星の弦 − はちみつ色の世代 1 −
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11月5日 土曜日
今夜はこないだみたいな月明かりもないし、星の観測をするには文句のつけようがない夜だ。辺りにはコオロギの声が満ちているけれど、そのころがるような声も足もとだけに広がる感じで、頭上には静まりかえった空が冷たくさえわたっている。
みんなは目をこらし、耳をすまし、一時間ものあいだほとんど口もきかないで空を見上げた。共通の、たった一つの目的のために。
けれども流星はいつまでたっても流れない。
「ゲン、流れるように念じろ」
ミリがじょうだんをとばしたけれど、だれも笑わなかった。
流星なんてぐうぜん目にするもので、だからいくらこうして待ちかまえていても、むだなような気もする。けっきょく一つの流星も見ないまま、解散時間になってしまった。
真剣になればなるほど、どうにもならなかった時の失望は大きい。なんだかこのまま別れるのが惜しいような気がして、ぼくは真っすぐ家へは帰らないで四人について行った。
「こんな事いつまで続けたって、なんにもならんのとちゃうか? ミリ」
「でもほかに方法もないやろ。もうあとは運の問題だよな。それと根気と」
「おれやって、待てばぜったいにっていうんならその気にもなるで。けどはっきりせえへん事をずうっと続けるとなると、ちょっとな」
「うん。音の事となると、もっとはっきりしないしな。見るだけなら、ひと晩ねばれば一つくらいは見られるだろうけど」
「ひと晩か。そういう根気もちょっとないな」
ミリとテンは、ほかの三人の事なんかわすれてしまったみたいに、二人で話に熱中している。きっとそれだけ真剣なんだ。テンは星の観測を続けていく事についてはあんまり気のりがしないみたいだけれど、謎の解明という事にかけては相当な熱意を持っている。
そんな二人に今のぼくの気持ちを告げたら、いったいどんな顔をするだろう。ひょうしぬけするか、ひょっとしたらふまじめだとおこり出すかもしれない。
ぼくは今では、観測の楽しさのほうが先に立って、謎を解明してやろうという気持ちが前ほど強くなくなっている。
謎は謎のままでも、心を熱くさせてくれるのならそれでいい。ただ仲間といっしょになって、こうして同じ一つの事に取り組むのが、今は一番楽しいんだ。
でもぼくはなにも言えず、だまって二人の会話に耳をかたむけていた。
「だいたい流星は明け方のほうが多いんだ。それから季節でいえば夏のほうが多いし」
「じゃあこんな早い時間で、これから冬ってゆうたら最悪やんか」
「でも望みはあるよ。十二月のなかばにふたご座流星群があるんだ。流星群の事はこないだ説明したやろ?」
「ああ、聞いた」
「ふたご座流星群は流星群の中でも活発なほうだから、期待していいんじゃないかな。極大日は土曜に重ならないけど、前後の何日かはたくさん流れるから、きっとだいじょうぶやろう」
「ミリはいっつも気楽でええなあ」
「まあいくら流星が流れたって、音が聞こえるかどうかはわからんけどな。でもやるだけやろうや」
ぼくはミリのあとを受けて、考えたすえにこれだけ言った。
「気楽にいこうな。ぜったいに音を聞こうなんて思ってたら、きっとがっかりするし、ぜったいに謎を解こうなんてりきんでたら、そのうちつかれちゃうよ。それよりも、長く続けるほうが大事だろ? 今たとえ解明できなくたって、いつまでもこういう事をわすれないようにしていたら、何十年か先にでも、ひょっとしたら謎が解ける時が来るかもしれない」
それっきり、みんなは物思いにふけるようにだまりこんだ。ぼく自身もまた、考え事に没頭していた。
たぶん、十二月の流星群までは星の観測は続けられる。でも、そのあとはどうなるだろう。これから寒くもなるし、いくら待ってもムダとなると、それ以上続けていくのはむりかもしれない。ざんねんだけど。
謎の解明そのものよりも、みんなといっしょに熱中するって事が、ぼくにとっては一番楽しいんだ。その楽しみをなくしたくはない。
ふたご座流星群か……。もしもぼくらが五つ子だったら……、いいや、ほんとの五つ子だって、いつかはバラバラになるだろう。
みんながだまりこんでるものだから、辺りには五人の足音だけがひびいている。足音はそれぞれは規則正しいのにみんなの早さがちがうので、時にはまとまって高くひびき、また時にはちらばって低く広がる。
