レイリング日記93


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     1月10日 日曜日
 ふさぎ気分で旅をしても、楽しいはずはない。それでも、気晴らしくらいにはなるかと思っていたが。
 最後の18切符で、会津若松まで行ってきた。
 若松で乗り継ぎに1時間ほどあったので、町をぶらついてみた。今日は市の立つ日らしくにぎやかだったが、混み合う通りにも並ぶ出店にも僕の楽しみは見付からなかった。そのうえ帰りにはとなりの酔っぱらいに子ども扱いでからかわれ、不愉快なだけの旅だった。
 8作目を車中で仕上げただけが、唯一の収穫だ。しかしそうやって書き進められるのも、となりの席に誰もいない時に限られる。もう本当に人間の近くにいるのが耐えられなくなった。どうせ始めから一人きりなのだから、いっその事誰もいない所へ行ってしまいたい。
     1月17日 日曜日
 せっかく関西全域を回れる周遊券があるのだからと、列車で散歩してきた。京都から奈良を回って、駅弁を買い求めながら。
 奈良始発の列車はガラ空きで、そこで弁当を広げた。ロングシートの通勤電車では場違いだが、食べた者の勝ちだ。王寺でいきなり大勢乗り込んできたが、その頃にはとっくに食べ終わり、僕はなにくわぬ顔で音楽を聞いていた。
 そして今は、もう上越への帰途についている。僕にとっては、神戸へも上越へも、どちらに向かうのも帰る事になるのだとふと思った。
 今回の帰省では、得る物は大きかった。仲間がいる事を再確認して、僕は孤高を気取る必要のない事に改めて気付いた。
 もちろん、それで急に社交的に変わるような事はありえないが。付き合いたくない人間が多いのも事実だし、僕はこれからも、誰とも容易にはうちとけないだろう。
 でもだからといって、かつての仲間からまで距離をおく必要など、どこにもない。すべての人とのつながりを断とうとするのは、自分の個性を守るためになるどころか、単に自分の幅をせばめようとしているにすぎないのだと、初めて気が付いた。

     1月23日 土曜日
 最近は、前夜遅くに夜行で発つのがお決まりになっているが、今回は早起きして始発で出た。それでも真っ暗な中を駅へと歩いていると、いつもと変わらない気がするが。意外にも空は晴れていて、スピカと木星が並んで光るのが見えた。気温は一番低い時だろう。雪も水たまりもガラスか陶器のように硬く凍っていた。始発列車の窓も曇ったまま凍り、いくらぬぐっても透き通ってはくれない。
 長野から乗った「あさま」を大宮で降り、埼京線の通勤快速に駆け込んだ。新宿に着いたのは10時半。まあいい時間だ。
 今回ここまで来たのは、京王の駅弁大会が目的だ。夜行だと早く着きすぎてしまい、デパートの開くまで時間を持て余すので早朝に発ったのだが、だいたい適当な時間に着いた。
 一部の駅弁にはもうかなりの列が出来ていたが、僕はそんな一般的な物に興味はない。横川の釜めしなどはどうせ通り道にあるのだから、3時間も並ばなくても現地で買える。
 それにしても、ひと通り見渡すと、行列になっているのは昨日テレビで紹介された物ばかりだ。あとは代表選手の、釜めし、いかめし、ますのすし。きっとそれしか知らないのだろう。普段は駅弁なんか見向きもしない連中が、大会となると熱狂し、テレビで見ればそれに群がる。簡単に情報に左右される群集はこっけいだ。
 ただ、旅に出たくても出られない人も多いのだし、そんな人がささやかななぐさめを求めているのだと思えば、表面だけを見てあさはかだ、あさましいと軽べつするのも間違いかもしれない。
 にわか駅弁ファンの集まる中で、ただ一人マニアを目にした。だがこれもまた、僕からすれば嫌悪すべき人物だった。休憩所のゴミ箱の横に陣取り、誰かが食べがらを捨てるたびにそれをあさって、包装紙をカバンにしまう。
 旅に出ずして地方の駅弁を得ようとするにわか駅弁ファン達と、他人のおこぼれにあずかって何の苦もなく自分のコレクションを増やすこの男と、どんな違いがあるだろう。僕は決してあんな風に落ちぶれはしない。べつにゴミ箱をあさる姿がいやしいというような問題ではない。自分が本当に心から求める物であれば、やはり自分の力で手に入れる必要があると思う。それは何にでも言える事だが、コレクションという物は特にそうだ。いかに多く集めたかというよりも、いかに努力して集めたかという事の方が重要だし、そこから生まれる満足感の方がずっと大きいはずだ。あの男は自分のコレクションを見るたびに、ゴミ箱あさりを思い出すだけだろう。何かを求めるのにみずから赴く事をせず、ただ居ながらにして楽に得ようとするのは大きな堕落だ。
 僕はといえば、目的だった復刻版の駅弁は遅過ぎて買えなかった。それでも明日があるさと今日のところはあきらめて、後は空輸の駅弁の到着をひたすら待った。ねらいはずっと買いそびれている長崎の中華弁当。4年前に当地で買いそびれている悲願の弁当、今日ようやく手に入れた。上越からはるばる来たかいがあった。

     1月24日 日曜日
 早起きして、今日もまた駅弁大会へ。目指すは昨日買いそびれた、18年前の復刻版駅弁ただ一つ。ほかの物はその地に赴けば買えるが、これだけは二度と買えない貴重な物だ。10時に整理券を配ると聞いていたので9時に行った。まだシャッターが閉まってた。
 30分前になってシャッターが開くと、見る間に入口前に列が伸びた。僕は3番。1番のおじさんは6時から来ていたとか。2番はひどくおしゃべりの好きな青年。僕はただの聞き役だったが、彼のおかげで30分の待ち時間はすぐ過ぎた。ただ意外だったのが、二人とも駅弁の事を何も知らない事だ。6時おじさんなど、小淵沢がどこにあるかさえ知らない。こんなに早く来るくらいだからさぞや、と思ったが、やっぱりただのにわか駅弁ファンだった。開店の頃には300人も並んでいたが、ほかも皆そうだろうか。
 整理券と弁当との引き換えは11時からだというので、その間書店へ行った。ほんの時間つぶしの軽い気持ちだったが、懐かしい本に出会って興奮した。ふたりのイーダ、この本を手にするのは14年ぶりになる。失くしてしまって以来、そんなにも長い間悔やんでいたのか。けれどそれも今日で終わりだ。僕は大切だった本を再び手に入れる事が出来た。
 もちろんその後忘れずに、限定販売の復刻弁当も買いに行った。18年前の弁当を今初めて手にする、これもまた不思議な感じで心が騒ぐ。その頃僕はまだ7才か8才で、駅弁にも興味がなかった頃だ。僕が包装紙収集を始めたのは、9才の時だったから。
 今僕は下りの「あさま」の中にいる。軽井沢を出るところだ。時間は20時少し前。例の復刻弁当は、さっき夕食に食べてしまった。横川ではあい変わらず釜めしを売っていたが、これくらいの時間になると買いに降りる人もまばらだ。


     2月27日 土曜日
 神戸に帰ってきた。富山から特急を利用したので昼過ぎには着いた。これからは、前夜に夜行で出る事はないだろう。自由席にしか禁煙車がない「きたぐに」はもう嫌いだ。
 途中の「雷鳥」の中では、思いがけない嬉しい事があった。昼になったので富山で買った駅弁を食べていると、そこへ弁当の車内販売がやって来た。「えー大津萩の家の幕の内弁当はいかがですか」大津といえば駅構内の売店も消え、もう弁当は売っていないと思っていた。大喜びで呼び止めて一つ購入した。弁当食べかけでごはんを口いっぱいほお張りながら、さらに弁当を買うなんて、すごい大食らいに思われただろう。でもお互いさまだ。僕の方だって、おかしな弁当屋だなと思っていたのだから。いちいち大津の萩の家なんて言うのも変わってるし、だいたいこの列車は湖西線経由で大津は通らないのに。
 でもとにかくありがたかった。駅構内での販売に見切りをつけても、まだ車内販売だけは続けている例もある事が分かったし、たまには特急も利用してみようという気になった。
 せっかく来たのだから三宮で降り、書店に寄った。こないだ「ふたりのイーダ」を読み返し、どうしても続編が読みたくなったので買うつもりだった。けれども売れてしまったらしい。しかしそれほど残念な気はしない。ただ先に延びただけでいつかは読めるはずだと思うし、僕の代わりに誰かが読んだのが嬉しい気もする。
 児童文学の雑誌を買うと、原稿募集の知らせがあった。よし、今度はこれに応募してやろう。また一つ目標が出来た。
 帰って夕刊を見ると、ビクトル・エリセ監督の新作「マルメロの陽光」の紹介が載っていた。10年に1本しか撮らないあの監督の、これは3本目の作品になる。ずい分待たされたな。来月日比谷で上映するそうだ。いつもの「シャンテ・シネ2」で。遠いがもちろん見に行くつもりだ。それにさきがけて「みつばちのささやき」と「エル・スール」も今日からリバイバル上映されているそうだ。出来ればそれも見に行きたい。
 大津の駅弁、童話の原稿募集、そしてエリセ監督の新作上映と、思いがけない情報がいくつも得られた。今日は幸運な日だった。
     3月6日 土曜日
 会社でヒバリの声を聞いた。高みからこぼれ落ちてくる声に招かれて、僕の心もすっかり舞い上がった。空は春らしくかすんで、白い妙高もその中に溶け込んでいた。ついこないだまで冬のさ中にいたのに、いつの間にこんな所まで来てしまったのだろう。移り変わる季節の中にいると、一つ所にとどまりながらも旅するような気分だ。
 例によって会社は午前中で終わり、午後は千葉へ向けて出発した。遅くなるので長野からは特急だ。「あさま」も最近よく乗っている。車窓の風景も、すっかり見慣れたなじみの風景だ。ただ工事だけが進んでいるが。新幹線が通るようになれば、ここもすっかりつまらなくなるだろう。

