陽光の虹 月光の虹 − アポロンとアルテミス −


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     7

 (クラブ、どっちにしようか)
 気象観測もいいが、やっぱり科学工作も面白そうだと、秀樹は直前まで決めかねていた。だが、知子に誘いの手紙を書いた事で心は決まった。
 そして秀樹の望んだ通り、知子も同じ気象観測クラブに入った。それでも秀樹には、それが自分が誘ったためだとはどうしても思えなかった。
 委員会の方も、秀樹は希望通り放送委員になる事が出来た。ただ希望していたとはいえ、始めてみるといろいろ不満も多かったが。
 放送委員のおもな仕事は、下校時間の帰りの放送と、給食時間にお昼の放送をする事だ。各曜日ごとに分けられた班それぞれが、特徴のあるお昼の放送を製作している。
 その放送の製作を、六年生の男子がほとんど取りしきっているというのが、秀樹の一番の不満だった。秀樹達五年生は、テープを用意したり時間をはかったりといった、助手のような仕事ばかりを押し付けられる。
 (五年生にもなって、なんで下級生あつかいされなきゃならないんだよ。たしかに六年生からすれば下級生だけど、たった一年ちがいじゃないか)
 秀樹も始めのうちは、放送室に自由に出入りしたり、週に一度放送室で給食を食べるといったような、ささいな特別扱いを楽しんでいた。だがそんな新鮮味が失われてゆくにつれ、その陰に隠れていた不満が次第に露出してきたのだった。
 女子の方は、五年生も六年生もなくとてもなごやかな雰囲気だ。雑用ばかり押し付けられるのも不満に思わない様子で、いつも楽しそうにおしゃべりしている。そんな気楽さをついうらやんでしまっている自分を認めたくないという思いから、秀樹はつとめて女子達を無視し、そしてますます班長達に対抗意識を燃やした。
 クラブの方でも、女子達は初日からひどく仲が良い。気象観測には女子が少ないため、それでお互い親しみがわくらしい。知子も虹の事など忘れてしまったように、昨夜のアニメの話に熱中している。
 知子の事を意識すればするほど、自分に対するそっけない態度がますます不満に思えてくる。秀樹はここでも女子達を無視しようとした。別のクラスになった賢吾との再会を、おどけておおげさに喜んでみせながら。
 「やあハット、ひさしぶりだなあ」
 「や、やあ」
 「元気だったか?」
 「なにカッチ、どうかした?」
 「だってひさしぶりじゃないか。ちがうクラスになってしまったけど、元気でやれよ」
 「おおげさな事言うなあ」
 「じょうだんだよ、じょうだん。ハットも少しはのってくれよな。一人でなりきってたら、……なんかバカみたいじゃないか」

 翌週のある日の給食時間、クラスで小さな事件が起こった。秀樹のちょっとした悪ふざけが原因で。
 「おいブシ、ちょっと」
 秀樹の声にとなりの席の裕人がふり向くと、秀樹はその鼻先をいきなりスプーンではじいた。
 「なん……イテッ!」
 「ハハハハハ、あせったあせったー」
 「なにすんだよいきなり」
 「サムライは、なにが起こっても冷静だって言ってなかったっけ?」
 「あのなあ……」
 秀樹はスプーンを持ったまま、次の目標を求めて辺りを見回した。けれども同じ班のみんなは、今のを見ていたのですきを見せない。
 「おいおい、カッチ、カモがいるぞ」
 裕人の指差す方を見ると、知子が麻紀とはしゃいでいる。
 「アンパン、ショクパン、カレーパン。フフフフフ」
 いったい何をやっているのか、お互い顔を寄せてほほをふくらませたり口を広げたりして笑い合い、周りの事などちっとも気にしていない様子だ。
 「ほら、早く」
 裕人は秀樹をひじでつつき、そそのかすように笑う。きっと自分だけが被害者では面白くないのだろう。
 秀樹が今まで必要以上にはしゃいでいたのは、知子を意識すまいとしての事だった。自分ではそのつもりだった。だがそれだけが理由ではなかったようだ。同じように友達とはしゃぎながら、周囲をまったく気にしていない様子の知子を見て、秀樹は心の奥に、知子に自分を意識させたいといった思いがあるのを初めて自覚した。
 「よーし」
 秀樹はくちびるをなめると、スプーンにマーガリンをのせて指を引っかけ、柄を持つ方の手の親指に力をこめた。
 「小野!」
 イタズラ心からというよりも気を引きたいという思いから、秀樹は知子に向けてマーガリンをはじき飛ばした。
 ふり向きかけた知子の髪に、マーガリンは見事に命中。それを知子はとっさに手で払ってしまったため、包みがつぶれてマーガリンはベットリ髪に付いてしまった。
 一瞬のきつい知子の表情に秀樹はうろたえ、教室を飛び出す知子のそぶりに秀樹はますますうろたえた。
 しばらくは誰もが無言だったが、やがて麻紀の大声が沈黙を破った。
 「あやまんなさいよ! あんな事していいと思ってんの?」
 「……石橋がおこる事ないだろ」
 「なに言ってんのよ、あんたが悪いんでしょ。ならあやまってきなさい、ともちゃん本人に。ほら早く」
 「早くしなさいよ」
 「悪かったと思わないの?」
 秀樹はクラス中の女子から責められる羽目になった。ふと見ると、先生もけわしい顔をしている。秀樹は追い立てられるように教室を出た。
 「なあ。ごめん!」
 トイレの前から、中に向かって一言さけぶと、秀樹は教室に戻った。
 クラスメイト達はもとのようににぎやかにおしゃべりしていたが、そのざわめきに教室の空気はかえってがさついた感じがする。秀樹はいまだにみんなに非難されているような気がして、席に着くと不愉快そうに周りを見回した。
 (ここまで聞こえただろ。おれはちゃんとあやまってきたんだ、もんくはないはずだぞ)
 知子もじきに戻って来た。濡れた髪をハンカチで拭きながら。また裕人がひじでつついてきたが、その裕人も今度はしぶい表情をしている。
 秀樹はマーガリン抜きで味気なくもさつくパンを、ろくにかみもせず無理に飲み込んだ。

