四つの標しるべ
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5 北海道へ
7月21日 晴
初日から、大阪の市街地を抜けるという面倒な行程となった。中心地は避けて海岸沿いに抜けたが、それでも交通量は多い。また、多くの川を渡るが、そのたびに自転車は迂回しなければならず、かなり手間取った。
午後は南に向かいながら、無数の信号に妨げられた。おまけに例のごとく向かい風。むやみに強く吹き続け、頭が痛くなってくる。陽射しの強さだけでもまいっているのに。
初日だから軽く走るつもりでいたが、キャンプサイトを探すうちに県境を越えてしまった。これからは、田舎道をゆっくり楽しもう。あれほどやっかいだった向かい風も、休む時にはとても涼しく心地良い。
N34°14′ E135°10′ 117km 和歌山県和歌山市紀ノ川川原
7月22日 晴
ずっと42号線をたどっているが、すっかり田舎道に変わり、コンビニも少なくなった。 梅雨はようやく明けたそうだ。炎天下に自転車をこぎ続けるのは、思いのほかきつい。御坊へ行くまでの二つの峠が、なかなか大変だった。途中湧き水を見付け、大喜びで顔を洗い腕を冷やす。あとはずっと海沿いだが、登り降りをせわしく繰り返し、これもまた疲れた。
田辺を過ぎた所で、今夜も川原にテントを張った。いっその事、川原キャンプ連続記録でも作ろうか。
N33°41′ E135°25′ 114km 和歌山県上富田町富田川川原
7月23日 晴
けわしい海岸線をたどる道は、どこまでも登り降りを繰り返し、まるで体力を消耗させるために作られたコースのようだ。だが午後になり串本が近くなると、道はなだらかになった。どこか懐かしい気がするのは、昔レンタサイクルで走った憶えがあるから。
紀伊半島をようやく折り返した。道は依然なだらかに続き、さらに風も追い風に変わり、比較的楽に走れる。だが無理はせず、17時過ぎには走行を終えた。それでも100キロ以上は走っている。今夜は新宮の熊野川でキャンプ。本当に川原が連続してしまった。
N33°44′ E135°59′ 113km 和歌山県新宮市熊野川川原
7月24日 晴
早朝立ち寄った道の駅で、オオミズアオを見た。昨夜の月明かりの名残りのような、冷たく淡い羽の色が広がる。
尾鷲への峠はさすがにけわしい。 350メートルを一気に登る。まだ涼しい午前のうちにかかれただけでも幸運だ。
昼過ぎに尾鷲を過ぎると、また道の駅がある。予定ではこの辺りでキャンプのつもりだったが、早いのでさらに進む。しばらく海沿いのなだらかな道を流していると、じきにまた峠にかかってしまった。一日に二度の峠越えはさすがにきつい。
坂に挑んでいると、すぐ横を走る自動車達が、まったく別世界の存在に思えてくる。中に人間がいるという実感もなく、騒々しいのに無人の虚ろさを感じる。独りきりを痛感しながら、それでも坂に挑み続けるしかない。
ようやく峠を越えた。あとはひたすらなだらかに、下り坂が続く。そろそろキャンプサイトが気になり、少々遠いが次の道の駅まで向かった。が、周囲にテントを張るような余地はない。あきらめてさらに先へ進む。暗くなったので見切りをつけて林道に入り、その側にテントを張った。このまま坂を下れば松阪らしい。明日からは、ますますキャンプサイトは見付けにくいだろう。
N34°24′ E136°27′ 119km 三重県大台町林道脇空き地
7月25日 晴
夜明け前、ヒグラシの声に目を覚ました。黎明のヒグラシをこれほど間近に聞くのは初めてだ。
昨日辺りから汗が変わった。目に入ってもしみず、メガネに落ちてもあまりレンズを汚さない。持久戦モードに切り替わり、体がミネラル分を保持するようになったのだろう。