     3月8日 月曜日
 北へ来ると、冬に帰って来たようだ。黒磯辺りから降り出した雪は次第に強くなり、景色を懐かしい冬の色に変化させた。福島から奥羽線に入った。峠の雪はさらに深く、白かった。
 板谷峠を越えるのは三年ぶりになる。変わってしまってからは、これが初めて。妙な感じだ。福島駅は、5番線6番線だけが標準軌になっている。それは山形駅も同じ。この区間だけが線路の幅が違っていて、そこを専用の車両が走る。途中で2回、山形新幹線の車両とすれ違った。こんなローカル線を走るのが場違いに見える。
 駅もつまらなくなった。スイッチバックがなくなったばかりでなく、どの駅も鉄骨の足場とコンクリートボードの急ごしらえのようなホームがあるだけで、しかもスノーシェッドに囲われていて薄暗い。峠駅で力餅が残っていたのがせめてもの救いだ。それでも僕は買えなかったが。
 今日は駅弁もほとんど買えなかった。旅館に泊まるとなると夕食がつくだろうから、昼に食べるだけしか買えない。これだから出張なんてつまらない。まるっきり自分の思うようにはならないのだから。旅館も最悪だ。部屋は一人でないから書き物にも身が入らない。期間中せめて夜の時間を有効に使おうと、原稿用紙を100枚も用意してきたというのに。


     3月19日 金曜日
 仕事を途中で放り出して帰途についた。迷惑をかけただけの出張だったが、気にする事はない。僕が体調をくずしたのも、元はといえばハードな仕事のせいだ。
 新幹線に乗って一息つくと、少しは楽になった。熱っぽさや耳鳴り、軽いめまいはまだあるものの、吐き気や寒気はおさまった。ただ関節の痛みは増す一方で、ひじやひざが動かしづらい。指先もブワブワして、もどかしいほど自由がきかない。ダラリと座席に座っていると、各関節から放電しているように感じる。こんな状態でよくがまんしていたと、今さらながら思う。
 眠るうち少し楽になった。宇都宮に停まって目が覚め、トイレに立った。止まった車内をふらつきながら。この「やまびこ」には後ろに「つばさ」がくっついていて、そのせいか発車や停車がぎこちない。いきなりの衝撃に、僕はトイレでコケかけた。瞬間脳裏に浮かんだのが、こないだフランスのTGVでトイレに手を突っ込み、救出劇を報道された人の事。さいわい僕はもちこたえたが、ヘタするとフランスにまで醜態を放映されるとこだった。

     4月1日 木曜日
 風の運んで来た黄砂が、日中匂うほどに濃くなった。僕は一日中ずっと、大陸の風に吹かれていた。通りは白くかすんで、妙な光景だった。
 帰るとアパートが一部焼けていた。ウソのようなホントの話。焼けていたのは10号室、昔僕がいた部屋だ。
 妙な一日はまだ続く。夜になって旅に立った。夜行で西へ向かい、三日間山陰山陽を回る予定だ。0時近くなっても、今日はまだ終わらない。慌ただしくてしかも妙な事ばかりで、なんだか短い一日だった。
 こうしてこの町を起点に旅をするのも、これが最後かもしれない。思えば夜行もずいぶん利用した。きたぐに、つるぎ、能登、北陸。直江津駅の夜のホームに風に吹かれながらたたずむのも、これが最後になるだろうか。

     4月2日 金曜日
 春はあけぼの。目が覚めてカーテンを開けると、ちょうど空が白み始めた頃だった。身支度をするうちに、ほんのひとかけらの朱色の光が灯り、見る間に横へ上へと丸く広がった。空は依然かすんでいて、昇りたての朝日も力なくくすんでいた。昼頃には鳥取辺りを通ったが、やはり海辺の景色はかすんでいた。あれも黄砂か、それとも砂丘の砂だろうか。
 京都から北へ向かううち、窓の外は霧に包まれた。谷間から次第に広がり、いつの間にか窓は真白。ねぼけていた僕は、窓が曇ったのかと思いガラスをこすった。
 寝不足でボンヤリしながらも、慌ただしく何度も乗り換えを繰り返す。京都から園部まではもう電化されていて電車が走り、園部から福知山までは昔ながらのディーゼルカー。そしてそこから城崎までは福知山線から乗り入れた電車を利用し、城崎を過ぎてようやく単線非電化の僕好みの山陰線になった。
 浜坂と倉吉がまだ駅弁未購入なので、まず浜坂で降りた。途中下車して駅弁を購入し、次の列車を待つつもりでいたが、運良く降りた目の前に売店があった。一分の停車中に急いで買い、元の列車にまた乗り込んだ。これで予定が違ってきたが、予定通りにいかないのはいつもの事だし、遅れるのはともかく早まるのは問題にならない。
 この列車でそのまま倉吉まで行った。ここではさっきのような早わざは通用せず、ちゃんと途中下車した。売店に残る弁当は二つだけ。もし着くのが早まっていなければ、売り切れていただろう。
 売店には、4月10日は駅弁の日、というポスターが。店の人達のこんな会話も聞こえた。「お客さんから、特別何かあるのかとたずねられたんですけど、催しでもあるんでしょうかね」「なんにもない。ただティッシュくばるだけ」横で聞いていて笑ってしまった。福知山で駅弁を買った時にティッシュをもらい不思議に思ったけど、そういうわけだったのか。店のおばさん達はおしゃべりに熱中しているので、僕はお金をカウンターの上に置いて店を離れた。
 直後に駅全体に呼び出し放送が。「先ほど寿司をお買い上げのお客様、至急売店までお越し下さい」大体想像はついたので苦笑いしながら行くと、思った通り100円玉のつもりが50円玉が混じっていた。しょせんかき捨ての旅の恥、一時のきまり悪さくらい気にする事はない。
 もうすっかり日が暮れた。太陽は僕を追い越してさっさと行ってしまった。
 この時間になるといつも思うのが、僕には本当の居場所なんてどこにもないという事。道を行く車も駅のホームを歩く人も、同じ列車に乗り合わせている人達さえ完全によそ事で、僕一人だけがなんの目的も持たずにただここにいるように思える。行き場もなく独り浮いた頼りなさ、だがこんな気分こそ一人旅にはふさわしい。

     4月3日 土曜日
 長門市駅では次の列車まで一時間半待った。おまけに駅弁は見たらない。でも面白いものを見た。待合室のベンチに座っていると、子ども達が自動販売機に集まり、みんながみんなドリンク剤を買っていた。ほかにジュースもサイダーもあるのにリアルゴールドを選ぶなんて、最近の子どもの好みは分からない。それも、「からいのある、あれのみたい」と最初に言い出したのは、一番ちっちゃな3才くらいの女の子だった。
 そんなのを不思議そうに見ている僕もまた、別の場では逆に不思議そうに見られている。美祢線のレールバスの中で、僕はロングシートに座って弁当を広げた。ローカル線でも、本数が少なくしかも1両しかないので、かなり混雑する。前に立たれるとさすがに食べづらい。まあ誰もが見て見ぬふりをしているが。だから僕の方も、なにくわぬ顔で食べている。
 今朝までは日本海を右に見ながら西へ向かっていたが、今は瀬戸内海を右に見ながら東に向かっている。例によってあちこちの駅で途中下車を繰り返しながら。
 ベンチに座って次の列車を待っていると、ツバメが飛んでいたり、サクラが咲いていたり、駅によって見える物は違うものの、みな春めいている。僕はジャンパーを手に持ち、乗り込むと大きく窓を開けた。通り過ぎる田んぼにも、レンゲの色が。暗く寒い今朝から続く、同じ日の午後という気がしない。
 今夜泊まる予定の広島に向かっているところだが、まだ時間が早く明るいせいか、昨夜のようなもの寂しさはまったくない。これも山陰と山陽の違いだろうか。

