星のきざし − はちみつ色の世代 3 −
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4月28日 木曜日
まったく、いったいどうしたっていうんだろう。このごろ朝から晩まで、くりかえし工藤の事ばかりを思いうかべてしまうんだ。ユミコとしてメインキャラクターに決めたせいで、それであの子がいつもいつも気にかかるようになってしまったのかなあ。
それならそれと同じ事は、そのまま山崎にも言えるだろうな。コウイチとしてやはりメインキャラクターに決めたせいで、それであいつがいつもいつも気にさわるようになってしまったよ。工藤由美子と山崎浩一、イニシャルY・KとK・Y、二人はおれのドラマにとって、まさに対照的なキャラクターだな。
さて、時は理科の授業中。今日は教育テレビの番組を見る日。おれはほおづえをついたまま、じっとななめ前に視線をとどめている。
おれは理科は大好きだけど、得意だからこそかえってたいくつなんだよな。教科書もテレビもわかりきってる事ばかりで、だから熱心に番組を見る気になんてなれないよ。それならなにをそんなに熱心に見ているのかといえば、もうわかってるだろうけど、ななめ前の席の、ユミコの横顔さ。
テレビは左のほうにあって、そしてユミコは右ななめ前の席だから、ちょうどいいぐあいに横顔を見せてくれるんだよなあ。ユミコのその真剣な表情に、おれのほうもついひきこまれるように見入ってしまうよ。
ヒロインがななめ前にいるというのは、とてもラッキーな事だってのがよくわかった。なんといっても、前を向きながらいつでもさりげなくみつめられるんだから。髪の毛ごしにほほが少しだけ見えるってのが、またいいんだ。たまにはそれがじれったくも思えるけど、そんな時不意にふり向きそうなそぶりをされると、ドキドキっとしてもう息も止まりそうになるよ。
心臓のドキドキは、いつだって八分音符の早さで打っているんだ。♪♪♪♪……。なのにそんなおれにも気付かないで、ユミコはただ熱心にテレビを見ている。
そうなるとやっぱり、なんとか気付いてもらいたいって気持ちも起こってくるよな。ユミコ、なんてよびかけたとしたら、あの子はいったいどんな表情でふり向くだろう。
ユミコとはよべないまでも、せめて女子たちと同じように、ユッコとよべればいいんだけど……。いや、それもやっぱりむずかしいよ。男子でそんなふうによぶやつなんて、ただの一人もいないからな。まして転校生のおれに、そうよべるはずなんてないだろう。
男子たちはたんに工藤とよぶか、時にはその髪形をからかって、キノコとかマッシュルームとかよぶ事もある。キノコ、なんてのもかわいいとは思うけど、でもやっぱりヒロインにはふさわしくないよなあ。だってキノコじゃドラマにならないだろ? たとえばこんな場面を想像してみろよ。
「由美さんは、キノコのような人だ」
……まあ、そんな事はおいといて、なによりまず問題なのは、主役であるはずのおれのあだ名だよな。
前の学校同様に、ハカセというよび名はここでも定着しつつある。うむ。しかしだ、理科の時間が過ぎてしまえば、とたんにまた黄色い車の大合唱なんだよなあ。おまけに高橋じゃなくて低橋だとか、時にはずばりチビなんてよばれもするし。いくら背が低いからって、主役に対してそれはないんじゃない?
まあ、ヘンなあだ名でよばれてるのは、おれだけじゃないけどな。コウイチのやつなんか、ヤマザギだとかダクテンだとかよばれてる。そう言われてみれば、ほほにならぶ二つのホクロは、見事に濁点に見えてくるから笑っちゃうよ。
ああ、じっさい笑えるよ。しゃくだから思いっきり笑ってやる。コウイチのやつ、ヤマザギはともかくダクテンというあだ名のほうは、けっこう自分でも気に入ってしまったらしくて。そんなのゆるせない。だってくやしいじゃないか。同じ時に転校してきて、おれより先に気に入ったあだ名を手に入れるなんて。
ああ、くやしい。くやしいから思いっきり笑ってやる。ヤマザギ、アダマあらったか? おいヤマザギ、グヂの横になにかついてるぞ。どうしたヤマザギ、バナのアダマにあせかいて。
くだらない事を考えるうちに、テレビはもう終わりだ。理科の授業が終われば、おれもハカセからまたチビの低橋かよ。あーあ、それをあらためるには、ほかの科目でもハカセになるしかないのかなあ。……いくらなんでも、そりゃむりだよな。
番組が終わると十二時だ。次の番組までの間に、時報の時計がしばらくうつる。
「あー、あー、あれっ?」
その時計がおかしい事に気付いて、思わずおれは大声を上げてしまったんだ。
「静かにせえや、チビ橋」
「さわいどったら黄色い車をよぶで」
するととたんに、そんな非難の声の集中だよ。先生までが、急いでテレビのスイッチを切るなんて。
ああ、ああ、おまえらにはわからないだろうよ。秒針に先回りして長針と短針がジャストを指してる不思議さに、どうしてだれも気付かないんだよ。
でも、給食前に机を向かい合わせにしようとした時、後ろの席のコウイチがおれにこう言った。
「発見かなんか知らんけど、エウレーカも時と場合をわきまえたほうがええで、ハカセよお」
「発見って……、ええ?」
「なんやエウレーカも知らへんのか? アルキメデスが浮力を発見した時にさけんだ、有名なセリフやないか。しっかりせえよ、バカセ」
まさか、コウイチは気付いていたのか? ……それにしても、バカセとはなんだバカセとは。まさかおまえから濁点をつけてよばれるとはな!
