星の弦 − はちみつ色の世代 1 −
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1月14日 土曜日
「いやー、ほんまにひさしぶりやなあ」
テンがうれしそうに言った。これで何度目だろう。いつもは静かにしろとみんなをたしなめる立場のテンが、今夜は一番口数が多い。
「それにやっとまともな観測らしくなったしな。なあおい」
まったく、テンのうかれようはこっけいなくらいだ。そう思いながらも、ぼくもミリもそのたびいちいちうなずき返した。自分の行ないをこれだけよろこんでもらえたら、やっぱりこっちだってうれしい。
「ミリのレコーダーで音はまちがいなくキャッチできるし、ゲンのラジオで流星を見のがす心配もなくなったし、こりゃ万全の体勢やぞ」
ぼくらは顔を見合わせて、またもやうなずき合った。
ミリはテープレコーダーをはなれたところにセットして、つゆよけのビニールをマイクをふさがないようくふうしてかぶせた。ぼくはイヤホンを耳に入れ、ラジオは手に持ったままで空を見上げた。今夜からは、ラジオの音にも耳をすまさないといけない。
「ちょっとそのラジオ貸して。いい?」
そう声をかけてきたのはヨッシーだ。手をのばすヨッシーに、ぼくは注意してポケットラジオを手わたした。
「このテープをはったダイヤルはぜったい動かすなよ。周波数くるったらなんにもならんからな」
ヨッシーは慎重に、指先でつまむようにしてラジオを受け取ると、イヤホンを耳に入れた。
「なんにも聞こえへんけど、それが流星が流れた時だけ聞こえるんやね?」
「そう。ミリの話ではね」
「どこの放送局に合わせてあるん?」
「名古屋の。お父さん東京まで行ったんだけど、東京じゃちょっと遠すぎるかなと思って。だから帰りに新幹線が止まった時に、名古屋で合わせてもらったんや」
「ダイヤル合わせてもらって、ビニールテープもその時に?」
「そういう事」
流星の音をとらえるミリのポータブルテープレコーダーに対して、流星の流れたのを知るポケットFMラジオが、ぼくの流星観測の新兵器だ。
ミリの言うには、ふだんは聞こえない遠くの放送が、流星の流れた時だけ一瞬聞こえるらしい。ただ聞こえない放送局にダイヤルを合わせる方法がないのであきらめていたけど、こないだお父さんが東京まで出張に行くというから、ついでにラジオのダイヤルを合わせてきてもらったというわけだ。
ヨッシーがぼくにラジオを返そうとすると、今度はテンが手をのばした。ぼくがかたをすくめて笑うと、ヨッシーはラジオをそのままテンに手わたした。
「でもようおぼえとったなあ、そんな話」
「なにが?」
「流星が流れた時に遠くの放送が聞こえるって話や。ミリに聞いたんはずっと前やろ? おれすっかりわすれとったわ」
「おれだってわすれてたけど、お父さんが出張行く前にそのラジオを用意してて、それで思い出したんや。お父さんな、出かけるっていうといっつもそのラジオを持って行くから」
「ん? じゃあこのラジオ、ゲンのじゃないん?」
今はテンがつまむようにして持っているラジオを指差して、ミリが聞いた。
「お父さんのや。言わんかったっけ?」
「こんなふうにダイヤル固定したりしたまんまでいいん?」
「うん。しばらく貸してくれるって。帰りに名古屋の放送局で固定してきてってたのんだら不思議そうな顔してたけど、理由を言ったら感心してた。感心だから協力するってさ」
「へえ、理解のある親でいいなあ。なあテン」
「ほんま。お母さんのほうは飲みもんまで用意してくれるんやからなあ」
向こうの石垣の下においてあるポットを、テンはあごでしめした。
「あれでみんなで乾杯しようや。」
ぼくらは最後にもう一回、笑いながらうなずき合った。
「ユンにヨッシー、お茶でも飲まない?」
女の子たちに向かってミリが声をかけた。さっきからミリは、ユッコの事をユンなんてよんでいる。ユンコロガシと言えばおこるユッコも、ただユンとよばれるぶんにはかまわないらしい。
