明るい朝 − モンゴルに見た輝き 5 −


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     4 黒い太陽1日前

 去年のレポートで紹介した、エルデネトという町をおぼえているかな。そこへ列車で向かう途中、夜中に停まったあのダルハンの町が今回の目的地。皆既日食の見られるエリアは小さいから、ウランバートルよりもさらに北へ行かなきゃならないんだ。
 われら日食観測隊は、バスにゆられて5時間、北へ219キロの距離にあるダルハンへ向かう。気温は今日も氷点下。周囲は飛行機から見た以上に真っ白な雪原だ。小さな村をいくつも過ぎ、凍った川をいくつも渡る。こんな世界、バスで走るのもいいけれど、やっぱり一人で歩いてみたい気もするよ。……どこかそのへんでたおれるのがオチだけど。
 さて、目的地のダルハンについて紹介しておこう。まず位置は、北緯49度27分36秒、東経105度58分40秒、海抜720メートル。日食観測が目的だから、こんな細かいデータまでもらえたんだ。もっとも、ながめるだけのぼくには意味ないけどな。
 ダルハンについては、自分なりに調べてきたよ。
 まずエルデネトについて少し思い出してもらおう。モンゴル第3の都市エルデネトは、旧ソ連の指導のもとで地下資源開発のために建設された鉱山都市。ダルハンもこれとよくにているんだ。モンゴル第2の都市ダルハンは、やはり旧ソ連の指導のもとで、モンゴルの工業化のために建設された工業都市だ。
 旧ソ連につながる鉄道の途中にこの町が作られたのは、1962年の事。つまり今年はダルハン誕生35周年だ。そういえば去年は、エルデネトがちょうど20周年だったね。ついでにいうと、今年は日本モンゴル国交樹立25周年でもあるんだよ。
 ダルハンという名前は、モンゴル語で鍛冶屋という意味。旧ソ連の代表的な工業都市クズネツクがやはりロシア語で鍛冶屋の意味だから、それをマネしたみたいだな。
 この町の工業施設には旧ソ連のほか、チェコスロバキアやハンガリーといった東ヨーロッパのいろんな国の技術者が、大勢やって来ていたらしい。だから多くの外国人の住むこの町を、かつては国際友好都市と呼んで国のほこりにしていたとか。外国の技術者にたよるような状況は、ちっともじまんにならないと思うけどなあ。
 もっともそれは、モンゴルが社会主義国だったころのむかしの話。旧ソ連が崩壊して東ヨーロッパも混乱している今は、外国人技術者もほとんど帰国してしまい、これからはモンゴルが自分でどうにかしなくちゃならない時代だ。
 バスで町に近付くと、まず目に入るのが工場地帯。火力発電所だけは盛大にけむりとスチームをふき上げてるけど、ほかの工場はちゃんと動いているのかなあ。
 そしてその先にダルハンの町がある。左の方、駅の周囲がホーチンダルハンとよばれる旧市街地で、右がシンダルハンという新しい住宅街。ぼくらのバスは右にまがったよ。
 今日は観測隊のバスがひっきりなしに来るから、交差点に警官が出て交通整理をしていた。それはありがたいけど、アタマにくるのは外国人1人に対して10ドルを請求される事。観測隊をむかえる準備をした費用という名目らしいけど、何かしら口実をつけては金をせびるんだよな。今のモンゴル、資本主義というより拝金主義じゃないのかよ。

