星のきざし − はちみつ色の世代 3 −
中央広場 >
書斎パビリオン入り口 >
星のきざし1ページ >>
(3月31日 土曜日)
玄関チャイムを何度くりかえし鳴らしても、ユミコの家は静まりかえったままだ。
「あかんわ、雨戸もみんな閉まっとう。やっぱり留守らしいで」
表の道に回ったコウイチがそうさけんだ。
「休みに入って、いなかにでも帰ったんやろう。なあ、たしかに留守らしいぞ」
横にいるヤスユキにもそう言われて、おれはチャイムのボタンから手を落とした。
遠くへ引っ越して行く日の朝、バスが出るまでのほんのわずかな時間、今こそが最後のチャンスだった。そう、この封筒を手渡す、最後のチャンスだったのに……。おれはしかたなく門を出て、にぎりしめていた封筒をポケットの中に押しもどした。
もどって来たコウイチが、気づかうようにそっと言う。
「おらへんかったんは残念やけど、来るだけ来たんやからもうあきらめようや。なあ、手紙は郵便受けに入れて行ったらええやないか」
そう言われて、おれはつい力をこめてかぶりをふった。コウイチとヤスユキがおどろいた顔をする。
「えっ? どうしても直接手渡さなあかんのか?」
「そんなに大事なもんなん?」
二人の思いこみに、おれは、いやぼくは、ついふき出しそうになった。
こんなもの、大事なわけがない。おととい電話で星についてたずねられ、それを調べてメモしただけのものだ。ただ、最後にちょっとばかりドラマが欲しい気分で、それで深刻ぶってみただけなんだ。
ぼくはもう一度首をふりながら、きまり悪げに二人に言った。
「ううん。ただなあ、あて名を書き忘れたもんやから。ほら、真っ白けの封筒が郵便受けに入ってたら、家族みんなで首をかしげる事になると思ってさあ」
ぼくの見せる白い封筒を見て、二人はようしゃなくゲラゲラ大笑いした。
「ほんま、最後の最後までバカセやで。ハカセといっても、前からおまえはどっかぬけとったからなあ」
そう言ってコウイチは、意味ありげに声を低める。
「重要書類のあつかいは、もっと慎重にせえや。いつかもあったんとちゃうか? 理科準備室で秘密の設計図を処分しようとして……」
「おいおいおい、そんな古い話まで持ち出さんでもええやろっ。まったく……」
「いつまでも進歩がないから、親切で言ってやっとんのやないか」
「それが大きなお世話なんや」
ぼくとコウイチとがやり合う横で、ヤスユキ一人がけげんな顔をしている。あのころまだこの町にいなかったヤスユキには、なんの事だかわからないんだろう。
「秘密の設計図? なんやそれ」
「秘密は秘密や。気にすんなって」
「知らんから気になるんやんか。なあ、たのむから教えてくれや」
「おっと、もうバスの時間や。ほら早く行かんと」
ぼくははぐらかすように二人をせかして駆け出した。
二人はバス停まで見送りに来てくれた。そしてせんべつとして、ハイキングの日の写真や、お別れ会の日の録音テープなんかをくれた。
それはとても感激だったけど、ただこいつらは、ドラマになりそうなセリフをただの一言も言ってはくれない。向こうへ行っても元気でな。おれたちの事忘れるなよ。そんなセリフを、ぼくは待っていたのに。
コウイチはだまったまま、ただいつものように親しげな笑みをうかべている。そしてヤスユキはといえば、いまだに首をかしげている。
「わからんなあ。秘密っていったいなんの事やろう」
「わかったわかった、ならそのうちに話したるから」
「そのうちにったって、もう先はないやんか」
おいおい、もう先はない、なんて言いぐさはないだろう。せめて、もう会えない、くらいは言えないのかよ。
「だったらそのうち書いて送ってやるよ。それでええやろ? ただ、始めから書くとなるとけっこう長くなるけど、気長に待っといてくれるか?」
ぼくがそう言うと、ヤスユキもコウイチも真顔になってうなずいた。けれどもそのあとに続いたセリフは、待ってるからな、でも楽しみにしてるからな、でもなくて……
「またあて名を書き忘れんなよ」
まったく、こいつらときたら最後の最後までこんな調子で、ちっともドラマを盛り上げちゃくれない。
もっともこの町でのドラマといえば、最初の日からそうだったっけ。二年前の、あの日から……。
4月8日 金曜日
「高橋カズヤです。五丁目からやって来ました」
一番最初の自己紹介の時から、ぼくはみんなの前でそんなじょうだんを言ってやったよ。ただ、ぜんぜんウケなかったけど。
「え、えーと、前は葺合区にいました。で、今は五丁目にいます」
とにかくよけいな事までしゃべりまくったな。ひたすら目立ちたいいっしんで。
「得意な科目は理科と図工、それから休み時間です。苦手な科目は、バレるまで秘密です」
