レイリング日記91


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     1月2日 水曜日
 幼い頃に住んでいた上馬へ行った。バス停を降りてあの辺りを歩いてみた。小学校、幼稚園への道、社宅、公園。街並は見憶えがあったが、どこも小さく見えた。こういう感じは、同じ所にずっと住んでいては分からないものだろう。
 今小さく見えるという事は、子どもの頃にはなんでも大きく見えていたという事だが、それはただ視点が低いというだけが理由だろうか。だとすれば昔高く見えたのが低く見えるようになるだけだろうから、どうも違う気がする。周囲の広さや大きさは、体全体で感じ取るものなのだろう。
 駒沢公園は、今もあい変わらず広かった。最後に世田谷線にも乗った。これはやっぱり短かった。

     1月3日 木曜日〜4日 金曜日
 なにをカン違いしたか、出発の時間を間違えていた。23時に新宿を発つのに22時近くまで家にいたのだから、気付きそうなものだが。
 東京着23時3分の快速に乗り込み、なんとかなるんじゃないかと気楽に考えていたら、ほんとになんとかなってしまった。錦糸町で各駅停車に乗り換え、秋葉原から京浜東北線に乗り換えて、上野に着いたのが23時7分。9分上野発の東北線の列車があったのでそれに乗り込んだ。ムーンライト号はすでに新宿を出ているが、赤羽に着くのはこちらの方が1分早い。そして大宮では3分早い。いつだって僕は、ギリギリの所で運が良い。
 高田に着くと、雪がうっすら積もっていた。雪を踏みしめ会社へ行った。河原も真っ白とはいえないものの、すっかり様子が変わっていた。帰る頃にはすっかり溶けてしまったが、まだ本番はこれからだ。積もったり溶けたりを繰り返すうち、溶ける以上に積もってゆけば……。


     1月6日 日曜日
 まだ暗いうちに出かけたが、今朝も雪の深さに驚かされた。まだ誰も踏んでいない雪の上を歩くのは楽しいが、歩くのは予想以上に難しい。列車には間に合ったが、落ち着いて歩けるように、これからはもう少し時間に余裕を持って出発しよう。
 今日は身延まで行った。南下するにつれ雪が少なくなり、空が明るくなっていく。長野の積雪は高田の半分程度だったが、雪はまだ降り続いてさらに積もりつつあった。
 篠ノ井線の沿線も真っ白だったが、トンネルを過ぎるたびに積雪は減っていき、降る雪もいつの間にか止んでいた。松本から塩尻辺りまで行くと日も射してきて、雪は日陰に残っているだけ。それ以上南へ行くと、もう雪の降った形跡さえなかった。それでも寒さは変わらなかったが。
 帰りに日が暮れるとますます寒さは厳しくなり、ホームでの待ち時間がつらかった。小淵沢辺りでもう雪がちらつき始めた。朝は雪の降った形跡さえなかったのに。日を追うにつれ、時間がたつにつれ、冬は確実に徐々に南下していると実感した。高田の雪はいっそう深くなり、さらに積もりつつあった。今日は一日中降り続いていたようだ。自転車は昨日が乗りおさめになりそうだ。
     1月13日 日曜日
 燕三条では、まだ駅弁は入ってないと言われた。昼近くにならないと入らないそうだ。次に磐越西線を奥へ進み、日出谷へ行くと、もう駅弁は売り切れていた。回る順序が逆だったか。
 わざわざ出かけていったのに駅弁は買えず、意味がなかったようでもあるが、それでも行ってみて良かった。形の残るものは何も得られらかったが、満足して帰って来た。雪の中の日出谷駅の素晴らしかった事。雪に埋もれたホーム、去る列車。列車を見送って駅を出ると、駅前は何にもない。人気もなく、音もなく、雪の落ちる音が信じられないくらいはっきり聞こえた。
     1月20日 日曜日
 最後に一枚残った18切符で、今日は飯田線を南下した。夏に駅弁を買いそびれた駅まで。
 先々週と同じ列車で出発するため、今朝も暗いうちから家を出た。雪も水たまりも凍っていて、一度転んでしまった。夕方も早い時間から凍り始めていて、帰り道もパリパリのツルツルだった。
 長野の電光表示が−6度を示していたり、諏訪湖に氷が張っているのも見た。冬に北国を巡るのは素晴らしい。僕にとっては真新しいもの、目を見張る風景ばかりだ。中でも、夕陽に照らされた雪山のあの色。淡い青の山並みの、峰だけが淡く赤く染まっていた。暖色と寒色とが相殺する事なく調和していた。
     2月18日 月曜日
 帰りの夜行列車は、泊駅で止まってしまった。その先が不通になっていたから。高波で路盤が洗われて流されたためだとか。バスからもその現場が見えた。会社には遅刻してしまったが、貴重な経験だった。代行バスなんて初めてだ。
     3月23日 土曜日
 ついこないだ開通したばかりの線を通って、成田空港へ行った。警備の厳しさに驚いた。ホームにまで機動隊が立っているし、改札を出るとすぐに検問があって荷物チェック。べつに何も持ってないし、見学だと言えば通してもらえただろうが、嫌になったのですぐに引き返した。新しい路線さえ通れればそれでいい。
 それから横須賀線に寄ったが、事故があったりですっかり遅くなった。その後の鶴見線は元から列車の本数が少なく、またずい分時間を食った。部分的に乗り残した所があるのでまた行こう。

