アブクみたいなモンダイばかり − 三原色プリズム 8 −


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     1 長谷川のモンダイ

 始業のチャイムが鳴った。ああ、やっと昼休みも終わりだ。あたしはチャイムの音にまぎらせて、小さくため息をついた。
 長谷川がこんなにしつこいなんて、あたし知らなかった。昼休みのあいだじゅう、ずうっとあの事をしゃべりっぱなしなんて。
 夏休みに会ったという女の子の話、聞くだけ聞いてあげようなんて、あまい顔を見せるんじゃなかった……。

 「寺内よお、こないだの話だけど、べつにおまえにどうこうしてくれとは言わねえから、せめて聞くだけでも聞いてくれよ」
 そんな事を言い出したのは、長谷川のほうからだった。
 まあ、聞いてあげるだけでいいのなら、ね。それにあたしとしても、ちょっとキョーミもあったし。
 「まず、その子と会ったのはどこなの?」
 「8月に北海道へ行った時に。向こうの空港で」
 「北海道? そんなの、さがしようがないじゃない」
 「だからムリは言わねえよ。いいからだまって聞けって」
 「わかった。それで、その子ってどんな子だったの?」
 「なんか、妹に似てたな」
 「そんな事言われてもわかんないよ。あたしあんたの妹なんて知らないし」
 「ったく、いちいちうるせーな」
 「はいはい、だまって聞けばいいんでしょ」
 いちいちうるさいのはどっちよ。
 「年はおれと同じか、一つ下くらいか。あとは、そうだな、紺色に白いえりのワンピースを着てたな」
 「ふうん」
 まあ、だいたいの感じはわかったけど。
 「で、名前はわかってるの?」
 「ああ、すずねっていうらしい。鈴の音と書いてすずねだ」
 鈴音さん、か……。なかなかきれいな名前じゃない。
 そうそう、かんじんの話を聞いてなかった。
 「それで、その子とはどんなきっかけで知り会ったの?」
 「ああ、シャボン玉なんだ」
 「はあ?」
 「ちょっと説明が必要かもな。北海道から帰る日の、向こうの空港での事だ」
 なんだか長い話になりそう。せめて昼休み中にすませてよね。サッチにないしょにしとくの、大変なんだから。
 「飛行機乗るまでに、えらく長く待たされてな、で、うちの妹ってすぐにカンシャクおこすだろ?」
 ……だから知らないって。
 「そん時もくだらん事でケンカになったんだ。それで泣いてる妹と母さんはどっか行っちまって、おれもなんかムシャクシャしててな、ついバカな事をしでかしたんだ」
 「バカな事って?」
 「カバンの中に、妹が買ったシャボン玉液があったんで、それを開けて、吹いたんだ」
 なんだそんな事か、くだらない。
 
「言っとくけど、そん時はおれもちょっとヤケになってただけで、いつもならそんな事しないぜ。シャボン玉なんてガキっぽいまねなんか」
 さあ、どうだかね。
 「でもなんで、それがその子と出会うきっかけになったの?」
 「だからよ、そんなとこでシャボン玉なんか吹いたら、子どもが集まってくるだろうが。まあ、ほとんどがチビばかりだったけどよ、……その中に、鈴音もいたんだ」
 「ふうん、なるほどね」
 「……なあ、どうすりゃいい? あれからずっと、シャボン玉の色が目にうかんでしょうがねえんだ。あいつが付けてたすずの音が、耳にひびいてしょうがねえんだ」
 「…………」
 どうすりゃいいって、どうしようもないじゃない。その子を探しに、北海道まで行けっていうの? どうすりゃいいって、いっその事スッキリわすれちゃえばいいのよ。
 そこで始業のチャイムが鳴った。ああ、やっと昼休みも終わりだ。

 言っちゃ悪いけど、長谷川のなやみなんて、それこそシャボン玉みたいなものよね。もう終わってしまって、今ではなんの中身もない、アブクみたいなモンダイ。
 こんな事に、いちいちかまってられないよ。今のあたしはあたしで、自分のモンダイをかかえてるんだから。中身のつまった、重たいナヤミを。


