風の記憶 − モンゴルに見た輝き 2 −



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     7月22日 金曜日
 夜通しひどく寒かった。雨に濡れたままベッドにもぐり込んだのが悪かったらしい。だが一番の原因は、毛布一枚で寝ていたせいだ。朝になって気付いたが、なぜか掛け布団を下に敷いていた……。
 表へ出ると、まだ日の出前。気温は10度そこそこで、ジャンパーを着ていてもふるえが止まらない。それでもじっと朝日を待った。
 雲が二筋、早くから白熱したように輝いていたが、やがてその下からさらに明るい光が噴き出すように現れ、見る間に面積を増してゆく。それはまるでフィルムの早回しを見るようで、地球の自転の意外な速さを実感した。だがもし大平原の中にいるのでなければ、日の昇る速さから地球の自転にまで思いは及んだだろうか。
 ふり向けば、自分の影が思いがけなく遥か遠くへ伸びている。それもまた、大平原に似つかわしく思えた。
 ゲルに戻ると、同室の三人も起きていたので、ウルフを開いてストーブの煙突を立てた。もうすっかり手慣れたものだ。ところが、火をつける段になるとどうもうまくいかない。たきつけがないのでゴミ箱からティッシュを拾い出し(……)、用意していた紙マッチで火をつける。ところが薪が大きすぎ、ティッシュが燃え尽きても薪は焦げるだけだ。
 ゴミ箱も空になり、紙マッチもすり減り、もうどうにもならなくなったところへ助けが現れた。係の人が新たに薪を持って来て、鮮やかな手つきで火をつける。今度はこの技をマスターしなければならないな。はぜるストーブに当たりながらそう思った。
 朝食を食べに行く途中、ムンフトヤに会った。「サイン バイノー」「……サイン バイノー」かろうじて、あいさつだけは返してくれた。もうこれで良しとしよう。出会ったすべての子どもと仲良くなるなど、当然無理なはずだから。
 出発する前に、売店ゲルをちょっと見てみた。古い1トゥグルク硬貨が気に入って1ドルで買ったが、望月さんに少々からかわれてしまった。確かに交換レートでは400トゥグルクに相当するのだから、こっけいに思えるのももっともだ。それでも僕は満足している。日本でも、もし1銭硬貨が100円で売られていれば、きっと買うだろう(建国50周年記念硬貨だと、この時点ではまだ気付いていない)。
 予定の時間になっても、まだ出発する気配はない。秒針も長針もなく、ただ短針だけがのんびり回るようなモンゴル時間……。僕はもう慣れてしまった。
 そのうち食堂裏の草の上で、アイラグの酒盛りが始まった。ガンさんはまず古くからのならわし通りに、指で三回アイラグをはじく。そして最後には、飲み終えた杯を草の上に伏せた。すべて飲みほしたという事を示す、これも古くからのならわしだろうか。もちろん僕も、一杯すっかり飲みほした。
 バスはまた1台しか来なかった。だから二度に分けて飛行場へ向かうという。僕は後ので行く事に決め、エンフボルトとドルフゴンの二人と、空き缶を蹴とばし合って遊んだ。オンドラホは、残念ながら朝早くから出かけてしまったそうだ。それでも、去る僕に向け手を振ってくれる子が二人もいてくれたのは、とても嬉しい事だった。
 10時20分ようやくキャンプを出発。この遅れで、飛行機への搭乗もかなり遅れた。そしてさらに、その後離陸はまだまだ遅れる事に……。
 アメが配られた。エンジンスタート。プロペラが回転を始め、徐々に速まる。ところが、いっこうに機体は進み始めない。フルスロットルの激しい轟音と振動がしばらく続いた後、エンジン音はしぼんでしまった。どうやらタイヤが埋まってしまったらしい。そうだろう。ここは地盤の悪い夏の間は、本来ならヘリコプターの運行に切り替えるのだから。重いからとりあえず降りてくれと指示があり、外へ出ると、乗務員が端正な制服姿のままスコップをふるっていた。
 タイヤを掘り出し、そして脱出に挑戦。僕ら乗客は離れた所から見ているが、それでも手のひらに汗をかいた。フルスロットル。草が横倒しになびき、機体後部が大きく揺れる。かなりの推力が出ているはずだが、まったく動かない。脚がよく折れないものだと感心してしまった。もしそうなったら、ますますスゴイよなあ。僕はアクシデントさえつい面白がってしまう。結果などおかまいなしに、とにかく何か起こるのが楽しみで仕方ない。
 飛行機は再びエンジンを止めた。そうなるとギャラリーとしては少々物足りないので、昨日も会った近所の子ども達と一緒に遊んだ。
