星の響き − はちみつ色の世代 2 −


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     10月25日 水曜日

 クラブの時間、おれはミリとゲンの二人にとっておきの話を持ちかけた。
 「なあ、二人ともマイコンやってみる気はないか?」
 「マイコン? マイコンって、マイクロコンピューターのマイコン?」
 「そうや。ほかにあるか?」
 「んー、マイクロコントラバスとか」
 「それただのバイオリンやろ」
 「なあ、じょうだんとちゃうねん。二人ともマイコンに興味ないか?」
 「興味とかいう前に、マイコンってまだよく知らなくって」
 「最近よく聞きはするけどなあ。どういうもんなん?」
 「そう聞かれると、口で説明すんのはむずかしいんやけど……」
 おれは作業を中断して、手ぶりもまじえながら説明した。
 「これくらいの基板にLSIがいくつかついとって、上にはセグメント表示器が八個ならんでな、右側にはキーが付いとうんや。ちょうど電卓みたいな感じでな」
 「それでどんな事ができるん?」
 「そりゃもういろいろできるで。とにかくな、応用がきくんや。一つの用途が決まっとうわけやなくて、打ちこむ指令を変えてやる事によってな、時計になったり、タイマーになったり、カウンターになったりもするわけや。な? おもしろそうやろ?」
 「ああ。……でもそれ、高いんやろ?」
 やっぱり出たか、その話が。お金の問題ばっかりは、今のおれたちにはどうにもならないんだよなあ。
 「まあ、五万とか六万くらいはかかるんやけど……」
 「ウヘェ」
 でも、だからってこんな事くらいで簡単にあきらめるもんじゃないだろ。
 「とにかく今日うち来いや。本見したるから」
 「ゴメン、今日塾や」
 ……またか。
 それっきり、その話はしばらくとぎれた。
 今おれたちは、科学クラブでキットの三極モーターを組み立てている。三人そろってだまりこんだのは、コイルを巻く作業にかかってエナメル線の巻き数を数え始めたからだ。
 ふだんはふざけてばかりいるミリも、どこかたよりなく見えるゲンも、こんな時はさすがに本気の顔付きだ。そうそう、その顔だよ。どうしていつもその顔でいられないんだよ。
 おれがマイコンの話を持ちかけたのも、二人にそんな真剣さをいつも持っていてもらいたいからだ。いつまでも古い活動を続けるだけじゃなくて、いっしょに新しい事に向かっていきたいんだ。
 おれのこんな思いを、どう言えばこの二人にわかってもらえるだろう。
 作業がひと段落つくと、ゲンが思い出したようにつぶやいた。
 「六万か……。ひとケタ安けりゃ考えるんやけどな……」
 おれはすぐまた説得にかかった。迷うような事を言うのは、ちょっとは関心がある証拠だぞ。
 「だからな、三人で金を出し合うってのはどうや? それに今すぐってのはむりでも、中学になりゃこずかいも増えるやろうし、高校になりゃバイトだってできるやろ」
 「はー、そんな先の話かあ?」
 「それくらいのつもりでおってもええやないか。それでそれまでに本とか読んで勉強しとくんや」
 「ウエッ、勉強嫌い」
 ミリが顔をしかめた。
 「何言うとるんや。かりにもおまえはハカセやないか」
 「でも理科だけで、算数はにがてやもん。コンピューターっていったら数学やろ?」
 「そんなたいした事ないで。今やっとう電子工作の延長みたいなもんや」
 「でもその電子工作だって、ぼくは電気的な働きとか仕組みとかより、ただ作るのがおもしろいからやってるんだしなあ」
 ミリは仕上がったばかりのモーターの回転子を、気のない様子でもてあそんでいる。見てるとほんと、積極的なところがぜんぜんないやつだ。
 「最近進み具合はどうや? デジタルサイコロ作るとか言っとったけど」
 「ああ、あれなあ、今プリント基板から作ろうと思ってがんばってるけど、うまくいかなくて」
 「何がうまくいかないんや?」
 「エッチングでな、何度やってもプリントパターンがボロボロになるんや。それでペンやらテープやらマスクする材料を替えたりとか、エッチング液をうすめてみたりとか、今いろいろためしてみてるとこなんだ」
 ほう、ミリもやる事はやってるんだなあ。意外だった。ただ、そういった工作的な事には熱中するミリも、マイコンにはあまり興味が持てないようだけど。
 「なに話してるん? モーターはもうできたの?」
 やはり同じ科学クラブにいる政志が、おれたちの間に割って入ってきた。
 「だいたいな。もうあとは整流板だけや。なあ、最近ミリは電子工作がんばっとるんやって?」
 おれは政志も話に加える事で、ミリのやる気をあおってやろうと考えた。
 「デジタルサイコロなんか、プリント基板から作ろうとしてるらしいな」
 「うん、それもだけど、今は『スルメの風味』とかやって遊んでる」
 「な、なんやその『スルメの風味』ってのは」
 「山崎くんまだ知らなかったん? 教えてあげりゃいいのに。あれおもしろいから」
 政志にうながされて、ミリはニヤニヤしながら説明を始めた。
 「熱くなったハンダゴテをな、指先でサッと素早くなぞると皮が白くこげるんや。それを鼻に近付けて、においをかいだらスルメの風味」
 ……今はとてもそんな事で笑う気にはならん。たまには軽くふざけるのもいいけど、やる時はとことんやろうって気はないのかよ。
 回転子を取りつけて、三極モーターが完成した。さっそく電池を接続する。おれたちのモーターはうなりをあげて、おどろくような速さで回転した。
 「わっ、すげえ速い」
 「うーん、感動」
 モーターは、なめらかな机の上を振動ですべっていくくらいに勢いがある。おれたちは回転するモーターにしばらくの間見入っていた。
 「工作のいいところって、やっぱり作る楽しさと完成のうれしさだよな」
 「マイコンの事勉強すんのも、まったくおんなじはずやぞ」
 そんなおれの言葉も、モーターのうなりに聞き入る二人の耳には届いていない。

