草木のささやき − 聴き手達の放課後 −
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1
いやに日が長くなったな。もう放課後なのに、まるで真昼みたいに明るいじゃないか。もう放課後だっていうのに。
ホームルームが終わると、これから部活という連中をしり目に、僕は帰りじたくをする。でもなんていうか、どこの部にも入らないでさっさと帰ってしまうのが、こう明るいとますますうしろめたい。
「ナオ、伊藤、早く帰宅部行こう」
いつだって僕ら三人は、これから帰宅部さ、とおどけながら教室を離れる。はみだし者のようなカッコ悪さを、自分達で笑いとばそうとするかのように。
「なあ班長、あいつらどうにかなんない?」
学校を離れるなり、ナオが掃除の時の話をまたむし返した。
「菊井達の事?」
「そうだよ、あれ絶対わざとに決まってるじゃん。わざとじゃないにしても、とにかく最初はあいつらからだぜ。なのに自分達の方が被害者みたいなつもりになってよ」
今日の掃除の時間、トイレ掃除の最中に、女子トイレの方からしぶきが飛んで来た。それがきっかけになって、壁の上のすき間越しに水のかけ合いになってしまったんだ。結果は誰もが分かる事。ただ同じようにずぶ濡れになったにしても、男子と女子とじゃやはり問題の大きさが違うらしい。
「仕方ないんじゃない? ムキになったこっちも悪いんだし」
「また、班長は甘すぎるんだよ。あいつらにもっと言ってやってくれよ」
「言ったとしたら命ないんじゃねえの? そしたら俺が次期班長な」
伊藤がふざけた口調で言うと、本気で怒ってるらしいナオはますます目をつり上げた。頭のカタいナオにも困るけど、時と場合をわきまえない伊藤の冗談もやっかいなんだよなあ。
「ちくしょう、班替えでもねえかなあ」
「班替えしたって同じだろ。水かけられるか洗剤かけられるかくらいの違いだぜ」
「だからよ、男は男の班、女は女の班って分けりゃいいんだよ」
「そしたら便所掃除が回ってきた時、誰が女子便所の方掃除すんだ?」
「おまえがやれよ。次期女子便所担当を任すから」
二人の言い合いは、聞いているとそれなりに面白くもある。たとえ部活に入らなくたって、帰り道は毎日こんな調子だから、まあ退屈はしない。ただ、教室を出る時のきまり悪さも、やはり毎日の事だけれど。
「ちょっと、班長くん」
いきなり僕は呼び止められた。女子の声。でもふり向くと、同じ班の連中ではなかった。前田だ。堤も一緒にいる。
「ねえ班長くん、花っていうか植物の事とかも詳しいんでしょ? ちょっと聞きたい事があるんだけど」
ほかの班の子に班長と呼ばれたって、べつにおかしな事はない。「班長」っていうのは、もう僕のあだ名みたいなものだから。でも「班長くん」なんて呼ばれるのは、なんだか変な感じだ。
「詳しいって事もないけれど、いったい何?」
「これなんだけど……」
前田はハンカチに包んでいたたくさんの花を、僕の前に差し出した。
「何? この花」
「誰かが花だんからむしり取ったみたい。校庭にいっぱい捨ててあったの」
ハンカチごと花を手渡され、僕はまごついて周囲を見回した。ナオと伊藤は五メートルほど向こうで立ち止まり、ふり返ってこっちを見ている。僕が目で呼ぶと、黙って戻って来た。
「この花、つぎ木みたいにして生かしてあげられないかなあ」
なるほど、それが聞きたくて僕を呼び止めたのか。
どういうわけか、クラスのみんなは僕が何にでも詳しいと思い込んでる。以前地理の時間に、ユーラシア大陸の名前の由来を発表したのがきっかけらしい。でもあんなのは偶然で、ほんとはこの花の名前だって知らないほどなのに。
「たぶん無理じゃないかなあ。木の枝とは違うし」
「そう。じゃあどうしよう、この花」
「花びんに差しておくくらいしか出来ないだろうな」
「るみ、やっぱりしょうがないよ、あきらめよ」
堤が怒ったような声で言った。
「花だんの花をつみ取るなんて、ほんとひどい人もいるよね」
堤は花をむしった奴に腹を立ててるようだけど、なんだか僕まで責められているような気になった。でもいくら頼られたって、無理なものは無理さ。
「切り口を焼くかつぶすかすれば、水に差すだけでもけっこう長持ちするっていうよ」
そう言ってるうちから、二人は歩いて行ってしまう。
「おいちょっと、花は? ほら」
「押し花にでもしてよ」
ハンカチに包んだ花を僕の手に残したまま、前田は行ってしまった。つみ取る奴もひどいと思うけど、勝手に置いてく方もどうかしてるよ。
2