「もう、どういうセリフ?」
「いや、いっしょにお茶が飲みたいなあと思って。ごちそうするのはゲンやけど」
めいめいが紙コップを手にすると、ぼくはそれらに熱い紅茶をそそいだ。あったかい湯気が立ちのぼり、張りつめていた顔のひふがとたんにゆるんだ。うぶ毛に小さなしずくがくっついて、あごや鼻の下がこそばゆい。
ほんのしばらくのあいだ、みんなは空をあおぐのをわすれてコップの中をのぞきこんだ。
「こんな時はやっぱり、熱いもんが一番のごちそうやな」
「でもぼく、ねこじたやからなあ」
「よう言うわ。一番早く飲んどうくせに」
「じつは鼻から飲んでたりして」
「ウエーッ、じょうだんでもそんな事言わんとって」
しばらくみんなでじょうだんを言い合っていたけれど、そのうちテンがちょっと真顔になって言った。
「それでな、おれ思ったんやけど、ゲンも一種の特異体質なんとちゃうか?」
「……なんで?」
「いや、そんな変な意味とちがってな、たとえば電波みたいなもんをキャッチできるとか……」
「…………」
「あの時、流星の出した特殊な電波とかが、ゲンにだけ聞こえたとは考えられへんか?」
表情からして、テンは大まじめで言っているらしい。それだからなおの事、ぼくはどう答えていいのかわからなかった。
「もしそうやったら、流星の見えるのと同時に音が聞こえるのも説明がつくんや。光と電波は同じ速さやろ? だから……」
「ゲン、どうなん?」
「そんな事聞かれたって、わからんわ」
「これはひょっとしたら、ありうるぞ」
みんなの視線がぼくに集中した。
電波はどうだか知らないけど、視線の勢いっていうのはよくわかった。ぼくは射すくめられたように、しばらくのあいだ身動きがとれなかった。
紅茶を飲み終えると、ぼくは気を取り直して星空をあおいだ。ポケットに入れたりしてうっかりダイヤルを動かすといけないから、ラジオは手に持ったままだ。そしてイヤホンの耳ではラジオのノイズに変化がないかを聞き、反対の耳はいつものように空のしじまへと向けた。
そうしながら、さっきテンの言った事をゆっくり考え直してみる。
電波が聞こえるなんてそんな事、ほんとにありうるんだろうか。音が聞こえるのは鼓膜がふるえるからだ。でも電波がいくら強くたって、鼓膜をふるわすはずがない。
ひょっとしたら耳の奥にあるうずまき管がコイルの役目をするとか……、そんなはずないか。
でも耳鳴りっていうのもあるな。あれは鼓膜なんか関係なくて、頭だか神経だかに原因があって起こるんだろうけど、それでも音として聞こえるわけだ。だったら脳そのものが電波をキャッチして、それが音として聞こえるって事も、ひょっとしたら……、ありうるのかもしれない……。
まったく、テンがあんまりとっぴょうしもない事を言い出すから、頭の中がマーブル模様だ。ほんとに耳鳴りがしてきそう。ぼくは考えこむのをやめにして、イヤホンから聞こえるかわいたノイズに集中した。
こうしてじっと聞いていると、ラジオのノイズっていうのはそう耳ざわりでもなく、かえって心が安まるような感じもする。まるで絶え間なく砂が流れ落ちるみたいだ。砂時計ならこんな音を立てるかもしれない。砂時計といえば、ふつうはみつめるばかりだけれど、大きな砂時計に耳をすませれば、もしかしたらこんな音がかすかに聞こえるんじゃないだろうか。
「ゲン、ねえ」
反対の耳にいきなりユンの声がとびこんできた。ぼくはいつのまにかうつ向いていた顔をあわてて上げた。目の前に、両手で紙コップを包みこむようにしてユンが立っている。
「わたしにもそれ聞かせてよ」
ユンは、ぼくがぜったいこばまないと決めつけるように笑っている。
「……観測のじゃませんといてくれや」
「ふーん、そう」
「きのうおどかした事、まだ根に持っとうわけ?」
「そういうわけでもないけど……、とにかく聞かせて」