     11月9日 木曜日

 最近ゲンも、新たな電子工作に取りかかる気になったらしい。放課後、おれとミリはゲンの家へ行ってみた。
 「ストップウォッチか。またむずかしそうなのを選んだもんやなあ」
 「オモチャみたいなもんじゃなくてな、もっと実用になるようなもんが作りたいんや」
 おれはだまって大きくうなずいた。
 「フン、どうせぼくの作るのはオモチャですよ」
 ミリはじょうだん半分にふくれっ面をしながら言う。
 「でもオモチャでもなんでもな、いっしょうけんめいやるのが大切なんだぞーだ。わかったか」
 「おいおい、それはおれのセリフだ、おれの」
 でもまあ、電子工作ではミリも基板作りから本気でやってるってのはたしかだしな。
 ……そうなると、マイコンの事を言い出したものの実際にはただ本を読むばかりのおれは、なんだかかえって二人に置き去りにされたような気もしてくる。

 ゲンの作業がひと段落ついたところで、おれは二人を外にさそい出した。
 「熱中するんもええけど、ずっとあのフラックスのにおいかいどったら気分悪くなるわ。体にだってええはずないで」
 「ああ。それでどこ行くつもり?」
 「配水池に行ってみようや、ひさしぶりに」
 丘の上の配水池は、星の観測で去年おれたちがよく集まったところだ。
 ただなんとなく続けてるだけの古い活動、なんて星の観測をけなすおれが、どうしてすすんでそんなところへ行こうなんて言い出したんだろう。自分でもわけがわからないまま、おれはミリとゲンをうながして長い坂を登った。
 ここへ来るのはほんとにひさしぶりだ。前にはよく来たもんだけど。あのころのおれたちにとって、この配水池は教室ほどになじみの場所だった。といってもそれは入口手前の道路上だけで、敷地内にはもちろん一度も入った事はないけれど。
 信じられない事に、その立入禁止の敷地の中に、何人かの子どもの姿がある。おれたちはあわてて鉄の門にかけ寄った。
 「おい何しとんのや! ここ立入禁止やぞ、早よ出て来いや!」
 連中はおれの大声に、走り回るのをやめてこっちを見た。知らない顔だ。となり町のやつらしい。全部で五人、みんな男子でおれたちと同じ六年生くらいに見える。
 連中がいつまでも動こうとしないので、おれは重ねて注意した。
 「ここは勝手に入ったらあかんのや。見付からんうちに出たほうがええぞ」
 「へいきや。ちゃんと許可もらって入っとんのやから」
 一人が答えた。許可だって? おれはミリやゲンと顔を見合わせた。
 「許可ってほんまやと思うか?」
 「だとしたら、なんで門のカギかかったままなんだろう」
 ミリが南京錠を指でつつきながら言った。たしかにそうだ。あいつらが閉まった門を乗り越えて入ったのはまちがいないじゃないか。
 「いったいだれに許可もらったっていうんや! 言いのがれすんのはますますひきょうやぞ!」
 「おっ、出たな、正義の味方」
 横のミリが小声で言った。からかうような口調が気にさわる。
 「ふざけんでミリもあいつらに言ってやれや」
 「よっしゃ。なあ、あのなあ、ここにいるホクロのダクテンは正義の味方だぞ。怒らすとコワイぞお」
 ……こんなやつを加勢につけても、気をそがれるばっかりだ。あてにならないやつはもうほっとこう。
 「とにかく早よ出て来いや。見付かって困るんはおまえらやぞ」
 「うるせえなあ。ちゃんと許可もらっとうって言うたやろ」
 「だれにや、だれに許可もらったんや」
 「先生や。学校で先生が社会科見学のためなら入ってもええって言うたんや」
 もっともらしい事を言いやがる。
 「もうほっとこうや」
 ゲンは気のない様子で横を向いた。
 「そうはいくか」
 「でも敵はなかなか手ごわいぞ」
 ミリはまたふざけた調子で言う。
 「それっ、ピンチだ今こそ変身だあ」
 「やかましい! ふざけるだけならおまえらもどっかへうせろ!」
 頭にきていたおれは、ついミリやゲンまでどなりつけてしまった。
