レイリング日記98


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     3月17日 火曜日
 両親が同行の旅なので、今回は少しぜいたくを。大阪始発の特急しなの15号の、グリーン車に乗った。目的地は小淵沢だが、せっかくだから塩尻を過ぎて終点の長野まで行く事にした。
 席はワイドビューの最前列。発車、停車のたびに前方の景色をビデオに撮った。最近はやりの、某ゲームの影響か。
 積雪は木曽福島辺りからわずかに残っていたが、篠ノ井線に入ると本格的に雪が降り始めた。季節を越えるほどの距離を移動したようだ。
 長野に着いた。せっかくここまで来たものの、小淵沢到着が遅くなるのも困るので、駅弁だけ買うとすぐに折り返した。オリンピックのためか、また新顔の駅弁が登場していた。
 ここまでは特急で来たので、気分転換にここからは鈍行を利用する。
 まだ雪の降り続ける高原を走り抜けながら、始終ウトウトしていた。どうせ目的地は終点だし、たとえ寝過ごしても親が起こしてくれるだろうし。今日の僕は、独り旅の時よりさらに緊張感がない。
 降りてみて初めて知ったが、特急停車駅にもかかわらず、小淵沢駅周辺はかなり寂しかった。それでも観光案内所でたずねてみれば、宿はすぐに見付かった。
 部屋の窓からは、雪の山並みが広がって見える。どんな田舎へ行こうが、こんなに簡単に宿が見付かるのだから、国内の旅は楽なものだ。

     3月19日 木曜日
 一人先に旅館を発った。両親はゆっくり朝食をとった後、上諏訪駅の温泉に寄ったりしながら、それでも今夜には帰宅するそうだ。
 僕にとっては昨日のお寺の事などどうでもよく、むしろ今日からが旅の本番。まず小海線で北上する。野辺山辺りはまだ雪深かった。そこを過ぎるとじきに雪は消えたが、浅間はやはり真っ白だ。
 新幹線との乗り換え駅、佐久平で途中下車した。去年新幹線に乗りに来た時、まさかここには駅弁はないだろうと素通りしていたが、うかつだった。ローカル線では営業は成り立たなくても、新幹線だけは売れるものらしい。売店は新幹線改札内だけにしかないので、駅員に断り中まで買いに行った。
 駅弁を売るようになったばかりでなく、もちろん駅舎も立派になっている。まるで豪華ホテルのエントランスホールのようだ。物産品の販売コーナーも併設されている。少し離れた小海線ホームも高架に付け替えられ、線路もここだけが真新しいスラブ軌道に変わっている。だが整えば整うだけ、ローカル線の中でそこだけが浮いた雰囲気だ。
 小諸からしなの鉄道に乗り換え、軽井沢へ向かった。半年前には取り壊し工事をしていた場所が駐車場になっていたりと、また多少の変化があった。嬉しい事に新しい駅弁もあった。
 それに気をよくして、上田でも途中下車してみる。けれどこちらはハズレ。またしなの鉄道の車両も、小諸から西へ来るとJR時代と変わらず新鮮味がない。ただ小さくしなの鉄道と書き込まれているだけだ。東では、中古車両ながらもオリジナルのカラーリングを施してあり、内部もシートピッチを広げてあったが。
 しなの鉄道を踏破して、篠ノ井から乗り換えたのは、おとといにも乗った小淵沢行き快速だった。今日は上諏訪駅で途中下車。
 七年に一度の祭りが、今年行われる。前回はこの駅で、その期間だけ限定の駅弁が販売されたと聞いている。今年もそれが販売されるのかどうか、確認しようと思い寄ったわけだ。だが売店の人では分からず、本店に電話で問い合わせてもらったところ、今はまだ販売許可を待っている段階で、実際に販売するかどうかも検討中らしい。わざわざ来てはみたものの、これだけの情報しか得られなかった。また後日電話で問い合わせてみよう。
 これで今日の予定はすべて終了。甲府に宿をとった。明日の午前中、大月に駅弁を予約してあるので。

     3月20日 金曜日
 雨になった。だが降りは強くないしたいして風もなく、おだやかなものだ。西日本では昨夜は大荒れで、脱線事故まであったらしいが。
 まず大月まで行き、予約した駅弁を買った。今回はもうこれで、何も予定は残っていない。とりあえず周遊券のエリア内に引き返し、茅野で途中下車した。ご先祖、粟沢氏発祥の地がこの付近だと聞いている。いい機会だしたずねてみる事にしよう。
 雨の中を30分ほども歩くと、家並がとぎれ山がちの道になった。粟沢橋を渡り粟沢地区に入る。急斜面に続く石段を登ると、粟沢観音堂があった。だが、ただそれだけだ。その裏には粟沢城址という看板もあったが、上は駐車場になっていた。
 結局たいして見る物もなく、早いうちに引き返した。今夜は松本で泊まる事にして、あとは街をブラついて時間をつぶす。茅野に松本と、今日はよく歩いた。

