子ども時代へ − モンゴルに見た輝き 4 −


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     6 東西南北ぼくの旅

 こないだ町でジャルガルサイハンに会ったよ。ほら、あの大人気ロックバンド、チンギスハーンのリーダーさ。
 「やあシンイチ、元気か。写真送ってくれてありがとよ。おれ達は明日からダルハンでコンサートだ。シンイチはいつ日本へ帰る? そうか10日か。それまでに電話するからもう一度会おう。じゃ、またな」
 うーん、やっぱカッコいいよなあ。それに、こないだはエルデネト今度はダルハンと、あちこち旅ができるのもうらやましい。ぼくもダルハンくらい行ってみたいよ。でも行ったとしたら帰る金がなくなるしなあ。ロックスターにくらべると、ミジメなものだ……。
 そんなわけで、ぼくはまたズーンモドのおばあさんの小屋に来ている。ウランバートルから北へバスで20分の、ささやかな旅だ。でも、ぼくにはぼくなりの旅があるものさ。

 さて、再びここへ来たからには、今度こそくわしく乳製品作りをレポートしないとね。今朝は早起きして、おばあさんの朝の仕事をしっかり見せてもらった。新しい発見もいろいろあったよ。
 まずウルムでは、前日の朝火にかけたミルクと夕方火にかけたミルクとでは、できたウルムの厚さがぜんぜん違うんだ。半日おいただけのウルムは薄くてクリーム色でトロトロで、だけど一日おいたウルムは黄色くて厚くて、まるで卵焼きみたい。まず回りのこびり付きをヘラでけずってから手ですくい取るんだけど、クリーム色ウルムはすぐ形がくずれてしまうのに、黄色ウルムはヘラで切って折りたたんだりもできるよ。
 次にタラグ。タラグはウルムを作ったあとのスキムミルクから作ると前に書いたね。それは間違いないけれど、じつは一日おいた黄色ウルムのスキムミルクだけを使うんだ。ほら、半日おいただけの方は、ウルムが薄い事からも分かる通り、まだミルクの中にクリーム分が残ってるわけさ。だからそれをムダにしないため、今朝新しくしぼったミルクといっしょにして、再びウルムを作るんだ。
 そしてタラグの作り方にも、ちょっと訂正が。前の残りのタラグを加えるのは、じつは火にかける前だったんだ。それに加えたのもほんのちょっとだったよ。ついでに指を入れて温度を確かめてみると、思ったより熱くなくて、フロよりぬるいくらいだ。それくらいが発酵を進めるのにちょうどいいんだろうね。
 おばあさんの乳製品作りの手順を整理してみよう。まず朝の乳しぼり。そして前の日からおいてあった二つのウルムを取る。そのうちの一つの完全スキムミルクからタラグを作る。タラグは容器に移して保温しておくよ。次に、残った不完全スキムミルクにしぼった生ミルクをまぜて、ウルムを作る。これはそのまま次の朝までおいておくわけだね。ここまでが朝の仕事。夕方はまた乳しぼりから始まって、その生ミルクだけからウルムを作る。この夕方の分も朝の分といっしょに、次の朝までおいておくというわけ。少しややこしいけど、わかってもらえたかな。
 
 ところでウランバートルの近くには、北にあるこのズーンモドとは別に、南にもズーンモドがあるんだ。ぼくはまだそっちのズーンモドを知らないから、ちょっと行ってみよう。バスで片道1時間、これもまた日帰りのささやかな旅だ。
 ウランバートル市はトゥブ県の中にあるものの、首都として独立した都市だから、県庁所在地は別にある。じつはこの、南のズーンモド市がそうなんだ。だからそれなりに大きな町だと思うよ。でもそこへ向かうバスは、なんと古びた小さなボンネットバス。ちょっと不安になるなあ。
 町の広さは、どちらへ向かって歩くにしても、20分で草原に出てしまう程度だ。でも中心地には店も並んでいて、それなりににぎわっているよ。ホテルに映画館に郵便局や銀行もある。役所の前にはちゃんと中央広場もあるし。町はずれの丘の上に記念碑や銅像が建っているのも、モンゴルの町の特徴だな。
 小さな遊園地まであったけど、残念ながら閉鎖されていたよ。あとは店でものぞいてみるか。やっぱりウランバートルより品ぞろえは少ないな。ぼくの大好きなアイスクリームもどこにもない。エルデネトでさえ、売ってる店は一つだけだったもんなあ。でも食堂のホーショールはうまかったよ。ただ室内にこもるけむりが目にしみたけど。
 何もないと思っていたら、音楽テープをダビングする店があったよ。しかもウランバートルより安い。この店の主人、なぜかぼくにイギリス人かと聞くんだ。いつもなら中国人か朝鮮人かと聞かれるのがお決まりなのに、どういうわけ? 意外と欧米人の観光客が、ここまで来るのかもしれないね。

