風の記憶 − モンゴルに見た輝き 2 −


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     7月24日 日曜日
 朝食を終えて部屋へ戻ると、香港からのスターテレビでリボンの騎士が放送されていた。モンゴル内で日本を目にする事は、確実に多くなっている。昨日はどういうわけか、佐川急便のトラックをたびたび見かけた。
 朝方の雨は見事にあがり、青空と陽光が戻ってきた。さあ、いよいよヒツジ達の待つ草原へ向け出発だ。バスの一台には荷物が詰め込まれている。何から何まで持参とは、スゴイ所に行くようだ。
 10時10分ホテルを出発。郊外に出てしばらく走った頃、検問でバスは止められた。またもや僕は、ついついハプニングを面白がってしまう。そのあげく警官にカメラを向け、松田さんに警告されてしまった。ヘタをすればこれ物だと、真顔で両手首を合わせてみせる。まあ無分別だったのは確かだ。一つ一つ、少しずつでも注意していくようにしよう。
 峠を越えると、いきなり遥かに雄大な風景が広がった。遠い山なみ、谷間の川、なだらかな草原……。そして間近に目をやると、なんと道は細く崖伝いに通じている。重くては危ないというので、僕ら乗客はみんな降ろされた。
 そしてバスは空のまま、遥か向こうまで行ってしまう。そこまで歩くと思うと面倒だったが、それでも道をはずれて草原を歩き、色とりどりの花を楽しんだ。鮮やかなルリタマアザミがいたる所に咲いている。淡い色のムンフツツクも時おり見かけた。
 12時50分、ようやく遊牧民の夏営地に到着した。僕らはさっそく、めいめい自分のヒツジの名前をたずねる。僕も持参した写真を見てもらい、シャルチヒテーホニ、黄色い耳のヒツジと知った。ただしこれは名前というより、見分ける際の特徴といった程度のものらしい。
 昼食にはやはりボートグが出た。ただ、搾乳用の大きな牛乳缶の中に肉と焼け石を入れるという調理法は、去年食べたものとは違っている。あの時はヒツジの皮袋に肉と焼け石を詰め込んでいたが、今回の方がポピュラーな調理法だろう(正式には、缶を使用するこの調理法は、ホールホグと呼ぶと帰国後知った)。最後に缶に残るスープがきわめつけにおいしいが、去年はそのスープをまず皮袋の中からくみ出していたのを思い出した。
 モンゴルタイムスのヒツジ、つまり僕らのヒツジを管理してくれている遊牧民一家の紹介がされた後、自分達のヒツジとの対面があった。もっとも、御対面なんてうるわしいもんじゃあない。自分のヒツジを最初に見付ければラクダのオーナーにもなれると聞かされたものだから、みんなもう必死だ。もちろん僕も。結局この競技は群れを追い回すだけに終わった。ヒツジ達は柵の中へと追い込まれた。
 もう競技は白紙撤回なので、ヒツジはプロに見分けてもらっても良いのだが、僕はあくまで自分で見付けたい。柵の中に飛び入り、駆け回ってそれらしい奴の首を抱えた。たずねると、本職のヒツジ飼いは笑顔で親指を立ててみせる。やはりそうだったか。少しばかり、自分の目にも自信が持てた。
 昼下がりは、もうまったくの自由時間。昼寝をする人、散歩をする人、そしてモンゴル相撲を取る人、みんな気ままに過ごしている。
 子ども達と遊びたかった僕は、いきなり開かれた折り紙教室にちゃっかり加わった。紙飛行機を作ってあげると、一人の男の子がそれを左手で飛ばした。同じ左利きというただそれだけで、強い親近感がわいてくる。
 その男の子達二人が、アイラグを飲もうとゲルに誘ってくれた。アイラグは皮袋ではなく、青いプラスチックの大きなタンクに入っていた。二人は僕より大きな器で、しかも見る間に飲みほしてしまう。僕もなんとか飲み終え、飾られている写真などを見せてもらった。よそのゲルにおじゃまして、ゆっくりするのはこれが初めてだ。
 夕方になって演奏会が開かれたが、招いた音楽家はすごい人達らしい。モリン・ホール演奏者はゾグバドラフさん。歌い手はノルバンザトさん。モンゴルでは知らぬ人のいないほど有名な人達だそうだ。草原に響くオールティンドー、そしてモリンホールの音、時おりあがるウマのいななきさえも、風景の中で一つの音楽となっていた。