ぼくはもうなにも考えず、不規則に波うつようなその音に心をあずけた。
「ゲン、ちょっとゲン」
「ゲンジボタル。ゲンゴロウ」
ユッコとヨッシーに声をかけられているのに、ぼくはずっと気がつかなかった。ヨッシーにせなかをドンとおされて、ぼくはゆるんだ電球がパッとつくようにわれに返った。
「なにボーッとしてるん? 何座生まれってさっきから聞いとうのに」
「いやゴメン、ちょっと歩きながらウトウトしてた。なんだって?」
「ゲンは何座生まれ?」
「一月二十五日だけど、なんになるのかなあ」
「うそ、みずがめ座やわ。じゃあみんないっしょなん?」
「すごいな。おれとミリもみずがめ座やねん。ゲンも同志やな」
テンが言った。ぼくがあんまりびっくりした顔をしたせいだろう。ミリがもっとおどかしてやろうという気持ちもあらわに、いたずらっぽく言った。
「それもな、ぼくとテンとは三日しかちがわないんや。ぼくが二月八日でな、テンが十一日だから」
おっと、これもおどろきだ。ほんのちょっとの差とはいえ、ミリがテンより年上だなんて。
「あたしもみずがめ座。ゲンには言ってなかったね」
ヨッシーもはしゃぐような声で言った。
「えっ? じゃあ、じゃあさ、このみんながみずがめ座なわけ?」
すごいぐうぜん。ほんとにおどろきだ。そうなると、ユッコが何座生まれかも聞かずにはいられない。ぼくはユッコに詰め寄るようにしてたずねた。
「じゃあユッコは何座?」
「さあ」
「さあって、……やっぱりみずがめ座?」
「そう思う?」
ユッコの冷めた口調に、ぼくのうかれた気持ちも冷えてきた。とたんに勢いこんでこんな事をたずねたのがはずかしく思えてきたけど、今さら引っこみもつかない。ぼくはなかば意地になって、なおもユッコにたずねた。
「やっぱりみずがめ座なんだろ?」
「言えない」
「なんで? そうかちがうかだけでも教えてくれよ」
「ちがうとだけは言っとくわ」
「じゃあなに?」
「だから言えへんって」
「なんで?」
「しつこいね。なんでわたしの星座をそんなに知りたがるんよ」
「なんでって、そりゃ、かくすから聞きたくなるんじゃないか。言えないんなら、せめて言えない理由を教えてくれよ」
知らず知らずのうちに、ぼくはむくれたような声を出していた。反対にユッコのほうは少し表情をやわらげたけど、声の感じはあいかわらずどこかよそよそしい。
「あのねえ、星座とか血液型なんて、そうやたらひとに教えるもんじゃないの。うらないとかあるでしょ。だからそういうのを知られると、自分の今日の運勢とか、だれかとの相性とか、みんなひとに知られてしまうんよ。だから自分のデータはできるだけ秘密にしとかんとあかんの。わかった?」
そういうわけか。よっぽど親しい相手にしかうちあけられない秘密ってわけだ。
「男子にはわからんかもしれんけど、わたしらにとっては重大な事なんよ。だからそうかんたんに秘密を明かすわけにはいかへんね」
そう言って工藤は笑った。けれどもぼくに向けられたその笑顔を見ても、さっきまではたしかに持っていたはずの、彼女への親しみっていうか仲間意識みたいなものは、うすらいでいくばかりだった。
「じゃあ自分から言ってもうたあたしの立場はどうなるんよ」
「さあ、べつにええんやない? チカには守るような秘密なんてないんとちがうの?」
「あたしやって、勝手にだれかとの相性なんか見られたらいややわあ。もう、なんで先に注意してくれへんのよ」
工藤と有吉は、おたがいにかたをぶつけ合ったりうでをからませ合ったりしてはしゃいでいる。
こうなってしまうと、数の上では二対三でまさっていても、ぼくたち男子はあまりもの、のけ者みたいな感じだ。それをみとめたくない気持ちから、ぼくは明るい声でミリとテンに言った。
「秘密だってさ。ほんとにあいつら秘密が好きだよなあ。だったらこっちも秘密にしときゃよかったな。まったく、向こうから聞いてきたくせに自分は言わないなんて……」
だんだん言ってる事がぐちみたいになってきたのに気がついて、ぼくはだまった。気を取り直して、もうこの話題はわすれる事にしよう。
けれども次のミリの一言で、ぼくのこの気がまえもいっぺんにふきとんだ。
「でもぼくは知ってんだ、ユッコがなに生まれか」
「えっほんと?」
「うん」
「知ってんの? 工藤の星座を」
「まあね。そんなにユッコがなに生まれか知りたい?」
「うん、……まあ。」