     4月4日 日曜日
 呉駅の自動販売機で、僕は今日も目撃した。おじいさんに連れられた二人の男の子がいて、5才くらいのお兄ちゃんがオロナミンCを買い、それに続いておじいさんに抱えられた3才くらいの弟が押したのも、やっぱりリアルゴールド。小さな子どもの意外な好みを知った。僕はやっぱり、子どもの事なんて何も知らなかった。10作目の短篇もちょっと書き直そうか。かおるが飲むのをヨーグルト飲料からドリンク剤にするとか。
 東広島、新尾道と途中下車を繰り返しながらも、新大阪まではのんびりしていた。一列車分予定が早まって気分的にも余裕があったし、それに「こだま」という列車自体が、特急にしてはのん気な列車だ。各駅に停まり、そこでたびたび通過待ちをする。先月から山陽にも乗り入れが始まった「のぞみ」が何度も追い越していくが、「こだま」はまったく意に介さない様子でまどろんでいる。こんなのどかな列車は好きだ。
 対して新大阪からの「雷鳥」は、ひどい混雑ぶりだった。息の詰まるような車内に閉じ込められて、直江津までの5時間を耐えるしかなかった。春休み最後の日曜だから混むのだと、誰かが言うのが聞こえた。それで慌てて帰るわけか。しかしそれは僕も同じだ。休みは今日までで、そうでなければ誰が特急になど乗るものか。混雑が嫌なのももちろんだが、時間に追われるように走るのも面白くない。


     4月10日 土曜日
 越後湯沢駅で次の列車を待った。やって来た列車はホームに停まったまま、まだ動かない。外では雪が降り出した。半月前にもここへ来たが、あの時よりもさらに冬が深いように思える。雪はますます強くなった。
 列車が走り出すと、広がるのは真冬の景色だ。雪は辺りを白くかすませ、白く覆う。せめて今の間だけでも、雪を楽しもう。多分冬もこれまでで、やがてあの国境の長いトンネルを抜けると、明るい陽射しの中だろう。
 まるで空を裏返したように天気は変わった。川が輝いている。こいのぼりが泳いでいる。ここから四つ向こうの駅は真冬だなどと、あの家々に住む人の誰が考えるだろう。振り返ってみても、冬はもう山の向こうだ。

     4月12日 月曜日
 「能登」は客車から電車に変わってしまったが、べつにつまらなくなったという事もない。もともとただ眠るだけの列車だ。赤羽に着く前に僕は寝ていた。ところがじきに放送で起こされた。翌朝まで放送を休むための、最後の案内というやつだ。最後、など抜きにして、最初から静かにしておいてもらいたい。
 その後は碓氷峠も気付かないほど眠り、妙高高原で目が覚めた。外はやはり雨。
 高田の駅で降りても、暗い町を通り抜けても、帰って来たという実感はなく、ただ遠くまで来てしまったと感じる。夜明け前の冷たい空気に手はこごえ、僕はもう傘も握れずにアパートまで濡れて歩いた。


     4月24日 土曜日
 長野から乗ったあさま26号は、意外なほどすいている。最後尾の11号車にいるのは、僕のほかに三人だけ。これならのんびりできそうだ。
 林檎の花の色の、あの華やかさはどうだろう。どの果樹園も満開で、木々の歓声でも聞こえてきそうなほどに明るく鮮やかだ。僕は今まで、林檎の花を見た事がなかったのだろうか。あの色は初めて目にしたような気がする。月並みな言葉はあまり使いたくないが、とてもきれいだ。春にふさわしく、心を快く騒がせる。
 向かいの席のちっちゃな女の子と仲良くなったのもつかの間、その子は母親にせきたてられるように降りて行った。僕はまた独りだ。
 子どもなら、こうして見知らぬ相手とだって、目が合って笑いかけるだけで仲良くなれるのに、それでも僕はいつも独りでいるしかない。子どもはやはり遠い存在だから。それに、僕を警戒するような母親の態度もつらかった。こんな世の中だから仕方ないのだろうが、親しくなる事さえ許されないとは。あの子の笑顔にほんの一瞬満たされたからなおの事、窓越しの後ろ姿にやりきれない気がした。けれど考えてみれば、独りこそが僕の本来の姿だ。これでもともとと考えるしかないだろう。あの子が笑いかけてくれたその事だけを、大事に記憶していればいい。
     5月1日 土曜日
 鈍行を乗り継いで神戸まで帰って来た。ちょっと物足りなかったのが、接続が良すぎて早い時間に着いてしまった事。直江津からいつもの金沢行きに乗ったが、金沢では30分ほどで福井行きが出た。福井では8分で接続列車があり、これが敦賀を過ぎてなんと長浜まで行ってしまう。そして長浜では、1分で姫路行新快速に接続。
 こう都合良過ぎると、なんだか物足りない。なんのためにわざわざ鈍行で旅をしているのか。持て余すほどの長い待ち時間や、小さな駅での長時間停車で、のんびりした旅気分を僕は味わいたいのに。

     5月3日 月曜日
 手元にある京阪神ミニ周遊券を使い、行ける所までJRを利用した。大阪から天王寺、王寺で乗り換えて桜井まで。難波から近鉄を使えば早いが、この方がかなり安上がりなはずだ。それに乗り換え乗り継ぎを繰り返した方が遠出の実感が湧くし、ゆっくり列車に揺られるのものんびり次の列車を待つのも僕にとっては楽しみだ。
 列車が郊外に出ると、それに合わせるように雲は薄れ、空は次第に明るんだ。川は茶色く濁ってうかない様子だが、山の若緑は手放しの陽気さではしゃいでいるようだ。
 桜井から近鉄に乗り換えた。途中から急行に乗り継いだが、宇治山田まではわりと時間がかかった。それでも伊勢なんて近いものだ。ちょっと気楽に駅弁を買いに来られるほどに。
 帰りの列車まで1時間あるので、ちょっと伊勢神宮を散歩した。買った駅弁は、帰りの列車に乗るなりすぐに食べてしまった。ロングシートに腰かけて。そういえば、私鉄の都市近郊タイプの列車内で弁当を食べるのは初めてだ。検札の車掌はとまどうような顔をしたけど、何も言わなかったから僕も気にしなかった。

     5月5日 水曜日
 福井駅、となりのホームは特急列車の入線前で騒然としている。乗車率150%と放送が叫んでいる。混むと分かっているのに、なんでわざわざ特急に乗るのか。僕はガラ空きの金沢行普通列車に乗り込み、窓を開け放して発車までの20分をゆっくり過ごしているところだ。
 と思ったら冷房が入れられてしまい、車掌に窓を閉めるよう言われてしまった。閉めきられた車内は次第に混んできた。まあそう何もかも都合良くはいかないさ。今日のような日に窓際に座っていられるだけでも幸運だろう。
 雪山を目にした瞬間に、帰ってきたとふと感じた。その感覚の意外さに、僕は自分で驚いてしまった。
 魚津を過ぎる頃には日も暮れて、雪山の上には月がかかった。なんだか月がこちらに向かって飛んできそうに思えるほど、大きく明るく見えている。


     5月29日 土曜日
 千葉へ向かっている。今日は上越線を経由して。前に来たのは4月だっただろうか。峠の辺りで雪が降ったのを憶えているが、ずい分昔の事のような気がする。今は一面新緑の中に、名前の知らない花が到る所に咲いている。
 水上から特急に乗った。僕にすれば珍しい事だ。とはいえこの新特急「谷川」という列車、新幹線開通後も上越線を走る特急として貴重だと思うので、前から興味はあった。
 新幹線の開通と共に、在来線特急は夜行を除き消えてしまうのが普通だ。そう考えると、東海道を走る「踊り子」、東北線の「あいづ」なども乗ってみたい気がする。こういった特急が残ったのは、水上や伊豆、会津若松が新幹線からはずれているためだ。そんな特殊な状況でない限り、新幹線と在来特急との共存はあり得ないのだろう。

     5月31日 月曜日
 上野で「能登」を待った。いつもならたいして待たずに入る列車が、なかなか来ない。すると放送があって、機関車故障のため遅れているとの事。どうも僕の旅にはハプニングがついて回る。発車時刻をホームに並んだまま過ごし、いつの間にか今日が昨日になっていた。


     6月1日 火曜日
 今は高田駅のホームにいる。直江津行きの列車を待っているところだ。37分発だから、あと11分か。考えてみると、夜汽車での旅の始まりはいつもこの列車だ。直江津からの「きたぐに」、「つるぎ」、「北陸」、そして今日は初めて、「日本海1号」に乗り継ぐ。
 夜中だというのに、ホトトギスが鳴いている。駅のホームのベンチにいるのに、未だ旅の実感が湧かない。虚ろな時間が長いと、ただ意味もなく夜更かしをしているような気になる。あと8分。早く列車に揺られたい。

