はじめましてライバル − 三原色プリズム 1 −


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     1 ニッチとサッチと

 あたしの目の中には、小さな糸がいつも浮かんでいる。青空を見上げたりすると、すき通った糸がいくつもおどる。
 いつの頃からかあたしは、この糸の動きからその日の運勢をうらなうようになっていた。糸がなめらかに流れればラッキー、ぎこちなく引っかかればアンラッキー、というように。
 ところで今日の運勢は? ……うん、なかなかいい日になりそう。

 ラッキーディとはわかっていても、転校初日の始業式には、あたしはとても緊張していた。でもそんな時、最初に声をかけてくれたのが、あの二人だった。
 「ねえねえ、あなた寺内さんっていうの?」
 声をかけてきたのは、背の高い女の子。色白でほっそりしていて、けれどちっとも冷たい感じのない、優しそうな子だ。背中まで届く長い髪はサラサラで、きっと男子にモテるんだろうなあ。
 「寺内なんて、ちょっと変わった名字よね。あ、悪い意味じゃないのよ。めずらしくて、ステキだなと思って。そうそう、わたしは佐倉、佐倉あおいっていうの。よろしく。それからこの子は、親友の西尾あかねちゃん」
 おしゃべりな佐倉さんに対して、その西尾さんという子は、よく日に焼けてて活発そうな印象なのに、静かな笑顔を浮かべるばかりだ。小柄でショートカットという外見も、佐倉さんとは対照的ね。
 「おとなしい子でしょ。でもほんとはとっても元気なんだから」
 「そういう佐倉さんこそ、とてもにぎやかみたいじゃない」
 明るい佐倉さんにつられるように、あたしも気軽にそう言い返していた。
 「佐倉さんなんてよしてよ。サッチって呼んでくれたらいいわ」
 「そう。それじゃあサッチ、よろしくね」
 「うちはニッチ。よろしく」
 西尾さんもそう言うと、うちとけた笑顔を見せてくれた。
 「うん。よろしくニッチ」
 「そう、わたしたちニッチとサッチで、とってもいいコンビなんだよねー」
 ゆかいな人達みたいだし、この二人とはなかよくなれそう。やっぱり今日はラッキーディね。
 「でもサッチ、佐倉っていう名字こそ、あたしめずらしいと思うけど?」
 「そうかなあ。だってうちのお父さんもお母さんも、みんな佐倉よ」
 サッチが真顔でそんな事を言うから、あたしとニッチは大笑いしながらおたがいのかたをぶつけ合った。


     2 ハナオカミナ

 不思議な偶然に、あたしはあとから気付いた。佐倉あおいと西尾あかね、そしてあたしは寺内みどり。青に赤に緑だなんて、まるで光の三原色じゃない。あたし達三人がこうしてめぐり合ったのは、定められた運命とでもいうの? でも目の中のすき通る糸はそっけなく流れるばかりで、答えを示してはくれなかった。
 そしてあたしはクラスメイトの名前に、強い興味を持った。まあ、転校生の立場としては、当然かもしれないけど。とにかく、早くみんなの名前くらいおぼえないとね。
 ところであたしの名前だけど、すぐにみんなにおぼえられちゃった。あの二人があたしの事を、テラッチテラッチと呼ぶものだから。あたしはみどりよ。光の三原色のみどり……、まあいいや。これでニッチとサッチとは、いいコンビになれそうだから。