 「わかったよ。いなくなりゃいいんだろ」
 「そうやって一人いきがってな。じゃあな」
 二人はほんとに帰っていってしまった。おれ一人だけを残して。反対にやつらのほうは、五人まとまって門のそばまでやって来た。
 「わかったやろ、おれらは勉強で来とんのや。なんも知らんくせに文句つけんのはやめてくれや」
 「文句とちゃうんや、ただわかってないようやから注意しとんのや」
 おれは少し声を落ち着けて言った。けれども二人に置き去りにされたのが内心ひどくこたえていたおれは、そんな口調とは反対にすっかり感情的になっていた。
 「先生に許可もらっただけで許されると思っとんのか。ここはな、水道局が管理する場所や。その先生はちゃんと水道局にことわったんやろうな。え? どうなんや?」
 「そんなもん知るか」
 「知らんのか。そんないいかげんな事で立入禁止の場所に入りこんだんか。あのな、ここはな、町じゅうに飲み水を送る場所なんや。だから水の安全は厳重に守られなあかんのや」
 「それくらい知っとうわい。社会科見学で来とるんやからな」
 「だったらさっさと出て来いや。さっきは走り回って遊んどったくらいやし、見学はもう終わったんやろ。さあ、早よ帰れや」
 「ったくうるせえなあ……」
 やつらはやっと出る気になったらしい。ノロノロと、一人ずつ門を乗り越え始めた。
 「一人でカッコつけやがってよ」
 「えらそうに、ここのヌシのつもりかよ」
 通り過ぎながら口々に文句を言うのを、おれはうで組みしながら聞き流した。
 やつらが帰っていくのを見届けてから、おれも坂道を下った。
 あの二人はどこへ行ったんだろう。近くには見当たらない。どうせまたゲンの家だ。自転車を取りにゲンの家の前までもどると、やっぱりミリの自転車も残っている。おれはそのまま一人家へ帰った。
 あと味の悪いケンカだったな。そりゃ気分のいいケンカなんてそうざらにあるもんじゃないが、今日のはきわめつけにおもしろくない。
 だれもいない家に帰り、さらに部屋に閉じこもる。チューニングのくるったラジオを、かまわずそのまま鳴らし続ける。
 気持ちがふさぐ……。あの二人を追いはらった事のあと味の悪さが、まだ心ににがく残っている。
 でもつらいのはそれだけじゃない。おれのふりかざしていた正義感が、じつはいつわりのものだったと、自分でもわかっているせいだ……。
 おれがやつらを許せないと感じたのは、ルールを破っていたからでもなんでもなく、ほんとはおれたちの大切な場所に勝手に入りこんでいたからだった。
 丘の上の配水池はおれたちにとって、少なくともおれにとっては特別な場所だ。かつて仲間たちとここで何度も星空をながめ、ほかにも何か事あるごとにここへ来ては、一人で町を見渡していた。そんな大切な場所に、見知らぬやつらが入りこみ好き勝手な事をしているなんて……。それを許せるはずがないじゃないか。
 ただ、そんな自分本位な怒りをつごうよく正義感にすりかえたのは、やっぱりよくなかったと今なら思う。
 おれを置き去りにしたミリとゲンも、帰りぎわにさんざん皮肉を言ったあいつらも、おれの正義がただの仮面でしかない事に気付いていたんだろうか……。
 ノイズがさすがに耳ざわりに思えて、おれはラジオのスイッチを切った。かわいたざわめきのようなものが、ほんのしばらく耳の奥に残る。
 それが消えてしまったあと、静けさの中におれはまたあの音を聞いた。勝手に回り出した換気扇の低いうなりを……。
 おれはあわててまたラジオをつけた。明るい音楽にダイヤルを合わせる。とりあえずこれであの音はかき消えた。けれどもそんな事で問題は片付かない。あの低いうなりは振動としてこの部屋を包みこみ、今も足もとから体をはい登ってくるような気がする。
 おれはイスの上でひざをかかえた。そしてあとはそのまま、再び勝手に止まってくれるかもしれないのを、ただひたすら待ち続けた。