 夕食時、僕は持参していたデールに着替えた。それに対するモンゴルの人達の反応は見ものだ。今回食事の世話をしてくれているのは、元はルーマニア駐在大使を務め、またバトムンフ前書記長の義理の父でもあるというスゴイ人らしいが、僕の姿をひと目見るなり「オーウ、モンゴール!」と大声あげて笑い出した。ガンさんの反応は、もう書くまでもない。しきりに握手を求めてから、肩に手を回し早口でしゃべりかけてくる。まあこれは僕がどんな格好をしていようが、まったく関係ないようだ。
 さっき男の子達に誘われて訪ねたゲルに、今度は大勢で押しかけた。そして酒盛りの大宴会。飲めない僕も、しばらくの間一緒に歌を歌い、手を叩いた。
 けれどもしばらくして、外で子ども達が遊んでいるのが見えたので、僕はにぎやかなゲルを抜け出し子ども達の仲間に入った。僕のデール姿は子ども達にも好評で、四、五才の子などは腕にすがりついてくる。年かさの男の子の関心の的は、やはり腰のホタクだ。
 デール姿のままでウマに乗ってみた。するとウマにもこの服装が効果あったのか、信じられないくらい言う事を聞く。ピッチもコースも思いのままだ。そうなれば僕はもういい気なもので、リボンの騎士か白馬の王子かといった気取りよう。どちらかといえば、白痴馬鹿の王子といった方が正解だろうが。
 ウマを返してからゲルへと戻りかけると、暗闇の中で不意に呼び止められた。サラさんだ。もう話をする機会も残り少ないという思いから、なんとなくおしゃべりしたい気になった。
 とりとめのない話から、いきなり「広川さんはなぜ結婚しないのですか?」といった質問が飛び出し少々アセッた。27才で独身というのは日本では珍しくなくとも、モンゴルではまれだろうから、サラさんも不思議に思ったのだろう。そういえば昼間にも、望月さんや柴内さんが同様の質問を受けていた。日本にはコンビニなどがあり不便を感じないから、と二人は答えたようだ。それも同感だが、とにかく僕は独りでいるのが気に入っているからとだけ答えた。するとサラさんは、「それなら好きな人はいるのですか?」と聞く。結婚とは無関係に恋が出来た子どもの頃にはいた、と僕は答えた。
 話をしながら、なんだか不思議な思いにとらわれた。会ってからまだ一週間の、しかも大人の女性を相手に、こんな事を気おくれもなく話せるのはいったいなぜだろう。顔もろくに見えない闇の中だからだろうか。それとも、明日もろくに見えない旅の中だからだろうか。
 それから自然と子どもの頃の話になった。子どもの頃は遊び回ってばかりいて、そして女の子の事ばかり気にしていたと僕が言うと、今とは反対ですねとサラさんは笑った。……べつに反対でもないように思うが。サラさんの方はといえば、子どもの頃から勉強ばかりでボーイフレンドの一人も持たず、その事が今から思えば残念だとか。並ならぬ教養を得た人にも、やはりその一方で逃してしまうものがあり、後悔もそれなりにあるものなのか。
 それにしても、サラさんもまた正直になんでも話してくれる。今はどうかとたずねると、同性の大切な友達はいる、との返事。僕は付き合いがヘタなうえに人がキライで、友達と呼べるのはたった一人しかいないと打ち明けた。サラさんは、一人でも充分、ずっと独身でいるにしても、なんでも話せる友達は持っていないといけません、と返す。なんだか説教じみたセリフだと思ったが、嬉しかった。サラさんと別れた後も、僕はずっとその言葉にうなずいていた。
 なんだか心がいつまでも静まらない。一度はゲルに戻ったものの、そのまま寝付けそうになく、すぐまた外にさまよい出た。しばらく辺りを歩き回り、なぜだか場違いにも酒盛りの人達の輪に加わってしまった。
 そうしてなかばうわの空に、いまだ波立つ思いを意識の上にすくい取ってみる。今はこうして気軽にどこへでも仲間入りする僕も、本当に友達と呼べるのは、ただの一人だけなのか。いや、今は複数いると言えるかもしれない。サラさんも、少なくとも今この時は、なんでもありのままに話せるかけがえのない相手だと思う。

