レイリング日記89
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1月11日 水曜日
特急で真っすぐ帰る気にはやっぱりなれない。寄り道まではしなかったけど、途中まで新幹線を使わずに普通で帰った。それでも、小倉にはけっこう早く14時過ぎに着いた。
途中下車してロッカーに荷物を入れて、さてここからは寄り道。折尾、直方、田川伊田を回って、3時間近くかけて城野まで戻った。城野までの180円の切符で。福岡近郊区間内なら、重複したり交差したりしない限り、遠回りをしても最短距離で運賃を計算するそうだから、不正にはならない。それでも検札がなくてほっとした。あまりいい目では見られないだろうから。
別府に着いて、乗車券をくださいと改札口で言ったら、持って行ってもいいと言ってくれた。昭和64年の発行で、有効期間内に年号が変わった切符だったから珍しいと思ったのだけど、この乗車券に気を取られていて特急券の価値に気付かずにいた。特急券は平成1年1月11日の発行だった事に、後で気付いた。
2月22日 水曜日〜23日 木曜日
別府から博多って、こんなに遠かっただろうか。普通列車で4時間もかかった。
その先は特急に乗ったけど、長崎まで行かずに途中の諌早で降りた。諌早と長崎の間を線路は二本通っていて、帰りに乗る「あかつき」は南回りなので、行きは北回りで行こうと思い。
そうしたのは正解だった。途中、分岐した線路の先に駅があり、スイッチバックで出て来るという面白い事があった。景色も良くて、大村湾が間近に見えた。海といえば、諌早の手前でも有明海がずっと見えていた。長崎本線は予想以上に面白い。いつの間にか単線になっていて、すれ違いのために何度も小さな駅に止まった。
長崎は、ローカル線の最果てとは思えない大きな街だった。駅は改装されたばかりのようできれいだ。駅だけでなく、あちこちの建物が新しく見え、今もいたる所で工事をしている。
グラバー園の中も、あちこちが工事中。明治村より小さいけれど、そのせいで一館一館をじっくりと見る事が出来た。一人だから誰にも気がねがないし、時間も気にする必要ないし。
たっぷり楽しんでから、すぐ近くの大浦天主堂に入った。奥の右側のステンドグラスから夕陽が射しこみ、反対側の壁に色の光が写っていた。窓のすぐ外に木の枝があるらしく、光が揺れていた。
もう日が暮れかけていたので、明るいうちに眼鏡橋を見ておこうと市電に乗った。市電に乗るのも楽しみの一つ。新しい型の車両もあるけど、ほとんどが前面の丸い、前照燈が一つの、市電らしい型の古い車両だ。長崎は観光地だから廃止になる事はまずないと思うけど、古い車両はいつまで残ってくれるだろう。いくら市電でも、新しい広告だらけの車両はあまり面白い物ではない。
眼鏡橋は妙な感じがした。古い型の新しい橋なんて。台風で流失したのは高校1年の夏だったから、すぐに再建したとしてもまだ5年半か。でも考えようによっては、架けられた当時の姿が見られるのは今のうちだけだ。
この橋だけでなく、上流下流にある橋はどれも石橋で、大半が新しく見えた。ほかの橋もあの時に流失したのだろう。
川に沿って遊歩道が作られ、階段で川に降りられるようにもなっていた。散歩するにはいい所だ。暗くなるまで歩き回って、列車の発車まで時間をつぶした。
寝台特急「あかつき」は14系、電源車が別にあるのではなく、発電機が車両の下についている型だ。編成が途中で分離するためだろう。肥前山口で、佐世保からの車両と連結するのを見た。機関車交換は関門トンネルでも見るし協調も碓氷峠でやっているけど、客車の編成を分離したり結合したりというのは初めて見た。僕以外にも、弁当を手に持ったまま連結作業を眺めている人がいた。
長崎では汗をかきながら歩き回っていたのに、神戸では息が白くなる。やっぱり九州とはずい分気候が違う。千葉に電話をすると、向こうも寒いらしい。手袋を持って来なかったのは失敗だった。夕食後、自転車で散歩に出たら手が冷たかった。
2月28日 火曜日
名古屋で新幹線を降り、名鉄に乗り換えて鳴海駅へ。テレビによると、西友の鳴海店で「駅弁ラベルで見る昭和世相史」というのがあって、古い駅弁包装紙を見られるそうだから。ところが駅周辺をいくら捜し回っても見付からない。歩道橋に上がって見回しても見当たらない。
仕方なくバスの運転手に聞き、教えられたバスに乗って25分、最果てのバス停で降りた。バスはずっと住宅地の中を走って、ここはまさに住宅地の果てだ。道のすぐ横は急な斜面になっていて、下はブルドーザーでならしたばかりの荒地が広がっている。こんな所に本当に店があるのかと不安になったけど、15分歩くと広い道に出て、その向かいに大きな西友が建っていた。二階建てで大きな駐車場という、郊外型の店だ。将来はこの辺りが、住宅地の中心地になるのだろうか。
