草木のささやき − 聴き手達の放課後 −


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 「ねえねえねえ、知ってる?」
 みんなが集まるやいなや、また前田のねえねえねえが始まった。毎日毎日、よくいろいろとしゃべる事があるよなあ。
 「こないだ何かで読んだんだけど、植物にもなんていうか意思みたいなものがあって、人の言う事なんかも分かってるんだって。だから鉢植えに毎日話しかけたりするとね、元気になって花をきれいに咲かせたりするんだってよ。知ってた?」
 際限ないおしゃべりにはちょっとばかりあきれもするけど、でもいろいろと調べてくるのはたいしたもんだな。
 「サボテンなんか特にそうなんだって。ねえ班長くん、そうだよね?」
 「ん、うん、そういうような事もあるらしいね」
 僕は慌てて返事をした。前田は僕がうなずけば、まず間違いないとでも思ってるらしい。それほどなんでも知ってるわけじゃないんだけどね、じつのところ。
 でもそれはともかくとして、こんなふうに前田の頼るような態度や熱心な様子に接していると、あらためてこっちもしっかりしなきゃという気にさせられる。いつまでもゴミ拾いばかりしている場合じゃない。でも、それならほかにいったいどんな活動が?
 「それでね、それだけじゃないの。その逆というのもあるらしいよ」
 「逆も?」
 ナオが身を乗り出した。
 「そう、大事に大事に育てていると、その植物の言いたい事もね、だんだんと分かるようになるんだって」
 ナオは、なあんだというような表情で身を引いた。けれど前田は気にせず話を続けた。
 「だから私達、植物を守るのなら、そんな声を聞けるくらいにならなきゃ。そのためにはただ聞くだけじゃだめなの。聞くは聞くでも、注意して聞く、こっちの聞くじゃないと」
 前田は机の上に指先で、「聴く」と書いてみせた。力の入った指先の白さが真剣そのものだ。
 「聞こえるのを待つんじゃなくて、自分の方から意識して積極的に聞こうとするの。やってみようよ、みんなで。植物の声を聴く人、聴き役、……」
 「聴き手」
 僕がふとそう言うと、いい言葉が浮かばず困り顔だった前田の表情がパッと輝いた。
 「そう、それ、聴き手。みんなで草や木の声の聴き手になるの」
 草木の声の聴き手、か。その言葉の響きの良さに、僕はまたすっかりのり気になった。……でも、それで具体的にはどういう事をすればいいんだろう。今までのゴミ拾いや見回りのほかに、これからいったいどんな活動が出来るだろう。

 僕の予想通り、その後もたいした事の出来ないまま日は過ぎた。ただ放課後に交替で見回ったりゴミを拾ったりする、あい変わらずの消極的活動だ。それでも、何もしないよりはましだと考えれば、やる気もなんとか続くけど。
 前田と堤はどうやら、いつか決めた自分の木の声を聴くのを目標にしているらしい。ナオと伊藤はというと、前田と共通の話題が得られて、親しくなれた事だけ楽しんでいるんだろう。
 ただ一人、藤本さんだけは、僕にはどうも分からない。こんなパッとしない活動をいつまでも続けるその理由が。おとなしすぎて何をするにも消極的に見えるような子こそが、秘めた熱意を持っているものなんだろうか。きっと、本当に植物が好きなんだろうな。
 僕だってそれなりに植物は好きだ。だからそれなりに活動を続けている。それなりに、それなりに……。ところが、自分のそんな適当さに疑問を抱かせるような出来事が、ある日起こった。

