星の響き − はちみつ色の世代 2 −


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     11月28日 火曜日

 ガラス窓は閉めたままカーテンだけを開いて、おれは坂の下に広がる町をじっと見下ろしている。
 今、家にはだれもいない。おれさえ静かにしていれば、なんの物音も聞こえない。おれはじっとたたずんで窓から町を見下ろしながらも、意識だけはずっと家の中の静けさに向けていた。
 最初の時も、二度目の時もそうだった。あの事が起こったのは、こんな静かな一人の夕暮れだったはずだ。まあだからといって、それだけで三度目がめぐってくるかは疑問だけれど。
 とにかくおれは待ち続けた。換気扇が勝手に回り出すのを。ただおっかながってるのにはもうあきあきだ。今度はとことん調べて、原因をつきとめてやろうじゃないか。
 いつまでたっても換気扇は回らない。かわりにげんかんにだれか来た。
 「なんやミリか」
 とりあえず今日は計画中止だな。
 「あがれや」
 「ううん、今ある計画の最中だから」
 「ああ?」
 「今な、泉台を一周してるとこなんだ。七丁目から下のバスロータリーを回ってきて、それでここを通りかかったから、ついでにテンもさそおうかと思って」
 「町内一周計画かよ。あいかわらずものずきやなあ」
 「いっしょに行かん?」
 「よっしゃ、つき合ったるか」
 おれはげんかんにカギをかけた。
 「ああ、留守番してたんか。出かけてもいいん?」
 「かまへんかまへん」
 おれとミリは、自転車をこいで長い坂を登りにかかった。
 「ダクテン合流ダクテン合流」
 ミリが何やらひとりごとをつぶやいて、ビッと短く自転車のブザーを鳴らした。
 「でも計画とか言って、町内一周にいったいなんの意味があるんや?」
 「べつに。ただすみずみまで回ってさあ、この町の調査と記録をしようと思って」
 「なんか書くんか?」
 「いいや、ただ記憶するだけ」
 「ほんまものずきなやつやで。それもこんな時間になって」
 それに付き合うおれもおれだけど。でも、たまにはミリにふり回されてみるのもいいじゃないか。とにかくおれは、この変人のあつかいには慣れてるんだ。少なくともゲンよりはな。
 「さっきまで家で何してたん?」
 ミリがたずねてきた。
 「べつになんもしてへんで。なんでや?」
 「だって家の前通ったら、部屋に電気もついてなかったから。始めだれもいないんかと思った」
 「ああ、でも部屋にはおったんや。窓んとこ立っとったの見えへんかったか? 町の明かりを見下ろしながらな、一人孤独にひたっとったってわけや」
 「おーお、悲劇のヒーローやっとるなあ」
 「孤独こそ男の生きざまやで」
 「わかったわかった」
 じょうだんめかしてはぐらかし、けっきょくまた今日もあの事をミリに話せなかった。
 おれたちは学校裏の道を走り、鉄塔のそばを通り過ぎた。そのたびミリはさっきのように、校門通過、ビッ、15号鉄塔通過、ビッ、とやる。
 こいつのおかしな行動には慣れてるおれも、さすがに気になってたずねてみた。
 「さっきっから一人でいちいち何言うとんのや」
 「町の記録が目的だって言ったやろ。こうやってな、データを記憶してるんや」
 ミリは自転車のブサーをビビーッと鳴らしてみせた。
 「ほんま、わけのわからん事ばっかりやるやつやで」
 「ま、凡人にはわからんやろうな。第三ハウス通過、二丁目に突入」
 そう言ってミリは、また短くブサーをビッと鳴らした。
 一丁目の長い坂を登りきり、配水池まで回るころには、辺りはすっかり暗くなっていた。もう人気もまったく感じられない。風もいきなり冷ややかに変わった。
 「配水池に到達、異常なし」
