星の弦 − はちみつ色の世代 1 −
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12月10日 土曜日
ぼくが観測場所に着いた時には、四人はもうじっと空を見上げていた。
意気ごんだみんなが早く来ただけで、べつにぼくがおくれたわけじゃない。けれど、一番家の近いぼくが最後にやって来たとなると、やっぱりきまりが悪い。
「もういくつか流れた?」
てれかくしに、なんとなくそんな事をたずねてみる。
「まだ一こも。おれらもついさっき来たとこや」
テンが答えた。ぼくはほっとして、テンのとなりで石垣にもたれかかった。
ふたご座流星群の流星は東から流れるとミリが言うので、今夜はいつもの場所まで坂を登らずに、とちゅうの東の空の見える場所に集まった。ここで石垣にもたれかかって一時間、いや、今夜は特別に一時間半、静かにじっと空をみつめ続けるわけだ。
ときどきミリが星の話をしたり、たまにはみんなでむだ話をしたりもするけれど、それでもじきに思い直して口をつぐむ。音を聞くのが目的なんだから、さわいでいるわけにはいかない。
早くも足先が冷たくなってきた。それからせなかも。石垣のゴツゴツしたかたい冷たさが、厚手のジャンパーを通してせなかにジワジワとめりこんでくる。でもだからといって、せなかを石垣からうかせて立つのもくたびれるし。だからときどき足ぶみしたり歩き回ったりして、体をあたためるしかない。みんなもたまにそうしているけど、気のせいかぼくが一番おちつきがないみたいだ。
道ばたの草の葉がみんな光っている。道路や石垣もなんとなくしめったような色だ。もうつゆが降りてきているらしい。
「とうめいなテントでもあるといいんだけどなあ」
ぼくがつぶやくと、みんなはそろって小さく笑った。やっぱりみんなだって寒いのは同じらしい。ぼくはもとの場所にもどり、石垣のしめりけを気にしながらもけっきょくまたもたれかかった。このつゆもじきに白いしもに変わるんだろうなと思いながら。
四十分ほどたったころ、ユッコがいきなり大きな声をあげた。
「あっ、あー、流れた!」
「見た見た、ぼくも見たよ」
そう言ったのはミリだ。でもぼくをふくめてあとの三人は、ざんねんながら見のがしてしまった。
「どこらへん?」
「もうほとんど真上やったわ。ずいぶん速かったねえ」
「うん。あれはまちがいなく流星群の一つだな」
「あたしずっと向こうのほうばっかり見とったわ」
「ハハ、でもまだチャンスはあるって」
「でもな、ミリ。音が聞こえるかどうかを確かめんのが大事なんやぞ。もうちょっと静かにせえや。それからユッコも、流れたからって大きな声を出すなや。なにか音がしてもわからへんやないか」
テンがうかれる二人をたしなめた。声の調子がずいぶんきついのが気になるけど、注意するのももっともだろう。
「だれか音を聞いてないか? ゲン、どうやった?」
テンにたずねられて、ぼくは無言のまま首だけ横にふった。
「そうか。今はさわいどったからちょっとわからへんな。今度は静かにしとこうな」
こわいくらいに真剣なテンの態度に気圧されて、ぼくは気を取り直して夜空をあおいだ。
「それやったら、どうやってほかの人に流れ星の事知らせるんよ」
「だからぜったいしゃべるなとは言ってへんやろ。ただ流れた時に大きな声を出されるとこまるんや」
「でもしょうがないよ。びっくりした時って、どうしても声が出てしまうもんなんだから。なあ」
「だからそれをなんとかがまんせえ」
テンたちはまだ小声で言い合いを続けていたが、ヨッシーにたしなめられると口をつぐんだ。
「もう、三人ともいいかげんにしっ!」
静寂がもどった。
虫の声はずっと以前に絶えて、時おり遠くを通り過ぎる車の音や、どこかの犬のほえる声だけが、夜の冷気を伝わってとどいてくる。けれどもぼくは、こういった地上の音をいっさい無視した。目とちがって耳は一方だけに向ける事はできないけれど、気持ちを一つに集中すれば、そのほかの音は気にならなくなるものだ。
月明かりもなく、今夜の空はぬりつぶしたように黒い。その暗やみをバックに、冬の星の光は目をいためそうなくらいに細くするどい。
