陽光・星空・子ども達 − モンゴルに見た輝き 1 −


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     8月23日 月曜日
 そろそろ帰りたくなってきた。平原に。ここだってモンゴルには違いないが、ひとたびあの果てしなさを覚えると、こんな建物の中にいつまでもいられるものではない。
 今朝は食卓にまずヨーグルトが出た。物珍しさからすぐ食べてみたが、酸味が強いほかはくせがなく、挑戦のかいもないものだった。いつも出るバターはくせが強く、独特の風味がいつまでも口から鼻に残り、なかなかのものだが。
 それにしても、ここへ来て僕はよく食べる。出された物を余さずたいらげるのだから。三日たってようやく慣れてきたと、多くの人が言う。僕は初めから平気だった。誰もが残す羊肉を一人たいらげる事が、少々得意でもあった。ただ、見慣れぬ食べ物に父がためらううちに、僕は好奇心からすぐ口にして、いけると言えば父も食べる。これでは僕は毒見役だ。
 続いてカップヌードルと缶コーヒーが運ばれてきた。ああ驚いた。旅の間の非常食か。朝食はちゃんとまともな物が食べられた。

 ブルドへ向かうバスは、まず市街地を抜ける。10時30分、通勤時間はもう過ぎただろうが、バス停も路線バスも混雑している。
 町はずれにさしかかると、父の口数が多くなってきた。40年前50年前の日本が、道路の舗装も工場の感じもちょうどこんなだったと、しきりに外の景色に解説をつける。僕が一緒で良かった。一人なら、相手かまわず話しかけていたんじゃないだろうか、うちの父親は。
 今は単調な風景の中をひたすら走るだけだが、それでもこれまでにいろいろな物を目にした。遠いゲル。ヤギ、ヒツジ、ウマ、ウシ。飛ぶ鳥。翼を休める猛禽。故障車。走る犬。死肉に集まる鳥の影。すれ違う古いトラック。追い越す白い乗用車。たたずむ男。農地の太い縞模様。真っすぐ続く一本道……。
 今回は道があって助かった。ゴビでのあの揺れを思えば、ガタガタ道さえ快適だ。バスの中から写真を撮る余裕さえある。バスは登り坂になると大きくうなり、下り坂になると今度は静まりかえってしまう。運転手がエンジンを止めてしまうから。
 トゥーラ川の手前で昼食。食後の休憩時間、僕はまたみさかいなく子ども達に笑いかけては写真を撮らせてもらった。
 その中に一人、感心してしまうくらい紫色のデールが似合っている女の子がいる。この紫さんと一緒に写真を撮りたいのだけど、この子はみんなから離れて一人でいて、なんとなく声がかけにくい雰囲気。それでも僕は、素直に自分の気持ちに従った。子どもと仲良くなりたい、楽しく一緒に過ごしたい、それだけの事にためらう必要はない。帰りにもまた会えるかな。紫さんはバスに向かって手を振ってくれた。
 この昼食場所のそばには大きな池があり、ウマのひづめや頭骨が転がっていた。この辺り、ハンガイと呼ばれる草原地帯は、ゴビと較べるとのどかに青く広がっているが、やはり厳しい環境には違いないのだろう。バスの中から眺めているぶんには、果てしない草原は砂の平原にも増して素晴らしく、心をなごませてくれるが。
 単なる観光客でいる今の僕には、ここでの生活の本当の厳しさは決して分からない。もっとも、分からないからこそ、こうしてあこがれをつのらせる事も出来る。今のところはそれで充分だ。
 バスの中では、にぎやかにしりとりなんかが始まった。たぶんみんな、草原の中を走りづめでそろそろ人恋しくなってきたのだろう。いつも独りの僕はどこにいても変わらないが、めったにない機会なので一緒に騒がせてもらった。そして負けた罰ゲームとして、バスを降りて走りもした。ひさしぶりに全力疾走するいい機会だ。しかもモンゴルの大草原を走れるなんて。ダッシュ! 僕は遊びという事も忘れ、大事な帽子が飛ぶのもかまわず本気で走った。
 次の休憩地の岩場で見た、色とりどりの花は忘れられない。そして、その後の虹も。モンゴルという所も、思いのほか極彩色の華やかな所だ。もっとも、それは短い夏の間だけだろうが。ここでは七月の草は金、八月の草は銀と言うそうだ。そうなると、夏空にかかる虹はもうたとえようもない。

