レイリング日記97


 中央広場 > ボックスシートパビリオン入り口 > レイリング日記97
     3月29日 土曜日
 モンゴルへ行った日と同じひかり100号を予定していたが、もう一本早い列車に乗れた。こんな変更はいっこうにかまわない。手にしているのはどの列車にでも自由に乗れる切符なのだから。新神戸駅の改札では、駅員がまじまじと切符に見入った。初めて目にする切符で、規定がよくのみこめていなかったらしい。
 早朝から降り出した雨も、京都を過ぎる頃には上がった。やがて薄日すら射し始め、富士山も鮮やかに見えた。雨はこれから東へ追って来るだろうが、今日一日くらいは逃げきれるだろう。
 新大阪からとなりにいたちっちゃな兄妹にバイバイして、東京からは北へ向かう。京浜東北線にとび乗り、上野から常磐線に入った。
 駅弁を買うため勝田で途中下車し、ひたちからスーパーひたちに乗り換えた。かつての新型車両もそろそろ古びてきて、今はローカル列車のおもむきだ。前面の電光表示には、常磐線100年とも書かれていた。
 かつて平駅だったいわき駅。名前が変わってからは初めて来た。さて、ここから先は当分鈍行利用だ。買い物帰りの人々や部活帰りの学生達の中にいて、その言い交わす地方なまりを聞いていると、遠くへ来たと実感する。
 そして同時に、日本は狭いとも思う。こんな短時間のうちに、言葉も気候も違う場所に来てしまうのだから。
 ローカル列車は、都市近郊だけが混み合う事はもう分かっている。しばらくは立っていたが、じきに座れた。あとはガラ空きの車内でゆったりくつろぎ、再び混み始める頃に降りる支度を始めると、やがて仙台に着いた。
 仙台からは、こまちを利用するつもりだ。今月登場したばかりの特急、試してみる価値はある。とはいえ一番の目的は、それにちなんだ新製品の駅弁だが。
 列車は盛岡で新幹線を降り、田沢湖線に入った。単線の運転停車などローカル的のんびりさはあい変わらずだが、とにかく乗り換えなしで東京まで行けるようになった事が、地元の人達には喜びなのだろう。
 東へ来たためか天気のせいか、日の暮れは早い。また山間部には雪がかなり残っている。桜や菜の花の咲いていた頃から、ずい分季節をさかのぼったものだ。
 列車は大曲から奥羽線に入るため、進行方向が変わる。座席の向きを変えてふと周りを見ると、ほとんどの人達が座席を後ろ向きのままにしている。意外だった。これまで見てきた例では、東日本の人間ほどこういう場合はマメだったものだが。たとえば北見駅のオホーツクでは、後ろ向きのままの人間などまずいなかったが、小倉駅のにちりんでは、誰もが後ろ向きのままだった。新しい列車に乗れば、新しい発見があるものだ。
 大館まではまた鈍行を利用した。だがロングシートの新型車両では情緒がない。かつての50系客車が懐かしい。
 僕の旅というのは結局、感傷と郷愁を求めるものらしい。だが荷物になるわけでもないし、この程度のものは抱えていてもかまわないだろう。
 今日最後の列車は、青森発札幌行急行はまなす。混雑を覚悟していた夜行だったが、なんとか座る事ができた。ゆっくり眠れば、明日の朝には北海道だ。