ぼくがあきらめの笑みをうかべておおげさにかたをすくめてみせると、ユンはすましたように横を向いた。耳をこっちに向けるだけで、両手は紙コップにそえたままだ。ぼくはイヤホンを指先でつまむと、ユンの耳たぶにふれないよう気をつけながら、そっと耳に入れてやった。
「ふーん、なんも聞こえんねえ。でもあたりまえか。流れ星が流れた時にだけ聞こえるんやもんね」
「ほんとになんにも聞こえんか? サーッて音が聞こえるやろ」
「そんなんきまってるわ。それやったら、わたしも似たような音を聞かせてあげようか。謎の音を」
ユンはささやいた。観測の時は小声で話すのはあたりまえだけど、今のユンのささやき声は、なんだか特別気になった。
ユンは紙コップに残った紅茶を飲みほすと、ぼくのほうに寄って来た。ぼくの手からユンの耳にわたっている細いコードがたるんで、胸の辺りまでたれ下がる。ぼくが視線を落としたままじっとしていると、ユンは紙コップをぼくの耳におし当ててきた。
「どう?」
「なんも聞こえんけど」
「よく聞いて」
ユンは紙コップをさらに強くおしつけた。
「んー、そういえばシーッて感じの音が聞こえる」
「でしょ?」
「それで、なんの音?」
「だから、謎の音」
ぼくらはかなり長いあいだ、おたがいに相手から送られる静かな音に聞き入りながら、じっと向かい合っていた。
2月24日 金曜日
はね返って飛んで行くサッカーボールが一瞬見えたけれど、すぐに視界からはずれて消えた。今は空しか見えない。ぼくはしりもちをついて、そのままあお向けにたおれてしまったらしい。
何人かがかけ寄って来て、ぼくを囲んで上からのぞきこむ。でもだれがだれだかわからない。人影がゆっくり回転している。
「ごめん、ゲン。だいじょうぶか?」
ああ、これはテンの声だ。
「保健室行くか?」
「だいじょうぶ」
起き上がろうとすると、テンがせなかを支えてくれた。身を起こすと頭がなんだかぐらつく。頭の中でおもりがゆれるみたいだ。ボールは左目の上に命中したらしい。しびれていたのが、だんだんとにぶいいたみに変わってきた。
せなかをパンパンはたかれた。土をはらってくれるのはいいけど、そのたびにいたみが顔じゅうに広がる。ぼくは顔をしかめながら立ち上がった。
「保健室に行かんでもええんか?」
「いいよ。べつにケガしたわけじゃないんだから」
それでもあとは見学という事になった。
片手で顔をおさえ、もう片方の手でひざをかかえてすわりながら、ぼくはみんながゲームを続けるのは見ずに、目の前の白線に視線を落としていた。
これだから球技はいやなんだ。とくにサッカーはきらいだ。サッカーボールはけるには小さすぎるし、よけるには大きすぎるんだから。
脈うつように広がるいたみはうすらいで、そのかわり一か所に集中してきた。まゆの辺りをためしにちょっとおさえてみると、ズウンと重いいたみが深くまでしずみこむ。少しはれてきたみたいだ。冷たい風にあたっても、そこだけがへんに熱い。
不意にミリのかん高い声があがり、続いてホイッスルがひびいた。きっとミリがうっかり手を出すかどうかしたんだろう。見てなくたってだいたいわかる。
ミリもぼくと同じくらい体育はにがてなくせに、けっこうヘタなりに楽しんでるみたいだ。それを思うと、こうして見学している自分がますますみじめに思えてくる。目の上をはらして、一人ひざをかかえている自分が。
ほんのいっとき中断されたゲームが再開された。テンが大声をあげながら走りぬけて行く。
ぼく一人いなくなっても、そんな事はまるで関係なくゲームは続いている。それがまたおもしろくなかった。このクラスの中で、ぼくはいてもいなくてもどうでもいい生徒なんじゃないだろうか、そんな気さえしてくる。
体育なら、なにをやらせてもテンはずばぬけてうまい。ミリはミリで理科ではだれにも負けないし。ぼくだって理科は得意なほうだけど、どうしてもミリのかげでかすんでいるようなありさまだ。