 18時30分、ハンガイのキャンプ地、ブルドに着いた。宿泊用ゲルが並び、中央に食堂があり、そしてやっぱりスズメがいる。ゴビのキャンプとよく似ているが、周囲に広がるのは一面の草原だ。ゴビは遠くは淡く緑に見えたが、ハンガイは足もとまで緑が深く、また独特の草の香りも強い。当然虫も多く、あちこち刺されて赤く腫れている。
 ゴビではラクダに乗ったが、ここではウマに乗せてもらった。自分で走るのではなく引いてもらって歩くだけで、千葉のマザー牧場と同じようなもの。だがモンゴルの草原と思えばやはり特別だ。ウマだってもちろん、そんじゅそこいらのウマとは違う。僕はウマの事はよく分からないが、モンゴルのウマは日本のウマより小柄で、足首も太い気がした。たてがみは短く刈ってあるが、尻尾は長く地面に届いている。ほかのウマに踏まれやしないかと、よけいな心配までしてしまう。
 一度乗せてもらってから、離れた所で別のウマをなでていると、これにも乗っていいとおじさんが身振りでいう。僕だけこっそり二度乗った。でもそのバチが当たったか、降りた後左足があぶみからはずれず、おっとっとっとと大声あげて、手綱を引いてくれた男の子に笑われた。
 こないだ買った帽子の文字を、通訳の人に訳してもらった。「皇帝チンギスハーン730」。去年がチンギスハーン生誕730周年で、それを記念した帽子だそうだ。
 この古来からのモンゴルの文字が、来年から公用語になる。今まではモンゴル語の発音をロシア語のキリル文字で表記するのが主流だった。だからこの古い文字を読み書き出来るのはお年寄りと、それから新しく教育を受けている子ども達だけだそうだ。戦後から社会主義時代を生きた世代は、かろうじて読めるが書けないという。私よりも小さな息子の方が詳しいと、若いお母さん通訳も笑いながら言っていた。
 歯を磨きに外へ出ると、さくにウマがつながれていた。二度目に乗ったあのウマだ。暗闇の中、静かにまどろんでいるようだ。ゲルに戻ると、男の子が来てストーブに火をいれてくれた。手綱を引いてくれたあの子だ。
 今は薪のはぜる音と共に、心地よいぬくみがゲルの中に広がっている。ここではアルガルという糞の燃料は使わないのだろうか。僕は匂いなど気にしないのに。かなり貴重と思われる木の薪を、一つ一つのゲルにひと抱えずつ使うとは、ひどいぜいたくのようで気がひける。わざわざ発電機を回して灯すこの明かりにしてもそうだ。手に取ってみると薪は重く、樹脂がしみ出していた。
 トイレの用で外に出ると、どのゲルも天窓から明かりが漏れ、煙は立ち昇って静かに流れ、絵になっていた。そんな美しさをほんのひと時、一人きりで楽しむ。これもまたぜいたくか。

     8月24日 火曜日
 外に吹く風の音を聞きながら、ゲルに降る雨の音を聞きながら、昨夜は眠った。
 目覚めると雨音はまだ続いていたが、じき遠ざかっていった。ただ、手がかじかむほどに風が冷たい。薪を驚くほどたくさん積んでいってくれたのも、今にして納得出来た。ここでは一日のうちに、夏も冬もあるのだとあらためて思った。
 朝食を終えてから出発までの時間、なんとなく草原を歩き、そして走った。こんなふうにどこへでも、そしてどこまでも行けるとなると、ただひたすら歩き、そして走りたくなる。
 今はバスでカラコルムに向かっている。今日の道も悪くない。ゴビと違い、ちゃんとした道が続いている。また、ゴビでは涸れ川ばかりを目にしたが、ハンガイには池がいたる所にある。大きく広がりうねりながら、中洲や三日月湖をいくつも持って、河もゆったりと横たわっている。
 前言撤回。バスの揺れは後からひどくなった。わき道に入ると舗装はされておらず、昨夜の雨にすっかりぬかるんで、悪路はゴビと変わりない。もう内臓の配置が変わりそうな大揺れだ。
 そんな揺れの中で僕はどうして酔わないのか、自分でも不思議だ。たぶん、車窓から見える光景に全神経が向いているからだろう。空ほどに広い草原。そして、追い越すトラックの荷台や通り過ぎるゲルから、手を振る子ども達……。