 でも昼食にトリのもも肉が出たから、ぼくはすっかり機嫌をなおした。トリ肉ってモンゴルではすごいごちそうなんだよ。ブタもそうだけど、ニワトリもモンゴルではあまり飼われてないから、すごく高くてめったに食べられないんだよ。ああ、感動。昼食からこんなごちそうなんて、今から夕食が楽しみだなあ。
 ところで、今夜の宿はホテルではなくて、町はずれにある大学の学生寮なんだ。なかなかユニークだろう。もともとホテルの少ない町に大勢がおしかけるから、こういう変わった経験もできるわけさ。
 でもぼくらが来ている間、いったい学生達はどこにいるんだろう。もしもぼくらが彼らを追い出してしまったのだとしたら、もうしわけない気がするよ。このダルハン技術大学の学生達は、これからのモンゴル工業をささえる、新時代の技術者となる人材だというのに。
 さて、学生寮の部屋は、ドアを入るとまず洗面所とトイレがあり、さらにドアが2つあってそれぞれが2人部屋になっている。作り付けの洋服ダンスに鉄製のベッド、そして小さな収納棚やイスは二つずつあるのに、机はなぜか一つしかない。ならんで半分ずつ使うんだろうな。
 部屋にはラジオもあるよ。このラジオ、モンゴルのどこの家庭でも使われてるありふれた物だけど、日本人からするとかなり変わってるんだ。
 まずダイヤルがない。つまり国営放送だけを聞けるようになっている。そして電源スイッチもない。つまりコンセントを入れれば鳴りっぱなしなわけ。ついでにいうと、コンセントにつなぐのは電線を通してとどく電波をキャッチするためで、このラジオには電源も必要ないんだ。そのしょうこに、停電になってもラジオだけは真っ暗な中で鳴り続ける。こうしてのべつまくなしに流れ続けるラジオ放送で、むかしの社会主義の時代には、国家の思想ばかりを聞かされていたんだろうな。

 集団で左向け左、なんてのはぼくはニガテだ。昼食後に観測場所の説明を受けてから、夕食まで自由時間という事で解散になったから、寮にもどる行列からはなれてぼくはそのまま町へ向かったよ。ああ、やっと一人になれた。
 でも、町の中では完全に一人きりになれるものじゃないよな。とくに今日は外国人だらけだし。町の人達にもなぜかぼくが外国人だとわかるらしくて、子ども達は英語でハローと声をかけてくる。アイス売りのおばさんは、ロシア語でスパシーヴァだってさ。
 工業のおとろえでさびれかけたダルハンの町も、今日ばかりはお祭りさわぎだ。氷点下に凍り付いていても、なんだか明るくあたたかい。それはそうと、外国人技術者がいなくなったにしては、ロシア系の住人をかなり見かけるなあ。女の子なんてルノワールの絵のようにかわいらしくて、思わず立ち止まって見とれてしまうよ。あの子達の美しさこそが、さびしい町をはなやいで見せる一番の要因かもしれないな。
 時間があればホーチンダルハンまで行きたかったんだけど、シンダルハンを歩けただけでも楽しかった。さあ、寮に帰って休もうか。明日には皆既日食がひかえている。

 ……ごちそうを期待していた夕食だけど、メニューはインスタントみそしるとボンカレーだった。


     5 黒い太陽の日

 いやあ、彗星を見るため早起きしようと思ってたのに、うっかりねすごして気付けば4時半だ。でも外に出ると雪が降っていたから、あきらめがついたよ。この分だと日食もムリかな。
 そう、ぼくってあきらめが早いんだ。いや、切り替えが早いというべきかな。ダメになった事をひきずるよりも、ほかの事を楽しむほうがずっとトクだろ? 今は日食よりも雪がつもる事のほうが楽しみになって、ぼくは今年最後の雪を楽しむために、手袋もしないで氷点下の外にとび出したよ。
 でも雪はじきにやんでしまった。それどころか雲も東から切れ始め、半分ほど欠けた太陽が見えてきたんだ。それなら次の目標は、本来の日食だ。
 食の開始は現地時間の7時48分59秒、皆既の開始は8時48分55秒、皆既の終了は8時51分17秒、そして食の終了が9時56分02秒。このデータもムダにならずにすみそうだよ。皆既の開始前に太陽のまわりだけ雲が消えるなんて、まるで奇跡みたいだ。こんな時ばかりは、神仏に感謝したい気にもなるね。
 小高い丘に登ってみると、そこには近くの集落に住む人達が大勢集まっていた。みんなそれぞれ思い思いの道具で太陽を見ているよ。中には熔接用のマスクをかぶる人までいる。さすが工業都市だなあ。ぼくはきのう町で買った、安物の着色フィルムを使っているよ。テープでメガネにはり付けて。
 太陽が欠けるにつれて少しずつ暗くなるかと思っていたけど、皆既開始数分前のごく細い太陽になっても、わずかに暗くなったていどだった。ところが皆既に入った瞬間、不意に真っ暗になってしまった。月の影が南西から北東へと地上をおおうのが、実感できたよ。影が地上を走る速度は、時速約2000キロ。
 太陽をそのまま包みこんだ、月の丸いシルエット。そのまわりをとりまく、白いコロナの発光。薄雲にボンヤリかすんで、まるでうるんだ大きな目のようだった。
 あたりが真っ暗になったころから、丘の下の集落のあちこちで、何かの楽器をうち鳴らす音がひびいている。宗教的な意味でもあるのかな。丘の上まで小さな仏像をせおって来ているおじいさんもいるよ。
 やがてまた突然に、光がおしよせて来た。まず南西から、そして北東へ。その瞬間太陽は、ダイヤモンドリングと呼ばれるかがやきを見せる。
 あの142秒間、ありふれた言い方をしたくはないけれど、ほんとうに一時のゆめを見ていたようだった。空にはまだ大きく欠けた太陽があるというのに、皆既日食だった時がなんだか遠く思えるよ。
 モンゴルの人達も丘を下り始めた。なのに仏像のおじいさんだけは、いつまでもここに残っている。信心深い人なんだなあ。
 ところがなんとその人は、仏像を日本人に売りつけようとしていたんだ。正直言ってあきれたよ。ただ積極的に売り込みに行かずぼくに仲介をたのんだりするあたり、多少はうしろめたさを自覚しているようだけど。
 「金が必要なんだ」おじいさんはぼくの目を見ずにつぶやいた。こういった人達までを、拝金主義とけいべつする事はできないよ。信仰を捨ててまでも、生活を守らなくてはならない現実があるのだから。この丘の上で、もう一つのやみをかいま見た気がする。