たどり着くのにずい分苦労したけど、駅弁ラベル展は苦労して来るだけの価値はあった。駅弁大会のおまけという感じだったけど、お茶の土瓶や割りばしまで展示されていた。もちろん駅弁も買ってきた。
西友を出たのが12時。予定よりかなり遅くなったけど、各駅停車を乗り継いで帰った。浜松で乗り換え、熱海で乗り換え、大船で横須賀線に乗り換え、最後に千葉で乗り換えた。前にも一度神戸から千葉まで各駅停車で帰った事があるけれど、その時よりもなんだか疲れた。
3月14日 火曜日
今日は朝から上天気。安心して、傘を持たずに歯医者へ行った。でもやっぱり雨に降られた。
千葉から真っすぐ戻らずに、西船橋を回って蘇我まで京葉線で帰った。まだ京葉線は通った事がないし、時間もあっていい機会だから、遠回りをして帰った。東京近郊区間内なので、交差したり重複したりしない限りは最短距離で運賃計算を行うので問題はない。時間さえあれば、いつでもこういう遠回りをしてみたいのだけど。
蘇我から乗った列車では、面白い事があった。蘇我で降りた小学生の女の子が、車内に残る男の子に手を振って、列車が動き出すと手を振りながらホームを走って追いかけてきた。横にいた高校生達もそれを見ながら、小学生はいいよなあなんてぼやいていた。きっとその子にとって、ホワイトデーの今日は特別の日だったんじゃないかな。もしかしたら、毎日こんな事やってるのかもしれないけど。
4月6日 木曜日
この春から走り始めた、普通列車の二階建てグリーン車に乗った。新幹線の二階に乗ったのは夜だったけど、今日はたっぷり景色が楽しめた。しかも席は海側、天気も最高に良かった。春らしく少し空がかすんで、海もとてもおだやかだった。
終着駅の熱海までその列車で行き、後は「こだま」に乗り換えた。「こだま」も、四列になった指定席に乗るのは今日が初めて。ただ座席を取り換えただけで、ドアが今も片側に寄ってるのがおかしかった。
4月13日 木曜日
小倉に着いたのはまだ昼過ぎ。少し寄り道する事にした。八幡まで行って、そこから市電に乗って小倉へ戻った。この市電、もう廃止になったかと思っていたけど、消えたのは門司方面だけだったようだ。小倉より西は残っていたなんて、最近まで知らなかった。11年半ぶりの北九州市電だった。
行橋までは普通に乗って、そこから特急に乗り換えた。こんな事をしてけっこう時間をつぶしたけど、わりと早い時間にアパートに帰り着いた。
なぜかビデオが写らない。荷物を放ったままですぐ修理にかかった。ふたを開けて基盤まではずしにかかったけど、故障の原因は単なるアンテナコードの腐食だった。
5月7日 日曜日
連休の最終日にしては、列車はすいていた。でもさすがに吉野ケ里に着いてみると、人混みのすごさに驚いた。さすがに一般公開最終日だ。
百聞は一見にしかずとはよく言ったものだと思う。テレビで見ても、どの程度の広がりがあるかとか、土の質とかまでは分からない。ただこの土はちょっとやっかいだった。昨日までの雨ですべるし、あちこちに水がたまっているし。それにもめげず、二周してじっくり見学した。佐賀までは遠いから移動ばかりに時間を食い、見学時間なんてあまりないと思っていたけど、3時間近くかけてじっくり見学する事が出来た。案内や説明もとてもていねいで気分が良かった。
それにしても、久大線は列車の本数が少ないし、接続も悪くて困る。早く帰ろうとすればとんぼ返りなるし、その次の列車となるとかなり遅くなる。佐賀や鳥栖でそれぞれ30分以上も列車待ちをした。その間に、特急は何本も出てるのに。
でも、長崎本線には面白い普通列車が走っている。妙に天井が高いので不思議に思っていたら、寝台特急を改造して使っているようだ。それにしても、普通列車のほとんどがこの改造列車というのは、やはり不思議だ。
7月11日 火曜日
出発したのは朝6時、4時間半かけて博多まで行った。特急に乗らず、しかも筑豊線、篠栗線経由で行ったから。その分アジア博での時間が少なくなるけど、急いでいく気はなかった。鈍行でローカル線を走るのも楽しみの一つだから。時々ウトウトしながらも、初めて通る線の景色を充分楽しんだ。駅名も変わったものが多くて面白い。
博多に着いてからが少々手間取った。まず大きいカバンをロッカーにあずけようとコインロッカーへ行ったが、お札ばかりで硬貨がない。弁当を買って小銭にくずしたのだけど、その弁当売り場を捜すのにもずい分歩き回った。
