ひと夏の少年 − ひたむきさの季節に −
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小学生の頃まで、わたしはまるで男の子みたいだった。近所にいるのが男の子ばっかりで、小さい時からいつもその子達と遊んでいたせいかな。だからわたしも自分の事をボクなんて言ったりして、心のどこかで男の子のつもりでいたのかもしれない。
そんなわたしも今年の春から中学生になった。べつにネコかぶるつもりはないけれど、みんながとまどうだろうからボクって言うのもやめた。そうして制服が体になじむように、わたしも少しづつ人並みな女の子になってきたみたい。
ただ、そのせいかどうかよく分からないけど、小さい頃から一緒に遊んでいた近所の男の子達が、最近なんだかよそよそしくって。まあそれも仕方ないかもしれないね。お互いそういう年頃だから。
でも、今年の夏休み、わたしはある子と知り合ったのをきっかけに、以前のままのわたしに戻っていた。その子は夏の間だけわたしの前に現れた、不思議な男の子だった。
1
ウーン、いい天気。今日から夏休みって思えば、たとえどんな天気だって嬉しいけど、朝からこんなに明るいともう最高の気分。なんていうか、ラジオ体操の歌にある希望の朝、って感じね。宿題があっても、部活があっても、やっぱり学校から解放されたっていう気がして、ほんと気持ちも晴ればれしてくるわあ。今年の夏休みは素敵なものになりそう。なんだかそんな予感もするな。
最近、学校でのいろんな事で、わたしはちょっと落ち込んでいた。べつに中学校生活についていけないってほどでもないんだけど、中学校は小学校とくらべるとなんでもおおげさで、それにキッチリしすぎてるから疲れてしまう。制服とか試験とか、教科ごとに変わる先生とか。そのせいで、六時間の授業が六時間に思えたりもするんだよね。試験なんかは学校ぐるみの大がかりなものだから、なんかそれだけですくんじゃう。あとは先生や先輩への礼儀もウルサイし。それから本鈴前に鳴る予鈴、あれって何? ただアセるだけじゃない。あんなごたいそうなもの、小学校にはなかった……。
ひとたびそんなふうに思うと小学校時代がたまらなく懐かしくなってきて、わたしは時々、特に夜なんかはつい涙ぐんでしまう。
そんな中学校生活への不満や小学校時代への感傷から、わたしは夏休みになったら実行しようとある計画を立てていた。べつに計画っていうほどおおげさなものじゃなくて、ただラジオ体操に通おうっていうだけなんだけどね。小学校のグラウンドに、小学生の頃のように、毎朝早起きをして……。
わたしは小さな妹の付きそいで仕方なくっていうようなそぶりで、小学校へ向かった。中学生のわたしがラジオ体操に行く気恥ずかしさをごまかすための、これも計画の一環ってわけ。
しばらく通らなかった通学路が、なんだかとっても懐かしい。角を曲がるたびに、つい立ち止まりそうになるくらいに。ずっと遠い所から、ひさしぶりに帰って来たような気分。周りの子ども達の明るいざわめきや跳ねるような駆け足に、わたしの気持ちもますますはずんだ。
よかった。小学校もちっとも変わってない。当たり前よね、まだ四か月しかたってないんだもん。
でも、……なんだかちょっと違う。こんなににぎやかなのに、どこかよそよそしい感じがするの。これってやっぱり、わたしが中学生になったせいなのかな。六年間通ったこの学校も、もうわたしの場所じゃないみたい……。
妹は同じクラスのなかよしを見付けて、その子達と一緒にはしゃいでる。けれどもわたしには誰もいない。周りは小学生ばっかりで、知ってる子なんて一人もいない。
ラジオ体操も、急に気のりがしなくなっちゃった。早く終わらないかな。そしたら妹を連れてすぐ帰ろう。
わたしはいったい、なんのためにここまで来たんだろう。一人っきりを思い知るため? なじみのものにソッポ向かれるため? そう、わざわざ来たりしないで、ただ遠くから懐かしがるだけの方がよかったのかもね……。最後の深呼吸が、長いため息のようになった。
「さ、帰ろっか」
無理に明るく声をかけたけど、妹はそこにはいなかった。
「あれ? どこ行ったんだろ。なんだ、あんなとこに……」
……妹はなかよしの友達と一緒に、わたしを置いて帰っていった。
2
場違いで居心地の悪い思いをするだけなのに、ついまたラジオ体操に来ちゃった。わたしもこりないからね。今日でもう四日目。どんな事でも三日を過ぎると習慣になっちゃうの、わたしの場合。
体操が始まるまでの時間、わたしは居場所のないような気分をまぎらわそうと、周りの子ども達を観察してみる。だいたいそれくらいしかする事ないし。
