子ども時代へ − モンゴルに見た輝き 4 −


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     4 ウランバートルを歩こう

 エルデネトから帰って来たのは、日曜日の早朝だった。三日間続いたお祭りも終わって、町はいつになく静まりかえっていたよ。ただ夏の観光シーズン真っただ中だから、外国人は多いけどね。あ、そういやぼくもその一人なんだっけ。でもぼくは団体でバスに乗って大急ぎで見物するわけじゃないから、ほかの人よりもっといろいろと見えるはずだよ。さあ、今日もウランバートルを歩いてみよう。
 エルデネトのレポートでも書いた通り、モンゴルの町は近世ロシア風だ。建物はどれも大きくて重々しくて、装飾や彫刻も立派で。でも石造りではなくたいていレンガ造りのモルタル塗りで、しょせん見かけだおしって感じ。
 町のおもな建物が建てられたのは、今から50年前。意外に思うだろうけど、これらを建てたのは日本人なんだよ。
 戦争が終わったその当時、負けた日本軍の兵士は大勢ソ連軍につかまった。そしてその中から2万人もの人達が、ソ連の味方だったモンゴルに送られて、2年間無理やり働かされた。いくら町を作るために人手が必要だったとはいえ、やってはならない事だよね。食べ物も着る物もない中できつい作業をさせられて、大勢の人が死んだそうだよ。
 町から歩いて3時間半ほどの所にあるのが、ダンバダルジャー日本人墓地。いくつかある墓地の中でももっとも整備されてるはずだけど、囲いの中にただ小さな塚が並ぶだけだった。
 最初っからクライ話をしてごめん。でもこの町が作られたいきさつは、早いうちに説明しておこうと思ってね。町では今も、新しい建物がどんどん建てられてるよ。もちろんクレーンを使った近代的な方法で。それでも工事はやたらと遅いなあ。おと年来た時に作りかけてたビルが、去年来た時まだ作りかけだった。今年はもうできたかなと思っていたら、おいおいまだ作りかけかよ。25階建て120メートルという高層ビルの建設も来月から始まるけど、そんなビルほんとに完成するのかね。
 一方50年目の古い建物は、毎年のように改装工事をしているよ。といっても表面をけずって、色をぬり直すくらいだけどさ。劇場なんかはけっこうていねいにやってるけど、アパートでは適当にペイントを吹き付けるから、窓ガラスまで壁の色になっちゃったりして。
 まあそんな調子で、町の様子はどんどん変わってきてるな。古いものはどんどん古びて、新しいものはどんどん増えて。ぼくは初めてここへ来た4年前からの変化しか知らないけど、エルデネトを見て昔ながらのモンゴルの町を知って、ここ10年くらいの変化は分かったような気がするよ。
 まず変わったのは、なんといっても車の量だろう。道が広いから、渋滞するほどではないけれど。と思ったら、いきなりポリスの交通規制で、車はみんな止められた。その中をパトカーの先導で走りぬける、黒塗りの高級車。外国からの要人かな? それにしてもよく見るなあ。と思っていたら、あれってこの国の大統領なんだってさ。自分の国の中でなにをカッコつけてんだよ。大統領と警察が率先して道を混雑させるのは、やめてほしいね。
 最近タクシーも多くなったよ。でも道ばたで手を挙げれば、今も普通の車が止まってくれる。交通手段が少なかった頃からの、この国の伝統なんだ。もちろんお金ははらうし、行き先が合わなきゃ断られもするけど、このにわかタクシーも使いようによっては便利だね。彼らにとっても、いいこずかいかせぎになってるようだよ。ただ去年はまいったけどなあ。乗った車がいきなりガス欠で、乗客のぼくが車をスタンドまで後押ししたんだ。またボロい車にもご用心。登り坂で止まってしまい、途中で降ろされた事があったよ。