でも、だからってべつにぼくは落ちこぼれてるわけじゃない。どんな科目だって人なみ以上にできる。なのにとびぬけたものがないせいで、クラスでは影がうすいんだ。
だけど学校をはなれれば、ぼくにだってだれにも負けないものがある。電子工作ではぼくがテンとミリにアドバイスしているんだし、流星の観測でもぼくが中心のはずだ。
そうだった。なにも学校の授業だけがすべてじゃない。学校でのぼくだけがぼくじゃないんだ。ぼくはぼくの得意なものに、好きな事に、思いっきり熱中すればそれでいいんだ。
ぼくは顔を上げた。味方のゴールまぎわ、たった一人でつき進んで来たテンに、数人が向かって行く。その中の一人、ピンクのワンポイントのハイソックスをはいた小柄な後ろすがたに、ぼくは思わず大声で声援を送っていた。
「行けーっ、ユーン、かたきをうってくれー!」
教室へもどるとちゅうで、テンとミリが声をかけてきた。
「ボールの当たったとこだいじょうぶか? いたかったやろ」
ぼくは笑いながら首をふった。それでテンはすっかり安心したらしい。
「でもこいつら見とったら、ほんまに心配になるわ。一人は顔面でボールを受けるし、もう一人はいきなり手を出してボールをはたきよるし」
「だって、とっさにさあ……。たんに反射神経の問題や」
「たしかに問題ありやな、ミリの反射神経は」
またいつものようにまんざいめいてきた二人の会話をさえぎって、ぼくはちょっとした思いつきの計画を持ちかけた。
「ちょっと聞いて。さっき考えたんだけど、今度みんなでプラネタリウムに行かない?」
「プラネタリウムって、明石のか?」
「そう。おれまだ行った事ないんだ。いつか行きたいと思ってたんだけど。だからユンやヨッシーもさそってさ、今度の日曜もしひまやったら……」
「ええなあ。ミリは? あさってどうせひまやろ?」
「とーうぜん。ひまでなくたって行くよ」
「あとはあの二人か」
ユンとヨッシーも階段のとちゅうでつかまえて計画を話し、その場でOKをもらった。みんなのりやすいもんだから、話はすぐ決まる。土曜の夜の観測でなんの進展もなくて、それでたいくつしてたって事もあるだろうけど。
あれからひと月以上になるけれど、FMラジオもレコーダーも、いまだに一度も役立っていない。もちろんこれくらいであきらめるつもりはないけれど、やっぱり少し気落ちしていたところだから、プラネタリウムに行くなんていうのはいい気分転換になると思う。
「そんな事ボーッと考えてたりするから、ボールを顔で受けたりしたんやねえ」
ヨッシーが一人合点したようにうなずいたので、ぼくは勢いよく首をふった。
「ちがうって。そのあとで見学しとう時に思いついたんや」
「じゃああの時はなに考えとったん?」
「……べつになんにも……」
ぼくは急にはずかしくなって口ごもった。
そんな事言えるわけないよ。自分の実力も考えないで、目立ってみようとしていたなんて。すぐ横にピンクのワンポイントのハイソックスが見えて……。あーあ、反対にみっともないところを見られてしまったな。
「まあ、十五の事でなにか新しい計画がないかなあって……。そしたらあの一撃でプラネタリウムが思いうかんだんや」
「ハハ、あのショックでひらめいたんか」
「ああ。目からパアッて星が散ったよ」
ぼくがおどけると、四人は通り過ぎる子たちがふり向くくらい大きな声で笑い出した。
2月26日 日曜日
ぼくたち五人は駅前で待ち合わせをして、そろって天文科学館に向かった。
明石にある天文科学館へは電車で一時間くらいだけど、電車を二回も乗りかえたのと、初めて行くという事もあって、ずっと遠くに感じた。とちゅうで止まる駅がやたらと多いのも、ますますそういう感じを強くする。
「え? じゃあ明石駅までは行かないん?」
「ああ、一つ手前で降りるんや。そっか、ゲンは今日初めてやって言っとったなあ」