 東にも、近くに小さな町があるんだ。次はその町、ナライフに行ってみよう。ズーンモドと同じく、わずか1時間のバス旅だ。
 今にも雨の降りそうな天気のせいかもしれないけれど、ひどくさびしい印象の町だよ。バスから降りた人達もすぐ散ってしまったし、歩く人もまばらだ。時おり見かける店ときたら、開いてるのか閉まってるのかもわからない。
 中央通りをちょっとはずれたら、もう土の道だった。立ち並ぶ小さなアパートは、どれも古びてすすけている。炭鉱の町だからだろうな。土の道もあちこち真っ黒にぬかるんでいるよ。ちなみにズーンモドが歩いて20分で草原なら、ここナライフは歩いて10分で草原だ。
 でも町のかたすみには、ちゃんとザハがあったよ。市場ともなればさすがに人が集まっていて安心したけど、それでも静かなもんだ。ここにもアイスは売ってない。ゲームコーナーにたった一台置かれたスロットマシンが目を引くけど、ウランバートルのコンピューターゲームにくらべたら、まだまだクラシックだね。

 思いがけなく、残った西へも行く事になったよ。今回は一人じゃなくて、バギー兄さんとマーガと三人で。目的地もちょっと遠くて、バスで3時間ほどの所にあるルンという村。そこにおばさん一家が住んでるそうなんだ。
 朝早く、ズーンモドやナライフへ行く時にも利用したバスターミナルへ行った。でも時間が早いと、遠くへ向かうバスばかりだよ。
 そしてその中に、ぼくはなつかしいバスを見付けた。日本の旅行社の名前が赤く書かれたバスを。三年前、ツアー旅行で初めてモンゴルへ来た時、ぼくはこのバスに乗って市内や郊外の草原を走り回ったんだ。
 ……そうか、このバスもとうとう乗り合いバスに払い下げられてしまったんだな。そういえばこれから行くルンの近くにも、このバスで昼食に立ち寄ったっけ。なつかしい出来事を、ひさしぶりにいろいろと思い出したよ。
 でも乗り合いバスでの長旅は、もちろんこれが初めてだ。すぐにびっくりするような話を聞いたよ。バスの料金は降りる場所によって決まるのではなく、バスの目的地で決まるんだって。つまり遠い所へ行くバスに乗るとすれば、途中で降りるとしても終点までの高い料金をはらうというわけ。そんなバカな話ってあるのかね。たしかに市内バスなんか、どこで降りても同じ料金だけど。
 そんなわけで、バスを選ぶのにずいぶん手間取ったよ。ルン村は西へ向かうバスすべてが通るのに、ほんとバカげた話だ。やっと見付けて乗りこめば、修理が長引いて出発が遅れるし、やっと走り出せば、すぐに給油に寄り道するし。
 まあ、のんびり行くのがモンゴル流さ。ところでさっき出発前に、車内まで物売りが来たんだ。その陽気なおじさんが売っていたのは、流行歌集の本。これで車内で歌おうだなんて、なんだか林間学校めいてるな。歌えもしないのに、おもしろそうだからつい買っちゃったよ。
 ぼくがその本を持っていると、ヒマを持てあました連中が、かわるがわる取り上げてしまうんだ。それも貸してくれとも言わないで、ムッとだまって勝手に。返す時もまた、ありがとうもなしにだまってつき返す。それをくり返すうち、しまいに本はボロボロさ。もちろんごめんなさいの一言もない。
 どうもモンゴル人というのは、他人の物と自分の物との区別がつかないらしいね。それならぼくの方だって、勝手な事をして平気な顔をしててもゆるされるんだろうけど……。
 一度トイレ休憩があったよ。といっても、もちろん草原のど真ん中。ドライブインなんてないからさあ。でも最近は、簡単な食事を出すゲルが道ばたに並ぶようになったよ。こういう所がそのうちに、ドライブインに進化するかもしれないね。
 やっとルン村に到着した。むかえてくれたのは、おばさん夫婦にその娘と息子。二人ともウランバートルの大学生だけど、今は夏休みで帰っているんだ。そしてもう一頭、バーブガイという名の黒いイヌ。クマという意味だ。モンゴルの番犬には強そうな名前が多いけど、実際すごい勢いでほえかかってくるよ。でも家の者の知り合いとわかれば、あとはおとなしいものだけど。
 午後にはすぐに、一人で出かけたよ。やっぱり一人でなければ、自分の旅にはならないからね。
 ルン村の印象は、一言で言うと西部劇の世界だ。土ぼこりの舞うかわいた道が続き、家々は人の気配もなく静まりかえり、さびれた店のドアが風にきしむ。その中を時おりウマでかけぬける人もいて、まさにドラマの舞台そのものといったふんいきだ。