     7月25日 月曜日
 夜明け前に起き出した。十数人も詰め込まれ、寝返りもうてないゲルから早く脱け出したかったし、それに何より、最後の草原での朝日を目にするために。だがまだ空の色は深く、月が西空に明るい。おそろしい寒さで、デールを着ていてもふるえが止まらない。
 突如、缶ビールを片手にガンさんが現れた。なぜこんな朝早くから? ガンさんは例によって握手を求めて肩に手を回し、大声でしゃべり始める。この騒ぎで、ほとんどの人が目を覚ましたようだ。
 その間にも、東の空は次第に明るみを増す。ただ、ここからでは朝日は山の陰になるようだ。ふり向けば、西の山並みはもう陽射しに染まりつつある。そしてその上には、かすかに虹が。いつの間にか雨が月を隠し、そしてなおも近付きつつあった。それにつれ、虹も上へ上へと伸びてゆく。
 やがて、水平に陽射しを受けた完全に半円の虹が二本、のしかかるように大きくかかった。ただひたすら感嘆……。僕は声を失い、ガンさんはますます声を張り上げる。この騒ぎで、ほとんどの人が起き出してきた。ちなみに、ガンさんに聞くと虹はソロンゴというそうだ。
 出発の予定が大幅に遅れ、僕は喜んだ。まだもうしばらくは、ここでこうして過ごしていたい。だがいくら名残り惜しくても、帰りの時は必ずやって来る。
 9時55分遊牧民夏営地出発。バスが走り出すと、モンゴルの旅もこれで終わりだと感じられた。昨日の峠でまたバスを降り、急斜面を歩いて登ったのが唯一の気晴らしだ。昨日は気付かなかったが、峠にはオボーがぽつねんとあった。
 いつの間にかうたた寝していたらしい。停車して目を覚ますと郵便局だった。局内の売り場に新聞を買いに行くという。今度はモンゴルタイムス最新号がそろっていて、僕はまた三部買った。JとMちゃんへも分けてあげようと思い。クレヨンしんちゃんも載っているこの新聞が、モンゴル慎ちゃんからのおみやげだ。
 そしてようやく、モンゴルタイムス本社を見学する機会を得た。本社は中央図書館内の一室と聞いていたので、始め僕は別の立派な建物かと思っていた。するとあれは国立の中央図書館で、ここは市立の中央図書館だとか。こちらはかなり質素な造りだ。
 松田さんの話で興味深かったのが、モンゴル人の男性は昼休みの合い間にも飲みに行ってしまい、酔って戻って午後は仕事にならないという事。それならまだ僕の方が役立てそうな気もする。ただ、とりたてて何の技術もないのでは……。後悔しないためにはここで思いきりたいが、僕にもひるみためらう事はある。とりあえず今日は、ただバックナンバーをもらい見学を終えた。
 13時25分ホテル到着。部屋は前回通りだが、同室の人が笠原さんにチェンジした。三上さんが、煙草が喫えないとつらいと言うので。最初のように、喫煙者非喫煙者で部屋分けがされれば良かったのだけれど。
 昼食時に午後の予定を聞いた。バスで町まで出た後解散して、いよいよ待望の自由行動だ。ところが、単独では歩かないようにと注意があった。独りでなければ自由とはいえないじゃないか。……まあ、団体旅行ではそれも仕方ない。同席していた安間さんが映画に行きたいと言うので、僕はなんの気なく同行を申し出た。
 15時ホテル出発。バスを降りて解散後、最初のうちは数人のグループだった。それがやがて三人減り二人減り、残るは僕と安間さん、そして芝さんの三人だけ。ほかの人達はもういろいろ楽しんでいるのかと思うと、少々気があせる。せめて何か面白い物でも見付からないかと、映画館への道のりでまめに売店をのぞいてみた。
 お菓子も飲み物もみな輸入品でつまらないが、そんな中で袋いっぱいの手作り風揚げ菓子を見付けた。だが値段を聞くと500トゥグルクだという。手持ちがないので1ドルと100トゥグルクを払った。これで500トゥグルクに相当するはず。店の人もうなずきはしたものの、やはり常識はずれだっただろうか。しかしもう映画代くらいしか残っていない。安間さんも同じく。芝さんがマズシイ僕らに、パイのような焼き菓子をごちそうしてくれた。揚げ菓子の方は、映画を見ながら食べるとしよう。
