子ども時代へ − モンゴルに見た輝き 4 −


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     1 大陸列車 モンゴルへ

 ぼくは今、モンゴルへ向けて旅をしているところだ。モンゴルという国は、左の地図のほら、ギョウザみたいな形の国。南の中国と北のロシアにはさまれてきゅうくつそうだけど、それでも日本の4倍の広さがあるよ。けれどそこに住む人は、230万人と兵庫県の半分もいないんだ。だからたとえば、人間をみな空にすい上げて、まんべんなくばらまくとするね。すると日本では、泉台の中に239人も落ちてくるけど、モンゴルでなら、同じ広さに落ちるのはたったの1人。それだけガラあきの国なんだ。
 さて、ぼくの今いる場所は真ん中の赤いポイント、中国の首都北京
ペキン。さっき着いたばかりだ。もちろん落ちてきたわけじゃないよ。飛行機に乗って、青のコースでここまで来たわけ。そうそう、今年もまた、夏は飛行機事故から始まったね。93年は花巻、94年は名古屋と、モンゴルへ行く前はいつもこうだよ。去年は事故はなかったけれど、函館のハイジャックが、出発のなんと前日。
 だから今年は、飛行機には半分だけ乗って、あとは列車で行こうと思ってる。今日関西空港線を走った事で、ぼくはJR全線2万キロを、すべて走った事になるんだ。だからこれからは、いよいよ外国路線にチャレンジ! 明日は列車で黄色のコースを走るよ。めざす左上のポイントは、モンゴルの首都ウランバートル。
 ところで、まだ自己紹介もしていなかったね。ぼくは広川慎一。フリーライター気取りでいるけど、じつはたんなるフリーター。書いても書いても、だれも読んでくれなくてさあ。でも今回校長先生にお願いして、きみたちに向けてモンゴルを紹介させてもらう事になったんだ。きみたちがこのレポートを楽しみに読んでくれたら、ぼくはほんとにうれしいよ。それじゃ、今夜はもうおそいから、つづきはまたあした。

 さて一夜明けて、ぼくは今モンゴルへ向かう列車の一室におちつき、朝ごはんに駅弁をたいらげたところだ。きのう関西空港駅で買っておいた駅弁を。ぼくが鉄道を好きなのは、旅の中で食べる駅弁がおいしいって事が理由なんだ。中国の列車で食べる日本のすしは、なかなかおいしかったよ。ただ、突然そうじに入って来た車掌さんはあきれてたけど。でもそれはおたがいさま。ぼくのほうだってあきれてたんだから。出発してからそうじを始めるなよ。
 そうしているうちに、あたりはもう田んぼや畑が広がるばかりだ。さわがしい北京の町は後ろに遠ざかり、ぼくもようやくゆったり気分だよ。
 出発前、北京駅ではほんと大変だったんだから。人ごみの中で長い時間待たされて、やっと改札が始まったと思ったら、目の前に立ちはだかるのは巨大なはかり。係員は荷物の重さをチェックして、重量オーバーだ金はらえ、とこうだ。そしてキップも取り上げられた。そんな話聞いてないぞ。しかもわずか47キロに対して、2500元もの大金を請求するなんて。ぼくは駅弁買うくらいあればいいやと思って、300元しか持ってないというのに。
 さてこまった。時間は過ぎる。ほかの客は進む。考えたすえに、ドルで受け取ってもらおうと交渉したよ。といっても言葉は通じないから、手帳に書いてみせながら。ドルではらうとすればいくら? 係官は40USと書いてみせる。しかたない。ぼくはサイフを取り出した。しかし、係官はさっきの40を消して、あとから100と書き直しやがる。アタマにきたけど、キップをにぎられてるんじゃどうにもならないよなあ。すなおにはらって、発車15分前にようやく列車に乗り込んだよ。
 北京出発は7時40分。列車の旅の始まる瞬間って、ほんといつだってドキドキもんだよな。発車のベルが鳴りやんで、そしてゴトンと最初の振動。ぼくはジュースを持った片手を挙げて、窓のガラスに軽くカンパイしたよ。
 でもさっきの荷物のお金がまだ気になって、ちょっと計算してみたんだ。そしたらおどろき、2500元ってじつは300ドル以上になるんだ。なんか少しはトクした気分で、もう一度カンパイ!