 でもいつまで待っても、ドラマティックな展開なんて何もない。たいくつだから草原へ出てみたよ。ナライフが歩いて10分で草原なら、ルンは歩いて5分で草原だ。
 道を西へとたどってみると、1時間も歩かないうちに不思議な大岩に突き当たった。てっぺんには、エルデネトの郊外でも見たあの石積み、オボーがある。これは土地の神をまつる目的のほかにも、道しるべや土地のさかい目を示す役目もあるそうだよ。
 そのせいかどうか、岩の下では警官が検問をしていたよ。岩に登ったぼくも見とがめられて、降りて来いとどなられた。そして何をしていた、パスポートを見せろ、とさ。そんな物だれが持ち歩くかよ。またぬすまれたりしたら大変だろ。とにかく去年ヒドイ目にあってるから、相手が警官であっても用心しないと。
 でもその警官がいろいろウルサク言うのは、ぼくを心配しての事だったんだ。何しろ日本人が殺される事件があったばかりだからね。たしかに草原を一人で歩くのは目立ちすぎるし、だから忠告どおり村へもどる事にしたよ。その前にもう一度岩に登ってみてからね。
 帰ると一方ではテレビゲーム、もう一方では乳製品作りをしていた。中国製の家庭用テレビゲームが最近急にふえてきたけど、ソフトは80年代の古い物ばかりだな。だから乳製品作りの方を見てみよう。
 アールツという、しっとりしていてポロポロしていて、ちょうど酒かすをほぐしたような物があって、それをギュッと固めてから糸で薄く切っている。アールツはそのまま食べてもおいしいけれど、水分があってくさりやすいから、切り分けてから外で日に干して、カチカチにかわいたアーロールという物を作るんだ。これはとても長持ちするよ。でもとてもかたくて、そしてすっぱくて、かじっていると口の中がなんだか粉っぽくなって、慣れないうちは食べにくいかもね。
 そうそう、アールツをどうやって作るかも説明しておかないとね。これは話を聞いただけだけど、タラグを布の袋に入れて、水気を切った物らしい。だからタラグもアールツもアーロールも味は似ている。けど、水気がなくなるほどすっぱくなっていくよ。
 夕方になってヒツジが来た。このヒツジがこれからどうなるかは、……もうわかっているだろうね。乳製品を調べるばかりじゃモンゴルの食べ物すべてを知る事にはならないから、がまんして何もかも見る事にしたよ。
 ヒツジをあお向けにして腹のまん中をたてに少し切り、そこから片手を突っこむ。そして心臓近くの動脈を指でちぎるように切ると、ヒツジはやがて静かに死んでしまった。声も立てないまま、血も見せないまま、なんだかあっけないくらいだ。
 でもここからが、見るのがつらい作業だった。のどから下腹部まで皮をたてに切り、4本の足の皮もたてに切る。そして皮をはいでいくんだ。これはナイフを使わず素手で。かなり力がいりそうだけど、見事な手さばきだよ。今回解体を手がけている息子は片耳ピアスのロック青年だけど、やはりただの都会かぶれじゃなかったんだな。
 足首から先は切り取り、頭の皮は残し、背中はくっついたままで皮はぎは終わった。次は腹を開いて、いよいよ内臓を取り出す。血はみな底の方に、つまり背中側にたまっているからまったく流れ出さない。でも音やにおいだけでも、かなり生々しい感じだ。
 内臓は大きなうつわに入れて持っていき、これは娘がきれいに水で洗っている。むかしから、殺すのと解体するのは男の仕事で、洗うのと調理するのは女の仕事と決まっているんだ。
 そして最後に底にたまった血を、小さなうつわですくい取る。これも貴重なビタミン源だから、料理に使うよ。洗った腸の中に詰めて、血のソーセージを作る。
 今夜はその内臓料理のごちそうだったよ。でも、見ていただけで手をくださなかったぼくまであのヒツジを食べるのは、なんだか気がひけたな。内臓はそれぞれ味が違ってるけど、血をたっぷり使ったせいか、なんだかどれも鉄くさかった。
 夕方、外で風に当たっていると、ヤクの群れが通り過ぎるのを見たよ。ヤクというのは、毛の長いウシのような、アメリカのバッファローのような姿の大きな動物。でもヤクなんて北方の山間部で飼う家畜で、このあたりにいるはずないのに。じつはこれはトーバルといって、春から秋にかけて家畜を追って移動しながら、そのまま地方から町へと売りに行くものなんだ。この村はウランバートルへ向かう道の途中だから、こんなめずらしいヤクのトーバルにも出会えたわけだね。
 さあ、明日はこの村で、どんな事に出会えるかな。