 さっきまでは苦笑しながら見ていたミリのきみょうな行動も、そうなってくるととたんに気味悪く思えてくる。
 「なあハカセよお、いいかげんそれやめろや。暗い中で一人ブツブツ言われると、なんか気色悪いやんか」
 「なんだよ、なさけない声出して。テン、ひょっとしてこわいんか?」
 「ああ、そうや。おれ暗やみとかには弱いんや」
 おれは正直に認めた。
 「へえ、ヒーローにも意外な弱点があるもんやなあ」
 「だれにだって一つくらい弱みはあるもんや」
 「でも恐怖と孤独にたえてこそヒーローは強くなるんやぞ。じゃあな」
 ミリはおれを置きざりにして、さっさと坂道をすべって行った。
 「あっ、こら待て!」
 おれもあわててペダルをふみ出した。
 「もう逃げてきた。ほんと弱いなあ」
 からかうようにミリは言う。ああ、言いたいだけ言えばいい。
 でも一つだけ、自分のこんな弱みをさらけ出せる相手はミリだけだって事、それはわかってくれるよな。
 大山公園の手前で、おれたちはいったん自転車を止めた。
 「こっちの道も回るんか?」
 おれは裏山への登り口に通じる一本道を指さして、内心こわごわたずねた。
 「うん」
 あたりまえのようにミリは言う。
 「そこまで行ってもどるだけの道やんか。行っても行かんでも同じやろ」
 「でもちゃんと通らなきゃぼくの気がすまない」
 「ならおれは行かんで。ミリ一人で行ってこいや」
 おれはうつむいて、自分の手もとを見ながら言った。おおいかぶさってきそうな黒い山の影を、視野に入れずにすむように。
 「じゃ、ちょっと待っててな」
 自転車の音が遠ざかって行き、軽いブレーキの音が聞こえ、それから例のつぶやきと短いブザーの音、しばらく間があって、また自転車の音が近付いて来た。
 「はい、お待たせ」
 その声に、おれはやっと顔を上げた。
 「よっしゃ、行くか」
 いくら力のこもった声を出してはみても、じっと身をかたくしてうつむいていた今の姿を、ミリにはしっかり見られてる。
 「なあテン、なんでそんなに暗いとこがこわいん?」
 「何言うとるんや、おそろしいと思うのが自然やないか。なんとも思わんミリのほうがちょっとおかしいで」
 「そうかもしれんけど、でもテンってなんでもへいきみたいに見えるから。当然おばけなんて信じてないやろ?」
 「信じてないからかえってこわいんや」
 「えっ? どういう事?」
 「あのな、そういうもんを信じる信じないに関係なしに、理解できへんような事ってのはだれにでも起こりうるわけや。わかるな? で、そういう場合な、信じとうやつにとっては事故とか火事とかの災難と同じ事やけど、信じないもんにとっては世界を変える大事件になるやんか」
 「でもさ、信じてないならそんな事ぜったいないって思って、安心なんじゃない?」
 「そこまで思いこむんはおれには無理やな。そういうもんが存在しないって証拠も今んとこないやろ」
 「ふうん、なるほどね。でもそれだったらいっその事、なんでも信じたら? そうすりゃ気楽でいられるぞ」
 おれは自然に表情がなごんでくるのがわかった。ミリと二人、こんなふうに思った事をなんでも話すのって、考えてみるとずいぶんひさしぶりな気がする。
 陽気な気分を取りもどしたおれは、しかえしにミリの事をちょっとからかってみたくなった。
 「なあミリ、今度の音楽会がんばろな」
 「ええ? 音楽会なんてこの前終わったやんか」
 「ほう、引っかからへんなあ。やっぱり本物か?」
 「何言ってるんや」
 「いや、さっきミリ一人で山のほうに行ったやろ。あん時何かモノノケがミリにすり替わったんちゃうかと思ってな」
 「ガクッ」
 「なんでも信じろって言うたんはだれや?」
 「だからってなあ……」
 「それに本物だって証拠もないやろ」
 「ならなんでも質問してみろや」