     2 あたしのモンダイ

 昼休みが終わって、さて5時間目は学級会。
 あたしはこの時を待っていたんだ。長谷川のモンダイなんてほっといて、まずはあたし自身のモンダイをなんとかしなきゃ。
 「もうすぐ運動会ですけど、その運動会について一つ提案があります」
 今日の学級会は議題がまだ決まっていなかったので、さっそくあたしは手をあげて立ち上がった。
 「赤と白に分かれて競い合うなんて、今の時代には向いてないと思います。それなのに、いつも当然みたいに全校生徒が赤白二つに分けられて、それを不満に思っているのは、わたしだけじゃないはずです」
 ここでいったん言葉を切って、まわりを見回してみる。うん、これって効果バツグン。
 「それも、わたしたちは同じクラスの中で赤と白に分かれてしまって……。クラスメイト同士で競い合うなんて、気が進まないに決まってます」
 そう。6年生は三クラスあるからって、あたしたち三組はちょうど半分ずつ赤と白に分けられてしまったんだよね。ほんと信じられない。前の学校じゃ、こんな事考えられなかった。
 でもこの学校の子にしてみれば、クラスごとに色分けする方が、信じられないらしいけど。「青組」や「黄組」なんて幼稚園のおゆうぎみたい、ってサッチに笑われたっけ。
 「とにかく、赤と白に分けるなんて事は、もうやめた方がいいと思います。運動会は、みんながそれぞれがんばればいいはずで、べつにチーム分けして競う事はないんじゃないですか」
 ほんとはまだまだ言いたい事はあったけど、これくらいにしておいた。あたしが一人でアツくなると、かえってみんながシラけちゃうからね。

 クラスのみんなはそれなりに、いろいろ意見を出してくれた。けど……、それはけっきょく、ロクでもない意見ばっかりだった。
 「もう一つピンク組も作って、三チームにしたらどうですか」
 四クラスの学年もあるので却下。けっきょくは割り切れないじゃない。
 「じゃあ偶数の学年は赤、奇数の学年は白、ていうふうに、学年別に分けたらどうですか」
 あのねえ、どの種目も学年ごとなんだよ。同じ色同士で競うくらいなら、いっその事色分けなんてやめちゃえばいいじゃない。最初っからあたしはそう言ってるのに、何聞いてるの。もう、これも却下。
 で、最後に、先生からこう言われてトドメをさされた。
 「みんながいろいろ意見を出してくれたのは嬉しいんだが、全校規模のイベントである運動会を、こうして一クラスの学級会で決められるものではないよな。なあ、そうだろう?」
 何よ、だったら最初っからそう言っといてくれればいいのに。
 「しかしな、いろいろな事に対して問題意識を持って、みんなで意見を出し合って考えるのは、ムダな事ではないぞ」
 でも、どうせどうにもならないんなら、やっぱり時間のムダじゃない。あーあ、バカらしい。
 これだから、あたしは運動会なんてキライなの。


     3 立場逆転?

 放課後、あたしが教室に残って学級文庫の整理をしていると、花岡さんがやって来た。……なんかイヤな予感。
 「あなたのたくらみ、うまくいかなかったようね」
 ほらいきなりこれだ。
 「何の事?」
 「とぼけたってだめよ。わたしにはわかっているんだから。自分一人の願望で学校全体の決まり事をひっくり返そうとするなんて、たいしたものよね」
 「だから何の事よ」
 「寺内さんが運動会の組分けに反対なのは、清水くんが理由でしょう」
 ああ、やっぱり見ぬかれてた。それもよりによって、一番知られたくなかった人に……。
 「清水くんは赤組、そして寺内さんは白組、同じクラスなのに別のチームになってしまうなんて、たしかにおもしろくないわよねえ」
 「バカな事言わないでよ。そんな事が理由なわけないでしょ」
 そう、それだけが理由じゃない。一組の青くんが赤組だという事も……、じつはもう一つの理由だったりする……。
 「でも寺内さん、自分の事だけではなくて、もう少しほかの人の事も考えてほしいわね。たとえば、犬山くんはどうなるの?」
 犬山ぁ? あいつがいったい何だっていうのよ。
 
