レイリング日記00
バードからの突然の誘いの電話、もうお決まりになってしまった。ただ今回珍しいのは、自転車ではなく列車で出かけるという事だ。滋賀の近江鉄道に乗りに行こうと知人に誘われたのを、ついでに僕まで誘ったという事らしい。
独りの時なら問題ないが、連れがいる時には迷惑が及ぶだろう。こういう所へ来た時の、僕のマイペースな行動というのは。気が付けば午後も遅くまで、ミキさんは不平も言わず付き合ってくれた。もっとも、博物館に行っていたところで、たぶん同じ事だっただろうが。
終戦直後、平和の象徴として「はと」と名付けられた特急が誕生した。主要幹線を走り続け華々しく活躍していたが、新幹線開通に伴い姿を消してしまった。
そして最後がオークション。ブルートレインのテールランプが出品されているのを見て、ついまた燃えてしまった。旅情を誘う、夜汽車の赤い尾灯……。これだけは絶対手に入れたい。同じ車両内にはたいした競争相手もなく、余裕でモノに出来た。 8月27日 日曜日
夜行列車の感覚で考えていたら、夜行バスはかなり狭かった。座席がそれぞれとなり合わずに独立しているのが、飛行機よりはマシだが。サービスエリアでの最後の休憩の後、カーテンを閉められて座席はすっかり囲われた。
今朝は6時起床と聞いていたので、一人先に5時半に目覚めた。混まないうちに顔を洗いトイレをすませて、コーヒーをいれて席に戻る。周囲が起き出す頃には、僕はゆっくりと二杯目のコーヒーを飲んでいた。夜汽車の旅に慣れていれば、朝も余裕だ。
ところが、その後すぐにサービスエリアに入って休憩となった。ほかの乗客はみな降りて、広い所でゆっくり身づくろいをしている。べつに車内ですませる必要はなかったようだ。
僕はもう何の用もないし、自販機で飲み物を買っただけでバスに戻ると、席にはサービスのお茶が置かれていた。
夜行バスは初めてで、ほんとに何も分からない。だが、すっかり旅慣れてしまった今、旅の中でこれほどとまどう事が多いのは、新鮮な感覚だった。
律義にも、昨夜上映していたアニメ映画の続きを始めた。福岡を経って大阪へ着くまでに、ちょうど良い時間の作品を選んでいるのだろう。もっとも僕は途中で降りたので、ルパンと伯爵が対決するラストシーンは見られなかった。
9月9日 土曜日
明日の試験は明日の事。今日はただレイリングを楽しもう。両親が、18切符を一日分残しておいてくれていた。数日前にも二人で予定も立てずに出かけ、名古屋から京都に奈良まで回ってきたそうだが。
僕も今日は、まったく予定を立てずに出かけた。時刻表さえ持たずに。
モンゴル以降、こういった行き当たりばったりが増えた気がする。以前は、出発前にきっちり計画を立てていたものだが。もっとも、計画をその場その場で変更する事も多かったので、結局はあの頃も行き当たりばったりだったのかもしれない。
途中通った京都駅では、ちょっと妙な気分だった。昨夜見た映画で、ガメラがこの駅を破壊したのを見ていたから。
あのような映画、地元の人はどんな気分で見るのだろう。あまりにも非現実的だから、冷静に見られるものだろうか。だがまさか神戸の街が破壊される映画などは、震災後には制作されないはずだ。いや、神戸新空港沈没などは、案外面白いかもしれない。
米原では少し待たされたが、あとは順調だった。鈍行を乗り継いでも、東海道線は短いものだ。豊橋から乗った列車でようやく座れたので、弁当を広げた。ロングシートでは、旅の情緒などまったくないが。
昼食を終え、ひと寝入りするうちに沼津に着いていた。自転車では7日間かかった距離だったと、つい考えてしまう。箱根を越えればJR東日本圏内。駅の発車の音楽が懐かしい。
ガラ空きの列車に揺られながら、暮れる海と空をのんびりと眺めていたが、ふと考え直して混み合う快速に乗り換えた。明日のんびりするために、買い物などは今日のうちにすませてしまおう。秋葉原へ直行した。
すっかり夜になってしまった。これからホテルを探さなくてはならない。都心は高い気がするので、少し離れる事にした。18切符なら、どこへ向かうのも気分次第。
9月10日 日曜日
昨夜は予習もせず、ホラー映画を見ながら寝てしまった。今朝も時間があったにもかかわらず、ずっとパソコンでホームページの準備。直前にあたふたしても仕方がないし、しょせんは遊び気分で受ける試験だ。
地理コンテストは午後に始まる。ゆっくりホテルを出てもまだ時間があり、ついまた足は秋葉原へ向いてしまう。
一度パソコンを手にすると、欲しい周辺機器が次々に増えて困る。帰りの新幹線分の金額だけが、かろうじて手元に残った。昔は帰りの電車賃まで使ってしまった事もあったが、最近はそこまで無分別ではない。無計画ではあるけれど。
試験会場は、明治大学の新築ビルの中だった。きれいすぎて場違いのような気がしたほかは、緊張するような事もなく、カメラも気にせず楽に解答用紙を埋めていった。
ところが、突然電話が鳴り出した時には、さすがに少し慌てた。こちらからの連絡用に持っている電話は、普段かかってくる事などめったになく、だから試験中は電源を切るようにという注意も聞き流していた。失敗だった。聞き慣れないメロディーのオリジナル曲で、ただでさえ目立つというのに……。
