父が何やら怒っています。聞けば、「下関って何県ですかあ?」などとほざいた若い女性店員がいたとか。
 父に言わせると、いい年して無知な人間は「その存在自体が許せない」のだそうです。なにもそこまで怒らなくても……。でもまあそれは、単に相手の無知に対しての憤りではなく、その不勉強な姿勢への憤りなのでしょうが。
 しかし、じつを言うと僕もまた、関心のない事に対してはまったくの無知なのです。たとえばスポーツ関係、特に野球に関しては。
 以前、こんな失言をした事がありました。
 「児童館で野球のチケットがもらえるんだけど、父さん、欲しい?」
 「どこのチームの試合だ?」
 「えーとたしかカタカナの名前で……、そうそう、イナックス」
 抗菌トイレじゃないっつぅの。
 それはオリックスだろう、と父は笑っていたけれど、内心ではどう思っていたのやら。
 (でもここだけの話。父だって、ペプシマンも知らないんですよ)
     00年10月21日
 秋といえば、流星の秋。今年もまた、しし座流星群の季節がめぐってきましたね。
 先月の半ば、書店で天文雑誌を立ち読みしていて、しし座流星群の特集を目にしました。それまで忘れかけていたのに、ふと思い出すと途端に期待が高まるのだから、勝手なものです。
 週間天気予報をチェックしました。防寒着を用意しました。星好きな友人にメールを出しました。
 しかし、観測の前にふと気付きました。流星群はひと月先だったと。ああ、早とちり。
 せめてメールを出す前に気付いていれば、大ハジかかずにすんだのに……。だいたい、早くから翌月号を発売する雑誌が悪いんだ。と、これは責任転嫁かな。
 さて、今月こそ本当に、しし座流星群がめぐってきますね。僕はコリずにもう一度ワクワクしてます。
     00年11月04日
 11月11日、毎年この日がめぐるたび、僕は高校の頃同じクラスにいた、ある男の事を思い出します。
 そいつはいつも妙な事で騒ぎ立てるようなやつで、1並びのこの日もやはり、朝から落ち着かない様子でした。
 そして11時11分に腕時計のアラームをセットし、それが鳴り出すやいなや、いきなり騒ぎ立てるのです。授業中にもかかわらず。
 「10秒前、5秒前、3、2、1、やったー、11月11日11時11分11秒ー!!」
 そうさけんでいるうちに、15秒くらいになっているというのに……。
 ミレニアムの今年もまた、そいつは何か事あるごとに、騒ぎ立てているんだろうなあ。
 なお、念のため書きそえておきますが、これは自分自身の事を、あたかも他人事のように書いているわけではありません。決して。
     00年11月11日
 こないだの週末は、お客が大勢来ていてとてもにぎやかでした。
 中でもにぎやがったのが、まだ2才のリサちゃん。人見知りする事もなく、ずっと駆け回り、はしゃぎ回っていました。
 それにおはなしするのもとてもじょうずで、いろいろ教えてくれるのです。たとえば、プリンにかかっているのはしょうゆじゃないよ、とか。
 ホント、今がかわいい盛りでしょうね。
 けれどもうじきリサは、遠いパパの国へ引っ越してしまうそうです。
 まだちっちゃいし、すぐに僕の事も忘れてしまうだろうな……。
 ふと、遠い昔、僕がリサくらいの頃に、意味も解らないまま口ずさんでいた童謡の記憶がよみがえりました。
 あの頃の僕もまた、その歌の意味はもちろん、別れの寂しささえ知らずにいたものですが。
     00年11月21日
 酔っ払いのケンカに居合わせました。
 おせっかい焼き、というより根っからヤジウマな僕の事、率先して止めに入ります。しかし酔っ払いの扱いは難しい。なだめたつもりが、かえってあおり立ててしまったようです。
 食事の席に戻った頃、外ではさらに数人を加えて大乱闘になっていました。
 もちろん、僕も再び加わります。いえ仲裁ではなく、今度は加勢として。
 しかし、慣れない事はするものではありません。暗がりの中、僕がなぐっていたのは味方でした。
 ただ一人しらふだった僕は、酒のせいだと言いわけする事も出来ません……。
     00年12月01日