「犬山くんのような、スポーツしかとりえのない人にとって、運動会は年に一度の活躍の場なのよ。わかるでしょう。そんな人から活躍の場をうばってしまったら、かわいそうじゃないの」
 なるほど、そういう事か。そう言われてみれば、たしかにそうかもね。
 「それに、あなたの大切な親友の、西尾さんにしてもそうじゃないの?」
 「ニッチは運動だけがとりえじゃないんだからね!」
 「そんなにムキにならないでよ。西尾さんもまた、運動会を楽しみにしている一人でしょうと言っているの」
 それはまあ、そうだろうけど……。
 「その西尾さんの楽しみまでも、あなたはこわしてしまうつもりなの?」
 「…………」
 さすがに返すセリフがなくてあたしがだまりこむと、花岡さんは勝ちほこった顔をした。
 「いたいところをついてしまったようね。言いすぎたわ、ごめんなさい」
 ああくやしい。余裕を見せつけてくれちゃって、ほんとアタマにくるんだから。
 「でも誤解しないでね。わたしはべつに、寺内さんの行動をせめてるわけじゃないんだから。それどころか、応援してあげたいくらいよ」
 「?」
 「さっきも言ったでしょう。自分一人の事で学校全体をかき回すそうなんて、たいしたものだって。わたし、感心しているんだから」
 「ヒニク言わないで」
 「わたし、本心からそう思ってるのよ。だって、たまにはあなたのほうが、何かさわぎを起こす側に立つのもいいじゃない」
 「!」
 ほんとうだ。今になって気が付いた。このままじゃあたしと花岡さん、いつもとまったく逆の立場じゃない。
 「もし一人ではむりだというのなら、佐倉さんと西尾さんも仲間に入れて、三人がかりで実行してみたらどう?」
 「…………」
 「見てなさいよ、それでもわたしは、一人で事件を解決してみせるから」
 「…………」
 花岡さんは、勝ちほこった様子で行ってしまった。
 ああ、こんなのウソよ。ぜったい何かのまちがいよ。なんであたしたちが悪役になって、花岡さんの方が主役になっちゃうのよ……。


     4 サッチの意見とニッチの意見

 学級文庫の整理をほったらかして、あたしはトイレに走った。
 そして、鏡の中の、見なれた自分の顔と向かい合う。
 ひどいくせっ毛。無色のフレームのメガネ。目はまあまあおだやかだけど、ちょっとふきげんそうに見える口もと。
 ふぅ、あぶないあぶない。もう少しで、あの人と立場が逆転するとこだった
 どこかで油断があったんだよね。いつだってあの人が悪役で、あたし達こそ主人公だって、心のどこかで決め付けてたんだ。
 その思いあがりを、よりによってあの人に指摘されるなんて……。
 あたしは鏡の中のあたしの目を見た。
 前にだれかが言ったっけ。顔だちは親のせい、でも顔つきは自分のせい、なんて。顔だちの遺伝はしょうがないけど、それでも顔つきのほうは、生き方しだいで変わっていくものなんだって。
 だからあたしも気を付けないと。主人公の顔になりたいなんて思っていると、その思いあがりまでが顔つきにあらわれてくるよ。
 不意にトイレにだれかが入ってきて、あたしはちょっとアセッた。でも、なあんだ、サッチじゃない。
 「あれ、テラッチまだ残ってたんだ」
 「うん、ちょっと学級文庫の整理をね。サッチこそ、もう帰ったのかと思ってた」
 「ニッチのおてつだいよ。ウサギ小屋のおそうじしてたの」
 「じゃあ、ニッチもまだいるの?」
 「たぶんまだカメ池のほうにいると思うけど」
 「そう。じゃあ悪いけど、サッチもいっしょにニッチのとこまでつきあってくれる?」
 「え?」
 「二人に相談したい事があるの」