 さて今から掃除の時間だ。五週間ぶりに、今日からまた校庭掃除。早足で階段を降りて行くと、後ろから菊井の声が追いかけてきた。
 「丸山丸山、ちょっと」
 「ん?」
 僕はふり返らずに返事だけした。
 「今週は校舎の下はいいから、グラウンドの向こうの方を掃除しろって、先生が。ちょっと聞こえた? 丸山」
 「聞こえてる」
 こうして声だけ聞いてると、菊井はまるで両手を腰に当てて見下ろすように思える。威圧的、高圧的っていうのかな。うわさでは、よそのクラスに菊井の事を好きだという奴がいるらしい。けど、そいつも同じクラスになれば分かるだろうよ。まして同じ班にでもなれば……。
 「でもグラウンドの向こうっていっても、どこからどこまでやるんだろう」
 「端から端まで。決まってんじゃない」
 僕は立ち止まってふり向いた。もちろん菊井は腰に手を当ててなんかいない。けれど女っていうのは見かけじゃ分かんないもんだよ。あーあ、僕もこんな奴に票なんか入れてやるんじゃなかった。
 「端から端までねえ。なんか聞くだけでくたびれるよ」
 僕が向き直りながらつぶやくと、
 「そんなせせこましい事言ってんじゃないよ、ユーラシアがさ」
 後ろから、今度は石川の声がした。石川もやっぱり、腕組みでもしているような口調だ。
 用具置き場に寄って竹ぼうきを持って来ると、今度は金子と細谷がこう言った。例によって腰に手か腕組みの口調で。
 「先生が、草むしりもやっとけってさ」
 「掃く前にまずやっちゃえば?」
 草むしりだって? 草むしり……。そんな事できるはずないじゃないか。植物の声の聴き手になろうと決意した僕達が。
 僕は困って、ナオと伊藤と顔を見合わせた。二人の表情にもためらいが浮かんでいる。無言のまま、班長どうする? と問いかけているようだ。こんな時ばかりリーダー扱いするのはやめてくれよ。
 しばらく考えた末に、僕は女子達に向かって言った。
 「今度も男子で溝掃除の方やってやるから、だからそっちは女子がやれよ」
 特に反論はなかった。当然だろう、ドブさらいよりは草むしりの方がいいに決まってる。
 僕らはもう一度、乾いたグラウンドを横切って用具置き場にスコップを取りに行った。柏木も黙ってついて来る。わざわざ面倒な仕事を引き受けた事を、変に思いはしないんだろうか。まるでもうすっかりあきらめてるように、何も聞こうとはしなかった。
 溝掃除の最中も、僕達男子はずっと黙りがちだった。女子の連中は絶えずおしゃべりを続けながら、かがみ込んでは草を根こそぎ引き抜いた。
 ……こんな事で、こんな事でよかったんだろうか。僕はもう、決して聴き手になんてなれそうにない。たとえ自分の手では草を抜かなくても、そんなふうに思える。

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 ナオと前田が立ち話をしているのを、階段の途中でふと見かけた。僕は二人に声をかけられなかった。なんの根拠もないけれど、僕は聴き手の仲間達から陰で非難されてるような気がなんとなくした。
 校庭掃除の時のあのうしろめたさが、今になってもまだ尾を引いている。僕は草を抜くのを黙認したんだ。むしろ自分で手をくださなかった事で、他人に責任転嫁したという罪悪感までも背負い込む羽目になったようだ。
 でも、それならあの時、いったいどうすればよかったんだろう。菊井達を止めればよかった? 草を抜くなんてかわいそうだと。……ただ笑われただけだろう。なら直接先生に訴えればよかった? 美観のほか何も問題ないのだし、草むしりなんて無意味だと。……それもまず相手にされなかっただろう。
 いっその事、僕らの手で草むしりをした方が、まだ良かったのかもしれない。そうすれば、せめて根を残してやる事くらいは出来ただろうに。
 今まで僕は、そんな消極的な方法しか考えつかなかった。そして、そんな事さえ実行出来ずにいた。思うばかりで行動が伴わず、不満がつのってゆくばかり……。でも、今日からは違うぞ。