最後に軽く頭を下げて、ぼくは、いやおれは、真新しい野球帽をかぶり直した。自分としては、みんなの気を引くうまい自己紹介だったと思う。そうそう、この野球帽もけっこう人目を引いたかな。球団マークをむしり取ってかぶるやつなんて、ほかにはいないだろうから。ひたいのマークがないと間のぬけた感じもするけど、おれはどこにでもある既製品じゃ満足できないんだ。そのうちに、自分だけのマークでもつけるつもりさ。
ぼくは、いやおれは、とにかく自分が主役でなきゃ気がすまないんだ。自分が唯一の存在でなけりゃ。だから前の学校でも、目立つ事ばかりやってたもんだ。その努力のかいあって、ついにはおれは千二百人の全校生徒に知られる有名人にまでなっていたよ。ただし、それは弟の政志と二人一組の有名人だったけど。
おれはそれがひどく不満だった。だってそうだろ、オモシロイ兄さんとカッコイイ弟なんて言われたら、どう考えたって弟のほうが主役じゃないかよ。やつが赤影ならおれは青影、やつがアカレンジャーならおれはキレンジャーだ。いくらヒーローでも、そんなあつかいはやっぱりごめんだね。
だからおれは考えたんだ。今度の学校ではいきなり全校の有名人をめざさないで、まずクラスの中で主役になってやろうと。で、こういう場合、転校生ってのは有利だよな。なにもしなくても、自然にみんなの目が集まるんだから。
でも、そこにはちょっとした見込みちがいもあったんだ。ここは新しい住宅地で住人は増える一方だから、転校生なんてひっきりなしに来る。つまり、とくにめずらしがられないばかりか、まわりはライバルだらけというわけさ。
「山崎浩一です。得意な科目は体育と算数、……」
もう一人の転校生が、おれに続いて自己紹介を始めた。今度は弟の政志とじゃなく、この山崎浩一というやつと、主役の座を争う事になるんだろうか。
「それから理科と図工もけっこう好きです」
……こいつ、やっぱり張り合う気でいるな。
「家は五丁目です」
このっ、そんな事までまねしなくたっていいだろっ! 落ち着いて考えりゃ、住所をまねなんてできるわけないのに、おれはもうすっかりこいつをカタキ役として見ていたんだ。
山崎は、ならんでみるとけっこうデカイ。これならどこにいても目立ちそうだ。そしてまゆ毛が濃くて、ほほの二つのホクロがまたひときわ目を引く。アタマにくるよなあ、なにもしなくても目立つやつって。
「これからよろしく」
山崎は最後に、自然な口調でそうつけ加えた。
自己紹介のていねい語からはなれると、こいつはもうすべてが自然体に見えてくる。寝ぐせで逆立ったかみの先から、つぶしてはいてるくつのかかとまで。
それに対して、ぼくはいったい……。
真新しい野球帽のかぶり慣れない感じが、なぜだか急に気になり始めた。このおちつかない気分、やっぱり転校生なんていい事ばかりじゃないかもな。
4月11日 月曜日
半年くらい前から、テレビで魔法組って番組をやってるだろう。ほら、アバクラタラリンクラクラマカシン、てやつ。あれがおれ好きでいつも見てるんだ。とくに、なかよしグループの中に男子も女子もいっしょにいるのが、うらやましいなあとか思いながら……。
とにかく、だから今度自分も五年になる時、ぜったいに魔法組と同じ三組になりたいって思ってたんだ。なのにガッカリだよ。この学校はまだ小さくて、二組までしかないなんて。五年二組清水組。これじゃあまるで建設現場だ。
でもほんと、工事とまでは言わないけど、修理くらいは必要だよ、この教室は。窓の手すりなんか、真ん中の留め具はネジが取れてぶら下がってるし、掃除用具入れの取っ手もなくて、かわりにヒモがかけてある。セロテープの台なんかヒビ割れてて、重りに詰めてある砂鉄がボロボロこぼれるんだ。掃除の時にたなをふこうと持ち上げたら、ますますよごれてイライラするよ。
新たなドラマの舞台としては、あまりにボロすぎて不満だけど、まあしかたない。
そんな事より、二週目に入って班が決まったんだ。おれは三班になった。まだクラス全員はとてもおぼえきれないけど、班のみんなはいちおうおぼえたから、メインキャラクターとしてここでちょっと紹介しておこう。
まずおれの前の席にいるのが、班長の永見康樹。剣道とかやっててシャキっとした感じのやつなのに、なぜかニャガミなんてだらけたよばれ方をしている。背の高さはおれとどっこいどっこいで、つまりは最前列コンビってわけだ。
そしておれの後ろにいるのが、例の山崎浩一。こんなデカイやつに真後ろから見下ろされてると、なんかおちつかないよ。同じ転校生同士って事でよく話したりもするけど、最初の時のこのやろうって気持ちだけは、やっぱりまだ尾を引いている。
「おれ前に愛知県に住んどってん。だから関西弁に名古屋弁っぽいのもまじってもうとって、たまにらんぼうな言葉になる事もあるねんけど、自分でもしゃあないねん」
山崎がそう言った時、おれは思わずこう言い返してしまったよ。