松阪へ降りてからは、ずっと市街地が続く。昨日は2075メートルの最長トンネルをくぐったが、今日はトンネルはなし。進む先の名古屋の空には、スモッグの層が重くかぶさっている。
名古屋の市街地は、昨日とは違った形の難所だ。まずは工事による渋滞。それを過ぎると、高架道路を高速道路とカン違いでもしているのか、車がとばしまくる。軽車両の存在も考慮してほしいものだ。
高架の23号線を降りて1号線に入り、ようやく一息つく。そのまま近くの公園で休む事にした。テントをはった直後、黄色い回転灯を光らせた車がパトロールに来た。が、そのまま通り過ぎてしまった。
N35°04′ E136°57′ 120km 愛知県名古屋市緑区大高緑地
7月26日 晴
今朝はニワトリの声に起こされた。誰かが公園に捨てたらしい。テントをたたんでいるとまたパトロールが来たが、やはり通り過ぎていった。
今日の難所は、浜名湖手前。道はそのまま有料道路となり、進む道を失ってしまった。仕方なくそれに沿う道をたどるが、工事中で回り道。海岸のガタガタ道をしばし走る羽目になった。豊橋駅や浜松駅に寄り道した時にも、少々道に迷った。まあ、寄り道も迷子もいい気分転換になるが。
浜松からは 150号線に入り、海沿いを走った。今夜は遠州灘の砂浜で眠る。ひさしぶりに海の音を聞いている。
N34°40′ E137°56′ 123キロ 静岡県浅羽町同笠海岸
7月27日 雨
昨夜から時おり降っていたが、今朝も出発の頃から雨。大井川を渡る時にはかなり強く降り、橋の上では横なぐり。これが今日の難所か。
大崩海岸は確かにけわしかったが、大型車通行止めで、むしろリラックスして通れた。海上にはみ出した橋も楽しい。午前中に通過した。続いて静岡を過ぎ、清水を通った。駅前通りがなんだか懐かしい。そういえば以前、ペンフレンドに会いに来た事があった。
そして富士へ。1号線をずっと走っていたが、いきなり軽車両通行止めとなってしまった。あきれた自動車優先だが、横暴なドライバーと走るよりは、むしろ県道をのんびり走る方がいいだろう。
今夜の寝床は沼津の千本松原とマップを見て決めたていたが、来てみるとただの松林。だがほかに場所はないし、今夜はやはりここで。遊歩道のかたわらにテントを張った。
N35°07′ E138°49′ 125キロ 静岡県沼津市千本松原
7月28日 雨
雨音に起こされた。止み間をぬってテントをたたみ、慌ただしく出発。落ち着かないキャンプサイトだった。
御殿場への道は、なだらかながらも長い長い登り坂。断続する雨もあり、それなりにつらい峠越えだった。それでも昼には小田原に入っていた。ずっと注意して聞いていたが、沼津まで聞こえていたクマゼミの声は、神奈川県に入って聞かれなくなった。
再び1号線を東にたどる。従兄弟の家には早い時間に着いた。シャワーを浴び、ヒゲをそると、ようやく姪の顔がほころぶ。ひさしぶりに文明人に戻った気がする。
テレビを見ていて思い出したが、今夜は月食だった。文明人もいいが、月食を忘れるとは。すぐ外に出て空を仰いだが、やはり旅の途上に見る月とは違う気がした。
N35°22′ E139°27′ 097km 神奈川県藤沢市従兄弟宅
7月29日 晴
少し寝坊をし、ゆっくり出かけた。どうせ今日は弟の所まで行けばよいのだから。
再び1号線を東へ向かう。横浜を抜け、多摩川を渡り、そこから環八に入った。渋滞で少し手間取ったが、道に迷う事もなく、昼過ぎには弟のアパートに着いた。
夕食はひさしぶりに外食。今夜もまた文明人だ。
N35°43′ E139°36′ 065km 東京都練馬区弟宅
7月30日 晴
昨夜はつい遅くまでゲームをしてしまい、今朝も寝坊した。
通勤時間の過ぎた東京を走り抜け、千葉県に入った。房総半島を回るつもりはないので、そのまま東へ抜ける。
