川の街・坂の街・空の街 − モンゴルに見た輝き 3 −
1月1日 Jへ
僕のモンゴル行きはほぼ決まったよ。昨日(といってももう去年)松田さんから電話があってね、パソコン通信を勉強しておくようにと言われてしまった。モンゴル本社と日本支局とで、記事のやりとりにでも使うつもりらしい。これはまた大ごとだな。今度マグリット展目当てに東京へ行くから、ついでに弟の所に寄ってみよう。あいつはパソコンにくわしいから心強いよ。
1月1日 Mちゃんへ
ねんがじょうありがとう! すっごくうれしかった。でもほかにもうれしいことがあったよ。早ければ3月にも、ぼくはモンゴルへ行けることになったんだ。こんなにも早くじつげんするなんて、思いもしなかったなあ。でもこのぶんだと、プールどころか春に動物園に行くのもむりかもしれない。せめて冬のあいだ、雪まつりくらいはいっしょに行こうね。
1月8日 Aさんへ
お正月とかで世間はうかれていたようだけど、独り者の僕には関係なかったな。といっても休みはありがたかったし、年賀状も嬉しかったけど。あのカード、壁に飾っているよ。シンガポールに行ったんだってね。よく海外旅行は行くの? 僕なんて、モンゴルにしか行った事がないよ。友達同士で旅行なんて、いいもんだね。
1月21日 Mちゃんへ
やっと旭川に帰って来たよ。いろいろとあってたいへんだった。じしんのニュースを聞いて、東京から急いで神戸に向かったんだ。でもけっきょく、大阪までしかたどりつけなかったよ。れんらくだけはついたからよかったけれど。
ぶじだったとはいえ、神戸の家はこれから大変だろう。こうして遠い所にいる事に、なんだかひけめを感じるよ。ましてこれからモンゴルへ行くとなると……。
1月31日 Aさんへ
手紙ありがとう。気が滅入っていた時だし、嬉しかったよ。
あの日は朝ニュースを見てすぐ神戸に向かったんだ。でも飛行機は空席がないし、新幹線も名古屋で停止。かろうじて近鉄が動いていたからそれで難波まで行き、あとは停電で何度も止まりながらも、地下鉄で大阪まではたどり着いた。
でもそこから先は、もうどうにもならなかったよ。ただ連絡がついて無事が確認出来ただけでも、無駄足ではなかったと思うけど。
大阪駅も、ヒビ割れやら落下物やらひどいありさまだった。京都のホテルでも(大阪では泊まれる所がなかった)一部の窓が割れたりして、神戸まで行かなくても地震のひどさは実感出来た気がする。
とは言っても、以後もテレビを見るたび驚かされたけれど。見慣れた物すべてが変わり果ててしまっているんだから。この十数年の間に、町が少しずつ姿を変えていくのが寂しかったけれど、でも一瞬にして崩れてしまうというのは、時の移ろいによる変化とはくらべものにならないほどショックなものだよ。
まあ家は無事だった事だし、暗い話はこれくらいにして、今度は楽しみな話。モンゴル行きの準備はもちろん、旅行記作りの方もはりきってるよ。ワープロ打ちもほぼ終わったし。そうそう、先週松田さんが取材帰りに突然旭川に立ち寄ってね、その時タイトルをたずねたんだ。すると「モンゴルの旅」だってさ。ありきたりだと思わない?