 やっぱりバスが安心かな。エルデネトほど待たされもしないし。去年は見かけなかった日本製のバスが、今年はいっぱい走っているよ。でもいつまできれいなままでいるだろう。運転室にはもう、写真がベタベタはってある。あれって運転手の趣味なのかなあ。車やバイクの写真とか、歌手や女優の写真とか。あと空手やカンフー映画のポスターも見るな。そんな中で一度目にしてびっくりしたのが、ちっちゃな男の子と女の子がキスをしている、少女趣味のかわいらしいポスター。運ちゃんはゴツいおっさんで、なんだかちょっぴりこわかったよう。
 郊外から来るバスなんて、もっとおもしろいよ。乗客がいろんな物を持ちこむから。牛乳の缶なんてのはあたりまえで、松ぼっくりの詰まった袋をかつぐ人もいる。さてこの松ぼっくりは、町でいったい何になるでしょう。答えは次のページ。それからさらには、ヒツジを連れた人までいるんだ。ヒツジはその後、アパートの一室へと引きずり込まれて……。
 表通りを歩くより、ぼくはアパート裏をよく歩く。道ぞいに直角に歩くより、裏通りをななめに横切るほうが近いからね。もうずいぶん近道をおぼえたよ。そして、おもしろい物もいろいろ見付けたよ。
 アパートの1階や地下には、かくれた小さな店がけっこうあるんだ。食料品店が多いけど、水道用品とかオモチャの店とか、中には金銀細工の店なんかもあったりして。食堂や散髪屋もあるよ。おもしろいのは、日本なら店の名前の看板を出すけれど、モンゴルではただ「店」「食堂」としか書かないところがほとんどだ。
 あとは質屋とか、修理店も多いな。クツ修理の店に、時計修理の店に、電化製品修理の店。そうそう、去年もある店の前に修理の表示を見かけたんだ。ここは何の修理店だろうと思い入ってみると、店内修理中で追い出された。
 さてまた表通りへ出てみるか。ここでだって、日本では見られないおもしろい物が売られているよ。
 新聞が小さな机に並べられ、本や地図も簡単な棚に立てかけてある。ほとんどの新聞は週刊で種類が多く、雑誌のような感覚かな。去年は見かけなかった、「黒い手」とか「恐怖の666」なんてタイトルのオカルト新聞まで現れたよ。本では教科書をよく見るな。モンゴルの学校は9月から新学年なんだけど、教科書も自分達で買いそろえなきゃならないらしい。
 アイスクリーム売りがとても多くなったな。以前は半分とけかかったのを木の箱に入れて売り歩いてたけど、去年あたりからは、小さな冷蔵庫を持ち出して一定の場所で売ってるよ。チョコにイチゴと種類も増えた。ただしどれも、工場で作ったものばかりだな。でも2か所だけ、その場でソフトクリームを作ってる店を、ぼくは去年見付けたんだ。これがもう最高にウマイ。裏通りに面したビルの窓やアパートの一室で売ってるから、観光客はまず気付かないだろうなあ。フフッ、ナイショの味はますますウマイぜ。
 ほかに食べ物関係といえば、ホーショールやサマルを売っている。さて、このサマルというのはなんでしょう。答えは前のページ。なんてふざけてないで説明すると、じつは松ぼっくりの中に入ってる松の実の事なんだ。赤茶色のかたいカラの小さな実で、コップで計って売ってるよ。それをポケットに入れて、歩きながらポリポリかじるんだ。日本でも中華料理の材料として売っているけど、白い中身だけでカラ付きのは見た事ないな。あれは前歯でカラを割りながら食べるのがウマイんだけど。秋近くになると、松ぼっくりごと売っていたりもするよ。松ぼっくりからほじくり出しながら食べるのも、またウマイんだよなあ。
 ビンのジュースもよく売ってる。冷えてないけど、ここではとてものどがかわくから、それでもけっこうウマイ。それにスゴイ技が見られるのが楽しくて。なぜかだれもセン抜きを持ってなくて、鉄さくの角で器用にセンを抜いたり、中には奥歯でセンを抜くのもいる。日本だったらテレビに出られるぞ。