 いつの間にか、外にはけわしい山がそびえてる。登り坂になって、列車のスピードも落ちてきた。それもいいね、ゆっくり景色が見られるから。
 有名な、万里の長城が見えてきたよ。最初の地図に、茶色い点線で描いたのが万里の長城。むかしの人は、よくこんなバカ長い物を作ったもんだよね。
 大むかしから、中国の人は南で畑をたがやし、そしてモンゴルの人は北でヒツジを追っていたんだ。ずっと同じ場所で暮らす中国の人は、ウマで気ままにかけ回るモンゴルの人が、こっちまでどんどん来るんじゃないかと思って、不安だったんだろうね。だから自分たちの土地を守るために、こんなに長い長いへいを作ったわけさ。
 万里の長城の位置は、そのころの中国とモンゴルのパワーを、そのままあらわしていると言えるよ。だって中国が強けりゃへいはもっと北にできてたし、ぎゃくにモンゴルが強けりゃへいは南にできてたはずだから。
 長城が作られたあとも、ある時代には中国の土地全部がモンゴルになったり、またある時代にはモンゴルの土地全部が中国になったりもしたんだよ。そして今はどうかというと、中国とモンゴルのさかい目は、長城よりもずうっと北だ。

 ふう、もう満腹だあ。食堂車でお昼を食べてきたんだ。ほんとは駅弁でも買いたいんだけど、この列車は特急だから、めったに駅に止まらなくて。
 ここでこの列車について紹介しよう。ぼくが今乗っているのは、北京発ウランバートル行きの、第23次特快という列車。日本語で言えば、特急23号かな。客車は、硬座、軟座、硬臥、軟臥、の4種類。かたいいす、やわらかいいす、かたいベッド、やわらかいベッド、って意味で、普通車、グリーン車、B寝台、A寝台と同じだね。ぼくが乗ったのは、ちょっと無理してA寝台。軟臥車7号7番だ。
 値段が高いだけあって、A寝台車の乗客はやっぱり少ないよ。欧米人の旅行者が数人いるだけ。だからぼくは2人部屋をひとりじめさ。うーん、リッチな気分だなあ。車掌さんはスチュワーデスのようにコーヒーをサービスしてくれるし。中国やモンゴルやロシアでは、車掌はふつう女性の仕事で、各車両に2人ずついるんだ。そして駅に着くたびに、ホームへ降りる階段を開いてくれる。この列車の車掌さんはモンゴル人で、それがまたうれしいよ。今まで英語や中国語ばかりでチンプンカンプンだったけど、モンゴル語なら少しはわかるからね。
 今、大同
タートンという大きなターミナル駅に止まったから降りてみたんだけど、駅弁は売ってなかった。ガッカリ。でもそのかわり、列車を外からよーく観察したよ。
 まず荷物車があり、1号から5号までが硬臥車、B寝台車だ。中は2段ベッドが向かい合う4人部屋になってたよ。その後ろには食堂車、そして0号のB寝台車。車体にはみなモンゴルのマークが付いているけど、この2両には中国のマークが付いている。そして6号から8号が軟臥車、2人部屋のA寝台車で、9号はまたB寝台車だ。ぜんぶ寝台車だったんだね。ウランバートルまで30時間もかかるんだから、あたりまえか。緑の車体に黄色いラインのこの列車を、グリーントレインと呼ぶ事にしよう。

 グリーントレイン23号は、さっきの大同駅で機関車を取りかえ、ハンマーでカンカンたたいて点検し、すっかり準備を整えてから、長い長い登り坂にいどむ。そして今、くずれかけた古い長城を横切った。ここから先はもう、内モンゴル自治区だ。今は中国の一部になっているけど、広がる風景はほら、まぎれもなくモンゴルそのものだよ。
 でも、道のりはまだ半分くらいかな。何しろ北京からウランバートルまで、1561キロもあるんだから。さあ、この道のりをそのまま日本にあてはめてみよう。北京を東京に重ねると、ウランバートルはなんと、北海道の北のはて、稚内に重なっちゃうんだ。だから今走っているところは、まだ岩手県あたりかな。そして次に止まる駅、国境の町二連
アルレンは、北京からのきょり842キロ。だいたい津軽海峡あたりになるね。すると海峡をわたって、北海道がモンゴルというわけか。