     6月2日 水曜日
 やはり蕗の葉が大きい。北海道へ来ての、これが最初の感想だ。木々の葉は向こうより淡い色でまだ若いのに、線路際の蕗の葉だけは倍以上も大きく見える。僕はまず蕗の葉から、北海道を実感した。
 初めての線を走り、初めての駅をいくつも過ぎる。何年ぶりだろう、未知の線を走るのは。何気ない景色の中でも、「初めて」をふと意識するたびに、なんとなく気分が明るむ。点線を実線に変えてゆく楽しさ、空欄を塗りつぶしてゆく楽しさ、そういう喜びがひさしぶりによみがえってきた。
 青函トンネルも、初めて通り抜けてきた。突入は9時37分、竜飛海底駅通過が46分、最深部通過が55分、吉岡海底駅通過が10時3分、そして地上到達が19分、この42分間がまったく退屈に思えなかった。いろいろな思いがあれば、ただの単調な暗闇からも心の昂ぶりは得られるものだ。耳の感じから気圧の変化、進む深さが分かる。通過する無人の駅や、海底という名前にも、未踏の地の実感がこもる。最深部はカラーの蛍光灯でマークされていた。青、青、青、緑、青、青、青。ほんの一瞬だったが、短いからこそきわ立って強い印象が残る。
 曇り空の下で、海は鈍色の波を打ちよせている。観光が目的ではないとはいえ、やはりこんな天気は残念に思える。
 そう、今度の旅は新しい町を探す目的があるのだから、そんな事を気にしてばかりはいられない。これはホームタウンを探す旅なのだから。この旅の中で、僕は新しいホームタウンを見付けなくてはならない。
 といいつつも、牛がいた馬がいたと、またつい一人はしゃいでしまう。ああ、やっぱりここは北海道、生まれて初めて訪れた、長年のあこがれの地だ。
 「北斗」、「ライラック」と、今の季節にふさわしい名の特急を乗り継いで、まずは旭川へやって来た。街は広々としている。駅から真っすぐ伸びる歩道を、噴水や彫刻を見ながらゆっくり歩いた。
 途中、小さな男の子が、棒で木の枝をつついているのを見かけた。そばでは女の子も木を見上げている。ただ遊んでいるのかと思ってなんとなく眺めていたが、よく見ると緑の葉の中に緑のボールが引っ掛かってる。考える間もなく、僕は近付いていって棒を受け取っていた。落ちてくるボールを受け止めて男の子に手渡すと、ありがとうと言われた。たったそれだけの事で、僕はこの町すべてに良い印象を持った。

     6月3日 木曜日
 明るくなれば自然に目覚めるからと、カーテンを少し開けて寝た。あんまり早く起き過ぎたので、カーテンを閉めて寝直した。今日の日の出は3時50分。北海道は東の果てでもあった。
 天気予報を見ると、西から雨模様だ。風も強いらしく、警報まで出ている。ここはまだ降らないが、それでも気温は低い。
 旭川の駅は、富良野線のホームだけがひどく離れている。小さなホームは人もまばらで、近くの林からはカッコウの声が聞こえた。やがて来た列車に乗り込み、南へと走り出すと、すぐ目に入ったのが白い大雪山。不意に離れ難い気持ちになったが、多分、いずれここへ戻って来る事になるだろう。
 なだらかな起伏を見せて広がる畑、そしてその向こうに連なる白い山並み。これこそが北海道だ。今僕は、富良野線を南に向かっている。ああ、これで空が晴れていたなら……。けれど列車の向かう先は、さいわいな事に明るい。今日もまた、新鮮な北海道の風景をいくつも目にする事が出来るだろう。
 富良野へ着いた列車は、ここで滝川からの列車と連結する。発車まで19分もあるので、荷物を置いて途中下車した。けど駅には特に何もない。駅前にも。時間をつぶすあてもないし、手もかじかんできたので、はやばやとホームへ戻った。
 驚いた。列車がいない。ホームには前一両だけが残り、僕の乗っていた後ろの車両は荷物と共に消えていた。
 残った車両に運転士がいたので慌てて列車の行方を聞くと、あの車両は滝川からの列車の後に再び入線するという。ひと安心。やがて滝川からの列車が来て、後から見憶えのある車両も現れた。僕はもうのん気に、連結作業を見物していた。
 雨が降り出した。霧も流れている。車窓から外を眺めていると、時おり建物を見かけはしても、人の姿は見られない。道が通ってはいても、車はまったく走っていない。動く物のない景色の中を通り抜け、また海辺に出た。海の色は昨日にも増して重いが、波の激しさから、ひさしぶりに動く物を見た安心感を得た。
 荒涼とした原野の果てに、釧路の町はあった。小雨は上がったが、冷たい風に息が真っ白になる。歩き回ったが何もなく、床屋が目に付いたので散髪した。頭がますます寒い。
 ホテルに着くとすぐに、小さな地震があった。あれから五か月、もう余震でもないだろうに。なんだかこの町には、あまりいい印象が持てなかった。日が悪かったかもしれない。

     6月4日 金曜日
 夜が明けても、まだ小雨が降っていた。というより、これから激しくなるのだろう。風も、やはり息を白くする冷たさだ。駅前では、カモメが飛び交っていた。ハトでなくカモメが。
 この果ての町から、さらに東に向かう。根室から納沙布岬を目指して。外に見えるのは、重たげな海、湿原、そして林、原野、それだけだ。線路わきに続く一本の電線だけが、この先にも人の営みのある事を示している。原野は一面枯草色、その中のまばらな木々も未だ芽ぶかない。ここの6月はまるで2月のようだ。それも有史以前の。
 三日目にして、ようやく東の果てへたどり着いた。北海道を知るまで僕は、日本なんて手頃な広さだと思っていた。けれども今は、北海道だけでも手に余る気がする。
 納沙布岬、本当に地の果てだ。雲と海とにはさまれたちっぽけな陸地を引きはがそうとするかのように、鋭い風が吹きすさぶ。霧の中、灯台から響く霧笛の太い音さえ、はかなげに感じられる。こんな所にも人の営みがあるというのが、信じられない思いだ。その気になれば僕もまた、どこででも暮らしていけるだろう。
 海の向こうに北方領土は見えなかった。よその世界を日本にいながらにして見たかったのだが、見えないものは仕方がない。資料館を見学して、パンフレットだけもらってきた。
 夏の格好をしているのは僕だけだった。誰もが冬の装いだ。確かに風の冷たさ、鋭さは真冬のもので、皮ふをはがされるようだった。しまいには帽子を飛ばされた。転がる帽子を追いかけて走り、少しは体が暖まった。
 再び根室駅へ戻る途中、車内から妙な物を見た。それは大きな桶のような物で、風に吹かれて車道を転がって行く。危ないなあと思いながらも笑ってしまった。やがて信号でバスが停まると、桶はバスを追い越し、交差点をうまい具合に曲がってそのまま坂道を転がり下りて行った。
 再び釧路まで戻り、網走行きの列車に乗り換えた。窓の向こうは釧路湿原。枯草色に広がる平原、笹やぶとまばらな木立、蛇行する川と点在する沼、列車が進むにつれ刻々と表情を変えていきながらも、その一つ一つが常識はずれに広大だ。
 列車行き違いのため、川湯温泉駅で約40分の停車。降りて歩いてみたが、何もない。何もないが、カッコウの声がかすかに聞こえる。冷たい雨が降ろうとも、列車に暖房が入ろうとも、やはり初夏は初夏だ。そういえば根室線の線路わきにもミズバショウを見た。それなのに地元民がみな僕より厚着をしているのが、なんだかおかしい。
 列車は山を抜け、海辺へ出た。オホーツク海、冬には流氷が覆う海。どこへ向かっても、どこまで行っても、この地はどこも最果ての地だ。

     6月5日 土曜日
 昨夜は結局、月食は見られなかった。その上網走で泊まった安ホテルは、テレビも有料で自由に見られない。枕元備え付けのラジオすらなく、まるで独房にでもいるようだった。
 今朝も空気が冷たい。5度あるかないかだろう。白い息が大きく広がる。それでも僕の体は、それにすっかり順応してしまったらしい。この分なら、氷点下さえ楽に乗り切れるだろう。
 天気予報を見ると、低温や濃霧の注意報の他、大雨洪水警報も引き続き出ている。あふれる濁流の映像が、台風のようだった。僕と共にやって来た嵐は、まだ通り過ぎていないらしい。
 ところが、雲が切れた。薄陽も射した。北回りで旭川まで戻って来たが、うまい具合に嵐をやり過ごしたようだ。
 ここからは、宗谷岬を稚内まで北上する予定だ。風に冷たさがなくなり、周りに気兼ねなく窓を開く事が出来る。林も、畑も、ガラスに隔てられていなければ、さらに身近に感じられる。
 キタキツネを見た! 恩根内駅の手前、線路わきの畑を、列車に驚いたように2匹で駆けて行くのを。ああ、生きた本物を、じかにこの目で見られるなんて。もう、あとは何も得られなくてもいい。北海道でこれ以上の事なんて望めやしない。
 旭川から5時間半、宗谷本線は確かに長い。長い汽車旅は僕にとって喜びだから言う事はないはずなのだが、困る事もあるにはある。
 ここで一つだけ、北海道の不満を書く事にする。鈍行が禁煙になっていない事だ。この点で北海道は、ほかの地方に大きく立ち遅れている。今は窓を開けてなんとかしのいでいるが、冬になればそうもいかないだろう。それまでに出来るだけ早く改めてもらう必要がある。今のような状態でいいはずはないと、常識で考えれば分かるはずだが。煙草に毒された連中は、汚染した空気でも清浄な空気でも呼吸出来るが、普通の人は清浄な空気でなければ呼吸出来ない。ならば一両の列車に喫煙者と非喫煙者とが同乗する場合、非喫煙者が優先されるのが当然だと思うが。列車には子どもだって乗るのだという事も、忘れないでもらいたい。
 旭川からの5時間半も長かったが、稚内での5時間待ちも長い。夜行の出る22時までどう時間をつぶそうか。とりあえずトイレに行き、待合室のベンチで弁当を食べ、それから駅備え付けの時刻表をちょっと調べてみた。すると、宗谷岬へのバスが最後に17時半に出る。早速バスに乗り込んだ。
 天気のせいもあり、早くも空は暮れかけている。町にも明かりが灯り、対向車もヘッドライトを灯けている。海だけはどういうわけか不自然に明るく見え、灰緑色に広がりながら、ささくれるように波立っていた。
 ただ一人バスを降りた。こんな時間に岬をたずねるのは僕だけだ。風の激しさ冷たさは納沙布岬も同様だったが、ここは人気のないぶんすごみが感じられる。北の果て、こここそが本当に最果てだ。
 風速15メートル、気温5度。そうデジタル表示があった。さすがに僕も耐えかねて、バスの待合室に逃げ込んだ。そこにはびっしりと落書きが。一つ一つ読んでいくと、北海道一周の最中だとか、九州佐多岬から25日でやって来たというのもある。もちろん自転車で。すごいやつらもいるものだ。落書きは感心出来ないが、書き残したい気持ちも分かる。僕はつつましくこの手帳だけに、旅の記録を書き残しておこう。
 帰りのバスに乗り込み、千円札を両替機に入れた。すると紙幣は折り目で引っ掛かったらしく、途中までしか入らない。それでも百円玉はしっかり出て来た。10枚、20枚、30枚……。紙幣が引っ込むまでの間、硬貨は際限なく出続けた。ただ、あふれる百円玉にニヤついてたら、もちろんすぐ横で運転手は見ていて、10枚だけですよと念を押されてしまった。
 劇的な海と風の後に、どうしてこんなコミカルなシーンが続くのだろう。僕の旅には、どうもおかしなハプニングがついて回る。