新しい住宅街の中、新しい鉄道線に沿った道は真っすぐ続き、また利根川の堤防沿いの道もひたすら広々と続く。どこまで走っても何もなく、まるで北海道の予行演習のようだった。追い風もあって順調に進んだ。
そして茨城県へ。こういった中途半端な田舎は、ドライバーも粗雑だ。トラックのドアを開け、助手席からジャマだとどなるような奴すらいる。狭い道を我が物顔で走り、ジャマなのはどっちだろう。だが小物相手に本気になるのも虚しいと思い、感情を押さえた。それに後から思い返すと、奴は僕の目を見ずにどなった。あれはひがみだったのだと分かる。しょせん敵ではない。
昔から僕は、敵という物が欲しかった。小物でなく、かといって大物すぎもせず、手頃に立ち向かって活躍できるような対象が欲しかった。もっとも、そうそう都合のよい相手など見付かるものではないが。ひょっとすると、今の自分が日本一周など始めたのも、同じような理由からかもしれない。日本列島という相手は、手に負えない大物のような気もするが。
N35°59′ E140°39′ 121km 茨城県鹿島市ト伝の郷運動公園
7月31日 晴
朝、1000キロポイントの大洗を通過。もっともそれは計算上の距離で、実測では一割以上も余分に走っているが。それでも予定通りの日数で通過している。一日の走行距離も予定より長いので。
海沿いのなだらかな道を、流れるように走り抜けた。日立辺りから風が涼しく変わった。この風に乗れば、いくらでも走れそうだ。昨日は東京にいたというのに、今は福島県にいる。一日の走行距離も最長記録。
今夜は珍しく正規のキャンプ場に来たが、以後は避けるべきかもしれない。車で乗りつけた文明人の集団がはしゃぎ、ひどく騒々しい。一人旅で立ち寄る場所ではなかったようだ。
N37°05′ E140°59′ 153km 福島県いわき市仁井田浦キャンプ場
8月1日 晴
一日中、登り降りを繰り返した。6号線は海岸沿いだと思っていたが、かなり海から離れている。そして、あえて選んで通るかのように、坂を登っては降りる。ほんの少し海に寄れば地形は平坦なのに、どういうわけだろう。
それでも夕方には仙台に入った。今夜は川原で眠る。市街地の川なので静かとはいえないが、昨夜のキャンプ場よりはましだろう。
N38°12′ E140°53′ 139km 宮城県仙台市太白区名取川川原
8月2日 晴
まず仙台の市街地を抜けた。峠や悪路といった田舎の障害に対し、都会の障害は自動車や人間。かなり手間取ってしまった。
松島を過ぎた辺りから車は減ったが、一方で道は次第に悪くなる。
高校の頃、日本一の悪路は千葉だと思っていた。大学の頃は大分が、会社員の頃は新潟と、住んでるその地が最悪だといつも考えた。この旅を終える頃には、真の最悪がどこか分かるだろう。宮城はその候補地だ。
とうとうパンクしてしまった。ガラスがささり、チューブばかりかタイヤも裂けた。チューブ交換に時間をとられたが、試練をくぐってこその旅だ。この程度でめげてはいられない。だが裂け目の所がまたパンク。そのまま押してキャンプサイトを探し、腰をすえて修理にかかった。後輪のタイヤはもう弱くなっているので、負担の少ない前輪と換えた。だがこんな事でもつだろうか。
修理していると、近所の夫婦が現れた。一晩ここで寝る事を断ると、快く許してくれ、マムシの出る場所など教えてくれた。人間も障害物ばかりではない。そういえば、昨夜も橋の下で生き抜いている人達と少し話をした。人の生き方には三種類あるようだ。生き長らえる、ただ生きる、そして生き抜く。今なら僕も、生き抜いていると実感できる。
N38°39′ E141°27′ 101km 宮城県志津川町鉄橋下
8月3日 晴