 列車はゴビ砂漠のまっただ中をつらぬいて進む。周囲は360度の地平線。その向こうに今、太陽がしずんでいった。20時16分。中国での一日の終わりだ。

 そして着いたのが、二連駅。国境の町、中国での最後の駅だ。わずか10分おくれと、ここまではわりと正確に走ってきたけど、この先はもうどうなるかわからないなあ。なにしろこれから大仕事があるからね。ここでの停車予定時間は、2時間40分。
 まずは中国を出るための手続きからだ。係官が大勢乗りこんできたよ。ホームでも出入り口すべてに見張りが立って、なんかキンチョウするなあ。
 でも、外出禁止令は突然解除された。さっそく降りると、その後ろで列車はすぐに走り去ってしまう。さあ、ホームに取り残されたぼくは、この先いったいどうなるだろう。なあんて、べつに心配ないよ。とにかく2時間ばかり時間をつぶそう。
 ニギヤカな駅だな、ここは。駅舎はカラフル電球ピカピカで、ほとんどクリスマスツリー状態。なぜか「おおスザンナ」の陽気なメロディーが聞こえてくるし。どうやらこの国は、ゴビ砂漠の真ん中にこんな大きな町を作った事がじまんらしくて、だからそれを見せびらかしたいんだよ。駅舎の上には、駅名よりも大きくこう書いてある。「中国バンザイ」って。
 ちょっと駅前まで買い物に出てみた。ここを行き来する列車の乗客は、ほとんどがモンゴルから中国へ買い出しに来る人達なんだよね。だから店の人は、ぼくの事もモンゴル人だと思って、モンゴル語で話しかけてくる。うれしいねえ。でもそれにつられてうっかりモンゴルのお金をはらおうとしたら、ことわられた。
 商売熱心な中国人にも感心するけど、さらに買い込むモンゴル人もまた見事だな。ここまで来ればもう、重量オーバーの心配もないからね。
 心配といえば、行ってしまった列車はどうなったと思う? だいじょうぶ、もうすぐもどって来るさ。台車の交換をすませたらね。
 中国とモンゴルとでは、レールのはばがちがうんだ。中国は1435ミリで、モンゴルは1524ミリ(ちなみに日本は1067ミリ)。だからそれに合った台車に取り替えるため、列車は車庫に入ったというわけ。聞いた話では、そんなにめんどうな作業じゃないらしいよ。客車をジャッキで持ち上げて台車をぬき、べつの台車を持ってきて、その上に客車を下ろせばいいんだって。
 ほら、列車が作業を終えてもどって来た。わかるかな、どちらのはばの台車でも通れるように、ここのレールは4本あるんだよ。
 23時30分、ようやく二連を出発した。そして国境を越えて……、モンゴル最初の駅は、ザミンウード。わずか10キロへだてただけなのに、着いたのは0時50分だ。べつにノロノロ運転のせいじゃないよ。中国とモンゴルとでは時差があるんだ。国境を越え、時差を越え、そしてついでに日付けまでも越えてしまったというわけ。
 さて、今度はモンゴルへ入るための手続きだ。深夜の真っ暗やみの中でいろいろと調べられるのは心細かったけど、思っていたほど大変じゃなかったな。ちょっと書類に記入して、パスポートを見せるだけの事。荷物のチェックもなかったしね。ただ列車の方は床下から天井裏まで調べられたから、時間はやっぱり長くかかったなあ。ぜんぶ終わった時にはもう2時すぎだ。つかれたから、これでひとねむりさせてもらうよ。