 どこに向かっているのか忘れた頃、ようやくカラコルムに着いた。
 団体で移動しながら説明を聞くというのはどうも面白くなく、僕はついて歩きながらも好き勝手な物を見ている。時おり見かける子どもの姿がどうも気になって。それから、イヌもやたらと目についた。モンゴルではどこへ行っても子どもの姿があっていいなと思っていたが、そういえばイヌもやっぱりどこにでもいる。ここエルデネ・ゾー寺院はふだんは閉ざされているのに、イヌはいったいどこから入って来るのだろう。
 ここは地元の人でも見学というか参拝は難しいらしく、閉ざされた門の外で大勢の人が待っていた。外国からの観光客のために門が開かれるのを。こういう機会でもなければ入れないというのが実情のようだ。
 帰途、休憩地でバスを降りると、目の前にはオボーとかいう石積みが。ミイラのようなウマの頭が、前歯をむき出して載っているのに見憶えがある。ここは行きにも休んだ所だ。でもその時は、確か下の谷を通ったはずだけど? 今は石積みのすぐわきにバスはいる。やはり走りたいルートを気の向くままに走っているようだ。
 バスの中ではまたゲームが始まった。罰ゲームは昨日の大草原全力疾走に続き、今日は大草原でのマイムマイム……。
 その前に、あらためて自己紹介があった。僕はいつかこの国に住みたいなどと、今思えばずい分青い事を言ってしまった。でももちろん、実現するはずないと決めつけるつもりもない。この地へ実際にやって来た事で一歩実現に近付いたとも言えるし、実現は二の次で信念と行動こそが大事だとも思う。今度の旅で、少なくともあこがれの思いは以前よりも大きくなった。

 19時、キャンプに戻ってきた。夕食は20時からというので、ちょっと近くの砂丘に行ってみた。小さな岩山にも登った。ここでは少しでも時間があれば、少しでも遠くへ行きたくなる。絶えず吹き続ける風のせいか、いつも心が騒いでいる感じだ。好奇心もまた、感度が強くなっている。
 けれどもこんな単独行動を、後で悔やむ事となった。夕食時、通訳のアキオ君に、近くのゲルに結婚のお祝いに行ってきたと聞かされ、とても残念な思いをした。さいわい、食後にもう一度新婚夫婦のゲルをたずねる機会を得たが。喜んで僕も一行に加わった。
 すすめられるまま、アルヒやアイラグの杯を空けた。後が恐いなと思いながらも楽しかった。ずうずうしくゲルの奥まで入り込んだ僕の目の前に並ぶ、22才同士の初々しい二人。やはり結婚間近らしい自称26才のアキオ君も、なんだか嬉しそう。もともと陽気な男だけれど、いつも以上にはしゃいだ感じだ。しきりに「僕も結婚したいな」を連発するかと思えば、二人の間に割って入って写真を撮る人を、人の恋路をジャマする奴と決め付け、「外にウマいるよー」などと言っては周囲をわかしていた。どうでもいいが、彼は妙な日本語ばかりよく知っている。
 ビデオカメラをかまえていると、新郎の弟というのが好奇心の強い子で、カメラを貸してくれという。僕は撮られる側に回った。でも暗かったし、ちゃんと写ったかな。最後にありがとうとはっきりした日本語で言い、手を差し出してきた。こういう時、モンゴル語での返事はなんだっけ? 自信なかったので日本語でどういたしましてと答えた。握手をすると、その15、6才の少年の手は大人のようで、握る力も強かった。
 あとはもう何を書いたらいいのか。小さなゲルに大勢でおしかけて何がなんだか分からなかったし、それにやっぱり酔いがまわってきて、今は頭がブワブワって感じ。熱い体がジンジンして、息が白くなるのに寒さも分からない。