 ジュースはたまに自動販売機もあるよ。ただし必ず人が付いている。その人はお金を受け取ると、お客に代わってボタンを押すんだ。どうしてわざわざそんな事をするかというと、その機械はむかしのコインしか使えないからなんだ。今はジュースをコップ一杯飲むのにも、機械ではあつかえないような金額のお札を、何枚もはらわないといけないんだよ。
 モンゴルでは今も、お金のねうちがどんどん下がってる。93年は360トゥグルクで1ドルだったのが、94年は400トゥグルク、95年は460トゥグルク、そして今年は560トゥグルクでやっと1ドルだ。だから物の値段もみな上がっていくよ。こうしてきみたちにレポートを送る郵便代だって、かなりの値段になるんだ。93年は3トゥグルク、94年は21トゥグルク、95年は66トゥグルクだったのが、今年はなんと、264トゥグルク! ……ああ、またもサイフが軽くなる。気は重い。
 おっと、なぜか中央郵便局の中にまで物売りがいたよ。手に持った包みを開いて、「私の描いた絵いかがですか」だって。エアメイルを出しに来る外国人をここで待ちかまえてるなんて、考えたものだねえ。
 この中央郵便局の面した十字路あたりが、この町の中心といえるかな。スフバートル広場という中央広場もすぐ向かいだよ。ここから北へ行けば政府庁舎や博物館があり、南へ行けば国際展示場や遊園地があり、東には大きなホテル、西にはデパートがある。
 モンゴルといえばまず思いうかぶのは草原で、都会の様子なんてピンとこないかもしれないね。モンゴルにだって、ホテルもあればレストランもあるよ。映画館も舞台劇場も、オペラホールだってある。スポーツ会館にスタジアムもあるし、大学や総合病院も建っている。さすがに首都だけあって、役所や各国の大使館もそろっているよ。
 でもこれだけの大都会ともなると、やっぱり住みにくくなってくるものなんだ。そんなつらい部分も、ちょっと書かせてもらおうか。
 アルド映画館というのが近所にあるんだけど、こないだその映画館前の広場で、血だまりを見てしまった。事件は夜だったらしくそれはもう乾いていたけど、道ぞいに点々と続く血のあともはっきり残っていた。ケンカのあげく、ナイフで刺されたんだろう。ここは町でももっとも危険な場所で、夜にはまともな人はだれも近付かない。新聞記者のサラは一度取材に来た事があるそうだけど、その時も警官に守られながらだったとか。
 モンゴルだって、のどかで平和なばかりじゃないんだ。とくにここ数年はね。旧ソ連の下で生きていたころには、自由はなかった分それなりに落ち着いていたものだけど、今は何もかも自由になったのをカン違いして、好き勝手にふるまう連中も出てきたから。さらによその国からいろんな物が入って来るようになって、新しい事をやりたがる連中も多くなったし。最近、映画館内には待ち時間のためにゲーム機が置かれるようになったよ。若者達が熱中するのは「ストリートファイター2」。あちこちに見かけるスプレーの落書きにも、英語が目立ってふえてきた。
 さあ、そろそろ帰ろうか。また裏通りをぬけて。近道するのはぼくばかりじゃなく、大勢の人が通りぬけをやっている。一見行き止まりのように見えても、意外と通りぬけられるものだよ。だいたい、人がいつも通るルートはひと目で分かるんだ。例のサマルのカラが散らばってるからね。紙くずやビンのかけらも道しるべになるな。
 モンゴル人の悪口はあまり書きたくないけど、これだけは困った事だよ。ゴミはどこにでも捨てていいものと思ってるらしく、アパートの窓からペットボトルが落ちてくる事もある。リサイクルなんて考えもしなくて、ガラスビンもそこらに投げて割る。それに、まるで趣味みたいにしょっちゅうツバをはいてるよ。公共の本をめくるのにも指をなめるし、お札を数える時なんか、直接ツバを吹きかけもする。モンゴルのお金のニオイを伝えられないのは残念だなあ。