 「えーと、今日から5班が牛乳当番ですけど、これからはストローをこっちで配る事にします。ストローの紙が教室に散らかったり外に捨てられたりしているので、それを防ぐためにその場で紙を回収する事にしました。協力お願いします」
 朝のホームルームのおしまいに、僕はクラスのみんなにこう通達した。おおげさに言えば、これは僕の決意の宣言みたいなものだ。
 昼食は弁当だけれど、牛乳給食だけはある。そして回り持ちの当番が二人、クラス分の牛乳とストローを取りに行く事になっている。
 その当番が、今週僕らの班に回ってきた。今日月曜日が僕と菊井で、明日火曜日が柏木に石川と、交替でみんなが受け持つわけだ。班のみんなには、あらかじめこの回収運動の事は話してある。女子連中も反対はしなかった。まあめんどくさそうな顔はしたけれど。でも僕が班長だ、必ず実行してもらうぞ。
 昼食時間、僕は菊井と牛乳を取りに行った。それを教室まで持って来れば、あとはめいめいが取って行く。いつもはストローもそうだけど、今日は菊井にそれを配らせる。まためんどくさそうな顔。でもやると言ったらやるぞ、僕は。
 菊井の後から、僕はストローの紙を集めて回った。
 「ほら、ストローすぐパックに差しちゃって。そしたらはい、紙ちょうだい」
 相手が紙くずを差し出すまで、僕は手を出してせっついた。ちょっとばかり強引すぎるかな? 自分でもそう思う。でも、遅かれ早かれストローはテトラパックに差すんだし、それを少しばかりせかすくらい、べつにいいじゃないか。
 「えー毎度おなじみ、古紙回収車です」
 前田や堤の席の前で、僕はちょっとおどけてみせた。こんな押し付けがましさが、さすがにわれながらいやみに思えてきたから。けれども二人の好意的な笑みに、僕はまためいっぱい元気付けられた。そう、僕は正しい事をしてるんだ。自信を持っていいはずだ。
 「藤本さんも、すぐストロー差して紙は返してね。はい、いい子いい子」
 これはちょっとばかりはしゃぎ過ぎかな? とにかく僕はもう、思いっきり上機嫌だった。
 この三人のほかにも、女子の何人かはけっこう協力的だった。逆にガラの悪い男子連中は、はっきり言うと福田や山本なんかは、あからさまに嫌な顔をした。そして残りの大多数は、どうでもいいやという感じ。べつだん関心のない様子で、ただ言われたからその通りに、といったような態度だ。でも根気よく続けさえすれば、この大多数連中の協力は得られるんじゃないかな。僕の働きかけ次第で、この運動はクラスに定着するだろう。さあ、いよいよ本当の活動の時が来たぞ。

 けれどそんなはりきり気分も、その日のうちにあっけなくしぼんでしまった。
 「5班が始めたストローの紙の回収だけど、あれはちょっと押し付けがましいと思います。今までだって俺達は自分でちゃんと始末してたんだし、一部の人のために全員に協力を押し付けるのはおかしいと思います」
 帰りのホームルームでこう発言したのは中野だった。続いて古谷も立ち上がった。
 「私もそう思います。ゴミの始末っていうのはそれぞれの自主性に任せる事だし、だからあんなふうに強制するのはやっぱりおかしいです」
 僕はもうあぜんとしてしまった。あの時はべつにどうだっていいといった無関心な様子の中野や古谷が、こんなに強い調子で反対するなんて。そうかと思うとあの時反発的だった福田や山本が、今は無関心な態度を見せる。わりと協力的だった長崎や五十嵐はどうだろう。そう思って目をやると、
 「やっぱ押し付けはよくないよね」
 「そうそう」
 中野や古谷の意見に対して、何度も何度もうなずいている。すすんで協力してくれたから、てっきり僕に賛成してくれていると思ってたのに……。今度の事で、僕はもうすっかり人間が分からなくなった。
 結局、強制よりもそれぞれの自主性に任せるという事で、一方的に決着がついた。しょせん多勢に無勢だ。同じ班の菊井達さえその結果に喜んでるし、聴き手の仲間達も表立って助けてくれる事はなかったし。ああ、短かったな、僕の天下も一日限りか……。

