陽光の虹 月光の虹 − アポロンとアルテミス −


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 『ぼくだって月のにじなんて見た事ないし、本当にあるかどうかもわからないんだ。でもぼくはきっとあると思ってる。たぶんうすくてはっきりわからないんだけど、よーく見ると月明かりの中にぼんやりと半円に見えるんじゃないかな。うすいから色はほとんどわからなくて、へりのほうがほんのちょっと青と赤に見えるんだと思うよ。ほら、ちょうどボールペンのじくに見えるにじみたいに。
 小野さんはにじがすきで、それで月のにじも見たいと思ってるみたいだけど、ぼくもひとがまだ見つけてないものを新しく発見してみたいって前から思ってるんだ。にじの事もっと話したいし、だから5年になっても同じクラスになれたらいいけどね。それじゃ。
  カッチより』
 手紙を書きながら、秀樹は知子と文通するようになった事を、こうして思う事をなんでも書けるという事を、この上なく嬉しく思った。

 それからいくつか手紙をやりとりするうち三学期は過ぎ、春休みも終わると秀樹達は五年生になった。
 気がかりだったクラス替えでは、二つのちょっとした不運があった。一つは、同じ班になってすっかり仲良くなった賢吾と、別のクラスになってしまった事だ。賢吾にマンガ雑誌をたびたび借りられなくなるのは、やはり残念な事だった。
 そしてもう一つは、クラス担任が年配の女の先生になってしまった事だ。
 何かにのめり込むとほかの事はそっちのけという秀樹の性格を、たいていの先生は問題視する。それでも若い男の先生などは、熱中する秀樹の姿を好意的に見るが、対称的に年配の女の先生となると、周囲にいっさい目を向けないという面ばかりを気にして、秀樹のそういう姿勢を神経質に改めさせようとする。学校に四年も通っていれば、自分に対する先生達のそういう評価というものに、秀樹もうすうす気付いてはいた。
 とはいえ今の秀樹は、そんなささいな不運など、ほとんど気にしていなかった。何しろ念願通りに知子と同じクラスになれたのだから。この一つの大きな幸運に心を満たされている今の秀樹には、ほかのささいな不運などどうでもいい事だった。
 (同じ班になれなかったのはガッカリだけど、そこまで望むのはぜいたくだよな。同じ教室にさえいれば手紙のやりとりができるんだから、それでじゅうぶんだ。でもすごいよな、たしかモコとは二年の時からずっと同じクラスだ。今まで考えた事もなかったけど、これはすごいぐうぜんだぞ)
 今では秀樹は、手紙で知子に「モコ」と呼びかけている。それほどまでに、秀樹にとって知子は親しい相手だった。
 しかしそれは手紙の中だけでの事。クラスでは、たとえすごい偶然に気付いたとしても、知子はやはり「小野」でしかなかった。
 五年生になると、委員会やクラブにも加わる事になる。四月最初のその時間には説明や見学が行われたが、そうするまでもなく秀樹の目指すものはすでに決まっていた。
 (まず委員会はやっぱり放送だな。クラブのほうは、科学工作とかもいいけど、やっぱり気象観測しかないよ。モコもにじがすきなんだったらきょうみあるだろうし、さそってみよう)
 秀樹は先生の説明にも上の空で、知子を気象観測クラブに誘う手紙の文面を考えた。
 『モコはクラブなににするか決めた? ぼくは気象観測に入ろうと思うんだけど、モコもそうしろよ。きっとにじの事、もっとよくわかると思うよ』
 席三つへだてた廊下側に座る知子の横顔をみつめながら秀樹は文面を考えていたが、ふと妙な思いにかられた。自分がモコと気軽に呼びかける相手は、こうして気楽に誘いかけられる相手は、教室でとりすましたような横顔を見せる小野とは別にいるのではないかというような。

 休み時間に秀樹は義径と、集まっておしゃべりしている由香達に、からかうようにたずねた。
 「酒井はクラブなにに入るんだ? やっぱりマンガクラブだろう」
 「そうよ、悪い?」
 「悪くはないけど、そうだと思った」
 「ほら見ろよ、新しいつくえに、もうこんなにらくがきしてんだもんな」
 「べつにいいでしょ」
 「こんなにあごのとがったやついないぜ。これじゃほおづえついた時、あごが手のひらにささっちまうぞ」
 「ぼうしのあごひももプツン、だよな」
 「もう、ほっといてよ」
 「それで、小野のほうはクラブなにに入るか決めた?」
 秀樹はほんのついでのように、知子に向かってたずねてみた。
 「ううん、べつに……」
 目を合わさずに、知子は小声でつぶやく。秀樹には、クラスの「小野」と手紙の「モコ」とが、ますます別人のように思えてきた。