 その日の帰り道、方向が違うというのに、裕人と義径はわざわざ秀樹に付き合った。
 「やっぱまずかったよな、マーガリンは」
 「でもあとでちゃんとあやまったぞ」
 「それで白紙にもどったって思うか?」
 「じゃあどうすりゃいいんだよ。え? オブギョウ」
 秀樹にたずねられると、裕人はちょっと得意げな表情になった。
 片桐裕人は落ち着いた印象があるせいか、よくひとに頼られる。本人としてもそれは嬉しいらしく、そんな時はすすんで力になろうとする。だが時々調子にのってかなり無茶なアドバイスもするので、あまりその助言を真に受ける事は出来ないが。
 「だいたいな、あいつら相手に問題を起こす事自体まちがいなんだよ」
 「なに言ってんだよ。ブシだってやれやれって……」
 「でもマーガリンまでやれとは言ってないぞ」
 「…………」
 「やっぱやりすぎだったんだよ」
 三人は歩道橋の上で立ち止まり、手すりにもたれながら車の流れを見下ろした。
 「女相手にケンカなんかするもんじゃないぞ。どうなったってけっきょくおれたちのほうがソンするんだから」
 「なんで?」
 「負けりゃみじめだし、勝ったってあと味悪いし。もし泣かしでもしてみろ、ケンカの原因がなんでも、悪もんになるのはぜったいおれたちのほうだぞ」
 「じゃあオブギョウならどうするんだ?」
 「そうだな、なんとか引き分けに持ちこむか、それか適当にごまかしておしまいにするのがいいだろうな」
 「おれそういうのってぜったいだめだな」
 それまで黙って二人の話を聞いていた義径が、大声で口をはさんだ。
 「おれってよ、なんでも紅白はっきりさせなきゃ気がすまないんだ」
 「紅白はっきり? フック、それを言うなら白黒はっきりだろ」
 「ああ? そうだっけ? でもおんなじようなもんだろ」
 「ハハハッ、テキトーなやつ。おまえだろ、いつかの漢字テストで、大使館を大便館って書いたってのは」
 「ちがーう、それはぬれぎぬだー」
 「えーい、まだシラをきるつもりか」
 二人は笑い合いながら、秀樹には何も言わずに帰って行った。取り残された秀樹は、中途半端な笑みをぎこちなく引っ込めながら思った。
 (あいつの言った、女子相手にケンカをするなってのは、あんがいほんとの事かもしれないな。あとでこんなみじめな気分になるんだから。
 ……とにかく、やっちゃったものはどうしようもないし、あとは手紙であやまろう。ちょうどあしたは放送の日だから、帰りの放送のあとでこっそりモコのつくえに……。直接あやまるよりはらくだろうからな)

 『今日はほんとにごめん。ぶつけるつもりじゃなかったんだけど。ただちょっとびっくりさせてみたいと思っただけで。モコのびっくりした顔って、まだ見た事なかったから。でももうしないよ。おこった顔もはじめて見たけど、もうあんなこわい顔でにらまれたくはないから』


