陽光・星空・子ども達 − モンゴルに見た輝き 1 −


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     8月17日 月曜日
 旭川を発った。8時ちょうどのスーパーホワイトアロー2号。
 列車が動き出すと、前に座る誰かに向かって、ホームの姉妹が手を振りながら駆け出した。こんなふうに手を振ってくれる子が、僕にはいない。今さら分かりきってる事なのに、こんな情景を目の当たりにすると、むやみに寂しくなる。
 札幌から、ひどく混み合う北斗6号で函館へ。続いて乗った海峡12号が木古内に着く頃には、日は早くも西空に回っている。もうじき15時。真っすぐ来てもこの時間だ。やはり北海道は広い。とはいえまるっきり時間がないわけでもなし、少しだけ寄り道しよう。
 江差線を終点まで行き、すぐ引き返すと、運転士に問いかけられた。妙な乗客と見えるかもしれないが、僕なりの目的はちゃんとある。これで全国JR路線の99.7パーセントを踏破した。残るは留萠線だけだ。でも目標をなくしたくはないので、しばらく残しておこう。
 帰途、カミノクニ駅から二人の子どもが乗り込んできた。8才くらいのゆかちゃんと、6才くらいのゆうたくんの姉弟。笑顔を交わしただけで、すぐにうちとけ仲良くなった。おばあさんの方は、最後まで僕をうさんくさそうに思っていたようだが。大人に分かってもらえないのはいつもの事だ。僕はただ子どもに認められたならそれでいい。
 それはそうと、面白い事件もあった。ゆうたくんの歯が一本、いきなり抜けてしまった。ずっとグラグラしてはいたそうだけど。大人の歯がこれから生えてくるのが楽しみでたまらないらしく、ゆかちゃんと大はしゃぎしていた。前歯の抜けたゆうたくんの笑顔は、前にも増して人なつっこくかわいい。僕としては、大人の歯など生えずにいつまでもそのままでいてほしい。
 木古内で一緒に降りた二人だが、これから函館へ帰るという。僕が向かうのは青森、反対方向だ。でもお別れするには充分な時間があった。次の列車は一時間後だし、その間あの子達が繰り返し何度も手を振ってくれたから。待合室でバイバイと別れたら、また外からガラスを叩いて僕を呼ぶ。そして行っては戻り何度もお別れをして、見えなくなったなあと思ったらまたしばらくして、「おそば食べてきたのー」と駆け寄って来る。おばあさんにせきたてられながらも、二人は何度もバイバイを繰り返した。
 僕は海峡14号を待つ。13号に乗る二人は向こうのホーム。ひと足先に僕の列車が入って来ると、二人は最後にもう一度、手を振って僕を送ってくれた。バイバイ、バイバイ。
 僕にも手を振ってくれる子がいてくれた事を、今はこの上なく幸福に感じる。
     8月18日 水曜日
 寝台特急ゆうづる4号。旅慣れた僕にも寝つかれない夜はある。でもせめて一睡くらいはしたかった。安らかな気分で眠りについて、ゆかちゃんとゆうたくんの夢でも見たかったのに。僕はさえてしまった目で、ずっと二人の顔を思い浮かべていた。
 とりあえず市原の家に到着。父と合流し、本当の旅の出発はいよいよ二日後だ。
     8月19日 木曜日
 銀行へ行き、所持金を両替した。ひどく待たされたが、10時を過ぎて相場が変わり、40銭ばかり得をした。
 外貨を手にした事で、外国へ行く実感がしっかりしたものになった。それにしても、1ドルがほぼ 100円とは計算がしやすい。
     8月20日 金曜日
 出発早々失敗をした。駅で乗車券を買い、ふと気付くと、前もって買っておいた指定券がない。家に電話して、母に駅まで持って来てもらった。
 初めての海外旅行にしては、緊張感がないと自分でも思う。のん気はいいが、ぬけているのは困るかも。ツアー旅行など初めてだが、やはり学校の遠足の時のように、僕は集団行動や予定の行動がとれず、周囲に迷惑をかける事になるのだろうか。
 初めてのぞみに乗った。車内はまるで飛行機のようだ。そういう僕は、まだ一度も飛行機に乗った事がないが。まあ、似たようなものだろう。
 名古屋駅からバスで名古屋空港へ。このまま遠くへ出かけたくなるような、きれいなバスだ。たった40分で空港だった。
 出発するにあたり、さっそく一つ問題が起きた。搭乗券が喫煙席にされている。不満顔で煙草など喫わないと申し出ると、ウランバートル行きの便はすべて喫煙席だという。これには腹立たしさを通り越してあきれてしまった。初めて乗る飛行機に、悪い印象が残りそうだ。もっとも、最初から僕は旅客機に期待などしていないが。単なる交通手段の一つに過ぎず、空を飛ぶ事を大きな喜びと感じさせてくれるとは思えない。
 機内は汗の流れる暑さだった。飛び立って少し涼しくなったものの、息苦しさは変わらない。飛行機が大きく見えるのは窓が小さいためで、実際には狭いものだと初めて知った。僕の席は通路側。ただシートに座っているというだけの飛行だ。
 だが高度9500メートルのどことも知れない空間にこうして当然のように座り、うたた寝したり食事をしたりしているというのは、考えてみれば 少し愉快でもある。
 19時、北京で一時間の小休止。飛行機は給油をしている。ところが僕ら乗客は、降りるわけにいかない。息抜きにタラップに出るくらいはかまわないようだが、ステップをあと三段という所まで降りると、途端に警告の言葉を浴びせられる。ビザを持たない者に入国は認めないというのは判るが、頑固なものだ。モスクワのように税関内にいる限り入国とみなさないとするならば、売店に少しでも外貨が落ちるというのに(とは父の意見)。もっとも、以前は中国経由の空路自体が考えられなかったそうだが。
 ウルトラクイズの敗者のように、地面を踏めないまま機内に戻った。ただタラップの途中から飛行機の写真だけ撮って。見慣れないカラーリングの、モンゴル航空の機体。機種はボーイング727。旧ソ連製でないのは意外だった。
 薄暮の頃、染まる夕空を並ぶ小窓の外に見るうち眠くなった。着地の振動に目覚めると、もうウランバートル。22時。いつの間にか真っ暗だ。ここの夜は北海道ほどに冷える。
 手続き、荷物、ろくに明かりのついていない空港で、しばらく待たされた。まあいい、待つのは名古屋でもう慣れた。離陸の一時間遅れに始まって、ホテル到着はいったい何時間遅れになるだろう。
 名古屋空港でふと見かけた、大きなミッキーマウスのぬいぐるみを抱えた9才くらいの女の子は、同じ飛行機に乗っていた。深い青色の服や腰までの長い三つ編みが印象的でなんとなく憶えていたが、まさかモンゴルの子だとは思わなかった。よく見れば、鮮やかな青い服はワンピースでなくデールのようだ。今まで気付かなかった。どこか見憶えあるような顔立ちの子が、異国の民族衣装をごく普通に着こなし、そして耳慣れない言葉を当然のように喋っている。奇妙な感じだ。似通っている事が、かえって距離を感じさせるという事もあるようだ。
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