東の空にはオリオンがいやに大きく見える。三つ星がたてにならび、その両側に一つづつ一等星が光っている。
そのままずっと左に目をやると、ひときわ明るい星が目につく。ミリの言うには、あれは木星だそうだ。木星はほかの星とちがってまったくまたたかない。大きな黄色い光で、じいっとこっちを見返している。
オリオンの下には、昇ったばかりのシリウスがなんとか見える。シリウスはまるで、回転しているようにめまぐるしくまたたいている。みつめていると、わけもなく心をかきみだされるような光だ。
木星とシリウスとを見くらべるうち、静止して見えるほど勢いよく回るコマと、止まりかけてふらつくコマが思いうかんだ。あの木星だってほんとうは、天空にとどまるためにすごい速さで回転していたりするのかもしれない。
星の光に目をうばわれているうちに、地上の雑音はいつのまにか聞こえなくなっていた。今、ぼくの耳は目と同じように、空のしじまだけに向いている。
それどころか、足先やせなかの冷たさすらわからなくなっている。今のぼくには手も足も、体すらもない。ただ目と耳ばかりになった意識だけで、地上百三十センチほどの高さのなにもない空間に、ふうっとうかんでいるようだ。ぼくにはもう、過ぎていく時間すら感じられない。
ところが……。
「それがいややったら自分で舌でもかんどけ」
「そんな事したらいたいやろ」
「そんなん知るか」
テンとミリとが言い争う声におどろかされて、ぼくはいっぺんに実体化した。
「だいたいまじめにやろうって気があればな、自分でなんとかしようって思うはずやぞ。ミリはいつもさわぐばっかりやないか。なんも考えんで」
「わかったよ、もうしゃべらないよ」
「そう言ってて、いつでもまたすぐはしゃぎ出すやないか。ユッコなんかといっしょになって」
「もういいじゃないか。ミリはだまってるって言ってんだから」
ぼくがなだめるようにテンに声をかけると、彼はぼくのほうに向き直った。
「それよりゲンはどうなんや? まじめにやる気はあるんか?」
「なんだよ」
「もともと言い出したんはおまえやぞ。おまえがしっかりせえへんでどうするんや」
「だからやってるじゃないか」
「なんにもしてやしないやないか。ただ流星が流れんのを待っとうだけで。それやってもともとはミリの言い出した事や」
「だからなんだよ」
「自分が中心になって、みんなを引っぱっていこうって気にはならんのか? ほんまならゲンがリーダーにならなあかんのに、いっつもボーッとしとうだけやんか。今日だって一番あとからやって来て、もう流れた? とか言って」
ボーッとしているだって? ぼくはぼくなりにいつだって真剣だ。それも知らないで、こいつはぼくの事をいいかげんだと思っている。ぼくは頭から首すじの辺りまで熱くなったけれど、強い調子で言い返すのだけはなんとかこらえ、やつにせなかを向けた。
「ふん、なんにも知らないで。こんなやつといっしょにやってられるかよ。おれもう帰るからな」
わざとさめた口調で言い捨てて、ぼくは冷静さをよそおった足どりで坂道を下った。後ろからあいつがまたなにか言ったけれど、なんて言ったのかは聞こえなかった。聞きたくもなかった。
「ただいま」
小さな声で言ってから、ぼくはお母さんが出て来る前に急いで二階へ上がった。
今夜は三十分おそくなると言っておきながら、こんなに早く帰って来たから、きっとおかしいと思ってるだろう。じきに部屋まで来ると思い、ぼくはすぐベッドにもぐりこんだ。
たしかに、テンの一言は無神経で腹が立った。でもそれならそうとはっきり言い返せばよかったんだ。ただ、そうすればケンカがエスカレートしそうで、だからどうしても言えなかった。
テンを相手に、もしなぐり合いのケンカにでもなったらどうなるだろう。正直言って体の大きなテンがこわかった。だからにげて来た。にげるみじめさをごまかすように、彼に冷たくあざけるような言葉を投げかけてから。……ぼくはもっともひきょうなケンカをしてしまったらしい。