 初夏からずっと続いていた、週末だけ帰宅するという出張生活が途切れ、しばらくの間自宅から通勤していました。
 平日にもホームページの追加更新が行えたのは、そういうわけだったのです。べつにモバイル通信を始めたわけではありません。今週からはまた出張で、次の週末を待てずに今回は一日早い更新となってしまいました。
 さて、先週までは市内のある工事現場に通っていたのですが、そこでは毎朝、ラジオ体操をするのです。小学生時代の夏休みを思い出して、なんだか懐かしくなりました。長いブランクがあるにもかかわらず、ちゃんと体が記憶しているのも意外でした。
 しかし、なんだか物足りない。第一体操だけでおしまいなのです。
 もともとラジオ体操は、第一体操が学校向け、第二体操が職場向けとして作られたのだから、第二だけをやるというならまだ分かるけど……。
 とにかく、第一体操の後にはやはり、首を回してから第二体操へと続かない事には、体感的にも納得がいきません。
 いっその事、「あーたーらしーいーあーさがきた」と、ラジオ体操の歌から始めてもらいたいものです。
     00年12月10日
 学研の「科学」と「学習」といえば、付録の教材を懐かしく思う人も多いでしょう。
 もちろん僕もそうですが、しかしもっと楽しみな物がありました。毎年夏休みの頃に発行される、別冊の「読み物特集号」です。
 当時は図鑑や百科事典ばかり眺めていた僕ですが、意外と創作物にも興味があり、「読み物特集号」は弟の分まで取り上げて読みふけるほどでした。
 引っ越しの時にまとめて処分してしまったのを、後にどれほど悔やんだ事か……。
 収録されていた物語の中に、未だに忘れられない話が一つあります。「初午(はつうま)のたいこ」という、こわくてせつない話です。読むたびに気持ちがふさぎ、もっとも嫌いな話だったはずなのに、どういうわけかもっとも強く印象に残っているのが、この物語なのです。
 忘れかけてはふと思い出しつつ、年月は過ぎました。
 そして今年、思いきって学研にメールを出したところ、運良くその号が残っており、コピーを送ってもらう事が出来ました。20数年ぶりの、「初午のたいこ」との対面です。
 また同時に、思いがけなく自分の子ども時代とも対面したような気もします。
 ちなみに、その物語の内容は……。
  主人公の女の子が、その日に見てはならないと言われていた「初午太鼓」を、自宅の蔵で見てしまう。だがそれは太鼓ではなく、厚く茶色い謎めいた本だった。そしてその本に記されていたのは、成長して自由を失った自分の姿、そして去り行く幼なじみの後ろ姿。想像もしなかった、かげりのある未来との対面。
 感激でした。それでも、読めば未だにせつない気分になりました。
 今の僕自身もまた、子どもの頃には想像もしなかった未来を生きているのかもしれません。
     00年12月23日
 つい昨日まで僕は、何かをするたびに「今世紀最後の○○」と意識していました。たとえば、「今世紀最後の歯の治療」とか、「今世紀最後の給料日」とか、さらには「今世紀最後のカブトの幼虫の腐葉土交換」といった、どうでもいいような事までも……。
 何しろ今回は百年に一度の、世紀の節目なのですから。また、千年紀の節目でもあると考えれば、なおさらです。
 しかしさらに、二千年に一度の節目、というのもあるらしいのです。
 聞くところによると、アクエリアスエイジ、みずがめ座の時代というのが到来するのだとか。紀元前はおひつじ座の時代で、キリスト生誕以後がうお座の時代、そしてこれからは、みずがめ座の時代なのだそうです。
 地球の自転軸の秤動(ひょうどう)、つまり歳差運動により、春分点が二千年ごとに黄道十二星座を移動してゆく現象から生まれた暦でしょう。まさか、こんなに長い尺度の暦もあったとは驚きです。
 まあ、そんな壮大な話はおいといて、とりあえず、今世紀最初のホームページ更新です。
     01年01月01日
 1985年のつくば万博で手に入れた、小さな缶のタイムカプセルが手元にあります。