     11月10日 金曜日

 次の日には、おれたち三人はもう仲直りをしていた。というよりも、おたがい配水池での事にはふれないようにして、何もなかったかのようにふるまっていた。おれたちの間のケンカやそのあとの仲直りは、いつだってそんな調子だ。
 そんなあいまいな解決のしかたはよくないとも思うけど、面と向かってあやまるてれくささはやっぱり大きい。少し残った気まずさも、じきに自然に消えるのはわかっているし。
 けれども感情的にどなってしまったおれの二人へのひけめは、いったいいつになったら消えてくれるだろう。
 おれはもう、二人をマイコンにさそうのはあきらめていた。もちろん、あの事をうちあけるのも……。
 おれは気を取り直し、一人であの事をじっくり考えてみる。
 今までおれは、あの事をできるだけ思い出さないようにしてきた。とくに夜や一人の時には。
 ひとは意外に思うだろうけど、ある面おれはものすごく気が小さい。オカルトめいた事に対しては、もうどうしようもなく心がすくんでしまうんだ。
 だからもしあの事がそういう理由で起こるとしたら……。そう思うともうおそろしくて……。
 でも落ち着いて考えてみりゃ、新築の家に霊がついてるなんてヘンだよな。土地に因縁が、なんてのも考えられないし。社会の時間の先生の口ぐせじゃないけど、ここは十年前までイノシシがかけ回る山だったっていう、なんの歴史もない新興住宅地なんだから。
 つまり、あれは怪奇現象でもなんでもないって事だ。おれは一か月ぶりに胸をなでおろした。
 ただ、原因がはっきりするまでは、すっかり安心とはいえないけれど……。

 さあ次の時間は体育だ。おれは階段をかけ降りグラウンドに飛び出した。どんな時でもとにかくおれは、体を動かしさえすりゃ気が晴れるんだ。
 グラウンドの向こう、体育倉庫の前にいるみんなの様子がどこかおかしい。何をするわけでもなくただじっと集まって、そのくせなんか落ち着かない感じだ。
 「どうしたんや?」
 おれはミリを見付けてたずねてみた。
 「知らんけど、女子のだれかがケガしたらしい」
 「えっ? だれがや、なんでケガしたんや」
 「知らんよ、ぼくも今来て聞いたばかりやし」
 「そうか……」
 それを聞くと、おれもいつものように待ち時間にボール遊びをする気も失せて、体育倉庫の冷たいかべにもたれかかった。
 始業のチャイムが鳴っても、授業はなかなか始まらなかった。先生が来ない。半数近くの女子たちも、保健室へ行ったきりいつまでももどらない。
 ミリがしびれを切らしたように立ち上がった。
 「ちょっと様子見てくる」
 ほんと、なんにでも首をつっこむやつだ。と思っていたら、ゲンまでがミリを追って行ってしまった。どうでもいいけどあの二人、なんかいっつもいっしょだなあ。
 おれは残る事にした。たしかに気にはなるけれど、女子のケガを見に保健室に行くというのはどうも抵抗あるし。
 待ちながら、なにげなく女子たちの話に耳をかたむけるうち、おれにもだいたいの事がわかってきた。おれはますます落ち着かない気分になる。ケガさせられたなんて、これはおだやかじゃないぞ。しかも、ケガをしたのは遠藤だなんて……。