 「お、強気やな。よーし、じゃあ生年月日を言ってみい」
 「昭和四十二年二月八日」
 「ほう、しっぽを出さんな。ならつむじはどっち巻きや?」
 「そんなの自分じゃわからん」
 「やっぱり引っかからへんなあ」
 「ほんとは左巻きって言わせたかったんやろ」
 「次、身長はいくつや」
 「百三十四センチ」
 「えっ? そんだけしかないんか?」
 「おい、単位はミリじゃないぞ、センチだぞ」
 「ああ、それにしても小さかったんやなあ。もうちょっとはあるかと思っとったで。なら体重は」
 「二十九キロ」
 「やっぱそんなもんか」
 おれはちょっと意外な気がした。今までなんでも知ってるつもりだったミリにも、こんな身近な部分で知らずにいた事があったなんて。
 それなら同じようにこの世界にだって、知ってるつもりでいてじつはわからない事なんて、身近にゴロゴロしてるのかもしれないな。
 「だったらなあ、好きな人はだれや?」
 「そんな事、……言えるかよ」
 「その気の弱さ、本物のミリにまちがいないようやな」
 「チェッ。まあいいや、これも記録しとこ。ダクテンの信用回復ダクテンの信用回復」
 おれたちは最後の下り坂を、自転車をならべて勢いよくすべり降りていった。

     12月1日 金曜日

 今日は終わりの会がえらく長びいてしまった。またあの柴崎と鳴海がかかわる事件のせいだ。まあ今度のは、事件っていうほど深刻じゃない。ただ、根本のやつにとっては問題だったかもしれないけどな。
 とにかく、二十分以上もかかって終わりの会はようやく終わった。
 最後のあいさつをあわただしくすませて、こんな時はみんな急いで帰っていく。いつもなら、おれたち五人のほかにも教室に居残るやつが何人かはいるもんだ。けど今日はじきにだれもいなくなってしまった。
 「なあ、あいつらのもめ事のそもそもの原因って、いったいなんやったんや?」
 おれはユンとヨッシーにたずねてみた。ああいう問題は女子がくわしいだろうと思ったから。
 さっきの終わりの会での話を聞いていて、おれにもだいたいの事はわかっている。きのうの放課後、帰る根本を柴崎と鳴海が待ちかまえていて、おれたちも話すからおまえの好きな人を教えろとせまったらしい。そういう無理強いはよくないという事で話し合いは終わったけれど、それだけが問題だったとはおれにはどうも思えない。
 「あれって一方的な強要やなくて、まあ言えば取り引きやったわけやろ? おれも教えるからおまえも教えろって。だからもめる原因はひょっとして、しゃべったあとにあったんとちゃうかとおれは思うんやけど」
 「ウーン、するどい」
 「なかなかイイ線いってるじゃん」
 「からかうなや。もったいぶらんと、知っとう事あるならおれらにも教えてくれへんか?」
 おれが詰め寄りながらそう言うと、ミリとゲンも期待するように身を乗り出した。
 「自分の思う名前を、自分が言うより先に相手が言ったとしたら、どんな気がする?」
 そりゃあ、先を越されてくやしいかもしれないなあ。そのたった一言の説明で、おれはすっかり納得がいった。でもそうなると……。
 「って事はやぞ、根本の好きな相手って、あの二人のどっちかと同じやったってわけやな?」
 「どっちかと同じというより、どっちとも同じと言ったほうがええやろうね」
 「えっ? なんや、あいつら三人ともいっしょやったんか」
 なんとなく、ばかげた話の展開だ。おれはあいつらがとまどい顔を見合わせるのを思いうかべるうちに、おかしくなって笑ってしまった。あとの四人もいっしょになって笑い声を立てた。
 「でも安心した。ぼくさあ、ネモニョの好きな人ってひょっとしたら男なんじゃないかって、前から心配してたんだ」
 ミリがふざけたように言った。たしかにな。みかけもしぐさもまるで女みたいな根本でも、中身はしっかりと男の子だったってわけだ。おれたちはまた大笑いした。