     8月25日 水曜日
 夜半にふと目を覚ますと、ゲルの中は真っ暗。昨夜は同室の人も忘れず明かりを消したなと思ったが、明け方目を覚ますと明かりが灯っていた。さっきは聞こえなかった発電機の音が、遠くから低く響く。
 夜中に発電機を止めるのは燃料節約のためかもしれないが、あるいは運転中はいつも人がついていなくてはならないとも考えられる。いくらお金を払っている客とはいえ、僕達のためにそこまでする必要があるだろうか。始めからなければ、誰も求めはしないと思う。せめてこの国にいる間くらいは、ぜいたくや浪費グセをあらためたいと考えるだろうから。
 薄暗いうちにゲルを抜け出し、昨日も登った西の岩山に向かった。

 一面雲に覆われていたが、振り返ると朝日が細く見えた。岩の上から夜明けの草原を見渡す。遠くのゲルから立ち昇る煙。列なして飛ぶ鳥達。陽光に輝く細い流れ。ウマを追う人の声。ひづめの響き……。ここでなら、あのようにどこまでも駆ける事が出来るなら、たとえ飛べなくてもきっと満足いくだろう。草原は空ほどに広い。
 振り返ると虹が立っていた。そういえばゆうべも見た。これから虹を目にするたび、ゴビの平原やハンガイの草原を思い出すだろう。もっとも日本へ帰れば、そう虹を見る機会もないだろうが。
 朝食後にも時間があったので、今度は東の方へ行ってみた。東には小川が流れている。草原の中を、気ままに蛇行しながら。水は澄み、そしてとても冷たい。全力で走ってなんとか飛び越えたが、帰りには、なんと助走スペースがない! ……濡れた靴で一日冷たい思いをした。