グラウンドの隅、遊具の周りは低学年の子ども達でとってもニギヤカ。ジャングルジムもすべり台もすっかり占領されてる。そんな中で高学年の男の子が一人、すべり台の柱にもたれてつまらなそうにしている。確かあの子、昨日もおとといもそこにいたっけ。
三年生くらいの女の子達が、鉄棒を練習している。熱心なのはいいんだけど、あーあ、スカートでさかあがりをするなんて……。でもわたしだって、ついこないだまでは平気であんな事してたんだよね。もちろん今じゃ考えられないけど。
高学年の男の子が数人、ヘンな歌を歌いながらやって来た。それも大きな声で。
「バーカアーホドジマヌケー、ターコイーカエロスケベー」
こんな歌をアイネ・クライネのメロディーで。モーツァルトが聞いたら泣くでしょうね、きっと。
小学生って、こんなに騒がしくって行儀悪くて、子どもっぽかったっけ。わたし達の頃はもうちょっとしっかりしてたと思うけど。でもそんな気がするのは、わたしが中学生になったからなんだろうね。そう思うと、ますます居心地が悪くなる。
始まりの音楽が流れ始めると、遊具の子ども達はグラウンドの方へ走ってく。ジャングルジムにしがみついてた子も、いっせいに散らばった。まるでキャラメルにたかるアリみたい。なあんて、われながらひどい感想ね。
「イチ、ニ、サン、シ、オオキクゴーロク、シチハチ……」
体をひねった瞬間、目の端にジャングルジムが見えた。あれ? てっぺんに座っているのは、さっきすべり台の下にいた男の子じゃない。体操もしないで、あんなとこで何してるんだろう。とにかく、この場からういてるのはわたしだけじゃなかったみたい。
みんなは深呼吸も終わらないうちからざわつき出して、そして集まる時以上ににぎやかに散って行く。妹達も帰っていった。
けれどもあの男の子は帰ろうとしない。ジャングルジムの上に座ったまま、帰る子ども達を見下ろしてる。
その子の事がどうも気になって、なんだかわたしも、すぐ帰る気になれない。花だんの花でも眺めてから帰ろうかな。
独りっきりっていうのは、なにもわたしだけじゃなかったんだ。あの男の子もやっぱり……。わたしはヒマワリのゆれる葉の間から、いつまでも動かない男の子をずっと見ていた。
3
ちょっと風が強いけど、でも天気さえ良ければわたしはゴキゲン。はずむ足取りでまたラジオ体操に出かけた。今はある一つの事だけを目的に。
今朝もあの子は……、あ、やっぱりいた。すべり台の柱に一人でもたれて立っている、いつものあの男の子。四年生か五年生くらいかな。白いシャツに青い半ズボン、白い靴の先でつまらなそうに土をけっている。こうして見ると目立たない子なのに、でもとっても変わっていて、だから妙に気になるんだよね。
始まりの音楽が流れて小さな子達がいなくなると、ほら、あの子はそれを待ちかまえていたように、ジャングルジムに取り付いて登っていく。この一週間ずっと観察してるけど、毎朝いつもそうなの。
体操が始まった。みんなが手を振ったり飛び跳ねたりするのを、男の子はジャングルジムのてっぺんに座ったまま、じっと見下ろしてる。わたしだってマジメに体操する気なんてないけど、一人でただ突っ立ってるのもきまり悪くて、だからなんとなく一緒になって手を振り回したりしてみる。でもあの子はただじっと高い所に座って、なにもしようとしない。自分が周りからういていても、そんな事気にもとめない。
みんなが帰ってしまっても、あの子は帰らない。ジャングルジムの上に座ったまま、なんだか辺りが静かになるのをじっと待っているみたい。
そして、わたしもすぐには帰らない。花だんを見ているふりをしながら、ヒマワリ越しにこっそり注意深く見守る。そのうち決まって不思議な事を始めるんだから。
男の子はいきなりジャングルジムから飛び降りた。そうしてしゃがんだ姿勢のままクルッと体の向きを変えて、ジャングルジムの中に頭から突っ込んだ。ほーら、またいつものやつが始まる。
二つ進んで、左を向いて、一つ進んで、今度は上へ……。小柄な子だけど、やっぱりきゅうくつそう。高学年の子がこんなふうにジャングルジムで遊ぶのがなんだかヘンで、だからどうも気になっちゃう。
でも、あれはほんとにただ遊んでるだけなのかなあ。あの真剣そうな顔。周りの物なんてなんにも見えてないみたい。
わたしはヒマワリのかげから出て、あの子の行動をじっくり観察してみる。角を四段目まで登って、一つ右へ行って、一段降りて……。一見メチャクチャにくぐってるみたいだけど、何か決まりでもあるの? 毎朝こんな事されると、気になってしょうがない。
思いきって、聞いてみようかな。わたしはゆっくりジャングルジムに近付いていった。