 ツアーというものは、だいたいがあわただしいものなんだ。日食観測を終えて昼食をとると、すぐまたバスでウランバートルへ。ちなみに今日の昼食は、お湯をそそいで3分間……。期待していたぼくがバカだった。
 この道はいちおう舗装されてるから、バスはわりと安定して走る。少なくとも、ゴビの荒野を走るバスのように、天井に頭をぶつける心配はないな。それでもけっこうはね上がるから、つかれてこごえた体にはけっこうこたえるけど。とちゅうで一度休けいがあったよ。
 バスが止まってぼくらが降りると、近くの遊牧民がウマに乗って集まってくる。観光客をウマに乗せ、金をもらおうというわけさ。どんな事でも収入の手段にしてしまう、そんなしたたかさが今の時代には必要なんだな。つくづく思い知らされるよ。
 たづなを引いてもらいながらそこらをひと回りして、1ドル。安いし、ねむけざましの運動にもいいかなと思って、ぼくもためしてみたよ。でもおじさんにウマを引いてもらうだけじゃつまらないから、たづなを受け取り一人で乗り回してみた。そしてもどるとおじさんは、当然のような顔で2ドル、だってさ。
 夕方になって、ようやくウランバートルに帰ってきた。「帰ってきた」、この場合はそう言ってもおかしくないだろう。なじみのないダルハンから、なじみのウランバートルへ向かったわけだから。夜はひさしぶりに、劇場で演奏や歌や踊りを楽しんだよ。
 今回のツアーでは、ハンナさんという若い女性がガイドをつとめてくれているんだけど、彼女にモンゴル語の星の名前をたずねてみたよ。でもわかったのは、日食をナル ヒルテルトというほかは、流星をオド ハルバフ(星が射る)、そして去年聞いた北斗七星ドローン ボルハンにシャナガ ドロー(ひしゃくの七つ)という別名もあるという事くらいだった。
 どうやらモンゴル人はむかしから、星に対する関心がうすかったようだね。でもそれは日本人も同じで、星の和名はすばるとか麦星とか、ごくわずかだけれど。代表的な織姫と彦星の物語も、もとは中国から伝わった話だし、北斗もやはり中国名だよ。
 ついでにもう一つ星の話をしよう。モンゴルから星が消えた、といったらなんの事かわかるかな。じつはこれ、国旗の話なんだ。1992年、モンゴル人民共和国が社会主義を捨ててモンゴル国となった時、社会主義のシンボルである星も国旗から消されたというわけ。
 ふと思ったんだけど、世界の国旗の中から星や月や太陽の描かれた物を選び出し、それぞれの意味を調べてみるとおもしろいかもしれないな。いつかそのうちにやってみよう。


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