 いやあ、モンゴルの始まりの朝に、すっかりねぼうしてしまったよ。起きたらもう8時だ。でも朝ごはんを食べに食堂車に行ったら、ほかの乗客はもっとねぼうだった。ぼくが食べ終わるまで、だれも来ないんだから。乗務員のほうが先に食べてるよ。
 メニューは今朝からモンゴル料理。食堂車はきのうの国境で、中国の車両からモンゴルの車両にチェンジしたからね。ついでにその後ろの0号車もチェンジしていたよ。なるほど、あれは乗務員用だったのか。乗客よりも新しいきれいな車両ってのはしゃくだなあ。
 外はあい変わらずの、360度ゴビの地平線だ。家畜が入らないようにと、線路ぞいにさくがずうっとあるのが、中国側とのちがいかな。なにしろモンゴルは遊牧の本場だからね。
 そうそう、中国では自動車は右側通行なのに列車は左側通行で、不思議に思ったんだ。それならモンゴルはどうだろうと考えていたんだけど、線路はすれちがいなしの単線だった。つまんないの。ちなみに、自動車はモンゴルも右側通行だよ。
 チョイルという駅に止まった。少し時間があるから、降りて機関車の写真をとりに行ったんだ。すると一人のおっさんに、「写真をとってどうする気だ!」とどなられた。言葉がわからないフリをしたらもうなにも言わなかったけど、まったくうるさいよなあ。今はそんな時代じゃないのに。
 以前この町の近くには、旧ソ連軍の基地があったらしいんだ。むかしモンゴルは、中国からはなれるためにソ連をたよった。それでもけっきょくは、新たにソ連がモンゴルの上にのさばる結果になったわけさ。もちろん今は一人で、じゃない一国で自由にやっているんだけど。なのにあのおっさんは、いまだに以前の決まりをふりかざそうとする。頭の古いやつっていうのは、どこにでもいるもんだな。
 地元の男の子から、80年代の記念コインを買ったよ。これに描かれているのも、ソ連とモンゴルの宇宙飛行士。銀色のほうはごく普通に使われていたお金で、当時はこれ1枚でバスに乗れた。でも今じゃなんにも買えないね。なにもかもすごい値上がりをして、今は板チョコ1つがこのコインの700枚分にもなるよ。自由になったら自由になったで、それもまた大変な事なんだ。
 さて、チョイル駅を出て、次はいよいよ終着駅、ウランバートルだ。といっても、まだ4時間半も先だけど。やはりモンゴルは広いねえ。草の緑が濃くなってきたほかは、あい変わらず360度の地平線。変化があったらまたレポートするけど、もうあとは着くまでなにもないかもね。

 あれから3時間半たった。それなりに変化はあったよ。草はさらに多くなり、ところどころに木も見えだした。放牧のウマやヒツジはあちこちにいるし、ゲルという遊牧民の丸い家もある。
 車内でもいろいろとあったよ。きのうのコーヒー、あれってサービスなのかと思ったら、車掌が今になってお金を取りに来た。そしてまたそうじが始まり、じゅうたんまで持ってっちゃったよ。到着予定の時間もかなりすぎたし、そろそろウランバートルに到着らしいや。
 モンゴルの首都、ウランバートルの意味は、その名も赤いヒーロー。なんだかウルトラマンみたいだな。ぼくはこれから、この町ですごす事になる。あまり長い日数はいられないけど、だからこそ、かぎられた時間内でせいいっぱいかつやくするよ。


     2 友達の中で 家族の中で

 ウランバートルにやって来てから、9日がすぎたよ。今日は7月9日。モンゴルではあさってからお祭りという、もうワクワク気分の時なんだ。南の山には、ソヨンボというこの国のマークが光っているよ。なんだか神戸の市章山みたいだね。
 列車でウランバートルに着いたあの日、駅に降りたぼくを、去年知り合った友達がむかえてくれた。新米女性記者のサラントヤ、その妹の中学生のマックサルジャルン、そしてぼくと同年代の兄貴バトエルデネの3人が。
 モンゴル人の名前って、長くてむずかしいね。だからぼくらはサラ、マーガ、バギー兄さんと呼び合ってるよ。なぜバギーに兄さんがくっつくかというと、ほかによく似た呼び名のバジーがいるからなんだな。弟のバトジャルガルが。それから姉さんのバトドルゴルもいるけれど、さてこちらはなんと呼ぶでしょう。バギー姉さん? いやいや、それもまたややこしくなるから、ただドルゴルと呼んでるよ。
 この5人の兄弟姉妹といっしょに、ぼくは今ウランバートルのアパートで暮らしているんだ。今回は、その暮らしについてレポートしよう。