     3月24日 日曜日
 午前中はのんびりパソコンでゲームをして、午後になって千葉の家を出た。列車は白山3号。上野からそのまま高田まで行くし、指定席だから楽だった。
 けれど予想以上の混雑だった。それに対して車窓の外の景色は、あくまで静かに広がっている。落ち着いた、ゆったりした気分にさせてくれる、おだやかな夕暮れの風景だった。


     4月7日 日曜日
 燕三条まで行った。駅弁を買うためだけに。弁当がなかなか届かないのと、乗り換える弥彦線の本数が少ないのとで、一時間半も待つ事になった。
 待ち時間は、ずっと待合室で本を読んでいた。禁煙の待合室にたくさん本が置いてあって、あれならたとえ一日中いても退屈しないだろう。売店に三度足を運んで、やっと駅弁も買えた。
     4月13日 土曜日
 どこへ行くか直前まで決めかねていたが、上越線へ行く事にした。例によって駅弁目当てで。石打にまず行ったが、冬のスキー客の多い時期だけしか売ってないそうだ。浦佐の方では買えたが。
 それにしても、雪がずい分残っていて驚いた。高田よりも、上越沿線の方が雪は多いようだ。今度の冬は石打の駅弁を買いにまた来てみよう。
     4月14日 日曜日
 朝の雨が信じられないような青空が広がった。もっとも、日本海側へ戻ればまた雨だったが。
 今日は飯田線をずっと南下してみた。向こうはもう桜が散り始めていて、すっかり春の景色に春の陽射し、吹きこむ風も春の風だった。はじけとぶような鮮やかなレンギョウの色が目に付くたびに、歓声を上げたい気分になった。
 そんな一日を過ごした後だから、こちらはなおの事寒く感じる。妙高高原止まりの列車に乗って、接続の列車を待つ事30分。雪の溶け残る人気のない真っ暗なホームには冷たい雨が降り続き、一時間後の鈍行を待つ気になれず特急に乗って帰った。
     4月21日 日曜日
 今日は朝早くから出かけて、磐越西線を通って郡山まで行った。乗り残していた磐越西線の東半分も踏破したし、日出谷の駅弁も買えたし、満足のいく汽車旅だった。
 嬉しかったのはそれだけではない。遠くの山は未だに白く、川の流れは勢いよく、木々はやわらかな緑を薄くまとって、車窓からの景色は春の絵だった。この情景を見るためにここまで来たのだという気がした。
 磐梯山も大きく白く、右手には猪苗代湖の入江がほんの一瞬間近に見えてハッとした。湖の水の緑色があんまり鮮やかに見えたから。冬の間は冷たく結晶していたようなカラマツまでが、淡くやわらかくほんのり緑色になっていた。今の時期は、たとえどんな老木でも若木のように見える。
 日が暮れるまでは良い天気だったのに、長岡に着いた頃には雨が降り出した。新津からずっと眠っていたので気付かなかった。幸い直江津へ着く頃には止んでいたので僕は濡れずにすんだが、停めておいた自転車はずぶ濡れ。最後にちょっと不運がついた一日だった。
     4月29日 月曜日
 小雨の降る中、今日は列車で出かけた。中央本線の小さな駅が目的地だ。みどり湖という名前に魅かれて。最近特に、緑に関する物に対しての関心が強くなった。
 無理もない事だが、期待が大きければその分失望も大きい。今日僕の行き着いた所は、なんという事のない場所だった。現実はこんな物だ。
     5月4日 土曜日
 今日は二つの教訓を得た。行楽シーズンに行楽地へ行くのは避けるべきだという事と、自分の荷物には常に意識を向けておくという事。
 館山黒部アルペンルートを扇沢まで行って、ゴールデンウィーク中の人手のすごさを思い知った。その時点でもう富山側まで行くのは不可能と判っていたが、ここで引き返す気にもなれずせめてダムまでと思い、忍耐強く待ち続けた。
 ダムまでしか行けなかったが、得る物はあったと思う。そこには粉雪が横なぐりに吹きつける、固く鋭い冬があった。それを感じるためにここへ来たんだと思いながら、終列車に間に合うよう早々に帰途に着いた。
 信濃大町駅で何気なくのぞいたキオスクに、なぜか弁当があった。こんな所に駅弁があるなんてと驚きながら、反射的に買っていた。買ってしまうと気持ちも鎮まり、冷静さが戻ってきたが、それでも思いがけない収穫は大きな喜びだった。
 喜びが大きければ、その分後の失望も大きい。なんとその駅弁を盗まれてしまった。車内が混んでいたので僕は弁当を網棚に置き、その前に立っていたが、やがて少し離れた所に空席が出来たのでそこへ座った。そして終着駅で取りに戻ると、網棚の上には何もなかった。
 考えてみれば、取り返しのつかない物ではないし、また入手出来ると考えればあきらめもつく。車掌に弁当を盗まれたと言うと笑われてしまった。たしかにこれは笑い話だ。
 でもとにかく夕食がなくなってしまったので、駅前のコンビニエンスストアでおにぎりを買い、駅の待合室でわびしくパクついた。
     5月5日 日曜日
 今日もまた途中で引き返す羽目に。今度こそ本当に、連休に行楽地へ行くのはコリた。人混みの中をいつまでもウロウロしていたくはないのですぐ引き返したが、そのまま真っすぐ帰るつもりもない。魚津から反対方向の列車に乗り、つい金沢まで行ってしまった。
 行きも帰りも当然鈍行。急いで帰る必要もないし、特急の混雑にはウンザリするし。窓の開かない車両にあんな風に詰め込まれるのは絶対嫌だ。各駅停車ならまだ余裕がある。近距離客はすぐ降りて行くので、少し待てば必ず座れる。
 ボックスシートに座れば、開いた窓から5月の風が吹き込む。窓の外には未だ白い雪山。目の前の席の明るい茶色の背もたれに映る、次第に赤みを増してゆく夕陽。
 その光の中に、いくつかの影が映っている。ドアの付近に群れ集まっておしゃべりする女子高校生達の影だ。休日だというのに、部活でもあるのか制服姿が多い。その子達の影が、斜めに射し込む夕陽に照らされて、ちょうど目の前に落ちている。なんだか絵になっていて、はっとするほどきれいなシルエットだ。三人以上集まると大音声でくだらない事を喋りまくる疎ましいだけの存在が、こんなにきれいに見える時があるとは思いもしなかった。
 やがてその子達は降りて行き、たった一人残った少女は本を開いて読み始めた。うつ向いた横顔のシルエットは、依然目の前に映っている。あまりに美しい絵になっていて、僕は窓の外の雪山さえ忘れていた。
     5月6日 月曜日
 連休も最後か。ちょっと物足りない。アルペンルートも黒部峡谷も行けなかったから。その分、今日は水族館をゆっくり見学した。思っていたほど大きな所ではなかったが、かえってじっくり見られた。
 行きは燕から新潟交通の古い小さな電車に乗って、終着の白山前から歩いたが、帰りはバスで新潟駅へ。でもふと思い付いて途中下車した。
 本屋へ寄ると、欲しかった画集はすぐに見付かった。上越であんなに捜しても見付からなかったのに、やはり新潟は都会だ。でも引っ越せばもう来る事もないだろう。
     6月9日 日曜日
 寝坊するつもりが目覚ましが鳴ってしまい、今日も5時半に起きた。朝から駅弁包装紙の目録を作っていたが、昼前にはだいたい仕上がったので出かける事にした。休日に狭いアパートの中にいる気にはなれない。
 家を出るのが遅かったのでそう遠くへは行けない。ちょっと行って帰って来られる所という事で、まだ通った事のない五日市線を終点まで行ってみた。終着駅から秋川の川原へ行き、弁当を食べて川辺をちょっと散歩しただけで帰って来たが、休日気分は楽しめた。渓流は初夏が一番だ。カジカの声が時おり聞こえた。
     6月20日 木曜日
 開業初日の、東京駅発朝一番の東北新幹線に乗った。ほかにも、乗り残していた田沢湖線を踏破し、新庄駅ではたった一個残っていた駅弁を買う事が出来た。
 だが幸運もあれば不運もある。駅弁目当てに鳴子駅に立ち寄ると、駅は改装中で弁当の売店は影も形もない。キオスクの店員にたずねてみると、駅の改装と同時にこの駅では弁当の販売をやめてしまったそうだ。5月半ばまでは売っていたと聞かされて、苦笑いしてしまった。残念だけど、悔やんだところで仕方がない。笑い話ですませよう。
 板張りの仮の待合室で、学校帰りの学生達に混じり、次の列車が来るまでの二時間ひたすら待ち続けた。わざわざ鳴子まで来ても確かに何もなかったが、こういった事からでも得る物はあるだろう。少なくとも、ここを走っている列車は素敵だ。単線のローカル線を走るくすんだ朱色のディーゼルカーが、僕は一番好きだ。
 雨は一日中降り続き、窓が曇るほどの肌寒さは北へ来た事を実感させてくれる。
 そんな風に思いながら暗うつな風景に一日浸っていたが、太陽は最後の瞬間に輝いた。山形行きの列車が新庄駅を滑り出した直後、太陽は沈む間際に最後の光を投げかけてきた。地平線近くの低い位置には雲がなかったのだ。なんだか数年ぶりに夕陽を見たような思いがした。