5月10日 火曜日
毎日の小さな学級会みたいなもので、終わりの会ってのが帰る前にあるだろ。あれってたいていは朝の会と同じで先生からの伝達事項でおしまいだけど、たまにはだれかのうったえで、ちょっとした話し合いにもなるんだよな。
学級会にまで持ち出すほどじゃないけれど、おれにも最近うったえたい事があるんだ。ほら、例のあだ名の事さ。チビとか低橋とか言われて、ほんとめいわくしてるんだよな。
めいわくならさっさとうったえたらいい、そう思うだろう。でも、なかなかそうもいかないもんだぞ。うったえるにはまず、はっきりした被害がなけりゃ、だれもとりあってくれないし。たとえば、今日だれだれからこういう事を言われて傷付いた、といった具体的な例を挙げなきゃ。なのにじっさいにはあまりに自然にチビと言われてしまうから、うったえの材料になりようがないのさ。ほんとなさけないよなあ。
そういうわけで、帰りの会はいつだって、なんのひっかかりもないままおれの頭の上を流れていく。あとはもう、しょうがないから帰るだけだ。
おれが帰る。ユミコも帰る。これがうれしい事に、ぐうぜんおんなじ方角なんだよなあ。もっとも、もちろん別々に帰っているわけだけど……。
ユミコはいつも、やはり帰る方角が同じクラスメートの、有吉千佳子といっしょに帰るんだ。おれの事なんて、ぜんぜん見向きもしないでな。
おれはユミコから少しはなれて、同じ足取りでついて行く。道ばたに生えるカラスノエンドウをむしって、その若い実で笛を作ったりしながら。そうしてそれをピーピー鳴らしてみては、ユミコをふり向かせようとしたりして。
たまにはユミコが教室に残って、おれのほうが先になる時もある。そんな時おれは、帰り道のとちゅうでエミちゃんと遊びながら時間をつぶすんだ。いつもへいのすき間から顔を出してるエミちゃんと遊んでいれば、ユミコが来るまで何十分でも待っていられるよ。
けどたいていは五分もしないうちに、
「なあ、もうええやろう。イヌなんかにかまっとらんで、早よ帰ろうや」
横でコウイチが大声で文句を言う。そうなんだ、こいつもまた帰る方角がおんなじで、どういうわけだかいっしょに帰るようになってしまったんだ。班といい帰り道といい、どうしていつもいつもこいつとばかり……。これがくされ縁ってやつなのか?
