陽光・星空・子ども達 − モンゴルに見た輝き 1 −


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     8月21日 土曜日
 4時30分起床、朝食は5時。低血圧の僕が、なぜだかすっきり目覚めた。
 朝食後、通りかかった売店の地図を見ると、書かれた文字はロシア文字だった。同じ解らないにしてもモンゴル文字ならあきらめもつくが、ロシア文字はなまじ読めそうに見えるからもどかしい。
 昨夜も乗ったバスで空港へ。このバスは旧ソ連製のようだ。根拠はないが、そんな雰囲気がある。運転席は囲われたように孤立していて、運転手専用のドアが左側についている。ああ、そういえば左ハンドルだ。注意して見ていると、対向車は左を通り過ぎる。モンゴルは右側通行と、今になって気付いた。
 空港へ向かううち、空はかすかに明るくなった。が、今6時30分、日はまだ昇らない。空港の待合室も真っ暗で、僕はドアの上の“TOURIST CENTRE”という表示の薄明かりを頼りに記録をつけている。ほかに明かりもないため人目を引くドアだが、鍵が掛かっていて開かない。ここでただじっと待つほかなさそうだ。
 ようやく明るくなり、周囲の様子が見えてきた。空港がこんな平原の中にあったとは。ゲルが遠くに見える。ウマやヒツジが群れている。用地買収や騒音問題はありえそうにない。日本では暴力的なジェット機も、ここではほんのひと吹きの風でしかないだろう。
 ゴビへ飛ぶ飛行機は、これもきっと旧ソ連製の、中型双発プロペラ機。飛行するにはやはりこれでなくては。窓際に座り、丸い窓にカメラをかまえた。エンジン音が高まり、プロペラが高速で回転を始める。やがて飛行機は走り出した。気をもたせるように長い距離を走った末、今までにないエンジン音の高まりと共に機体は浮いた。昂揚感。これが本物の飛行機だ。これが本当の飛行だ。
 目の前で脚が格納された。機体が上を向くのが分かる。振り向くと、地上は朝陽に照らされている。起伏のある丘に影がうねる。蛇行する川が遠去かりながら、太陽の真下で明るくきらめく。
 モンゴルにも雲の海はある。機体を揺らしはするものの間近に見れば希薄な雲、しかし離れればしっかりした実体感を持ってそこに広がる。