     6月21日 金曜日
 北へ向かうにつれて雲は薄れ、季節の早送りのように強い陽射しが戻って来た。窓わくにもたせた腕を陽光はほどよい刺激であぶり、吹き込む風は徹底的に髪をかき回す。窓を開けての汽車旅は快適だ。
 天気が良ければ素晴らしい夕陽も楽しめる。秋田からの下り列車で夕日を見た。沈みかけた太陽と、その真下で輝く水面との二つの光の手前で、流れる木立が時おり視線を切り裂くようにさえぎる。木々のシルエットの中で、目まぐるしく瞬く朱色の輝き。今日一日目にした物の中で、最も印象に残る情景だった。だからこそ、ただまぶしいからと言ってブラインドを降ろす高校生達にひどく失望した。
 予定では今日は男鹿線を回る予定だったが、いつもの気まぐれで予定を変更し、明日行くつもりだった羽越線の方へ行った。
 羽後本庄で駅弁を買うつもりだったのに、ホームの売場はがらんとしている。昨日の鳴子と同じ、わざわざ行っての肩すかしだ。ただ駅員に聞くと早朝には売っているとの事だから、次の機会を待とう。
 不運といえば、晩の弁当を食べている時にうっかりハシを片方落としてしまい、一本のハシを二つに折って使った。ただでさえ扱いづらい割りばしだが、5センチほどにもなるとほんとに大変だ。左手でハシを扱うだけでも目立つのに、そんな事で弁当相手に悪戦苦闘して、さぞかし人目を引いただろう。