 同じ週の金曜日、もう一度僕と菊井に牛乳当番が回ってきた。でも今回はストロー配りはしない。もちろん回収も。
 牛乳と一緒に、めいめいが勝手にストローを取って行く。以前の通りだ。でも、あの事をきっかけに少しはみんなの意識も変わったんじゃないかと、僕はまだかすかに期待していた。
 確かに変わった奴もいた。ただし逆の方向に……。
 「あーめんどくせえ」
 席へ戻ろうとする僕の目の前に、サカがストローの紙を投げ捨てた。
 「…………」
 「どうせまた掃除すんだしな」
 続いて運上も、これみよがしに紙を投げた。
 僕は二人の前で立ち止まったものの、それでも黙ったまま、そしてじっと表情も抑えた。こいつらは、僕の反応を見て面白がるような奴らなんだ。
 サカと運上はニヤニヤしながら僕を見ている。僕の方も床の上をいつまでもにらんでいたが、まぶたがふるえてくるのが分かったので、フンと鼻を鳴らして背を向けた。
 「冗談だよ、そんな怒んなよ」
 運上が僕の肩に手を掛けて、振り向かせながらそう言った。とまどうほどに親しげな口調で。
 「ムッときたか? 悪りい悪りい。気にすんなよな」
 サカもそんなふうに言いながら足もとの紙を拾うと、それを二つとも運上の机の上に置いた。
 「おまえはいっつもカタすぎんだよ。にらんだりしねえでカルく怒れよな、俺達冗談でやってんだから」
 言いながら運上は、親しげに僕の肩に腕を回してくる。僕はさっきの自分の冷淡な態度を後悔した。
 「ああ。でもその冗談がちょっとキツすぎるんだよ」
 「悪りい。そんでさ、班長、おれこないだの地理の時間からちょっと気になってる事あんだよ。ユーラシアのおまえなら分かるかもしれないから、教えてくれよ」
 「ああいいよ」
 僕はすかさず返事をした。さっきの冷淡さのつぐないの意味でも親切にしたい気がしたし、それに頼られるのはやっぱり嬉しいもんだ。たとえ相手が男でも。
 「なんだよ、言ってみなよ」
 「あんな、スイスに湖があるだろ? あれ、あれなんて言ったっけ?」
 「レマン湖?」
 「そうそうそれ、レマン湖」
 運上は、なんだか笑いをこらえるようにしながら言った。サカも前の席のキノをつついて何か耳打ちしている。僕はまたちょっと嫌な気がしてきた。
 「そのレマン湖がどうした?」
 「だからよ、おれそのレマンコってのを聞くと、なんかムラムラしてくんだよ。なんでだ?」
 「…………」
 「なんでだよ。教えろよ。知ってんだろ、おまえだって」
 僕は運上の手を振りほどいて席に戻った。
 「ちぇっ、ムッツリ野郎」
 キノが言うのが聞こえた。勝手にほざけ、スケベ野郎。
 「なんだよこれ、俺の机に置くんじゃねえよ」
 席に座った運上は、さっきサカが拾った紙くずを床の上にはらい落とした。

