レイリング日記88


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     2月27日 土曜日
 朝から雪。起きた時にはもう薄く積もっていた。雪は好きだけど、複雑な気分だ。よりによって、春の海を見に行く日に降るなんて。
 臨時列車の「マザーグーストレイン」に乗って、勝浦まで行った。勝浦もみぞれが降り、強い北風が吹いて、まるで真冬のようだ。砂浜へも降りてみたけど、誰もいなかった。こんな寒い時に海岸へ出ようという人はいないだろう。
 それでも列車は楽しかった。3両編成でも客車は1両だけで、定員は80名。よく切符がとれたものだ。1両は売店になっていて、気に入ったマグカップがあったので買った。
 この列車ののんびりな事といったら、しじゅう黄色信号の徐行みたいだった。景色がよく見えるようにとの配慮らしい。外は雨降りで寒々とした海の色だったけど、菜の花やストックやキンセンカがほとんど満開で、それは確実に春の景色だった。
 のんびり時間をかけて行ったからか、県内にいながらも、ずい分遠くに行ったような気がした。
     6月22日 水曜日
 衝動的に熊本まで行ってしまった。いつか行こうと前から考えていたけど、今日行くなんて事は今朝起きるまで思いもしなかった。
 目的は熊本ではなくて、豊肥線。阿蘇山をディーゼルカーの車窓ごしに見るのが目的だ。頂上付近に雲がかかっていたものの、天気は良くて良い眺めだった。次は阿蘇で降りてみようか。
 予定のコースは、豊肥線で熊本まで行って、久留米から久大線で帰る九州横断のコース。熊本から久留米へ行くのに少し時間があったので、市電に乗って城まで行った。城も市電も予定外の事で、もう嬉しくて何枚も写真を撮った。それから駅弁も楽しみで、たくさん買い込んだ。この辺りのはまだ買った事がないから。
 まったく思いがけない一日だった。いつも通りに学校へ行くだけの一日になるはずが、熊本まで行ってしまったなんて。明日からまた学校通いを始めると、今日の事がずっと以前の事のように思えるのだろう。
     7月12日 火曜日〜13日 水曜日
 船に乗って別府を出たのが、昨日の事のような気がしない。帰って来るまでは、連続した一日のような感じだったし、神戸へ帰って来たら、途端にずっと以前のような気がする。それにしても、初めてという事ばかりの一日だった。フェリーで四国へ行くのも、そして瀬戸大橋を渡るのも。
 フェリーの中ではほとんど眠れなかった。直接床の上に横になって、じかに伝わる船の振動。でも不思議にも酔いはしなかった。
 四国は本当に面白い。通ったのは予讃本線だけなのに、山の中をくねくね通る単線の所もあれば、複線高架で電化され、電車が走っている所もあって、県内の同じ線とは思えないくらい変化に富んでいた。船の中で眠れなかったものだからウトウトして、ふと気付いたら、外の様子がすっかり変わっていて驚いた事が何度かあった。
 寝ている間に橋を過ぎなくて良かった。橋からの眺めは良かった。列車に乗ったままで海上数十メートルを走るのだから。
 宇和島も松山も、とても暑かった。一方列車の中は冷房がきいていて、乗り降りするうちに、暑さと涼しさの差でおかしくなりそうだった。
 市電までが冷房しているとは思わなかった。松山の市電は、熊本の物より大きく、車種は一種類しかない。それにしても、四国内はまだほとんどが電化されていなくてディーゼルカーばかりだけど、市電はまぎれもなく電車だとふと気付いた。

     7月16日 土曜日
 あの分だと、こないだの始発列車の時はかなりにぎやかだっただろう。開通直後の宮福鉄道、少し甘く見すぎていた。それでも、混雑を別にすればやっぱり思っていた通りのローカル線だったけど。
 海は茶色く濁り、上から見るとそれが面白かった。天橋立に二分された海の右側だけが茶色いなんて、あんな景色は実際に行かなければ見られなかっただろう。テレビや絵葉書では、きれいに晴れ上がった時を写すから。そう思えば、雨降りも幸運だった。
 船が向こう岸まで通っていたけど、僕は橋立の上を往復した。行きは歩きで。ずっと松林が続いて両側には海という割合単調な景色が続くせいか、かなり長く感じた。帰りにもう一度同じ事をする気にはなれなかったので、帰りは自転車を借りた。
 帰りの列車の発車2分前に、大阪から来た特急がとなりのホームに着いた。とたんにみんなが写真を撮り始める。今日は鉄道ファンがずい分多かった。中にはビデオカメラを持ってる人もいたし。僕のようなハーフサイズのカメラを持ってる人なんていなかった。
 ちなみにその特急は、見た事のないパノラマカーだった。最近こういう車両もずいぶん増えた。そのうち、一つの路線に一つの特別な車両を走らせるくらいになるかもしれない。
 帰りは西舞鶴経由で帰った。やはりディーゼルカーの走る単線で、いい線だった。