やっと身軽になって地下鉄乗り場へ降りると、列車は発車直前、慌てて乗り込んだ。よく知らない街で初めて乗った地下鉄に、行き先もよく確かめずに乗り込んで、駅を二つ三つ過ぎる頃にはさすがに不安になってきた。なにしろ知らない駅名ばかりで、どっちに向かっているかも分からない。五つ目の駅でとうとう降りた。ところが目的の駅は二つ先、方向は合っていた。次の列車にまた乗ったけど、博多駅で急いだ意味がなかった。
寄り道や失敗でずい分遅くなって、会場に着いたのはもう昼前。でも人が少なくて並ぶ必要がなかったし、面白そうなパビリオンも少なかったから、時間には困らなかった。少数のパビリオンを、時間をかけてゆっくり見学した。
まずはテーマ館。去年奈良のシルクロード博にあった実物大の船の複製が、今度はこっちに展示されていた。
それからJR九州の鉄道模型のパビリオン。そして鳥のパビリオンへ行った。ここでは1時間半ほど鳥を見ていた。本当にのんびりと見て回る事が出来た。
夏休みに入れば、こうはいかないだろう。今日は子どもがほとんどいないので、ミニSLなんか気の毒なほどすいていた。JRパビリオンでクイズに答え、券をもらって無料で乗ったけど、なおのこと気の毒だったかも。
強い雨が降るという天気予報はさいわいはずれた。その代わり、かなり強い風が吹いた。でも風が吹いても涼しくはならない。九州の暑さにはもうまいった。神戸はこんなに暑くはならないだろうし、千葉にはクーラーもある。しばらくは、頭がグラグラするような暑さともお別れだ。
7月18日 火曜日
名古屋駅から地下鉄に乗って、今日は迷わずに会場に着いたが、今度は開場まで40分も待たされてしまった。
最初に行ったのはJR東海のパビリオン。リニアを見て、3Dのアニメを見て、次の車輛館へ行く頃には、けっこう行列が延びていた。そのほとんどが、小学生と中学生の団体だった。小学生はクラスごとに、中学生は班ごとに行動しているようだ。まだ夏休み前だからアジア博のようにすいてるだろうと思っていたけど、考えが甘かった。それでもそんなにぎやかな中にいると、待ち時間を退屈しないですんだ。
このデザイン博に来た一番の目的である、ロコモーション号のレプリカを最後に見た。円筒形のボイラーに4つの動輪。前から突き出て上にのびる太い煙突。ボイラーの上にあるシリンダーが上下すると、複雑につながり合うロッドがそれぞれいろんな動きをして、マンホールのふたのような動輪が回り出した。運転はかなり難しいらしく、動き出してから徐々に速度を増すまで、タイミングを計りながらレバーやハンドルを忙しく操作していた。全体がシンプルな形をしているのに、シリンダー周りがやけに複雑なのが面白くて、いくら見ていても飽きなかった。それでも目的地があるもう一つあるので、昼頃には出発したが。
御殿場線は単線のひなびたローカル線。でも学校帰りの高校生、特に女子学生が多くて、車内はとてもにぎやかだった。御殿場駅も思ったよりは大きくて、小田急の特急が乗り入れて停まっていた。
ここでの停車時間が20分以上もあったので、となりのホームに特急の写真を撮りに行ったり、途中下車して駅弁を買ったりした。これだからローカル線の旅は楽しい。弁当は停車時間が長くなければ買えないところだった。駅の構内に売店が見当たらないので改札の駅員に聞くと、駅前の売店にあるというので駅を出て買いに走った。
大船から君津行きの快速に乗った。これでそのまま姉ヶ崎まで直通だけど、2時間もかかるとは遠いもんだ。この列車、始めはとてもすいていたけど、品川からいきなり大混雑。会社帰りの人達の中、遊んで帰る僕が座っているのは、なんとなく気がひけた。おかしいのは、ガムをかんでいる人が多かった事。この列車は終点まで全車両が禁煙だから。
8月31日 木曜日
一日中、朝の8時から夜の8時までほとんど列車に乗り詰めだった。池袋から先が、初めて乗る西武秩父線。途中で乗り換えもあって時間もかかり、ずい分長く思えた。
そして秩父鉄道に乗り換えて三峰口へ。わざわざ三峰口まで行きながら、展示してあった古い車両を見ただけで帰って来た。それでもたっぷり楽しんだ。たくさんの列車に乗って、見て。ただ、それに付き合わされた父さんには気の毒だったけど。
秩父鉄道では、今日もSLが走っていた。以前から切符を買おうと電話をしたり窓口へも行ったが買えなくて残念だったけど、今日思いがけず見る事が出来て嬉しかった。向かい側のホームを通過しながら、目の前で機関士がタブレットをキャッチした。うまく写ったかどうか、写真の現像が楽しみだ。
三峰口の展示車両もいくつか撮影してきた。この展示公園は去年のSL運行開始と同時に開いたようだ。どの車両も、僕が埼玉に住んでた頃には、現役で走っていたのだろう。