名前の話では、冗談半分僕のモンゴル名の案も出たよ。ГэргYй(ゲルグイ)という名は気に入ったな。意味は「家無し」。僕にピッタリだ。
2月5日 Mちゃんへ
最近どうしてる? ぼくのほうは、きのうは札幌まで行ってきたよ。去年からモンゴルの本作りにかかわっていて、それのうちあわせがあったんだ。帰って来たのは夜の一時すぎ。でも今はこれにがんばってるよ。ぼくらの作っているこの本、春には出るからお楽しみに。
2月8日 Jへ
あれから二週間になるけど、どうしてる? 電話で無事だと妹さんから聞いたけど、きみ自身からはまったくなんの連絡もないとなると、やっぱり不安になるよ。それに自宅に被害はなくても、学校の方はひどいだろうし、知り合いに大変な目にあった人もいるだろうし……。
と、昼休みにバイト先でここまで書いたんだけど、アパートに帰るときみからの手紙が届いていてビックリした。ほんとビックリだよ。僕が東京に行っていた頃、きみも東京にいたとはね。そのうえ京都で僕を見かけたって? 知らなかったなあ。元気そうな文面でほっとしたよ。
2月17日 Jへ
地震からようやく一か月になるね。日常の生活に戻るには、まだまだ日数がかかるだろうけど。でも元気そうな声でほっとしたよ。14日は電話をありがとう。
さて、僕がモンゴルへ行く事になったいきさつを説明しておこう。発端は、去年1月に見かけた新聞記事だったんだ。それによると、民主化に伴う経済危機により、モンゴルのある新聞社が経営難におちいっているとか。そこでその救済を呼びかけたのが、旅行作家でモンゴル文学の翻訳家でもある松田さんと、その奥さんのクランダ編集長。支援の手段がユニークなんだけど、新聞社所有のヒツジの期限付きオーナーとなる事で、出資をするというもの。おと年の旅行以来モンゴルにとりつかれていた僕は、すぐその話にとびついたよ。そして夏にはヒツジに会いに行くツアーが組まれたから、それにも参加して。
でもこれだけの事なら、旅行だけでおしまいだっただろう。そこからさらにモンゴルに近付けたのは、これがもののはずみと幸運のおかげなんだ。旅行中の自己紹介で、僕はつい大きな事を言ってしまった。「今は北海道に住み着いていますが、いずれはモンゴルに住み着くつもりです」冗談半分のこの言葉を、松田さんが本気半分にとったものだから、そこからモンゴル暮らしの話が少しずつ動き出したというわけ。なんの努力もなしに、ただきっかけにめぐまれるだけでかなう望みというのも、あるものなんだな。
2月23日 Mちゃんへ
プレゼントありがとう、Mちゃん。きみからのプレゼントで、今年は十なん年ぶりかのうれしいたんじょうびになったよ。
今月いっぱいで、ぼくはバイトをやめることにしたんだ。あわてすぎかもしれないけど、じゅんびの時間はたっぷりあるほうがいいからね。そういうわけで、ぼくはひと足先に春休みに入らせてもらうよ。でも新学期はいつから始まるのかな。
もうじき小学23年生の慎一より
2 旭川・春
3月2日 Jへ
こないだの手紙に、僕はいったいどんな事を書いた? 今ちょっと考えてる事があって、手紙を残しておこうとふと思ったんだけど、こないだの分がなぜかフロッピーに残ってなくて、困ってるんだ。
僕は去年もおと年も、モンゴル旅行を記録したけど、今年ももちろん、モンゴルでの暮らしを書き残すつもりでいる。それには僕が現地から書き送る手紙というのが、使えるんじゃないかと思ってね。今の手紙も導入部として使えるだろうし、だからたのむよ、モンゴル行きのきっかけを説明した前回の手紙を、コピーして返送してくれないかな。
3月5日 Aさんへ
誕生日おめでとう、Aさん。北海道の絵はがきを同封するよ。
ここ北海道も、確実に春めいてきている。北国の春は遅いと、誰もがそう考えるよね。でも春のきざしが表れるのは、むしろ北ほど早いものじゃないかと、住んでみて思ったよ。たとえば二月の半ば頃、初めて気温がプラスになった日には、風の感じや雪のゆるみ具合や、それにつららのしずくなどから、はっきり春が感じられるからね。雪が多ければ多いほど、わずかでも雪解けが進めばすぐに春めくし、気温が低ければ低いほど、少しでも冷え込みがゆるめばすぐに春めく、というわけ。モンゴルでは、ナーダムが終わって八月には秋が始まり、旧正月が過ぎて二月には春になるそうだけど、それも誇張ではないというのが分かったよ。北海道はやはり、日本のモンゴルだ!
そうそう、面白い話があるんだ。こないだ新聞の(しつこい)勧誘が来たから、じきに引っ越すと言って断ったんだ。すると相手は行き先を聞くから、ふくみ笑いで遠くだと言ってやった。そうしたら、「ああ内地へですか」なんてうなずくから苦笑してしまったよ。北海道では今も本州以南を「内地」と呼ぶんだけど、言葉通りに受け取るとみょうにおかしいと思わない? 僕はすでに海外生活をしていたのかもね。北海道はやっぱり、日本のモンゴルだ!