「ユッコはねえ、うま生まれだよ」
「うまあ?」
「そう、うま生まれ」
うま座なんてあったっけ。十二星座はたしか、おひつじ、おうし、……とにかくうまなんてない。いて座は? あれは半分馬でももう半分は人間だ。
「おまえ、そりゃエトやろ」
ぼくが首をかしげてうなっていると、テンが笑いをこらえながらミリに言った。エト? ああ干支か。十二星座じゃなくて十二支だったんだ。ぼくはミリにからかわれていた事にようやく気がついた。
「なんだ、うま座なんてあったかなあなんて、一瞬本気で考えちゃったよ」
「一瞬かあ? ずいぶんなやんでたみたいやったけどなあ。ハハ、それでな、来年はうま年やろ。こないださ、ユッコはうま年だから来年は年女だなって言おうとしたんや。そしたらうっかり言いまちがって、うま女って言ってもうた」
「うま女あ? ウハハハハ」
「ヘヘヘ、そしたらユッコのやつおこるおこる。思いっきりけとばされたわ」
「おー、さすがうま女だなあ」
「だれがうま女やって?」
ふと見ると、工藤がこっちをにらんでいる。ぼくらの話はみんな聞こえてたみたいだ。
「またけとばされたいん?」
「うわ、ひのえうま女はこわいぞお」
ミリはおどけた動作でにげて行った。
「ハハ、それ行け、うま女ユッコ、けとばしてやれー」
ぼくがけしかけると、ユッコはふり向いてほほをふくらませた。
「あんたまでなに言うんよ。それにさっきも、いっしょになって笑ってたんとちがう?」
「あ、バレたか」
ユッコにふくれっ面でにらまれるのが、こんなにうれしい事だなんて思いもしなかった。こみ上げる笑いをおさえきれずに顔をそむけると、軽い平手打ちが後ろ頭にとんできた。
「あいたっ。おれももうにげよ。じゃあ」
さっきとはうって変わった上機嫌をさとられるのがてれくさくて、そのままぼくはみんなと別れて坂道をかけ上がった。
11月24日 木曜日
今日は朝から強い風がふいている。こがらしというにはまだ早いかもしれないけど、授業中も冷たくするどい風の音が、どうしても耳からはなれない。
風のふく日は、コスモスがゆれるのを見るのが楽しみだった。けれど校庭の向こうの斜面に咲くコスモスも、今ではすっかり散ってしまった。窓の下の花だんにしても、先週球根を植えたばかりで、しめった土の色一色におおわれている。
こんな風景の中で、校旗だけが活気づいている。勢いよくはためく音は、強い風に乗って遠くまでたなびいているし、ゆれるロープがポールをたたく金属音は、冷たい空をどこまでもつきぬけていくようだ。
最近では、ぼくたち十五のメンバーが放課後学校に居残るのは、せいぜい週に一回くらいだ。話し合う事なんてもうなにもないんだから、それがあたりまえだろう。
ひそかに集まり本を囲むといった事そのものに、前は楽しさを感じていた。けど、そんなかっこつけにもなんとなくあきてきていた。それに近ごろは暗くなるのがずいぶん早くなったし、がらんと広い特別教室は長くいるには寒すぎる。
そんなわけで、ぼくらの下校時間は自然に早くなっていった。
それでも、星に対するみんなの熱意はあい変わらずだ。
ミリは観測カレンダーとかいうものを作っているそうだ。テンはガラにもなくやけに天気を気にするようになった。それはぼくだって同じだ。しかも前は星空を見てあしたは晴れだと思ってたのが、今は青空を見て今夜は晴れだなんて考える。
それからユッコの読む本、ヨッシーの描く絵、どちらも最近は星に関するものばかりみたいだし。
……どうでもいい事だけど、あの二人はやっぱり、ぼくらとはちがった少女趣味的なところで星に熱中してるみたいだな。
ミリとテン、そしてぼくの男子三人は、星のほかにも共通して熱中できるものを見付けた。電子工作だ。ミリもテンもさっそく自分専用のハンダゴテや工具を買い、部品をそろえ、早く帰った日にはそれらを持ってぼくの家へやって来る。
今日も二人はたずねて来た。……それからさらに、もう二人も。
「なんか用?」
ぼくはつくえの上にふせておいた本を手に取ると、ユッコのほうを見ずにたずねた。
「べつに用事はないんやけど、みんなここにいると思ったから」
「でもよく家がわかったな。だれに聞いたん?」
「知ってたもん」
ユッコはなんだかよくわからない答えを返した。
ふと見ると、テンはハンダゴテのコンセントをぬいて作業を中断している。分け前が減るとか言いながらお菓子の皿をかかえてウロウロしていたミリも、ヨッシーにセーターのそでを引っぱられてこしを降ろした。