 運動会を引っくりかえそうという計画を、あたしはもうあきらめていた。
 今だって運動会はイヤでしょうがないけど、そのために良くないおこないをするのは、もっとイヤだから。
 だから、二人への相談というのは、イヤな運動会をどうのりきればいいかという相談、ただそれだけだ。
 「そっか、テラッチが学級会でいろいろ言ってたのは、運動会に自信がなかったからなのね」
 サッチは今になって気付いたような言い方するけど、ほんとはとっくに知ってたんだろうな。
 もしかしたら、清水くんや青くんが別チームというのがイヤだという事だって、見ぬいているのかもしれない……。
 「あんまり気にしなくてもいいんじゃない? にがてな事で心配になるのもわかるけど、たとえ失敗したって、その時だけの事なんだから」
 「でも、あたしはそれでよくっても、クラスのみんながそう考えてくれるかなあ」
 「それこそ、赤と白にチーム分けしているほうがいいのよ。みんなで団結するから、だれか一人をせめたりなんてしないでしょ?」
 「そっか、そういうもんなのかな」
 「そうよ。だからもっと気楽に気楽に」
 「うん、わかった。ねえ、ニッチはどう思う? ニッチの意見も聞かせてよ」
 だまってうなずいているだけのニッチにも、あたしはたずねてみた。
 「……うん、じゃあ言うけど、テラッチはもっとスポーツもがんばってみてもいいんじゃないかな。テラッチも、それにサッチも、ほかに得意な事があってそれはすごいと思うけど、だからスポーツはどうでもいいやってあきらめちゃったら、もったいないでしょ」
 「……そうかもね」
 「だからニガテな事でもできるだけがんばってみて、それでもしニガテじゃなくなったとしたら、うれしいじゃない」
 いかにも努力家のニッチらしい言葉だね。でもスポーツのとくいなニッチには、けっきょく分からないんじゃないのかな。努力だけで片付く問題ばかりじゃないって。
 そこに、ウサギ小屋のほうから村井のやつがやって来た。
 「なんだよ三人集まって。またなんか事件か?」
 「ほっといてよ。あたしたちが事件なんて起こすはずないでしょ!」
 あっと、あたしったら、うっかりよけいな事言っちゃった。
 「と、とにかく、今は何も事件なんてないの。女の子同士の話に入って来ないでくれる?」
 「だよな、事件の解決とかじゃなくっても、おまえら三人いっつもいっしょだもんな」
 村井の口調が気にさわったので、あたしはついまた言い返していた。
 「何よ、あんたこそ二学期になってから、いっつもニッチといっしょのくせに」
 「まあな」
 ……そんな平然と認めないでよ。ますますアタマにくるじゃない。


     5 あたしなりに

 そうだね、ニッチの言う通り、せめてちょっとくらいはガンバッテみようか。……せめて応援くらいはね。
 今日は運動会の当日。ついさっき、あたしたちの一つ目の種目、ワープリレーが終わったとこ。
 で、結果はさんざんだった。お遊びの要素がある分、ただのリレーよりは気楽かなと思ったんだけど、けっきょくはただめんどうなだけだったし。
 だいたいね、6年生はこのリレーも入れて四種目も出場しなきゃならないんだよ。そんなの、気力がもつわけないじゃない。
 だから、あたしがガンバルのは応援だけって事で、カンベンしてよね。あたしはもう一度、同じ白組の下級生に手をふった。
 赤組の清水くんの前で、ほんのちょっぴりうしろめたさを感じながら。
 「なんだよ寺内、おまえけっこうはりきってんじゃん」
 声をかけてきたのは、犬山だ。
 「学級会であんな事言ってたから、やる気ないのかと思ってたぞ」
 あたしは思わずニガ笑い。そうよ、もちろんやる気なんてないに決まってるじゃない。
 「けどな、おまえら白組にはぜったい負けないからな。このまま赤組の勝ちは決まりだぜ」
 はいはい、せいぜいがんばって。一人で勝手にアツくなってなさいな。