3月17日 Mちゃんへ
モンゴルへ行く日が、とうとう決まったよ。火曜日きゅうに電話があったんだ。それでおとといはミーティングがてら札幌まで行ってきた。ぼくのほかにもう一人モンゴルへ行く人がいるって前に話したね。そのセンパイはきのう出発したよ。
ぼくもこれで予定が立てられる。少しよゆうもできたから、見おさめに北海道を旅しようと思ってるんだ。まずは来週後半に道東を回ってくるよ。
3月17日 Aさんへ
手紙届いたよ。その日には松田さんからも電話があってね、出発日は5月の20日頃と告げられた。バイトを辞めたり荷造りしたりというのは、ちょっとばかり急ぎすぎたようだな。
とにかくこれで予定が立った。神戸に引っ越すのは5月の連休明けにしよう。その時にはぜひ清水にも寄らせてもらうよ。楽しみにしているからね。
3月20日 Jへ
あれから二か月が過ぎたね。その後どう? 僕はあとひと月半もすればそっちに帰るけど、その頃には鉄道もかなり復旧しているかな。そう、ようやく予定が立ったんだ。神戸へは5月の連休明けに引っ越すよ。ただしあちこち寄り道を予定してるから、そっちに着くのは15日頃になるかなあ。
4月3日 Mちゃんへ
春休みはどうしてた? ぼくは北海道内をあちこち回ってきた。船にのって流氷も見たよ。モンゴルへ行けばもう海も見られないからね。
そうそう、いっしょに入れたコピー、モンゴルの新聞社をおうえんする人たちにくばられる会報なんだけど、ぼくの事がちょっぴり書かれているよ。ひょっとしたら、今までぼくのモンゴル行きの話をあまり本気にしていなかったかもしれないけど、これで信じてもらえたかな?
最後におしらせを。今度テレビでモンゴルの番組があるよ。ぜひ見るように。ぼくがあの国にむちゅうになったわけを、わかってもらえるんじゃないかな。5月には映画もあるよ。
4月7日 Mちゃんへ
きのうのモンゴルの番組、一人の少年の草原や町でのくらしを追ったもので、わりとしっかり作られてたよ。どうせ映画の前宣伝だろうと思ってたから、少し意外だった。ただ、モンゴルにたいしてかなり点があまかったけど。まあぼくにしても、あの国を理想化してあこがれてるわけだけどね。
二年前もやっぱりそうだったっけ。この北海道にずいぶんあこがれていたものだよ。でも今はもうそんな気持ちもうすれているし、かんたんに次のあこがれに気持ちを切り替えられそうだ。
4月7日 Jへ
在来線も全通したし、新幹線も明日から走るそうだね。引っ越しまで、いよいよあと一か月だ。
先月、ちょうど例の√5(フジサンロクオームナク)騒動の頃、僕はのん気に北海道内を旅していたんだ。でものん気さでは東京の弟に負けるなあ。サリンの夜にいきなり電話があったから何事かと思ったら、北海道限定販売のお菓子を送ってくれってさ。
同封の会報に、僕の事が紹介されてるだろう。今まで実感なかったけど、現実感が増してきたよ。ただ、あこがれの中には見えなかった厳しい現実を、これから先いろいろ目にする事になるだろうな。それはここ北海道での生活にも言えたけれど。
会報には例の旅行記も紹介されていた。5月20日出版予定、だなんて。大丈夫なのかなあ。原稿が清書を終えて僕の手元を離れたのが、じつは二日前……。
4月11日 Aさんへ
こないだ近くの公園に散歩に出ると、林の奥からコロロロロロッという音が聞こえてくる。まぎれもなくキツツキのドラミング(木を連打する動作)だ。近所にキツツキがいるなんて驚いたなあ。ドラミングはじきに途絶えたけど、見当をつけた場所でじっと待ち続けて、ついにアカゲラの姿を見た。最初の秋のキタキツネとの出会いに始まって、コハクチョウ、エゾシカ、エゾリス、そして最後の春にアカゲラか。北海道は最後の最後までファンタスティック。ただ欲を言えばヒグマにも……。
クマもだけど、クマゲラ(最大のキツツキ)も見てみたいな。富良野まで行けばいるようだけど。そうそう、今こっちでは「北の国から」を再放送してるんだ。毎週懐かしく見てるけど、北海道はあの頃のあこがれそのままだったと実感しているよ。さあ、モンゴルはどうだろうな。厳しいといわれるあの国の生活にも、きっと期待を裏切らない素晴らしさがあると思うよ。
4月16日 Aさんへ
手紙、行き違いになったようだね。けっこうよくあるんだ、こういう事って。