家に帰って夜になっても、おれは寝る前まで窓のシャッターは閉めないでいる。ときどき明かりを消して、外をながめるのが好きなんだ。ちょっと気取って、カーペンターズなんかを流しながら。
東の窓から身を乗り出すと、ずっと向こうにユミコの家が小さく見える。二階のあの明かりは、きっとユミコの部屋じゃないのかな。
その明かりがともる瞬間や消える瞬間を、どうしてだかおれは、むしょうに見てみたい気がして。だからいつもいつも、夜の窓を開いているというわけなのさ。
……それにしても、帰り道でふり向くのを期待したり、追いつくのを待ったり、かと思えば遠くから部屋の明かりをみつめていたりと、われながらまるっきり主役らしくないよなあ。こんな事で、ほんとにドラマになるのかよ。
そう思いながらも今日もまた、ななめ前の席のユミコの横顔を、ただながめるだけですぎていく。あーあ、ちょっとだけでもふり向いてくれないかなあ。そう思いながら。
その時、
「ねえチビ橋、なんであんたいっつもユッコのほうばっかり見てんの?」
田代にいきなりそう言われて、おれはほおづえの手からガクッとあごを落とした。なんなんだよ、いったい。その声を聞きつけてユミコがふり向くより早く、おれはあわてて後ろに身をよじった。
「ねえ、さっきからずっとユッコのほうばっかり見とうけど、ひょっとしてユッコの事が好きなんとちがう?」
そうだったんだ。おれからななめ前のユミコがよく見えるように、田代からもななめ前のおれの様子がまる見えだったってわけだ。ほんと、うかつだったよ。
「ただ左手でほおづえつくから、顔が右向くだけやんか。へんな事言うなよな」
「だったらなんで右手でほおづえつかへんの?」
「それは……、そんなのひとの勝手だろっ!」
こういう場合、むきになって言いわけすれば、かえって立場を悪くするもんだ。言い返すセリフが見付からない事もあって、おれは一言どなっただけで前に向き直った。
と、こんな時にかぎってユミコがじっとこっちを見ている。おれはあわててまた後ろを向いたよ。
「それより田代、今またチビって言ったやろ。いいかげんチビよばわりはやめてくれよな」
「それなら低橋、ほんとのところどうなん? 同じ班やし、背の順にならんでもとなり同士やし、やっぱりいつも気にしとうんやね?」
「うるさいなあ。だいたいその低橋ってのもいやなんや」
「でも低いのは事実やん。小さいもん同士、お似合いなんとちがう?」
「小さくて悪かったな。田代からすりゃクラス全員が小さいやろ。ぼくにだけチビとか低いとか言うなよな」
ユミコの事ではいいわけのしようもないわけだし、だからあだ名の事で抗議しようと思ったんだけど、田代にはまるで通用しない。
だけどその時、意外なところから助けが入ったんだ。
「いいかげんにやめたれや。勝手な思いこみもええとこやで」
そう言って田代をたしなめたのは、後ろの席のコウイチだった。
「なんで? 低橋がユッコの事をじっと見てたんは、たしかなんよ」
「だから、それがおまえの勝手な思いこみなんや。前のほうを見るなんてあたりまえやろ」
「でも、あの視線はやっぱりふつうやないもん」
「おまえこそなんや、そんなに高橋の事ばかり見とって。ひょっとして高橋が好きなんとちゃうか?」
「なにアホな事言うん。ただななめ前におるから見えるだけやない」
「だったら高橋だって同じ事や。工藤がただななめ前におるってだけの事やろ」
そこへ先生がやって来て、口論は終わった。ユミコが前を向いたころを見はからって、おれも前に向き直った。
まさかカタキ役のコウイチに助けられるとは、思ってもみなかったよ。もちろんそれはそれでうれしかった。
ただ、こうも考えられるけど。もしかしたらコウイチは、田代以上におれの本心を見抜いているんじゃないだろうかと。
5月20日 金曜日
その次の週の事だけど、国語の時間にな、季節感をこめた手紙の書き出しというのを考えたんだ。その時コウイチの発表したのがこれだ。
「ウンコに湯気の立つ季節となりましたが、カゼなどひいてはいませんか」
まったく、どこまでもふざけたやつだなあ。でもユニークな考え方や意見が大好きな先生は、まったく注意しないでこう言うだけだったよ。
「ほう、気取らない仲間同士の手紙なら、そんな冗談もええかもしれんな。ただなあ、今は春やぞ。五月の手紙にふさわしい書き出しには出来へんか?」
そして再びコウイチの発表。
「ウンコにハエのたかる季節となりましたが、つつがなくお過ごしですか」
二度ともクラス中大爆笑だったよ。もちろんおれも大笑いした。この日一日、くりかえし思い出し笑いばかりだったよ。
でも、これがもしあの日以前だったらとしたら、コウイチの事でこんなにゆかいに笑えただろうか。
一つ書きわすれていたけど、ユミコの事で田代ともめたあの日の放課後、こんな出来事があったんだ。
その日の終わりの会で、おれは思いきってあだ名の事をみんなの前で抗議した。チビ橋や低橋と、いやなよび方をする人がいてこまっていると。心配していた通り、反論する田代はユミコの事まで持ち出しかけたけど、それを制する発言をしたのは、またもやコウイチだったんだ。