「どうすんだ? その花」
「花もだけど、ハンカチもどうする?」
ナオも伊藤もうっすら笑っている。僕もつられて苦笑いしそうになるのを、なんとか困惑顔のままで通した。
「そりゃ返すよ、明日にでも。でも花まで押し付けられたら困るよなあ」
「いいじゃんか、頼られてんだからよ」
「困るもんは困る。どうしようかなあ、この花。捨てるわけにもいかないし」
「捨てちまえよ、その辺に」
「……そうだな、土に還るんならいいか」
このまま大事に持ち帰ったりすれば、この先ずっと二人に嫌な笑い方をされそうだ。僕は道端に立ち止まると、思いきりハンカチを振った。
ハンカチをポケットにしまいながら、僕は小走りに二人を追った。その時指先に花が一輪引っ掛かっているのに気付いたけれど、そのままハンカチと一緒にポケットにしまった。さりげなくそうっと。
二人はもう笑ってはいない。ナオが面白くなさそうな口調で言った。
「女って、よくあんな事でマジになれるよなあ」
「それよりさ、班長って花なんかも詳しいわけ?」
伊藤もつまらなそうな口調で聞いてきた。
「べつにそんなに詳しいってわけじゃないけど」
でも、みんなそうは思ってないらしい。少なくとも、前田や堤は。……まあ、物知りだって思われるのは嬉しくもあるけれど。
新学期最初の地理の時間、ユーラシア大陸の名前の意味を、僕はその場の思い付きでこう発表した。ヨーロッパとアジア、二つ合わせてヨーロジア。みんなは大笑いしたが、先生はその通りと言って英語でつづりながら説明した。それ以来、僕はみんなから一目置かれながらも、でもどこかからかわれているようだ。
「じゃあこの変な木は何?」
ナオが、道端に並んで生えてるなめらかな木を指差してたずねた。
「これ? これはキリの木だな」
これなら偶然知っていた。こないだ読んだ小説に、踊り子の脚を若桐のようと表現した文があったっけ。僕はさっきの花から二人の気をそらすつもりで、キリの木の説明をしながら歩いた。
「……だからこの木で作ったタンスなんか高級品だし、夜中にこっそり切りに来ようか? 高く売れるぞ」
「そんな事してみろよ、また前田達が怒りまくるぞ」
なんだよ、また話はそこに戻っちゃうのか。
「花の事くらいでああだもんな。でもいいんじゃねえの? 女ならあんな調子でも」
どうやら伊藤は、内心では前田の行動に賛同しているらしい。女嫌いを気取ったようなナオはどうだろう。僕はからかうように言ってみた。
「なあナオ、菊井や金子の代わりにさ、前田や堤が同じ班だったら良かったのにな」
「まあな」
そっけないながらも素直な返事が、僕にはひどく意外だった。
家に帰り、僕はハンカチをポケットからそうっと取り出した。ハンカチの間には、濃い青色の花が一輪はさまっている。ちょっと形がくずれたけど、これくらいなら大丈夫。押し花、ほんとにやってみよう。
花の形を整えてティッシュにはさみ、百科事典のページに閉じ込む。そしてそれを部屋の隅に積み重ねた。どれくらいの重さが必要なんだろう。分からないからあるだけ積んだ。いつまで押していればいいんだろう。まあ気がすむまで積んでおこうか。
あとはハンカチか。クシャクシャのままじゃ悪いから、これはふとんの下に敷いて寝押しした。しわになるのが気がかりで、なんだか寝ながら体がこわばった。
3
翌朝、僕は朝一番に前田にハンカチを返した。忘れないうちに、というよりも、返しそびれないうちに、とでも言った方がいいかもしれない。
「花は?」
「……まあ、一応押し花やってる」
「そう。やっぱり丸山くんに話してみて無駄じゃなかったね、ツッツ」
「うん」
前田はふり返って、後ろの席の堤とうなずき合った。僕はいつものように窓枠にもたれかかった。
前田と堤の席は、窓際の最前列と二番目だ。僕の席は廊下側のずっと後ろだけれど、休み時間はいつもなんとなくここに来ている。この二人とは気が合うというか話が合う感じで、まだどことなくなじみきれない教室の中では、ここが一番居心地がいい。僕はテレビ台にもたれたりカーテンにくるまったり、時にはベランダに出て窓越しに、二人とおしゃべりをしている。
「ねえねえツッツ、花だん見て来た? やっぱりひどかったよ」
「ほんとひどい事する人もいるよね」
二人とも、花をむしった奴の事をまだ怒っているらしい。でも、僕は聞いててなんか変だという気がした。花をつむのは女の子の方こそ、じゃないか。花だんの花なら悪くて、野草なら許されるわけ? それとも、意味もなくむしるのは心ない行いで、優しくつむのは心こもった行いだとでも?