桜だって? そんなのこっちはまだまだだよ。開花予想は旭川で5月6日。引っ越し間際だな。あとここの桜はエゾヤマザクラという種類だそうで、ソメイヨシノはないらしい。
昨日は良い天気だったので、ちょっと美瑛まで出かけたよ。けどまだ風は冷たいし、雪は残っているし、サイクリングには早過ぎた。去年畑仕事をしていた頃、グライダーが飛ぶのをたびたび見たけど、その滑空場もまだ閉まっていたよ。仕事中はのんびり見上げてなんかいられなかったから、最後にじっくり見ておきたかったんだけど。動物園や植物園は連休から開園だから行ってみよう。北海道も、本当にこれで何もかも見おさめだな。
4月19日 Mちゃんへ
モンゴルから切手を送るのは、約束するよ。楽しみにしてて。あの国には意外といろんな切手があるらしいから。外貨獲得のため記念切手の販売に力を入れてる、なんて言うとムズカシイか。かんたんに説明しよう。今日本は、円高といってお金のねうちがどんどん上がり、高くなった品物が外国に売れなくてこまっているよね。それとは反対に、お金のねうちがどんどん下がってしまう国もやっぱりあるわけ。そうなると今度は外国から品物を買うのにこまるし、ねうちの下がる自分の国のお金より外国のお金のほうがありがたいよね。今のモンゴルが、ちょうどそういう状態なんだ。いろいろと大変らしいよ。……ひと事みたいに言ってられないんだった。
5月1日 Mちゃんへ
絵本の送り出し、もうタイヘンだったよ。新聞やラジオを通して寄付をよびかけ、集まった絵本がなんと1万5千さつ! それを全部チェックして、コンテナにつみこんで、二日がかりのしごとだった。新聞やテレビの取材もあったから、はりきってしまったよ。モンゴル到着は、早くて6月始めだとか。ぼくとどっちが早いかな?
5月1日 Aさんへ
こないだは、「スーホの白い馬基金」で寄せられた絵本の積み出しを手伝ってきたんだ。大変だったけど、やりがいのある仕事で気分が良かった。なんて、絵本の集積地は洞爺湖畔の松田さんの別荘で、僕はすっかり観光気分で出かけたものだけど。
はしゃいでばかりもいられない。いよいよ来週には引っ越しだ。その前に、明日からは会報作成を手伝う予定だし、せっかくのゴールデンウィークも遊びに行く余裕はなさそうだ。とか言いながら、おとといはしっかり札幌の植物園に行ったけど。車のざわめきさえ聞こえなければ、市街地の真ん中とは思えない所だった。キツツキやキツネまでいたりして。そうそう、近所でアカゲラを見た事を興奮して話したら、松田さんに笑われてしまったよ。北海道では珍しくもないらしい。
5月1日 Jへ
さあ、来週にはいよいよ引っ越しか。その準備はもちろん、ほかもいろいろ用事があって大忙しだよ。きみはゴールデンウィークの予定は? 僕は会報作成の手伝いだ。こないだは、絵本をモンゴルへ送るのを手伝ってきたよ。1万5千冊、230箱というのがどれほどのものか、想像出来る? それを三人でさばくんだから大変だった。
こうして絵本はモンゴルへと旅立ったけど、僕の出発はいつになるやら。5月下旬の予定はどうやら遅れそうで、たぶん6月にかかると思う。しばらく神戸にいる事になりそうだ。
5月4日 Aさんへ
手紙、またまた行き違いになったね。今日届いたよ。ところで、今頃僕は会報作りの手伝いに行ってるはずだったけど、松田さんとこの子が熱を出してしまい、洞爺行きは延期。僕も昔は体温計を振り切る高熱を出していたから、つらさはよくわかるよ。
じつは僕の身の上にも、ささやかな不幸がふりかかったんだ。駅前で、自転車の鍵が掛かったまま破損。かついで帰る羽目になった。途中小さな男の子が、「おにいちゃん、ちからもちだね〜」。……力が抜けた。べつに好きでかついでるわけじゃないんだよ。
これで遠出も出来なくなったから、引っ越し準備を片付けたよ。あとは散歩でヒマつぶし。桜前線がついに到達して、公園も華やいだな。今の時期、あらゆる春の花々がいっぺんに咲いてるんだ。まだスイセンやコブシが咲いているのに、一方ではレンギョウやツツジまで開いている。北海道の春は、遅れを取り戻すようにいっぺんに進むんだな。ポプラの綿毛が風に舞い、エゾハルゼミの声が林にあふれる初夏も間近だ。思い出すよ、初めて北海道に来たのはそんな頃だったなって。
3 神戸から