もう工作はできそうもないな。ぼくも本を閉じるとゆかの上にすわりこんだ。
「なにしてたん? 十五のそうだんでもしてると思ってたのに」
ユッコの声にはとがめるようなひびきはなかったけれど、ぼくはふと答えにつまった。
星の事をないがしろにしているわけじゃないんだし、べつにやましくなんかない。けれど電子工作に熱中しているところを、なんとなく女の子たちには見られたくなかった。
「またむずかしいわけのわからんもんにのめりこんでるんやねえ」
ぼくがだまっていると、ユッコは勝手にぼくの手から本を取ってパラパラ見始めた。ヨッシーもいっしょになってその本をのぞきこんだ。
「LEDってなあに?」
「発光ダイオード」
「発光ダイオードって?」
「発光するダイオード」
ぼくのあまりにそっけない答えに、ユッコはニガ笑いしている。
「なによ、あんたの答えぜんぜん説明になってないやないの」
「だって、説明したってどうせユッコにはわからんやろ」
「あっそう。じゃあLOVEってなにかわかる?」
「知らん」
とっさにぼくは答えた。なんだかあまりかかわらないほうがいい話題のような気がしたから。でもユッコも、それからヨッシーも、そんな事にはおかまいなしだ。
「ラブやないの、ラブ。あんたラブもわからんの? なさけないねえ」
「なさけなくてけっこう」
「あれ? ラブのつづりってLOVE? あたし知らんかった」
「もう、チカまでなさけない事言うんやから。そう、チカもラブを知らんかったんやねえ」
「ただつづりがわからんって言うただけやのにー」
二人の会話にだんだんいや気がさしてきて、つき出したあごにしわがよるのが自分でもわかった。けれどもあの夜と同じように、とぼけたミリの一言がぼくのむくれ顔を一転して明るく変えてくれた。
「なあ、つづりってなに?」
「はあ、もっとなさけないのがここにおったわ」
「おまえはつづりも知らんのかいや。無知やなあ」
みんなから無知、無知とせめられると、ミリはますますきょとんとした表情になった。
「ん? ムチってなに?」
ぼくらはみんな、しばらく起き上がれないくらいにずっこけた。
それからはボードゲームでおおいにもり上がった。電子工作の部品や工具は、自然に部屋のすみにおしやられた。
そしてぼくは急におしゃべりになった。だまっているといきなり高笑いをしてしまいそうな気分だ。さっきの不愉快な気分なんてもううそみたいだし、その前にユッコに向かってむりにそっけない態度をとったりしたのも、今ではばからしい気がする。
「はいユッコ。次はユッコの番」
「3? また3かあ。ユッコは3が好きだなあ」
「うくっ、まったくユッコにはかなわんなあ。はい千ドル、ほらユッコ!」
ぼくはなかば意識的に、ユッコのよび名を何度も何度も口にした。ユッコの事をユッコとよべるのが、今はなぜだかみょうにうれしいから。
この二人の事を、ユッコ、それからヨッシーなんて、知らないうちによぶようになっていた。まさか女の子をニックネームでよぶなんて、そんな事最初はぜんぜん考えられなかったのに。
でもひと口にニックネームと言っても、ヨッシーとよぶのとユッコとよぶのとでは、ぜんぜんちがっている。ヨッシーとよびかけるのは、有吉とよびかけるのと気分的にそう変わらない。けれどもユッコとよびかけるのは、まるでユミコとよびかけるような感じがして、なんだかドキドキするくらいにうれしくなってくる。
このわけのわからないうれしさに対して、初めのうちぼくは、そんな事はないと思いこもうとしたり、意識すまいとけんめいになったりしていた。でも今は、そんな事があってもいいなとおおらかな気分で思える。
とはいっても、それはぼくの心の中だけでの事。他人にも、そして当の本人にも、ぼくのそんな思いはさとられたくはない。やっぱりやたらにユッコ、なんてよびかけるのはひかえたほうがいいかもしれない。
ゲームが終わると、ミリが胸ポケットをさぐりながら言った。
「はい。じゃあ今から賞品の授与をおこないまーす」
ミリがポケットから取り出したのはあれだった。例の、メンバーの証明。
「あっ、できたん?」
「うん。教室でわたすわけにはいかんやろ。来てくれてちょうどよかったわ。はい、ユッコは赤やったな」
そう言ってミリは、ユッコに赤い星を手わたした。
「ユッコのは火星だ」