     11

 翌日の放課後、僕はなんとなく教室に居残った。ナオと伊藤は腹がへったと言って、さっさと帰っていってしまった。
 「あれ? 堤も帰っちゃった?」
 「うん。ツッツに何か用でもあったの?」
 「ううん、べつにいいんだけど」
 「それより三浦くんや伊藤くんは?」
 「あいつらも帰っちゃったよ、腹の虫に追い立てられて。食いしんぼの悲しい習性だな」
 前田は声を立てて笑った。
 「虫の声が、春の昼間にグーグーグーグー」
 「あー、今度言ってやろー」
 藤本さんもやっぱり見当たらないし、聴き手のメンバーはほかに誰もいないので、前田とのおしゃべりは全然関係のない雑談になった。
 「丸山くんは平気なの?」
 「ああ。僕はもともと、あんまりお腹がすかないタチみたいだな」
 「そうそう、私もそれある。私も小さい頃から食が細いんだ。カニを食べるのにね、ほら、まず身を出さなきゃならないでしょ。そうしたらそれだけでだんだんお腹いっぱいになっちゃって、それでせっかくほぐした身をほとんど残しちゃうの」
 「おいおい、そんなのカニにとっちゃかえってヒドイぞ。カニの身になって考えてみなよ」
 前田はまた大きな声で笑った。
 「おかしい、丸山くんらしいセリフだね」
 「あ? 何が?」
 「だって、雑草を抜く事も出来ないような人だもん」
 「あ……」
 「こないだの外掃除の事、三浦くんから聞いたんだ」
 ああ、やっぱりか。あいつがそんなにおしゃべりだとは知らなかったよ。
 「あれは……」
 「でも先生に言われたんじゃ仕方ないよ」
 「……まあ」
 「それに、その代わり今週は別の事でがんばったしね。ストローの紙をその場で回収なんて、よく考えたと思うよ」
 「まあね」
 草むしりからすぐに話がそれてくれた事に、僕はほっとした。前田から非難されてはいないと、それが分かればもういいんだ。
 「それはまあそうなんだけど、その回収も思ったようにいかなくて、ちょっとガッカリだったな」
 「みんなから反対されたんじゃ、それもやっぱり仕方ないんじゃない? でも私思うんだけど、あの事でみんなも少しは考えるようになるんじゃないのかな」
 「そう思う? 甘いんだよなあ。逆にわざと紙くずを捨てるような奴だっているんだから」
 「誰が?」
 「運上達だよ。僕の反応を見て面白がってるんだ。ほんと陰険な奴らだよ」
 前田が味方してくれるのを見越して、僕は奴らへの不満を強い調子で訴えた。
 「ああいう奴らにだけは、僕らの考えなんて絶対分かりっこないよ。ほんとどうしようもない連中だな」
 「でも、丸山くんあの人達とけっこう仲いいじゃない」
 「そんなわけないだろ。あいつらひとの事ムッツリだとかなんとか、バカにしてばっかりいて。自分はいったい何なんだよ」
 「ムッツリって?」
 「いや……、ムッツリっていったら、ほら、ムッツリスケベとか言うじゃないか」
 「丸山くんってスケベなの?」
 「な、前田までなんだよ」
 僕は慌ててまた話をそらせた。
 「でも、中野や古谷もタチ悪いよ。その時はなんにも言わないでおいて、後であんなに強く反対すんだから」
 「うん、あれはずいぶんきつかったよね」
 「それから長崎とか五十嵐にもまいったよなあ」
 「何が? あの人達は何か言ってた?」
 「いや、昼の時にはけっこう協力的だったんだ。僕が言う前から紙を出してくれたりして。だからてっきり賛成してくれてると思ってたんだけど、帰りのホームルームの時になると中野の意見にうなずいてんだよ。やっぱり強制は悪い、なんて」
 「ああ、あの人達ならそうだろうね。周りに合わせる事しか出来ない人達だもん」
 前田は冷ややかな口調で言った。
 「その時その時で自分の都合のいい方に味方するコウモリなんだから、あの人達って」
 僕はあぜんとした。ちょうど中野に思いがけず攻撃された時のように。まさか前田がこんな事を言うなんて……。
 「でも、前田もけっこうあの二人と仲がいいじゃないか」
 「長崎さん達と? そんなのうそうそ、向こうで勝手に近付いてくるだけ。自分に有利な相手を選んでは、なれなれしく仲間ぶってるんだよ。自分勝手でアタマにきちゃう」
 僕は初めて、前田に対してかすかな幻滅を覚えた。そんなふうに他人を悪く言う前田の事を、僕は見たくなかった。
 「……まあそれはいいよ。とにかくさあ、中野の方こそ困ったよな。反対なら最初っから反対だって言えばまだいいんだけど」
 「中野くんも、言いたい事が面と向かって言えないムッツリなんだ」
 「ああ?」
 「ムッツリ同士で仲良くしたら?」
 「あのなあ、そのムッツリって言うのもうやめてくれよ」
 「じゃあスケベって言われたい?」
 「やめろって」
 「やーいスケベスケベ」
 「うるさいっ! もうスケベもムッツリもこれから禁句だぞっ!」
 僕はわざとムキになって大声をあげた。そうして騒いでみる事で、少しは気が晴れるような気がしたから。
 「なあ班長、いったい何やってんだよー」
 そう言いながら教室に入って来たのは、ナオと伊藤だった。
 「あれっ? 二人とも先帰ったんじゃなかったのか」
 「当たり前だろ。裏の木とか見回りながら班長が来るの待ってんのに、こんなとこで何してんだよ」
 「ゴメンゴメン」
 僕は前田に手を振って、二人と一緒に教室を出た。