 開封予定の2001年に向けて、当時の自分がいったい何を詰めたのか、今となってはまったく思い出せません。中身はいったい何だろうかと、期待を持って開封すると……、たいした物は入っていませんでした。新聞の切り抜きとか、腕時計用のカレンダーとか、そんな小物ばかりです。
 それでも、新聞はこんなに小さな活字で色もなかったんだ、とか、腕時計の多機能化でバンド留めのカレンダーなんて見なくなったな、とか、それなりに時代の変化は感じられました。
 しかし、もっとも変化を感じたのは、学生証用にでも撮影したらしい、当時の自分の顔写真です。まだ一人暮らしも一人旅も知らなかった頃の僕が、薄い顔で気弱そうに今の僕を見返しています。
 ふと思い付いて、会社員時代の入場者証やパスポートなど、古い顔写真をいくつか引っ張り出してみました。そして時代順に並べてみました。
 眉が上がり、あごが張り……。表情に、次第に勢いが加わります。十五年ほどの間に、自分の顔立ちがこうも変化していたとは、驚きでした。
 行動がその人の顔を創るというのは、やはり間違いないようです。
     01年01月12日
 寒いですね。冬だから仕方のない事とはいえ、先週は特別冷え込みました。こんな時、外での仕事はけっこうつらいです。
 手がかじかんだ時、僕はその手を首に当てるクセがあります。その動作が他人からは不思議に見えるようで、「のどが痛いのか」などとたずねられたりします。
 僕からすれば、ほかの人が首に手を当てない事の方が不思議なのですが。
 僕はただ、冷たくなった手を首すじで暖めているだけなのです。ちょうど、多くの人が手に息を吐きかけるように。
 首すじには頸動脈が走り、皮膚に近い所を血液が豊富に流れているので、熱交換にはとても効率の良い箇所なんですよ。もっとも、そんな理屈は後から付いてきたもので、経験的にいつの間にか覚えた事ですが。冬でも首すじはいつも暖かい、と。
 熱い時には耳たぶに触れる事に気付いた昔の人が、どうしてこの事には気付かなかったんだろう……。
 とにかく、一度試してみませんか。息を吐きかけるより効率的だと思いますよ。
     01年01月21日
 ついに発表されました! パワーブックG4が。といっても、大多数のウインドウズユーザーにはピンとこないかもしれませんね。アップルから、新世代のノートパソコンが出たのです。
 正月に帰省した弟から話は聞いていたものの、実際に目にしてみるとやはり驚きです。まぶしく輝くチタニウムボディ! 前世紀の旧機種となってしまった僕のG3が、さすがに見劣りします。
 ところで、よくチタニウムと言いますが、Titaniumとつづるのだから、ティタニウムと言うべきなのでは?
 このように「ティ」や「トゥ」を「チ」や「ツ」と発音する例は、ほかにもたくさんあります。たとえばチップにチケット、ツアーにツリーなど。「KSD」を「ケイエスデー」と読むのは近年では不自然に感じるのに、今でも「プレステ2」を「プレステツー」と読むのはなぜでしょうか。
 それはたぶん、日本語そのものが、「ティ」や「トゥ」を「チ」や「ツ」になまるように出来ているためでしょう。
 タ行は、タ・チ・ツ・テ・トという事になっていますが、舌に注意しながら発音すれば分かる通り、「チ」と「ツ」は明らかに異質な音です。本来ならタ行は、タ・ティ・トゥ・テ・トであるべきなのです。
 でも、だからといって「チ」と「ツ」を五十音からはじき出してしまっては落ち着きませんか? それならちょっと強引ですが、新たにツァ行を付け加えましょう。ツァ・チ・ツ・ツェ・ツォ。ほら、これでしっくり落ち着いたでしょう。
     01年02月03日
 ひどい悪夢にうなされました。
 夢の中で、僕は死の宣告を受けます。といっても、それは生物学的な死ではなく、「自分の中の本質が薄れ消えてしまった」状態を言うのです。今の自分の行動も思考もすべて見せかけで、かつて生きていた頃のそれを、ただなぞっているに過ぎないのだと。
 たしかにそれは「死」にほかならないと、僕は認めざるを得ませんでした。
 子どもの頃の単純な悪夢は、目覚めれば安堵する事が出来ました。しかし最近の悪夢はむしろ、目覚めて現実に直面してからが、いっそう不安になります。