東北に入って、あちこちでよく話しかけられる。周囲に目を向ける余裕のある、ゆったりした旅をする人が多いのだろう。僕にはそんな余裕はなく、タイヤの事ばかり気にかかる。裂け目は一応補強したが、外側から貼ったパッチはじきにはがれてしまった。
岩手県に入り、いよいよ本格的にリアス式海岸に挑む。朝は海霧に包まれ、涼しく走った。だが午後は峠越えに熱くなる。自動車道の開通で峠は廃道のようにさびれ、車はまれにしか来ない。それは楽でいいのだが、車が真っすぐの道を走りトンネルをくぐるのを見下ろしながら、こっちは10パーセントもの急勾配を登るとはバカらしい。
峠を過ぎれば、またすぐ次の峠が立ちはだかる。そのまま山の中で今夜は寝る事にした。青森までの距離表示があったが、あと三日で着くだろうか。今日のようなけわしい道が続けば、厳しいかもしれない。
N39°08′ E141°50′ 106km 岩手県三陸町防砂ダム脇空き地
8月4日 晴
夜明け前、またもヒグラシの声に起こされた。北に向かうにつれセミは少なくなったが、ヒグラシだけはにぎやかだ。目を覚ますと、テントの周囲を何かがうろつくのが分かった。山の中だから何がいても不思議はない。
朝はまず、2300メートルのトンネル越えから始まった。積もったゴミにタイヤをとられて転倒したが、ちょうど車の流れが途切れた時で助かった。テールランプに加えて今回はフラッシングライトも点けているので、それほど後続車を恐れなくてもいいだろうが。
後はまた登り降りの繰り返し。三陸の苦難は思いのほか長い。宮古の手前でしばらく流れるように走れたが、その先はまた急勾配。最後に10パーセントの坂にかかったのは、さすがにつらかった。脚の疲れは限界となり、気力だけで乗り切った。今回の旅で初めて、極限を体験した。
もう動けそうにないので、そのまま今夜も山の中でキャンプ。地元のラジオが聞こえにくいので、昨夜から短波でラジオジャパンを聞いている。モンゴルの日本語放送もよく入る。
N39°51′ E141°57′ 116km 岩手県岩泉町林道脇空き地
8月5日 晴
昨夜は見事な星空を見た。おおぐま座の全身もたどれたし、りゅう座も見えた。かんむり座やいるか座も分かった。
東北に入ってからライダーもおおらかになったらしく、よく声をかけられるようになった。東海道辺りでは、笑いかけても目をそらすようなのばかりだったが。今朝会った人も、自転車とはすごいと素直に感心するので、やってみればできるものですよと言いかけたがやめた。しょせん僕も挑戦中で、まだ達成できるかどうかは分からないのだから。そう、しょせんはまだ道の途上。だが途上というのもいいものだ。可能かも分からず不可能とも言えず、ただ可能性だけを持っていられる。
三陸越えも三日目。だいたい予定通りに進んだ。昼には久慈に至り、午後には青森県に入る。峠を二つ越えたが、これまでのようなけわしさはなかった。どうやら最悪の地は過ぎたようだ。
夕方には八戸へ。また川原にテントを張ろうと思っていたが、直前で気が変わった。函館へのフェリーは夜にも出ているのではないだろうか。それなら明日青森で宿に泊まるよりは、そのままフェリーに乗る方がいい。今夜ホテルに泊まる事にした。洗濯をすませ、北海道へ渡る準備は整った。神戸との連絡もついた。無線局の免許状が届いたそうだ。コールサインはJN3JOD。これでようやく交信が出来る。でも初めてのコールは、北海道での楽しみにとっておこう。
N40°30′ E141°26′ 119km 青森県八戸市ホテル
8月6日 晴
八戸は古い町で道が入り組み、地図を見ながらでも迷ってしまう。郊外へ出てほっとした。牧草地が広がる風景が、三陸北部から見られるようになった。コンビニの入り口も二重になり、セミの声も聞こえず、北上した事を実感する。