 別れ道の交差点に差しかかる頃になって、いきなりナオが言った。
 「なあ班長、さっき教室残って前田と何話してたんだ?」
 「べつに、なんでもないただのおしゃべりだよ」
 「でも、スケベとかなんとか廊下まで聞こえたぜ。班長、前田に何したんだよ」
 「あれはただ……」
 思わず僕は目をそらしてしまった。やましい事なんて何もないのに。
 道端のキリの木をぼんやり眺めながら、僕はナオにどう答えようかと考えた。強く否定すればかえってかんぐられるし、かといって黙っていれば誤解されたままだし……。こんな事をくよくよ考える自分の小ささが、僕は時々どうしようもなく嫌になる。
 「……運上達が僕を、そうからかうんだって話をしてただけじゃないか。ヘンな事言うなよな」
 「普通そんなんであんな大声出すかよ」
 ……ナオの奴、今日はいやにからむじゃないか。

     12

 ナオの奴があんなにムキになった理由に、僕も心当たりがないわけでもない。ナオと伊藤の二人が、以前から前田に好意を持っていたのは分かっていたし、特にナオは最近ますます本気なようだから。
 前田もそれにはうすうす気付いているようだし、まんざらでもない様子だ。この勝負、伊藤の負けだな。気の毒に。でも伊藤の奴、自分が負けた事さえまだ気付いていないようだけど。
 僕の方は、べつにどうって事はない。もともと前田は僕にとって、ただのおしゃべり相手でしかないんだから。
 けれどそういう僕だって、前田に対するぎこちない思いを、不意に自覚する時がある。たとえば、制服の白い袖口から伸びる前田の腕に、知らず知らずに見入ってしまっている時とか。運上達の言う通り、僕にはやっぱりムッツリの素質でもあるんだろうか。……そんなんじゃない。ただ初めての夏服が見慣れないっていうだけの事だ。