 続いては、お決まりの組体操に、そして騎馬戦。あたしはどっちも下でささえる役だし、目立たなくてよかった。
 騎馬戦ではやっぱり負けちゃったけど、白組みんなの負けであって、あたしの負けじゃないんだから、べつにいいや。
 犬山が、とくいそうな顔でこっちを見ている。
 ああいうの、まさに水をえた魚っていうんだろうね。ほんと、スポーツだけがとりえのやつときたら……。
 「おい寺内、おれなんて四人だぞ、四人」
 「何がよ」
 「四人しとめたって言ってんだよ、さっきの騎馬戦で」
 「だから?」
 「ムリすんなって。ほんとはくやしいんだろ?」
 「バカ言わないで! そんなわけないでしょ。言っとくけどね、あたし勝負の事なんて、ぜんぜん気にしてないんだから」
 まして、あんたの事なんて……。まったく、スポーツの事しか頭にないやつってのは……。

 学年ごとの競技はみんな終わって、あと残るのは、大玉おくりだけだ。
 これこそ気が楽だよね。何しろ全校生徒が参加するんだから、ぜんぜん目立たなくてすむ。
 それに、こんなに点差がついて、もう勝負も決まっちゃってるし。
 「よーし、これでさらに点差をつけてやる。赤組の大勝だぜ」
 犬山が聞こえよがしに大声をあげる。はあ、一人で勝手にアツくなってれば。
 けど、そのあとあいつのつぶやいたひとりごとに、あたしはハッとなった。
 「……小学校最後の運動会の、最後の種目だもんな。ああ、やってやるぞ」
 それは、あたしをまったく意識していない一言だった。あいつがあいつ自身に投げかけた、あいつの本心だった。


     6 一瞬に向き合って

 最後、そうこれが最後なんだ。そんな大切な事に、どうして今まで気付かなかったんだろう……。
 ああ、どうしよう。テキトーだったあたしには、何も残らないまま終わってしまう……。
 「全校生、用意!」
 「ヤーッ!」
 大きなかけ声とともに、周囲のみんながはじかれたように走り出す。その勢いにのまれて、あたしもよろけるように動き出した。

 1年生から6年生までが順番に、トラックをぐるりと囲むようにならんで配置についた。東側の半周が赤組で、西側の半周が白組。
 カッチリと色分けされたグラウンドに、張りつめたような静けさが広がった。
 そしてあたしの心の中にも、何かまっすぐな決意のようなものがスッと伸びた。自分の表情が、キッとしまるように整うのが、自分でわかった。
 そうか、こういう事だったんだ。たとえどんな事に対してでも、しんけんに向き合ってさえいれば、いい顔をしていられるんだ。
 ほら見なよ、あの犬山の顔を。いつものあいつからは考えられないような、しんけんで、いきいきした顔をしている。
 スポーツだけがとりえのやつでも、バカにできない時もあるよね。
 そういえば、あの時あたしは、長谷川の事もバカにしていた。まるでシャボン玉みたいに中身のない問題に、なやんでるなんてくだらない、って。
 でもそれだったら、運動会についてのあたしのなやみだって、たいした中身のない小さな問題だったのに。
 ほんとうは、あたしがそれにどう向き合うか、それこそが問題だったんだ。
 台上の先生が、片手をあげた。ピストルが空へ向けられた。
 その瞬間は、もうすぐだ。
 よし、最後の運動会の、最後の大玉運び、この競技だけでもがんばってみよう。
 たとえ自分が、大勢の中の一人だとしても。大玉に手のふれる、そのほんの一瞬だけでも。
 あのカラッポのハリボテだって、しんけんに向き合いさえすれば、それだけ価値のあるものになるんだから。
 よーし……。
 バーン!
 あたしの考え事は、ピストルの音に吹きとばされた。
 まわりはすさまじい歓声で、さっきまでの静けさがうそみたいだ。気付けば大玉はもう、1年生から2年生へと渡っている。
 「よーし、最後のこの種目くらい、本気でがんばるからね」
 あたしはさっきの犬山をまねして、声に出してつぶやいてみた。
 でもそれだけでは気がすまなくて、ふり返ると向こうにいる犬山にさけんだ。まわりの歓声に負けない大声で。
 「犬山ー! あたしだって、最後くらいはがんばるんだからねっ」
 「おまえ、マジで熱くなってんなあ」
 犬山も大声で返してきた。
 向きなおると、大玉はもう5年生に渡ろうとしている。
 「よし、赤組に、いや犬山に負けるもんか」
 もう一度、あたしは小さく声に出して言ってみた。
 その直後、大玉がついにあたしの前に回ってきた。それっ! あたしの思いっきりの力にこたえて、大玉は軽やかにはずみ上がって後ろへとんだ。
 この一瞬が、今日一日のあたしのすべてだった。