ひさしぶりになだらかな海岸線を走る。青森には早い時間に着いた。何かの祭りらしく大変な人込みで、すぐに市街地を抜けてフェリーターミナルへ向かった。幸運にも17時発の便がちょうど出港前だった。
出港してからあらためて乗船券を見ると、購入した往復券は二週間の期限となっている。そんな短期間で戻るのはとても無理だ。それからもう一つ、函館入港は翌朝と思っていたのに、20時40分には着いてしまうという。まあ、払い戻しも今夜の宿も、向こうに着いてから考えよう。せめて船に乗っている間くらいは、ゆったりと過ごしたい。
それにしても、船旅というのは何なのだろう。そうなる理由など何もないのに、感傷的な気分になる。今、夕陽が雲と波とを焼いている。
N41°48′ E140°43′ 110km 北海道函館市旅館
8月7日 晴
北海道の初日、まず工事の多さに苦労した。誘導員は当然のように、自転車を歩道へ向かわせようとする。確かに自転車通行可の歩道もあるにはあるが、段差や凹凸が多く、自転車走行を考慮していないのが実情だ。特に重装備の場合には、歩道に乗り入れるなどまず不可能。だが自転車に乗らない人には、そんな事も分からないのだろう。それとも、数キロも続く工事現場を、押して歩けとでもいうのだろうか。
大沼を抜け、昼前には森を過ぎた。長万部への道は、ひたすら直線で平坦で、かなり早いペースで流れたが、やはり工事が多く気疲れした。だいたい、交通量の最も多い今の時期に工事をするのが理解出来ない。片側通行の現場を過ぎ、反対車線の渋滞があまりに長いので計ってみると、5キロも連なっていた。何事もスケールの大きい北海道、この程度は常識だろうか。
夕方、静狩峠にかかった。三陸を越えてきた身としては、楽な道のりだ。山の中は静かで、キャンプをするにもいい。
N42°36′ E140°35′ 141km 北海道豊浦町国道脇空き地
8月8日 晴
昨夜は無線でコールを出したが、応答はなし。やはり山の中からでは届かないようだ。その山越えの続きから今日は始まった。
虻田町に入り、驚く事があった。なんとミンミンゼミが鳴いている! ワコトミンミンゼミが天然記念物になるほどだから、たぶんミンミンゼミは北海道に分布しないはず。例外の和琴半島は地熱のために生息可能なわけだが、ここも有珠山に近いので同じ理由だろう。大変な発見をしたのかもしれない。それとも僕のカン違いで、道東には普通に生息しているのだろうか。
しばらく勾配が続いたが、室蘭を過ぎると道はまたなだらかになった。工事もなくなった。三度目のパンクといった苦労もあったが、女の子の声援など受けて元気に走れた。北海道に入って、バイクや自転車乗りもよくあいさつをしてくれる。自転車は急に増えた。
夕方には苫小牧へ。2000キロポイントを19日目に通過した。いい調子だ。工場地帯にグラウンドを見付け、今夜はそこでキャンプ。
N42°39′ E141°39′ 129km 北海道苫小牧市グラウンド
8月9日 晴
昨夜もコールに応答はなし。市街地なら誰か応えると思ったが。
霧の中を出発した。苫小牧からしばらくは、とても広い直線の道が続く。だがそのまま進むと道は突然狭くなった。なのに車は速度を落とさない。赤茶色のコンテナを積んだトレーラーが、パニアバッグと右腕をこすって追い抜いていった。傷はないが、触れた感触が腕からなかなか消えなかった。
海沿いの道、牧場を抜ける道。カモメが飛び、ウマが駆ける。北海道らしい風景の中を気分よく走っていたが、一つ落胆する事もあった。ミンミンゼミの分布調査を父に頼んでいたが、インターネットで調べてもらったところ、南部には分布していたとか。ワコトに次ぐ大発見と、一人興奮していたのが虚しい。
N42°08′ E142°52′ 135km 北海道浦河町線路脇空き地
8月10日 晴