 飛行機は、ゴビの大地にそのまま着陸した。この平原すべてが滑走路で、ただ目的地のそばに降りさえすればいいらしい。
 近くには観光客用のゲルの並んだツーリストキャンプがあるほか、周囲には何もない。まばらに草の生える砂地が、つらぬくような強い陽射しをはね返しながら、ただどこまでも広がるだけだ。
 人達のざわめきが、いつもより希薄に感じられる。反響がまったくないせいだろう。辺りは心細いほどに静かだ。遠い静けさに、意識がだんだん広がってゆく。
 双眼鏡で見渡してみた。ここでは空気遠近法はなく、点在する草のきめの細かさが距離を表す。数キロ向こうをバスが走る。遠ざかっているらしいが、いつまでもそこにとどまって見える。そしてさらにその向こうには、山の稜線が広く長く続く。かなりの距離がありながら、稜線もやはり切り貼りしたように鮮明に見える。
 その山の稜線が低くなり、ゴビの地平線と接する辺り、山がゆらゆらと浮かんで見えた。生まれて初めて見る蜃気楼……。でもなんだか、今ここで目にする物すべてが幻のようにも思える。そらおそろしいほどに、何もかもが鮮明に見える幻。
 ここから移動手段はバスになる。まずは砂丘へ。バスにとってもまた、この平原のすべてが道だ。砂丘を目指すのなら、ただその方角へ向かって走ればいい。
 ただし平原はそれほど平らではない。バスは壊れそうなくらいに揺れ、そのたび僕らは跳ね上がる。最後尾の座席だから特にひどいようだ。時には50センチ以上も放り上げられる。カメラなど壊れないかと心配になるが、それでも楽しかった。
 カメラやレコーダーは、一応出かける前に保護を考えてきた。引っ越し直後でプチプチエアキャップが山ほどあったので、それを使って袋を作り、ふだんはそれに入れている。この程度の衝撃なら大丈夫だろう。備えあれば憂いなし。ただ、税関では不審な包みと疑われてしまったが。
 モルツォク砂丘。風に吹き寄せられた砂が、山となってそびえている。ここでは何もかもスケールが大きい。風紋を惜しみながらも登ってみた。
 砂山の上でバッタリ出会ったのが、二人の子ども。ウマに乗っていた。語学習得に熱心な人の質問を横から聞いていて、これだけの事が分かった。姉さんの名前はハンナで9才、弟はマシュカといって8才だそうだ。向こうに見えるゲルに住んでるらしい。僕も言葉を覚えたくなった。もっとも言葉の通じる日本の子どもに対してさえ、笑いかけるか、せいぜい手を振るくらいしか出来ないのだが。
 帰り道、後続のバスとすれ違った。フロントガラスをはめ込むのに手間取って(という事は、はずれるか割れるかしたわけ?)遅れたとか。今から砂丘に行くとなると、ちょっと気の毒になる。足跡だらけだぞ。そんな事より、僕はのどが渇いた。息が通るたび、のどの奥がはがれそうな気がするほどだ。
 13時過ぎ、ようやくキャンプに到着。ここで昼食をとり、ひと心地ついてから、今度は岩山に向かった。ヨリーン・アム、鷲の口と名付けられた峡谷へ。
 腕時計の気圧計を見るまで気付かなかったが、平原を走るうちに標高は500メートルも上がっていた。やがて山岳地域にかかり、バスはさらに坂を登る。目的地の峡谷は、立山の室堂ほどの海抜の所にあった。
 バスを降り、小さな流れに沿って谷間を進む。頭上には、岩肌荒い山の崖。ふもとの草地では小さなげっ歯類が突き刺すようなかん高い声で鳴き、たまに姿を見せてはすぐ穴に駆け込む。来る途中バスの中からは、野生のヤギやワシらしき姿も見かけた。
 しかし目を見張るほどに感心するのは、やはり咲きあふれる花々だ。どの花も平原で見かけた花より大きく、そして鮮やかで、圧倒される思いだ。もちろんゴビの小さな花々にしても、短い夏の一瞬に賭けるように、いっせいに咲く姿は圧巻だが。
 岩山を仰ぎながら、草地を歩き、せせらぎを渡る。まるで別の国に来たような印象だが、これもまたモンゴル。午前の砂丘がひどく遠く感じる。今日一日で、いかにもモンゴルという風景と、意外なモンゴルの風景との両方を目にした。

 今日の予定はまだ終わりじゃない。帰る途中あるゲルに寄った。
 18時とは思えないほど、日はまだ高い。今モンゴルはサマータイムで、実質日本との時差はない。当然遥か西に位置するこの国は、朝はいつまでも暗いし、夜はこのようにいつまでも明るいわけだ。
 ここでラクダに乗せてくれるという。コブのほかにはつかまる物もなく危なげで、しかも予想以上に高い。落ちて鎖骨を折った人もいますから気を付けて、という声も聞こえる。僕はそれでものん気に、ラクダの後ろ頭をなでながら景色を楽しんだ。いつかヒトコブにも乗ってみたい。フタコブよりもスリルありそうだ。
 幻の海が広がるのを見た。遠い北の地平線は陽がかげり、その青い影がそう見えた。ただ、海を知らない人達にはどう見えるのだろう。どう説明すればいいだろう。同じツアー客の日本人ばかりが、その長く青い影に遠い目を向けていた。
 子ども達と一緒に写真を撮りたい。思いきって声をかけてみた。ただ、あの子達が承知したかどうかは判らず、僕の言う事もあの子達には解らなかっただろうから、ほとんど強引だったかもしれない。撮った後でお礼を言ったり笑いかけたりしても、返ってくるのがとまどうようなかすかな笑みでは、かえって寂しい。言葉が分かれば、遠くにかかる虹の事も知らせてあげられたのに。
 動き出したバスの窓から手を振ると、子ども達がゲルの裏から手を振り返してくれた。その向こうには、まだ虹がかすかに残っていた。