 映画館はチケット売り場と入り口とが離れていると、おととい映画を見た浅野さんから聞いていた。それなら売り場はここだろうと、見当をつけて入った所がやたらに暗い。それでも目が慣れると窓口のあるのが分かり、ちゃんとチケットを売っていた。
 ほっとしていると、そこで芝さんは行ってしまった。てっきり一緒に映画を見るものと思っていたが、買い物へ行くという。でも一人で? まあ、デパートでほかの人と合流するつもりだろう。
 とにかく僕らは映画だ。まずチケットを買い、そして入り口と思われる建物右側の扉へ行ってみた。ところが鍵が掛かっている。誰か出るたび中から女の人が扉を開けるが、決して入れてはくれない。ここは出口なのかと不安になってきた頃、ようやく扉が開かれた。女の人は、チケットに荒っぽく破れ目を入れ突っ返す。ミシン目も半券も付いていなければ、そうするしかないだろうが。
 館内は、急な傾斜に木製の硬い折りたたみイスが並んでいる。床はゴミだらけで、スイカの皮まで転がっている。昨日の検問では環境保護税なるものを課す事に妙に感心させられたが、個人個人の意識としてはまだまだこの程度らしい。あとおかしかったのが、ある人がキュウリを数本抱えて来ていた事。映画を見ながらポリポリかじる気だろうか。まあ、僕もお菓子を持ち込んでるからあまり言えないが。
 ブザーも鳴らないまま照明が消え、唐突に映画は始まった。モンゴル映画でなく、洋画だったのは残念。内容は、かなりハードなアクション物だ。子ども達がかなり入場していたのが、他人事ながら気にかかる。バイオレンスシーンやベッドシーンのたびに、僕はうろたえメガネをかけたりはずしたり。日本人的な小心さが、われながらいやになる。
 もう一つ、館内が禁煙でないのも問題だと思った。映写機からスクリーンまで、光の帯が伸びるのがはっきり見える。これもまた、日本的な堅苦しい考えだろうか。
 モンゴル語の吹き替えは、分からないながらもそれなりに楽しめた。吹き替えの声は一人だけのもので、女優がしゃべっても聞こえるのは男性の声。激しい叫び声でも淡々と語るのがまた妙におかしい。
 なかなか愉快だが、もう集合時間だ。主人公達が敵に囲まれ危機一髪、これからという時に出なければならないとは。出がけに背中越しに銃声を聞いたが、その後どうなっただろう。
 物足りない思いをした一方で、幸運もあった。安間さんが突然叫んで指差したその先には、なんとモンゴルタイムスの広告の書かれた路線バスが! 慌てて写真に撮った。この広告バス、市内にまだ二台しかないそうだ。続いてもう一枚、今度は僕も一緒にと安間さんに頼んだが、そこでバスは走り出してしまった。残念。僕を二枚目に写すにはやはり無理があったか……。
 もう時間のはずだが、集合場所にバスはいない。安心して、ジュースを買いに店に寄った。トゥグルクが残っていないので、再びドル払い。ただしチョコレートを50セントのおつりに代えるなど、店の方もなかなか要領良くやっている。
 缶を開けジュースを飲みかけたところで、またもや安間さんが叫んだ。バスは道の向かい側に停まっていると。慌てて僕らは駆け出し、なんとか置き去りにされずにすんだ。けれど缶ジュースを振り回したせいで手はベトベト。ホテルに着くまでさんざんハエにたかられた。
 19時ホテル到着。すぐにシャワーを浴びようとしたが、あまかった。お湯がまったく出ない。そしてそれが新たな失敗のもとに。コックを閉め忘れたまま夕食に出てしまい、笠原さんに注意されてしまった。部屋へ戻るとお湯がほとばしり出ていたとか。
 一つ一つ注意をしていくつもりでいても、僕は新しい失敗を次から次へとしてしまうから、結局はきりがない。まあそれにしても、モンゴルでの失敗としてはこれが最後になるだろう。今夜がモンゴル最後の夜なのだから。
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