 環境をきれいに保とうとか、公共物を大切にあつかおうとか、そういう意識は今のところまだ育っていないようだね。他人の事や将来の事なんて自分には関係ないと、意外とそんな小さい考えを持ってるのかな。そういえば身内にはとても親切だけど、他人にはやたら冷たいしなあ。たとえばこないだビザの延長をたのんだ時だって、ふつうにたのむだけじゃどうにもならなくて、しまいには外務省の人と旅行社の人からそれぞれ100ドルずつワイロを要求された。ああ、なんとシビアな世界よ。
 ところでアパート裏は、たいていどこも遊び場になっているんだ。すべり台に鉄棒にブランコと、遊具は日本とあまり変わらないね。ただ、ブランコはくさりじゃなくて二本の鉄の棒だ。
 男の子達はバスケットに熱中してる。女の子達はおままごとや地面にお絵かきとかしてる。ちなみに大人達の遊びといえば将棋やドミノがあるけれど、今一番はやっているのはビリヤードだ。なぜかこれも外でやってる。雨の時なんてどうするんだろうね。
 夏のモンゴルには夕立も多いんだ。雲ゆきを見ながらぼくは早めに帰宅する。でも激しい雨の中、外を見れば人々はカサもささずにゆうぜんと歩いているよ。うーん、やっぱりモンゴル人は、ある意味では大物かもしれないな。間近に落雷があってもおびえもせずに、口笛を吹いてはやすなんて。でもぼくだって窓辺ではしゃいでるんだけど。球電という、火の玉が飛び回る現象を目撃したよ。モンゴルの雷ってほんとにすごいんだ。そして、その過ぎ去った後にかかる虹もまた。

 今日は国会議員のメンバーチェンジがあって、にぎやかな一日だったよ。じつはぼくがモンゴルに着いたあの日は、国家大会議総選挙の投票日だったんだ。全国76の選挙区で、8団体から305人が立候補。立候補者内訳は、男性279人、女性26人、政党所属267人、個人38人。有権者は約122万7千人。どうだくわしいだろう。じつは出発前にラジオウランバートルの日本語放送をチェックしてたんだ。なのに現地じゃなぜかこの放送が聞こえなくて、だからぼくは選挙結果も知らないままだよ。モンゴルのテレビやラジオを理解できるほど、ぼくはモンゴル語がわかるわけじゃないからね。
 しかたないから、わかる事だけレポートしよう。今度は町はずれの事を書こうか。
 町はずれには、ザハという青空市場がある。ここではどんな物でも見付かるとかで、市場の開かれる曜日には、たくさんのバスがたくさんの人を乗せてザハへ向かうよ。とくに日曜日はものすごい混雑。町の人口が一時的に少なくなる、とまで言われるくらいだ。
 バスは郊外の一戸建ての密集地を走りぬける。こういう地区のある事は、エルデネトでも紹介したね。板張りの見るからにみすぼらしい家がひしめいてるけど、でもだからといって、ここに住む人達がみなみじめな暮らしをしているとはかぎらないよ。こないだ遊びに来たオンドルマーの家もその一つだけれど、中に入れば大型テレビにビデオデッキにステレオコンポまであるんだから。ただ水道がない事だけが、ちょっと不便だけれど。水は少しずつ大切に使わなきゃ。
 そうそう、去年オンドルマーの父さんは、自分の手ですぐとなりに新しい家を建てていた。今年は完成したばかりのその家に引っ越していたよ。
 さあ、ザハはもうすぐそこだ。だけど着く前にバスから降ろされるのがあたりまえ。あんまり混んでいるから、それ以上進めないんだ。
 うーん、見渡せばたしかにすごい人の量だ。日本人ならこれくらいでたじろぎゃしないけど、人の波が色とりどりの原色なのには目を見張るよ。これには新年の初もうで客もかなわない。
 ところで売り物の品ぞろえはというと、なんだ、衣類に雑貨に加工食品と、町でも買えるような物ばかりじゃないか。でも人波をかき分けかき分け探してみれば、たしかに市場ならではの珍品も見付かるよ。何だか分からない中古の機械とか、電気部品とか。ペンキも売ってる。あれカラッポもあるぞと思ったら、その空きビンが売り物だったりして。板ガラスの切り売りもあるよ。