     3月30日 日曜日
 札幌駅で新聞を買った。今はまだ薄日が射しているが、天気予報によるとこれから雨になり、午後は雪に変わるとか。その頃には僕はもう遥か南だ。
 今は夜通し走ったコースを逆戻りしている。スーパー北斗は振り子列車なので酔いやすい僕は苦手だが、前面貫通扉の窓から景色が見られるのは楽しい。正面を向いて立っていると、車両がかなりの角度で傾くのが分かる。それにしても函館線はカーブが多い。
 ほかにもこの線はいろいろとユニークだ。単線になったり複線になったり、電化区間も非電化区間もあったり、またほとんどがロングレール化されていながら、一部のトンネル内では継ぎ目の音が響いたりする。
 アイスクリームを売りに来た。初めて北海道に来た時、買ったアイスは名古屋製造となっていたのを思い出す。今日は本物の北海道製アイスが食べられた。
 函館で盛岡行きのはつかりに乗り換えた。考えてみれば昨夜から、始発駅から乗り終着駅で降りるという事ばかり繰り返している。今日もまた、すべての列車がそうだ。だが明日は、途中下車や途中乗車ばかりになるはずだが。
 本州に戻った。東北地方を走っていると、EE切符を利用してこの辺りを走り回っていた頃、90年代始めを思い出す。
 八戸を過ぎたあたりから、突然吹雪になった。新幹線に乗り換えてからも、時おり雪がちらついている。まさかここまで冬が追い迫ってくるとは。いったいどこまで南下すれば、冬から逃れられるだろう。
 ところで、盛岡駅では見慣れない新幹線車両を見かけた。新しいやまびこが登場していたらしい。また機会があれば試してみよう。今回はMaxに乗ってみた。オール2階で6列席と、かなり大きい。
 外を眺めていると、東京ではもう桜が満開になっている。天気は快晴、沈みかけた赤い夕日が、街の上を転がるように見えた。
 このまま新幹線で西に向かい、深夜には博多に至る予定だ。休日だけあって、東北も東海道もかなり混雑している。静岡でなんとか席を確保した。あとは駅に着くたびに、3列席から2列席へ、通路側から窓際へと移動して、今はのんびりと書き物に取り組んでいる。やはり旅の中では筆が進む。
 新神戸を通り過ぎた。大宮を通り過ぎたのと同じように、単にかつて住んだ街という感慨だけを抱いて。それよりも、新幹線で西へ向かう事こそが懐かしい。かつてここをよく往復していた頃、80年代後半を思い出す。
 ひさしぶりに食堂車を利用した。混み合うのであまりゆっくりできなかったが、紅茶を一杯飲んだ。街では一人で店に入る事などまずないが、列車の中ではなぜか落ち着ける。車窓の風景が変化を見せてくれるせいかもしれない。
 最後は博多発西鹿児島行特急つばめ。今夜も夜行の座席を確保できた。これでぐっすり眠り、明目覚めればそこは南国だ。車掌の検札のスタンプも、すでに鹿児島の文字。今朝の札幌のスタンプと並んでいる。

     3月31日 月曜日
 今朝もまず新聞を買った。九州の地方紙を。北海道の新聞と合わせ、列島走破の旅の記念だ。
 特急車両も変わったが、西鹿児島の駅舎もすっかりきれいになっていた。南九州は何年ぶりになるだろう。桜島にも煙は見えず、見慣れない景色ばかりだ。沿線にはツツジが咲いている。
 南宮崎で途中下車し、宮崎空港に寄り道した。空港への支線はもちろん通った事がなく、開通した事さえつい最近まで知らなかった。宮崎駅高架化の頃だろうか。
 新路線を踏破したついでに、時間もあるので空港内を見学した。こじんまりした、千歳よりもさらに小さな空港で、なんだか落ち着ける。展望デッキが有料というのは不満だが。
 一方売店では、モンゴル航空のキーホルダーという思わぬ掘り出し物があった。時間つぶしというものは、必ずしも時間の無駄に終わるものではない。これからもせいぜい寄り道を楽しもう。
 白波荒れる冬の海はすでに遠く、今はおだやかな春の海を眺めている。通り過ぎる田んぼは田植えも終わり、吹雪が昨日の事だったとはとても思えない。
 それにしても、にちりんに乗るのは懐かしい。車両は新しくなったが、風景は十年を過ぎてもそう変わらない。また車内でも、ワゴンを押す売り子がおばさんだったりと、ローカル情緒があっていい。コーヒーではなく紅茶が飲めるのも嬉しかった。
 別府を通り過ぎた。十年を経ても、駅も、町も、見事なほどに変わらない。ただ、別府大学駅前には見慣れぬマンションが建っていた。
 小倉から乗り換えた新幹線は、今日も混み合っている。車掌の言うには、そのほとんどが僕と同じフリー切符の利用者だとか。彼らはどんな旅をしているのだろう。僕はこれから四国に寄る。
 高松駅周辺を走り回った。予約した駅弁を置く店が、どこにあるのか分からなかったので。探してたずねて走ってようやく手に入れた駅弁は、いっそう貴重なものになった気がする。
 岡山駅でちょっとのんびりしていたら乗り遅れてしまい、予定より一本遅いこだまに乗った。早い出発と遅い到着とで、当初の計画よりほんの少し長めの旅が出来た。
 それでもまだなんとなく、このまま帰る気分にはなれない。まだ旅足りないような、そんな気分だ。もっとも完全に旅足りた気分になる事など、まずありえないが。いつだって旅の終わらないうちに、次の旅を思い巡らせ始めている。