 「ねえねえ、光る植物っていうとヒカリゴケというのがあるみたいだけど、それのほかにはどんなのがある? 班長くん」
 前田に聞かれてわれに返った僕は、自分がまた前田の腕に見とれていたのに気付いてどぎまぎした。慌てて目を上げたものの、僕はなんだか前田の顔を真っすぐ見られなかった。
 「ええっと、そんなには思い浮かばないけど、ツキヨタケってキノコならある」
 「キノコ? キノコじゃ海にはないよねえ」
 「海……」
 「うん、海なの、問題は」
 「問題……」
 僕は前田の話に気のないあいづちをうちながら、その肩越しに藤本さんの耳の辺りをぼんやり眺めていた。藤本さんも、やっぱりぼんやりした横顔を見せている。窓の外を眺めるばかりで、最近また僕らのおしゃべりに加わらなくなってきたな。
 「光る植物とか海が問題とか、いきなり言われてもわけ分かんねえよ。最初っから説明してくんない? 俺達にさあ」
 ぼんやりしている僕に代わって、ナオが珍しく熱心に問いかけた。僕も前田の話に気を戻す。そうだ、藤本さんも呼ぼうか。僕は声をかけて手招きしたけれど、藤本さんは席に座ったままうなずいただけだ。
 「あのね、小学校の時に聞いた話なんだけど、どこかの海に小さな島っていうか岩みたいなのがあって、そこの洞窟がね、年に一度、ある満月の夜にボウッと光るんだって」
 「それっていつの話? ねえ、今も起こるの? そんな事」
 後ろの堤がたずねると、前田はイスごとふり向いた。
 「みたいだよ。私その頃同じクラスの友達から聞いたんだけど、その子その岩を見たって言ってたもん。海岸からすぐ見えるんだって」
 「光るのを見たの?」
 「ううん、光るのは時期が違ってて見れなかったみたいだけど、岩とか岩の洞窟みたいなのは見たって。海岸からもうすぐそこにあるらしくって」
 「そんな近くなら確かめに行きゃよかったのによ」
 伊藤が横から口を出した。
 「その子もそう考えたみたいだよ。でも一緒にいたいとこ達に止められて、結局行けなかったって言ってた」
 「止められたくらいでなんだよ。俺ら男ならな、たとえ一人ででも行くもんだぜ」
 「でも行こうって言い出したその子が女の子で、やめようって言ったいとこっていうのが男の子だよ」
 前田にそう言われると、伊藤はグッと言葉に詰まった。僕とナオも顔を見合わせ苦笑い。今の時代ならそういう事もありうるだろうな。
 「それで班長くんに聞きたいんだけど、ねえ、その光の正体ってなんだと思う? その子はヒカリゴケだなんて言ってたけど、それはたぶんないでしょ?」
 「うーん、ヒカリゴケというかヒカリモというか、とにかく海ん中じゃちょっと考えられないな。ウミホタルとかならあるかもしれないけど。あ、ウミホタルは植物じゃないよ」
 「おれそれ知ってる」
 伊藤がまた口をはさんだ。
 「ウミホタルって食った事あるぜ。富山の辺りの名物なんだ」
 「それはホタルイカ。そんな事得意げに言ってると笑われるぞ」
 もう遅い。前田と堤の二人はけたたましい声を上げて笑い転げた。
 「一日くれたら家で調べてくるよ。でもたぶん、植物とは関係ないと思う。もちろんミステリーな物でもないだろうし」
 いつまでも笑い続けるはしゃいだ様子の前田に、僕はそっと言った。あらかじめそう言っておかないと、なんだか後でがっかりさせてしまうような気がしたから。

 家に帰って百科事典を引こうと思ったら、事典はみんな積み上げたままになっていた。そうだ、押し花の重しにしてたんだっけ。まあいいか。事典を引かなくたって、だいたいの見当はついている。

 「だからその、年に一度とか満月の夜とかいうのがカギだな。僕は潮の満ち干が原因だろうと思うんだけど」
 翌日僕はみんなを集め、自分の仮説を発表した。
 「満月の夜といえば大潮だろ? だから海水がその岩の洞窟まで満ちてきて、それが背後からの月明かりを反射するんだろう。それにまず間違いないと思うよ」
 「でも年に一度なんだよ、それが光るのは」
 そう聞き返す前田の口調は、どことなく不満げだ。僕はゆっくりと、言い聞かすように説明を続けた。
 「だからこそ、ますますほかの事が原因とは思えないんだ。そう、確かに満月は年に何度もあるよな。でもよく考えてみなよ、同じ満月でも季節によって高度が違うだろ? 太陽は夏に高くて冬に低いし、逆に月は夏に低くて冬に高いんだ。その岩が光るっていうのはたぶん、夏至の頃の満月の時じゃないか? な、そうだろ?」
 「…………」
 前田はもう何も言わなかった。ほかのみんなもまた。どうやら納得してくれたらしい。……でも、それで満足したようでもなかった。
 「……そういうのって、ロマンもなんにもないよね」
 「あるじゃないか。大潮の海面に一致してたり、夏至の満月の角度に一致してたり、こんな偶然ってすごいと思わない?」
 僕がいくらそう言ってみても、前田のしらけた口調は変わらなかった。
 「偶然なんて、しょせんただの偶然じゃない」
 「…………」
 今度は僕が、何も言えずに黙り込んだ。
 僕が自分の仮説の発表にここまで熱心になったのには、理由がある。もう素直に認めよう。それは前田の関心を引きたかったからだ。だからこんな冷ややかな態度は、ちょっとばかり心に痛い。前田も今初めて、僕に対して小さな失望を感じているのかもしれない。

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