ぼくはともだちとケンカした経験もあまりないし、ひとりっ子だから兄弟ゲンカも知らない。そして、知らないのはケンカのしかたばかりじゃない。そのあとどうやって仲直りをすればいいんだろう。
ぼくはひとに面と向かってあやまるのがにがてだ。相手になんとなく察してもらうのを期待するばかりで、どうも自分の思いをはっきり口にできない。だからいつも誤解されたり、理解してもらえなかったりするんだろう。
でも今度はテンに、それからほかのみんなにも、ちゃんとあやまろう。ぼくが一人で帰って来てしまったものだから、なんだかみんなを相手にケンカをしてしまったような気がする。
お母さんには、ただケンカをしたとだけ説明した。自分が悪かったという事は言えないままで、ぼくはますます自己嫌悪におちいった。
たしかにぼくは自分勝手だった。みんなといっしょに一つの事に熱中するのが楽しいとか思いながら、けっきょくは自分一人で勝手にのめりこんでいただけなんだから。
いつまでもこうしてみんなと星をながめていたいと思いながら、ぼくはそんな願いを自分自身でこわしてしまったのかもしれない……。
月曜日の朝になった。はっきり口に出してあやまろうという強い決意も、一日おいたせいでしぼんでしまっていた。せめて自分の気持ちを少しでも行動であらわそうと、こうしていつもより早く登校して来たけど、あらためて考えてみるとなんの意味もない。ただみんなが来るまでのおちつかない時間が、長くなるだけの事だ。
身の置きどころがないような居心地悪い時間の中で、ぼくはあやまる場面を想像してみた。そっけない態度をとられればばつが悪いし、反対に笑顔でこたえられてもてれくさい……。
そんな事を考えていた矢先に、ユッコとヨッシーが連れ立ってやって来た。なんのこだわりもいだいていない事を二人の表情からすばやく見てとると、自然に口もとがほころんだ。ぼくはこっちを見た二人に向かって、声には出さずに口の形だけでゴメンと伝えた。
けれどもテンに対しては、そんなふうにふるまう事はむずかしい。彼がすがたをあらわしたとたん、やっぱりとっさに顔をふせてしまった。それでもぼくは一瞬のうちに、テンの濃いまゆがつり上がっていないのだけは確認していた。
いきなりつくえの上に、いつかテンに貸した電子工作の本が置かれた。
「これ返すわ。長いこと借りっぱなしで悪かったな」
「……ん」
「今度はミリが借りてたやつを貸してほしいんやけど」
ぼくは顔を上げてテンを見た。やっぱりまゆはつり上がっていない。かわりに口の両はしが上がっている。
「いいよ。じゃああした持って来るよ」
「それより今日おまえん家に行くわ。ミリと二人で。ミリが見せたいもんがあるそうや」
「見せたいもの?」
「ミリはおどかすつもりみたいやったけど、口止めされたわけでもないし、ええやろう。あんな、ミリんとこにこれくらいのテープレコーダーがあるそうや。マイクもついとうっていうからな、それで例の音をとろうっていうんや」
「いいなあ。それだったらぜったい聞きのがすはずないもんな」
「ああ、次の観測ん時から持って行くって」
「次の観測? ……次の観測かあ。今から楽しみだなあ」
「ああ」
けっきょくこうしてゴメンの一言もないまま、ぼくとテンは仲直りしてしまっていた。
反省の気持ちをはっきり口にできないのは、よくない事だろうか。いや、言わなくてもわかってもらえる相手になら、これでもいいんじゃないかってぼくは思った。
ただ、おおげさすぎる気がまえに対して、あまりにもあっけない、気のぬけるような仲直りだったな。でもまあこんなもんだろう。少年ドラマなんかとちがって、ケンカも、それから仲直りも、ほんとはそんなにドラマティックなもんじゃないさ。
「やあ、ゲンテンコンビ、おっはよー」
陽気な声とともにミリがあらわれた。つられてぼくも明るい声を返した。
「やあ。なんかおれに見せたいものがあるんだって?」
「そうなんだ。十五のための新兵器、しかけは見てのお楽しみ」
とぼけ通そうと思ったものの、こらえきれずにぼくらは同時にふき出した。
12月31日 土曜日
おおみそかの夕方、ぼくはミリにさそわれて、ひさしぶりに配水池にやって来た。
「ほかのみんなは?」