 そしてもっとも見ごたえがあるのは、ずらりと並べられたウマのくら。完成品ではなくて、かざり金具や革ヒモやあぶみは別売りだ。自分の好みで買いそろえていくんだろうね。
 変わった商品といえば、イヌも売ってる。その場所にはたくさんのイヌがつながれていて、にぎやかだよ。町では飼い犬をよく見るけど、これだけ売り犬がいるならそれも納得。でも町はほとんどの家がアパートだろう。だからどんな大きなイヌでも部屋の中で飼っていて、散歩の時だけ外に出てるよ。困った事に、オシッコなんかは階段ですませるからくさくって。
 あるコーナーでは、おおっぴらにバクチをやってるよ。セッケン箱みたいな物にサイコロを入れ、それを勢いよくふるカラカラという音が、あちこちから響いてくる。なんかおもしろそうだけど、ちょっと近寄りにくいなあ。ぼくはボールを三回シュートするミニバスケットとか、空気銃の射的をやってみたよ。これならゲーム感覚で楽しめるよね。ダーツも今年は人気があるな。
 お昼になれば、食事コーナーで腹ごしらえだ。メニューは町でもおなじみのホーショールがメインだけど、サラダなんかも食べられる。ちょっと高いけど、スチロール容器に詰めた簡単な弁当もあるよ。さらには大がかりにホールホグまで作ってたりして。大きな牛乳缶に肉を入れてフタをして、ガスバーナーで外から焼いて調理するんだ。こんなダイナミックな料理、見てるだけでも楽しいね。
 食べたら今度はトイレに行きたい。一応トイレはあるけど、利用するには少しのお金と、そしてかなりのかくごが必要だよ。仕切りがない。ドアがない。順番を待っていると、しゃがんだ先客と目が合ってしまった……。
 歩き回るのもちょっとつかれてきた。でも、売り声を上げながら歩き回る人達は元気だなあ。食べ物や飲み物、それにタバコなんかを、こうして売り歩く人がいるんだ。店番をする人が買うようだね。
 でもそれだけじゃなくて、決まった店をもたない人も、商品を手に持って立ち売りしているよ。時計用の電池とか、帽子とか、洋服くらいならまだいいけれど、もっと大きな商品となると立ち売りも大変だ。革のコートを重ねて着込み、たくさんのブーツをぶら下げた人達がたむろするコーナーがあって、そこは何やら異様に暑苦しいよ。中には両手にまでブーツをはく人もいたりして。もちろん、よつんばいになったりはしないけど。
 こういう立ち売りの人が多いからだろうね。ぼくが買った物を手にしたままちょっとでも立ち止まると、すぐにそれはいくらだと声をかけられるんだ。ここでは売り手も買い手もはっきり分かれてないんだな。人ごみの流れにかき回されて、ぼくも自分が買い物に来たんだか物売りに来たんだかわからなくなってきたよ。
 並んだトラックの荷台から野菜を売っていたりもするけど、食品ザハは別の場所にちゃんとあるんだ。次はそっちへ行ってみよう。
 まず手前には野菜。そして奥へ行くと肉が並んでいる。顔を近付けよく見ると、ヤギの頭やヒツジの頭、そして内臓まである。どれも新鮮な、血のしたたる物ばかりだ。うわあ、スプラッターはぼくは苦手なんだ。外に出よう。すると外に並んでいるのはさらに新鮮な……、生きてるヒツジ達。このヒツジ達はやがて買われてバスに乗せられ……。
 あとで気付いたんだけど、カバンをナイフで切られていた。中にはたいした物を入れてなかったからぶじだったけど。ビンボー人が相手で、スリもガッカリしたろうな。
 でもほんと油断していたよ。ここはぶっそうだから地元の人もとても用心していて、たとえばリュックをおなかにしょってるんだから。おいおいきみらはラッコかよ。
 そういうえば去年なんて、もっとヒドイ目にあったっけ。ついでだからその話もしよう。