「うん。それで、その降りる駅はなんて?」
「人丸前ひとまるまえ」
「人丸前駅、か。……変な名前。まだ遠いん?」
「まあな。けど普通に乗らな止まらへんのや。小さい駅やから」
「ふうん」
「まあいいやんか。のんびり行こ、海でも見ながらさ」
ぼくとテンとの話に横から割りこんで、のん気な事を言うのはもちろんミリだ。
窓にはりつくようにして、海だ船だとはしゃぐミリ。それをおもしろそうにからかうテン。もうちょっと静かにとたしなめるヨッシー。あきれたように、けれどもおかしそうに見ているユン。みんなの様子は、学校をはなれても、町をはなれても、いつもとちっとも変わらない。
そしてぼくはといえば、はたから見ればミリにもひけをとらないくらい、陽気にはしゃいでいるように見えたんじゃないかなあ……。
たしかに、仲間といっしょに遠出をするのがうれしくて、うかれていたっていうのはある。けどそれだけじゃない。目立つのをミリとはりあうとでもいうか……。とにかくぼくは電車に乗っているあいだじゅうずっと、星に関するいろんな事を、相手かまわず大きな声で熱っぽくしゃべり続けた。
天文科学館に着くと、展示物を見るのはあとまわしにして、まずプラネタリウムに入った。
うす暗い中に座席がずらりとならんで、プラネタリウムは映画館によく似てる。ただ黄色くかぶさるドームと、真ん中の巨大なアリのような機械のせいで、プラネタリウムにはやっぱり独特のふんい気がある。
こういう感じって、しばらく見ないうちにすっかりわすれていた。それが一歩ドームの中に足をふみ入れた瞬間にすっかり思い出されて、今から目にする星空を思うと胸が高鳴ってきた。
「ひさしぶりだなあ、こういうの」
「あれっ、初めてだったんとちがうん?」
「ここはな。でも東京にいた時に何回か見た事あるから」
「ああ、そういう意味。そこはどんな感じやった?」
ユンにたずねられて、ぼくはちょっと得意げに言った。
「とにかく大きかったな。ビルの一番上にあってな、屋上にドームがすごく目立つんや。機械は、ここのと似てるなあ。ひょっとしたらおんなじやつかもしれない。向こうのはたしかドイツ製だったと思うけど」
「渋谷にあるプラネタリウムやろ? あれもここのとおんなじ機械や」
横から口をはさんだのはミリだ。ユンはミリのほうに向き直って、今度はミリにたずねた。
「なんで知っとうん?」
「だってぼくもしょっちゅう行ってたもん。家が近くだったから」
そうだった。ミリも以前東京に住んでいたんだっけ。
「もう毎月のように見に行ってたわ。ゲンもあそこによく行ってたんか」
「ああ」
「ひょっとしたら知らずに会っとったかもしれへんな」
「かもな」
「機械がいっしょやから、ドームの大きさもたぶんいっしょやろ。ここのも渋谷のも」
「この機械、まったくいっしょか? 渋谷のはドイツ製って聞いたけどな」
「ああそうや。どっちもドイツのツァイス社製」
「そんなのがそんなにあちこちにあるもんなんか? 日本にいくつもないはずやぞ」
「よう知っとうなあ。この機械は日本に三台しかないんや。ここと渋谷と、あとは大阪だったかな」
「…………」
「なにしてるん? そんなとこに立っとったらひとのじゃまになるやない。おしゃべりならすわってからにしいよ」
先に奥へ行ったヨッシーに、大きな声で注意された。ユンがぼくらのあいだをすりぬけるようにかけて行く。とり残されたぼくとミリは、なんとなく気まずいような思いからおたがい先をゆずるように、ゆっくりそのあとに続いた。
奥にヨッシーとユンがならんですわり、ユンから席を一つ空けたところに、ミリがためらいがちにこしを降ろした。
席の事なんかぜんぜん気にしてないといった態度をとりながら、その空白をしっかり意識しているらしいミリの様子がなんだかおかしい。ユンのとなりに自分からすすんですわったら、ぼくやテンからひやかされるとでも思ったのかな。ミリはみょうなところで気が小さい。