「ユッコはいなかった。雨戸もみんな閉まっとったわ。ひょっとしたら寝てたりして」
「いなかに帰ったんだな。テンやヨッシーは?」
「いたかもしれないけど、あの二人はなんかいそがしいみたいな気がしてさ、さそいにくくって」
「おいおい、だったらおれだっていそがしいんだぞ、それなりに」
「じゃあ帰れば?」
「あ、やな言い方。いいよ、せっかく来たんだから。でもなんで、こんなとこまでわざわざ来たん?」
「いや、ただひさしぶりやなあと思って。なあゲン、今日の夜十五の観測しない? できたら朝まで。星見ながら新年むかえるってのもいいもんやぞ」
「ちょっとおい、本気かよ」
「じょうだんじょうだん」
そう言いながらも、ミリの口調にはほんのちょっぴり、ミリ単位で本気がふくまれていた。その気持ちもまあわかる。流星群のあの夜以来、十五の集まりは毎週中止になっているんだから。
べつにあのケンカのせいじゃない。ただ天気が悪かっただけだ。そして先週からは冬休みに入って、観測まで休み。
おおみそかに休みはまあわかるけど、クリスマスイブなんかは星を見るにはいいんじゃないかなとぼくは思った。なのにユッコやヨッシーはなぜだかあんまりのり気じゃなくて、しまいには、やってもいいけどそのかわりわたしは三十分で帰る、とか言い出すしまつ。むりにおし通す事もできず、けっきょく中止になってしまった。
「ちょっと待っとってな」
そう言うとミリは、ガードレールをまたぎこえると一人で向こうへ歩いて行った。
彼がわけもなくぼくをさそい出したのも、わかる気がする。ずうっと続けてきた事を何度も休んだりすると、なんかおちつかないっていうのはぼくにもあるから。
ミリは北のほうのしげみまで行って立ち止まった。ぼくはその後ろすがたをなんの気なしにながめていたけれど、彼がなにをするつもりなのかを知ってあきれてしまった。
「うー、冷えるとどうしてもガマンできなくってな。うわあ、湯気がもうもう、寒いとすごいや」
「もうっ、だまってしろ!」
ぼくはミリをほっといて、やつにせなかを向けると眼下の町を見わたした。
ほほがひきつりそうなくらいに寒いのに、景色はなんだかあたたかく見える。西にかたむいた夕方の太陽が町を、そして町全体を包む空気までをも、やわらかくあたたかい色にそめているせいだ。
そしてその色は今の夕日そのものの色、やわらかくて濃いはちみつの色だ。はちみつ漬けの、とろりとしたおだやかな夕暮れの町。
「日がしずむまで、まだしばらく時間がありそうやなあ」
いつのまにかミリがすぐ横に立っていた。
「なあゲン、一年の最後の日の入りって、なんて言うんだろう」
「なんて言うって、どういう事?」
「一年の最初の日の出は初日の出やろ。その反対に、最後の日の入りはなんて言う?」
「知らん。べつになんとも言わないんじゃないか? 聞いた事ないもんな」
「やっぱり? そうだよな、だれも気にせんもんなあ」
そうだったのか。ミリがどうしていそがしいおおみそかに、それも日の暮れる寒いころにわざわざこんなところに来たのか、そのわけが今ようやくわかった。ミリは今年最後の日の入りを見るつもりなんだ。
ひとが気にも留めない事に目を向けるなんて、いかにも変わり者のミリらしい。きっとこういうところがあるから、ぼくと気が合うんだろうな。
日がしずむのを待つあいだ、ぼくらはとりとめなくおしゃべりをした。まわりにだれもいないのと、ミリの考え方に親しみをいだいたせいとで、ぼくはいつか聞きそびれた質問まで自然と口にした。
「それにさ、いつもユッコもヨッシーもいっしょにいるけど、なんでそんなに仲がいいん? いつごろから?」
「さあ、ただ帰る方向がいっしょだから、いつのまにかそうなってたんや。でもなんで?」
「いや、前の学校で男子と女子がすごく仲が悪くてさ、だから意外だったんだ。ここの学校ではそんな事なかったん? 男子と女子がぜんぜん口をきかなかったとか」
「知らんなあ。どんな感じだったん?」
ぼくは去年の今ごろの事をくわしくミリに話した。ミリはおもしろそうに、もっと細かい事まで聞きたがった。