 習字の時間、うまく書けた物を先生の所へ持って行きながら、あたしはまた無意識にみんなの名前を物色している。
 マイに、ユリに、エリカにアリサ……、どれも今時のありがちな名前ばかりね。マリコとかヨシコとか、子のつく名前が最近むしろめずらしいかな。
 ちなみに男子はというと、リョウタ、テツヤ、ショウヘイ……、やっぱりどれも平凡、つまんないの。
 列の後ろに並びながら、あたしはまたなにげなく、近くの女の子の手元を見ていた。
 その子はちょうど名前を書き込むところだったけど、あたしの視線に気付いたのか、ふと手を止めて顔を上げた。大きいけれど少しつり上がった目、細くとがったあご、きれいだけどちょっときつそうな雰囲気の人だ。片方のまゆを上げ、あたしの顔をまともに見ている。
 「あなた寺内さんっていうの?」
 昨日のサッチと同じセリフなのに、どこか挑戦的な響きがあるような……。あたしの答えもついぶっきらぼうになった。
 「ええ、寺内みどりよ」
 「寺内みどりさん? きれいな名前ねえ」
 「あ、ありがと」
 「情景が浮かぶようじゃないの。こけむした、古ーいお寺の境内が」
 「…………」
 ほんっと挑戦的なんだから。でもあたしが言い返す言葉に詰まっているうちに、相手は平然と机の半紙に向き直っていた。
 「わたしは花岡よ。きれいな名字でしょう」
 「そうね」
 あきれたように言ってやったけど、花岡さんはすずしい顔。くやしいけどこの人、かなりの大物かも。
 「名前は美奈。これも気に入ってるわ」
 「はいはい」
 花岡さんは名前を書き上げると、もう一度私の顔を見た。
 「どう? わたしの名前、きれいだと思う? ほんとにきれいだと思う?」
 花岡美奈……ハナオカミナ……。あたしは目をそらして必死に笑いをこらえながら、もう何も答えられなかった。
 「いいわよ、もう。ほっといてちょうだい」
 花岡さんはせっかく書いた習字を乱暴にぬりつぶした。なによ、自分の方でからんできたくせに。列が動いたので、あたしはそのままあの人の席から離れた。
 それでも気になったのでちょっとふり返ってみたら、花岡さんは習字道具入れの名札までぬりつぶしていた。まったくあの人、大物なんだか小物なんだか……。


     3 敵よりもライバルを

 「花岡さんが? うーんそうかもねえ。あの人、プライド高いのにコンプレックス強いから」
 習字の時間の事を話すと、サッチはあの人の行動原理を的確に分析した。
 「なるほどね、わかった気がする。つまりむじゅんした人なんだ」
 「でもねテラッチ、むじゅんなんて誰にでもあるものよ。たとえばこの子、ニッチだって、活動的なのに引っ込み思案だったりするでしょう」
 「そうね」
 「それならサッチだってそうじゃない。ふだん優しいのに、たまにすごい怒り方するもん」
 「え? そうなの?」
 「そうなんだから。ねえサッチ」
 「おこるわよ」
 「キャアごめんなさーい」
 へえ、意外な事聞いちゃった。サッチもただかわいいだけの女の子じゃないんだ。ほかにどんな面を見せてくれるか、これから楽しみね。……ちょっとコワイ気もするけど。
 「どうせだから、テラッチもどんなむじゅんな性格があるか、白状しちゃったら?」
 それから、このニッチの印象も変わっちゃったな。最初は無口なおとなしい子と思ったけど、うちとけてからは、いっしょにいてとても楽しい子だっていうのがよくわかった。
 「あたし? あたしはね、ネコ舌なのに熱いのが好きなんだ。お茶やコーヒー、それからお風呂も」
 「お風呂?」
 「そう。お風呂に入って熱くわかしながらね、思わずお湯をフウフウふいちゃうわけ」
 二人は大笑いした。教室のみんながベランダのあたしたちを見るくらい、大きな大きな声で。もちろん、あたしも。
 「でもこんな事、だれにも言わないでよ。第一印象からヘンな人だなんて思われたら、あたしこまるから」
 「だいじょうぶよ。わたしたちがテラッチのいいところを、これからみんなに伝えていくから」
 あたしはうれしくて、でもてれくさくて、手すりにもたれて空をあおいだ。今日も目の中のあわい糸は、ゆっくりとなめらかに流れている。
 「あたし、ほんとにめぐまれてるな。転校してきて、すぐにこんな友達ができるなんて」
 「そうね、それにライバルまでさっそくできたしねえ」
 サッチがいたずらっぽく笑ってかたをつつく。あたしはあわててかぶりをふった。
 「ライバル? やめてよ。あの人が勝手にあたしに敵意を持ってるだけなんだから」
 「ねえテラッチ、そういうのってよくないと思うよ。転校してきてすぐに敵なんか作ったら、学校がいやになるだけじゃない」
 「う、うん」
 「でしょ。だからせめてライバルって事にしておいたら、がんばる気にもなると思うよ」
 「そう、かもね」
 まっすぐあたしの目を見るサッチに、あたしも静かにうなずいた。