 ぼくがいつも外に座ってノートをつけてるせいか、番犬のバーブガイがすっかりなついてすりよってくる。どうもうなモンゴル犬も、こうなるとただのペットと変わらないな。
 朝食の時、いきなりこんな事を聞かれた。シンイチはどんな宗教を信じているか、と。ぼくにはどんな宗教も関係ないと答えると、それはよかった、ヒツジに続いて今夜はウシをやるが、それをきみにやってもらおう、と言うんだ。もちろんそれはじょうだんだったんだけど、信じるものがなければなんでもできるってものではないよなあ。
 まあせめて水くみくらいは手伝おう。水は給水車によって、近くの井戸から村の給水小屋へと運ばれる。その給水小屋まで、大きな缶を乗せた台車を押して水を買いに行くんだ。水40リットルで10トゥグルク。そう高くはないけど、大変な手間がかかる事を考えれば、ムダ使いはできないね。
 仕事の後は川へ水遊びに行ったよ。今日はマーガ達もいっしょだ。道を歩いていると、トラックが止まって橋まで乗せてくれた。途中あの警官はいなかったし、今日はずいぶんラクだなあ。
 そしてあの大岩について、こんなおもしろい伝説を聞いたよ。むかしこの地には大蛇が住んでいた。ある一人の英雄がここを通りかかった時、大きな山のいただきを持ち上げて、大蛇の上にルンッと投げて退治した。落ちたその山のいただきが、この大岩なんだって。ここの地名が岩の飛ぶ音からきていたとは、意外だなあ。
 夜は月が出るまで星をながめていた。モンゴルの星のものすごさは、残念だけどとても言葉ではあらわせない。ただ一つ言えるのは、ぼくが毎年モンゴルへ来る理由の中には、この星空をあおぎたい思いもあるという事。
 モンゴルの星の呼び名についても、少したずねてみたよ。北斗七星はドローンボルハン、七人の仏。北極星はアルタンガダス、金の杭。そして天の川はティングリンザーダス、空のつなぎ目。現在知られている星座の原型は、アラビアあたりの遊牧民がつくり出したんだけど、モンゴルの遊牧民はむかし、星空にどんな物語を描いたんだろうな。いつか調べてみたい気がする。