 路線バスの車内で、ぼくはサイフとパスポートと手帳をいっぺんにぬすまれてしまった。ぬすんだ物をこのザハで売りさばくやつもいるという、そんなうわさを聞いたぼくは、大切なデータの入った電子手帳だけでも取り戻せないかと思い、すぐにザハに来てみたんだ。
 ぼくは電機製品を売る場所や、立ち売りをする者達の手元を見ながら歩き回った。するとそのすさまじい人ごみの中から、突然ぼくの名前をさけぶ人がいる。しかもフルネームでだ。シンイチという名前はともかく、ヒロカワという名字まで知るモンゴル人なんて、そんなにいないはずだけど。不思議に思ってぼくを呼び止めた人をよく見たけど、見知らぬおばさんだった。
 事情を聞くと、そのおばさんの子が捨てられていたぼくのパスポートを偶然見付け、拾って帰ったらしいんだ。その人はパスポートの顔写真や名前を見て、ぼくの事を記憶していたんだね。親切心もうれしかったし、それにすさまじい人ごみの中からぼくに気付いてくれるなんて、ほんとモンゴルの人ってすごいよ。うん、モンゴルはまだまだ、おだやかでやさしくて住みやすい。
 けっきょく電子手帳は行方不明のままだけど、でもパスポートだけは、こうして手元にもどって来たというわけさ。ほらね、ザハへ行けば何でも見付かるというのは本当だろう?


     5 夏の味は草原への想い

 最近マーガともあんまり遊べなくなって、つまらないよ。マーガは赤ずきんちゃんばかりやってるから。つまりおばあさんの家へおつかいに行ってるという意味さ。ほら、中学生までバスは無料と前に書いたね。そんなわけで、自然とそれはマーガの役目になるんだ。
 おばあさんが住んでいるのは、町からバスで20分ほどの所にある、ズーンモド・ゾスラン。ゾスランとは遊牧民の言葉で、夏に家畜を放牧する場所の事。でも町の人が夏の間に暮らす地区の事も、同じようにゾスランと呼ぶんだ。そしてズーンモドというのは、百の木という意味の地名。東の山すその木立が、ちょうど100本あるんだって。近くには泉がわき出していて、そこにはひときわ大きな4本の木が立っている。でもそれを加えれば、104本の木になるんじゃないの?
 おばあさんは、ふだんはオンドルマーの家でいっしょに暮らしている。けれど夏になるとウシを連れてこのズーンモドの小屋に移り、乳をしぼり乳製品を作りながら暮らすわけ。一人で町を離れるのはちょっぴりさみしい気もするけど、夏に郊外の草原で暮らすのは、町の人々にとってはあこがれなんだよ。それにバーサンフーというちっちゃなひまごがいっしょだから、けっこうにぎやかだし。
 このバーサンフー、愛称バスカは女の子なのに男の子の名前を持つ不思議な子で、実際ほんとに不思議なんだ。去年のある日、ぼくが突然ズーンモドへ行くのを予知していて、前もっておばあさんに知らせていた事がある。小さな子ってほんとにすごいよね。
 草原にあこがれるのはぼくもまた同じで、去年からたびたびズーンモドへと出かけているよ。町では食べられない、おいしい乳製品も楽しみでね。
 おばあさんはまずスーテイツァイをいれてくれる。これはモンゴル独特の塩味のミルクティーで、どこの家庭でも、もちろん町の人も飲んでるよ。カチカチに固めたお茶の葉のブロックを買ってきて、ハンマーでくだきナイフでほぐして使うんだ。モンゴルでは、やる事がいちいちダイナミックだよなあ。そして塩味をつけて、ミルクをびっくりするくらいたくさん入れて。これはぼくも大好物で、毎日飲んでもあきないよ。
 それからウルム、タラグといった乳製品を出してくれる。どれもおばあさんの手作りで、ほんとにおいしいんだ。ウルムはミルクの上に浮くクリームの皮の事。黄色くてしっとりトロッとしていて、スプーンでパンにぬって食べるんだ。タラグは日本でも売ってるプレーンヨーグルトにそっくりで、慣れない人でもすぐ食べられるんじゃないかな。