「犯人捜しでもしてみますか」
「出来ればね」
「でもそれよりも、二度とああいう事が起こらないようにする方が大事じゃないかな」
冗談まじりの僕の言葉に対しても、二人はどこまでも大真面目だ。
「じゃあ花だんにかかしでも立てとこう」
「そうだね、立て札くらい立てておいてもいいかもしれない」
「とにかく、一応先生には言っておこうよ」
憤り未だおさまらず、って感じだな。ナオのセリフじゃないけど、よくあんな事でいつまでも……。
僕は窓から離れるとテレビ台にもたれかかった。今日ばっかりは二人の話に入っていけない感じ。あ、それよりまた誰かがテレビの鍵をはずしてるな。後で運上かサカが来たら、元通りに直しておこう。僕は手もちぶさたにテレビのふたをパタパタさせながら、二人の話を聞くともなしに聞いていた。
「それでねツッツ、私考えたんだけど……」
それまでの調子とはうって変わって、前田が声を落とした。僕はそれが気になって、もう一度二人の方へ身を乗り出した。
「これから私達で、花とか植物を監視していく事にしない?」
「私達で?」
「もちろん丸山くんも」
「え? 僕も?」
「迷惑?」
「いや、そういうわけじゃないけど、でも何をするって?」
「だから監視と、もちろん保護もするの。校内の花や木を」
「花や木か……。草なんかは?」
「そう、草もね」
おや、前田は花だんの花は大事で野草ならどうでもいいっていう考えじゃないんだ。
「ふーん……」
「……どう?」
「うん、やってみるか」
帰り道、僕はナオと伊藤にもその話を持ちかけた。
「前田と堤がさあ、なんか面白い事言い出したよ。自分達で学校の花や木を監視して保護しよう、だってさ。昨日の花の事、連中にはずい分こたえたみたいだな。それにさ、ほら、あの二人もやっぱり帰宅部だろ? 放課後何か活動したい気分なんだろう」
僕は二人をのり気にさせようと、いつになくしゃべりまくった。
「そういうのって、なんか分かる気しない? 僕らもいつまでも帰宅部じゃつまんないよな。だから、植物の監視なんてちょっと面白そうだし、しばらくやってみようか」
二人の反応はいまいち。でもこう言えば、ナオはともかく伊藤はすぐにその気になるだろう。
「前田もさ、一緒に活動してくれないかって言ってたよ」
そう口にした瞬間、僕はふと気付いた。前田が誘ったのは僕一人で、この二人の事はべつに何も言わなかったっけ。……早まったかな?