ひととおり全車両を見て、いじって、満足してから父さんの待つベンチへ戻ると、子どもが閉じ込められてしまったらしい、と遠くの機関車を指す。見ると確かにバタバタやっているので、助けにいった。
必死になってドアを引っ張っていると、いつの間にか中にいたはずの男の子が、すぐとなりで僕を見ている。そして「向こうからも押してみようか」と言うと、また裏側のドアから機関車の中へ入っていった。力が抜けた。てっきり閉じ込められてると思っていたのに。
帰りは熊谷を目指して、とうとう秩父鉄道を始発から終着まで乗った。熊谷駅の広場では、なぜか野菜を配っていた。ジャンケンをして、勝っても敗けても野菜をタダでくれる。面白そうなので、父さんも無理に引っ張って列に並んだ。今日は831でヤサイの日なのだそうだ。
本当に、一日中父さんを引っ張り回した感じだ。最後にはわざわざ北斗星とスーパーひたちを見るために上野で途中下車した。北斗星は以前に見た事あるが、スーパーひたちは初めて見た。まるで展示してある模型のようだ。前面のLED表示も、列車を展示物めいて見させる。写真を撮ったがちゃんと撮れただろうか。暗いので絞りを開いてシャッター速度を遅くして、ブレないように父さんの肩を三脚がわりに使わせてもらった。
9月5日 火曜日
いつもどこかに寄り道をしているが、今回は名古屋からわき道へそれて、関西本線を通った。しばらくの間、近鉄が併進して近づいたり離れたりするのを見た。高校の修学旅行で来た時には近鉄の方を通って、やはり国鉄の線路が近付いたり遠ざかったりするのを車窓から見ていたのを思い出した。
いくつもの川を渡り、そのうちの一つが三重県との県境だった。川は連日降り続く雨に増水していてすごかった。後で知った事だけど、あれから新幹線は豪雨で米原付近が不通になったそうだ。この回り道は正解だった。
名古屋と奈良との間では、亀山辺りが中間地点のようだけど、亀山までは短かく感じた。電化された線路を新しい電車で、1時間で着いた。ただしここからは、単線をディーゼルカーで2時間かかる。でも僕にとっては、この方が楽しい。昨日電話で予約しておいた珍しいお茶漬けの駅弁を買って、古びたディーゼルカーに乗り込んだ。
この線は、本当に僕好みの線だ。雨降りもかえって良かった。山々は高く、霧がかかり、木々も深い緑色をしていた。谷沿いに走る列車の中から、曇ってくるガラスを手で拭きながら、ずっと景色を眺めていた。ローカル線に乗るとなんだかほっとする。
9月30日 土曜日〜10月1日 日曜日
目的地は神戸だけど、その前にまずは寄り道。反対方向の鹿児島へ向かった。
乗った列車は、別府発西鹿児島行きのにちりん1号。始発から終着までずっと乗っていて、着く頃には車掌さんに「長いこと座っとって飽いたろう」なんて言われた。飽きたなんてとんでもない。宮崎辺りで見た日向灘やリニアの実験線、停車する大きな駅小さな駅、興味ある面白い風景ばかりだった。間違えて乗ってしまった人のため臨時に小さな駅に停まり、連絡を取って待っていた上り列車に乗せたという小事件もあった。
鹿児島への到着は、ついに来た、という感じで良かった。海岸線に沿ってゆるやかに右へカーブしていくと、少しずつ桜島が現れる。海の向こうの桜島は予想以上に大きくて、頂上の煙は見なれないせいか妙な感じがした。街中に当たり前のように積もっている火山灰にも驚いた。地元の人には日常的な風景だろうが。
初めて別府へ来た時にも、南国へやって来たという気がしたが、今日もまったく同じ気分。市電が走っているのが嬉しくて、まずは市電に乗った。残念ながら写真は撮れなかった。帰りにゆっくり撮ればいいと思ったのが間違いで、桜島でのんびりしすぎて戻った時は真っ暗だった。
桜島へのフェリーは、宮島のフェリーのようだ。距離も同じくらいで、時間を気にしなくていいくらいひんぱんに出ている。途中で逆方向のフェリーと二回もすれ違った。土曜の午後で、島へ帰る学生が大勢乗っていた。セミの鳴いている鹿児島でも、来週から衣替えだろうか。
セミにはそう驚かなかったが、桜が咲いているのには驚いた。まさか桜島では年中桜が咲いている、というわけでもないだろうけど。でも灰は年中降るのだろう。ちょうどフィルムの空きケースが手元にあったので、灰を持ち帰る事にした。場所によっては雨が降った後に乾いて表面が固まり、踏むとしもばしらのような感じのするものや、粗い灰の下に細かい灰が積もっていて、足の下から灰が吹き出すような所もあった。そんなふうに足元ばかり気にしながら歩いていて、木にぶつかった。