昨日は日が沈むなり霧が立ち込めた。朝日が昇ればと思っていたが、いっこうに霧は晴れない。今朝も濃霧の中を出発した。陽射しのない分涼しいが、登り坂ではむし暑い。こんな中で、人々はコンブを干している。本当に乾くのか心配だが、生活が見えて楽しい。昨日はまるで模型のようなつまらない町を通ったが。
えりも岬を回ったが、ここも観光客が集まるだけのつまらない場所だ。岬を過ぎると、急に霧は消えた。西岸と東岸で、こうも天気が違うとは。ロックシェルとトンネルが続くけわしい風景も、西岸とは違う。車はさらに少ない。
やがて、いかにも十勝らしい牧場や丘陵の中へと道は続いた。今夜もまた、山あいの空き地に独りで休む。汗がひくまでアブの大群にまとわりつかれて大変だった。
声をかけられ、よくたずねられるのが、独りで寂しくないかとか、不安ではないかという事。僕にはその意味がよく分からない。独りだからこそ、何があっても自分だけの問題ですむから、僕としては安心なのだが。とにかく、自分の思いのままに行動できる独りきりこそ、心からくつろげる。ただ、夕方伸びる影を見ながら、ふと妙な事を考えた。こうして動く影を眺めるように、自分の姿を外から見てみたいと。独りの自分は、いったい外からどう見えるのだろう。
N42°33′ E143°26′ 129km 北海道大樹町国道脇空き地
8月11日 曇
登り坂で汗ばむと、とたんにアブの大群に襲われる。登り坂では逃げようもなく、刺されるとけっこう痛い。そんな丘陵地を登り降りしながら進んだが、10時半を過ぎ55キロを走るまで、店はおろか自販機の一つもなかった。
十勝川を渡ると、なぜか国道はわざわざ山の中へ向かう。海沿いに進めば近いし楽なのだが、地図によるとダートしかない。少し内陸を回る道道(北海道の県道)を進んだ。が、前から来た自転車乗りにこの先もダートだと聞かされ、仕方なく引き返す。北海道の道路整備が、まさかこうも遅れているとは。結局国道で山を越えた。
海沿いの道に降りると、また霧が深い。トンネル内でのように、フラッシングライトを光らせながら走った。海を見ると、激しい波が霧の中でくだけている。陽がかげり、風も冷たく変わる。おかげでのどの乾きはおさまったが、かわりにやたらと腹がすいた。どうやら体内の余分なエネルギーを使い果たしてしまったらしい。腹がさらに細くなったのが分かる。バックパックもウエストベルトで支えられず、荷重がみな肩にかかるので疲れる。
夕方釧路駅に着いた。手早くGPSで座標を確認し駅弁を買い、すぐに市街地を離れたが、キャンプサイトを探し当てた時には暗くなっていた。しかも霧はさらに深まって霧雨となり、慌ただしくテントを張った。
N42°59′ E144°28′ 135km 北海道釧路町国道脇旧道跡
8月12日 曇
朝から霧雨。濡れながらテントをたたんで出発した。登り坂にかかるとひどくむし暑い。汗が流れ、したたり続ける。サウナというのはこういうものだろうか。
まずは厚岸へ。以前は朝から立ち売りしていた駅弁も、10時から販売という事でしばらく待たされた。次は厚床へ。駅前の食堂には本日休業の札がかかり、駅弁は買えなかった。そして根室を目指す。湿地を越え、牧草地を抜け、湖を渡り、海辺を走り、景色は変化に富んでいた。
今夜は根室に宿をとった。ホテルでコインランドリーの場所をたずねると、近くの銭湯内にあるというので行ってみた。だが近所と聞かされた銭湯まで、歩いて30分。「田舎のそこ一里」とはよく言ったものだ。とにかく洗濯物は片付いたし、これでまた平常通り旅を続けられる。明日はいよいよ第一の目的地、日本最東端に至る。
N43°19′ E145°35′ 121km 北海道根室市ホテル
8月13日 雨
昨夜も無線でコールを出したが、やはり応答はなし。市街地にいてもこれでは、コールを出し続ける気も失せる。