 最後の日には、知り合いのライダーのロシア製バイクの後ろにマーガと二人乗せてもらって、ちょっと出かけたよ。目指すは15キロほど東にあるツェゲーンツァガーンノール、青白き湖。
 三年前にツアーでモンゴルに来た時、ぼくらはこの湖のほとりで昼食を食べたんだ。そしてぼくはアルタンツツクという名の女の子と出会い、いっしょに写真をとった。今日ここへやって来たのは、湖を見たかったのももちろんだけど、もう一度その子と会えればいいなと思ったからなんだ。
 でも、近くの遊牧民にたずねても、だれもアルタンツツクの消息を知らなかった。……それならそれでもかまわないさ。今ここに来たのは今年の旅で、三年前の旅はもう終わっている。あとは湖だけながめたら、ルンに帰ろう。そして、ウランバートルに帰ろう。


     7 もっと知りたいモンゴルを

 ぼくは今回のオリンピックを、モンゴルで見たよ。前回は新潟で会社員をしているころで、その前は九州で大学生だったっけ。いつだって、四年後にどこで何をしてるかなんて想像つかなかったけど、まさかモンゴルにいるなんて事は、ほんと考えもしなかったなあ。
 今年はオリンピックについても記念すべき年だけど、モンゴルにとっても重大な記念の年なんだ。エルデネト市誕生20周年、人民革命75周年というのは前に書いたね。でももっと昔にさかのぼって、チンギス・ハーンによる国家統一790周年でもあるんだって。ついこないだまで知らなかったよ。そういえば2章にのせた写真、国のマークの両側には、古い数字で790・75と書いてあったじゃないか。
 これもまた最近知った事だけど、モンゴルの県がこれまで18だったのが3つ増えて、21になったそうだよ。去年ぼくが地図ばかり買っていて顔見知りになった本屋が、新しくいい地図が入ったよとすすめるんだ。そして説明してくれたところによると、工業都市ダルハンの周辺が新たにダルハン県となり、鉱山都市エルデネトの周辺も、ボルガン県から独立してオルホン県となったとか。それならもう一つの県はどこだろうと思ったら、初日に機関車の写真をとっておっさんにどなられた、あのチョイル駅の周辺だった。シェヴェーゴビ県というそうだよ。
 一つの県として独立するほど、チョイルが大都会なわけじゃない。でもモンゴルは今、外国とつながる線路のあるこの町に、とても期待をかけているんだ。ここを経済特区という地区に指定して外国の企業を呼びこみ、国の経済を活気付けようという計画がある。むかしは軍隊がいて外国をにらみつけてた町が、今じゃ外国にどうぞおいでくださいだなんて。モンゴルは、どんどん変わってきているよ。
 続いてもっと身近な経済問題の話をしよう。ぼくの資金がとうとう底をついてしまった。アメリカドルはもう帰りの飛行機代しか残ってないんだ。だけど日本円の方はまだちょっと余裕があるから、それを持って両替に行ったよ。ただし銀行にではなく、ヤミ両替屋にね。
 ヤミ両替なんて事をするとほんとは警察につかまるんだけど、みんな昼間から路上でおおっぴらにやってるよ。警察も今のところは見て見ぬふりさ。国をあげて外国のお金を手に入れなきゃならない時に、法律をどうこう言ってはいられないからね。
 今1ドル108円として、10000円なら92ドルちょっと。1ドルが560トゥグルクほどだから、51000トゥグルク以上にはなるだろう。ぼくはそう期待していた。けれど連中は、ドルがこれだけ高くなってもそれとは無関係に、1円3.5トゥグルクで計算するんだ。つまりたったの35000トゥグルクにしかならない。なんとかねばって交渉したけど、それでも42000トゥグルクがやっと。ここではだれもがアメリカドルをほしがって、日本円はぜんぜん人気がないんだ。町の電機店には日本製品があふれてるけど、それは日本から買って来るのではなく、きっとアジアのどこかの国からドルで買って来るんだろう。そんな事にも、今回初めて気付いたよ。
 日本製品ならぼくだって持ってるさ。おみやげにしようといくつか持って来た電卓が、手元にまだ5台も残ってる。今度はこれを、あの青空市場のザハで売ってみよう。
 多くの人がやってるように、ぼくも電卓を持った手をかかげて立ってみた。生まれて初めての商売体験だ。意外にも最初の1台は、4000トゥグルクですぐ売れたよ。でもその後はさっぱりだ。興味を示して声をかけてくる人も、ただ日本人の物売りをおもしろがってるだけって感じ。けっきょく最後には、となりの同業者が1つ2500トゥグルクで引き取ろうと持ちかけてきた。安く買いたたかれたものだけど、でも2時間で全部売れたんだからまあラッキーかな。売上金合計14000トゥグルク。本業のはずの物書きでも、こんなにかせいだ事はないよ。
 帰る前に、ちょっとよその売り場をのぞいて電卓の値段をたずねると、せいぜい2000トゥグルク程度、安い物なら900トゥグルクだった。これが競争相手じゃ売れないわけだ。国際列車には大勢の買い出し商人ナイマーチンが乗っていたけど、ぼくはとてもナイマーチンにはなれそうにない。でもそれにしても、モンゴル人には精巧な日本製品と粗悪なコピー製品との見分けがつかないのかね。
 とにかくこのお金があるうちは、ひもじい思いをしなくてすみそうだ。じつはこのところ、ぼくは一日中飲まず食わずで町を歩き回っていたんだ。でもきのうはホットドッグ、今日はハンバーガーと、けっこうぜいたくしているよ。……ホーショールにくらべれば、これだってすごいごちそうさ。
 5章と6章ではモンゴルに古くからある食べ物について書いたけど、今ではこんな食べ物も増えているんだ。ピザやスパゲッティも食べられるし、ローストチキンだってある。こないだはドゥネルというのを食べたよ。大きな肉を回しながらあぶり、サーベルみたいな長いナイフで、焼けた表面をうすくそいでいくんだ。そのそいだ肉を生のオニオンといっしょに固く大きなパンにはさみ、ケチャップをかけたのがドゥネルという料理。たしかこれはトルコあたりの料理じゃないかな。去年からは日本語ののれんをかけたラーメン屋まであるし、モンゴルの料理事情もなかなかインターナショナルになったもんだ。
 飲み物の分野でも、今年はセンセーショナルな時だよ。これまで人工的な色と味のジュースしかなかったのが、初めて天然果汁のジュースが登場したんだ。ラベルにもきれいな写真を使っていて、ビタミンの成分表まであるよ。オレンジにキウィにミックスと、種類もそろってる。キウィジュースなんて日本でも飲んだ事なくて、すごくうまーい。売り手がセンをぬく前に、ビンをふるのが何よりの天然果汁の証拠さ。うれしいねえ。欲を言えば、冷えたのが飲めるともっといいんだけどな。いや、もしかしたら数年後には、冷えたジュースを売るのがあたりまえになるかもしれない。なんといってもモンゴルは今、どんどん変わっているんだから。