山道でハンミョウを見たり、ビジターセンターという博物館のような所を見付けたりと、思いがけない発見もあった。ビジターセンターは出来たばかりのきれいな建物で、無料だった。なのになぜか見学者は少なく、おかげでゆっくり見学出来た。
ビジターセンターから熔岩遊歩道が始まり、海岸沿いに延々と続いている。歩くのが好きな僕は、山を左に海を右に見ながら、日暮れまで時間の許す限りひたすら歩いた。帰りには別の知らない道へ入った。不安はあったが、山を右に見ながら帰れば間違いないだろうと思い。山は島のどこからも見えて、いい目印だ。頂上には刻々と形を変える煙がいつもあり、いかにも特別な山という気がする。
帰りのフェリーから、真正面に夕陽が見えた。なんだか今日は、一日中太陽の道案内を受けていたような気がする。朝から昼にかけて、太陽は東から昇って南へ回り、僕の乗った「にちりん」も、九州の東から出発して南へ向かった。そして夕方のフェリーからは、鹿児島の街なみが夕焼け空の下に見えていた。
20時13分に西鹿児島を出るこの夜行列車はちょっと変わっていて、宮崎までは鈍行で、宮崎を過ぎてからが急行になる。編成も変わっていて、5両のうち後ろの2両が寝台車。乗客の方もちょっと変わっていて、遅く帰宅する近距離客がやたらと多い。ひっきりなしに乗り降りして、落ち着かなかった。宮崎を過ぎてからは急行券が必要だし、時間も遅いから近距離の客なんていなくなるかと思ったけど、そんな様子もない。車内放送もいつまでも続いて、本当に変わった夜行列車だ。
いつの間にか眠っていて、ふと目が覚めたら夜行列車らしくなっていた。ほかの乗客もみんな眠り、室内灯も暗く、駅に着く時も静かだった。
小倉到着は5時30分。少し空が明るくなってきた頃で、信じられないくらい寒かった。乗り換えた山陽線の列車が発車するまで20分、ドアが開いたままで風が吹き込むのがつらかった。
関門トンネルを抜けて、山陽線を東へ走るうちに朝日が顔を出した。まだ指はかじかむし体のふるえも止まらなかったけど、暖かくなりそうでほっとした。でも外の早朝の風景は冷え冷えとしていた。池の水面から湯気が立ち上るのを見た。
このまま真っすぐ小郡まで行ってもいいが、そこで長い時間待っててもしょうがないので、小野田線、宇部線を回る寄り道をした。
べつに何の目的もなく、ただ時間が余ったからというだけの道草だったけど、思いがけず素晴らしい物に出会った。時刻表の地図を見ると、雀田駅からも短い線が分岐しているので降りてみると、ホームの向こうには一輛のこげ茶色の古めかしい車輛が。もう予想もしていない事だったので、大喜びで乗り込んだ。中に入った途端に、どこか懐かしい匂い。真鍮色の金具に、ニス塗りの木の壁と窓。青いびろうど張りの椅子。こういう列車は僕の小さい頃だって走っていなかったはずだけど、なぜだかとても懐かしい。
二駅目がもう終点だ。長門本山駅は、ホーム一本あるだけの無人駅。周囲を見回しても民家数軒と畑と道があるだけだ。折り返しすぐ戻っても良かったけど、一度この列車を見送ってみたくて駅に残った。
それにしても、こんな幸運にめぐまれるなんて思いもしなかった。何もないと思っていた所にもこんな素晴らしい事があるのなら、道草を食うのもいいもんだ。いつも僕はくだらない事や意味のない事をやって、他人から見ればバカみたいに見えるだろうけど、その無意味な事からでも楽しい事が見付かるのなら、やってみるだけの価値はある。
一本列車をやり過ごしたが、次に来たのもさっきと同じ列車だった。運転士も同じ。同じ列車が何度も往復しているのだから当然だ。なんだか公園内で運転されてる列車のようだ。
そしてやっと本来の目的地の小郡へ。今日のやまぐち号は特別だった。夏に時刻表を見た時から、重連運転という事で普段と違うと思っていたけど、今日の出発式の盛大さには驚いた。乗客も、赤いリボンをつけた招待客や中学生の団体でほとんどの座席が埋まっている。よくこれで切符が買えたものだ。やまぐち号は今日で10周年を迎えたそうだ。
客車は古めかしく見せかけただけのまがいもので、僕の座席は通路側。でも、悪い事はそれだけだった。席は通路側でも、同席の人達は面白い人だったし、とてもなごやかな雰囲気だった。
津和野に着いてからは、駅に残ってずっと列車の入れ換えを見ていた。C57とC58とが、形も大きさもあんなに違っているとは知らなかった。蒸気機関車は初めてではないけど、大型のテンダー機関車の重連というのは初めてで、煙のすごさと発車時の振動は感動ものだった。二輛の機関車は、やがてホームから遠く離れた引き込み線に入って見えなくなった。これから石炭と水の補給をして、転車台で向きを変えるのだろう。