 サッチはああ言うけれど、苦手な相手をかたっぱしからライバルにしてたら、ライバルだらけでくたびれちゃうよ。まあ、敵だらけってのよりはましだろうけど。
 あの人ばかりじゃなくて、あたしには苦手な相手がいっぱいいる。じつを言うと、男子の存在がうっとおしくてしょうがないんだ。同年代の男子なんて、決まって幼稚か下品か乱暴かのどれかなんだから。クラスの半分がこんな連中だなんて、ほんと悲劇よね。
 そして、苦手な相手はあともう一人、じゃなくて一匹いる。教室の後ろの水そうの中の、食用ガエル。
 バカな男子がつかまえてきたらしいけど、なんで六年生にもなって教室でカエル飼わなきゃならないのよ。鳴かないだけまだ助かるけど、静かなら静かで、それもまた気味悪いのよね。授業中、なんとなく背中に両生類の視線を感じるような……。うー、やだやだ。サッチったらまさか、このカエルまでライバルにしろとは言わないでしょうね。

 けれども次の日、その食用ガエルは突然どこかへ姿を消した。


     4 家出ガエル

 登校すると、大勢のクラスメイトがあたしの席の回りに集まっていた。
 「なんなの? いったい」
 「カエルよ。カエルが水そうをぬけ出して、その足跡がここまで続いてるのよ」
 そう答えたのは、あの花岡さんだ。うえぇ。見るとたしかに水そうのフタがはずれ、水の跡があたしの机まで続いている。あたしはカバンをせおったまま、あとずさりして自分の席から離れた。
 「どうしたの?」
 ニッチとサッチが来た。あたしは事情を説明した。
 「ええっ、まさか」
 ニッチはかけ寄って水そうをのぞきこみ、それから大胆にも、カエルがひそむかもしれないあたしの机の中をさぐった。男子たちでさえ、遠巻きにしてビクついてるというのに。
 「ここにはいないみたい」
 「よかったあ。ありがとニッチ、たすかった」
 「ううん」
 ニッチは水そうのフタを直し、それから一人で床をふき始めた。見直しちゃったな。この子もこんなにしっかりした面を持ってたんだ。