     6月22日 土曜日
 発車のベルが鳴り終わり、扉が閉まる頃になって、中学生が一人ホームを歩いてやって来た。扉が閉まったというのにその少年はゆうゆうと近付いてくると、列車が動き出す間際に開いた窓からカバンを投げ入れ、続いて自分もその窓から乗り込んで来た。ほんとにすごいものを見た。なのに本人は平然としている。たびたびこんな事をやってるのだろうか。ローカル線は本当にすごい。
 とにかく、色々な物が見られて、五能線は良かった。お気に入りの線がまた一つ増えた。車窓からの眺望を売り物にしているだけの事はあり、広がる海岸線の風景は変化に富んでいて一時も飽きない。岩場あり砂浜あり、自然の海岸あり漁港あり。時おり渡る川はどれも小さく、澄んだ流れのまま海へ注ぎ込んでいる。
 再び秋田へ戻ってから男鹿線をたどったが、五能線の後ではどうも見劣りがする。それでも一人ブラインドを上げ、西陽を浴びながら外を見ていた。
 西陽の暑さはもう完全に夏のものだ。だが盛岡へ向かう頃には日も暮れ、風景が青味を帯びるにつれて肌寒さも戻ってくる。沈みかけた夕日が、寒色に静まる風景の中でただ一つ暖色に活気づいて見えたが、やがてそれも列車が進むにつれ流れてきた山並みに滑り込んでしまった。ホテルに着いて知ったのだが、今日が夏至だったらしい。

     6月23日 日曜日
 最後に泊まったホテルは、僕にはちょっと高級すぎた。ほかは修学旅行の団体でふさがっていたのだから仕方ないが、八千円以上はちょっと痛い出費だ。夜遅く着き翌朝早く出発して、ほんとにただ眠るだけなのだから、やはりもったいない気がする。
 そう思いながら今日の予定を頭の中で反復して、今夜にはもうアパートに戻るのだとあらためて気付いた。最後と思えば、ぜいたくも許してしまおう。
 帰りの寄り道に山田線をたどり、初めての岩泉線へ入った。初めてといっても、昨日の五能線の後ではどうも気分の昂揚が少ない。外の小雨混じりの風景同様、パッとしない不鮮明な気分の汽車旅となった。
 それでも行ったかいはあった。岩泉の先に鍾乳洞がある事が分かったから。そこにはおそろしく水の澄んだ地底湖があるそうだ。いつかそれを目当てに行ってみよう。旅が終わりきらないうちから、僕の意識の中にはもう次の旅が生まれてきている。


     7月21日 日曜日
 一日は長かったが、楽しい時間はとても短かった。遠いから移動時間ばかりが長いし、その上行きにも帰りにも不愉快で見苦しい人間がいたものだから。夜汽車の旅も、周囲の人間次第だ。
 だが飯田線を走る旧型電車は申し分なかった。乗客のほとんどは大きなカメラを持った若者が占めていたが、みな品が良くて陽気だったので、僕もいつになく大勢の人達の中で愉快な時を過ごした。不愉快だった今朝の事も、その時には忘れかけていた。
 けれども本当に僕を満足させてくれたのは、やはり列車そのものだ。旧型電車の持つ独特の雰囲気に、僕はすっかり酔っていた。リベットの並んだチョコレート色の車体。片側開きの扉。ニス塗りの木の内装に、青いビロード張りの椅子。扉の閉じる振動やモーターの音にも趣がある。揺れ具合までがどこか違う。
 窓枠の金具は真鍮色に輝いている。この輝く窓枠を額縁に、車窓からの眺めは目を見張るほど絵になっていた。渓流は水が澄みきっていて光が揺れていて、深みの透明な緑色が涼しげに見えた。
 今日は暑い日だった。でもそれは不愉快な暑さではなく、突き抜けるような日射しの強さはむしろ心地良かった。セミの声もよく響き、文句なしの完全な真夏の一日だった。
     7月27日 土曜日
 新宿発の夜行列車が停まって目覚めると、外は一面の朝焼けだった。空や山などの遠景ばかりでなく、窓の下の草やレールまでもが朱に染まっている。そんな中にただ一つ、違った色を持つためにひときわ目を引くものがある。虹だ。やがて太陽が昇りきると、虹は分度器のように完全な半円を描いた。
 停車時間が長いのでホームへ降りてみた。周囲は依然朱一色に染まっている。寝起きのためか、足もとがなんだかおぼつかない。同じように起き出してきた人達の交わすささやき声が、静寂の中でへんに遠くから響く気がする。すべてがぼんやりとしている中、西の空の半円だけが不自然に鮮やかで、そしてのしかかるように大きい。音も光もすべてが非日常的な、不思議な時だった。
 駅弁も買えたし、それに景色も楽しめて、充分満足のいく汽車旅だった。仁科三湖は、朝には鏡のような水面に対岸の山を逆さに映し、午後は風にさざ波立っていた。どちらにしても絵になる湖だ。そして姫川の水は今日もやはり半透明の緑色だった。翡翠色の流れは前に見た通りだった。
 おかしな事もあった。大糸線での検札の時、車掌に「たびたびありがとうございます」と言われた。確かに高田にいた頃から大糸線には何度も乗っているが、僕に見憶えがあったのだろうか。次に行く時が楽しみだ。
     8月1日 木曜日
 上野からの夜行列車を降りると、八戸は小雨が降っていた。雨はじきに上がったが、雲は厚く夜明けもはっきりしなかった。風はうそのように涼しく、季節も分からなくなる。夏の花を時おり見かけてほっとしたものの、その中に混じってアジサイが未だにみずみずしい鮮やかさを保っていたりする。聞く所によると、ここはまだ梅雨明けしていないそうだ。
 八戸から、海岸づたいに一ノ関へ。JRとリアス鉄道とが断続し、何度も列車を乗り継いだせいで、三陸海岸はなおの事長く長く感じた。
 久慈から乗ったリアス鉄道の列車は、ちょっと変わっていた。クラシックな感じの、凝った装飾のディーゼルカー。それでも僕は窓の外、曇り空の下でくすみながらもなお明るい海ばかりを見ていた。