     6月6日 日曜日
 夜汽車で早朝札幌に着いた。後はもう、帰り道だ。夕方に日本海4号で函館を発てば、この旅も終わりだ。
 それまでのんびりと、途中駅弁でも買いながら南回りで戻るつもりでいたが、ここでまたいつもの気まぐれの発作が出た。今僕は、小樽発長万部行の鈍行に揺られている。北回りでは駅弁は買えないが、それでも通った事のない線の方が面白い。長万部から先も鈍行で、特急の通らない線を経由しよう。
 その気まぐれで立てた予定が、また変更になった。それというのも、長万部駅の待合室が煙草臭かったためだ。一時間早い特急に乗ってしまった。これで函館まで行き、もう一度鈍行で戻って来て未踏破路線を踏破し、また特急で函館に向かう。それでも夜行の発つ10分前には着くはずだ。こんな回りくどい事をするのも、安心して呼吸出来るのは、北海道では特急の禁煙車しかないからだ。
 このような深刻な現状に悩みながら特急に乗り込んだが、そこでまたバカな事をしでかした。デッキから客室へのドアが、固くてなかなか閉まらない。必死に引っ張っていてふと気付いた。自動ドアだったと。マットを降りたら勝手に閉まった。
 気まぐれでやって来たのも無駄ではなかった。東回りのこの線は、静かなローカル線で気が休まる。乗客達もほとんど降りてしまったし、一人落ち着いて考え事が出来る。外を見ると、左には駒ヶ岳。そのふもとのなだらかな斜面が広がり、右には遠く海が垣間見える。
 森駅まであと15分、初めて路線の旅はそれでおしまいだ。後はまた特急で函館へ、そして夜行で直江津へ。あと11分、進むのはそれまでで、そこから先はもう戻り道だ。
 最後の夜汽車は、函館駅のホームをすべり出た。座席は進行方向逆向きで、風景はみな僕から遠去かってゆくように見える。ついて来るのは遠い空だけだ。
 空は最後の最後になってすっかり晴れ上がった。浅い陽射しが窓から向かいの席へ射している。今は17時6分、トンネル突入まで40分ある。それまでゆっくり、北海道の青空と青い海とを眺めていよう。海の色もまた、まるで悪い魔法が解けたとでもいうように劇的に変化した。本当に、帰るこの時になるまで、まったく目にする事のなかった青い海、そして青空。けれどそれを惜しむ事はない。やがてこの空の下での暮らしが始まれば、いくらでも仰ぐ事が出来るだろう。

     6月7日 月曜日
 直江津着は3時59分。電子手帳のアラームをセットして眠ったが、2時過ぎには目が覚めてしまい、そのまま起き出した。
 さいわいにして、駅前にタクシーはいた。高田まで歩いて帰る覚悟もしていたが、ほっとした。ただ起きぬけの運転手が不機嫌そうで、それに居眠り運転の不安もあった。
 ところがこの人、次第に口数が多くなっていく。しまいには、その帽子カッコイイねえなんて言う。じつはおしゃべり好きな人だったらしい。
 留守中録っておいたビデオを見ながら荷物を片付けるうちに、夜が明けた。平凡な一日の始まり。退屈な上に寝不足が重なって、あくびばかり出た。
 退職後どうするつもりかと聞かれるままに、旭川に引っ越すと話した。ついでにもう一度アパート探しに行くからと来月始めに休暇をもらった。きっと、僕のいない所でため息か舌打ちでもしている事だろう。
 休みもとった事だし、帰りに駅に寄って切符も買った。ホテルも電話で予約した。これで来月の北海道行きの準備も整った。ふと考えると、今朝帰って来たばかりとはどうしても思えない。


     6月9日 水曜日
 事故のためこの先不通という放送が夜更けにあり、列車は駅に停まっていた。車がどうとか言っていたが、眠かった事もありどうでもいい気がした。次に目覚めた時には、列車はちゃんと走っていた。
 高崎に着いて目が覚めた。時刻は6時50分、2時間20分の遅れだ。だがどうせあてのない気ままな旅だ。一応予定は立てていたが、それにこだわる理由もない。むしろ、もう一度計画を立てる楽しみが得られたのが嬉しい。それにたっぷり寝坊も出来た。
 列車トラブルによる幸運がもう一つ。高崎を過ぎてから、あの駅には朝だけの名物駅弁があるのを思い出した。いつもなら、「能登」は夜も明けきらぬうちに通り過ぎるので買えないが、今ならあるかもしれない。そう思い、熊谷で降りて慌てて新幹線で引き返した。このタイムロスで売り切れたかなと思いつつ売店へ行くと、たった一つだけ残っている。「これくださーい」思わず弾んだ声が出た。列車のトラブル、不意の思いつき、そしてたった一個の売れ残り、いかにも僕らしい幸運だ。
 予定より大幅に遅れたものの、「あいづ」には当初の計画通り乗る事が出来た。かなり慌ただしかったが間に合った。そして宇都宮まで戻り、そこからは「つばさ」で北上。東北線を昔ながらに走る特急にも、数年前に走り出した新幹線にも、僕は初めて乗った。
 いきなり鼻血が出て驚いた。確かにこないだから少し具合が悪かったが。北海道の旅で汚れた空気を吸っていた影響が、今頃になって現れたか。
 今日もまた、あちこちで駅弁を買っているが、米沢ではお金を置いて黙って取って来る羽目になった。だがそれも仕方がない。弁当だけ置かれていて人間がいないのだから。しばらく待ったが、じきにばからしくなった。客を待たせるなどごう慢すぎる。近頃どうもおかしい。駅弁なんて物は、昔は売り歩いていたものだ。それが今では、客の方が探し回って買い求めなくてはならないとは。
 今は折り返し、山形新幹線の中にいる。新幹線車両がこんなローカル線を走り、ひなびた駅に停まるのが、ひどく場違いでこっけいに思える。僕はやはり、ローカル列車の方がいい。郡山からは磐越東線だ。といってもその先はまた、スーパーひたちに乗るのだが。
 今日一日で、また短編を一本書き上げてしまった。旅の中にいると、どうしてこうもはかどるのだろう。しかしもう手帳のメモリーがいっぱいだし、あとはのんびりしていよう。熱中してまた鼻血が出ても困るし。

     6月10日 木曜日
 急行「津軽」に乗ったまま、のんびり北上を続けている。これから花輪線を通り抜け、盛岡へ出ればあとは帰り道だ。しかし北海道の旅の後だと、どうもパッとしない。こんなに遠出をしても、どうも新鮮味がない。当然か。秋田を過ぎ、この奥羽線はつい先週も通った線だ。
 とはいえ、満ち足りた気持ちもないわけではない。12作を昨日書き上げた事で、ひと仕事終えた後の充足感もある。だから今日はのんびり過ごそう。退屈なのも悪くはない。それになんといっても手帳のメモリーが……。
 朝、秋田の4分停車で売店に走り、鴨弁当を買った。昼頃十和田南駅では、今しか買えない幻の山菜弁当を買う事が出来た。今回の旅はこれが目的だったと言ってもいい。大きな収穫だ。そして夜、長岡から特急に乗ると、車内販売で見慣れない弁当を売っていた。直江津の新製品のようだ。近所でも油断は禁物。今回の旅は朝がゆに始まって、やたらと駅弁にめぐまれた旅だった。帰ってからの整理も、大変だがまた楽しみだ。