時間があったので津和野の町を歩いたけど、人が多いのと、あまりにも観光地化されているのとが面白くなくて、川で鯉を見ただけで駅へ引き返した。そして列車に乗って益田へ。べつに益田に目的があったわけじゃなく、僕のいつもの「ムダ」な寄り道。益田へ着いて、弁当を買って、やまぐち号に間に合うようにすぐに引き返した。
意味がなかった寄り道のようだけど、途中の景色は素晴らしかった。秋らしい稲刈りの風景。そして川の水は信じられないほど澄んでいて、流れからずっと目が離せなかった。浅い所では白く波が立ち、深い所では川底の砂が深緑に見える。窓側の腕がジリジリするほどの暑さのせいもあって、川は涼しげに見えた。
思いがけない所に予期しなかった楽しみのたくさんあった二日間だった。
10月3日 火曜日
雨降りにもかかわらず出かけた。堅田駅からあちこち迷って、ようやく琵琶湖大橋にたどり着くと、真っすぐ湖の向こう岸に続いているのを見ているうちに、つい渡りたくなった。横なぐりの雨と自動車のしぶきの中を、ひたすら歩いた。
堅田市から大津市、そして橋を渡ると守口市。ずい分歩いた気がする。橋の往復だけでも3.2キロになるし。守口市側の岸に着き、道を渡って今度は反対側の歩道を引き返した。雨の中を歩いて来て、来たと思うとすぐ戻り、料金所の人も妙な奴と思っただろう。
周遊券の範囲限界は、湖西線ではこの堅田駅で、山陰線では亀岡駅になる。次に亀岡へ向かった。僕の好きな単線の非電化、走っているのはディーゼルカー。だけど残念なことに一部では複線化しており、電化の工事も進んでいた。嵯峨を過ぎて保津峡辺りは深い山中、深い谷を冷たい色の川が流れ、空気もひんやりして良い所だ。でもそんな景色は、長いトンネルの合い間にほんの短い間見えるだけだ。この辺りの線路が変わった事は聞いていたけど、車窓に見る風景がまさかこんなに変わってしまうなんて。時おり、川に沿って走る古い線路が茶色く見えた。
亀岡駅で降りた。あてはなかったけど、さっき見た川へ行こうと歩き始めた。川は流れが速く、水量もあって、天気のせいもあって冷たそうに見えた。保津峡下りの看板が出ていたが、もう川下りの季節は終わっているので、石橋を渡っただけで戻った。
京福電鉄に乗ってみようと思い、京都まで戻らずに嵯峨で途中下車。京都の市電はずい分前になくなったけど、この線も部分的には路上を走る所もあるし、車輛はもう路面電車そのもの。始発駅から終着駅まで20分という短さも良い。この線はずっと残ってくれるだろうか。軌道に図々しく割り込む車を見ると心配になる。
10月4日 水曜日〜5日 木曜日
バスの時刻が中途半端なので、歩いて駅へ向かった。途中、偶然にも2丁目のバス停にさしかかったところにバスが来て、僕が乗車すると思ったらしくウインカーを灯けて徐行した。あわてて首を振り、去っていくバスに手を振った。なんかまずかったかな。べつに何も悪い事はしてないけど。
疲れて帰る人達に混じって電車に乗った。今から出かけるというのは僕くらいなものだろう。もっとも夜行に乗り込めば、そうでもなかったが。釣り人で混み合うこの夜行列車は乗客のマナーが最悪で、汽車旅好きの僕にも耐え難かった。それでも夜が明けて新宮に着いてからは、そんな事すっかり忘れて朝早く来て良かったと思ったが。
まだ真っ暗の新宮駅に降りると、もう駅弁を売っている。二種類買って一つを食べた。そして、天王寺からここまで乗ってきた列車が、折り返すのにまた乗った。今度は串本行きで、またも始発駅から終着駅までの乗車だ。その途中でようやく夜が明けた。最上の天気で、朝日は水平線の上に輝いている。やっぱり朝早く来て良かった。
串本駅で自転車を借りて、まず橋杭岩へ行った。岩までの海岸は浅くて、歩いて近くまで行く事ができた。岩の間からしぶきが上がって、波はかなり高い。台風のせいだろう。戻ろうとすると湖が満ち始めていた。遠浅は、いきなり水没するから気を付けないと。
潮岬は思っていた以上に素晴らしい所だった。あんなに海が澄んでいるとは思わなかった。光が斜めに射して、深緑に透き通っていた。そして自転車で走るのにちょうど良い道。ゆるやかなカーブに適度に坂があって、海をすぐ横に見ながら坂を下るのは気持ちが良い。風が強く、波も高くて、白い波頭が鮮やかに見えた。
岬をひと回りしてそのまま海沿いに西へ向かうと、それまでの黒い岩の海岸とはまったく違う、真っ白な砂浜が広がっていた。白い砂に打ちよせる波の緑色は、岩場の波の緑色とは違っていて、なんだかヒスイの緑に似ていた。砂浜に降りてみると、砂は真っ白だし、水は完全に透明だし、ゴミはもちろん打ちあげられた貝がらや海草すらない。人影もなくて、日本の海岸じゃないようだ。長居してはいけないような気になるほど、きれいな砂浜だった。