不意に、ぼくはミリの事がどうしようもなくねたましく思えた。ミリはぼくよりずっと前から彼女にユッコとよびかけて、あのドキドキするようなうれしさを味わっていたという事に気付いたせいだ。けれども同時に、そんな事でミリを悪く思うのはまちがいだというのもわかっていたので、ミリに対してすまないとも感じた。
ぼくはこぶしを何度かにぎったり開いたりしたすえに、開いた手のひらを勢いよくミリに向かってつき出した。
「ああ、ゲンは希望通り黄色な。これは金星だ」
ぼくの手のひらに黄色い星をのせながらミリは言う。いつもながらの気のぬけるようなのん気な声だ。
「テンのは海王星で、ヨッシーのは木星のつもり。そしてぼくのは天王星」
「木星って、桃色なん?」
「そんなわけないやろ。本気で言ってるんじゃないやろうな、ヨッシー」
「だって、一瞬そう思うやん。ほんとうは何色?」
「ちょっとオレンジがかった黄色って感じかな。だからゲンのそれは金星じゃなくて木星っていっても通じるな。どっちがいい?」
「そんなのどっちでもいいけど、それでちょっと赤を混ぜたん? なんか少しオレンジがかってるけど」
「ううん。クリアーイエローをそのままぬっただけで、なんも混ぜへんよ。なんでそんな色になったんやろうなあ」
「厚くぬりすぎたんやろ」
テンが指摘するとミリは頭をかいた。
「まあええやんか。ただの真っ黄色よりそのほうが金星らしいよ、黄金色で」
「黄金色? ……おれそういうのってあんまり好きじゃないな」
ぼくはうっかりそんな事を言ってしまった。ミリの表情にはなにもうかばなかったけれど、ぼくはあわてて言いそえた。
「ほら、黄金色だとかコハク色だとか、そういう気取った言い方ってどうもいやなんだ。それに使い古された言葉って気もするし」
「そっか。じゃあゲンだったらなんて言うん?」
「おれだったら? うーん、おれだったら、たとえばハチミツ色とか……」
「あ、いいなあ。じゃあさ、サラダ油色ってのもどう? あと溶かしバター色とか、それから……」
「おしっこ色とか」
「こらっ、またテンはきたない事を言い出す。おーい、山崎くんのザブトン全部持って行きなさい」
ようやく、ふざけてみせるくらいの余裕が、ぼくの心の中にももどってきた。
最初にプラスチックを透かして外をながめ始めたのは、ユッコだった。それからみんなで借りたり貸したりして、時には何枚か重ねたりして、ぼくもあらゆる色に外の景色をそめてみた。
そして最後まで窓辺に残ったのは、やっぱりユッコだった。
「でもいがんで見えるのがちょっとざんねんやわあ。もっときれいにぬれなかったん?」
「むり言うなよ。ふででぬるとなるとそれがせいいっぱいや」
ユッコはまた赤い星を目の前にかざした。反対の目をかたくつぶると、同時に口もともきつくしまった。
「なにがそんなにおもしろいん……だろうなあ、テン」
「さあ」
ユッコに向けて投げかけたはずの言葉が、とちゅうからテンのほうへそれてしまった。身動き一つしないユッコには、なにも聞こえていないような気がしたから。
と、いきなりはね上がるようにユッコのかたが大きく動いた。
「わすれてた! する事があったんや。じゃあこれで帰るわ、わたし。チカはどうする?」
「あたしもいっしょに帰るわ」
二人は前ぶれもなくやって来たのと同じように、あわただしく帰っていった。
「なにしに来たん? あの二人」
「さあ」
帰っていく二人が見えないかと、ぼくは立ち上がって窓辺へ行った。
目の前のガラスには、ついさっきまでここに立っていたユッコの息が、まだ白く残っている。ぼくはなんの気なしに片手を白い息にかざし、そしてかすかなためらいを感じながら、一本の指でそれにそっとふれてみた。
「なあゲン」
ミリの声にぼくはあわてて身を引いて、すばやく窓からはなれた。同時にガラスのくもりもそででサッとぬぐった。
「ゲンはあの二人がいると、急におしゃべりになるんやなあ」
「おいおい、おまえはひとの事言えるんかいや。でもほんまそうやなあ」
「そう言うテンは?」
「おれはいっつも無口でクールや」
「どこがあ?」
ふり返ると、ポテトチップをほおばりながらしゃべるミリにも、その横で笑いながらミリのかたに手を置くテンにも、ほんの少しの悪意も見うけられない。けれどもぼくは、気持ちを見透かされたような最初の一言に、強いいらだたしさを感じた。
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