「うーん、わっかるなあ、そういうの。ここではそんな事なかったけどな、ここに来る前にやっぱりおんなじような事があったわ。いや、正反対かな?」
「えっ?」
「ぼくの前の学校ではな、もっと小さい、二年の時の事だけど、クラスでスカートめくりとチューチューアタックがはやってたんや。あれも男子と女子の戦争みたいなもんやったな」
「スカートめくりはわかるけど、チューチューアタックってのはなに?」
「だいたいわかるやろ。女子がチューチューアタックで攻撃してくるとな、こっちはスカートめくりで反撃するわけや。反対にこっちから先制攻撃して、向こうが反撃してくるって事もあったけど。集中攻撃になると、あれはけっこうこわいぞ」
「ミリもやられたん?」
「さあ」
「じゃあスカートめくりはした?」
「んー、でも攻撃されてもな、口で言うほどいやなもんじゃないんや。おたがいな」
「勝手な事言って。それじゃ戦争にならんやんか」
「そうやな。戦争ごっこみたいなもんか」
「それならさ、たとえばユッコにおんなじ攻撃ができるか?」
「今か? うーん、ちょっとこわいわ。どんな反撃が返ってくるかわからんもんな。それにふさわしい反撃が返ってくるなら、やってみてもいいけど」
「おいおい、本気にすんなよ」
ばかな事聞くんじゃなかった。
おしゃべりしているあいだにも、陽射しは次第に浅くなる。それでも町はまだ、あわくそまった空気にうすくひたっている。夕暮れってこうして見ると、まるで静かな引き潮のようだ。
ミリと二人でいる時にはできるだけさけたいと思いながら、そのくせどうしても頭からはなれなくなるのが、ユッコの事だ。今だってやっぱり、ユッコが話の中に出てきてしまった。ぼくらは太陽をじっとみつめ、おたがいに目を合わせないまま話を続けた。
「来年はうま年だな」
「うま女の年や」
「それだけど、ユッコが、ユッコにさ、えーと年賀状書いた?」
自然とぼくはふし目がちになった。夕日の真下で遠い海が、紅潮したほほの色でかがやいている。
「とうぜん。うま女をからかう絶好のチャンスやもん」
「……でも、なんでうま年って知ってたん?」
「だって前に自分で言っとったもん。だいたいクラスのほとんどがそうやろ」
「まあだいたい四分の三がうま年で、残りがひつじ年って事になるかなあ」
「だろ?」
「だったら、星座は知ってる?」
「さあ。秘密だってこの前も言ってたやんか。教えてくれっこないよ」
でもぼくは、ミリだけはほんとは知っているんじゃないかという気がしていた。そして同時に、そうでない事を願ってもいた。
「ミリも思うよな? 秘密にされるとかえって気になるとかって」
「でも聞き出そうと思っても、しつこく聞いたらますます口がかたくなるしなあ」
「ハハッ、わかるわかる。という事は、ミリもしつこく聞き出そうとした事あるんだ」
「さあね。そうだ、前に女同士で話してんのがちょっと聞こえたんだけどな、男のひたむきなのはいいなと思うんだって。だけどしつこいのはいやなんだってさ。このちがいわかる?」
「なんとなくわかるような感じもするけど、どこで分けるんだろうな。ミリにはわかるか?」
「ぜーんぜん。だってぼくは、ちがいのわからない男、だもん」
ミリはCMをまねておどけてみせた。
ぼくらが顔を見合わせ笑っているうちに、今年最後の太陽はあわい色の雲の向こうに消えていた。
1月13日 金曜日
今日の放課後は、ぼくらはユッコの家に集まる事になった。
集合場所がユッコの家になったのには、これといった理由はない。その事でぼくの気持ちがひどくうき立ったのにも、やっぱりたいした意味はないと思う。ただユッコの家に行くのは初めてだからっていうだけの事だ。
ぼくはいったん家に帰って、すぐまた自転車でとび出した。けれども一人でユッコの家に行きインターホンをおす時の気はずかしさを思うと、始めのうちの気持ちのたかぶりも、だんだんとしぼんでいった。
ちょっとしゃくだけど、ぼくはまずミリの家に寄る事にした。ミリの家は学校からすぐだけど、あの四人はいつもおしゃべりしながらゆっくり帰るらしいから、ひょっとしたらまだ出かけてないかもしれない。なんといっても、ぼくは大急ぎでやって来たんだから。