「ぼくも前に東京にいた事があるから、向こうの方言がまだぬけきらなくてさあ」
これはちょっとイヤミすぎたかもな。
やつの事がしゃくにさわるくらいに気になるってのも、無理はないさ。山崎はおれのライバルとして、ドラマの重要なキャラクターにちがいないんだから。だからこれからはやつの名を、特別にコウイチと書いてやる事にしよう。カズヤにコウイチ、うん、なかなかいい感じじゃないか。主役にカタキ役としては。
えーと、あとは女子が三人、大中小とそろってる。大がコウイチのとなりの田代美也子で、中はおれのとなりの小木加奈子。そしてその前、永見のとなりが小の工藤由美子。工藤は副班長で、そして班新聞の編集長だ。
給食の時間になると、それぞれの班で机を向かい合わせにするだろう。この日はそうしてから給食の用意が整うまでの間、さっそく班新聞のうちあわせをしたよ。
工藤、小木、田代の女子三人は、ユッコ、オギッコ、ヤーコなんておたがいによび合ってる。なんていうか、いかにもなかよしみたいでいいもんだけど、だからってまさか男のおれたちまでが、こんなふうにはよべやしないよな。
それでもやっぱり内心うらやましい。おれもコウイチも転校して来たばっかりで、まだあだ名がないせいもあって。もし気のきいたあだ名でよんでもらえて、そしてこっちからも、たとえばユッコなんて自然によびかける事ができたとしたら、きっと楽しいだろうけどなあ。……ふう。
ユッコなんてじっさいにはとてもよべそうにないから、せめてここでだけはユミコと書かせてもらおうか。いや、べつにたいした理由はないんだけど、たださあ、もしヒロインを一人選ぶとしたら、この工藤が、いやユミコが一番ふさわしそうだから。ユミコはやせっぽちでそばかすだらけで……、このうえ赤毛だったら言う事なしだ。
おっと、バカな事をボーッと考えてるから、班新聞の計画メモを書きまちがえたじゃないか。
おれはもうノートもふでばこもかたづけてしまい、えんぴつ一本で机にじかにメモしていたんだ。もうめんどうだから、まちがえたところを指でこすった。すると……。
「そんな事せんと消しゴムくらい使いよ」
そう言って工藤、じゃないユミコが消しゴムを貸してくれた。ぼく、じゃないおれは、うれしかったのと思いがけなかったのとで、もうやたらドギマギしてしまったよ。
「あ、いやあ、もう消えたから」
「ええから使いって」
「じゃあ。……でも意外やな。前の学校じゃ、ぼくに消しゴム貸してくれるのなんて、だれもおらんかったのに」
「え、なんで?」
「いやあ、ヘンなうわさが広まっちゃってさあ。給食前、高橋ににおいつき消しゴムを貸すと、歯型がついてもどって来る、なんて」
空腹にかられ、ちょっとした出来心で借り物のメロン消しゴムをかじってしまった話は、班のみんなに大ウケだった。
でもおれは内心、自分の事がとんでもなくイヤになったよ。考えてもみろ、女の子の関心をひくためにおどけてみせるなんて、まちがっても主役のやる事じゃないだろう? こんな調子じゃコウイチに主役の座をうばわれて、おれはまたしてもわき役のおどけ者だぞ。
そう思いながらも、給食の最中もユミコ相手にずっとこんな調子が続いてしまったのは、いったいどうしてだったんだろう。
「今日のおかずいややなあ。揚げた魚かあ。だれかあげる」
「きらいなん?」
「うん。かたいフライきらい。だって食べるといっつも口ん中すりむくんやもん」
「なに言うてんの。ヘンな事ばっかり言うとったら、黄色い救急車をよぶよ」
「おおげさやなあ。すりむいたくらいで救急車なんて」
「あんたほんまにアホとちゃう? 黄色い救急車を知らんなんて、じょうだんぬきで病院行きやわ」
ほんとかどうか知らないけど、イカレた人を鉄格子の病院に送るのに、黄色い救急車がむかえに来るんだとか。そんな話、それこそじょうだんぬきで知らなかったよ。
そしてこの時からなんだ。おれがなにか言うたびに、黄色い救急車をよべ、がクラスの合い言葉になってしまったのは。
家に帰って、おれは三作目の紙の鳥の製作にかかった。
新しい自分の部屋の天井近くにおれはテグスを張り、ケント紙に描いて切りぬいた紙の鳥をつるしているんだ。
これまで紙の鳥は、トビとかヒバリとか、この町で見かける鳥ばかりを作ってきた。けれど今度はちょっと気分を変えて、見栄えのするカッコイイのを作りたくなったよ。となればカモメなんかもいいけど、それよりもっとスラリとつばさの長い、なんといってもアホウドリだな。
ヒバリとトビにはすみに寄ってもらって、おれはできあがったばかりのアホウドリを、ちょうどベッドの真上につるした。
真下から見上げると、ほんとカッコイイよなあ。自己満足みたいだけど、ほんとうにカッコイイ。この鳥をアホウなんてよぶ人間はきっと、地面をヨタヨタ歩く姿しか見ていなくて、海の上を滑空する姿を知らないんだろうな。
次の章へ