 朝のショートホームルームでは、カエルの家出なんてそれほど問題にされなかった。でもこれは、間違いなく事件よ。休み時間、あたしたち三人はまたベランダに集まった。
 「どう思う? 例のカエルの行方不明」
 「謎よねえ。テラッチの席で足あとが消えてるなんて」
 「そう、だからあたし気味が悪くって」
 「もしかしたら、テレポテーションとかタイムスリップしたとか」
 「まさか、そんなSFみたいな話」
 「でもほかに説明つかないじゃない」
 「きっとあたしの席で紙きれでもくっつけて、そのまま跡を残さずにどこかへ移動したんでしょ」
 「そんな事言って、またいきなりテレポートで出現するかもしれないよ」
 「お、おどかさないでよ」
 給食の最中、食器の中から突然食用ガエルが飛び出す場面を想像してしまい、あたしは思わず十字を切った。いっその事、どこかでくたばっててくれますように。
 「ほんと、無事だといいけど……」
 それまでだまってあたしたちの話を聞いていたニッチが、だれに言うともなくつぶやいた。
 「どこへ行ったんだろう、モーちゃん」
 「モ、モーちゃん??」
 「そう、ウシガエルだからモーちゃん」
 「はあ……」
 「あの子、ウシガエルにしてはわりと小さいから、たぶんどこかせまいところに入り込んでるんだと思う」
 「手がかりになりそうね。食用ガエルの習性について、もっとくわしく聞かせてよ」
 サッチにそう言われると、それまでおとなしかったニッチは、人が変わったようにしゃべり始めた。
 「ウシガエル、別名食用ガエルは、むかし食用のために輸入して養殖していたのが、逃げ出して野生化したものなんだ。だから適応力や生命力は強いよ。大人になるまで二年かかるから、オタマジャクシのまま越冬して……」
 へえ、おどろいた。ニッチってこういう事にはくわしいんだ。ほんとに動物が好きなのね。あたしは国語や社会なら大得意だけど、理科はちょっとニガテ。まして両生類なんて……。
 「ねえ、ニッチにサッチ、いや、アカネさんにアオイさん」
 「なによテラッチ、あらたまって」
 「得意分野がそれぞれちがうあたしたち三人、コンビを組んだらなんでもできるんじゃないかな。アカネにアオイ、そしてミドリ、三原色の三人組で、まずはこの事件を解決してみせようよ」
 「キャア、さんせーい」
 アオイは悲鳴みたいな歓声をあげて手をたたいた。アカネは深くうなずいてあたしの手をにぎる。二人とも、たよりになりそう。あたしもがんばらなきゃ。この子たちこそ、あたしにとってのいいライバルよ。
 「ところでじつはわたしもね、食用ガエルについてはちょっぴりくわしいのよ」
 アオイがエヘンと胸をはってみせた。
 「おいしいのはももの部分の肉でね、トリ肉みたいな味なんだって。からあげなんかのほか、むかしはカレーとかにも入れたらしいよ」
 カレーって、たしか今日の給食は……。うええぇ。
 「もうアオイ! カエル入りの給食を何度も想像させないでよねっ」


     5 ひとを疑えば……

 その後あたしたちはマジメに事件について話し合い、だれか人の手が加わっているという結論に達した。つまり、だれかがカエルを連れ去ったという事。
 「となれば、一番あやしいのはくいしんぼさんよね。なにしろ消えたのは食用ガエルなんだから」
 ちょっとアオイったら、ホントにマジメに考えてる?

 クラス一のくいしんぼのほまれ高い犬山くんは、あたしとアカネの顔をけげんそうに見くらべた。けれどアオイにたずねられると、とたんにあいそよくなってなんでも話してくれる。やっぱり美人は強いよねえ。
 「ああ、あの気味悪いカエルか。なんかただいるだけで気味悪かったけどよ、突然消えるとそれも気味悪いよな。もしまた突然あらわれたりしたら、さらに気味悪いぜ」
 よくまあこれだけ気味悪い気味悪いを連発するもんだわ。これでもしもこいつが食べちゃってたとしたら、それこそ気味が悪い。

 「どうやら犬山くんは関係なさそうね。じゃあ次は……」
 「クラスの友達をうたがうなんて、うち、気が進まない」
 アカネがアオイのそでを引っぱった。
 「そういうつもりじゃないのよ。ちょっとでも手がかりがほしいから、いろんな人に協力してもらうだけじゃない」
 「……うん」
 「だからさ、話だけでも聞いてみようよ」
 そういうわけで、次はカエルをつかまえてきた村井くんに話を聞いた。
 「あのカエルは、おれと長谷川とでつかまえてきたんだ。どこにいたかは言えないけど。ああ、たしかにおとなしいやつだったな。カンタンにつかまったくらいだし。それがなんで急に逃げ出したんだろう。……なあ、ひょっとして、おれの事うたがってるわけ?」
 「そんな事ない」
 アカネがあわてて否定した。
 「よせよな。おれ、今までちゃんと世話してきたつもりだし、だから一番ショックうけてんのは、おれなんだからな」
 「うん、よくわかってる。ムーくんが一番、あのモーちゃんにやさしかった事」
 村井くんの事はよく知らないけど、アカネの言葉は信じられる。

 「あとは第一発見者にも話を聞いてみないとね。ミドリ、だれが最初に気付いたの?」
 「あたしが来た時はもうさわぎになってたからよくわからないけど、たぶんあの人だと思う」
 「あの人って?」
 「……花岡さんよ」
 「そう、じゃ、聞きに行きましょ」
 アオイは気楽に笑うけど、このライバル対決、あたしにとってはほんと気が重いんだから。