 あとはハイルマクという、ウルムから作る料理もあったな。モンゴルではめったに食べない馬肉をごちそうになったり、食堂のものとはひと味ちがう自家製のホーショールを作ってもらったり、そして去年のおばあさんの誕生日にはしんせき一同集まって、あのダイナミックな料理のホールホグを作ったよ。これは料理の後がまた楽しいんだ。肉といっしょに詰めていた焼け石を取り出すと、まだかなり熱いのにだれもがそれをにぎろうとする。べつにガマンくらべってわけじゃないよ。それをにぎる事ができれば、その先病気をせずにすむんだってさ。おいおい、病気にならないかわりに、やけどをしても知らないぞ。

 食べ物の事ばかり書きならべてないで、ここでの生活の様子をレポートしなくちゃね。水は東の泉までくみに行かなくちゃならないけど、電気は町から通じている。でも調理にはたいていストーブの火を使うな。燃料はアルガルといって、ウシのフンを乾かした物。きたないと思う? でも完全に乾くとカサカサでにおいもなくて、ちっともきたない感じはしないよ。それにとてもよく燃えるんだ。そこらにいくらでも落ちてるっていうのも助かるね。たきつけには、ハルツァースという厚紙にタールをぬった物を使う。シラカバの皮を使う事もあるよ。
 食事を終えて日が暮れる頃、子ウシのもとへと帰ってくる母ウシをつかまえて、夕方の乳しぼりだ。まず子ウシにちょっと乳を飲ませてから、乳の出がよくなったのをみはからって乳しぼりを始める。おばあさんはもちろんだけど、マーガもとてもじょうずだよ。さすが、いつもやってるだけの事はあるなあ。仕事にかかる前に着替えたほつれだらけのセーターの理由をたずねたら、ウシがしょっちゅう服をくわえて引っぱるからだって。
 おばあさんはしぼったばかりのミルクを火にかけ、すぐに乳製品作りにかかる。モンゴルではミルクをそのまま飲む事はなくて、お茶に入れるための分を残すほかは、みな乳製品に加工してしまうんだ。ほら、ミルクはほっとくとすぐに悪くなるだろう。だから長持ちする食べ物に作り変えなきゃならないんだよ。もっとも、ここには電気も来ているから、遊牧民の家庭とは条件がちがうけどね。おばあさんが作るウルムとタラグは、いつも冷蔵庫に入れてあるよ。つまり、もっと長持ちする種類の乳製品を、さらに手間をかけてまで作る必要はないわけさ。
 洗面機のような容器に入れて火にかけられたミルクには、やがてうすいまくが張る。ミルクをわかした時におなじみの、タンパク質のまくだね。やがて周囲からあわが立つくらいになると、おばあさんはなべを火からおろす。それをそのまま静かに置いておくと、次の朝にはミルクの中の脂肪分が表面に黄色い皮となって固まり、これでウルムのできあがり、となるらしい。
 らしい、と書いたのは、朝これを見ようとして早起きしたら、まだ寝ていろとおばあさんに怒られたためなんだ。女が支度をしてる時間に起き出すなんて、男のする事じゃないって意味かなあ。言われるまま再びフトンにもぐりこみ、だからぼくは朝の乳しぼりさえ見のがしてしまったよ。タラグを作るところだけは、かろうじて見られたけどね。
 上に固まったウルムの皮を取ると、下にはもちろんまだミルクが残ってる。でも脂肪分がぬけてしまってるから、スキムミルクみたいなものだね。これがタラグの材料になるんだ。ぼくが起き出した時おばあさんは、このスキムミルクを火にかけてひしゃくでかき回していた。火はウルムを作る時よりちょっと弱めかな。そしてわかしすぎないように、ひしゃくですくってはそそぐという事をくり返すんだ。するとそのうちに、ミルクの表面は細かいあわでいっぱいになる。そうしたら、火からおろしてしばらくさます。