 男の子の一人が、草の丸い穂をうまい具合にピッと飛ばす。僕も飛ばし方を教えてもらうと、今度は別の草の、細い穂を投げつけてくる。ああ、服に突き立つこの草は、去年アキオ君にもさんざんやられたから知っている。やがて子ども達はにぎやかに駆け回り始め、草の弾丸と矢とがしきりに飛び交う事となった。
 ひとしきり遊んでから名前を聞くと、草の実くんはトゥルバットといって11才、女の子は驚いた事にサラといって、10才だそうだ。それから14才のアムルゾーと10才のアルタンシャガイ。またもやサラさんに意味をたずねると、トゥルバットは堅固なる国、アムルゾーは百もの優しさだそうだ。それからアルタンシャガイは金のシャガイ。こういった名前があるところをみると、シャガイは単なるおもちゃではなく、縁起物といった意味あいもあるようだ。そしてサラはもちろん月の意味。これならたずねなくても分かる。この子も同じ名前ですよと、逆にサラさんに教えてあげた。
 飛行機は再度脱出を試み、ついに成功した。そのまま地盤の良い場所へと移動する。向かって来る風圧のものすごさに、帽子が飛んで転がった。
 11時30分ハルホリン離陸。機内では、今日はジュースが出た。本当に、サービスの良さに感心してしまう。やはり残念だ。今日でこの機ともお別れかと思うと。そしてムンフトヤとも。あの子とは、最後にお別れのあいさつを交わす事さえ出来なかった。
 12時20分ウランバートル着陸。だが空港でかなりの時間を費やした。ホテル到着は13時40分。着くやいなや食堂へ直行だ。遅くなったのですぐ昼食というのも分かるが、僕としてはとりあえず部屋へ行き、充電にかかりたかった。もうスペアバッテリーは一本も残っていない。テープやフィルムも同じく。けれどもまあ、午後の予定は買い物だけらしいし、撮影の機会などないだろう。充電も、夜からやっても間に合うさ。そうそう、モンゴル的のんきさを見習って気楽にいこう。
 14時50分ホテルを出発し、エンフタイワン通りのドルショップへ。去年も来た大きな店だ。まずは馬頭琴「モリンホール」を買った。今回買わずに帰国すれば、必ず後悔するだろうから。それから絹製でない普段着っぽいデールを見付け、それも買った。
 けれども僕が本当に欲しいのは、モンゴルホタクだ。ナイフと箸とがそろって鞘に収まるこの携帯用食事用品は、かつては遊牧民なら誰もが持っていたはずだが、今ではどこにも見当たらない。いや、あった! ガラスケースの中に、貴金属類と並べて陳列されている。知らなかった。モンゴルホタクが今では、芸術品扱いされるほど貴重になっているとは。あまりの高値に、今回は涙をのんであきらめた。だがいずれ必ず買いに来よう。
 17時15分ホテル到着。夕食後には手紙を書いた。Jに宛てて、去年に続いて二度目の挑戦。今度こそ無事に届くといいが。そしてもう一通、今年はMちゃんにも大陸からメッセージを送ろう。二枚の絵ハガキを用意して、さて、明日は郵便局まで行く機会があるだろうか。このホテルに預けてもいいのは分かっているが、去年の例もあるのでそのつもりはない。絵ハガキが去年届かなかったという僕の話が広まったせいか、今年はホテルにハガキを託す人はいないようだ。

     7月23日 土曜日
 昨夜から同室になった三上さんは、釣りの方に参加するそうだ。朝早く起き出し慌ただしく出かけて行った。僕も同時に起きたが、市内観光は10時出発なのでたっぷり時間がある。いい機会だ。このところ遅れがちだった手帳の文章整理を進めた。一方ビデオカメラのバッテリーチャージも、出発までには終わらせた。
 今日は自由行動の日。釣りの人はジープで郊外の川へ行き、市内観光の人はバスで見学して回る。そして残りの何人かは、それぞれ気ままに過ごすようだ。去年だいたい見ている僕は、一人で好きな所へ行っても良かったのだが、市内観光でも自由時間はあるというので、ひとまず参加してみた。
 10時15分ホテル出発。さっそく参加して良かったと思う出来事があった。ボグドハーン宮殿へ行くと、門前にはみやげ物を売る露店の棚が続いている。こんな所にまさかとは思ったが、そんな所だからこそともいえるのか、モンゴルホタクが見付かった! しかも昨日見たような芸術品ではなく、遊牧民が日常的に使うような、僕が本当に探し求めていた道具としてのホタクが。50ドルと言うのを、値切るのも忘れて即買った。
 見学もうわの空で、僕は手に入れたホタクを何度となく眺めた。木の暗い色あいと、真鍮金具のくすみ具合、この使い古された感じがなかなか良い。刃はすっかり丸まり、骨製らしい箸にもヒビが走っているが、それも悪くない気がした。刃は帰ってから研いでみてもいいだろう。さて、あとの問題は税関通過だ。
 僕がポケットの中のホタクに心酔しているうちに、宮殿博物館の見学は終わっていた。次にバスは、ザイサントルゴイに向かう。ここも去年一度来ているし、やはり熱心に見学する気は起きない。写真を一枚だけ、サラさんと並んで撮らせてもらった。