 朝は8時ごろには目がさめるけど、起き出すのは9時近くになってから。毎朝アパートのすぐ外に、草原からしぼりたての牛乳を売りに来るんだ。それを買ってお湯をわかして、朝一番の仕事はまず、モンゴル名物の塩味ミルクティー、スーティツァイを作る事。
 それを飲んでから、サラとバギー兄さん、そしてバジーも仕事に出かける。バジーはまだ学生だけど、夏休みの間バイトをしてるんだ。彼は去年はまだ中学生そのもののふんい気だったけど、今年は急に大人びてしまったよ。背だってもうぼくより高いし、そのうち腕ずもうでも負けるだろうな。
 留守番メンバーのマーガにドルゴルそしてぼくは、それからゆっくり朝ごはん。パンにジャムをたっぷりつけて。そしてそのあとで、マーガかドルゴルが部屋のそうじを始める。けれどぼくもそうじを手伝おうとしたら、いつもことわられるんだ。これは男の仕事じゃないって。
 この国では、男の仕事と女の仕事とがはっきり分けられているらしいね。でもだからといって、男は外へつとめに出て、女は残って家事をする、とは決まってないよ。新聞記者をしているサラのように、多くの女性が外に仕事を持っている。ほら、列車の車掌が女性だったのもおぼえてるね。
 さて、ぼくも自分の仕事にかかろう。きみたちに送るレポートを書くためワープロに向かい……、と思ったら停電だ。しかたないから出かけるか。町を見て回るのも仕事のうちだ。町の様子のレポートも、またそのうちにね。
 買い物をしたり、昼は食堂で大好物のホーショールを食べたりして、最後は近所の図書館にちょっとより道。といっても本が目的じゃないんだ。館内の売店にいる、かわいい姉妹に会いたくてさあ。
 姉さんはリンチンスレン、14才。妹はソドノムバルジル、12才。ぼくはスレン、ソーコと呼んでいる。この二人と友達になったのも去年なんだけど、一年でやっぱり大きくなっちゃったな。とくにスレンは、もうつまらないよ。あまりぼくにかまってくれなくて。
 でもじょうだんぬきで、子どもと友達でいるというのはむずかしいものだよ。相手はどんどん大きくなってしまうし、その親はますますウルサクなるしで。二人とはこの前、あさってから始まるスポーツフェスティバルをいっしょに見に行く約束をしたんだ。でもなぜかそのあとなかなか会えなくて。今日もやっぱり、図書館にはおやじさんしかいなかったよ。
 なんだかきまりが悪いから、もう帰ろう。そうしたら、マーガも遊びに行っちゃって家にいない。帰ったと思ったら、こんどは友達と長電話。からかい半分に、ボーイフレンド? と聞いたら、ムキになって首をふったよ。でも、この子もやっぱり大きくなったな。背ものびたし、ピアスも付けて。そのうちに、気軽にほっぺにキスなんてできなくなるだろうなあ。
 だけどおととい、オンドルマーというしんせきの女の子が来た時は、いっしょになっておままごとなんてしていたけどね。知らないうちにぼくまで参加させられてたよ。部屋のすみでワープロに向かうぼくは、学校の先生だってさ。こういった遊びには、子どものふだんの生活がそのままあらわれるから、見ていて楽しいよ。いっしょにやるともっと楽しい。
 やがてサラとバト兄弟が帰って来たら、夕食だ。家にはクツのまま上がるんだけど、じゅうたんの上ではクツをぬぐ。そこでくつろぎながら、みんなで食事をするんだ。
 メニューはいろいろあるけれど、変わらないのは羊肉がメインという事。魚はまず食べないね。野菜で多いのはジャガイモにニンジンにタマネギ。トマトやキュウリもたまには食べる。それから、ごはんやめん類をよく食べてるよ。そうそう、ぼくの大好物のホーショールというのは、ひき肉を小麦粉の皮で包んで油であげたものだ。