そんなハプニングもあったが、簡単な試験は早めに片付いた。さあ、もうのんびりはしてはいられない。明日からまた出張だし、早く帰って休まなければ。それでも「のぞみ」に乗る金はもう残っておらず、混雑する「ひかり」の自由席で帰るしかなかったが。
時間帯のせいか、本当に混雑していた。もちろん始発駅なので座れはしたが、となりに誰かが座るとパソコンを開く気になれない。カフェテリアへ行こうかとも考えたが、デッキや通路に立つ人をかき分けるのも面倒になり、結局ワゴンでコーヒーを買って席に引き返した。
新幹線も、たまにはいいが続くと飽きる。
12月31日 日曜日〜1月1日 月曜日
弟からゆずり受けた、デジタルカメラと内蔵型CD−RWドライブで、さらにパソコンの可能性が広がった。中古とはいえ、重宝しそうだ。何しろデスクトップの方は、古いカメラや古いドライブに見合う、古いパソコンだから。
そして、今まで使っていたCD−ROMドライブの方は、ドライブが故障中の父さんのパソコンに使えるのでちょうど良い。つまりCDドライブのドミノ移植だ。
カメラはすぐに接続が出来た。データ移動も問題なし。が、ドライブ交換の方はかなり手こずった。古いタイプはやはりやっかいだ。
弟の手伝いもあって、なんとか出かける前にはマウントする事が出来たが、ライティングソフトのインストゥールは間に合わなかった。動作テストは帰ってからに持ち越し。来年に、来世紀に持ち越しだ。
ひさしぶりのレイリング、しかも夜汽車となればなおさらだ。これが、今世紀最後のレイリングになる。そして、来世紀最初のレイリングともなる。
今回乗る列車は、出雲大社の初詣へ向かう、団体貸し切りの特別列車。夏の「はと」への参加をきっかけに、冬の旅行案内がいろいろ届き、そのうちの一つに申し込んでいた。もっとも、僕は団体も混雑も苦手なので、列車の道程のみを楽しみ、後は一人で帰るつもりだが。
B寝台に荷物を置き、通路側の補助席から、窓に顔を寄せて夜を眺める。わけもなく、なんとなく感傷的な気分になる。明石海峡大橋の巨大な放物線が、今ゆっくりと背後に過ぎた。
境界を越える。世紀の境界を、千年紀の境界を。これほどに大きな境界を越えるのが、こうも簡単な事だったとは。僕は列車の窓辺に座っている。ただ座って待っている。それだけで、列車は勝手に進んでゆく。時は自然に流れてゆく。月もいつまでも空にとどまるように見えながら、確実に低くなってゆく。
遅い夕食かそれとも早い夜食か、弁当が配られた。今世紀最後の駅弁。大みそからしく、そばの弁当だった。
列車や駅弁だけが楽しみ、だったはずだが、せっかくなので倉敷で途中下車した。駅前のテーマパークで、ミレニアムのカウントダウンを楽しむというのも、このイベント列車の旅程の一つとなっている。
夏の「はと」の時にも思ったが、僕の感傷などというものは、まったく軽薄なものだ。きらびやかな遊園地の中で、にぎやかな音楽と花火の中で、僕はいつしか叫びながらとび跳ねていた。はしゃぎ屋の性格は、世紀を越えてもあらたまりそうにない。
その瞬間を、とび跳ねていた僕は空中で迎えた。
列車の出発までまだ間があるので、しばらく散歩をした。真夜中の遊園地は、異世界だ。カウントダウンの昂揚感が、いつまでも静まらない。
ところが遊園地を出れば、当然ながらごく日常の町の風景が広がる。21世紀となった今も、もちろん何の変化もない。なんとなく、肩すかしの気分だ。べつに僕も、エアカーやリニアやロボットの世界を、本気で期待していたわけではないが。
出発時刻よりもかなり早めに列車に戻った。
この列車の最後尾には、昭和初期の展望車、マイテ49が連結されている。すいている間にそこへ行き、発車時刻までしばらくくつろいだ。
当時造られた本物ではなく、80年代に復元したものらしいのだが、それでもクラシカルな雰囲気は充分だ。やわらかな照明。つややかな木の色。足音が響く。ニスの匂いがする。
後部デッキへも出てみた。そしてふと思った。昭和初期の目で見渡せば、この日常風景も驚異の未来世界だという事に。
レトロ列車に乗る事で、未来が実感出来るとは面白い。
ひさしぶりの寝台車はよく眠れた。列車の揺れはもちろんの事、発電機のうなりさえもが、なんだか懐かしくて心地良い。
松江で列車を降り、ようやく団体から離れて独りに戻った。ここからは、昔ながらの僕の旅だ。鈍行利用で一日に限られるほかは、何の制約も受けない勝手気ままなレイリングだ。とりあえず米子まで戻り、時刻表を開いて即興で計画を立てた。
昨夜からの「昭和初期の視線」は、今朝も続けている。自動ドア、蛍光灯、自販機、そして駅前のコンビニ……。やはりこうして見れば、日常も驚異の未来世界だ。
車内でパソコンを取り出した。見慣れた愛用のノートパソコンだが、しかしこれこそ驚異のハイテクといえる。
伯備線を戻り、新見から姫新線へ入り、津山を経て津山線を岡山まで帰ってきた。山深いローカル線を、細かい雪が舞っていた。
次いで海を見たくなったので、そこから先は赤穂線をたどる。海は薄雲の下で、おだやかに明るかった。
元日は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見逃すわけにはいかない。遅くならないうちに帰宅した。そして昨日の続き、前世紀からの続きだった、パソコン改造作業もようやく終えた。
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