5月18日 Mちゃんへ
けっきょく会えなかったね。また洞爺へ出かけてたんだ。もどったのはひっこし当日の午前1時。それから荷造りをして、手続きやかたづけをすませてから、しごとの残りをかたづけにまた札幌へ。
ひっこしは今まで何度もしたけど、こんなにいそがしいひっこしは生まれて初めてだったよ。とか言って、じつは楽しんでいたんだけどね。家族の中に入って、子どもたちとさわいだり、いっしょにごはんを食べながらおしゃべりしたり、そんなふうにしていると、一人でいた時の事がひどくうすっぺらく思えてくるよ。
5月18日 Aさんへ
神戸に着いたよ。今は荷物整理に追われてる。そうそう、神戸新聞でも例の絵本発送が記事になって、僕の名前も載ってたとか。
さて、今日は午後から三宮へ行ってくるよ。列車の中からも見たけれど、無事な建物もわりあい多くて、思っていたほどの惨状ではなかったよ。僕の町も、ほとんど以前のままだ。ただ仮設住宅は建てられているし、小学校も一時は避難所になっていたそうだけど。四か月もたってるから、のん気な感想を言えるんだろうな。
5月30日 Jへ
きみの方は今も忙しいんだろうね。僕もこの二週間、荷物整理で忙しかった。それから引っ越し自体も、今まで経験した中でもっともめまぐるしかったよ。今回の引っ越しの顛末を聞かせよう。
引っ越し三日前の5月5日、僕は松田一家に同行して洞爺の別荘へ。もちろん仕事でだよ。ワープロ持参で、会報作りを手伝ったんだ。まあ、子ども達も一緒でうかれていたのは認めるけど。
そこで二日間過ごして仕事も片付いて、7日の朝、松田さんにこう言われたんだ。翌日の事もあるから先にバスで帰った方がいいんじゃないかと(一家は渋滞を避け夜に帰宅)。せっかくの忠告だけど、僕はそれを聞き入れなかった。だって、来た以上はめいっぱい遊びたいじゃない。子ども達はとても楽しい遊び相手だったよ。泥だらけで帰りごはん前に手を洗いうがいをするのって、ずいぶんひさしぶりな気がしたな。
で、僕がアパートに戻ったのは、引っ越し当日の午前1時。徹夜で残りの荷造りをし、積み出し、掃除をし、各料金の清算をし……、時計の短針がたちまちひと回りだ。でもあとは夜行の出発時刻までのんびりと……、とそううまくはいかなかった。松田さんに渡してきたつもりのメモ類が、なぜかまだカバンの中に! それを渡しに、もう一回札幌に寄らなきゃならなかったよ。そしてそのまま作業の続きを、夜行の出発時刻まで……。
発てばあとは真っすぐに、と僕の場合そうはいかないのは分かるよな。列車であちこち寄り道だ。今回は青函トンネルの海底駅を見学したり、以前住んでた高田に寄ったり。図書館が立派になってたなあ。そこでS先生に手紙を書いて投函してきたよ。後日届いた返事によると、その日その時間にあの人も図書館にいたとかで驚いてしまった。いつかの京都駅での僕らみたいに、知らずにすれ違っている事ってあるものなんだなあ。
そして東京の弟のアパートに泊めてもらった。あいつの友達には個性的なのが多いけど、中でもモンゴル移住をもくろむ親娘がいるのには笑ってしまった。
続いて藤沢の従兄弟の家へ。国際郵便についてたずねる目的があったんだけど、一番の目的は赤ちゃんと遊ぶ事だったりして。
そして清水に寄って、モンゴルツアーがきっかけのペンフレンドと会ってきた。そしてその夜の宿は、名古屋の弟のアパートだ。まず名古屋駅から電話をすると、まだ帰っていない。次に地下鉄を降りて電話をすると、今帰ったとの返事。そしてアパートに着きノックをすると、奴はもう寝てた。
と、まあこうして神戸まで来たわけだけど、モンゴルへの引っ越しと考えれば、今もまだその途中だ。
5月30日 Aさんへ
こないだ西宮でゲルを組み立てた。なぜ西宮にゲルが? って思うだろう。僕もわけが分からないまま出かけて行って、わけが分からないまま組み立てを手伝った。後で事情を聞いて、やっと納得して帰ってきたよ。
内モンゴルと交流のある団体が東京にあり、西宮のボランティアの人がそこの関係者と知り合いで、被災地での救援物資の倉庫として所有のゲルを借り受けたんだとか。そんないきさつはともかく、僕としてはいい経験になったよ。ゲルの組み立てなんて、モンゴルでもめったにできる事ではないからね。これでゲルグイ(家無し)の名前も返上、かな?