 夕食が終わって、夜はゆっくり時間があるよ。夏の今は22時過ぎまで明るいし、だからつい夜ふかししてしまうんだ。子どもは早く寝なさい、なんて事は言わないな。こんな番組見てはいけません、なんて事もない。家族そろって同じテレビを見て同じ音楽を聞いて、そしてそのうちに、みんなで歌い出したりするよ。集まっておしゃべりしたり歌ったりするのが、とても好きな人達らしいね。
 テレビでは、モンゴル国内の番組ばかりじゃなく、ケーブルテレビで外国の番組もいっぱい見られるよ。おとなりの中国やロシアはもちろん、香港の衛星放送に、アメリカや、そしてインドの放送まである。
 でも今年なんといっても大人気なのは、「ОШИН」。むかし日本ではやったドラマ、「おしん」だよ。といってもきみたちは知らないだろうなあ。ぼくだって、おばさん連中がメソメソするようなドラマなんて見なかったけどさ。
 とにかく、モンゴルにかぎらずアジアのどの国の人々も、日本がどんなふうにして今のようになったのかって事に、とても関心があるらしいんだ。だから日本のドラマや映画は、たとえ中身がつまらなくても人気があるんだね。でもそのせいで、こないだは正座をして食事をするはめになったよ。
 23時をすぎた。そろそろ寝る時間だ。モンゴルではあせをちっともかかないから、いちいちシャワーをあびる気にもならないよ。もっとも、なかなかお湯が出ないからという理由もあるけれど……。
 こないだはお風呂にゆったりつかる夢を見て、むなしくなってしまった。けどその事をみんなに話したら、水の夢は金持ちになる前ぶれでラッキーなんだって。でもぼくのはお湯の夢なんだけど? まあどっちにしても、そんな迷信ぼくには関係ないさ。
 迷信といえば、こんなのもあるらしいよ。ハサミを開いたままにしておくと、家の中でケンカが起こるんだって。支点のバネがゆるまないよう、ぼくはいつもハサミを開いておくんだ。なのにいつの間にかだれかが閉じてしまうから、おかしくなるよ。
 でも、そういう事を今もすなおに信じるそぼくさが、モンゴル人のみりょくなのかもしれないけどね。ぼくもしばらく合理主義をやめてみるよ。それこそケンカにならないうちに。
 たしかに兄弟ゲンカは多いけど、でもむしろそれが仲の良い証拠じゃないのかな。だってすぐまたいっしょに笑っているもん。眠る時もいつもいっしょ。とにかくこの家は平和だな。だからなんの心配事もなく、安心してぐっすり眠れるよ。
 そうそう、前回のレポートに、ぼくはウランバートルに長くはいられないと書いたね。ビザというこの国にいるための許可が、長い期間取れなかったのが理由なんだ。でもひと安心、みんなの助けもあって、なんとかあと1か月間のばす事ができたよ。
 このビザについては、出発前から苦労したんだ。手続きを口先だけで引き受けて、けっきょく何もしない旅行社があったりしてね。でもそんなトラブルも、すべてかたづいた今となっては楽しかったと思えるよ。そしてまた、これから起こるかもしれないトラブルだって、きっとなんとかなると信じていれば、けっこう楽しみに待てるものだよ。だってほら、試練や困難があってこそ、物語はおもしろくなるものだろう。
 なあんて、こんなカッコつけたセリフをはくのには、ちょっとわけがあってね。ほんとうは、今のぼく自身がちょっとおちこんでるんだ。じつはさっき、例のスレンとソーコの姉妹に電話をかけたんだけど、明日とつぜんいなかへ行く事になったとかで、あさっての約束がだめになったんだ。ほんとうに、あの年頃の子どもと友達でいるのはむずかしい……。
 ぼくもぼくで、明日からちょっと遠くへ行く事にしたよ。おちこむぼくをなぐさめるつもりか、エルデネトという町へ行こうとサラがさそってくれたんだ。だから明日の朝このレポートを日本へ送ったら、ぼくはまた列車に乗るよ。まだ知らないレールを、さらに北へ北へ……。それじゃ、何が起こるかわからない明日を楽しみにして、おやすみ。


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