 「そう、あなたたちがあの事件の調査をしているの。まあ、しっかりやってちょうだい。そうよ、わたしが最初に教室に来て気付いたの。おどろいたわよ。寺内さんの席からカエルの水そうまで水のあとが続いているんだもの。始めはわたし、あなたが水そうに飛びこんだのかと思ったわ」
 「バカな事言わないで」
 「だって寺内さんと食用ガエル、ちょうど同じころクラスにやって来たじゃない。アヤシイ仲なんじゃないの、なんて思ったりして」
 「あんたね、いったいどういうつもり?」
 挑発にのっちゃいけないとは思うけど、ほんとイラつかせるんだから。熱くなるあたしに対し、あの人はあくまですずしい顔で、それがまたアタマにくる。
 「でもじょうだんはともかく、だれかのしわざにはちがいないでしょうね。そうなると、第一発見者のわたしがこうして疑われるのもしかたないけど、それよりもっと重要な容疑者を忘れてないかしら」
 「だれの事よ」
 「証拠の水を急いでふき取ったのは、だれだったかおぼえてる? 寺内さんの机の中をたしかめて、カエルはいないと言ったのは?」
 「それは……」
 「本気で調査する気なら、個人的な感情はぬきにして、徹底的にやる事ね」
 勝ちほこったような花岡さんのセリフを背に、あたしたちは引きあげた。
 もちろんあたしは、アカネの事をうたがうつもりは全然ない。それなのに、なんだかにがい思いが心に残った。


     6 カエル帰る

 始業のチャイムが鳴ったので、あたしたちは席にもどった。
 自分の席につこうとした時、突然あたしの心に暗い考えがよぎった。もしも、もしもあの子がそうだとしたら……、そしたら今あたしの机の中には……。疑いたくないけど。疑いたくはないけど……。あたしは席につくのがためらわれて、立ったままなんとなくあたりを見回した。
 ふと花岡さんと目が合った。あの人はじっとあたしを見つめたまま、目をそらそうともしない。そうか、あたしの反応をたしかめるつもりね。あたしは心を決めて、席にすわった。平然と、机の中に手を入れてもみせた。おあいにくさま。あたしはあんたなんかの思わくにはまって、親友を疑ったりはしないんだから。
 もう一度花岡さんの方を見ると、意外にもあの人は笑っていた。その笑顔の意味を考える前に、ほっとしたあたしもまた、思わず笑い返していた。

 そして事件は思わぬ形で、突然にして解決に向かった。四時間目の授業中、教室に響いたある音によって。
 「グウゥ」
 今の音はなに? ひょっとして、だれかのおなかの音? あたしたちはキョロキョロあたりを見回した。
 「お、おれじゃねえぞ。おれ知らねえからな」
 立ち上がってさけんだのは、例のくいしんぼの犬山くん。バカだねえ。だれもあんただなんて言ってないのに、なにを自分から言いわけしてんのよ。
 「こらこら、根拠もないのにひとを疑うんじゃない」
 先生がふり向いて言ったその時、
 「グオウゥ」
 再びくぐもった音が聞こえた。今度ははっきりわかった。前の方、ちょうど先生のいるあたりからだ。みんなの視線が先生に集中した。
 「それに、それにだ、この時間にハラがへるのは、誰しも当然の事じゃないか。なあ」
 子どもにしても大人にしても、男の言いわけってのはほんとみっともないよねえ。
 「グオウゥ」
 音がまた響く。みんながクスクス笑いを始め、先生はせきばらいをして黒板に向き直った。
 と、その時、
 「ううん。ちがう。あれはモーちゃんの声!」
 突然そうさけんで立ち上がったのは、アカネだった。そのまま教室の前へ走っていく。そして教卓の中から、だれかの習字道具入れを取り出した。
 「この中だ」
 アカネが習字道具入れを開いた。
 「グウォウウウ……」
 飛び出したのは、あの食用ガエル!
 「キャアアアアーー」
 教室は大さわぎになった。……と思う。じつはよくわからなかったんだ。あたしもまた頭をかかえて、机の下にもぐりこんでたものだから。
 「ミドリ、ねえミドリ、もうだいじょうぶ」
 しばらくしてアカネにかたをたたかれ、あたしはようやく机の下からはい出した。
 「ああアカネ、ありがとう。ほんとにありがとう。……それに、ごめんね。こんなアカネの強さ、今まで知らなかった」
 「ううん。うち、これだけがとりえだから」
 「でもあたし……、あなたの事を……。フフッ、あたしってほんとバカみたい。地震でもないのに机の下にもぐりこんだりして」
 「にがてなものは、だれにでもあるよ」
 あたしとアカネは、両手をにぎり合った。これ以上なにも言わなくたって、アカネはみんなわかってくれる。
 「でもアカネ、どうしてそんなに手がぬれてるの?」
 「ああこれ、今モーちゃんを水そうにもどしてあげたとこだから」
 「ギャアアアアーー……」
 ……あとの事は、もう聞かないで。