いつか声をかけてみようと、前から考えてはいたんだ。けど、相手は知らない子だから、ちょっとした思いきりが必要で……。でもこうして強い風に吹かれていると、なんだか思いきった事がしてみたくなったりもするんだよね。
男の子はジャングルジムの一番上から抜け出すと、そのままてっぺんに立った。風で白いシャツがはためいて、青いジャングルジムの上にそんなふうに立っていると、なんだかヨットみたい。
「ねえ」
気おくれがふくらんでこないうちに、わたしは急いで声をかけた。
「何やってんの?」
「えっ?」
「いつも熱心に何をやってるの?」
「何をって聞かれても、べつに……」
答えながら、男の子は慌ててジャングルジムから降りようとした。あっ滑った、あぶない!
「わうっ」
二段目に足を引っ掛かけたまま背中から落ちて、ああ痛そう。男の子は起き上がらない。声をかけたわたしはなんだか悪かったような気がして、男の子に駆け寄った。
「だいじょうぶ? ねえ、へいき?」
「なんでそんな事聞くん?」
「だって……」
「僕のやってる事ってそんなにヘン?」
男の子は素早く起き上がると、こりもしないでまたジャングルジムによじ登った。あきれた、ちっともこたえてないじゃない。でもほっとした。
「そんな事聞かれても、僕はただ……」
そっか、いきなり答えにくい質問をするのは間違いね。だったら……。
「きみ、名前は?」
「カズヤ」
カズヤくんはそれだけ答えると、返事を期待するようにわたしを見ている。まあ名字なんてなんでもいいか。わたしもまねして、名前だけで自己紹介をした。
「わたしは舞子。カズヤくんは何年生?」
「一年」
その答えにわたしがビックリ顔をすると、カズヤくんはニヤニヤ笑いをしながら一言付け加えた。
「中学のね」
なあんだ、中一か、わたしとおんなじだ。それでもやっぱり驚きよ。どう見ても小学生だもん。
「マイコは何年生?」
マイコ、だって。いきなり異性を無造作に呼び捨てにするなんて。まあいいわ、わたしもそうさせてもらうから。
「わたしも中一、カズヤとおんなじよ」
「へえ。中学生がなんでラジオ体操なんかに来てるん?」
「なんでって……」
「それも最初の日から毎日毎日」
「……あんたこそ、体操する気もないのにどうして毎日来てるのよ」
「僕はこのジャングルジムに用があるんや。ラジオ体操の時くらいしか、小学校になんか入れへんからな」
「じゃあそのジャングルジムに来て、いったい何やってるの?」
「そんなの僕の勝手やろ。なんでそんな事聞くんや?」
「ちょっと気になってね。フフッ」
さっきから気付いてたけど、カズヤの言葉には関西なまりがある。いつかテレビで漫才を見ていた妹が言ったっけ。
『ねえ、この人のしゃべってるのはむかしのことば?』
それを思い出して、わたしはうっかり小さく笑ってしまった。ひょっとしたらカズヤは、なまりを笑われたと思ったかな。
「ちょっと降りなさいよ。ほら、背中汚れてるよ」
わたしは笑いを自然に見せようと思って親しげな態度をとった。けれども実際、そう意識しなくても最初の時みたいな気おくれはもうすっかり消えていた。
「付いてる土払ってあげるから」
「いいったら。僕は小学校の一年じゃないぞ」
分かってるけど、やっぱり下級生としか思えないんだよね。
カズヤはわざと乱暴にジャングルジムから飛び降りた。
「ほら、また転ぶよ」
「うるさいなあ。転んだって落ち続けるよりはいいんだよ」
「は?」
「地面があるから間違いなくここで止まるんだ。もし地面がなかったらどこまで落ちるか分からんやろ」
「はあ」
また不思議な事を言い出すんだから。もっと話を聞こうとわたしが言葉を探すうち、カズヤは走って行ってしまった。
4
「オハヨ」
いつもの場所にカズヤを見付けて声をかけたけど、カズヤからは返事がなかった。わたしの声にビックリしたみたいに顔を上げて、どこか気弱そうにかすかに笑って、すぐまたうつ向いちゃった。わたしは笑いをこらえながらすべり台から離れた。
イヤな気分になるどころか、もうおかしくてたまらなかった。だって、てれくさくて困ってたのに違いないもん、今のカズヤの態度は。
カズヤってヘンな子。初対面のわたしを呼び捨てにしたりするくせに、朝のあいさつにてれたりするなんて。でもそれはきっと、周りにいる子達に見られるのが恥ずかしかったんだろうね。もしかしたら、友達か兄弟でも近くにいたのかもしれない。わたしはカズヤに対して、親切心のしらんぷりをする事にした。
体操が終わって、子ども達もほとんど帰ったし、もういいかな? 声をかけても。
「ねえカズヤ、そのジャングルジムに……」
……また無視された。今度はちょっと頭にきちゃった。口をへの字につぐんで遠くの方を向いたまま、下にいるわたしの方なんか見もしない。いったいどういうつもり?
