晴
 書き忘れていた。昨日は通りかかったトンネル工事の現場で、発破の秒読みと爆破音を聞いた。それに比べれば、今日は大した事件はない。それでも変化に富んだコースだった。午前は海岸、午後は山道、そして夕方は市街地と。
 早朝まず室戸岬を回り、じきに徳島県入りした。いつも思うが、車はそれほど広く移動するわけではない。県境を越えると、すぐにその県ナンバーの車ばかりになる。僕の方が遠距離を移動しているようだ。渋滞の車の列を追い越し、夕方には徳島市に入った。市街地ではキャンプサイトは見付けにくいが、今夜は心配ない。吉野川の川原にテントを張った。
   N34°05′ E134°34′  142キロ  徳島県徳島市吉野川川原

     5月8日 晴
 市街地を走るのは退屈だ。やがて海岸に出たが、ひさしぶりに見る瀬戸内海も、またひどく眠たげに見える。僕もあくびを繰り返していたが、ボアからの電話で目が覚めた。
 しかし、以降もやはり単調な道のりが続く。午後に高松を過ぎ、そこからは内陸の道を選んだ。それはひたすら何もない道。テントを張る場所もなく、かといって宿もない。ようやく小さな公園を見付けて落ち着いた。
 概して今日は単調な道のりだった。高知のような荒い海もなく、徳島のような澄んだ川もない。そして旅そのものが、決まった手順の繰り返しとなってきている。朝起きてテントを片付け、紅茶をいれパンを食べる。走り出し、どこかで昼食を買い、昼になれば食べる。午後には夕食の材料と翌日の朝食を買い、夕方にはキャンプサイトを探す。落ち着くと、マップを整理するなどしてから夕食、暗くなったらテントを張り眠る。今日もやはりそうだった。そして、ただそれだけだった。
   N34°07′ E133°44′  126キロ  香川県山本町公園

     5月9日 晴
 毎晩違う場所で眠っている。なのに夢は追いかけてくる。今朝もまた夢は続いた。もっとも、それは途中で破られたが。壊されたためにかえって、その断面が目覚めてからも鮮やかに残る。
 ところで僕を起こしたのは、ゲートボール場の準備の音だった。まさか4時過ぎから集まるとは……。星のまたたく下でテントをたたんだ。
 午後には今治に着き、四国一周を果たした。まだ時間は早いので、橋を渡りにかかる。まだ8日しかたっていないが、懐かしい。
 大三島のキャンプ場に落ち着いた。料金は高めだが、水にもトイレにも不自由せず、明かりもあり、何より翌朝慌てて片付ける必要がない。今朝の分もゆっくりしようと思う。
   N34°15′ E133°03′  135キロ  愛媛県上浦町多々羅キャンプ場

     5月10日 晴
 寝坊するつもりが、やはり早く目覚めてしまう。だが片付けや食事はゆっくりし、いつもより遅く8時頃に出発した。橋を渡ったり島を巡ったりもゆっくりペースで、尾道に上陸したのは昼頃になった。
 2号線はあい変わらず大型車が多い。しかもバイパスで高架になると、高速道とかん違いでもしているのかやたらと飛ばす。良い道だったがかえって疲れた。立体交差の手前に表示が出ていなくて、降りるべき交差点を越えてしまう事もあった。
 表示といえば、神戸まで187キロという距離表示がついに出た。だが無理はせず、倉敷を少し過ぎた辺りの公園で今夜は休む事にした。奥にキャンプ場もあり申し分ない。
   N34°37′ E133°49′  118km  岡山県早島町ふれあいの森公園

     5月11日 晴
 今朝もゆっくり出発したが、岡山市には早い時間に着いた。ちょうど通勤通学の時間帯で、歩行者も自転車も多い。特に自転車は並走や逆走を当然のように行い、ひどく危ない。交差点の巡査も見て見ぬふりだ。と、僕が呼び止められた。車道は危ないから歩道を通るようにと。混雑する歩道を自転車で通っていいものだろうか。とりあえずその場はうなずいておき、法に従ってそのまま車道の左端を走った。
 今日の行程では工事にも悩まされた。片側交互通行が十数箇所。 250号線に逃げたが、そこもまた……。だがこの国道は変化に富んでいて飽きなかった。峠あり、海岸あり、田舎道あり、大通りあり。やがて見憶えのある場所にかかった。去年の夏、最後の練習走行で走った道だ。そうそう、ここで雨に降られた。この交差点で道に迷って……。もうこんな近所まで来てしまったか。
 だがもう日が暮れる。到着は明日の楽しみに残しておこう。市街地でのキャンプサイト探しに苦労し、19時まで走って加古川の川原へ。一週間テントが続いたので宿に泊まってもよかったのだが、どうせ明日は家だ。それに、最後にもう一度野宿を楽しみたい。
   N34°46′ E134°49′  130km  兵庫県高砂市加古川川原

     5月12日 晴
 今朝もまた寝坊した。中途半端に残った距離、ゆっくり出発してゆっくり走ればいい。
 250号線を最後までたどり、明石から通り慣れた県道に入った。だが重装備であの坂に挑むのは初めての事。よそにはない8パーセントの勾配は、やはりきつかった。
 通り道にある近所の自転車店に寄り、つい話し込んでしまう。それでも11時前には家に着いた。片付けや自転車の整備などは、これからゆっくりやればいいが、走行距離はすぐに確かめてみた。毎日継続してよく走れたものだ。これだけ走れたなら、この先北海道までも走れるだろう。たぶん、日本一周でも。
   N34°44′ E135°08′  044km  兵庫県神戸市両親宅
    前半21日間2129km  一日平均101km


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