     7月18日 月曜日
 雨は降ったり止んだりで、おとといのような悪天候。そのせいで増水していたから、川下りは面白かった。でも舟の中でスピーカーで音楽を流していたのが残念。どこでもこういう事はあるけれど、聞きたくもない音楽を無理やり聞かされるのはほんとうに嫌だ。
 でも明治村は静かで良かった。教会で賛美歌を流すくらいの事はしていたけど、音量は小さいし、雰囲気は良いし、こういう音はかえって静寂を感じさせてくれて嬉しい。それに人も少なくて、建物の中に僕一人だけという事もたびたびあった。木としっくいの匂いの中、自分の足音だけを聞きながら古い建物の中を歩いていると、いつまでも飽きなかった。
 最後にSLに乗って、市電にも乗った。SLの引く列車に乗るのは、これが初めて。そういえば、この数日でずい分いろんな乗り物に乗った。おとといのレールバスも初めてだったし。市電はこれまでにも何度か乗ったけど、やっぱり明治の市電は違う。あと一往復、次の停車場まで、と思ううちに、とうとう終電まで乗り続けてしまった。本当に充分楽しんだ。
 明治村ではのんびりだったのに、帰りは忙しかった。明治村を出ると、犬山行きのバスは出る直前。名鉄も、新幹線もすぐだった。待たずにすむのはいいけれど、慌ただしい。東京でも、なんとか君津行きの快速に間に合った。新幹線車内から、横をこの快速が走っているのを見た時には、間に合うとは思わなかったけど。


     8月31日 水曜日
 東京23時25分発大垣行きの列車は、思っていたより混んでいた。ホームへ上がった時にはもう列車は着いていて、席も空いていなかったのでグリーン車に乗った。そうとわかっていれば、もう少し早めに行ったのだけど、こういう列車は初めてで、混んでいるかすいているかなんてまったく分からなかったから。
 横浜を過ぎる辺りまでは各駅停車で、立っていた人はその間にみんな降りたようだ。静岡で目を覚ました時には座席を倒して寝ている人ばかりで、車内の照明も暗くなっていた。一方駅の方は夜中でも電気が輝いて、ホームは明るい。でもそのホームにいるのは、駅員と弁当売りだけ。
 夜中の駅というのは不思議な感じがする。ただでさえ、旅先の駅というのは普段いる所とは全然違う所なのに、それに加えて夜中というのはまったく日常の時間ではないから。貨物列車が追い越すのを待つ間、しばらく停車していたので、朝食用に弁当を買った。夜食のつもりか、すぐに食べる人も多かった。
 神戸には早く着いたので、残った半日を無駄にせず、午後はタカユキの所へ行った。あさってには仙台に帰るそうだし、明日は出かけるというから、今日のうちに行って良かった。
 旅行の話になったけど、話していて好みが全然違うのがおかしかった。僕は列車の旅が好きだし、時刻表を見ながら計画を立てるのが楽しいけど、彼は車で行きたいというし、計画を立てるのは面倒らしい。それでも行きたい所はやはり一致した。

     9月6日 火曜日
 「彗星」は14系だったけど、内装は24系の「富士」とまるで変わらない。ただ違うのは、出発してから到着するまでの所用時間だ。東京から出る「富士」とは違い、「彗星」が神戸を出る時間はもう遅くて、乗ればただもう寝るだけ。で、翌朝明るくなってきたと思ったらすぐに別府だ。
 ただ寝ているだけの列車の旅は、なんかあっけない。