こんな子ほっといて帰っちゃおうかとも思ったけど、カズヤにはたずねたい事があるんだ。わたしは今まで通り、花だんで待つ事にした。
今日もまた始まった。カズヤのジャングルジムくぐり。あれにはどういう意味があるのかな。あんなに熱心になるには、絶対何かわけがあると思うんだけど。でも、たずねたって簡単には話してくれそうにないなあ。
昨日おしゃべりをしてから、わたしはすっかりカズヤに親しみを持った。わたしにとってカズヤはもう友達だ。だけど、カズヤの方はわたしの事どう思ってるのかな。さっきの気弱そうな笑顔よりも、今の怒ったような表情の方が、ひょっとしたらカズヤの本心をよりはっきり表しているのかもしれない。
カズヤがジャングルジムから抜け出すのを待って、わたしはもう一度近くに行った。また無視されるかもしれないけど、だめでもともとよ。
「ねえカズヤ、えーと……」
「あ、おはよう」
「…………」
なんか気が抜けるなあ。今のはさっきのわたしのオハヨ、に対する返事のつもり? 一言あいさつを交わすのに三十分もかかるなんて、間の抜けた話よね。
「また来たんか。毎日毎日マイコもあきないなあ」
カズヤはジャングルジムに座って足をブラつかせながら、わたしの事をからかうように笑ってる。わたしのカズヤに対する気詰まりな思いは、いっぺんにやわらいだ。だってそうじゃない。マイコ、なんて呼び捨てにするっていうのは、カズヤもわたしの事を友達と思ってるからに決まってるもん。
「あきないのはどっちよ。いっつもそんなとこに座って」
「もともと僕は、体操なんかする気はないんや」
「それはわたしだって……。ねえカズヤ、ジャングルジムが目当てだって昨日も言ってたけど、何がそんなに面白いの?」
「マイコはじゃあ何しに来てるん?」
「わたしが聞いてるのよ。ねえ、ただ遊んでるだけ? 見てたらそうとも思えないんだけど」
「花を見に来てるんか。いっつも花だんにいるもんな」
「何か意味があるんでしょ? 目的があって通ってるんじゃないの?」
「それより向こうにヘチマもあるやんか。ほら、あれの方がマイコには似合いやと思うけど」
……全然会話になってない。わたしはちょっとイライラして、強い口調で詰め寄った。
「はぐらかさないで! ちゃんと答えてよ」
「なんで答えなきゃならないんや」
「…………」
そう切り返されると、わたしも返す言葉がない。
「マイコにはなんも関係ないやろ」
あ、また口がへの字だ。気まずい沈黙。カズヤはジャングルジムの事に触れられるのが、よっぽど嫌なのね。わたしが一番聞きたいのがまさにその事なんだけど、それをあからさまに表に出したのが、カズヤの気にさわったみたい。旺盛な好奇心はほとんどの女の子が持ってるものなんだけど、それをたいていの男の子はうっとおしく思うものらしいから。
「……わたしがラジオ体操に通う理由はね、小学校が懐かしかったからなんだ」
カズヤがいつまでも黙っているものだから、わたしの方から口を開いた。カズヤの機嫌をとるみたいでなんかしゃくだけど、不愉快な思いをさせたのはわたしなんだから、それもしょうがないよ。
「最近中学校で面白くない事もあったりして、それでなんとなく……。四か月しかたってないのに懐かしいなんて、なんかヘンだけど」
「そんな事ないって」
「そう?」
「ああ、僕にもなんとなく分かるな」
「カズヤもここの小学校だったの?」
「いいや。春に引っ越して来たんや」
「ああやっぱり。関西からでしょ」
「そうやけど、なんで分かるん?」
「分かるよ、言葉を聞いてたら」
「そうかあ? 自分じゃ普通にしゃべっとうつもりなんやけどなあ。困ったもんだ」
あの事にふれさえしなければ、カズヤはとっても気さくで明るい男の子みたい。これならいいおしゃべり相手になってくれそうね。これからますます、毎朝のラジオ体操が楽しみになりそう。