     6月19日 土曜日
 長野で買いたい駅弁があったので、長野に昼前に着くように出掛けた。目標は、未購入の天ざるそば。昼時特急車内のみの販売なので、今まで買う機会がなかった。
 長野に着いたのは11時前。そばを販売するあさま14号の発車まで、まだ40分以上もある。のんびり待とうとホームをぶらついていたら、駅弁売りのおじさんがいる。もう長野の駅弁なんて珍しくもないし、余計な物は買うまいと思うのだが、いつものクセでつい立ち止まってしまう。そしてワゴンをのぞき込むと、なぜかそこに例の天ざるそばが。駅売りしないはずの物がなぜ? とにかくそんな疑問はおいといて買い求めた。念願の、長野駅販売のたった一種の未購入駅弁を。「すみませんねえ、今品切れでこれだけなんです」おじさんが申しわけなさそうに言ったが、僕はこれだけが欲しかった。
 40分も待つ意味もなくなり、すぐ来た白山に乗り込んだ。軽井沢行の鈍行もあったが、もう特急券を買っていたので今日はパス。白山にひさしぶりに乗りたい気もしたし。
 横川で3分停車。いつもの事だが、今日もまたホームに走り出た。そして釜めしを尻目にほかの弁当を売るワゴンへ。たいした期待もなくただ習慣で来たのだけれど、思いがけず焼きおにぎりが手に入った。これも未購入だ。長野のそばに横川のおにぎり、これでもう信越線に思い残す事はない。

     6月20日 日曜日
 明るんだ梅雨空を、飛行船がゆったり泳ぐのを見た。空は次第に透き通り、陽射しは窓まで真っすぐ伸びた。
 が、高崎を過ぎると、黒い雲が重く低く垂れ込め始めた。雲よりもなお黒く妙義山は荒い稜線を見せていたが、その姿はまがまがしいながらも不思議な落ち着きが感じられた。この峠を越えるのも、これが最後になるかもしれない。ふとそんなふうに思った。
 軽井沢も雨の中だったが、窓を軽くなでる雨粒もじきに絶え、長野へ着く頃には、まるで柑橘の香りでもただようような夕暮れの陽射しが、辺り一面に広がった。


     7月3日 土曜日
 僕の落ち着かない気分を表すように、天気はめまぐるしく移り変わった。雨が降り、強く陽が射し、風が吹き抜けた。そんな中で、会社での午前の時間はゆるゆると過ぎた。
 列車内での、午後の時間もやはりゆるやかだ。高田を出てもう2時間半になるが、この列車が青森に着くのは5時間半後。さすがに少々退屈だ。北海道はやはり遠い。引っ越しの時は片道だからまだいいが、今回は行きも帰りもこの列車、往復どちらもゆっくりと8時間だ。なんだか苦笑いが浮かんでくる。海も反対側だし、外も暗くなってきたし、もう弁当食べて寝ようか。帰りは絶対海側に座るぞ。
 けれどもほんの一時楽しい時間を得られた。新潟から小さな姉妹が乗り込んできて、その子達の楽しそうな様子に僕も笑いを誘われた。目が合うたび笑いかけると、うちとけた笑顔を返してくれて、けどその子達が降りてしまうと、以前にも増してつまらなくなった。まあいい。ほんとにあとはのんびりぼんやりしていよう。明日はいろいろ大変だろうから。
 この先青森で夜行に乗り換え、明日の朝には北海道だ。

     7月4日 日曜日
 空は硬質の青で広がっている。陽射しもはじかれるように強い。息の白くなったあの時が、ひと月前とは思えない。前回ジャンパーを忘れたバカモノが、今回は長袖を着たバカモノになってしまった。
 電話ボックスの電話帳で不動産屋を見付け、アパートも一応決まった。まだ希望が通るかどうかは分からないが、今日のところはもう用事はすんだ。昼前に片付いてしまって、少々気が抜けた。
 駅へ戻って駅弁を買い、公園へ行って昼食にした。この公園は不動産屋が開くまでの時間つぶしに、朝にも来ている。池のボート。プールの歓声。朝の静かな公園も、昼にはにぎやかになっていた。よく晴れた初夏の日曜日、静けさも活気もこの公園には似つかわしい。
 何という種類の木か、綿毛を降らす木があった。タンポポよりも軽い柔毛が、林を無数に流れていく。これから先、初夏がめぐりこの柔毛を目にするたびに、僕は今日を思い出すだろう。町をよく知ろうと、夏のきざしの陽射しの中を半日歩き回った日の事を。

     7月5日 月曜日
 アパートの事が片付いて、あとはもうのんびり時間だ。昨日は早くからホテルに入り、ジュンへの手紙とJRへの普通列車禁煙化の要望を書いていた。それらを今朝投函して、今は富良野線を南へ向かっている。
 空は今日もよく晴れている。昨夜も天気は良かった。ホテルの窓からは満月が見えた。月食がひと月遅ければと思いながら眺めていた。そして今も、あの日の曇天をつぐなうような青空。これでこそ初夏の北海道だ。ただ一つ残念なのは、これが窓の開かない新型車両という事。せっかく北海道にいながら、車内に密閉されているなんて。引っ越してきたら、今度は自転車で走ってみよう。
 富良野では長い待ち時間をただ座っている気になれず、意味もなく町を歩いた。自転車でここまで来られるだろうか。そして滝川行きの列車で根室本線未踏破部分を通り、深川で駅弁を見付け、旭川へ戻る列車に乗り込んだ。まだ昼過ぎだが、今日のところはこれくらいでいいだろう。まだ明日一日あるのだし、じきに引っ越してくるのだし。

     7月6日 火曜日
 今朝も快晴。一点の曇りもない。最後の一日、心おきなく楽しめそうだ。改札では、乗車券しか持たない僕に駅員が、普通で行くのですかとたずねた。もちろん僕は、胸を張ってはいと答えた。
 普通列車に乗り込み、窓を大きく開ける。シェードも上げたまま、風と一緒に陽射しを浴びた。吹き込む風と射し込む陽射しあってこその汽車旅だ。しばらくはセーラー衿の三角四角の幾何図形が、目の前に無数にひしめいていたが、それもようやく視界から消えた。今僕は、心の底から解放感を味わっている。
 札幌で途中下車。大荷物をロッカーに預け、次の列車で千歳へ行った。目的は駅弁。弁当を一つ買い、そのまま支笏湖行きのバスに乗った。夜行で発つのだから、札幌には最終バスで帰っても間に合う。夕方までゆっくり、湖で過ごすつもりだ。
 湖を見降ろすベンチに座り、何をするでもなくただぼんやりしている。こうしていると、自分が北海道にいるという事が、とても不思議に思えてくる。旭川の公園でも、乗り換え駅のホームのベンチでも、やはりそうだった。これまで遠いあこがれだった地が、今突然にして身近な場所になろうとしている。こんな急な変化に、とまどいを覚えるのは当然かもしれない。
 傾きかけた太陽に、無数の波が輝いている。遠く光を散らすあの波も、降りていって間近に見ると、水底まで光を透かして素晴らしくきれいな碧色を見せていた。林ではエゾゼミが鳴いている。野尻湖同様、ここも高原の初夏に満ちている。
 にぎやかな湖畔を避け、山道に分け入ってもみた。小さい頃からなじんでいる山歩きだが、目に付く木立も、聞こえる鳥の声も、どこか違う。立ち止まって耳をすますと、遠くキツツキのドラミングが聞こえた。ここは間違いなく北海道だ。
 札幌まで戻ったが、まだ時間があるので街を歩いてみた。駅周辺をちょっと見ただけだが、とくに面白い物はなかった。路面電車や植物園などあるようだが、それらはいつかゆっくり見に来よう。

     7月7日 水曜日
 今ようやく直江津駅まで戻って来た。ホームは昼下がりの静けさに包まれている。こんな早い時間に着いてしまったせいか、帰って来たという実感はない。それでも半日前の今朝の事が、ずい分以前のように感じる。夜汽車が青森に着いたのが5時過ぎ、まだ9時間ほど前の事だが。
 列車を降りるその時、うっかり大失敗をしでかすところだった。支度をすませデッキに出て、ドアの開くのを待っているその時、足元がスリッパだという事にふと気付いた。ねぼけていたのか、もともと抜けているのか。そういえば高校の頃、上ばきのまま帰ろうとした事が何度もあった。
 昨日もホテルで帽子を忘れて、エレベーターの中で気が付いた。降りずにそのままボタンを押し直し、開くやいなや飛び出すと、なぜかそこは地下室、あい変わらずこんな調子で、よく一人暮らしや一人旅が出来るものだと、われながら思う。