 しかし、大丈夫でしょう。ポジティブに考えましょう。
 この悪夢の論法を逆説的にとらえれば、新たな行動や創造的な思考を持つ限りは、生きているという事になります。
 だいたい、この悪夢そのものが、僕の創造の産物であるわけですから。
     01年02月11日
 日曜日、ちょっと早起きしてみると、なんとまた新顔の仮面ライダーが登場しています。21世紀まで、よくも続いたものですね。初代ライダーを見ていた世代としては、「亜流」ばかりがもてはやされるのはなんとなく面白くありませんが。
 話は変わりますが、僕には弟が二人おり、兄弟三人そろって名前に数字が入っているのです。シン一、○○二、○○三と。そんな事から、1号・2号・V3などと呼ばれた事もありました。
 今年の正月にはその弟二人も帰省して、ひさしぶりにライダー三兄弟が集結しました(もっとも正確には僕だけチャリダー)。
 さて、その時の会話です。
 2号「仮面ライダーって、『力の1号、技の2号』だったっけ?」
 1号「え、逆だろ。『技の1号、力の2号』じゃなかったか?」
 2号「一文字よりは本郷の方が、力って感じだけど」
 1号「けど一文字の変身ポーズが、こう(実演する)だろ。ほら、いかにも力って感じじゃないか」
 三十過ぎの男どもが、何の話をしてるんだか……。
 なお、この論争に3号は加わってきませんでした。V3は当然「力と技」を兼ね備えてるからなあ。
     01年02月21日
 最近、立て続けに名字を間違えられました。例によって、クリサワさんと。
 ここで念のため確認しておきますが、僕の名字はアワサワです。粟と栗、この違いが分かりませんか? それならブラウザの文字サイズを拡大でもしてください。
 しかし、間違えるなとエラそうに言えた立場でもないのですが。じつを言うと、ほんとはアワザワなのに、濁るのはキライだからと勝手にアワサワと名乗っているもので……。
 僕自身、これくらいイイカゲンなのです。
 そうそう、名字だけでなく、名前の方もたまに間違えられます。シンイチはいいのだけれど、漢字の方を。電話などでは伝えにくいんですよね。
 「シンイチさん、どのような字でしょうか」
 「慎重の慎に数字の一です」
 「シンチョウのシンですね。分かりました」
 相手が簡単に納得したのでかえって心配になっていたところ、案の定、数日後に奇妙な宛名の郵便物が届きました。
 身長の身で、身一、と。
     01年03月01日
 話題の「白鳥」最後の列車に乗ってきました。大阪から青森まで13時間、興奮していたためか、ちっとも長くは感じませんでした。
 この列車は途中、新潟駅で方向転換します。信越線から羽越線へ入るには、スイッチバックの形になるためです。進行方向が変わるため、僕達乗客はみんなでそろって座席を回転させました。こんな作業もまた、名残惜しいものです。
 しかし、このように方向転換をする列車は、ほかにもまだ各地に残っています。そして面白い事に、地方によって乗客の対応には差があるのです。
 たとえば北海道の「オホーツク」では、座席が後ろ向きのままの人など見た事がありません。ところが九州の「にちりん」では、座席を回すのはその駅から乗る人くらいのものでした。
 そんなわけで、僕が別府に住んでいた頃、到着する下り「にちりん」がどこから来たかは、乗客を見れば一目瞭然でした。小倉始発の列車なら乗客は前を向き、博多始発で小倉で方向転換した列車なら、乗客は後ろを向いている、といった具合で。
 しかし、東日本のきちょうめんさもまた、時には困ったもので……。
 青森で「白鳥」を降りた僕は、そのまま札幌行き夜行の「はまなす」に乗り込みました。じつはこの列車も、函館駅で方向転換をするのです。不覚にも、それをすっかり忘れていたとは。
 深夜一時過ぎ、熟睡していた僕は、となりの乗客にゆさぶり起こされました。ぼんやりした頭で見回せば、周囲も全員作業中……。
 半分九州人の僕は思います。「眠るのに前も後ろも関係あるかっ!」
     01年03月11日
 話題の宇宙船ミールを、ついに目撃しました!