5
おしゃべり相手といったって、話をするのはわたしばっかり。カズヤの方はいつも聞き役。でも、それもしょうがないよね。カズヤは自分の事を話したがらないから。そしてわたしの方はというと、相手さえいればなんでもしゃべる性格だし。
「同じクラスにね、みすずっていう子とみえっていう子がいるんだけど、その二人がとっても面白いの」
いつものようにジャングルジムの上に座るカズヤに、わたしはすべり台の柱にもたれながら話しかけた。
「南北戦争の話をしてたんだけどね、横で聞いてると二人の会話がちぐはぐなのよ。みえの話の中には日本の地名や人名ばかり出てきて、みすずもわけ分かんなくて首かしげてるの。どういう事か分かる?」
「日本史の南北朝とかんちがいしてたんやろ、そのみえって子は」
「そうなのよ。もう笑っちゃった。でもそれだけじゃないの、そのあとにね、……」
カズヤはわたしの話に耳を傾けながら、ジャングルジムから降りて来た。わたしはカズヤと並んでゆっくり歩きながら、話を続けた。
「……みすずがアメリカの南北戦争だって説明して、やっとみえも納得したみたいでウンウンってうなずいたんだけど、またおかしな事を言うのよ。南北戦争ってやっぱりパナマ辺りで戦ったのかな、なんて」
「パナマ?」
「そう、あのくびれたとこ。わたしとみすずも不思議に思ってみえに聞いたの。そしたらみえったらね、南北戦争を南アメリカ大陸と北アメリカ大陸の戦争だって思い込んでたの」
「ハハハハハ、ほんまにそいつ中学生か? なさけないなあ」
「まあどこまで本気か分かんないけどね。こないだもあの二人、江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーの事で妙な会話をしてたっけ」
校門を出てカズヤが右に曲がったので、話をしながらわたしもそっちに曲がった。
「ん? マイコも帰り道こっちなん?」
「そうじゃないけど、ちょっとね。回り道して帰ろうと思って」
「なんでわざわざ……」
言いながらカズヤは立ち止まった。まったく、ちょっとした事で、それもわけの分からない理由ですぐ不機嫌になるんだから。カズヤの帰る方へ回って一緒に帰ろうっていうのが、なんで悪いのよ。
「分かったわよ、それならわたしこっちから帰る。じゃあね」
「じゃあ僕がそっちから帰るよ」
カズヤが言った。
「えっ、僕がそっちから帰るの?」
これはわたしのセリフ。カズヤの言葉があんまり意外だったものだから思わず繰り返しちゃったんだけど、それに対してカズヤは……。
「違う違う、きみがこっちから帰るんじゃなくて、僕がそっちから帰るって言ってるんや」
「だからあんたがこっちから帰るっていうんでしょ? そう聞いたじゃない」
「僕がそっちから帰るって……」
「だから、僕がそっちから、でしょ?」
言い合ううちに二人とも笑い出しちゃった。お互いに僕が僕がなんて言って、そっちからこっちからなんて指差してるんだもん。
「あー頭が混乱するやんか。もう真っすぐ帰ろ」
「ほら、僕。そっちから帰るって言ってたんじゃなかったの?」
ボクは自分の帰る方を指差しながら、カズヤに向かって言った。
「もうやめた。なんかわけ分からんようになってもうた」
「そう、じゃあまた明日ね」
カズヤは手を振って応えた。さっきの不機嫌なんてすっかり忘れた様子で。
ジャングルジムの事ばかりでなくて、カズヤはひとに干渉されるのをいやがるんだって事が、これでよく分かった。でもそれにしたって、あんなささいな事でいきなり怒ったり、かと思うとまたすぐ笑ったりするなんて……。ほんとカズヤって気分屋なんだから。
ボクはあきれて苦笑しながら、それでもカズヤに向かって自然に手を振り返していた。
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