     4月12日 土曜日
 今日は以前の約束通り、ヒロくんと列車の写真を撮りに行った。
 まず須磨浦公園で下車。目的はJRの車両なので、海側の歩道へ行った。あとはただ、ひたすら列車の通過を待つばかり。なんだか釣りをしているようだ。
 ついでだから海岸へもちょっと遊びに寄った。海の匂いも波の音も、ひさしぶりだ。続いて五色塚古墳に場所を移した。撮影ポイントとしては今一つだったが。
 そして適当に道を選びながら、舞子タワーへ向かった。あの辺りは道が入り組んでいて、ほんとに迷いやすい。ヘンな所に入り込んだりしたものの、それがまた楽しかった。ヒロくんはちょっとくたびれたようだが。そういえば昔から、僕と出かけると誰もが疲れるらしい。だから明日は一人で歩くとしよう。
     5月18日 日曜日
 7年ぶりに背広を着、ネクタイを締めた。自分にはそぐわないと思うが、試しもしないで出来ないとも言えない。だが行ってまず言われたのは、ヒゲは認められないという事。不精によるものでなく手入れをしているヒゲすら認めないとは、なんという偏狭さだろう。
 6時間、ただ立ってるだけに徹した。べつにふてくされたわけではないが、販売促進など勝手が分からない。着慣れない服装でやり慣れない仕事を押し付けられ、外国にいるような気分で時間を過ごした。
 せっかく大阪まで来たのだし、帰りは開通間もない東西線を回ってみた。これでまた、JR全線踏破だ。ただ、トンネルに入った途端に寝入ってしまい、気付けばもう芦屋で、ほとんど走破の実感がない。やはり疲れていたらしい。
 三宮で途中下車し、ウォータージョグとパニアバッグを買った。背広姿でうろつき回るのは嫌だったが、これで遠距離サイクリングの準備は整った。いよいよ淡路島が近付いてきた。
     8月6日 水曜日
 予約していた焼きそばの駅弁を、米原で受け取った。今まで手に入らなかったので貴重なものかと思っていたが、夏場はやたらと出ているようだ。
 だが今回の旅の目的は駅弁収集ではない。駅から出版社に電話を入れた。先月の約束通り、明日の午後行く事になった。児童小説の原稿持ち込みは何度も経験があるが、旅行記は今回が初めてだ。
 米原からは新幹線を利用した。用事は明日だし急ぐ必要はないが、もう一か所駅弁を確認したかったので。以前インターネットで知った桜木町駅での駅弁販売も確認し、購入した。結局は、駅弁が目的になってしまっている。
 今夜は藤沢の従兄弟宅に泊めてもらう。ルリちゃんにひさしぶりに会ったが、大きくなっておしゃべりもするようになった。それでもまだ2才半。最近は小学生中学生ばかりが相手だが、たまには小さな子と遊ぶのも楽しい。
     9月1日 月曜日
 早朝に出発したので、鈍行利用でも午後早いうちには関東に入った。東海道線はどの列車も混雑していたが、座れないほどではなかったので、昨夜の寝不足解消の昼寝が出来た。熱海からはすいてきたので、書き物を始めた。
 関東に来ると、いつもなんだか懐かしい気がする。横浜、東京、大宮と、以前住んでいた町をいくつも通り過ぎた。
 今回は、こないだ買ったGPSを持参し、東京駅で、上野駅でと、あちこちで座標を記録している。列車の旅にナビは必要ないが、記念のつもりで記録をしよう。高崎駅も記録した。
 ちょうど一か月後、長野に向けて新幹線が開通する。碓氷峠を登るのは、これが最後になるだろう。釜めしを買い、機関車の連結を眺めた。外はもう暗く、風景は見えない。ただ雨滴が窓を流れている。
 長野駅はすっかり変わってしまっていた。あと50年もすれば、また趣も出てくるかもしれないが。