     8月2日 金曜日
 驚いた事にSLの切符が買えた! 発売と同時に完売したあの切符が。キャンセルを期待して何度も何度も窓口に足を運んだかいがあった。これであのSLに乗れる。やはり最後の最後まであきらめるものではないと思った。
 僕は自分の好きな事に対しては、思いきり夢中になれるし熱心になれる。駅弁にしてもそうだ。今日は北上でてんぷら弁当を買うために一時間待ち、それからわざわざ一戸まで行った。一戸では駅売店に弁当が置かれていなかったので本店まで行き、僕のために一つ作ってもらった。途中の盛岡では駅員に目的を詰問されながらも入場券を買って新幹線ホームへ入り、ここでしか買えない割子そばの弁当を買った。
 駅弁のためにここまでやるのは僕くらいのものだろう。駅員に理解されないのも仕方ないかもしれない。それでも、どんなにくだらない事であっても、熱意を持って真剣に取り組めば、それは立派な趣味になるはずだと思う。
 ここは今日梅雨明けを迎えたらしい。東海で、関東で、そして東北で、僕にとっては今年三度目の梅雨明けだ。昼間は梅雨明けの事など知らなかったが、それでも刻々と変わる外の天気からその予感はあった。列車が進むにつれ雨は上がり日が射し始め、やがて空は抜けるような青と輝くような白とで、みつめていると目が痛くなるほどだった。
 興味深いのは外の天気ばかりでなく、盛岡から乗った列車の車内放送も面白かった。「この列車は、一戸、二戸、三戸方面、八戸行きです」昨日も、「終点久慈には九時ちょうどの到着です」というのがあった。べつに変な事はないが、なんだかおかしい。

     8月3日 土曜日
 雨は強くなり、弱くなり、結局一日降り続いた。昨日の梅雨明けは何だったのだろう。洞窟にもぐるのなら外の天気など関係ないといえば関係ないが、やはり暗い天気は気持ちが沈む。長時間乗るバスの窓が曇るのもうっとうしい。
 だが山の中腹にまつわる霧を目にして気が変わった。こうして降りそそぐ雨がゆっくり山にしみ通り、岩を穿ち、湧きだし流れ出すという事にあらためて気付いたためだ。感じ取る事は出来ないものの、確かに変化しつつある瞬間の鍾乳洞に入るというのは、晴れた日以上に気持ちが昂ぶる。
 生まれて初めて本物の水を見た気がした。流れもなく泡立たない所は、水面の揺らぎによってしか水の存在を知る事が出来ない。水底の岩は揺らいで見えるほかは、水上の岩とまったく変わらない。まるで涙目で何もない所をみつめるようだ。鍾乳洞のさらに奥、水深数十メートルという湖になると、揺らめく岩の壁は奥へゆくにつれ青緑に濃く染まってゆく。その岩に囲まれた中を水が満たしているはずだが、やはり水は視線を受け止めてはくれない。何もない所にただ揺らぎと色だけを見た。
 本物の水を生まれて初めて見たと書いたが、水そのものを直接見る事など出来るはずはない。水の創り出す揺らぎや色を見て、間接的に知覚するだけだ。それでも純粋に水から生まれた物のみを見ているのだと思えば満足だった。

     8月4日 日曜日
 銀河鉄道とは名ばかりで、そんな雰囲気など皆無の騒がしいイベント列車だったが、逆に言えば不満はただその事だけで、あとはいろいろと楽しめた。
 なんといっても、貨物専用のD51に客車を引っぱってもらうのが面白い。こんなは事はSLが日常的に走っていた時代にも、めったになかっただろう。銀河鉄道なんていうよりも、その事を宣伝文句にする方がよっぽどいいと思うが。騒々しいばかりで雰囲気も情緒もないあの列車を、銀河鉄道と呼ぶのはどうも抵抗がある。まあ僕も楽しませてもらったのだから、あまり文句は言うまい。
 どんな形であろうと、SLのひく列車に乗るのは確かに大きな楽しみだ。はるばる東北まで出かける価値はある。それにしても、今の子ども達がうらやましい。僕が子どもの頃には、SLなんてまだ走ってなかったから。