 落下という大イベントを前に、なんとなくうかれていた僕は、ネットでこまめに軌道を確認していたのですが、すると13日の18時35分、ミールは僕の住む神戸のほぼ真上を通過するじゃないですか。天気も良く、これ以上のチャンスはないと、双眼鏡を掲げて待ち構えました。
 ……すっごい物ですねぇ。あのサイズで、しかも落下直前の超低空となると。さすがに形までは分かりませんが、光度は木星をしのぎ、−3等級にもなっていたでしょうか。
 出来ることなら、日本の上空で大気圏突入するくらいのハデな事をやらかしてくれないかなあ。
 まあ無理な事はあきらめて、次は国際宇宙ステーションの撮影にでもチャレンジしてみましょう。
     01年03月21日
 こないだテレビで見た映画のラストは、時限爆弾の解体でした。昔っからよくあるパターンだなあ。最大のピンチを切り抜け、最後はハッピーエンド、アメリカ映画は昔っからそう決まっているんだから。
 ただ、新しい試みと思われる部分もありました。解体に取り組むのが女性科学者だという事。そしてその人が左利きだという事。
 なるほど、うまく考えたものです。大多数の右利きの人からすれば、左手での解体作業というのはもどかしく見え、スリルも増すでしょう。反対の立場に置き換えてみれば、左利きの僕にもそれはよく分かります。
 さて、アメリカ映画のパターン通り、最後には解体に成功して核爆発は防がれます。同時に、ハデな爆破も加えてラストを華やかに飾ります。
 ……しかし、たとえ核反応を防いでも、爆縮用の通常火薬を爆発させてしまっては、猛毒のプルトニウムが飛散して結局致命的なのでは?
 やはりアメリカ映画は、深く考え過ぎず単純に楽しんでおく方が良いようです。
     01年04月01日
 暖かくなりました。すっかり春ですね。
 ひさしぶりに袖を通した服に、長い長い髪の毛が付いていました。女の子の髪のようです。
 リサちゃんのかな。モモカちゃんのかな。それともエミちゃんか。アヤカちゃんかアユミちゃんかもしれない。ひょっとしたらサキちゃんかな。
 懐かしい何人もの名前や顔を、不意に思い出しました。
 もっとも、どの子も肩車をしてあげたようなちびちゃんばかりですけどね。僕がそんなにモテるわけないでしょ。
 それより、この服洗濯してなかったわけ?

 話変わって……、先日、身内に不幸がありました。
 いとこと一緒に来てくれた、小さな姪の存在が、何よりの救いでした。
 肩車してあげられなかったのは、おめかししていたからで、べつに重くなったからじゃないんだよ。
     01年04月11日
 4月10日は駅弁の日。じつはそうだったんですよ。「4」と「十」とを組み合わせてみてください。ほら、なんとなく「弁」の字になるでしょう。
 そんなわけで、この機会にコレクションの駅弁包装紙を集計してみました。
 9才の時から、四半世紀にわたって集めたコレクションは、種類別に計算して1450種、変化したデザインごとに分類すると1892種、そして枚数はなんと2232枚!
 ……だから何? まあ、そうなんですけどね。他人にとっては何の価値もなく、これはもう100パーセントの自己満足。
 これほどの熱意を、何か意義ある事に向けられないものかねぇ。いえ、まったく無意味な事だからこそ、ここまで熱中出来るものなんです。
 このホームページにしても、そうなのかもね。
     01年04月21日
 僕は食べ物に関して、まったく無頓着なのです。
 一人暮らしをしていた頃など、「消化吸収するため食材を加熱さえすればいい」といった考えで、5袋100円のもやしをゆでただけで食べ続けていても平気でした。
 それくらい味オンチなのに、どういうわけか紅茶に関してだけは、好みがハッキリしているのです。アール・グレイをあえてホットで、ミルクだけを入れて、というように。
 しかしアール・グレイというのは、会社によってかなり風味が違うんですよね。近年は国内でもかなり出回るようになりましたが、僕の好みにピッタリ合う葉はなかなか見付かりません。
 しかし先日、母が偶然買ってきたのが、弟が以前イギリスで買ってきた「フォートナム・メイスン」でした! 学生の頃以来の再会です。ああ、本当に懐かしい味……。
 今度は、モンゴルのスーテイツァイをひさしぶりに飲みたいな。でも、さすがにこれは国内では見付からないだろうなあ。
     01年05月01日
 高校生の頃にまとめていた、天文ノートが出てきました。絵と文章とで、惑星の特徴や天文現象の様子などを示したものです。
 ページを繰ってみると、絵は今と変わらないようなタッチなのに、字の方はひどく幼い。丸くて不ぞろいな文字が並び、文章がまた拙い事。
 現在高校生の友人にレポートを見せてもらい比較したところ、同年代であるはずの僕のノートは、恥ずかしくなるようなみっともなさです。
 しかし、大人びた絵に小学生じみた文というアンバランスさに、ああ、やっぱりこれこそ僕なんだなと、なんだか納得してしまいました。
 なお、今なら多少は文章力もついてきた、と自分では思っているのですが……。
 少なくとも、「しんいち」を「Jんいち」などと書いていた、幼稚園児の頃よりは……。
     01年05月10日
 「ふたりのイーダ」や「はだしのゲン」を読んでいた頃からすでに四半世紀、これまで通り過ぎるばかりだった広島の街に、今回初めて立ち止まってみました。