思った通り、ミリはまだ家にいた。学校から今帰ったばかりという様子で、まだ野球帽もかぶったままだ。
「あれ? ゲン、わざわざさそいに来てくれたん? サンキュー。ちょっと待っとってな」
ミリはいつだってこんな調子だ。ぼくの複雑な思いなんかちっとも知らないで、むじゃきな反応をしめすんだから。ぼくは彼に聞こえないように小さくため息をついた。
ユッコの家の前に自転車を止めてから、ぼくは息をつめて門柱のインターホンに手をのばした。
「ああ、それ鳴らないんだ。」
ミリはそう言うと、慣れた様子で門を開けてさっさと入って行ってしまった。そしてげんかんのとびらについているチャイムを、なんのためらいもなく鳴らした。
ピン、ポーン。丸みを帯びた音が快くひびく。するとその音に合わせて、ぼくの体の中でもなにかが軽やかにはね上がる気がした。
階段をかけ下りる足音が、そしてサンダルのあわてたような足音が、ドアごしに聞こえてくる。と、ミリがいきなりぼくの後ろに回りこんで、かくれるようにかがみこんだ。ミリにせなかをおされて、ぼくはなにがなんだかわからずにつっ立ったままでいた。
鼻先をかすめるようにしてドアが開き、ユッコが顔を出した。二人で顔をつき合わせるかたちになってぼくはぐっと息をのむと、ユッコのほうはみょうな声を立てて顔をそむけてしまった。かたをふるわせているところをみると、どうやら笑いをこらえているらしい。ミリが後ろでほくそ笑んでいるらしいのも、なんとなくわかった。
「はあ、びっくりしたあ。なにそんなとこにつっ立ってるんよ」
「ひとの顔見て笑う事ないやろ」
「だって、ドア開けたらいきなり目の前におるんやもん。ボーッとしたゲンゴロウ顔が」
「ほっとけ。こいつがおれをここへ立たせたんや」
「まあええから入りよ、ゲンゴロウ。それからミリも」
「ミリコガネとよんでくれ」
「ミリコガネなんてほんまにおるん?」
「ほんとはセンチコガネだけど、まあミリコガネでもいいやんか。それからユッコもスカラベな」
「なに? スカラベって」
「ユッコだからユンコロガシ。早い話がフンコロ、あいたっ!」
サンダルばきのユッコの足が、ミリの運動ぐつの足を思いっきりふみつけた。今度はぼくがこっそりほくそ笑む番だ。
「でもほんまにびっくりしたわあ。気絶したらどうするんよ」
「よく言うよ。ひとの顔見て笑ってたくせして」
「だって一瞬……、でももうおどかさんといてよ、二人とも。今日はとくにね」
「なんで?」
「なんでも」
「今日はなにかあるん?」
「さあ」
またつまらない事で問答が続きそうになったけど、とちゅうでミリが割って入ってくれた。
「十三日の金曜日だからやろ? それぐらいわかるって」
「まあそういう事。外出だってひかえてるんやから」
「はーあ、こわがりー」
「あんたに言われたくないわ」
「たたりじゃー。ヒエー」
「アホ」
親しげに言い合いを続ける二人のあとから、少しおくれてぼくも階段を上って行った。
テンもヨッシーもまだ来てない。部屋にはだれもいなかった。いやそんな事よりも、女の子の部屋ってこうもちがっているものなんだなあと、まずぼくはおどろいた。おおげさなようだけど、場ちがいな気がして入って行くのに気おくれがしたくらいだ。ぼくはつい入り口につっ立ったまま、部屋の中をキョロキョロ見回していた。
パッと見た感じだけでも、ぼくの部屋とは、もちろんミリやテンの部屋とも、明るさというか色合いといったもの自体がぜんぜんちがう。ベッドにはぬいぐるみ、たなにはドライフラワー。それから部屋に入った時に一瞬、たんすの一番上の小さな引き出しを開けたようなにおいがかすかにしたようだったけど、あれはなんのにおいだったんだろう。ひょっとしたら気のせいかもしれないけれど。
手のひらにのるくらいの、小さな白いピアノが目についた。手に取ってふたをそっと開けると、とたんにキラキラしたビーズのような音があふれ出す。とっさにぼくは、音がこぼれるのをふせぐようにあわててふたを閉めた。
「なにをびくついてるん?」
さっきからぼくのふるまいをずっと見ていたらしいユッコが、笑いをこらえるようにしながら言った。