     9月2日 火曜日
 長野から北へ、信越線をたどる。以前よく走ったなじみの路線だ。見るかげもなくなった長野駅と違い、懐かしい風景が広がる。もうススキの穂が広がり、コスモスも咲いていた。だが直江津に着けば、この駅もまた工事中で変わりつつある。
 新しく開通した北越急行線を通り、越後湯沢へ向かう。一面の田んぼの中をただ真っすぐ走る高架線はこの上なく単調で、じき眠ってしまった。新しいレールバスも個性がない。ただ電化されているので静かだった。ここを走る新しい特急は、どんな様子だろう。今度新幹線と合わせて乗りに来ようか。退屈でまた眠るだけかもしれないが。
 GPSの座標記録だけはたっぷり出来た。今日は乗り換え時間が長く、各駅でゆっくりしていられるので。午後再び直江津に戻ったが、ここでも北陸線の接続に一時間もある。35度の炎天下の中、散歩に出てみた。
 ほとんど人通りのない路地は、細く、入り組み、坂になって先が見通せない。あの頃も迷子気分で通っていた事を思い出しながら、なんとか海岸に出た。ひさしぶりの日本海だ。客船が出て行くのを見た。人魚の像にも再会した。
 そして北陸線を西へ、福井を目指す。一本の列車で5時間もの移動というのは、さすがに長い。始発駅から終着駅まで乗っていたのは、僕くらいのものだろう。

     9月3日 水曜日
 まだ暗いうちに福井を出発した。米原行き快速の中では、また例によって熟睡。ふと気付くと長浜に停車中で、慌ててとび降りた。姫路行き快速には米原からでも乗り換えられるが、座るには始発から乗らなければ。座って、再び熟睡した。そのまま神戸を通過した。
 岡山からは四国へ向かう。マリンライナーに乗り込み、空席を見付けてさっそく弁当を広げると、じつはそこは指定席で間もなく車掌が検札に。食べ終わったらすぐに移動するからと言い、しばらくかんべんしてもらった。
 土讃線を南下する。やはりディーゼルカーこそローカル線の風情だ。ただしレールバスは論外だが。そういうわけで、阿波池田までは満足だったが、そこから先は外の景色だけが楽しみだった。明日もまたこの線を一日中走る事になるが、さてどんな列車に乗れるだろう。
 高知を過ぎた。日も暮れた。昨日買った日本海の駅弁を、太平洋をのぞみながら食べている。さっきホームで買った牛乳は、北海道旭川の製造だった。
 元ヤクザを自称するおじさんに声をかけられ、しばらく話をした。ああいう人は、たいてい陽気で人が良い。自分の生きたいように生きる人の、それが余裕なのだろうか。
 中村駅に着く頃には、列車は僕一人の貸し切り状態になっていた。いかにもここは最果てだ。駅弁一つ買うためだけに、僕はここまで来た。

     9月4日 木曜日
 予約していた駅弁の到着が遅れ、3分の差で予定の列車に乗れなかった。だが最果ての駅弁を手に入れるためになら、これくらいの事があってもいい。少し料金がかさんだが、特急に乗って遅れを取り戻した。予定外のちょっとしたぜいたく。太平洋がきれいに見えた。
 けれど続いてはまた、ロングシートの味気ないレールバス。ただ、新米運転士の運転というのが興味深かった。先輩運転士が二人もついてアドバイスしている。それにしても、いきなり単線区間の各駅停車とは面倒そうだ。
 高知でかなり時間があったので、また海を見に散歩に出た。貸し切り状態の路面電車に乗って。港は思った以上に狭く、静かで、ただしゅんせつ船だけが作業していた。
 高知から先もまたレールバス。だが乗り合わせた子ども達と楽しい時間を過ごせた。本当に、にぎやかな楽しい子達だった。旅の途中にただひと時出会っただけの子だが、いつかここへ来た時には、きっとまた思い出すだろう。
 ちょうど日没時のもっとも美しい時間に、大橋を渡る事となった。最前列の席に座る事が出来たので、景色を楽しみながら駅弁を広げた。
 今日はもう一つ得るものがあった。28作を書き上げた。