     8月7日 土曜日
 午前中、自転車で買い物に出た。自転車で走ると、昨日までのよその土地も、まるで住み慣れた町のようだ。もちろん道は分からないが、あらかじめ地図で見当をつけて出かければなんとかなる。
 なんとかならないのが他人の仕事。ホームセンターで合鍵を作ってもらったが、これがまったく使い物にならない。一つ一つ用事を片付けたい時に、これだ。
 気晴らしに午後は列車で出掛けた。砂川から分かれる、函館本線の盲腸へ。
 砂川駅の長い木の跨線橋は、木造校舎の廊下のようだ。一つ離れたホームには、ディーゼルカーがたった一両。それを囲むように、トンボがたくさん飛んでいた。走り出して吹き込む風の涼しさといい、まるで秋のようだ。夕暮れは確かに早くなっている。
 五つ目でもう終点。降りてみると、この上砂川駅にはもう一つ、悲別駅という名も付いていた。そういうドラマのロケ地になったらしい。
 ささやかなレイリングの後は、またちょっとしたサイクリング。駅から真っすぐ帰らず、河原をアパートとは反対方向に走った。河原は広くて明るくて、心地よい。河のそばに住む事が出来た事が、今さらながら嬉しくなった。
 今夜は何かのお祭りらしい。子ども達は集まって町をねり歩いては、思い思いの家で大声をあげている。「トーサク出ーせー出ーせーよー、出ーさーないとーカッツくぞー、おーまーけーにークイツクぞー」そうしてその家の人に何かをもらっているようだ。日本にもこんなハロウィーンがあったとは知らなかった。夏は彼らのための季節。本当に子ども達がうらやましい。
 (追記 上記のかけ声は、ローソクを要求するものらしい)
     8月8日 日曜日
 日高本線のつき当たりまでやって来た。苫小牧から3時間、変化に富んだ景色に、ほんの一時も退屈する事はなかった。
 この線では、まさに北海道といった景色を目にする事が出来る。海の果ては明るいながらも深い色で空に接し、遠浅の岸では白い波が幾重にも重なる。広い砂浜には一面にコンブがしきつめられ、潮の匂いを海風に含ませる。
 丘に目をやれば、わき立つような緑の広がる牧草地の中、馬達が草を食み、寝そべり、そして駆け回っている。モンゴルに較べればほんのきれっぱしのような土地だろうが、初めて目にする僕にすれば、あきれるほど広大な土地だ。大声をあげて駆けて行きたくなる。列車の窓から外へ飛び降り、そのまま草原を駆け回り、再び列車に飛び乗るわけにはいかないだろうか、ふとそんな事まで考えた。駆ける馬を見ていると、そんな無茶さえ可能だと思えてくる。
     8月10日 火曜日
 最後にもう一度合鍵を直しに行ったが、また駄目だった。3回も作らせて合わないのだからあきれてしまう。くだらない事にかかわっている暇はないし、もうほっておこう。スペアなど作らなくても、失くしさえしなければいい。
 午後からレイリングに出掛けた。合鍵などかまわずに、朝から出掛ければよかった、とは後から言える事。半日遊べただけでもいい。明日は朝から出掛けよう。
 ウトウトしてふと目覚めると、自分が今どこにいるのか、これからどこへ帰るのか、分からなくなる。ここは深名線。日本一寒い里、母子里を今通り過ぎた。日が傾くと、夏でも風は冷たい。日盛りを過ぎると共に、夏までも過ぎてしまったかのように。シラカバの木立を夕陽が照らしている。木管楽器の音色の似合いそうな夕暮れ。初秋の高原のような情景だ。
     8月11日 水曜日
 星降る夜に、台風が空を覆う。スウィフト・タットル彗星の回帰直後で、今夜のペルセウス座流星群は130年に一度の大出現が期待されているというのに。世の中思い通りにいかない事もある。
 でもだからこそ、自分の力でどうにかなる事は、やるだけやるようにしよう。やりたいだけやるようにしよう。というわけで、今日は札沼線を乗りに出掛けた。
 いかにもベッドタウンらしい町を抜けると、いきなり郊外の風景。途中で乗り換えて、車両もローカル線的なディーゼルカーに変わった。そしていきなりの終着駅。昔は留萠線までつながっていたらしいが、今は新十津川駅で行き止まり。こういう場合いつもなら引き返すが、今日はそこから歩いた。並んで走る函館本線の滝川駅まで。川を渡ってすぐ、1時間もかからなかった。
 早目に帰れたので用事をすます事にした。合鍵を、今度は他の店に頼んだ。ところがそれもまた合わない。今度こそもうやめた。何度作らせても、どこに作らせても、もう無駄だ。寄り道している間に雨も風も強くなり、傘の骨が折れた。くたびれもうけの……だ。
 旭川での初めての雨だ。よりによって流星群の夜に台風が横切るなんて。いつかのこの夜の悪ふざけが、未だにたたられているような気がする。
     8月12日 木曜日
 何度か起きてみたが、やはり朝まで雨は続いた。もうあきらめた。避けようのない不運はいさぎよく受け入れよう。
 登別と洞爺の駅弁を買いにやって来た。雨は上がったが雲は低い。波はおだやかだが海の色は重たげだ。
 帰りに乗った北斗5号は新型だった。これは振り子列車らしい。列車では酔わない僕も、こればかりは苦手だ。ガムをかみながらずっと海の向こうを見ていた。
 (追記 振り子列車というのはカン違いと後に気付く)
 車内販売でアイスクリームがきたので買った。初めて食べる北海道のアイスクリーム、と思ったら、製造所 名古屋、とフタに書かれていた。まあおいしかったけれど……。
     8月14日 土曜日
 新得から石勝線に入り、新夕張から夕張へ。そしてすぐ引き返し、そのまま南千歳へ出た。次に室蘭行きの列車で終点まで行き、すぐまた札幌行きになるその列車で引き返した。帰りも苫小牧から岩見沢まで、室蘭線の方を経由した。来てすぐ折り返して、車掌に不思議がられながらも、石勝線室蘭線も踏破した。残るは江差線の半分と留萠線だけだ。これでJR全線の99.5%を踏破した。
 そんな風にして全国に陣地を広げたようなつもりでいるが、いったいそのうちのどこが、自分の場所になっているだろう。地図を広げてみればそれなりの満足感はあるが、それもただ通り過ぎただけの残像だ。形は何も残らない。
 アパートへ帰り歯をみがいていると、花火の音が繰り返し響いた。しばらく遠のいていた夏らしさが懐かしく、すぐ外に出た。部屋の窓から見るなんてつまらない。肌寒くても、雑踏の中で近くから見上げれば、花火は夏気分をより高めてくれる。
 それでも北海道の夏の夜はやはり違う。雨上がりの河原は足元から冷たい。ライトアップされた針葉樹の木立は、その寒色の光に凍り付くようだった。花火の終わりと共に降り出した雨はすぐ本降りになり、雷までも響いたが、夏の夕立さえ濡れると冷たかった。
     8月15日 日曜日
 隠れたる駅弁を求めて置戸までやって来たが、売店は閉まっている。休日の昼間に店を閉めるとは思わなかった。やはり幻の駅弁というのは、そう簡単には入手出来ないものらしい。
     8月17日 月曜日
 旭川を発った。8時ちょうどのスーパーホワイトアロー2号。
 列車が動き出すと、前に座る誰かに向かって、ホームの姉妹が手を振りながら駆け出した。こんなふうに手を振ってくれる子が、僕にはいない。今さら分かりきってる事なのに、こんな情景を目の当たりにすると、むやみに寂しくなる。
 札幌から、ひどく混み合う北斗6号で函館へ。続いて乗った海峡12号が木古内に着く頃には、日は早くも西空に回っている。もうじき15時。真っすぐ来てもこの時間だ。やはり北海道は広い。とはいえまるっきり時間がないわけでもなし、少しだけ寄り道しよう。
 江差線を終点まで行き、すぐ引き返すと、運転士に問いかけられた。妙な乗客と見えるかもしれないが、僕なりの目的はちゃんとある。これで全国JR路線の99.7パーセントを踏破した。残るは留萠線だけだ。でも目標をなくしたくはないので、しばらく残しておこう。
 帰途、カミノクニ駅から二人の子どもが乗り込んできた。8才くらいのゆかちゃんと、6才くらいのゆうたくんの姉弟。笑顔を交わしただけで、すぐにうちとけ仲良くなった。おばあさんの方は、最後まで僕をうさんくさそうに思っていたようだが。大人に分かってもらえないのはいつもの事だ。僕はただ子どもに認められたならそれでいい。
 それはそうと、面白い事件もあった。ゆうたくんの歯が一本、いきなり抜けてしまった。ずっとグラグラしてはいたそうだけど。大人の歯がこれから生えてくるのが楽しみでたまらないらしく、ゆかちゃんと大はしゃぎしていた。前歯の抜けたゆうたくんの笑顔は、前にも増して人なつっこくかわいい。僕としては、大人の歯など生えずにいつまでもそのままでいてほしい。
 木古内で一緒に降りた二人だが、これから函館へ帰るという。僕が向かうのは青森、反対方向だ。でもお別れするには充分な時間があった。次の列車は一時間後だし、その間あの子達が繰り返し何度も手を振ってくれたから。待合室でバイバイと別れたら、また外からガラスを叩いて僕を呼ぶ。そして行っては戻り何度もお別れをして、見えなくなったなあと思ったらまたしばらくして、「おそば食べてきたのー」と駆け寄って来る。おばあさんにせきたてられながらも、二人は何度もバイバイを繰り返した。
 僕は海峡14号を待つ。13号に乗る二人は向こうのホーム。ひと足先に僕の列車が入って来ると、二人は最後にもう一度、手を振って僕を送ってくれた。バイバイ、バイバイ。
 僕にも手を振ってくれる子がいてくれた事を、今はこの上なく幸福に感じる。