     8月11日 日曜日
 朝早いうちに出発し、久留里線を終点の上総亀山までたどり、すぐに同じ列車で引き返して午前中に帰ってきた。乗り残していた久留里線を踏破する事だけが目的だ。それを達したらもうゆっくりしている事もない。それに出かけていてもあの事は頭から離れず、列車に揺られていても安らぐ事は出来ない。
 今日も発表はなかった。今日こそはという期待が一瞬にして消え落胆が残る。これがもう何日も続いている。もちろん発表があればもっと大きな落胆をこうむるかもしれないが、それでもこんな苦痛の日々がいつまでも続く事を思えば、結果にかかわらず発表が待ち遠しい。
 いつ刺されたのか分からないが、僕のどこかにさかとげのついた針が深く刺さっている。それが毎日少しずつじわじわと引き抜かれていくようだ。もし手が届くものなら一気に引き抜いてしまいたい。たとえ傷が残っても、激痛があっても、痛みが長びくよりはずっといい。もしも自分の手でどうにか出来るものならば。
     9月1日 日曜日
 散髪を早めにすませ、今日もまた出かけた。二千円で近郊区間内乗り放題という切符を買って。でも元はとれなかったと思う。出かけたのが遅かったし、鶴見線で意外と時間を食ってしまい青梅線まで回る事が出来なかったし。まあそんな事はどうでもいい。鶴見線は海浜地帯の不思議な雰囲気のローカル線で楽しめたし、青梅線は次の楽しみにとっておこう。
     9月8日 日曜日
 18切符も最後の一枚。期限ギリギリになってしまったが、名松線踏破で充分活用出来た。
 これでJR東海を全線踏破したわけだが、どうも気分が高揚しない。こういう事は、後からじわじわ感激が大きくなるのだろうか。まあいい。やりたいと思う事をやってきたのだから。
 台風はどうなってしまったのか、今回は結局何事もなかった。帰途に着く頃には雨も上がり、雲も薄れ、夕暮れ時には陽も射した。かすかに赤みを帯びながらも青く沈む暗い空の下で、家々だけが赤く照らされている。まるで引いてゆく夕陽の浅瀬に、表層だけ浸っているような薄い夕焼けだ。
 やがて残照が消えると、いつもの見慣れた夜景が広がった。
     9月14日 土曜日
 目を覚ますたびいつも列車は停まっているので、何かトラブルがあったというのは分かっていた。だがまさか、こんな手前で停まっているとは思わなかった。集中豪雨のため不通になり、列車が停まっていたのは富士駅だった。
 夜が明けて雨は小降りになり、列車は動き出したが、僕は静岡で新幹線に乗り換えた。昼間の寝台車というのは、乗り心地が悪いものだから。それに夜通し停まっている寝台車というのも、寝つかれないものだった。

     9月18日 水曜日
 まず近鉄で奈良まで行き、難波と奈良で駅弁を買った。近鉄でも主要駅では弁当を売っているので、いつかほかの駅も捜してみよう。
 そしてJRで王寺まで戻り、和歌山線を通って帰ってきた。和歌山線の踏破と、いくつか手に入った駅弁。まあ満足のいく旅だった。


     11月3日 日曜日
 今日は箱根湯本で大名行列があるとかで、それを知らなかった僕は登山鉄道の混雑に驚いた。これでは通勤電車よりひどい。僕自身はこれくらいなんともないが、バッグの中にカメラやレコーダーや電子手帳が入っているので、気が気ではなかった。こんな時は荷物を頭の上にのせようか、なんて事まで考えてしまう。
 登山鉄道を終点で降り、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いだ。そのたびに整理券を受け取り、数十分ずつ待たされる。予想外の混雑に予想以上の時間を食ったが、急ぐ必要もないのでその間に弁当を食べたりしてのんびり待った。今日の目的は秋の芦ノ湖を見る事、ただそれだけだ。一目湖が見られさえすればそれでいい。
 以前この湖に来たのは、中学2年の春だ。「緑」の中の湖はその時の芦ノ湖をイメージして書いたのだが、もうずいぶん前の事で忘れかけてる事も多いし、書き直す前に秋の芦ノ湖も見ておこうと考えたのが、今日ここまでやって来た理由だ。
 ロープウェイを降り、あの時と同じ船着き場へ着いた。けばけばしいくらいに豪華な飾り付けの、見憶えのある遊覧船がいる。そして小さな手こぎのボートや、白鳥型の足こぎボートがうんざりするほどたくさん浮いている。沖のモーターボート、上空のヘリコプターの音も騒がしい。もっと静かな所だったような気もするが。でもこの喧噪が、遠くの静寂を一層深くするようにも思える。
 西に山並みがそびえているせいか、昼過ぎの日射しは早くもかげり始めているような気がした。だが湖面の反射は思いのほか強い。船着き場の喧噪が辺りの静寂を一層深めるように、さざ波の明るい輝きは周囲の冷たさを一層きわだたせる。
 箱根園という所には水族館があり、そこからはロープウェイも出ている。以前は立ち寄らなかったし、どんな所か見ておこうと思い、湖畔沿いの道を歩いてそこへ向かった。時間があまりないので早足で通り抜けたが、それでも落ち葉の降りそそぐ道の華やかさと静けさを充分に味わった。
 箱根園はやはり人だかりで、僕が頭に思い浮かべていた場所とは似ても似つかない。まあそういうものだろう。べつに本当の事をそのまま書かなきゃならないわけじゃないのだから、あのままでいい。現実味を出すにはもっと別の方法があるはずだ。だから、あの物語の舞台は架空の場所のままでいい。