早いうちに帰途についたので、鈍行で帰ったにもかかわらず早く家に着いた。紀勢線は鈍行でのんびり走るのに良い線だ。でも、きっと山側の座席では面白くないだろうけど。
10月29日 日曜日
英彦山ひこさんへ行った。行きに4時間、帰りに5時間かかった。かんじんの山では3時間しか時間がなかった。
まず行橋まで行き、以前は田川線だった第三セクター、平成筑豊鉄道に乗り換えた。今月始めに開業したばかりで、各駅にはまだ飾りが残り、レールバスも新品だ。去年乗った宮福鉄道を思い出した。田川伊田からは日田彦山線に乗り換えて、後は12年前と同じコースだ。
銅かねの鳥居バス停でバスを降りた。前は上までバスで行ったような気がするので、今回は一番下から登る事にした。といっても時間が少ないし頂上まで登るのは無理だろうから、一時間半だけ登って引き返そうと思っていた。ところが一時間で登りきってしまった。頂上で弁当をゆっくり食べる時間さえあった。
頂上付近はよく憶えているけど、12年前と全然変わっていない。途中の道でも見憶えのある所がいくつかあった。あの時と大きく違っているのは季節で、今回は見事な黄葉や紅葉を見る事が出来た。
ちょうど昼時で、頂上は昼食をとる人達で混みあっていた。一人でいるのは僕だけだ。それはいつもの事だし気にはならないけど、今日は特別な事もあった。登る時も降りる時も、すれ違う人のほとんどがこんにちはと声をかけてくれる。自分の方から声をかける事はさすがに出来ないけど、返事をするのは気分が良かった。
降りる方がずっと疲れる。特に鎖場は肩かけカバンがやっかいだ。リュックを持っていないのだから仕方ないが、いつもの通学スタイルで山へ登るというのも無理がある。
帰りは日田を回って帰った。どちらが近いかは判らないが、乗り換えに一時間以上も待った。
日の暮れる頃の久大線は素晴らしい。真っ暗になるまで、外の景色から目が離せなかった。日が沈むと山も冷たい色に変わり、エンジン音の響くディーゼルカーの中にいても静寂を感じた。乗客も少なく、停まる駅のほとんどが無人駅。乗る人も降りる人もいないそんな駅に数分停車して、すれ違う列車を待つ。こういうのが本当の汽車旅だという気がする。
11月11日 土曜日
1年の11月11日といっても、いつものままでとくに何もなかったけど、関東の方ではいろいろあったようで、父さんはわざわざ上野まで記念切符を買いに行ってくれたそうだ。僕は竹田まで行って駅弁を買った。わざわざ竹田まで行かなくても駅弁はあるが、せっかくの休日だから弁当を持って岡城址まで行った。残念ながら名物の山菜弁当は売っていなくて、行きも帰りも幕の内弁当だったけど、大事なのは今日の日付だ。
竹田の町は、狭い道を車が行き交ってきゅうくつだけど、岡城址は想像以上の眺望の良さで気持ちが良かった。西には阿蘇が煙を上げているのも見えた。天気の良い日に歩くには良い所だ。紅葉の頃も良いけど、今度は春に行ってみよう。でも桜の頃は混雑するだろうから、少し時期をずらして。
11月19日 日曜日
昨日から続く冷たい木枯らしの中を、宇佐まで出かけた。どこへ行くという目的はなく、ただ部屋でじっとしていたくなかったから。最近また落ち着かなかったり落ち込んだりしている。
宇佐は自転車で行った事があるが、列車で行って降りたのは初めてだ。「USAうさ」の駅名標を写真に撮るつもりだったけど、帰りでいいやと思っていたらその時間がなかった。
改札を出てキオスクで弁当をきくと、やはりないとの事。でも国道沿いに少し行った所に売店があると教えてくれた。確かに駅弁の売店があって、弁当を買ったけれど、はたして駅弁と言えるだろうか。包装紙にはしっかり「エキゾチックジャパン」なんて印刷されているけど。乗降客の少ない駅で売るよりも、国道沿いに売店を出すほうが売れるのだろう。
特急は30分に一本くらいあるけど、普通列車は少ない。こういう所で降りると、次の列車までの時間を持てあましてしまう。しばらく付近を歩き回った。小さな川にかかる橋を渡ると、右の方から列車が鉄橋を渡る音が聞こえ、見ると遠く田んぼの中を、赤い電気機関車の引く青い色の客車が通っていた。丸っこい客車は20系のように見えたが、古びてすっかり色があせていた。何もない寒々とした景色に似合う列車だった。
12月13日 水曜日
いつもの事だけど、今回も神戸へ帰る道すがら、意味のない事ばかりやっていた。
まず厚狭駅で降りて、次の上り列車が来るまでの間に駅弁屋を捜した。店はすぐ見付かったけど、塗装工事をしていて休み。