 けどそのうちに、ユンがこんな事を言い出した。
 「ミリとゲンってよう似とうし、ひょっとしてあんたら二人も、好きな人がおんなじなんとちがう?」
 こういう話題って、ひとの事はすごく興味深くておもしろいけど、自分の事となるとやたらはずかしいんだよな。ミリはニヤニヤ笑いでごまかして、反対にゲンは表情をかたくした。
 「おれ、そろそろ帰らなきゃ」
 じきにゲンは逃げ出した。そうなると、今度は追及の手がこっちにのびてきそうな気がする。おれもカバンを手にして立ち上がった。
 「おれらもそろそろ帰ろうや」
 そんな逃げの姿勢を見せたのがかえってまずかった。
 「ちょっと、テンまで逃げる気? あたしらも教えるから、かわりにテンとミリも教えてよ」
 おいおい、それじゃまるっきりあいつらと同じじゃないかよ。
 とりあえず、おれはまずミリと二人だけで話しがしたくて、となりの空き教室へ行った。
 「なあミリ、まずはおれだけに教えてくれや」
 「でもそれだったらテンも教えてくれるな?」
 「ああ、ぜったい言う」
 「ならまずテンから言えよ」
 「あとでぜったい言う」
 どうしていつでも取り引きになるのかね。好きな相手を教えるってのが、どうしてこんなにてれくさいのか、そのくせまたどうしてこんなに楽しいのか、それはおれ自身にもまるでわけがわからない。
 「さあ、ミリの好きな人はだれなんや?」
 「んーでもなあ、二人いるんだよなあ。どーちーらーをー言ーおーうーかーなっ」
 「なんや、二人もおるんか?」
 「そう言うテンは?」
 「おれは三人や。フフフッ、勝ったな」
 われながらあきれてしまう。何をそんな事で張り合ってんだよ。
 でもほんとうは、これはおれたちなりのてれかくしなんだ。好きな相手が何人もいると言う事で、これはそんなに本気じゃないと思わせたいんだ。
 それ以上ミリは何も言おうとしないので、ここはひとまずあきらめておれは教室にもどった。
 「まずはそっちから教えろや。そうすりゃあとからおれらも言うから」
 ユンとヨッシーは笑いながらおたがいコソコソ耳打ちしたりして、そのうちだまってかべを指さした。そこにはってある掃除分担表の班名簿の中から当ててみろって意味らしい。
 「よっしゃ、もうだいたい見当はついとんのや。こいつやろ」
 おれは柴崎の名前を指さした。
 「フフフウ」
 二人は笑って顔を見合わすばかりで返事をしないので、おれは今度は鳴海の名前を指さした。
 「それともこっちか?」
 二人はやっぱり顔を見合わせる。こりゃ柴崎か鳴海かのどっちかだぞ。
 「図星やな? さあ、この二人のうちどっちや?」
 「どっちも」
 ユンが言った。なんだよ、やっぱりお目当ては二人いるのかよ。おれは小さくかたをすくめた。
 「ならそれはどっちの相手や? ユンか、ヨッシーか」
 「どっちも」
 今度はヨッシーが答えた。おれはまたかたをすくめた。ミリとゲンが似てるとか言って、この二人のほうがよっぽどそっくりじゃないか。
 でもとにかく、これでもう逃げられないぞ。おれはふり向いて、後ろの出入口から様子をうかがっているミリと顔を見合わせた。
 帰りぎわ、おれはもう一度ミリを引っぱって行った。今度は空き教室でなく、職員室へ。ふざけてはぐらかすようなこざかしいまね、いくらミリでもここでならできないはずだ。……おれって柴崎や鳴海以上に強引だな。
 窓ぎわに置いてある落とし物箱をのぞきこみながら、おれは頭を寄せてミリに小声でたずねた。
 「おい、ミリの相手ってほんまにだれや?」
 「んー……」
 「二人って、あの二人か。ユンとヨッシーやな?」
 「……ん」
 「やっぱりか」
 「テンは?」
 「やっぱり同じや」
 「あと一人は?」