 食べたり飲んだりばかりしてないで、おみやげでも探さないとなあ。帰国の日も近くなった事だし。おや、気まぐれにのぞいた町はずれの店に、なんとゲルが売られているよ。
 ゲルは移動住居といっても、テントみたいな簡単なものじゃない。がっしりした木の骨組みに、フエルトを厚くかぶせるんだ。家具一式もそろっているよ。これはかなりの高級品で、値段はなんと260万トゥグルク! 50万円以上にもなるじゃないか。でもこんなのを買って、遊牧民になるのは無理としても、せめて誰もいない草原で一人暮らしをしてみたいよ。
 おっと、空想にひたってばかりいないで、本気でおみやげを探さなきゃ。でもみやげ物屋に並んでる物なんて買いたくはないな。いかにもおみやげっていう感じに作られていて、おまけにむやみに高い値段を付けてあるんだから。ぼくはもっと、モンゴルの生活の中で身近にある物がほしいんだ。
 ついこないだ、スーパーマーケットが近所に開店したよ。カートを押して売り場を回りながらほしい商品を自分で選び取り、最後にレジで会計をするという、画期的な購入方法。そんなのあたりまえって? でも日本とちがって、ここではそんな店はなかったんだよ。
 モンゴルでは今までどんなふうに買い物してたか、きっと想像がつかないだろうね。ほかの店でちょっと買い物してみようか。まず売り場に行き、買いたい商品の値段を確かめる。値段の表示がない場合は、いつも不機嫌な店員になんとかして聞き出さなきゃならない。値段が分かったら離れた所にあるレジに行き、お金をはらってレシートを受け取る。ただしレジは一つだけだから、いつだって長い行列だ。ようやく会計を終えたらまた売り場へ戻り、レシートを不機嫌な店員に渡す。店員は客がお金をはらった事を確認して、やっと品物をよこすというわけさ。むかしながらの店では、一つの物を買うのにもこれだけの手間がかかるんだ。ショッピングを楽しむなんて事が、これからモンゴルでもできるようになるのかなあ。
 でもモンゴルに来てまでスーパーで買い物しててもしょうがない。考えたあげく、おみやげにはモンゴルで今はやってる曲のテープを買う事にしたよ。
 モンゴルでは、外国人観光客向けのおみやげを別にすれば、歌手のCDやテープは作られていないんだ。それなら町の人達は聞きたい曲をどうやって手に入れるのかというと、曲を市販のテープにダビングして売る店から買っている。日本でなら違法だろうけど、ここではかまわないみたいだね。おもしろいのはその値段で、どんなテープにダビングするかによって決まるんだ。たとえば日本製テープなら900トゥグルク、中国製テープなら600トゥグルクって具合に。
 きみたちへのおみやげも、もちろんちゃんと用意したよ。童謡のテープの中にある曲の一つがぼくはとても気に入って、歌詞を訳してみたんだ。「子ども時代へ」という曲なんだけど、その歌をきみたちにおくるよ。