 10時、ブルドキャンプを発った。明日一日ウランバートル市内観光が残っているが、これでもう帰途についたのだという実感がある。もうゲルでは眠れない。虫にいたる所刺されたが、そんな赤い腫れも素敵なおみやげだ。いや、おみやげを残してきたのは僕の方か。虫達の吸った僕の血が、あの草原で新しい生命の源になるだろう。そう思うと、とても追い払う気になどなれなかった。
 今日はまた珍しい虫を見付けた。休憩地でバスを降り、近くで虫の鳴く草やぶをかき分けてみると、鳴いていたのはお腹ブヨブヨのまだらキリギリス。よく見ると胸部に隠れるようにして小さい羽があり、それをこすり合わせて鳴いていた。名前はゴリョウというそうだ。またモンゴルに顔見知りが出来た。
 昼食は、なんとかいう湖のほとりで、ヒツジの丸焼きをごちそうになるのだとか。それじゃあ来る時に立ち寄ったゲルには行かないのか。紫のあの子にも会えないな。少し気落ちしてふて寝をしていて、目を覚ますと見憶えのあるゲルの前。なんだそうか、近くにあったあの池は、名のある湖だったのか。知らなかった。そういえばおとといひと休みしたあの花いっぱいの岩場も、ガイドブックを調べるとタワンツォヒオトという名前がしっかりあった。映画のロケにも使われた有名な所だという。
 まだ二度目なのに、なじみのような気分でゲルの一番奥に座り込む。丸ごとのヒツジの皮袋に肉と焼け石を詰めて調理する、ボートグというすごい料理が今日のメニュー。切り分けられた骨付き肉は、容易にはかみ切れなかった。
 ふるまわれた物をおいしくいただくのは礼儀だが、他人が手を下した物をただ食べるというのは気がひける。僕は普段は肉も魚も食べない。殺す勇気もなしに食べる資格はないように思えるから。モンゴルの人は自分の手で育て、そして自分の手で食べる。正反対のようで、しかしどこか同じようで、僕はモンゴルのそんな暮らしにあこがれる。とてもまねは出来そうにないが。
 ミルクは気持ちよくいただいた。独特の強いクセが、ヌフトホテルの匂いをふと思い出させる。あのバターと同じ匂いだ。これはたぶん、あの香りの強い草によるものなのだろう。これがモンゴルの匂いか。一面の草原を源として、巡り巡って僕らの体もやがてはモンゴルの匂いに染まるのだろうか。ああ、このままここで暮らせたら。空ほどに広い草原。花と共に香る草の葉。それらを知る事なしに、今までどうして生きてこられたのだろう。
 あの紫さんに、もう一度会う事が出来た。もっとも今日は黄色い服を着ていたけれど。はにかむ様子はあいかわらずで、とうとう最後までうちとけた笑顔を見せてはくれなかった。それはそれでしかたない。幼い子のつもりで接していたけど、13才というのは本当だろうか。なんとかいう湖のほとりの、発音出来ない名前の女の子。バスが走り出し手を振る姿が見えなくなった瞬間から、その存在がおぼろなものに思えてきた。草の葉も、バスの中までは香らない。
 さて恒例となった車中のゲーム、と思ったら、今日はマジメにモンゴル語講座が開かれた。僕には長い文は覚えられそうにないので、短い単語をたずねてみた。空はティングル、風はサルヒ、それから月はサル、星はオド。
 遠くにウランバートルの町並みが広がる。見渡すと、工場の煙がいやに目につく。
 鉱物資源や畜産物は原料のまま輸出して、よその国で加工するわけにはいかないだろうか。この地をきれいに保つためならほかの地は汚れてもいいというような、そんな自分勝手な思いがふと頭をよぎった。それというのも、この国には変わらずにいてもらいたいからだ。技術力はあるが資源がないため、原料を輸入し加工製品を輸出しては、生産過程で出る汚れをみなため込んできた国の事をよく知っているから。
 バスは市街地にさしかかった。草原を見慣れた目にも、ウランバートルの街はそれほど雑然とは感じない。人や車が多くても、道は広く街路樹も多いからか。そして何より、特異な雰囲気に見入ってしまうためだろう。
 父は昔の日本のようだと言うが、僕にはロシアの街のように感じられる。そんな中に、時おり中国風の建築物が目につくのが面白い。門らしき物。東屋風の物。ビルの上の文字はロシアのアルファベットだが、道端に見かける大きな看板には、歴史を持ちながらも新時代を象徴する、モンゴル文字が縦書きされている。
 真っすぐホテルへは戻らず、途中ザイサントルゴイに寄るという。夕食が遅くなるというだけの理由で僕は気のりがしなかったが、行って良かったと後から思った。
 長い階段が丘の上の記念碑に続く。行き着いた頂上には、旧ソ連軍との友好のモザイク画が頭上にぐるりとある。眼下には、ウランバートルの町並みが一望のもとに見渡せる。
 けれど僕にはそんな物はどうでもよかった。地元の子ども達と、思いきりはしゃぎ回っていた。ビデオカメラを向けると逃げ回るのも、嫌がっているのでなくふざけているのだと、表情を見れば判る。残念ながらすぐにテープが尽きてしまったが、いさぎよくあきらめカメラを置いた。一緒になって遊ぶのには、かえってその方が好都合かもしれない。
 言葉が通じなくても大丈夫。遊ぶのが大好きなのは、どこの子も一緒だ。男の子達の悪ふざけぶりも、昔の僕達と変わらない。女の子にたしなめられても、おとなしくするどころかますます調子にのって大騒ぎする。スカートめくりまで同じようにあるとはおかしい。
 二人の女の子、9つと7つくらいかと思ったら、13才と10才だという。それなら湖のあの子が13才というのも、間違いないのかもしれない。モンゴルの子ども達は、小柄で幼く見えるものらしい。
 あの子達は僕の事を、見かけだけ大きい子どもとでも思っただろうか。少なくとも、同じ年頃の遊び相手と認めてくれたのは確かだ。女の子にふざけて僕の帽子をかぶせてやると、お返しに帽子を逆向きに深々とかぶせられてしまった。横で見ていた人が、それもなかなか似合うと僕の事をからかうと、その子は言葉も分からないくせに笑いながらうなずいてみせる。
 そうかと思うと、どこからか小石を投げてくる子がいる。見回していると、ほかの子が下の方を指差しこっそり教えてくれた。ベンチを越えてのぞき込むと、崖下の岩陰に赤い野球帽がちらちら見える。都会っ子でもこの国の子はたいしたものだ。もっとも、僕も昔はあんな危ない遊びをしていたが。
 本当に、以前の僕達と同じだ。こんな子ども達と思いきり遊べただけでも、モンゴルに来たかいはあったと思える。この国で、これほどまでに楽しい時が過ごせるなんて。期待していた以上の満足を持って、帰途につく事が出来そうだ。
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