     11月10日 日曜日
 宿直が明けて帰ると、もう朝も遅い。どこへ行くとも決まらぬまま、時間は過ぎてゆく。このまま部屋にいるよりはどこへだろうと出かける方がいいと、とにかく家を出た。
 横浜周辺にまだ駅弁未購入の駅がいくつか残っているので、その方面へ向かった。ただ家にいたくないというだけの理由で出かけたのが、駅弁を買い込むうちにだんだん楽しくなってきて、帰途に着く頃には弁当を6つも背負い込んでいた。
 今日は見かける子ども達が、いつにも増してかわいく見えると思ったら、七五三だった。毎年一度は巡って来るはずなのに、僕には関係のない事だから、いつもその時になってからああ今頃だったかと気付かされる。列車を降りる時、ある子が間違えて僕の手につかまってきた。どうしたらいいものか判らなくて、僕はその手をそっとふりほどいた。でも手のひらのくすぐったさがいつまでも残り、こらえきれない笑いのせいでドアの開くのが待ち遠しかった。
 けれども今にして思うと、電車を降りるまでの間くらい、その子と手をつないでいてもよかったかもしれない。普段ならそんな事、したいと思っても出来ないのだから。
     11月21日 木曜日
 出発は夕方なので、午前中はただの休日のような気分だった。といっても、ただのんびりしていたわけでもない。せっかく空いた時間を生かそうと、ワープロ原稿の印刷を始め、出発直前にようやくすべて印刷が終わった。ひと段落ついたという事で、心おきなく旅に出られる。
 一時は会社帰りの雑踏にすっかりまぎれてしまったものの、夜行列車に乗り込んでようやく群衆と縁が切れた。人のひしめくホームが流れ去る。込み合う電車がすれ違う。これらはもう、窓越しに見る別の世界だ。僕は今、普段とまったく違ったリズムで揺れている。

     11月22日 金曜日
 海を見るために早起きをした。通路側の座席に座り、ガラスに顔を寄せて目をこらす。今の季節は日の出は遅いが、最初のほの明かりから夜が明けるまでは早い。明けの明星が薄明の中で、見る間に薄れていった。
 この曙光の瀬戸内海のすがすがしさに対して、宮崎の海は青く澄んでいながらもどこか眠たげだった。そう見えたのは早起きしすぎた僕自身のせいだろうが、単調な汽車旅の続いたのと、乗客のほとんどがいなくなり車内が空虚になったのも原因だろう。大分で後部8両を切り離し、列車の走行は軽快になったにもかかわらず、眠たげな印象は増す一方だ。でも、これこそがローカル線の魅力だ。

     11月23日 土曜日
 春田駅までやって来た。後は筑豊線と篠栗線を経由して博多へ行って、今日はおしまい。列車が出るまであと1時間ある。やっとのんびりした気分に戻った。
 今日は少し慌ただしかった。列車の中ではのんびりしたものの、鹿児島から福岡まで九州縦断の途中に何度も途中下車し、そしてことごとく駅弁を買いそびれた。まずは宇土、そして住吉。住吉ではひと目で売店すらないのを確認してすぐ引き返したので時間が余り、明日回る予定だった二日市、南福岡も見て回った。だがどの駅にも弁当はなく、肩すかしばかりの駅巡りとなった。
 慌ただしく、くたびれるばかりで収穫がないのでは確かにガッカリだが、この駅の静けさから、旅はそれだけのものではないと思い直した。
 今朝の指宿の海の静かな夜明け。そしてここでの潤った夕暮れ。南の晴天が遠い日に思えるように、今は静かに雨が降っている。時折雨すじを照らす強烈なライトと共に特急が猛スピードで通過して行くが、じきに雨音の静寂が戻る。さっきまでの慌ただしさ、せわしなさを洗い流してくれるような雨だ。

     11月24日 日曜日
 昨日の予定変更が、今日の予定にも変化を及ぼした。まあ予定の変更などいつもの事だ。
 南福岡、二日市に寄る必要がなくなったので、博多からいきなり特急に乗り、真っすぐ西へ向かった。乗った特急はみどり7号、赤いみどり。JR九州カラーの赤に塗られてしまったとは。まあいい。いつかグリーン車に乗ってみよう。
 博多を出発したのが、数日前の事のような気がする。松浦鉄道に揺られていたのが長かったせいだろう。レールバスは街中を抜け、山並をぬい、そして海岸をかすめて走る。このめまぐるしいほどの変化が、時間と距離の感覚を長く引き伸ばしたようだ。
 海は濃紺に広がり、午後も遅いとは思えないほど清潔で新鮮な感じがした。そういえば、今朝香椎線から見た夜明けの海も、やわらかな色に染まって清らかだった。濃い色に静まる海と、明るい色に染まる海。まったく違っていながらも、同じように気の引きしまるようなすがすがしさを放っている。