     6

 「……まだはっきりとは……」
 秀樹の問いにとまどい気味に答えながら、知子もまた、秀樹と同じような思いを抱いていた。目を細めて顔をしかめ、どこか落ち着かなげにまばたきを繰り返すクラスの「石川くん」と、月の虹について思った事をなんでも気さくに話してくれる手紙の「カッチ」とは、別人なのではないかというような。
 とはいっても、知子だって本気でそう考えているわけではなかった。文通相手は遠くの素敵な男の子などではなく、同じクラスの男子の中の一人でしかない事くらい、充分承知していた。

 今回のクラス替えでは、嬉しい事が二つあった。一つは、由香とまた同じクラスになれた事。そしてもう一つは、秀樹と同じクラスになれた事だ。今まで通り手紙のやり取りが続けられるという理由から、知子にとってもこれはやはり嬉しい事だった。
 それらにくらべればたいした事ではないが、ささいな不満も一つあった。クラス担任が年配の女の先生になった事だ。
 ただそれがきっかけとなって、知子は同じ班になった麻紀や梓ともすぐに仲良くなった。三人で先生の悪口を言い合ううちに、すっかり意気投合したのだ。女の子同士というものは、共通のものを好む場合のほか、共通のものを嫌う場合も仲間意識を強く持つものだから。
 三人は帰り道も偶然同じだった。由香も加えて四人一緒に帰る途中、由香が麻紀と梓に向かって言った。
 「ねえねえ、知ってる? ともちゃんてね、男の子と文通してるんだよ」
 「わあ、うらやましーい」
 麻紀は好意的な笑みを浮かべながら、ひやかすように知子の肩を軽く押した。
 石橋麻紀はちょっとかすれた声で時々男の子のような口をきくので、ひとからはラフな性格に見られがちだが、一人の時には絵を描いたり詩を書いたりするのが好きな、夢見がちな子だ。ただ負けん気が強くて意地っ張りなため、男子相手には決してそんな面は見せない。
 「あずさちゃんは? 男の子と文通したいなとか思わないの?」
 男の子になんか全然興味はないと、梓はふだんからいやに強く言い張っている。そんな梓の事をからかうように由香はたずねた。
 「思わないよう」
 石井梓は女子の中では一番小柄で、幼い声や顔立ちを自分でも気にしているのか、時おり大人ぶってきつい事を冷めた口調で言ったりする。かと思うとおかしな事にこだわるような子どもっぽい面も見せ、周りのみんなをしじゅうハッとさせたり笑わせたりする。
 「じゃあさ、もし向こうから言われたら? 男の子に文通してくださいって言われたらどうする?」
 「言われたら? そしたらねえ、おわかれの手紙を書くな」
 「最初っからいきなり?」
 「そう。わたしたち、これでもうおしまいよって」
 「冷たいのねえ。だったら始めからことわったほうがいいんじゃないの?」
 「それならねえ、期限付きでOKする。封書なら三か月、はがきなら六か月って」
 「なによそれー」
 「往復はがきだったら、さらに六か月延長してもいいかな」
 「もう、あずさちゃんは」
 肩をぶつけ合いながら笑う三人を見ながら、この子達にはいつか本当の事を打ち明けてもいいなと知子は思った。この三人なら決して意地悪なひやかし方はしないだろうし、それなら秀樹も嫌な顔はしないという気がしたからだ。
 (そうだよね、あの子だっていつもしかめっつらばかりしているわけじゃないと思う。悪気さえなければ、からかわれて楽しい気分になる事だって、きっとあるよね。ちょうど今のわたしみたいに)

 『はろー、カッチ。おんなじクラスになれてラッキーだったね。でもあの先生はおこったらコワそうだよ。カッチも気をつけなきゃ。前から先生には注意ばっかりされてるんだから。でもカッチは頭たたかれる心配ないからいいよね。その石頭をたたいたりしたら、先生の手のほうがどうかなっちゃうもん。
 それから月のにじのことだけど、私もいろいろ考えてみたよ。きっとほとんどすきとおったような感じで、だからじっとみつめたりするとかえって見えないの。ちょうどかすかに光る星みたいにね。
 あと、このふしぎなにじにピッタリのいい名前ないかなあ。ただ月のにじっていうだけじゃつまんない。そうそう、にじのこと英語でレインボーっていうでしょ。あれは雨の弓っていう意味なんだって。知ってた? そういえば弓の形ににてるもんね。だから、月光の弓なんていいと思わない? カッチもなにかいい名前思いついたら聞かせてよ。
 それじゃ、席が後ろになったからっていつもボーッとしてちゃだめよ。じゃね。
  最近口の悪いともこさんより』


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