 そして、四半世紀前の気持ちを思い出すと同時に、最近話題となっている問題から、ふと新たな思いも生じました。
 韓国や中国の人達は日本の教科書についてあれほど真剣に考えているのに、どうして僕達日本人はアメリカの教科書にまったく無関心でいられるのだろうか、と。
 アメリカの歴史教科書が原爆をどう扱っているのかなんて、僕はこれまであまり考えた事がありませんでした。
 まさかとは思うけど、日本の一部の教科書が植民地支配を正当化しようとするように、もしもアメリカの教科書も原爆投下を正当化しているとしたら……。
 戦後処理を見越したソ連への牽制という浅はかな理由にはまったく触れず、「日本の戦意喪失を招き戦争の早期終結を遂げた」などと意図をすり替えて書く事は、充分考えられるような気がします。……ちょっと考え過ぎかな。
     01年05月21日
 旅先で、また忘れ物をしてしまいました。ホテルを出てから腕時計を忘れた事に気付き、すぐまた部屋に逆戻り。……ああカッコ悪い。列車に乗る前に気付いたのが、不幸中のさいわいだけど。
 こういうパターン、僕にはよくあるんですよ。出発したすぐ後で、忘れ物に気付いて引き返すというパターンが。
 そういえば、子どもの頃からそうでした。学校へ行く前、なぜか決まって靴をはいてから忘れ物に気付くんです。そして靴をぬぐのがめんどうで、ひざで歩いて取りに行く。
 こうしてたびたび、ひざ歩きで「あったーあったー」と繰り返した末に、弟から付けられたあだ名が「アッター星人」。
 ひざ歩きの姿も「あったーあったー」の声もなくなったけど、「アッター星人」は進化して今も健在です。
 「あのー、忘れ物したんで、もう一度ちょっと鍵を……」
     01年06月01日
 先日ある知人が、小学生の女の子に「彼女いる?」とたずねられてめんくらったとか。
 最近の子はマセてるなどとよく言いますが、自分達の子どもの頃をよくよく思い返してみれば、似たようなものだったのですけどね。
 僕はこのくらいの質問では、たじろぎはしませんよ。
 しかしこないだある子から向けられた質問は、いきなり「彼女いない暦何年?」でした。
 ……おいおい、まずは順序通りに、いるかいないか聞いてくれよー。
     01年06月11日
 以前から僕にはその傾向があったのですが、最近「人間嫌い」がいっそう重くなりました。
 これはつらいものです。当然の事ながら、自己嫌悪をも伴いますから。
 ……悪事を行う人間は、自分とはまったく別の生物とでも考えられれば、楽にもなれるのでしょうが……。
 大阪のあの事件の陰でまったく報道されませんが、神戸のひき逃げ事件は未だ解決していません。
 自己嫌悪を抱きながらも、僕は対象の定まらない悪感情を、見知らぬ不特定の人々につい向けてしまっています。
     01年06月21日
 ふと思いついたのが、つい半月ほど前の事でした。

 とくに期待もせずにNTTのサイトを眺めていたところ、いつの間にか自宅がフレッツADSLの対応エリアに入っているじゃないですか。
 その場でさっそく申し込みました。続いて対応プロバイダを調べ、安いところを選んで新規契約。そうこうするうち機器類や接続ソフトが届いたので準備をすませ、あとは中継局側の工事を待つのみ。
 あまりの展開の早さに、自分でもあ然……、です。
 ちなみに中継局の工事も早まっていたようで、予定日の前になんとなく試していたら、あっけなくつながりました。
 ADSLって、速いばかりか早いものでもあったんですね。
     01年07月1日
 ADSLによる接続に替えてから、これまでには考えられなかった楽しみがいろいろ広がりました。
 まずはナップスターで曲探し。各地のライブカメラ巡りも楽しいですね。近くは市内動物園のパンダ生中継から、遠くは気象衛星の画像まで。
 また、ダウンロードばかりとは限りません。メッセンジャーを使用して、同じく常時接続している弟と、音声通話を楽しんだりもしています。
 その弟に、常時接続なら自分のパソコンをサーバーに出来るぞとそそのかされ、今度はアップロードの方に気が向いてきました。
 とりあえず、サーバー構築は成功。しかし、そのために24時間パソコンを働かせっぱなしにするのはちょっと……。
 そんなわけで、ふと開いてはじきに消えるといった、気まぐれなページとして開設する事になりました。名付けて「広場のイベントコーナー」。場所や日時については、掲示板の方でお知らせします。
 なおアイデアに詰まっているので、コンテンツのリクエストも待ってます。
     01年07月11日
 90年夏、JR東海のCM「ハックルベリーエクスプレス」というのを憶えていますか? ほかのシリーズの、なんとかエクスプレスというのは友人も知っていましたが、こちらの方はあまりなじみがないようですね。
 しかし、少年少女の物語世界が好きな僕は、このCMの映像世界にもすっかり夢中になっていました。
 半年後に書き始めた児童小説「緑の空」にも、あの兄弟や少女のイメージが色濃く反映されているようです。自分では、あまり意識したつもりはなかったのですが……。
 そして先日、あるサイト管理者の好意により、この動画を入手する事が出来ました。60秒の完全版、目にするのは11年ぶりです!