まず納沙布岬へ。また霧雨の中を走った。気温は急に下がり、16度。まるで別の国に来たようだ。最東端の地を踏み、まず一つの目的を達した。これで日本列島縦断は果たした。
岬から神戸に電話を入れると、モンゴルで知り合った北海道在住の人から電話があったという。札幌で集まって迎えてくれるとか。いつ通りかかるか予定は立たないのに、大丈夫だろうか。とりあえず、来週には札幌に着くと連絡を入れた。
根室からいったん厚床まで戻る。見知った道を走るのは、どうも面白くない。次の目的地に向かっているのだからと、自分に言い聞かせながら後戻りした。
今日は自転車乗りをよく見かける。特に大集団を。これだけ集まると、つまらない人間も増える。あいさつしても考え事のふり、笑いかけてもいきなりよそ見。集団の中の個人は虚ろだ。
厚床の交差点から北へ向かうと、そこは再び初めての道。人の姿もなくなり、くつろいだ気分を取り戻す。11日にクマ出没という看板には、少々緊張したが。
再び海辺に出ると、風がかなり強まった。鉛の海も荒れている。深い霧は再び雨となり、テントを張るまでにすっかり濡れてしまった。明日には止むだろうか。
N43°35′ E145°13′ 128km 北海道別海町国道脇建築廃材置き場
8月14日 晴
今までは広げたシュラフをかけて寝ていたが、初めてシュラフにくるまって寝た。目を覚ますたび、雨音が耳につく。夜明けまで雨は降っていた。が、起き出す頃には雨は止み、出発する頃には薄陽すら射した。
海を離れ、峠へと向かう。標高480メートルというのは、四国にも三陸にもなかった。これまでで最も高い峠。気温も下がり、雲も重く暗くなった。その中で僕一人が熱くなる。ひさしぶりの闘いだ。
峠を過ぎ、山を降りると、不思議なくらいに天気が変わった。雲はすっかり消え、青空が広がる。追い風が吹き、面白いように流れる。網走には早い時間に着いたので、夕方までさらに走った。国道沿いに続くサイクリングロードは人気もなく、まるで自分専用の道のようだ。湖の岸辺をたどる。湖面は輝くように青く、空もまたひたすら青い。今朝までの暗さ、冷たさが遠く感じる。
神戸からの走行距離が3000キロを超えた。計測上は宗谷岬が3000キロポイントだから、ずい分余分に走ったものだ。もう数キロ走り、サイクルパークという所に落ち着いた。ベンチがありトイレがあり、何より眼前に湖が広がる好条件のキャンプサイト。こんな場所は最近では珍しい。
N44°05′ E144°07′ 133km 北海道網走市能取サイクルパーク
8月15日 晴
テントもマットも出発までに完全に乾いた。オホーツク海側がこれほど好天だとは、太平洋側では考えられなかった。
今日はまずサロマ湖を回る。湖畔の道は起伏が多いが、昨日の峠を思えば楽だ。少し登ればすぐ降りる。やがて道はオホーツクの海岸に沿う。サロマの湖面ものっぺりしていたが、オホーツクもとても穏やかだ。網走から北には鉄道がないので、オホーツク沿岸に来るのは初めてになる。
今日も小さな集落はいくつか過ぎたが、その間隔はかなり開いてきた。これより先、稚内まで大きな町はない。いざという時のため、非常食をそろえておいた。
N44°36′ E142°56′ 137km 北海道雄武町農道脇空き地
8月16日 曇
昨夜はひさしぶりに星空を仰いだ。さそり座がすっかり低くなり、緯度の高さを実感する。ペルセ群にはもう遅く、流星は見られなかった。
オホーツクでも海霧は出る。起伏を登り降りしながらも、霧に包まれ涼しかった。風も追い風で、順調に流れる。この分なら、明日の早い時間には宗谷岬に至りそうだ。四日後には札幌に着くかもしれない。こんな事は直前まで分かるはずはないのだが、一応そう連絡しておいた。