「おちつきのない子やねえ。さっきからものめずらしそうにキョロキョロして」
「なんかおくびょう刑事の家宅そうさくって感じやな」
ミリまでが、そんなふうに言ってぼくをからかう。
「まあ、見なれないからつい……、な」
「へえ、あんたオルゴール見た事ないん? これはオルゴールっていってね、ふたを開けるとゼンマイで音楽が流れるもんなの。わかった?」
ぼくはユッコの言葉をさえぎらないで、もうからかわれるままになっていた。
ユッコは手をのばし、ぼくの手の中のオルゴールを開いた。もう一度、ビーズのような音色が連なって流れ出す。この曲はたしか、エリーゼのために、だ。
「ね。ここにじしゃくのついた人形をのせるとクルクル回るんやけど……」
「へえ、貸して」
「でもどっかにいってもうた。たぶんその辺にあると思うけど」
ぼくはユッコの指差すたなの上を見た。たしかに小さなものがゴチャゴチャとあって、なにがなんだかわからない。とにかく、鳴り続けるオルゴールをいつまでも持っててもしょうがないので、ぼくはそれを鳴らしたままもとの場所にもどした。
二人に好奇心を見透かされてしまったので、ぼくはかえっておおっぴらに部屋の中を見て回った。ユッコもいやな顔をしないでただおかしそうに見ているだけだから、べつにかまいはしないんだろう。
「なあ、ローティーンってなに? ユッコ」
「えっ?」
「ほら、これに書いてあるけど」
ぼくはユッコのつくえの上にある雑誌を手に取った。
「ああ、ローティーンっていったら十代の始めのね、わたしらくらいの、なんて言ったらいいんかなあ、年代っていうか世代っていうか……。んー、だいたいわかるでしょ? ゲンゴロウ」
「わかったよ、ユンコロガシ」
ぼくのかわりに、ミリがすかさず言い返してくれた。ユッコは口もとだけでおこってみせる。
そうか、ぼくらの世代をそんなふうな言葉でよぶなんて知らなかった。
ローティーン。なんかすてきなひびきだな。この部屋の印象もふくめて、ユッコみたいな子にはとくに似合うように思う。べつに女の子だけにかぎって言う言葉じゃないだろうけど、ユッコにヨッシー、それからクラスのほかの女の子たちをあらわすのに、ピッタリの言葉だ。すがすがしくってほがらかで、だけどもどこかえたいがしれなくて、だからなんだか近寄りがたい。そういった印象を、ローティーンという言葉はたった一言で表現しているような気がする。ローティーン……。
オルゴールが鳴りやむと、ユッコが立ち上がった。
「おそいねえ、ほかの子たち」
「まだそんなに時間たってないやんか」
「ちょっとチカんとこ電話してみるわ」
「せっかちやなあ」
「まあ、ねんのためね」
そう言いながら、ユッコは部屋を出て行った。
「まったく、ほんとおちつきがないなあ」
「悪かったな」
「ちがう、ユッコの事だよ、ユッコの。ほんのちょっとも待てないで」
「なんだ、おれの事言ったんかと思った」
「ちがうって」
でもたしかに、ひとの部屋に置きざりにされるのって、なんだかおちつかない。けれどもミリに笑われそうだから、とにかく歩き回るのだけはやめて立ち止まった。
「あーなんかたいくつやな。……またユッコの事おどかしてみようか、入って来る時」
「ゲン、味をしめたな?」
「フフッ」
ちょっとした思いつきが、あっというまにゆかいな計画にふくれあがった。さっきと同じイタズラをしかけたら、今度はユッコはどんな反応を見せるだろう。やっぱり、びっくりしたあと顔をそむけて、笑いをけんめいにこらえるかな。それとも、またおんなじ事をくり返してと言って、おこるかあきれるかするかな。
でもたとえどんな反応をしめすにしても、ユッコならローティーンという言葉が一番よく似合うしぐさを見せてくれるんじゃないかって気がする。
ぼくは部屋のドアギリギリのところに立った。そうしてこみ上げる笑みをぐっとこらえ、無表情を作った。後ろで、ミリもニヤニヤしているのがなんとなくわかる。いくらも待たないうちに、くつ下をはいたやわらかな足音が近付いて来た……。
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