     7 たしかにね

 けっきょく白組は負けちゃったわけだけど、もうそんな事はどうでもいい気がする。
 のしかかってくる大玉を力いっぱい押し返した、あの一瞬。あのがんばった一瞬こそが、あたしにとっては大切なんだから。
 『あたしだって、最後くらいはがんばるんだからねっ』
 あの時のあたしの大声を、クラスのみんなが聞いていた。白組だった子も、そして赤組だった子も。
 そのせいで、運動会が終わったあとで、みんながあたしにいろいろ言ってくれた。白組も赤組もなくて、だれもが笑顔で。
 そう、たとえチームが分かれていても、やっぱりクラスは一つだったんだ。
 「テラッチがあんなにがんばるなんて、正直言って考えてなかった。さすがテラッチよね」
 サッチはこんなふうに言ってくれた。気楽にやろうよってアドバイスにあたしもうなずいてたから、それだけ意外だったんだろうね。
 で、ニッチはこう。
 「ね、ニガテだなんてあきらめないで、がんばってみるのもいいでしょ?」
 うん、今回ばかりはあたしもそう思った。
 「これでテラッチも、ちょっとはスポーツ得意になった?」
 うーん、そう言える自信はまだないけど……。
 「寺内さんの意外な一面を見せてもらったわ」
 と、回りくどい言い方で皮肉を言うのは、もちろん花岡さん。
 「ほんと、意外だったわ。寺内さんと犬山くんが、まさかあんなに仲がよかったなんて」
 まあ、これくらいの皮肉なら、ゆるしといてあげるわ。
 そして、あたしにとって一番うれしかったのが、村井といっしょになってあたしをほめてくれた清水くんのこの一言だというのは、当然でしょう?
 「寺内ってさ、なんだかんだ言ってても、やる時はちゃんとやるのな。なあキヨ」
 「うん、たしかにね。あの時はほんとにいい顔してた」
 さすが清水くん。ちゃんと見ていてくれたんだ。あたしが本気になってた事に、ちゃんと気付いてくれてたんだ。
 でも……、「あの時は」ってのがちょっと引っかかるなあ。あの時はいい顔してた、なんて言われると、まるでいつもはいい顔してないみたいじゃないの。
 まあいいか。これからは清水くんの前で、いつもいい顔でいられるようにしっかりやろう。それが、これからの目標!
 「……なあ、寺内よお」
 ああ、まだこいつが残ってたんだ。あい変わらずアブクみたいな問題をかかえた、長谷川のやつが。
 「運動会も片付いた事だしよお、そろそろおれの話をさ、マジメに聞いてくれよなあ」
 長谷川は、今も運動会前の時のまま、くもった表情をしている。
 正直言って、あたしにやってやれる事なんて何もないと思う。とにかく自分から動いてみなきゃ、いつまでたっても晴れやかな表情は取りもどせないよ。
 あたしは長谷川のぼやけた顔に、真正面からそう言ってやった。長谷川の顔には一瞬きびしい表情がうかんで……、そして笑った。
 「だよな。こないだまでうつむいてたおまえが、まっすぐ顔上げてそう言うんだから、たしかにそうなんだろうな。オーケー、わかった、自分でなんとかしてみっかな」
 うなずきながら立ち去りかけた長谷川をよび止めて、あたしは最後にこれだけ聞いた。
 「でも、なんでそのなやみをうちあける相手が、あたしだったの? サッチには言えないにしても、村井とかでもよかったんじゃない?」
 「なんでって、そりゃあ、寺内がおれとおんなじように、ひとからすりゃどうでもいいような事に、クヨクヨなやむようなやつだからよ」
 ……たしかにね。


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