 そして前に作ったタラグの残りをちょっぴりこのスキムミルクに加え、別の容器に詰め替えてから布でくるんで暖かくして置いておくと、そのうちに発酵が進んでタラグができあがる、というわけらしい。
 ここでまた、らしい、と書くしかないんだなあ。これもできあがるまでをずっと見ていたわけじゃなくて、経過を聞いただけだから。ウルムやタラグの製作法をくわしくレポートするためには、ズーンモドにしばらく滞在する必要がありそうだね。ほんと、できればそうしたいよ。夏を草原で過ごすのは、ぼくにとってもあこがれなんだから。

 乳製品の話を続けよう。モンゴルの乳製品には、ほかにもとても多くの種類があるんだ。ちょっと名前を挙げてみても、アイラグ、ビャスラグ、アールツ、アーロールといった物がある。この中のビャスラグ、アールツ、アーロールの三種は、食品工場で作った製品が店で買えるよ。でもやっぱり、手作りの味とはぜんぜん違うんだよなあ。箱詰めのアーロールなんて甘い味がつけてあるけど、本物はとてもすっぱくて、思い浮かべるだけでつばがわいてくるほどだ。ほら、梅干しを思い浮かべるとつばがわくだろう。ちょうどあんな感じさ。ああ、思い浮かべるうちに、ほんとに手作りのアーロールが食べたくなってきた。
 アイラグというのは、ウマのミルクを発酵させて作る飲み物。これはちょうどいい具合にすっぱくて、そしてほんのり甘くて、とてもおいしいんだ。でも飲み過ぎない方がいいよ。ほんの少しアルコールが含まれてるからね。日本語では馬乳酒
ばにゅうしゅなんて呼んだりする。でも子どもだって飲んでるし、甘酒くらいの感覚かな。お酒はまったくダメなぼくでも、これは大好きだよ。
 ウマのミルクはほかの家畜のミルクと成分が少し違って、チーズやヨーグルトのような乳製品は作れないんだ。けれどもそのかわりに、ほかのミルクからは作れない発酵乳飲料が作れるというわけ。でもラクダのアイラグというのもあるにはあって、以前ゴビで飲んだけどね。
 作り方は、ただミルクをタンクに入れて、ひたすら木のぼうでかき回すだけ。やってる所を見た事あるけど、グルグルかき回すんじゃなくて、ちょっと力を入れて突くようにかき回すんだ。大変だけど、でもそれだけで作れちゃうなんてシンプルだよなあ。飲み残しにそのまま新しいミルクを足していけば、あとはかき回すだけでいっしょに発酵が進むんだって。
 しかしそこで疑問がわくよなあ。飲み残しなんてない、夏の一番最初に作る時には、どうやって発酵させるんだろうって。さっき書いたタラグの場合もまず、前日のタラグの残りを加える必要があるし。さてどうしよう。よその家から借りようか。それとも去年の残りを使おうか。まさかね。ほんとはどうするかというと、これも実際に見たわけじゃないんだけど、本によれば最初は砂糖をまぜたりレーズンを入れたりして、それを発酵のタネにするそうだよ。タラグはもっと簡単だ。材料のスキムミルクは置いとくだけでも少しは発酵して、やわらかめのタラグになるんだってさ。
 うれしい事に、この遊牧民手製のアイラグやタラグは、町でも味わえるんだ。2章に書いたよね、毎朝アパートの近くには、草原からしぼりたてのミルクを売りに来るって。同じように、アイラグやタラグも売りに来てくれるんだ。もちろんこれは本物の草原の味さ。夏を草原で過ごすなんてなかなかできる事じゃないけど、町にいながら手軽にあこがれの草原を味わえるという、この事だけでもとてもうれしいよ。
 でも、町で味わえる乳製品でもっともおいしい物といえば、なんといってもザイルマクかなあ。じつはこれ、アイスクリームの事なんだ。これだけは、いなかの手作りでは決して味わえない、都会の乳製品だね。この先も草原に行く機会はまずないと思うけど、ザイルマクを食べながら町を歩き、今日も草原を思い浮かべるとしよう。


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