     11月25日 月曜日
 唐津では、駅弁の販売は今年の4月になくなってしまったらしい。すっかり気落ちしてしまった。今回の旅では、駅弁にはどうもついていない。あちこちの駅で買いそびれ、昨日の早岐駅では今日は休みと言われた。日曜に弁当の販売を休むなんて。でも次にチャンスがあるだけましかもしれない。
 それでもその後は福間、東郷、赤間、若松と順調に駅弁を見付け、買う事が出来た。どこも折尾駅の東筑軒だが、その駅で買うという事が僕にとっては意味がある。昼食は若松駅のベンチでその一つを食べた。
 今日の収穫はそれらの弁当と、唐津線、筑肥線、筑豊線を全線踏破した事だろう。
 その筑豊線からは火事を見た。港から黒煙が上がり、赤黒い炎も一瞬見えた。そして唐津線では面白い物を聞いた。西唐津に列車が到着する前の車内アナウンス「えーまもなく西唐津に到着です。西唐津の次は……」とここで車掌は口ごもり、それっきり黙ってしまった。西唐津は、終着駅。
 これで目的も果たし、最後の最後にとっておいた楽しみ、「ゆふいんの森」に乗るために別府へ向かった。懐かしい思いはあったものの、駅を降りて歩き回るほどの気にもならず、一時間を駅のホームで過ごした。手帳を手にストーリーを考えていれば、一時間などわずか数行の時間だ。
 薄暮の空、影の森、夕暮れの久大線はやはり車窓から目が離せない。そんな中を走る列車、……良いものだ。シートも落ち着いたグリーンで、木の床によく合っている。
 外が黒く塗りつぶされてしまうと、席を離れてギャラリーへ行った。今は絵ではなく風景写真が飾られている。残照、雪景色、さざ波のきらめき、心魅かれるものばかりですっかり入りびたってしまった。この「ゆふいんの森」という列車が、今日から僕の最もお気に入りの列車になった。旅の一番最後の大きな満足が、今は心の中のほとんどを占めている。

     11月26日 火曜日
 博多駅で列車の行先案内を見ると、乗る予定にしていた列車の横に田川後藤寺行というのが表示されている。時刻表を見直すと、確かに篠栗線経由の直通列車がある。折尾から直方へと何本も乗り換えて筑豊線経由で行く予定を立てていたが、あっさりその計画は捨てた。今回は、最後の最後まで計画変更ばかりの旅だ。
 博多を出るとすぐ、横を東京行きの新幹線が追い越して行った。もしあれに乗っていれば、どのくらい早く帰れるだろう。でも数時間早く帰れたところで何の意味もない。この列車で後藤寺線を通る事の方がずっと嬉しい。これによって、JR九州を全線踏破した事になる。
 名古屋でこだまに乗り換えて、停車のたびに売店へ走った。記念すべき1000枚目は新富士駅の新幹線グルメ、巻狩弁当になった。駅弁包装紙の収集を始めて15年、よく続いたものだとわれながら感心する。同じ売店で名物の竹取物語が売っていたので、それも一緒に買った。これが1001枚目になるわけだ。
 けれども2000枚目を目標になどと考えず、これからもマイペースで集めていこう。こういう物は、意識しなくてもいつの間にか集まっているものなのだから。


     12月14日 土曜日
 千葉の家へ帰るのに、いつもはJRを使っているが、今日は西船橋まで地下鉄で帰った。高田馬場から西船橋まで230円と安いし、途中に用がなければこうして帰る方がいい。それから西船橋駅で弁当を売っているのを見付けた。近所にも意外な発見もあるものだ。
     12月19日 木曜日
 いつもの大垣行きの夜行に乗って西に向かい、その後ちょっと回り道をした。乗り残した路線を踏破し、未購入の駅弁を買い、そして神戸の家へ帰ってきた。
 ちょっとした予定の変更はあったものの、なんのハプニングもなくて、何か物足りない気持ちだ。欲しかった駅弁も買えて満足なはずなのに。目的はすべて達したはずなのに。
 予期しなかった楽しみ、例えば人なつっこい子どもとの出会いとか、まばたきを忘れるような風景を目にするとか、そういったものをいつも無意識のうちに期待しているからだろう。計画からはみ出さない予定通りの旅には満足出来ないほど、僕は旅に対してぜいたくになってしまったらしい。

     12月21日 土曜日
 神戸から夜行で帰ってきた。慌ただしいが時間節約のためだ。それから運賃節約のため、日付けが変わるまでの岡崎までだけ乗車券を買い、あとは18切符を使った。
 東京に着いたのは5時前。しかし今日一日有効の18切符を無駄にするつもりはない。そのまま北の方へ日帰りの旅に出た。
 平駅、日立駅、今日は駅弁を手に入れるのに少々苦労した。捜し回り、日立ではその上一時間以上待たされた。どちらの駅も特急に積み込んでの車内販売が主で、ホームの客に売る事などもう考えていないようだ。鈍行で遠くへ行っても、もう汽車旅の時代ではないという事を思い知らされる。だいたい、弁当などは客の方が苦労して捜し回って手に入れるような物ではなかったはずだが。
 とはいえ苦労の末に手に入れば、満足感も大きいが。何の苦労もなかったおとといよりも、ずっと充実した汽車旅だった。
 一つ残念だったのは、寄り道が過ぎて月食に間に合わなかった事だ。那須塩原の日の暮れた薄寒いホームから、赤い満月が昇るのを見た。


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