 バスの後部座席で一緒に飛び跳ねていた二人連れの女性は、モンゴルへの旅の動機は「スーホの白い馬」だと言った。うわあ親近感。僕がこの地にあこがれるきっかけになったのも、7才の時に国語の教科書で読んだあの物語だった。
 その馬頭琴の哀しい音を、夜の演奏会で聞かせてもらった。初めて聞く馬頭琴、モリンホールの音色は、間近で聞きながらもどこか遠い響きに思われた。
 近くの音が遠く聞こえる一方で、遠くの物が間近に見えた。星空。うわさに違わないものすごさだ。うるさいくらいに星々がひしめいている。明るい流星が一瞬光る。人工衛星もいくつか、無愛想にただ真っすぐ移動する。黒曜石の空に、銀砂銀粉の星々。
 なんだかおそろしくさえ思えてきたが、日本でも見慣れている星座の姿に、気を落ち着けた。うしかいが西の地平に立ち、東の地平からはペガサスが駆け昇る。銀河が幅広く横切る中、夏の大三角がこころもち小さく見えた。南にはさそりが低く薄雲にかすみ、振り向くと北極星は高い。
 平原の小さなゲルの影の中、僕は星の光だけに照らされてここにいる。

    8月22日 日曜日
 昨夜はゲルで眠った。ゲルは頭をぶつける入口の低さにさえ慣れれば、快適な住居になるだろう。安眠出来たが、日本の夢ばかり見るのが少し虚しい。
 早朝から吹きすさんでいる風は、まだ勢いを弱めない。飛行機はどうだろうか。べつにここに長居する事になろうとかまわないが、今後の予定もあるからやはり気がかりだ。
 風の中を歩いていると、昨夜みやげ物屋ゲルで買った帽子の小さな布片が、パタパタパタと音を立てる。こんな仕掛けになっているとは知らなかった。日本でも、こんな風が吹いてくれるだろうか。
 強い風も雨雲も、飛行にはさしつかえないらしい。またバスで跳ね上がりながら15分、昨日降り立ったキャンプへ戻って来た。
 ガイドブックによると、飛行機が発着するこのキャンプが、南ゴビで最も古いツーリストキャンプだそうだ。昨日はここでスズメを見た。人の生活のある所にスズメの姿があるのはどこの国でも同じらしいが、それにしてもこの砂漠の真ん中に、いったいどうやって来たのだろう。そして観光客のいないシーズンは、どう過ごしているのだろう。
 ウランバートルへ向け飛行機は飛び立った。外は雨雲、何も見えない。空港へ降り立つと、ここも雨の中。
 バスでホテルに向かった。舗装された道を通って。これが本来のバスの揺れだ。これから先、ゴビと聞くたび跳ね上がるバスや砂ぼこりの匂いを思い出すだろう。
 空港からホテルまでは約30分。明るい時に通って始めて周囲を見たが、市街から離れた不便な所だ。放牧地を通り抜け、不自然に片面だけに林を持つ山々に分け入り、ゴツゴツした岩なども目につき始める頃、ようやくホテルが見えてくる。父の言うには、ホテルがこんな郊外にあるのは、外国人を遠ざけていた社会主義時代の名残りだとか。けれど薫香の漂う古びた薄暗いホテルが、少し懐かしく思えた。
 昼食後、ウランバートル市内のボグドハーン宮殿を見学。そしてショッピングをして、今日の予定はおしまい。夕食を終え、今は部屋でノートの整理をしている。こんなふうにのんびり出来る時もあっていい。何しろ自由時間のまるでないツアーだから。雨は今も降り続いている。落ち着いて考え事をするのにいい夕暮れだ。
 今、ツアー客の何人かは、日本人墓地へ行っている。僕は記録映画の方に興味があったので参加しなかったが、その楽しみは延期になってしまい、今は本当に空白の時間を過ごしている。そうなると墓地に行っても良かったかなとも思うが、やはり行かなくて正解だろう。墓参りなど、僕は普段でもした事がないのだから。
 バスで通り抜けた町並みのそこここに、墓に眠る日本人抑留者が建築にたずさわった建物があると、出発前に本で読んだ。僕にはどの建物も古びていてそう見えたし、まさかと思えばみな違うようにも見えた。
 町といえば、一つ書き忘れていた事がある。ドルショップでのショッピングには、警官が同行した。バスを店の間近に停めて素早く乗り降りしたのは、雨のためばかりではない。店は僕らが入るとすぐに扉を閉ざし、鍵を掛けた。帰る時にも、扉を開けるとまず警官が出て行き、OKが出てからすみやかにバスに乗り込んだ。
 始めて町にやって来て、すぐにこんな裏の面を目にする事になるとは。たとえモンゴルといえども、町にはどうもなじめそうにない。それまでは、言葉の問題さえ片付けば、すぐにも住み着けるような気もしていたが。
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