     3月21日 土曜日
 早起きしてしなの2号に乗った。せっかく窓際の席に座れたのに、なんとそこは喫煙車。すぐ禁煙車に移動して、通路に立っていた。せいぜい中津川までだと思いながら。
 周遊区間をはずれれば特急券が必要になるので、その前に鈍行に乗り換えた。どうせゆっくり帰ればいいのだし。昨日もあちこちで途中下車したが、今日も中津川や名古屋で降り、GPSで座標を記録した。
 名古屋からタイミングよく米原行きの快速があり、米原からもすぐに網干行きの新快速に乗れた。これでは早く帰り着いてしまうから、大阪で時間をつぶしていこう。
 と思っていると、タイミングよく車内の電光表示から耳寄りな情報を得られた。今月の日曜祝日に大阪の交通博物館で、駅弁大会が開催されているという。よく考えたら今日は春分の日。よし、それならちょっと寄ってみよう。
 販売されている駅弁の品ぞろえはたいした事はなかったが、展示は充実していた。限定弁当についての新たな情報も得られた。これでまた、次の旅の計画が動き出す。


     3月26日 木曜日
 先月行く予定だった京都への列車撮影に、ヒロくんと出かけた。もっとも、僕は撮影よりも駅弁が目当てだが。集合場所は七丁目のバス停で、ひさしぶりにバスに乗った。
 神戸電鉄、神戸高速を乗り継いで、神戸からはJR。通勤ラッシュを避けたつもりだったが、それでもまだ混雑していた。やはり春休みのせいだろうか。だがヒロくんはめげた様子もなく、車両最前部からの風景をビデオ撮影していた。
 京都に着いて、早速駅弁を買いに行く。今の季節だけの限定販売、竹の子寿司が買えた。
 山陰線の始発列車に乗り込み、さっそく弁当を広げる。同行者がいても、僕はマイペースだ。この早い昼食にヒロくんも付き合ってくれた。
 嵯峨嵐山で下車した。ここから京福電鉄に乗るのが、今日の目的の一つ。けれど一緒に下りた人達はみな、トロッコ列車の駅へと向かう。つられて僕もそちらへ流れ、そこで思わぬ発見をした。なんとここでも駅弁を売っている。ラッキーな発見だった。
 うかれ気分の勢いで、ついでにトロッコ列車にも乗ってみた。その場の気分で衝動的に行動しては同行者に迷惑をかける、僕の悪いクセがまた出た。でもまだ時間はたっぷりあるし、いいだろう。それにヒロくんもまったく興味がないはずはないし。と思ったら、以前に乗った事があるんだとか。
 いかにも観光列車らしく、車掌の語りは面白く、各駅にも趣向がこらされている。もっとも僕の関心事は、駅弁販売の有無のみだが。終着駅で無いと確認するやいなや、すぐ折り返した。
 しかも一つ手前の駅で降りてしまい、あとは歩いた。またもやヒロくんを振り回してしまったかもしれないが、ちょっとした散歩も楽しい。陽の射し込む明るい竹林に続く細道で、人力車と何度かすれ違った。
 さて、ようやく本命の京福電鉄。学生時代に乗りに来て以来だ。新型車両も加わっていたが、もちろん古い車両に乗る。変わった名前の駅をいくつも過ぎ、終点の四条大宮へ。そこから京都駅まで、また歩いた。
 これまで僕の勝手ばかり通してきたし、今度はヒロくんの希望を聞く番だろう。京都駅へ戻り、再び山陰線のホームへ行った。「はしだて」だとか、あまり名前を聞かない特急がいる。関西空港へ向かう「はるか」も、このホームから出ている。それらをヒロくんは熱心に写真に撮っている。僕は新型車両にはあまり興味がないので、遅めの昼食に駅弁を食べ、そしてついうたた寝してしまっていた。準夜勤のバイトで寝不足だったので。
 帰り道は東西線を回ろうとヒロくんが言う。大阪で降りて環状線を回り、京橋から東西線に入った。尼崎の直前までずっとトンネルで、何が面白いのかよく分からない。とか言いながらも、僕も去年の開通直後にすぐ乗りに来たのだが。
 なんとか19時前には北鈴蘭台まで戻ったが、予定よりかなり遅くなってしまった。
 バス停前の長い行列で、トモちゃんとコノミちゃんに会った。プールの帰りがこんな時間になるとは知らなかった。ヒロくんも将棋に毎週通っているし、習い事をする子にとっては、暗くなってからの帰宅など日常の事らしい。
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