     9月30日 金曜日
 小倉を出るのは夕方で、だいたい3時間半くらい時間があるから、「にちりん」を途中で降りて弁当を買った。行橋駅なんて、こんな時でないと降りるは事ないだろう。特急が停まるとは思えないくらい静かな駅で、線路ぎわにコスモスがたくさん咲いていた。
 門司港駅に降りたのも、今日が初めてだ。古びていてひなびていて、僕好みの駅だった。昔はここが九州の玄関口で、そのころはここもにぎやかだったのだろう。トンネルが出来てからは門司が入口になり、そして新幹線が通るようになってからは小倉に移って、今は門司駅も寂しくなっている。
 めかり公園は11年前に一度来た事がある。その時は市電で来たけど、今日はバスで向かった。展望台はあの頃のままだ。海岸には新しく広場が出来ていて、帰りのバスを待つ間、ずっとそこで海を見ていた。
 門司港駅で弁当を買ったら、数分待たされたけれど暖かかった。小倉まで乗った電車は大分行きで、別府へ戻るような妙な気分。いろいろ面白い事があって、門司港に寄って本当に良かった。
 せっかくの新幹線二階席からの風景も、時間が遅くなったせいでもう真っ暗だ。でも駅に入るとホームが遠いし、列車とすれ違うと対向車の屋根が見下ろせるのが面白かった。各座席にヘッドホンジャックが付いていて、五つのチャンネルで音楽が聞けるようになっている。頭上にはライトが付いて、雑誌まで置いてあった。
 もう遅かったので、新神戸からタクシーで帰った。大型中型のタクシーはたくさんいて、タクシーの方が列を作って待っているのに、小型はなかなか来なくて、客の方が列を作って待っている。前にいた数人はじきに乗っていったけど、僕の番になってからがなかなか来ない。10分以上は待たされた。僕の後ろにもう一人いたはずだけど、タクシーに乗る時見たら、いつの間にかいなくなっていた。

     10月9日 日曜日
 前回は寝台列車で帰ったから、神戸は夜遅く出発した。その前は映画村へ寄るから一番列車だった。神戸出発はたいてい夜遅くか朝早くだ。今日も朝6時には家を出た。
 広島で降りて、市電と小さな私鉄を乗り継いで宮島へ。船で渡り、ひと通り見て回ってから鳥居の見える所で弁当を食べていると、その間にどんどん潮が引いていった。潮が引いたばかりの干潟を歩き回ってみた。干潮が14時56分との事だから、もう少し待てば鳥居の下まで行けただろうけど、もう充分遊んだし、潮干狩りの人が大勢やってきたので引き上げた。
 宮島口で弁当を買って、下関まで普通列車を乗り継いだ。途中で何度も下車して弁当を買い込みながら。小郡では12分もの停車時間があった。こういう長い停車時間も鈍行の魅力だ。その上、となりにやまぐち号が着くといった幸運もあった。あらかじめ知っていたら、カメラを用意していたんだけど。
 それにしても、鈍行列車の旅は楽しい。僕にとっては全然知らない土地なのに、地元の人に列車の行き先をたずねられたりした。外の景色を見るのも楽しい。特に日が暮れる頃は素晴らしい。斜めに黄色い光が射して、影が長く伸びると、初めての景色でもなんだか懐かしい感じがする。