6月12日 Mちゃんへ
いよいよモンゴルへ行く日が決まったんだ。来週の木曜日、22日に出発するよ。そして中国の北京にひとばんとまり、23日にモンゴルのウランバートルに到着。モンゴルへ行くのは3度目だけど、一人旅はこれが初めてだ。すごく楽しみ。
大人になると、生まれて初めてっていう事が少なくなるんだよね。だからたいくつしないためには、いつも新しい事をやってみなくちゃ。モンゴルへ行ってからは、きっと生まれて初めての事ばかりだよ。
6月12日 Aさんへ
出発が来週に決まって、さあ急に忙しくなった。日本から書く手紙も、これが最後になりそうだね。
出発は22日。関西新空港を発って、北京に一泊、ウランバートル到着は翌日だ。クランダさんが今週末からしばらく現地にいるから、向こうに着いてからは心配なさそう。問題は北京だよな。言葉の通じない所に一泊するなんて、なかなかスリリングだよ。去年北京で僕がオロオロした様子は、Aさんもよく知っているよね。今回どんな失敗をしでかすか、それは今度ウランバートルからの手紙で知らせるよ。
6月12日 Rくんへ
三か月ぶりの手紙だけど、ぼくの事まだおぼえてる? 近くモンゴルに引っ越すという話を前にしたと思うけど、ついに出発が決まったから、最後にお別れを言っておこうと思って。とぎれたままでおしまいじゃ、どうも気分がよくないからね。
今ぼくは神戸の両親の家にいるんだ。この町はぼくがちょうど今のRくんくらいのころに住んでた所で、いろんな出来事のあった町だからとてもなつかしいよ。次にここへ帰るのはいつになるかな。やっぱり少しは心残りがあったりして。もう一つ、きみの番組が見られなくなるのも残念だなあ。これからはテレビで見る事もできなくなってしまうけど、遠くから応援しているからね。
6月12日 S先生へ
北海道を発ってから一か月にもなるというのに、未だ神戸に居着いているのん気者ですが、いよいよモンゴルへの出発が来週に決まりました。本当にいよいよです。実現などまるで考えていなかった、漠然とした望みがかなうのが。
あこがれのきっかけをたどってみれば、教科書掲載の「スーホの白い馬」に行き着くでしょうか。不思議なものですね。かつては物語の中の別世界だったものが、生活の場ほどに身近になるなんて。やはり教科書で知った「わらぐつの中の神様」の町に、十数年を経た後不意に飛び込んだ時と同じような驚きを、今また感じています。
不思議といえば、僕が先月高田に立ち寄り手紙を書いていた頃、S先生も同じ図書館にいらしたそうですね。予期せぬ再会や、気付かぬ行き違いというのは、意外とひんぱんに起こっているものなのかもしれません。たとえばあの地震の日、たまたま東京へ出ていた僕は神戸へ向かったのですが、神戸の友達に京都駅で僕を見かけたと後から聞かされ、やはり驚いた事があります。
古い望みの不意の実現も、予期せぬ相手との遭遇も、そう稀なものでもないようです。そして僕は今、同じようにモンゴルでも思わぬ誰かとの再会がありうるんじゃないだろうかと、ひそかに期待しています。
6月18日 Rくんへ
手紙ありがとう。速達ですぐに返事をくれるなんて、ほんとうれしかった。ところで、きみのお父さんの友達がモンゴルにいるんだって? すごいねえ。ぼくなんか、今までいろんな所に住んだにしては、友達は少ないからなあ。
今日は出発四日前、いよいよ秒読み段階だ。まず明日はトランクを送らないと。出発が成田になってしまったから、前もって送っておくんだ。そしてあさっては、最後に友達と会う約束だ。子ども時代から続く友達なんて、ほんとにこの町にしかいないよ。
その次の日にはこの家を出発。そして22日には、いよいよモンゴルへ向け出発だ。ただし、まっすぐモンゴルへ行く飛行機はないから、途中北京で一泊。中国は言葉がわからないし、きっといろいろ失敗するだろうなあ。そんなエピソードは、また次の手紙で知らせるよ。それじゃ、いってきます。
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