 丘の上には誰もいなかったが、駐車場まで降りると、二人のちっちゃな女の子がいた。カメラを向けると、壁の後ろから顔を出したり引っ込めたりとたわむれてみせる。そして手招きするように手を振るので、近くへ行ってカメラをのぞかせてあげた。
 現地通貨への両替のため、バヤンゴルホテル内にある銀行窓口に寄った。ところがパスポートが必要だという。そんな物、ホテルの大荷物にしまい込んだままだ。一緒に両替してくれるよう安間さんに頼むと、「なんでパスポート持ってないの?」とあきれられてしまった。旅行中は、常にパスポートを持ち歩くのが常識らしい。……知らなかった。
 午前の予定はここまでだ。ホテルに戻って昼食をとり、昼過ぎにまた出かけた。
 ようやく念願の郵便局へ。サラさんを通じて窓口の人に、この切手で日本まで届くかどうかをたずねた。20トゥグルクでOKだそうだ。失敗の経験があるので、ここまで念を入れなければ安心出来ない。二枚の絵ハガキを投函し終えて、ようやく肩の荷が降りた気がした。
 軽やかな気分で、次は美術館へ。ここは初めて見学する所だ。
 あるコーナーのガラスケースの中に、伝統的な舞踊の際に身に付ける装身具が並べられており、その中にあの、昨日ドルショップでも見た豪華なモンゴルホタクがあった。今日手に入れた物と比較してみると、重厚な事にあらためて驚く。やはりこれは、実用品ではなく装身具と考えるべきだろう。ただそれはそれで、こういうのも欲しい気がする。
 ガンダン寺院。ここも去年ひと通り見学している。それでもサラさんの説明を聞きながら歩くのは楽しかった。そしてまた、子ども達に声をかけたりするのも。「好きだねえ」またもや安間さんにあきれられてしまった。サラさんなら、こんな時も絶対からかったりはしないのだが。「きっといいお父さんになりますね」……まあこんなふうに言われるのも、てれくさくはあるけれど。
 次はデパートで買い物。ここでも同じようなホタクが売っていたが、やはり680ドルの高値だった。よし、ならばこの次来る時の楽しみに、とっておいてやろうじゃないか。
 ウランバートルホテル前でバスを降りた。今日のコースの最後の予定、一時間の自由行動だ。だが一時間はあまりにも短い。とりあえず、散歩がてら新聞でも探す事にした。
 新聞はバス待ちの人達を当て込んで、たいていバス停付近で売られている。人垣を見付けるたび、それをかき分けては、「モンゴルタイムス?」とたずねてみた。だが決まって相手は首を振る。しかも売り切れたわけではなく、どうも始めから置いていないようだ。
 結局買えないまま時間になり、慌てて集合場所に戻った。すると、バスの横ではタイムスを手にした人達が輪になっている。聞けばすぐ先で売っていたとか。急いでその店に走り、三部買った。古い物ばかりだったが、買いそびれた後ではそれも嬉しい。とりあえずは気がすんだ。
 再び集合場所に戻ると、もう時間だというのにみんなは立ち話をしており、出発する様子はない。僕もモンゴル時間にのんびりひたりながら、みんなのおしゃべりに加わった。
 ナフチャさんというサラさんのクラスメイトも来ていて、紹介された。「広川慎一ですっ」僕は思わずフルネームで名乗ってしまった。ヒロカワという名字だけでは、僕を示してはいないような気がするから。名字を持たず、誰もが名前で呼び合うこの国の人達が、とてもうらやましい。
 名前といえば、モンゴル大手の新聞社アルディンエルフにサラさんのお姉さんが勤めていて、紙面末尾に名前が出ているとか。見せてもらうと、確かにソニントゴスと名前があった。サラントゴスにソニントゴス、月のクジャクに面白いクジャクか。サラさんの兄弟姉妹、みんなの名前をたずねてみたい気がする。
 19時10分ホテルに帰る。釣りに行った人達も、自由行動の人達も、それぞれに得難い経験をしたようだ。それを思えば、僕の一日は少々物足りないものだった。けれどモンゴルホタクが手に入ったのは、大きな幸運と言える。夕食時にもちょっとした話題になった。モリンホールにしてもデールにしても、みんなが欲しがるような大物は、いつもまず僕が買っているから。
 大島さんも、望月さんも、それから森夫妻も息子のおみやげにと、ホタクを欲しがっている。聞けばあさっての午後も自由行動だというので、みんなはその時に捜すつもりでいるらしい。僕はその日は駅にでも行ってみようか。好きな列車や機関車が見られず、路線バスやトロリーバスにも乗れなかったのが、今日一番の心残りだから。
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