ちょっと意地が悪いかなとも思ったけれど、ぼくはミリとユンのあいだに割って入った。そうしてミリと同じように席の事なんてちっとも意識にないというふうに、入り口でもらった二つ折りのチラシを開いてながめた。
トイレに行っていておくれてやって来たテンが、ミリの向こうの通路ぎわの席にすわった。五人がそろうと、それを待ちかまえていたようにミリがカバンからなにか取り出した。
「ジャーン。今日の観測の新兵器」
ミリが手に持っているのは、小さな双眼鏡だ。こないだの誕生日に買ってもらったと言っていたやつだろう。
「あんたなに考えとうん。プラネタリウムの星を双眼鏡で見てどうするんよ」
「だってぼく目が悪いからさあ」
よく言うよ。うけねらいだって事くらいすぐわかる。ミリは根っからの目立ちたがり屋だ。
「おっ、よく見える」
「まだなんも映ってへんよ」
「だから黄色い空が見えるんや。つぎ目がすごいなあ」
「そんなもん見てておもしろい?」
「だってほかに見るもんないんやもん」
チラシに視線を落とすぼくをす通りして、ユンとミリの言葉が行き交う。目立つという事では、ひとの気を引くという事にかけては、やっぱりミリのほうがぼくよりずっとうわ手らしい……。
暗やみが、ぼくの気持ちをしずめてくれた。
はりついたような太陽が、しずむというよりずり落ちて、静かな音楽に合わせゆっくりとやみが満ちる。派手な星空がのしかかってくる。
ぼくの気持ちは冷めていくいっぽうで、以前見た時のような気持ちのたかぶりは感じられなかった。でもそれは、プラネタリウムのドームや機械がちがっているからじゃない。ミリの言う通りまったくおんなじだ。変わったのは、ぼくのほう。
本物の星空を知ったせいで、こんな作り物の星空じゃ満足できなくなった、それが以前とちがって見える原因だろう。
毎晩のように見上げているオリオン座が、今もやっぱり真正面に見えている。けれどもまるで、双眼鏡をさかさにのぞいたように小さく見える。こんな星空では、まわりの事をすべてわすれて、目と耳だけになって星空に心を吸い上げられるなんて事は、とても考えられない。
惑星の写真が投影されて、辺りがうす明るくなった。ほの明かりの中、右どなりではミリがほんとに双眼鏡をかざしている。まったくよくやるよ。
いっぽう左どなりでは、ユンもまた熱心にドームを見上げている。そんな表情が少しばかり意外に思えて、ぼくはついまじまじとその横顔に見入ってしまった。
ほの明かりが消えて、またぬりつぶされたようなやみがもどった。ぼくはドームに目をもどした。星がかなりの速さで西に動いて行く。やっぱりこれは作りものだ。流星が、わざとらしくいくつも流れた。
いつのまにか夜は明けて、空は明るく黄色くなり、ユンの横顔の向こうから、うすっぺらな太陽が引きずり出されるように昇ってきた。
それから、館内の展示物をひと通り見て回った。
ぼくはこういうのが大好きだ。遠足なんかでこういうところへ来ると、熱中するあまりクラスメイトの事をわすれて、はぐれてしまうなんて事もたびたびある。あとで思い返してみると、今日もそんな感じだったんじゃないかな。展示物に心をうばわれたぼく、そしてしょうがないなというようについて回るほかのみんな。
「おいおい、あのゲンを見てみ。」
向こうからかすかに自分のよび名が聞こえ、ぼくははっとなった。
「学校にいる時とは目のかがやきがぜんぜんちがうな」
テンが小さな声でそう言うと、ユンとヨッシーが同感の返事をした。ぼくはせなかごしにそれを聞きながら、てれくさいので展示物に夢中で気付かないふりをした。するとテンはなおも言った。
「ほかのもんは眼中にないって感じやな。それからあっちにももう一人、おんなじようなんがおるで」
ミリの事か。横目で見ると、ミリもやっぱり両手をひざについて展示物に見入り、なんにも聞こえていない様子だ。
「上野博士に高橋博士かあ。二人ともいい勝負、ほんまよう似とうねえ」