 「……だいたいわかるやろ」
 「だいたいわかってる」
 「じゃ、行くか」
 意味もなく落とし物箱をかき回すのをやめ、おれたちは職員室を出た。
 帰り道、べつにもったいぶるつもりはなかったけれど、おれもミリもとうとうユンの家の前にさしかかるまで、二人にはうちあけられなかった。
 おれたち四人はいつものように、mの形の車止めを取り囲む。うーん、こんなふうに差し向かいになると、ますます言い出しづらいよなあ。でももう先のばしはできない。おれは観念した。
 「あんな、ミリの好きなんが工藤と有吉で、それでおれの相手は工藤、有吉、それから遠藤や」
 おれはまるでほかのだれかの事を言うみたいに、わざと名字で言ってみた。そのせいかどうか、ユンとヨッシーの二人のほうも、他人事みたいに落ち着きはらって聞いている。少なくとも、見た目だけは。
 「おれもあんまりゆっくりできへんねん。じゃあな、ウリカイ」
 おれはとてもそんなふうには、落ち着きをよそおってなんかいられない。急いでそう言うと逃げにかかった。
 「うん。ウリカイ」
 ユンも声の中にははにかみがあらわれていた。やっぱりそうだったんだな。内心はおれたちと同じらしい。
 「じゃ、ウリカーイ」
 ミリも逃げるように帰っていく。でも気のせいか、その走る足どりはどこかスキップめいて見えた。
 そしてこの先、帰り道はおれとヨッシーの二人だけ。いつも通りのその事が、今はむしょうに気まずいというか気はずかしいというか……。おれはそれをごまかすように、カサをやたらふり回しながら早足で歩いた。
 突然、ヨッシーが笑い声で言った。
 「テンもユキの事が好きやったなんてねえ。これから大変やと思うよ。ライバル多いし」
 おれはハッとなってカサをふる手を止め、それからヨッシーにつられるように笑顔になった。ヨッシーのやつ、おれが息詰まるような気持ちでいる事に気付いてたな。それで遠藤の話題に持ちこんでくれたってわけか。
 「でもテンなら見こみはありそうやし、がんばりよ」
 ヨッシーはおれをはげますような事を言う。
 「ライバルって、そんなに多いんか?」
 「たぶんね。少なくとも、テンのほかに三人はおるよ」
 「三人? 三人って、もしかして今日のあの三人か?」
 「なんや知らんかったん?」
 「……ああ」
 「もう、しっかりしい。ボンヤリしとうと先越されるよ」
 「なんや、ヨッシーってアネキみたいな口きくんやなあ」
 「何言うてんの。あんたやって、ミリやゲンにはアニキみたいなつもりでおるくせに」
 「ハハッ、やっぱりそんなふうに見えるか? まあたしかにおれもおせっかいやし、ヨッシーとは似たもん同士かもな。じゃあな、ウリカイ」
 「うん、ウリカーイ」
 今までとまったく変わらない調子で、おれとヨッシーは別れのあいさつをかわした。

     12月5日 火曜日

 「セイショクセイショク、今度アルデバランのセイショク見よう」
 いきなりミリが言い出した。なんの事かと思ったら、星が月にかくされる天文現象を星食と言うらしい。それが今度起こるんだとか。十月に部分日食を見て、それっきり次は来年三月の部分月食まで、何もないのかと思ってた。ミリもよくいろいろと調べてくるもんだ。
 「なっ、またみんなで観測しような」
 「ああ、そうやな」
 ただなんとなく続くだけの古い活動なんて不満に思っていたくせに、今回ばかりはおれも不思議とやる気がわいてきた。
 あの日の、あの放課後の出来事は、おれにとっては自分がすっかり変わるほどの大事件だった。そう、いつかの換気扇のミステリーにも匹敵するほどの。でもあれはおれにおびえととまどいしかもたらさなかったけれど、今度の事はおれをおもいきり陽気で開放的な気分にさせてくれた。