「まあ、興味ないなら無理にとは言わないけど」
「頼まれ事を断ったら男じゃないぜ。な、ナオよお」
「いいんじゃない? 班長が言うんなら」
今日もまた、思いがけなく二人は素直だ。それなら僕も気にする事はないかな。前田だってあんなに熱心だったんだ。仲間が増えるのを拒むわけはない。
「これで……」
放課後のうしろめたい気分からも解放されるな、という言葉を、僕は慌ててのみ込んだ。そんな動機で取り組む事が、自分でも不純に思えたから。
「……帰宅部の活動もようやく開始だな」
「しっかりな、部長」
あーあ、「班長」の次は「部長」かよ。
4
「三浦くんと伊藤くんも? そう」
前田はあっさりと二人の仲間入りを認めた。それどころか……。
「私達もね、もう一人誘ったの。藤本さんも仲間に入るって」
前田と堤はふり向いて、すぐ後ろの席の藤本さんに笑いかけた。藤本さんもこっちを見て小さく笑った。僕はうなずくでもなくえしゃくでもなく、ただあいまいに首を動かした。
藤本さん、か……。同じ班の女子連中はもちろん、前田にしても堤にしても呼び捨てにするのが普通だ。なのに藤本さんだけは、どういうわけだか自然に藤本さんと呼んでしまう。よそよそしくするつもりはないけれど、そういう感じの人なんだ、藤本さんは。
「ほら、私達席も近いでしょ、だから誘ってみたの。藤本さんも何かしてみたかったんだって。やっぱり部活入ってないし」
「そうか、藤本さんも帰宅部だったんだ」
僕がそう言うと、藤本さんは黙って小さくうなずいた。
「ねえねえねえ、それから私もう一つ考えたんだけど、みんなでそれぞれ自分の木っていうのを決めておかない?」
「自分の木って、担当場所みたいな物?」
「って言うか、みんなで特に気にかける木を一本決めるの。そんな木を持ってたら、いっそう関心も強くなると思うよ」
なるほどね、いろいろと考えるもんだ。こんなふうに一人で先走っているような様子の前田に、僕はあきれながらも少し好ましい印象を抱いた。
「このー木なんの木気になる木ー」
いつものように、僕はおどけて二人を笑わせた。その後ろでは藤本さんも、少し口もとをほころばせた。
「でさ、前田も堤も、もうその気になる木っていうのは決めてんの?」
「一応決めてるよ」
「どの木?」
「どの木って、ええー」
「なんだ、秘密か」
「秘密ってわけでもないけどー」
前田はてれたようにもったいぶる。自分の木を決めるという子どもっぽさが、やっぱり恥ずかしいんだな。
「ツッツと私の木はねえ、校舎の西側にイチョウがあるでしょ。ほら、プールのそばに。あの木にしたの。私が左でツッツが右」
「ふーん。藤本さんは? もう決めてる?」
藤本さんは、無言のまま首だけ振った。
「ねえ、丸山くんも早く決めなよ。これだっていう木は何かないの?」
「ない事もないけど……、そうだ、帰り道にキリの木があるんだ。あれにしよう」
「えー、やっぱり学校の中じゃないと」
「なんだ、そんな決まりあるのか」
「決まりってわけじゃないけど、それとは別にやっぱり学校の中にも決めてよ」
「んーそうだなあ、じゃあその木にした」
僕がとっさに窓の外に見える木を指差すと、前田も堤も笑い出した。
「そんな簡単に決めちゃうの?」
「うん、もともと針葉樹が好きだし。ほらどうだ、決めるの早いだろう」
「うん、さすが」
僕らは笑ったが、藤本さんだけはただ静かに話を聞いている。僕は話の中に入りきれない藤本さんに、うかれた口調のままで声をかけた。
「藤本さんも、早く自分の気になる木を決めなきゃね」
藤本さんは、やっぱり黙ってただうなずいた。
それから、放課後の活動の計画をしばらく話し合った。でも、見回りだとか、ゴミ拾いだとか、具体的な事になるとそんなものしか出てこない。僕も前田達も、提案しながらどこかうかない顔をした。
ふと顔を上げると、教室の後ろにナオがいる。
「ナオ、ちょっと」
僕は手招きした。なのにナオはさえぎるように片手を上げると、同じ班の柏木と教室を出て行ってしまった。
「ナオの奴……」
ふり向いていた三人も顔をこちらに戻した。なんとなく気まずい感じ。のり気を見せない今のナオの態度に、みんなすっかりしらけてしまったみたいだ。
「そうだ。全然関係ないんだけど、藤本さん知ってる?」
どんなくだらない事でもいいから、とにかく僕はしゃべり続けていたかった。
「僕も藤本さんも、出席番号が14番で偶然一緒なんだよ、知ってた?」
「うん」
藤本さんは、初めて声に出して返事をしてくれた。
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