     7 ライバルというものは

 「だけどよかったじゃない。給食の前に事件が解決して」
 アオイはそう言ってあたしをなぐさめてくれた。
 「うん。でも、食欲ない」
 「そうね。犯人がわからないままじゃスッキリしないよね。あの習字道具入れ、名前が消してあったのよ」
 「名前が?」
 「ええ。名札にスミがぬられてて、わからないようにしてあったの。あきらかに計画的犯行ね」
 「スミが? ……そうだったの」
 「軽いイタズラだ、無理やり犯人をつきとめる必要はない、だなんて、先生もあまいわよねえ。グーグー腹時計の疑いがとけたからって、かんたんにきげん直しちゃって」
 「犯人は、もうわかってる」
 「ほんとに? だれなの?」
 「あたしの一番にがてな人よ」

 そうじを終えて、五時間目が始まるまでのわずかな時間、あたしはまたベランダに出て空をながめていた。
 目を動かすたびに、春空を背景にすき通る糸が魚のように泳ぐ。
 その小さな糸がいっせいに、クルクルとよじれるようにおどった。人の気配。あたしはふり向いた。そこにいたのは……。
 「佐倉さんか西尾さんとでも思った? そんなあからさまにイヤな顔しないでよ」
 「あなたのきげんをとる必要なんてないもの」
 平然と、あたしのとなりで手すりにもたれる花岡さんに、あたしはえんりょなく言ってやった。
 「習字用具入れ、もう返してもらった?」
 「やっぱり気付いてたの。思った通り、たいした人ね。ええ、返してもらったわ。軽いイタズラでしたって軽くあやまったら、先生も軽くゆるしてくれたわ」
 そう言ってあの人は笑った。あたしはムカーッとした。
 「でもあたしは納得できない! いったいどういうつもり? 転校生をおどかしておもしろがるなんて、ぜったいゆるせない事よ!」
 「わかってるわよ。わたしも三か月前はそうだったんだから」
 花岡さんの意外な言葉に、あたしは勢いをのまれてだまりこんだ。
 「でも寺内さんには、すぐに友達ができたのね。わたしは今も一人だけど」
 「…………」
 「だけど知り合ってすぐにはしゃぎ回ってる友達なんて、長続きするかどうか疑わしいじゃない。だからわたしがためしてあげたの」
 「ためす?」
 「そう。あなたたちの友情が本物かどうか。そしてもう一つ、あなたがわたしのライバルとしてふさわしいかどうかも」
 「ライバル? あたしが?」
 「ええ。クヨクヨメソメソするだけの弱い人じゃないとわかって、わたしもうれしいわ。でも今回はやりすぎだったかもしれないし、ごめんなさいね」
 まったく、かなわないなあ。こんなふうに軽くあやまられたら、軽くゆるすしかないじゃない。
 ライバルというのがどういうものか、サッチ、あたしもわかったよ。自分にとって相手はライバル。相手にとっては自分がライバル。そうしておたがいを認め合う事から、敵同士とはちがったライバル関係が始まるのね。
 「はじめまして、ライバル」
 「よろしく、ライバル」


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