     10月16日 日曜日
 5時を過ぎても外は真っ暗。その上自転車のライトが灯かない。最近暗い時に自転車に乗らないから気付かなかった。慎重にゆっくり進んで、それでもなんとか列車に間にあった。
 今日は高千穂に行った。少々遠いから朝は早く出ないといけないし、帰りも遅くなった。延岡まで普通列車で3時間近くかかるのだから、遠いものだ。それでも普通列車は楽しい。それに、朝早く列車に乗るのも。別府湾の朝焼けを見ていると、いつもとは全然違う一日が始まるという気がした。大分から先へ行くのも初めてで、山の中を走っていたかと思うといきなり海の近くに出たり、それに不思議な名前の駅も多くて退屈しなかった。
 いつの間にか単線になり、あちこちの駅で上り列車とすれ違ったり特急の通過待ちをしたりで、長い時間停車するようになった。佐伯での停車時間も17分。弁当を買うために改札を出る事を、駅員が許してくれた。切符は下車前途無効だったにもかかわらず。
 そのうちに、駅と駅との間隔が開いてくると、信号所という所に停まるようになった。これだからローカル線は楽しい。高千穂線も楽しみだったけど、列車の時間が合わなくて、行きはバスを利用する事にした。
 一度駅へ行き、自転車を借りてから高千穂峡へ。最近涼しくなったけど、登り坂ではさすがに汗をかいた。それでも深緑の川と白い滝と黒い岩の風景は、やっぱり涼しげだ。玄武岩がすごかった。あんなに柱状節理がはっきりしているなんて。足もとの段々になった岩も、よく見ると柱状節理の風化したものだった。
     11月19日 土曜日
 青の洞門で下車したのは僕一人だけ。ほかの人達はどこまで行ったのだろう。土曜日だし、紅葉の時期も過ぎた事もあって、観光客はほとんど見かけなかった。
 誰もいない青の洞門を通り抜けて、競秀峰
きょうしゅうほうという所へ登った。筑波以来の山歩きだ。どうやら青の洞門の上をずっと通っていたらしい。降りていくと青の洞門の手前の、バスを降りた所に戻っていた。
 十分ほどで次のバスが来た。柿坂にレンタサイクルがあるので、そこからは自転車で走ってみようと計画していた。降りる時に運転手が、サイクリングターミナルの場所を詳しく教えてくれた。かなり奥にあったから、知らなければ捜すのにずい分手間取っただろう。
 自転車を選んだのはやっぱり正解だった。景色は予想以上に素晴らしかった。開けた田んぼの中を走ると陽が射して暖かく、杉林の中に入るとひんやりした。所々にトンネルもある。昔はこのサイクリングコースは鉄道だったらしい。駅のあった場所が休憩所になっていた。鉄道はいつ頃まで残っていたのだろう。小さな路線は廃止になるばかりで残念だ。
 防砂ダムの上に登って弁当を食べた。ほかにいい場所が見付からなくて。コンクリートの上に座っていたら、ズボンが白くなってしまった。その上食べ終わる前から雨が降り出すし。
 もう一つ運の悪い事に、予定のバスがなくなっていた。ダイヤが変わったらしい。とりあえず守実温泉まで行く次のバスに乗ったら、そこから日田行きのバスがあった。
 でもそのバスがのん気なもので、発車時刻になっても運転手が来ない。ようやく来たと思ったら、仲間といつまでもおしゃべりしていて、結局発車は10分も遅れた。
 バスの乗客は僕一人だけ。運転手は僕に行き先を確かめると、案内放送も止めてしまった。山の中を回る道では、途中で誰も乗ってこない。普段はバスはあまり好きじゃないけど、今日のバスは貸し切り気分で楽しめた。
     12月13日 火曜日
 別府駅では、ホームの端にディーゼル機関車が止まっていた。列車待ちの間ぼんやりそれを眺めていたら、汽笛を一度鳴らせてすごい煙をあげて走っていった。行ってしまって初めて、ディーゼルの前にSLがくっ付いていた事に気付いた。
 「いそかぜ」は小倉を9時15分に出て、出雲市到着は14時29分。5時間以上とかなり長い汽車旅だったけど、まったく退屈しなかった。
 山陰線はほとんどが海のそばを走っていて、しかも海岸線はとても複雑で、素晴らしい風景がいつまでも続いて少しも目が離せない。岩のゴツゴツした所に松が生えていて、いかにも山陰の海岸という感じで、山陽の瀬戸内海とはまるで違っていた。
 所々には砂浜もあって、そこは水が緑に見えた。岩場に赤茶色の海草が付いているのまで見えて、かなり水が澄んでいるのが分かった。白い漁船もよく見かけた。
 ほかによく見かけた物に、干してある大根があったけど、あれは何になるのだろう。切り干し大根は切って干すのだと思うけど、そうでなくて大きいまま、軒先に吊るされていたり木にぶらさげてあったりする。何か知らないけど、とにかく農村らしい風景だった。
 列車の方も良かった。非電化区間だからもちろんディーゼルカーで、しかも乗った事のないキハ181系。列車が小倉を出るとすぐに、関門トンネル内ではトイレを使用しないようにとの放送があった。まさかとは思ったけど、もしかしたらと見に行くと、やはりトイレの穴はレールに続いていた。こんなのがまだ残っているなんて。小さい頃、甲府へ行く列車のトイレは枕木が見えるようなトイレだったのを憶えているけど、その時以来だ。
 出雲市駅で途中下車した。弁当を買ったり道に迷ったりで、予定より一本遅い電車になってしまったけど、さびれた古い私鉄の駅で電車を待つのもいいものだ。
 一畑電鉄は、思っていた通りの雰囲気の電車だった。宍道湖もよく見えた。太陽が宍道湖の上に沈みかける頃に松江に着いた。
 宍道湖に沈む夕陽を見た時は、もう最高の気分。重い荷物による手の痛みも忘れた。運の悪い事も少々あったけど、期待していた一畑電鉄と宍道湖の夕陽には裏切られなくて良かった。
     12月18日 日曜日
 期待通りの最高の汽車旅だった。客車も古い型で、乗って揺られているとまるっきり別の時代にいるようで、神戸から千葉へ帰る途中だという事もすっかり忘れていた。考えていた事がすべて出来たのも嬉しかった。席は前の車両の窓際に座れたし、音を録る事も出来た。それに予約していた弁当も食べられたし。
 そして最後に、思ってもみなかった楽しみがあった。古い客車のドアは手動で、走行中でも開ける事が出来る。僕はデッキに立って駅に着く前から扉を開け、列車が停まらないうちにホームへ飛び降りてみた。
 小さい頃に甲府で、動いている列車から飛び降りる人を見て、僕も大きくなったらああいう事をしてみたいとあこがれていたのに、大きくなる前に手動扉の客車なんてなくなってしまった。それが今回、大井川鉄道でとうとう実現した。またいつか行ってみよう。ホームに飛び降りるために。
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