 感激しました。……けれどもこういった世界に触れるたびに、なんだか感傷に沈んでしまいます。夏という季節は子どもだけに訪れる特別な季節であり、あの頃の夏はもうニ度と巡り来る事はないのだと。
 もっとも、ついこないだも小学生の友達と遊びに出かけて、一緒になってさんざんはしゃぎ、夏を満喫したのですが。
 夏の子ども達が身近にいてくれさえすれば、僕の夏もまだまだ現在進行形です。
     01年07月20日
 母が言いました。軽トラックに「まだこ」と書いてあったよ、珍しい名前ねえ、と。
 それってひょっとして、「まだこ」じゃなくて「こだま」だったのでは……。
 しかし母に罪はないでしょう。文字を右から左へと書くトラックの方が、どうかしてるんです。
 大正時代でもないのに、なぜあんな奇妙な書き方をするんでしょうね。進行方向から読ませようとの意図かもしれないけど、たとえ走行中でも、視界に一文字ずつカットインなんて機会は、めったにないと思うけど……。
 とくに船名なんて、目にするのは停泊中がほとんどですよ。
 たぶん、奇妙さで目を引き、印象付ける事が、最大の目的なのでしょう。
 しかしその巧みな宣伝方法も、見たままに読んであっさり受け流してしまう人には、まったく効果がないわけだけど。
 ちなみに僕も、「UNYU」を「運輸」と気付かずに「ウニュ」と読んでいました。
     01年08月01日
 続く時には、続くものなんですね。
 先月の後半は、身内を始めとして友人知人の誕生日が相次ぎました。
 もっとも、「おめでとう」だけですませているので、出費は全然なかったけれど。
 そしてもう一つ、掲示板の模様替えというのが、最近一部の間で盛んなのです。
 僕もまた、ある友人に対抗して、アイコン式にモデルチェンジしてみたり、文字色を変えてみたりと、いろいろ試してきました。
 そして今回、あるちいさな友人達の協力を得て、アイコンを再び替えてみたのですが、いかがでしょう。
 しかし相手もまた、最近カラーやアイコンを替えたようで……。
 掲示板の模様替えブームは、まだまだ続くかもしれません。
     01年08月11日
 懐かしのモンゴル語が聞きたくて、NHKの大河ドラマを見ています。
 ただ、今の所クビライの出番が少ないのが不満だけれど。それに、なんだか言葉づかいが現代風なのも気になります。
 しかし、セリフ回しはなかなか巧みなのです。たとえばこんな場面がありました。
 高麗の皇太子に、クビライがこう持ちかけます。「余の願いを聞いてくれ」「願い、と申しますと?」「船だ、軍船を用意するのだ」
 と、これは日本語字幕の方。
 しかし劇中の会話では、じつはモンゴル語でこう言っていたのです。「余の願いは船だ」「船、と申しますと?」「軍船を用意するのだ」
 回りくどい日本人と、単刀直入のモンゴル人、見事にその違いが表れていました。
 しかしどちらにしても、高麗の人はとまどうものなんですね。
     01年08月21日
 僕の友人に、いつも間の悪い時に電話を掛けてくるやつがいます。
 そうたびたび電話をするわけではないけれど、たまにかかってくる時が、決まってタイミングが悪いのです。
 たとえば、食事中、シャワー中、そしてトイレ中。歯を磨き始めたその時に、なんて事もありました。
 そしてこないだは、アイスを食べ始めたばかりの時に、電話を掛けてよこしました。
 こうなるともう、ねらってんじゃないだろうかって気もしてきます。そんな事、出来るわけがないけれど。
 もちろん、アイスはすっかり溶けてしまいました。
     01年09月01日
 前回、間の悪い話をしましたが、続いてまた間の悪い事がありました。
 週に一度、僕は手話の勉強会に参加しているのですが、その教室は教会の一室を借りています。