     8

 今朝机の中に見付けた秀樹からの手紙を、校庭の隅の樹の陰で読みながら、知子はすっかり安心した。
 じつは知子も後悔していたのだった。秀樹に対してとっさにきつい表情をしてしまった事や、その後で怒ってはいないという意志を示せなかった事を。
 あの時、いきなりマーガリンをぶつけられた知子は、ついいつものように弟にイタズラされたような気になって、とっさに相手をにらみつけた。ところがその相手が秀樹だと分かると、知子はもうどうしていいのか分からなくなり、それで教室を飛び出してしまったのだった。そして、突然の大声にすくんだせいもあって、あやまる秀樹に対して返事も出来なかった。
 (どうしていいのかわからなくてこまってたのは、わたしだけじゃなかったんだね。おたがいさまか)
 そんな秀樹に親しみを抱きながら、知子は秀樹からの手紙をもう一度開いた。
 この日一日知子はその手紙を持ち歩き、一人になる機会があるたびにそれを読み返した。
 (もうこわい顔でにらまれたくない、だって。わたしそんなにこわい顔したのかなあ。でもなんだかおかしいな。しばらくこわい顔をつづけてみたら、あの子いったいどうするかなあ)
 手紙を繰り返し読むうちに、知子は秀樹に対して、親しみや許すといった気持ち以上の感情を持ち始めていた。自分が主導権を握っているのだというような、優越感めいた感情を。

 今日は週に一度のクラブの日だ。気象観測クラブのメンバーは屋上に集まり、二台の望遠鏡を使って太陽の黒点の観測をしていた。
 知子は黒点なんかに関心はなかったが、それでもこないだまでの百葉箱の説明や、雲のスライドを見たりするよりはずっと楽しいと思った。
 投影された太陽のスケッチを一枚仕上げてしまうと、知子ははしゃいだ声で秀樹に呼びかけた。
 「ねえねえ、ちょっと」
 秀樹は動いて行く太陽に合わせて望遠鏡を微調整するのに夢中で、返事もしない。けれども知子には、そんなそっけない秀樹の態度を裏返す自信があった。
 「石川くん、ちょっと見てよ。空におもしろいものが見えるよ」
 「今それどこじゃないんだ。太陽は直接のぞけないから、合わせるのが大変なんだぞ」
 「そんなの六年生にまかせたら? なれてる人なら……」
 「これくらいおれにだって!」
 「ふーん。でもちょっと見てよ、太陽にカサがかかってるんだから」
 「カサなんて、べつにそんなめずらしくもないって」
 「でもさっきとくらべるとすごいはっきりしてきてて……」
 含み笑いをこらえながら、知子はささやくような小声で言った。
 「少し色が付いて見えるの。内側がちょっと赤っぽくて、外側は青い感じに見えるんだけど」
 そう聞くと、秀樹は手を止めて立ち上がった。知子が指差すと目を細めて空を見上げたが、すぐに片手を顔にかざした。
 「だめだ、見れないや。おれまぶしいのすっごいにがてなんだ」
 顔をしかめて目を細めながら秀樹は言った。そのしかめっつらの理由を初めて知り、知子の秀樹に対する気おくれは、この時すっかり消え去った。
 秀樹は無理してなおも空を見上げ、まぶしさのあまりクシャミを繰り返した。知子はすっかりうちとけた気分で、笑いながら秀樹に言った。
 「ねえカッチ、今日放課後残ってよ」
 「なんで?」
 「なんでも。そうしたらおとといのマーガリンの事、ゆるしてあげる。今日は放送の日じゃないんでしょ? じゃあいいね」
 秀樹は絶対こばまないだろうと、知子には分かっていた。知子の思う通り、秀樹は顔をしかめながらもただ黙ってうなずいた。

 マーガリンのしかえしのつもりで、秀樹へのイタズラを知子は計画していた。準備に手間がかかるので、由香と麻紀も仲間に誘った。
 「カッチにおとといのしかえしをするから、ちょっとてつだってよ」
 そう言うと、二人ともひどく嬉しそうにうなずいた。
 『ロッカーの中を見なさい』、『教卓の中を見なさい』、『花びんの下を見なさい』、こんな指示を書いた紙を、知子は大急ぎでいくつも用意した。それらを教室のいたる所に仕掛け、秀樹をその指示通りあちこち振り回してやろうというのだ。紙を仕掛ける間、秀樹は廊下で待たせてある。由香と麻紀に追い立てられてとまどう秀樹の表情が、知子のイタズラ心をますますあおり立てた。
 『ごくろうさま。最後までいうことをきいたから、今回のところはこれでゆるしてあげる。これでもうこりなさいね。
  ねはやさしいともこさんより』
 最後の手紙を秀樹の机の中に入れると、知子は廊下の秀樹に声をかけた。
 「さ、もういいよー」
 秀樹はまだとまどい顔をしている。知子はこらえきれない笑みを口もとに浮かべながら、最初の紙を手渡した。
 「じゃあ、ごゆっくり」
 「じゃあね」
 「おさきにー」
 帰り道、思い通りにイタズラをとげた嬉しさに、知子はほかの二人と袖を引っ張り合いながら笑った。少しやり過ぎたような気もしたが、この楽しさを三人で分かち合う間は、反省の思いが育つはずなどまったくなかった。


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