     子ども時代へ

   作詞 バーサンジャブ   作曲 ナルマンダフ   訳詞 シンイチ

 1 子どもの時代への 列車があったなら
   だれでも乗るだろう ぼくらも乗りこもう

    ※走れ(走れ) 進め(進め)
     子どもの 世界を 目指して

 2 それは無理な事と 言う人もいるけど
   まず信じてみよう まず望んでみよう

    ※くりかえし

 3 子どもの心なら 手に手を取り合える
   光の物語 ぼくはきみに語る

    ※くりかえし

 4 苦しみの中でも 子どもは生きてゆく
   暗やみの中でも 子どもは輝ける

    ※くりかえし

 5 子どもの時代への 列車があったなら
   だれでも乗るだろう ぼくらも乗りこもう

     走れ(走れ) 進め(進め)
     子どもの 世界を さあ目指そう

 今までじょうだんめかしておもしろおかしく書いてきたけど、実際のモンゴルでの生活には、じつは深刻な事も多かったんだよ。ぼくの旅行資金が底をついたのだって、部屋に置いたトランクからお金が消えてしまった事が原因なんだ。誰が持って行ったのか知らないけど……、いや、その本人には盗んだという自覚はないのかもしれない。ただ自分の物と他人の物との区別がつかないだけだろう。
 人の中に入っていくのは、本当に大変な事だ。回りが自分を受け入れるかどうか。そして、自分が回りにとけこめるかどうか。正直に言うと、今ぼくは一人きりになりたいよ。とくに、いつもタバコをすいツバをはく大人達は相手にしたくない。でも、それをがまんして向き合わなければ、見えてこない事も多いし……。
 モンゴルへ来るたびに、いつもこんなまよいにつき当たる。でもどうしてだろう、それでモンゴルから離れようという気にはなれないんだ。やっぱりおもしろい事もたくさんあるからかな。日本ではできないような事もできるからかな。
 そうだね、同じ日々が繰り返されるだけの日本と違い、モンゴルはとにかく毎日がドラマティックだ。今もどんどん変わりつつあるモンゴルを、知らないままではいられない。だからきっとぼくはまた来年も、この国を目指して旅するはずだよ。その様子はまた、次回のレポートで報告しよう。


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