 こないだのある晩も、僕はその教会へ向かう道を一人で歩いていました。買ったばかりの雑誌を眺めながら。
 と、そこへ不意に追い付いてきたのが、自転車に乗った二人の顔見知りの宣教師達。もう手遅れながら、僕は慌てて雑誌を隠しました。
 何しろそれは、銃器の雑誌だったものですから……。
 どうせなら手持ちのもう一冊の方を、図書館から借りたムズカシイ本の方を読んでいればよかった。
 いや、信仰を否定した社会主義革命の本なんてのも、それはそれでマズかったかな。

 なおことわっておきますが、僕はただ興味の範囲が広いだけです。それらの対象にディープな関心は持っていませんので。
     01年09月11日
 仕事を終えて手話教室へ向かう前に、ハンバーガーでも食べて行こうかとショッピングモールに寄りました。そこで、前回の「間の悪い事」に対して、なぜか今回は「間の良い事」ばかりが続いたのです。
 まず、手話仲間の小学生姉弟に会いました。続いて、同じく手話仲間の中学生にも会いました。
 まあ、最寄り駅で手話教室の日となれば、そんな事もあり得るでしょう。けれどもどちらも、おたがいに数秒違っていれば気付かなかっただろうというくらい、まれな偶然でした。
 しかし、それどころではない、さらにすごい偶然があったのです。かつての遊び友達が、なんとマックでバイトしてました。
 ……ただ、当時小学生だった子が、数年ぶりに高校生になって目の前に現れるというのは、なんだか複雑な心境です。
     01年09月21日
 前回に続いて、もう一つ不思議な偶然の話をしましょう。夏休み最後の日の話で、もうだいぶ以前の事になりますが。
 その日、遊び友達の小学生姉弟が、ある渓流に案内してくれたのですが、初めてのはずのその場所が、なぜかどことなく懐かしいのです。
 やがて、木の間越しの瀬音が、遠い記憶へ流れ着きました。

 小学生の頃にも、僕はこの神戸に住んでいました。
 ある予定のない日曜日、退屈していた僕は、家族全員を強引にせき立て、とりあえず外出しました。
 そして、駅で見かけたのです。網を持ってリュックを背負った、楽しそうな姉弟の姿を。
 僕は両親に提案しました。あの家族について行こう、きっと楽しい所に行くはずだから、と。もちろん、その計画を強引に実行した事は、言うまでもないでしょう。
 やがて、その姉弟の案内により行き着いた場所が、まさにその渓流だったのです。

 四半世紀以上の時を経て、何も分からぬままに同じ場所へ導かれる不思議さ、「偶然」とはこのような事を言うのでしょう。
     01年10月01日
 あの暑くてにぎやかだった夏も、 すでに遠くなりました。秋はなんだかもの寂しいですね。
 今僕は、あるテーマパークでカメラマンをしています。ゲートや乗り物で家族連れやカップルを撮影し、出口付近に展示して帰り際に買ってもらうという、あれです。
 撮影はともかく、購入してもらうのは困難ですね。たまに遊ぶ時でさえ、不況の影響があるようで。それでなくても、関西の人はサイフのヒモが固いのに。
 そこで僕は、子どもを味方につける戦術をとっています。家族連れの場合、まず子どもに写真を手渡すのです。「よく写ってるよ。ほら、手に取って見ていいからね」これで親にねだってくれればしめたものです。
 しかし敵もさる者、やはり子どもを武器に反撃に出ます。たとえばこんなふうに。「お兄ちゃんにお願いしてごらん。『ちょうだい』って」
 ……なぜ、僕の弱点が知られてしまっているんだろう。
 (注:その後、子どもに写真を渡す戦術は「禁じ手」だと、上司にクギをさされました)
     01年10月11日

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