ほんとはミリにだって、ユンのこんな一言も聞こえているのかもしれない。
お昼になった。近くに弁当を広げるような場所もないので、ぼくらは電車で須磨の公園までもどった。
海の見えるところで弁当を広げた。木々の向こうに、海は明るいやわらかい色で広がっている。陽射しもあたたかい。まわりの木は松ばかりで季節感がほとんどないし、今はまだ冬だって事をわすれてしまいそうになる。
船がゆっくり行き交う様子なんかを見ていると、だんだん眠たくなってきた。ほんとうの春が来るのも、もうじきだ。
「三月に月食があるんやね」
ユンが言った。月食? ああ、そういえば天文科学館でもらったチラシに、そんな事が書いてあったような気もする。
「土曜じゃないけど、どうにかしてみんなで見たいね」
「二十四日だったっけ。二十四日って何曜日?」
「金曜日。さっきいっしょうけんめい計算しててん」
「金曜日かあ……。次の日学校があるっていうと、おそい時間までは……」
ミリが考えこむようにつぶやいた。けれどもぼくにはわかってる。考えるまでもなく、もう気持ちは決まってるはずだ。だまりこんで遠くを見ているほかのみんなにしても、きっと同じだろう。
「じゃあその時はおれの天体望遠鏡を使おうか」
ぼくのこの一言で、みんなで月食を観測する事が決まった。とは言っても、親のゆるしがなければどうにもならないっていうのが、ぼくらの年代のつらいところだ。
弁当を食べ終えておしゃべりをしているうちに、ミリとテンとがちょっとした言い合いを始めた。
「今日なんの日か知っとう? テン」
「二二六事件の日やろ」
「いや、二・二六事件の日や」
「おんなじやんか」
「いーや、ほんとうは二・二六事件って言うんや。二二六とも言うけどな、正確には二・二六や」
「そんなん決まっとうんか? 正確にって言うんなら、二二六のほうが正確なんとちゃうか?」
「なんで? 新聞でも点がついてたと思うけどなあ」
「ほんまかあ? おれは点なんかなかったと思うで」
まったく、この二人はいつもいつもくだらない事で言い合いをするんだから。二二六か二・二六か、そんな事どうでもいいじゃないか。たぶん二人ともむきになるつもりはないんだろうけど、おたがいに引っこみがつかなくなったんだろう。
「またジャンケンで決めれば?」
あきれ顔のヨッシーの提案を、二人は受け入れた。
「よーし、勝負」
「ジャン、ケン、ホイ!」
ミリがパーで勝利をおさめた。
「ほら見い。二・二六事件が正解や」
「わかったわかった。ほんまパーにはかなわへんわ」
テンはぼやきながらも、自分は折れてミリの言い分をみとめたみたいだ。
小さなもめ事を解決する時、この二人はジャンケンという手をたびたび使う。真剣になるほどの事じゃないのに引っこみがつかなくなった時、どちらでもいい事をあえてどちらかにはっきりさせたい時、そんな時はそうやってあっさり勝負をつけてしまうのが一番いいのかもしれない。
ほんと、こんなふうにどんな問題でもかんたんに解決できるとしたら、どんなに気がらくだろう。
「おいミリ、おれとも勝負してくれ」
とっさに、ぼくはミリに向かってさけんでいた。
「なんの勝負?」
「なんでもいいから、とにかく勝負や」
「よーし。ジャン、ケン、ホイ!」
三回あいこが続いたすえ、またもやミリがパーで勝った。
「やった、さすがにパーは強いな。ほら見ろゲン、パーにはかなわんやろう。でもいったいなんの勝負?」
「……なんでもないよ」
ぼくはつき出したにぎりこぶしを引きもどしながら、ぼそぼそ言った。
「ねえ、なにをかけた勝負やったん?」
ユンがたずねてきた。その好奇心に満ちたまなざしに、ぼくはますますうろたえた。
「なんでもないって。……ジャンケンはただのジャンケンだよ」
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