「高橋くんはべつに今日の事だけを言っとうわけとちがうし、それに高橋くんだけの問題やなくて、だれにでも言われていやな言葉はあると思います。だからこれからみんなで注意するようにしたらどうですか。たとえばおれは、ダクテンってのはまあええけども、ヤマザギっていうんはやめてほしいです。」
コウイチのやつ、ただ話をそらすのに、まさかクラス全体にまで問題を大きくするとはね。おかげで終わりの会は二十分も長引いたよ。
そしてその結果、帰りを急ぐみんながいっせいに教室を出る形となって、はからずもおれたちとユミコたちとはいっしょに帰る事になったんだ。この望みまでがコウイチのおかげでかなうとは、まさか考えもしなかったな。
「なあ、工藤は終わりの会の時なんにも言わんかったけど、キノコとかマッシュルームとか言われるのはいやじゃないん?」
「べつにいやな事ないよ。ただときどき男子に、キノコ頭ー、とか、このマッシュルームめ、とか、そんな言い方されんのは頭にくるけど」
「じゃあ、ぼくが工藤の事をキノコとかよんだりしても、おこらへん?」
「そりゃかまわへんよ」
「じゃあやめとこ。へいきやったらちっともおもしろないもん」
「どういう事よ、いったい」
夢にまで見たユミコといっしょの帰り道なのに、いざかなってみると、それがごくあたりまえのように感じられたから不思議だよ。たぶん、コウイチや有吉もいて二人きりというわけじゃないから、緊張する事もなかったんだろうな。そう、おれたち四人はずっと前からいつもいっしょにいたように、じょうだんを言ったりからかい合ったりしながら歩いていたんだ。
ただ一つ、わかれる時にバイバイなんて言うのだけは、みょうにはずかしかったなあ。男同士だったら、じゃあな、でも、バーイ、でも、時には気取ってあばよ、なんて事も言える。けど、女の子に対してはうまい言葉が見付からなくて。
とか思いながらも、おれは手をふってその言葉を口にしながら、そのてれくさささえ楽しんでいたよ。バイバイ。
この日をきっかけにして、それから毎日おれたち四人は、いっしょに帰るようになったというわけだ。前を行くユミコたちに走って追いついたり、時にはユミコたちのほうがおれたちを追いかけてきたり、そしていつのまにか、おれたち四人はおたがい待ち合わせて、いっしょに教室を出るようになっていたんだ。
帰り道での話題といえば、最初の日から続いているあだ名の話が多かったな。あれから十日もたっているのに、この日もやっぱりそうだった。
「チビ橋も低橋もいやなんて、だったらいったいなんてよべばいいん?」
「だからふつうに高橋でじゅうぶんや」
「でもそれやったらおもしろないやん。いつまでたっても転校生みたいで」
「うーん……」
「そうや、おれやってとっくにダクテンやで。早い事おまえもあだ名を持って、気取らん仲間に入れや」
「でもハエのたかるような手紙はいらんからな」
じょうだんで言い返してやりながら、おれは自分のコウイチへの反発感情が、すっかりうすれているのに気がついた。また自然に笑いがうかんでくる。
「ねえ、だったらわたしらで新しいあだ名を考えたげようか?」
「えっ、ほんとに?」
ユミコの言葉におれはときめいた。けれどそれもつかのま、横から有吉がこんなふうに言う。
「チビ橋がいやなら一寸橋なんてどう?」
「えんりょしとく。一本橋のほうがまだましや」
「いや、あたしは一寸法師のつもりで言ったんやけど」
「よけい悪い。そんなふうに言うんやったら、こっちも有吉の事ヨッシーってよんでやるから」
「べつにええよ。ヨッシーなんてかわいいやん。ネッシーみたいで」
えたいの知れない怪物みたいなものさえかわいいという女の子の感性、おれにはどうもよくわからん。それはともかく、有吉ももうメインキャラクターなんだから、これからはやっぱりチカコと書こうか。
「一寸橋がいやなら、一ミリ橋は?」
「マッシュまでがそんな事言うんか。もう期待すんのやめとこ」
このころおれはユミコの事を、マッシュルームをちぢめてマッシュなんてよんでいたんだ。でもそれは、ほんの数日間だけの事。その後ちょっとしたきっかけでユッコとよんでみたのをきっかけに、次の日からは自然にそうよべるようになっていたよ。
そして、ユミコが思いつきで言い出したこのミリハシのあだ名もまた、次の日にはすっかり定着していたんだ。
それでもおれにはとくに不満はなかった。だって、チビという言葉にはきついあざけりのトゲが感じられるけど、ミリという言葉にふくまれるのは、親しみのこもった明るいからかいだけだろう? なーんてもっともらしく分析してるけど、ほんとはただ、好きな子に言われたから気に入ってしまったっていうだけなんだ。
でも、そんな単純な理由だったと気付いたのは、なぜだかずっと後になってからだけど。
「とにかく、あしたまで考えてみるわ。じゃあバイバイ」
「うん、ユッコバイバイ」
そう言ってユミコに手をふるチカコの後から、おれはすかさずそのセリフをまねてくりかえした。
「うん、ユッコバイバイ」
さっき書いた、ちょっとしたきっかけでユッコとよんでみたというのは、じつはこの時の事だったんだ。おれは手をふるそぶりまでまねてみせながら、初めてユッコとよんでみた時のてれくささ、その余韻をずっと楽しんでいた。ユッコバイバイ。
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