     9月5日 金曜日
 最終日の今日は、書き物を仕上げてしまったせいもあって、なんだか気が抜けている。あとはただ、駅弁を買って帰るだけだ。
 小郡で、予約していた駅弁を買った。枝光でも駅弁を入手出来たし、これで今日の予定は終了。あとはもう帰るだけだ。でもついでだから、宮島口に寄ってあなごめしを買っていこう。
 これまでに入手している包装紙をプリントアウトして持参し、まだ手元にない物を選んで買った。そんなマニアックな事をしていたものだから、店の人が未使用ラベルを分けてくれた。本当に、これでもう今回の目的はすべて果たした。あとはゆっくり、座って眠って帰ろう。


     10月6日 月曜日
 出版社から電話があり、昼前に訪問の予定が午後に変更になった。明日は夜明け前に東京に着くのに、どうやって時間をつぶそう。
 大垣夜行は安上がりなので昔からたびたび利用しているが、下りに較べ上りはあまり乗っていない。また今の全席指定になってからは、ほとんど利用していない。きれいな車両、リクライニングシート、楽になったがその分つまらなくなった。寝るだけだからべつにかまわないとも言えるが。

     10月7日 火曜日
 静岡駅に真夜中の停車、駅弁を買う事も今では出来ない。目が覚めればもう関東だ。新橋を過ぎるまでシートを倒して寝ていた。
 東京には5時前に着いてしまった。夜が明けるまでは待合室にいたが、タバコ臭くなってきたので店に入って朝食をとり、外へ出た。雨が降っていたが、もうほかに居場所もない。
 そのまま浜松町まで歩いて出版社へ行った。途中何度か電話をかけたが、結局10時過ぎまで連絡がつかず、それまで辺りをうろつく羽目になった。この出版社も見込みはなさそうだ。
 とりあえず旅行記の原稿を託した。気を取り直し、次はメインの目的の、児童書の出版社に向かう。ただしやはり時間が早いので、近くの公園でしばらく待った。インド料理店があったのでランチをテイクアウトで頼み、それを食べながら。大きなナンをすっかりたいらげてしまった。
 どちらの出版社にしても、ろくな手ごたえがなかった。しかしもう終わった事は気にせずいこう。弟に連絡をして待ち合わせ、新宿のゲーセンに遊びに行った。いい気晴らしになった。明日もゆっくり旅を楽しもう。

     10月8日 水曜日
 新幹線で長野へ向かう途中、安中榛名で下車した。新幹線が計画段階の頃から、釜めしがここで売られるといううわさもあったので。田舎の山の中、周囲に何もないローカル駅だが、確かに売店はあった。しかしヒマそうだ。僕も次の列車までの1時間半がヒマだった。
 軽井沢でまた途中下車。作業機械が古い駅舎を壊していた。その方法がかなり荒っぽく、つい見入ってしまった。新発売の駅弁も多く、この駅での待ち時間は退屈しなかった。
 軽井沢を出ると、コーヒーを飲み干す時間もなく、終着駅の長野に着いてしまった。しかしここからは鈍行でのんびりだ。居眠りしながら木曾福島まで来た。
 大阪まで直接乗り入れる特急が一本あるので、あとはそれで真っすぐ帰る事にしよう。その特急、しなの18号はかなりの混雑。振り子列車で立ち詰めで、酔ってしまった。だがそれも名古屋まで、そこから先はいきなりガラ空きになってしまう。新幹線并走の在来特急というのは、そういうものだろう。


翌年の日記へ

パビリオン入り口へ