 たしかに少しはとまどいもあるし、きまり悪いような感じもする。でもあまりなめらかとはいえないそんな思いさえも、今のおれにとっては解放感の中で味わう快さの一部なんだ。
 「それでいつなんや? そのアルデバランの星食は」
 「今度の十三日」
 「えっ? じゃあもうすぐやんか。来週か」
 「うん。だから早い事集まって相談しよう」
 そういうわけで、今日の放課後さっそくおれたちは集まる事にした。集合場所は、なぜかヨッシーの家。

 ヨッシーの部屋の机の上には、なぜかアニメの宇宙戦闘機のプラモデルが置いてある。
 「ほお、コスモゼロやんか。これってひょっとして?」
 「うん、あたしが作ってん」
 あたりまえみたいにヨッシーは答える。おれは笑いながらプラモデルを手に取った。女の子らしくはないかもしれないけど、でもこういうのってなんだか、とてもヨッシーらしいと思う。
 「ようこんなもん作るなあ。やっぱ器用なんやろうな。ピアノひいたり絵描いたりするだけあって」
 おれは手をふり回してプラモデルを飛び回らせた。われながらガキっぽいふるまいだ。いくらおちつかないからって、もうちょっとゆったりとかまえてられないのかよ。
 「ちょっとテン、ミリだっておとなしくしてるんよ。どっかに座って静かにしいよ!」
 ほら見ろ、とうとうユンにどなられた。
 ユンとヨッシーの二人は大きなベッドにならんで座っている。でもおれまでベッドに座るのはなんか気がとがめるし、じゅうたんの上にじかに座りこんだ。ミリとゲンはかべぎわに立ったままだ。
 そしてもう一人、遠藤も、窓にもたれながらうつむいて立っている。
 ほんと、おちつかないよなあ。いったい、どうして遠藤までつれて来たんだ? ……なんて事を本人のいる前で聞けるわけがない。まったく、ユンのやつは何を考えてんだか。ま、だいたい見当はつくけれど。
 「ねえ、わたしらだけには正直に言って。ユキも柴崎の事が好きなん?」
 ほら、やっぱりまたその話だ。
 「わたしたちも正直に話すし、ほかのひとにはぜったい言わへんから、信用して聞かせてよ」
 「でも……」
 遠藤はためらっている。おれもますます落ち着きを失った。遠藤の秘密を知るのもこわいし、ユンからおれの秘密が明かされるのも不安だし。まだ持っていた宇宙戦闘機のプラモデルが、手の中でふるえている。今にもきりもみ急降下しそうな気分。
 「心配なん? はずかしいん? わたしらの間だけでの話やない。わたしらもみんな秘密をうちあけてるんよ。ああ、でもゲンだけは言ってなかったんやねえ」
 ふと話がそれて、みんなの視線もゲンのほうへ向いた。
 「なんや」
 「あんたもそろそろ白状し。だれの事が好きなん?」
 「だからいないって言ったやろ。しつこいなあ」
 「ほんま強情なんやから。そう、ならええわ、そのかわりちょっと今だけろうかに出とってくれる?」
 「なんで?」
 「ここからは、わたしら秘密をうちあけ合ったもん同士の話なの。だからえんりょしてよ」
 「…………」
 「……ねえゲン、一人でずっと秘密にしとくより、わたしらの話に入ったほうがいいと思うよ。どうする?」
 ゲンは迷うそぶりも見せないで、さっさとろうかに出て行った。一人仲間はずれにされてもいじけたような顔も見せず、部屋のドアも自分から閉めた。
 おれにはゲンの考えが、どうもわからない。おれたちからすればとても信じられない事だけど、本当に好きな人なんて一人もいないんだろうか。それともひょっとしたら、こんな場で軽々しく口にはできないくらいに、あいつの思いは真剣なのかもしれない。
 あんなふうにかんたんにうちあけてしまった事を、おれは今になって少し後悔している。へんにこだわらないであっさりうちあけてしまうか、まわりに流されずに自分の意思をとことん守るか、いったいどっちがよかったんだろう。
 ところで、遠藤は?