次は柳井駅。駅弁の売り場が見当たらないので駅前の食堂で聞くと、この先にあると教えてくれたので行ってみるとホカ弁だった。呉駅でも、駅員に聞いたがないと言われた。
尾道は、弁当のあるのは確実だけど、もう夕方で売り切れてしまっていた。でも店の人が、駅前の本店へ行けば残っているかもと教えてくれ、その上荷物の番までしてくれた。でも通りを渡って店へ走ると店内は真っ暗。未練がましくのぞきこんでいると、休みだよ、と空の手押し車を押して通りかかった魚売りのおばさんに言われた。
笠岡では、店はすぐ見付かったが、やっぱり弁当はもう終わったとの事。その上ガムテープで固定してあった反対側のドアを無理に開けて、しかられてしまった。
一日のうちに、五つの駅で駅弁を買いそびれるなんて初めてだ。でも無益だったとは思わない。いつだって形の残るものばかりを望んでいるわけじゃない。今日はこんな笑い話になるような事ばかりあったので、楽しめた。
それに一つも買えなかったわけでもないし。昼は広島駅の短い停車時間でなんとか買えた。朝食は4時だったから、9時間ぶりの食事だ。晩は三原駅で買った。ホームの売店には何も置いていないので心配になって、弁当残ってますかと聞くと、何でもありますとの返事。それならと見本からめずらしそうな物を選ぶと、どの列車に乗るかと聞くので、5分後に出ると答えた。するとおばさんはいきなり走り出した。わけが分からないまま僕も追いかけて走ると、おばさんは新幹線コンコースの売店まで駅弁を取りに行ったのだった。
こんな事もあったけど、列車にはなんとか間に合った。岡山まで列車は混んでいて、僕の席はトイレの前。まさかトイレの前で弁当を食べる事になるとは思わなかった。
別府から神戸まで普通列車で帰るという計画はずい分前から立てていたけど、今日こうしてようやく実行出来た。しかも呉線を経由して。冬に呉線を通るのは正解だった。太陽が低く、海はいつも輝いてた。まぶしくても目を離せなかった。本当に、夢中になって海を見続けていた。家に着いてから、写真を撮るのを忘れた事に気付いた。
12月16日 土曜日
玄武洞へ行った。今朝も寒く、真っ白に降りた霜がやがて朝日に溶けて、朝霧になって立ち昇るのが素晴らしかった。帰りも、陽が傾いてやがて沈み、徐々に空が暗くなるのをずっと車窓ごしに見ていた。ローカル線に乗るのはこういう時間が一番良い。今日出かけた目的は玄武洞だったけど、半分は列車に乗って沿線の駅弁を食べるのが目当てだった。
玄武洞ではちょっと時間が少なく、岩石の博物館が見れなかったのは残念。全部見るのに半日はかかるだろうから、日帰りでは無理だ。でも玄武洞やそのほかの洞はしっかり見て来た。ほかに青龍洞、朱雀洞、白虎洞と、四つしっかりそろっているのは感心だけど、色や方向が合っているわけでもなく、苦しいこじつけの感じがした。
12月20日 水曜日
雪は降らなかったけど、日陰に雪が溶け残っていたのには感激した。線路際も畑も真っ白で、山もうっすらと白い。遠くに頂の白くなった青い山が見えたけど、あれは何という山だろう。
名古屋から塩尻まで、鈍行で通ったにもかかわらず、中央西線は短く感じた。途中の景色があんまり素晴らしかったものだから。谷沿いに線路と並んで流れる川は、驚くほど深い緑色に澄んでいた。岩は石こうのように真っ白で鮮やかだった。
列車はそのまま松本まで行くが、木曽福島で駅弁が買いたかったので途中下車した。次の列車まで何をして待とうかと思いながらホームへ降りると、ホームで弁当を売っている。すぐにそれを買うと、もう下車の必要もなくなったし、再び同じ列車に乗り込んだ。
そのせいで予定より早く着き、辰野回りの線を通る事も出来た。車内のアナウンスで乗り換えの列車を聞いて、急にまた予定を変えて慌てて降りたりして。予定外に辰野を経由した事で、中央線はすべて踏破した事になる。
松本を「あずさ」で出発した頃には、もう真っ暗になっていた。松本始発の千葉行き、始発から終着までずっと乗っていたわけだけど、なんだかずい分短く感じた。特に、甲府がこんなに新宿に近かったのか、という感じは強い。小さい頃は、弁当を食べてひと眠りして、陽の暮れる頃にようやく甲府に着いたようだったけど。でも実際、気分的なものばかりでなく、列車の速度も上がっているのだろう。車輛も新しくなっているのだから。
本当に「あずさ」は変わった。新宿を通り過ぎて千葉まで行ってしまう列車もあるのだから。途中四谷や秋葉原に停まった時には、ずい分場違いな感じがした。
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