     8月18日 水曜日
 寝台特急ゆうづる4号。旅慣れた僕にも寝つかれない夜はある。でもせめて一睡くらいはしたかった。安らかな気分で眠りについて、ゆかちゃんとゆうたくんの夢でも見たかったのに。僕はさえてしまった目で、ずっと二人の顔を思い浮かべていた。
 とりあえず市原の家に到着。父と合流し、本当の旅の出発はいよいよ二日後だ。


     9月2日 木曜日
 レールの継ぎ目の音が消えた。気圧が耳を圧迫する。青函トンネルに潜ったようだ。目は覚めていたが、起き出したのは北海道に上陸してから。
 いつかも見たような上天気。海が輝いている。江差線。ゆかちゃんとゆうたくんに出会ったのは、もう半月近くも前の事だ。今思い返してみると、どういうわけかあの二人の姿も、モンゴルの風景に重なる。
 僕のモンゴルへの旅は、飛行機で飛び立った時から始まったのではなく、あの日二人が手を振ってくれた時から始まったような気がする。それならやはり、旅の終わりは今日なのだろう。迎えてくれる人はいないけど。
     10月31日 日曜日
 函館へやって来た。もっともここは目的地ではなく、千葉へ帰る途中に立ち寄ったけだが。15時半の特急で着いた。17時20分の青森行快速に乗ればいいので、2時間近く余裕がある。ロッカーに荷物を預け、身軽になって街へ出た。
 なんてドジなんだろう、僕は。外は雨だというのに傘をカバンの中に置いてきてしまった。濡れたくはないし、といって駅の雑踏の中にもいたくはない。そういうわけで、雨にも濡れない手軽な散歩、路面電車に乗り込んだ。
 これまでに、日本全国あちこちの路面電車に乗った。鹿児島、熊本、長崎、北九州、広島。あとは松山に高知。富山も乗った。乗り残しているのは、札幌と、福井、岐阜、岡山、そして都電くらいのものだろうか。京都の京福電車も明治村の市電も乗ったし。
 ここ函館の市電も、かなりクラシックな感じだ。モーターのうなりもコンプレッサーの振動も懐かしい。雨の湿り気で、油の染み込んだ木の床の匂いがする。面白いのが警笛で、耳慣れない太い音はまるで汽笛のようだ。
 日の暮れが早くなった。もう街はポツポツと明かりが灯り始めている。函館は初めてだけれど、ささやかな思い出もある。ここはゆかちゃんとゆうたくん、あの二人の住む町だ。こうして町中を走っていると、ありえないとは分かっていても、そんなありえない偶然をつい思ってしまう。あれからもう二か月半か。モンゴルから帰って、僕の旅もほぼ二か月ぶりになる。こんなに長い間列車に乗らずに過ごしたのも初めてなら、二か月半前の事がこんなに遠く感じるのも初めてだ。
 すっかり暗くなった頃、駅に戻った。満足のいく一日だった。朝には日高線の鵡川にも寄り道をしたが、そこで念願通り駅弁が手に入ったし。やはり自分で確かめなければ分からないものだ。駅前の小さな店で、今も細々と売られ続けていた。
 今は青森に向かっている。今日もまた海峡14号。青森で八甲田に乗り換えれば、それで今日は終わりだ。木古内を過ぎたら、青森に着くまでひと眠りしよう。

     11月1日 月曜日
 見事な朝日だ。車内は朱色の光に満たされている。真っ暗な頃から起き出して、徐々に夜が明けるのを見ていたが、朝陽の射した最初の瞬間、夜明けというのはこの一瞬がすべてのように感じた。
 朱色の光は今は、車内を真横から射し抜いている。窓の外には列車の影が走っている。列車の影の窓の中、僕の影がいるのも見える。

     11月8日 月曜日
 北海道に帰って来た。霜の降りた冬の北海道に。
 北斗星を苫小牧で降りた。そしてまた日高線へ寄り道。静内の駅弁が目的だったが、包装紙のないおにぎりやいなりずしでは、来た意味がない。気晴らしに付近を散歩していると、病気の猫を見付けてしまうし。なでてやるくらいの事しか出来ず、むなしさとつらい思いばかりが残った。
 旭川の駅へ降りると、雪が降っていた。すごい! 11月に雪が降るなんて。粉雪が一面に降りしきる中を、アパートまで歩いて帰った。


     12月2日 木曜日
 昼過ぎまで札幌に着けばいい。急ぐ必要もないので、鈍行で旭川を発った。時間より、今はお金を節約しなければ。
 窓から見える郊外の景色は、町と同様やはり真冬のものだ。雪の平原。氷の林。未知の世界だった北海道の冬が、今はほんの身近にある。
 あれだけ積もっていた雪が、札幌に降り立つとまるで見当たらない。同じ北海道でもいろいろあるものだ。僕が新しいホームタウンに旭川を選んだのは、やはり正解だった。札幌など住んでみても面白くないだろう。コインロッカーは高いし。400円も取られてアタマにきた。
 路面電車が残っている事だけはほめてあげよう。今日初めて乗ってみた。外観は縦に細長くて上がすぼまって、なかなか個性的な顔立ちだ。ただし中はやはり狭い。運賃はどこまで乗っても170円。ロッカーで小銭を使ってしまったので紙幣を両替しようとすると、両替は出来ないのだと運転士に言われた。ならどうするのだろうと思っていたら、降りる時に入れればおつり分830円だけが返却される仕組みになっていた。
 時間はまだある。次に植物園へ行った。ところが冬期間は閉鎖中。温室だけしか見られなかった。冬木立を見せるのも素敵だと思うのだが。
 14時5分、トワイライトエキスプレスは5番ホームに入線した。すぐ乗り込んで部屋に荷物を置くと、発車までの15分、僕はビデオカメラを持って列車の前から後ろまで駆け回った。
 札幌を発って、今はようやく落ち着いている。個室はB寝台とはいえ豪華な造りだ。折りたたみの机をはさんで椅子が二つ、進行方向に沿って並んでいる。横向きの部屋に較べ、この縦向きの部屋は数少ない。上にはベッドがあり、またこの椅子もベッドに変わる。僕は一人で使っているが、本来は二人用らしい。ぜいたくな気分。オーディオ設備に空調もあり、ドアはカードロック。今の僕はこんなぜいたくをする身分じゃないはずだが。でもほんの一時、余裕を演じつつこのぜいたくを楽しませてもらおう。
 走り出してしばらくした頃、車掌の検札よりも早くレストランの係員が来た。僕は食事の予約はしていないので弁当を注文した。今その弁当が届いたが、これがまた1500円もした。でもまあいい方だろう。レストランでフルコースを食べれば12000円だそうだから。つくづくビンボー人には虚しい列車だ。僕はケチくさく弁当の包装紙をしまい込む……。
 早くも窓の外は闇に沈んだ。だが明かりを消せる個室でなら、夜景を眺める事も出来る。列車は海辺へ出た。波打ち際、白い波が浮き上がって見える。こんな眺めは本当にひさしぶりだ。霧が立ち込めてきた。それとも細かい雨だろうか。空を時おり、灯台の太い光の柱が走る。

     12月3日 金曜日
 目覚めてもまだ、外は闇の中。雨が窓を叩く音だけが外の様子を知らせる。やがて直江津の駅に着いた。つい数か月前の事も、今となってはずい分昔に思える。
 ようやく空が白み始め、海との接線も真っすぐ浮かび上がった。親不知を過ぎるあたりまで、サロンカーで海を眺めていた。
 高岡駅に列車が停まる。僕は朝食を求めてホームの売店に走った。もうすっかり知り尽くした駅のなじみの売店、たいした時間もとらずに弁当を買う事が出来た。じきに金沢、そして福井。ここまで来れば、窓越しの眺めも見慣れた風景だ。

     12月11日 土曜日
 今日は特に予定を立てず、朝食を終えたらとにかく家を出た。あとはひたすら、列車を乗り継ぎながら東海道を東へ向かうだけだ。何も考えずに。
 米原。大垣。豊橋。静岡。沼津。東京。ただ乗り換えを繰り返すだけの旅。それでもそれなりに小さな喜びはあった。今の季節だけにしか現れない、真昼の虹を見た事とか。モンゴルから帰って以来、四か月ぶりに見る虹でもある。
 それから前の席の小さな男の子とも仲良くなった。こんな事もゆかちゃん達以来じゃないだろうか。旅の中にいれば、ささやかながらもこんななぐさめが得られる。

     12月12日 日曜日
 今回もまた、北斗星5号。余裕をもって出なかったので慌ただしかったが、今はゆったりくつろいでいる。今回は個室だ。B個室は「北陸」とまったく同じ作りで新鮮味はないが、落ち着くにはそれもいいだろう。さあ、もう夜も更けた。少し読書を楽しんで、それから寝よう。

     12月13日 月曜日
 十日の間に、雪のエリアはすっかり広がっていた。札幌へ着く前に雪景色が見られるとは。個室のくつろぎ気分の中でゆっくり景色を楽しみ、また文をつづった。この旅の間に、14作もだいたいの形を成した。だがこれからまだまだ大変だ。
 のんびりリッチ気分の旅も、札幌で北斗星を降りるまで。ここからはまた節約倹約の旅。といっても鈍行は夕方までないので、急行に乗った。初めて乗る稚内行きのディーゼルカー。外は見事と言うほかない雪景色。帰り道でも、未だ遠くを目指しているような気分になった。


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