風は依然強く吹き、流れるように走れる。自転車乗りに対するバイク乗りのひけ目が、少し解った気がする。対向する自転車に出会うと、こちらは追い風に乗っているのに、相手は向かい風に立ち向かっているのだから。
宗谷岬が迫ってきたが、海岸段丘を登る峠で時間を食い、時間切れとなった。明日の楽しみに残したかったので、ちょうどよい。残りあと6キロ。ラジオをつけると、ロシアからの長波や中波がよく入る。無線機への極超短波はさすがに入らないが。
N45°28′ E141°59′ 136km 北海道稚内市国道脇空き地
8月17日 曇
夜明け前、強風にテントを揺さぶられた。もうたたむしかないようだ。慌ただしく片付け、一時間早く出発した。
宗谷岬には6時に到着。GPSで座標を確認し、ついでに写真を撮り、それで終わり。以前からの目標は、こうしてあっけなく終わってしまった。
しかしそれからが大変だった。昨日からの追い風は向かい風となり、さらに風速を増して、思うように進めない。稚内まで四時間近くかかり、すっかり体力を消耗してしまった。
サロベツ原野に出ると、状況はさらに悪い。風にあおられて何度も転倒した。小石が転がる強風の中、ただ歩くだけでも困難だ。ロードマップを飛ばされ、それを追い駆けて疾走したり、トラックの巻き起こす乱流に派手に投げ出されたり、ずい分ひどい目にあった。これもまた試練だ。いくら転んでも押して歩く気にはなれず、ふらつきながらも乗って走った。しょせん歩くような速度だが。
テントを張る場所も問題だ。カマボコ型の大きな建築物を見付けてその陰に入ったが、すぐ横の家に人がいたのでテントを張る旨断ると、その建物を開けて中に入れてくれた。屋根の下で寝るなどひさしぶりだ。後から車で旅をしている夫婦も加わった。独りでないのも初めてだ。風はまだ強いが雲は晴れ、今夜も見事に星が見える。秋の星々が懐かしい。流星や人工衛星も、前に見たのはいつだったか。
N45°00′ E141°41′ 094km 北海道幌延町焼き肉ハウス内
8月18日 晴
昨夜の星空は、今朝の見事な朝日の約束だった。朝焼けの頃に目覚めて外に出ると、雲一つない空に利尻の姿がくっきり浮かんでいる。焼けた東の空からの日の出は、原野の風景からモンゴルの朝を思わせた。
早起きのために、今朝も早い時間に出発。これではヘタすると今日中に留萌に着いてしまう。あさっての夜に札幌なのだから早過ぎる。そこで初山別天文台に寄り道する事を思い付いた。ここには星の一つを自分の星として登録する制度があり、それを申し込むために。星の名前はGreen Sheep。愛車の名前であり、自転車乗りとしての僕の呼び名としても定着した、内モンゴル以来のこの名前。日本一周のいい記念が残せた。登録には三週間かかるそうだが、その頃にはどこを走っているだろう。
ススキの穂が広がり、一面風にそよいでいる。昨夜の星空にも感じたが、やはり秋はごく近くまで来ている。秋風の中に回る白い風力発電機を見た。近未来的オブジェとして絵になっていたので、自転車と共に写真を撮った。今日はいい写真もたくさん撮れた。
いい一日だったが、最後にもう一つ楽しい事があった。車の窓から身を乗り出し、女の子が「ガンバ!」と大きく手を振ってくれた。正直言って、北海道で行き交った数百人のライダーの応援よりも、その子一人の応援の方がずっと感激だった。まあそんなものだろう。
幸運はまだあった。キャンプサイトの前はすぐ海だが、その水平線に夕日が沈むのを見た。最後まで雲や島に隠れずに水平線に沈んでゆくのを見るのは、生まれて初めての事だ。今日は記念すべき日となった。
N43°59′ E141°39′ 125km 北海道留萌市国道脇空き地
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