 「なら好きかどうかは別として、どこか気になるってのはあるね?」
 「んー……」
 遠藤はやっぱり返事に詰まっている。
 好奇心ばかりが先に立って、ユンは遠藤が困っているのに気付かないらしいな。おれは話をそらすつもりで言ってみた。
 「なあ、それより早い事観測の相談始めようや。そのために集まったんやろ?」
 「ああ、そうやった」
 ユンは思い出したようにうなずいた。
 「あんねえ、今度わたしらみんなで星の観測しようって言ってるんやけど、ユキもいっしょに見いへん?」
 「星の観測って、夜に?」
 「だいじょうぶ、夜っていってもそんなおそい時間とちがうから。ねえミリ」
 「うん、八時半ごろには終わる」
 「ね、だからわたしらといっしょに星食見よ」
 追及をやめたと思ったら、今度は勧誘かよ。おれはプラモデルを机に置いて部屋を出た。
 部屋に背を向けろうかに座りこんでいたゲンが、ふり向きながらたずねた。
 「くだらん話は終わったんか?」
 「ああ、今ユンたちが遠藤を今度の観測にさそっとうわ」
 くだらん話、か……。ゲンっていつもはミリとはしゃいでいるくせに、たまにこうしてさめた事を言うのはどうしてだろう。おれはゲンと話がしたくて、同じようにろうかに座りこんだ。
 「秘密にしとくんはもちろん自由やけどな、でも一人で意地張るんは気を付けたほうがええで」
 「何が。ただ言わないなら出て行けって言うから出て来ただけや」
 「まあ今の場合はしゃあないな。ユンは好奇心ばっかりわいとって、それでほかの事に注意が向かないんやろう。だから今だけちょっとガマンしようや」
 「今だけですめばいいんやけど」
 「それよりストップウォッチどないした? もう完成間近とか言うとったけど」
 「ああ、あれなあ、完成ちょっと遠のいた。リセットで誤動作起こすんや。どうも原因わからんし、今はとりあえずケースのほうを加工しとう」
 「そうか。ミリのほうはな、まだ基板に手こずっとうらしいで。今度は感光基板でやりたいとか言って、でも金ないからなあってなやんどったわ。万能基板でも使ってさっさと作りゃええのになあ」
 「ミリもガンコやからな」
 「そう言うゲンかてそうとうなもんやないか」
 そのうちに、部屋のほうがなんだかさわがしくなってきた。おれとゲンは話をやめて立ち上がった。
 部屋にもどると、ユンとヨッシーが何か言いながらベランダへ出て行くのが見えた。部屋に残ったミリと遠藤もおちつきがない。
 「どうしたんや」
 「外にバザと鳴海が来てるんだ」
 「なんでや?」
 「知らんけど、たぶんユキのあとをつけて来たんだ」
 柴崎と鳴海が外に来ている……。いったいなぜ? 決まってる。ミリの言う通り、遠藤を追って来たんだろう。
 前の道にいる柴崎たちとベランダに出たユンたちは、何やら言い争いを始めた。それもあきれるような大声で。
 柴崎も鳴海も遠藤の事が好きなんだと知った時、おれは二人に今まで以上の親しみを感じた。言ってみればおれたちはライバル同士だ。だからこんなふうにして、もののはずみとはいえおれだけ遠藤と会っているのは、どうも気がひける。
 「ほら、あんたらも力貸してよ」
 ユンに呼ばれて、ミリがヒョコヒョコとベランダに出て行く。でもおれはとても顔を出す気にはなれなかった。遠藤も不安そうに窓からはなれた。
 それにしても、ユンやヨッシーのあのけんまく、いったいどうしたっていうんだ? ……こりゃ、何かあったな。くわしい事情はわからないけど、たぶん学校で何かあったんだ。そういえば、二人ともどこか様子がちがっていた。いきなり遠藤をつれて来たのも、ユンがしつこくたずねたのも、好奇心のほかに理由があったのかもしれない。
 いったい何があったんだろう。今度はおれの好奇心がふくらみ始める。おれは遠藤に聞いてみた。
 「なんであいつら、こんなとこまでついて来たんや?」
 「さあ。本人たちに聞いてみたら?」
 軽くかわされてしまった。
 二人が帰っていくのがカーテンごしに見えた。ユンとヨッシーもベランダから部屋にもどった。
 「あーどうしよー。あした学校行かれへんわあ」
 さっきのけんまくからは考えられないくらい、今のユンの声には力がない。ほんとうに、いったい何があったっていうんだろう。
 「でもあした学校休んだら、アルバムに写真がのらなくなるで」
 「そうそう、卒業アルバムの写真、あしたとるんやもんなあ」
 「いやな思い出残すくらいなら、写らんほうがまだええわ」
 「そう思いつめるなって」
 「でもあしたは委員会だってあるんよ。もうぜったいできへん、あいつと顔合わすなんて」
 何があったのかなんて、おれはもう気にしない事にした。おれにはおれの秘密があるように、ユンにはユンの秘密が、そして遠藤には遠藤の秘密があるものなんだから。
 ただ、一つだけ気がかりな事がある。遠藤はおれや柴崎たちの秘密の思いに、いったいどのくらい気付いているんだろう。

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