 うわの空のうちに授業時間は流れた。
 教室にもどる前に、ちょっと保健室へ寄ってみようか。でもまた女子が大勢おしかけるようなのであきらめた。
 そんなおれと同じように、保健室に行くのをためらうやつが二人、階段の途中で押し問答をしている。柴崎と鳴海だ。
 「行ってこいや。ぜったい行ってきたほうがええって」
 「そうは言うけどなあ、おれやってつらいねんぞ」
 「だから思いきって行ってこいって言うとるんや。早い事あやまってこいや」
 「でもあいつだけとちがって今大勢おるやろ。あやまる前におい返されるのがオチや」
 おれはずけずけと二人の話に割りこんだ。
 「おまえらなあ、ほんまに反省しとったら、迷わずあやまりに行くのが当然やろ」
 「おい、おれはちゃうで、あやまらなならんのはこいつ一人や」
 鳴海があわてて首をふった。
 「ん? そうなんか?」
 柴崎はだまったまま、うなずくようにうなだれた。ふだんはおれに負けずおとらずパワフルな柴崎の、そんな力ない様子を見るのは初めてだ。
 「なあ、なんで遠藤がケガしたんか、聞きたいんやけど」
 おれは静かな口調で、慎重に言葉を選びながらたずねた。
 「最初はおれと鳴海とでな、運動場出る手前の階段とこで立ち話しとったんや。そしたらあいつが走って校舎から出て来たからな、おれがちょっとふざけて足を出したら、そこにもろに引っかかってもうて……」
 「それでこけてケガしたんか。階段で足引っかけたりしたら、やっぱりじょうだんではすまへんで」
 「まさかころげ落ちるとは思わへんかったんや。ちょっとからかってやろうと思っただけで……」
 「でもこいつがすぐ保健室まで連れて行ったんやし、なんどもあやまったしなあ」
 鳴海が横から助け船を出した。
 「ああ、なんや、もうあやまりはしたんか」
 「でも痛かったんか怒っとったんか知らんけど、返事をぜんぜんしなくてな、それをこいつずっと気にしとうんや」
 「おれ、放課後あいつん家まであやまりに行くわ。家は知っとうし。だからそれまでほかのやつにいろいろ言われるんはもういやや」
 柴崎は顔を上げてはっきり言った。おれははげましたいような気持ちで背中をたたいてやった。
 「安心せえや。さっきミリに聞いたんやけどな、保健室に集まったやつはおまえの事ゴチャゴチャ言うてたらしいけど、遠藤本人はそんなに気にしてなかったみたいやで」
 けれども教室にもどってみれば、やっぱり女子たちの非難は柴崎に集中した。けわしい視線とかげ口の中で、柴崎はまたいつもからは考えられないくらいに小さくなっている。
 おれはクラスのみんなの反応が、とくにこの女子たちの態度が気に入らなかった。
 たしかに柴崎は悪い事をしたんだし、いくらきつい事を言われてもしかたないかもしれない。それにケガをした遠藤の事は、おれだってかわいそうだと思う。ただ、今仲間うちでかげ口を言ってる連中は、悪く言えばこんな状況を利用してるようなもんじゃないか。被害者のほうに同調さえしていれば、自分の立場を守れるわけだからな。
 自分の正しさを強調しようとするのが、時にはまちがったほうに向く事もあるあぶなさを、今のおれはよくわかってるつもりだ。
 柴崎を、なんとかかばってやりたいとおれは思う。でもなかなかそうもいかなかった。べつに自分の立場を悪くするのをおそれたわけじゃない。ただどうふるまえばいいのかがわからないんだ。相手が面と向かって柴崎を攻撃するなら、こっちだってはっきり反論してやれる。でもあんなふうにかげでコソコソ言うのには、いったいどう対抗すればいいんだか……。
 せいいっぱいのところで、おれはユンとヨッシーに訴えかけた。
 「もうあんまり言うたんなや。柴崎かて反省しとんのやし」
 「反省したからって、それで許されるもんとちがうやないの」
 「けどなあ、まわりでちょっとさわぎすぎやと思うで。おれらは関係ないって言うたらおかしいけど、最後はあの二人の問題やんか。柴崎も反省しとうし、遠藤のほうもそんな怒っとうわけやないんやろ? ならそっとしとこうや」
 「でも、やっぱりほっとくなんてできへんわ」
 「ねえ。テンは知らんやろうけど、ユキの足のケガ、ひどかってんよ」
 「そりゃ、おれやって遠藤の事はかわいそうやと思うで。でもな、今一番つらい思いをしとるんは、柴崎かもしれんとは思えへんか?」
 おれはほかの女子にも聞こえるようにと、もとからデカイ声をますます張り上げた。
 「あいつはひとにわざとケガさせるようなやつとちがうし、ケガさせて平気でおるやつともちがうんや。なのになんでそこまで悪く言われなあかんのや」
 その時、女子数人に付きそわれながら、遠藤が教室に入って来た。体操服のままで、左のひざに包帯を巻いて。おれはただだまって、遠藤が席に着くのを見守った。
 そんな遠藤の姿を目にしてしまって、おれも柴崎をかばう言葉をそれ以上続けられなくなっていた。

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